2013年05月

2013年05月19日

紀州茶粥

「紀州茶粥」茶粥茶粥を主食にしたのは紀伊半島一帯の特色であったが、特に山間部ではこの傾向が強かった。元来は米の生産が少ないため、それを節約する意味があったのであるが、同時に、伝統的に粥食が山村の働く人々の口に合っていたからでもあろう。紀州の平坦部などでの一般的な茶粥食というのは、一日三食のうちの朝食だけとか、せいぜい朝夕の二食といった場合が多い。しかし、山間部 の食事は、一日の全部が粥食になることが多く、朝、四つ、昼、八つ、夕、夜と、一日六食、あるいは早朝のも加わって七食というようなこともあった。茶粥では早く腹が減るので、しぜん食事の回数が」多くなるのである。こうした地域での茶粥は、水分が多く、さらっとしているのが特色である。「茶がゆを食べる」というよりも「茶がゆをすする」というのが、よくそれをあらわしている。茶粥を炊くのに、一般家庭は鍋を使った。それに水を入れて沸かし、番茶をつめた茶袋をほうり込み、お茶の色がよく出てから米を入れる。農家では畑のすみなどに茶の木を植えていて、番茶は自家製のものを用いる。いろりがなくなってから、かまどで炊くようになった。茶粥は強火で炊くのがよく、米が煮えてくれば早い目に火を止める。茶粥には
茶粥1米のほかに麦や芋を入れることが多く、芋は里芋を沢山作るのでそれを入れた、サツマイモを栽培するようになってからは、芋茶粥といえばサツマイモを入れたものを指すようになってきた。四つとか八つとか夜食とかの茶粥は、朝、昼、夕に炊いた残りを、夏は冷たいままで、冬は暖めて食べた。 

yasui_haruo at 16:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)芋茶粥 | 紀州名物