June 15, 2006

Usual but Special !! … Happy birthday to me.

前年に引き続き、今年も無事に この日を迎えることができました。
数年前は 独り残業をしながら誕生日を迎え、夜が明けていく中を泣きながら駐車場まで歩いたのですが、それに較べたら平和な日であります。

いままで大病、ケガもなく暮らせてたこともあって、健康というのを特別 意識したことがないのですが、今年は運良く? 身体の異常を早期発見・治療を施すことができました。
この1年間、何ができて何ができなかったか、どれだけ成長・進化できたか、正直なところ疑問であります。 ただ言えることは、無事に 存在していること、次のこの日を当たり前のように迎えたいと思っていること、これだけでしょうか。
実社会では、世間一般からは、決して良い視線を浴びてはいないと思いますが、それでも良いのです。 モノの見方や必要性の考え方が 以前とは変化しています。 良い変化です。 損得というモノサシではなく、善悪というモノサシで心身を動かすようになりつつあります。
何を歓びとして、何を目的に生きようとしてるのか、捜しだせていないのですが、充電完了までの連続した「今」は、その先、とても価値のある過去になるのだろう、と思っています。

…だからこそ、今年も 今日のこの日に「ありがとう」です。



yasudama_kun at 11:45|PermalinkComments(16)この記事をクリップ!●思う、故に在り… 

June 04, 2006

The pioneer … Voice to my professor 2006

自らの誕生日を迎える前に、この日を忘れてはなりません。
今も未だ、心から恩師と呼ぶべき御方との再会を果たせず、振り返ればこの1年、修行不足をどれだけ補ってきたのか、甚だ疑問にも思えてます。
師との交流がなくなってから1年半になろうとしています。 周囲の目や堅苦しい形式にとらわれず、今も研鑽を続けられてることでしょう。
…姪はすくすくと成長しております。 師の御孫さんも成長されてることでしょう。 成長らしい成長をしていないのは、この私だけかもしれません。
あれから、モノの見方や考え方はだいぶ変わりました。 ただ、それでも師を師と呼ぶことだけは変わりません,変えられません。
私を一人前という眼で見てくれているが故に、師と呼ばれるのを嫌い、一社会人同士とのスタンスで臨んでくれていたことは重々承知し感謝しております。 が、しかし、弟夫婦の間に娘が生まれて、私が伯父になり、オヤジが祖父と呼ばれることになろうとも、私から見れば、弟であり、またオヤジで在り続けるように、学び舎を後にしても 我が師は師以外の何者でもありません。

…たとえ、他の師が形式的な呼称であって、今や一社会人として接してたとしても。
いつかまた、お会いできる日のためにも、どうぞ永活きして下さい。
お誕生日、おめでとうございました。



yasudama_kun at 03:01|PermalinkComments(9)この記事をクリップ!△理想と現実 

May 30, 2006

She(ep) separated the Sheep from goats.

前略、ヒツジさま

ちょうど1年ぶりでしょうか…
今となっては互いに会うこともなく、思いを交わすこともなく、ここに何を記しても貴方には届かないと思いますが、僕にとって大きな出来事だったので記しておきます。

今さら… 今だから… どちらなのか、今となってはどちらでも良いこと。
貴方のお陰で、得られたことがありました。
貴方と引き換えに、失ったこともありました。
あの時は、微妙な差引勘定から解放されたかっただけ。
お互い、ドンブリ勘定ができなかっただけ。

互いに正しくて、互いに正しくなくて、
不満はなくて、後悔もなくて、
終わりがなくて、終わりにしたくて。

結果として、今があるだけで、
結果として、思い出があるだけで。

ひとこと言えるなら、ありがとう と言うんだろうなぁ…


yasudama_kun at 20:10|PermalinkComments(0)この記事をクリップ!※事件級の出来事