剣道で知る、素晴らしい日本のこころ

剣道には「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」という「剣道理念」があります。この理念をわかりやすく語りかけたいと思います。

剣道歴60年余の老剣士ですが、楽しく稽古しております。
段位剣道教士7段
居合道 5段
交野市少年剣友会指導(1971年~現在)
交野市剣道連盟名誉会長

今年は丑年ですね、自分のことで恐縮ですが、1月2日生れの私は、3日前までは、母のお腹で育ち、全部丑年だったのですが、たった2日の違いで寅年生れになりました。なので、人さまに聞かれると、丑寅生まれですと答えています。幼少期、我が家では、機械化の進んだ現代と違い、昔から農耕のため、雄の大きな黒毛の牛を飼っていました。牛は家族の一員のように大切な働き手でした。夏場、親父は毎日裏山に行き、大量の若草を刈ってきては与えていたものです。

丑にまつわる話で、小川忠太郎先生の講話で何度か「十牛の図」のこと聞いたことがあります。そこで丑年にちなんで、本棚を探すと、小川忠太郎先生の剣道講話(体育とスポーツ出版社)の中に「十牛の図」のことを書いた頁がありました。そしてほかにも、人間禅、耕雲菴立田英山老師述の「十牛の図」本も一緒に出てきました。

 

立田英山老師は、小川忠太郎先生が、人間禅を修行されたときの師匠さんです。この人間禅の歴史は、明治のはじめ、山岡鉄舟や当時の元老たちで、僧籍の坊さんだけでなく、我々一般庶民でも出来る坐禅として、立ち上げられたと坐禅だと聞いています。以前体験で何度か、京阪橋本駅下車の、人間禅関西道場の坐禅会に参加したときに、立田英山老師の「十牛の図」の本が置いてあったので、あとでゆっくり拝読しょうと求めていたものです。

では、「十牛の図」とは一体どんなものか。それは、禅の修行によって、人々の境涯が次第に低いところから高い次元に向上していく様を、絵と偈頌(げしょう=仏の功徳や教理をたたえた歌)にしたもので、自分の本心を牛にたとえてあり、尋牛、見跡、見牛、得牛、牧牛、騎牛帰牛、忘牛、人牛俱忘、返本還元源、入廛垂手、の十段階にわけて教えられています。これは四人の坊さんの合作だそうです。

小川先生は、これを講話の題材にして、剣道の修行で人間形成につなげる過程として話されていました。また、一般社会の生活においても同じことで、参考になると思うのです。だが、残念なことに、読解力の乏しい我が身には、ところどころしか理解ができなくて、説明不足や間違いがあるやも知れませんが、「十牛の図」とは、まあ、こんな話だと思って頂き、後は各自の求道心にお任せします。

 

1、      尋牛 (撥草尋牛)


 ※立田英山老師の本に、絵では、大きな丸の中に、牧童が高い山から、手をかざして遠くを眺め、牛を探しています。そこに「蟇(ヒキガエル)の子五分にしてこの歩きざま」とあります。

 

★老師・・・牛を尋ねるとあるが、牛とは言うまでもなく心牛のことで、人々が本来具有している仏性そのものを牛に譬えたものである。

★小川忠太郎先生・・・第一は「尋牛」即ち心牛、真実の自己を尋ねるということです。

 

※ここから先は両先生のお話を、簡単に拾い読みしてみました。誰でも生まれながらに持っている本性、何で外に尋ねる必要があるのか。ここをしっかり掴ままなければ次のステージに進めません。

 

★小川忠太郎先生・・・少し世の中に出ていますと、それを失くしてしまうんですね。忘れてしまえば持たないのと同じです。そうなれば尋ねなくてはなりません。一刀流では道統を継いだ笹森順造先生が一刀流極意を公開しています。柳生流の極意、三摩の之位というものがあります。一つは「習」先生につくこと。一つは「工」考えること。一つは「練」鍛錬、稽古。をすること。この三つのうちどれが欠けても大成しません。柳生ではその根底を「不動智神妙録」に持ってきています。これが真理です。

それで各流祖から同統を継いだ人が正しい師匠です。一刀流では最後に山岡鉄舟でね。わからない人に就いてもどうにもなりません。しかし、そういう人がいない時代どうするか、道統を残している形や伝書を学ぶ。「求道心」です。

★英山老師は・・「われ十五にして学に志し」発奮して食を忘れる。・・とあります。

 

2、      見跡 (権為見跡)


※老師の絵では、大きな丸の中に、牧童が牛の足跡をみつけています。

 

★小川忠太郎先生・・・第二は「見跡」つまり心の牛の足跡を見つけたということです。先生の話をよく聞き、よく思うこと、ははん、とわかります。どのように分かるかというと、理論的にわかる、知的に一応わかるということです。頭で理解するのです。

剣道というのは、万刀は一刀に帰すんだと、頭で理解するのです。これは進歩です。

その一刀は自己であるというところまではわかってくるわけですが、ここで止まってしまう人があります。ここで止まってしまうと、どんなにわかっていても身につきません。なぜか、その一刀を求める手段を知らないからです、観念頭だけです、真面目な人はここで迷います。‥略

 

3、      見牛 (従声見牛)


※老師の絵では、大きな丸の中に、声に従って心の牛をみたのです。

 

★小川先生・・・第三番目は「見牛」と言います。心牛の真の姿をこの目で見たことである。実際に真実の自己というものに気が付いて、向こうに求めないわけです。これには手段がいります。どういう手段かというと、「三摩の位」、先生から話を「聞く」、「工夫」する。それから「修錬」する。剣道には修錬とう手段がいります。どんなに科学的に剣道を研究しょうが、哲学的にやっても関係ありません。手段は修錬です。ここえこなくてはいけません。

★立田英山老師・・・「声に従って牛を見る」とは,兎に角、牛を見たというのだから見性の一段である。牛と呼び性と謂い心と称するものが同一物であることは、前回にも言った。だから、見牛は即ち見性である。しかし、その見性にも浅あり深あることを知らねばならぬ。この一段は絵にもある通り、牛の尻ぺたをチラリと見ただけじゃ。

 見るには見たのだから見性と言えようが、まだ鼻面(鼻の穴に輪っか)に縄を通したわけではないから、何度(なんどき)その姿を隠さないとも限らない。牛の尻ぺたをチラリと見たぐらいで修行を投げやりにしておくと、いつとはなしにうすぼんやりとなってしまう。・・・略、実際には悟ったようでもあり、悟らぬようでもある。

 

4、      得牛(金輪際動かぬ面の田掻き牛)


※野放しにしていた牛を得て、綱を付けることは出来たが、牛は荒れている絵があります。そこに「牛を得て鞭を加う」と書いてあります。つまり鞭を使って調教する意味でしょう。さらに、修行の最も重要な部分である。・・略、この第四と次の第五の「牧牛純和」が、一番 修行に骨の折れる時期である、長くもかかる、とあります。

 

★小川先生・・得後の第一番目は、第四の「得牛」です。実際に我がものにするのが「得牛」です。ところがすんなりと悟り切れるものではない。せっかく得た心牛が荒れる。どういうふうに牛が荒れるかといいますと、いくら本体を悟っても、あるときは技に走ってしまうのです。技ばかりに走ると、本体を見失ってしまいます。・・・略、最初に悟ったところの、本当の正眼に帰る修行をするのです。一刀流の十二箇条には、色付之事というのがあります。相手の色に付くなということです。色に付かない。本体を見失わない。こういう修行を色付之事といいます。他に心を通ずるなということです。ものを見るとものを見てしまいますが、そうではなくものは自分だと見なければなりません。十二箇条でそういう修行をしていくのです。

そういう修行は、剣道の修行の中で一番苦しい時代です。稽古をやっても少しも上がりはしない。ここを辛抱しなければいけません。こういうときに助けになるのが、いい先生といい友達です。そこを頑張って自己というものを見失わない修行をするのです。この時代は反省が肝要であります。

 

5、      牧牛 (牧牛純和)


※老師の絵では、牛に鼻綱を付けて、家路を歩いています。

 

★老師・・・前の「得牛加鞭」の一段も牧牛(ぼくご)ではあったが、まだ悟っても日が浅いことでるから、牛も大分、野生が残っていて荒っぽかった。従って牧牛の遣方(やりかた)も綱を引っ張ったり、鞭をくれたり手荒かった。ところが、今日の牧牛は、『牧牛純和』とある通りに、大分お手柔らかである。牛も絵にあるように大分おとなしくなって、まだ滅多に綱ははなせないが、そう無闇に引っ張らないでも、主人公の前をノソリノソリと歩いている。聖人のいわゆる[六十にして耳順う]という境涯である。

★小川先生・・・今度は自己というものが非常に軟らかくなってくるのです。技でいうと細かい技、大きい技等あらゆる技。近間等あらゆる間合。ただ打つだけでなく懸待一致等。すべてにわたって綿密に修行してゆく時代です。ここでも油断してはいけないのです。自己の本心というものを、じっと掴まなくてはいけないのです。この時代で役たつのが形です。古流の形が役に立ちます。古流の形の中には真理が秘められております。

一刀流で言えば、一本打つ。打ったあとが生きている。自己流では当てただけです。打ったあとが生きているのを切り落としと言います。打ったあとが突きになっている。すぐ次の技が出るようになっている。それを形で修行するのです。この時代な稽古と古流の形との、一致を骨折って修行してゆくと、さすがの荒牛も柔軟となってくるのです。又一方、道力稽古力をつけることが大切であります。第四得牛と第五牧牛は修行の上で一番骨が折れ長くかかる段階です。ここを切りぬけると楽しい境涯が開けてくる。

 

6、        騎牛帰家 


※絵では、牛の背中に後ろ向きに乗り、綱を放しています。そこに、「馬子唄の霧分けて来る佐久平」とあります。

 

★小川先生・・・第六「騎牛帰家」です。牛に乗って家に帰るということです。今までの三、四、五の要点は、己に勝つということです。反省していくのです。ところが第六番目になると牛に乗っています。牛にのって楽になります。画(絵)では牛に乗って笛を吹いております。これが第六番目の心境です。この心境を「平常心」と言います。もう克己ではありません。己に勝つということは通りすぎて、「平常心」笛を吹いて(絵では)いるのですから遊びです。遊戯三昧。こうなると修行が楽しみになるのです。ここが老荘思想です。普段稽古をする場合には、ここを目標にするといいですね。平常心であれば死んでも「平常心」です。・・・略

 

7、        忘牛存人


※老師の絵では、小屋の中に一人たたずんでいます、その横に杖らしき棒があります。

 

★小川先生・・・第七番目は「忘牛存人」というのですが、牛に乗って笛を吹いているところは、いかにも遊戯三昧でいいけれども、まだそこに少し人間らしい臭いがありますね。第七番は、それまで忘れてしまうのです。皆さんご存知の「猫の妙術」の中に「眠り猫」のことが書いてあります。修行をし抜いて、修行した臭味がちっともない。ただの人間。ただの人間だから打てるかというと、そういうわけにはいきません。これを「睡虎の気」と言います。虎は眠っていても、百歩内には他の動物を近づけさせません。それだけの威力を持っている。これでなくてはいけません。

剣道で言えば、本当に納まったところの突きと言っていいでしょう。突かない。一刀流の極秘に「四角八方・横竪上下之内、中者突也」とこうある。この突きは相手に突っかかるのではない。又相手がきたら、突っぱるものでもない。その突きとは違う・・・

それは対立のまま之を超越していて、自然に丸く押して行くだけですね。突きを蔵して。絵には眠っている人間の傍に棒が置いてあるのです。突きを蔵している。しかしそんなことは忘れているものです。・・・略

 

8、      人牛俱忘


※絵には画面いっぱいに大きな丸ひとつだけで、なにも描いてあります。

 

★小川先生・・・第八「人牛俱忘」牛も社会も、両方忘れてしまうのです。我もなく彼もなし、本当の空ということの修行をするのです。剣道家ではここに行った人は少ないです。針ヶ谷夕雲という人はここへ行きました。相抜け剣法です。合掌です。山岡鉄舟の無刀流はここへ行っています。針ヶ谷夕雲という人は、学門がない人で、自分の剣法は禅をやって難透難解の公案を十八側した。仏と同じ慈悲の心だ、と申しおります。・・・略

 

★英山老師・・・いよいよ「人牛俱忘」の一段、今日のところは、文字を離れてその意を汲むより仕方ない。意をくんでも、その意を説く術(すべ)もないのであるから、耳をもって聴き、目をもって見ないでおもらい申す。鳴かぬ亀の声を聞き得る者にして、初めて “空“ の義に徹し、よく祖宗に合(かな)う者というべきである。・・・略

 

9、        返本還源


※老師の絵には、古木に花が咲いています。「閑庭や花散る音のまぎれなき」と、あります

 

★小川先生・・・第九は「返本還源」本に返る、源に還る。これは世間です。第八は「人牛俱忘」。ほんとうの空に徹すること。今度は世間です。世間に出て働くには世間に通じなくてはいけない。世間は千差万別です。そういう修行をここでするのです。剣道でいえば本当のまとめといってもいいですかね。そればかりではないですけれども、中心となるものは、正念の相続です。第九はいかなる逆境でも遊戯三昧で自由に勝つ事ができる観音三十三応身の修行です。・・・略 

社会は礼儀三百威儀三千も身につけなければ社会に出られません。それに世間をよく知る事。そういう修行を第九番目でするのです。難しいかというとそうではありません。正念相続というのは、当たり前にすればいいのです。然し実行となるとこんな難しいはありません。自然界が御手本です。いつも太陽は東から出て西に没する。当たり前です。人間だって現在やるべきことをやってゆけばいいわけですね。これ以外になにもありません。・・・略

 

10、入廛垂手(につてんすいしゅ)(入店垂手)

  

  ※老師の絵では、にこやかな布袋和尚の絵がかいてあります。

 

  ★小川先生・・・社会に入って手を垂れるとは、慈悲も手を垂れるということです。相手が三つ四つの赤ちゃんなら、こうやって手をつなぎます。同じくらいの者ならこう・・・。相手によって自由、千変万化していきます。しかも自分が意識を用いないで観音三十三応身のように、遊びながら社会を自然によくして行く。

これが社会形成ですね。これを語でいうと、一点梅花の心、梅の花はいい匂いがしますね。これが三千世界に芳し。教えるという意識はないけれども、回りの人に言い人間味をあたえるから、自然に回りがよくなってくるのです。また別の句でえば、桃季もの言わず、桃やスモモもは黙っているけれども、下自から蹊(けい=みち)をなす、自分からのこのこ出て行くのではない。自然にその徳に引きつけられて薫化され、ここに社会形成ができるのです。これが社会形成でありますが、周囲がどうなるかというと、らしくなるのです。学生は学生らしく、全部らしくしてしまうのです。「十牛の図」を剣道の方へ取ってお話ししたわけでございます。

 

こういう段階を追っていきますと、一体自分はどこに居るのだろうか、というのがよくわかりますね。五にいるのならば、六をやればよろしい。平常心是道です。段を受けるときでも平常心で行けばいいのです。そういうふうにして一つの標準になりますから、心法のところで「十牛の図」を披露しました。・・・略

  新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 前回の
小川忠太郎先生の講話の中に、松本敏夫先生のお名前が出ましたので、松本先生を偲んでお話を続けたいと思います。

 

§ はじめての講習会  

 私がはじめて講習会に参加したのは、大阪城修道館で、昭和48年でした。全日本剣道連盟が、「剣道理念」を制定する、2年前からです。全剣連主催の、西日本青少年剣道指導者講習会は、この年の講師は、松本敏夫・中野八十二・重岡昇・湯野正憲・小森園正雄の諸先生方でした。昭和61年まで、私はその講習会をかかさず受講しました。他に、大阪市教育委員会主催の剣道指導者養成講座、通称100時間講習があり、毎夜2時間かけて、100時間の授業を消化するものでした。私はついの間のか5回も受講していました。講師はいつも同じメンバーで、剣道講話は松本敏先生、剣道形は池田勇治・西善延先生、実技は奥園国義先生、武道論は大体大の作道正夫先生、武道史は阪大の杉江正敏先生でした。

 

§ 講習会マニアの言い訳

お前は、なぜそのように固執して、馬鹿のように講習会に参加したのかと言われそうなので釈明をさせていただきます。

勤めていた会社で、此花区の工場に、剣道場を併設した大きな体育館が完成しました。そして剣道部をつくったのですが、部員は高卒者が多く若いので、私は彼等より、齢が離れていたので、まとめ役の監督になったのです。だが、この監督は、剣道経験者と云うだけの、お粗末な監督でした。これでは、部員の志気も上がらず、自分の不甲斐ない剣道を何とかしようと思い、あちこちの道場に行っては教えを乞いました。

 

§ 実業団剣道

できたての剣道部でも一丁前に、他社の剣道部と同じように、大阪府社会人剣道連盟、近畿実業団、全日本実業団にも加入して、大会にも参加していました。ちょうどその頃、上記の講習会があることを知り、会社の上司や厚生課とも相談をして、私が講習会に参加できるようになりました。

講習会に参加すると、はじめて聞く剣道の話は、全てが新鮮で、次々と頭の中に入っていきました。折角の機会だから、剣道界の頂点におられる先生方のお話を、少しでも聞き逃がすまいと、参加しているうちに、いつの間にか講習会の虜になってしまっていたのです。

 

§ 講師はいつも松本先生

剣道講話は、全剣連の講習会、大阪市の講習会のどちらも、松本敏夫先生が担当されました。講習会に来る受講生の顔ぶれは、いつも変りますが、変わらないのは、私唯一人だったように思います。講師の松本敏夫先生にしてみれば、毎回前列で講話を聴いている、同じ顔の私は、馴染み客のようなものだったのでしょう。

 

§ 巻腹

ある時、お昼の休憩時間に、先生が私のところに来られ「これが巻腹と言うんだよ」と言われ、いきなり私の手を持って、先生自身の脇腹にあてて、「つまんでみなさい」といわれました。私は巻腹(まきばら)という言葉さえ知らず、また剣道と巻腹の因果関係も知りませんでした。天下の大先生の脇腹を、恐る恐る掴むと、先生は「もっと強くつかめ」といわれました、先生の硬い筋肉質の巻腹は、一枚の板のようになっていました。巻腹と剣道との関係は後になって、友人がくれた先生の、剣道詳述という、コピーを見て納得しました。今でも時々思い出して巻腹を試みますが、メタボの腹には、ほど遠く努力が足りません。

 

§ 面打ちを教わる

気安く話しかけて下さる先生に、ある時「先生、面の打ち方を教えて下さい」と思い切って言いました。すると先生は待っていたとばかりに「おおそうか、そうか」といって、私の尻の右側下に手の平を当てて「もっとあげろ、もっと上げろ」と言われ、押上られました。そして、左足と腰に負荷がかかったころ、先生は私の腰を軽く前に押されました。すると私の体は、直立姿勢のまま、前足は床板を滑るように進み出ました。

 

§「どや、どや」の関西弁

先生は、私の耳元に顔を近づけて「どや、どや」(どうだ、どうだ)と私に問い掛かけられました。私は天にも昇る思いで、心のなかで叫んでいました、『やったー、これで死ぬまで剣道ができるぞー』とね。これは天下の大先生の教えであることは勿論ですが、下半身で剣道はするものだということ、悩んでいたことが一挙に解決した思いでした。この時の感動を忘れず、40年も過ぎた今でも大切にして稽古を続けております。

だが、これで面打ちが完成したわけではありません。それは、理法にかなった面打をするための、入り口だったのです。腰の移動と、竹刀の操作とが一体にならないと、正しい面打ちにはなりません。手先だけで打つのであれば、松本先生に教えて頂いた、腰の移動は要らなくなります。なので、これは、松本先生が、私に与えて下さった、課題であり、宿題だったのだと思っています。いろいろ工夫を重ねました。その後70歳の後半になって、ようやく剣道の面白さや、楽しさが分かるようになってきました。

 

§ 腰の重要性

大阪此花区、現在はユニバーサルスタジオは広大な敷地です。ここに私が勤めていた西工場がありました。国内のほとんどの鉄道車両の輪軸や台車、そして、鉄道、船舶に使う精密な歯車もここ西工場で生産していました。広いグランドの隅にサッカーの網の枠があり、それにリフトの硬いタイヤを貰って来て縛り付けて、昼食の休憩時間は、自作の樫の素振り棒で、来る日も来る日も、松本先生に教わった、腰を入れて叩き続けました。いくら大きな音を出しても、近所迷惑の苦情の心配はありません。他の職場の仲間はソフトボールに興じていましたが、寒くなると、部屋の中で背中を丸めて、巨人、阪神の話に夢中でした。私は無関心で、ただ一人、黙々と素振り続けました。毎年会社が主催するOB会が行われます。当時の私を知る者に合うと、「剣道が続けられ羨ましい、俺なんか、年老いてなにもやることがないよ」とよく聞きます。

 

§ 体幹作りは、老骨になって効果あり

今になって思うのは、当時タイヤを叩き続けたことが、老骨になって役立っていると思います。つまり、腕力に頼らず、腰を入れた剣道は年相応に楽しめるものだと思うからです。

 

§ スキンシップ指導

松本先生は、いとも気安く、相手の体に触れて指導をされました。私は松本先生以外に、体に触れられて剣道を指導され思いはなく、また反対に、教える時、相手の体に触れて指導することはあまりありません。長身で、凛としたお姿の、紳士然とした先生にしては、スキンシップ的な指導は、少し不釣り合いの感じがしました。

 

§ 理念講話の講師

年度によって、理念の講師は、松本先生、小川忠太郎先生、広光秀国先生、再び松本先生へと変わっていきました。

松本敏夫先生の講話は、昭和48年から61年で8回で、小川忠太郎先生は54年から5回、中野八十二先生は5回、福岡の広光秀国先生は1回と、剣道理念制定委員の先生が直接来て話されました。再び松本先生が講話をされたのは昭和61年で、私はこれが最後に聴く講話でした。そして翌年に、お亡くなりになったと聞きました。ご冥福をお祈り致します。

 

§ 最後の講話

 再び61年にお話をされた時、はじめに先生は、「心臓がわるくて」とおっしゃいました、病み上がりのようにも見えました、以前と違い少し元気が無さそうでしたが、いつもの講話で聴く、人間工学的、とか解剖学的とか、身体の構造からくる、太刀の持ち方、体の運用などについて話されました。講話の終盤になると、少し息苦しそうでした。言葉が途中途切れることもあり、弱々しい声に変わっていきました。講話の最後に、先生は絞りだすような声で、「受講されたみなさん、どうか正しい剣道を次の世代の方に、伝えて下さい、お願いますよ」と消えそうな声で、遺言のように言われたのが、大変印象的で、今でも私の頭の中にしっかりと残っております

小川忠太郎先生のお話を続けます。今回は理法の話ですが、理法とか、理念と聞けば難しそうで、ちょっと身を引きそうな方もいますが、難しいものではなく、私達は自然の理法という世界の中に生かされているのですから。

      

  剣道の理念 ・・ 本論

「剣道の理念は」には『剣の理法の修錬による人間形成の道である』と謳っている。

最初に「剣」の一字を置いている。お茶を離れた茶道はなく、書を離れた書道はないのと同じように、剣を離れては、剣道はないのである。剣道は単なる「道」ではない。「剣!」これが大事なところである。

何故に、刀を差さない現代に「剣」という字を用いるかというと、この「剣」の中には、剣道の特色である、一番大切なものが入っているからである。真剣であるからやり直しがきかないという気持ちが入っている。たとえ、それが小手であっても、斬られたら、もうおしまいである。単なる練習ではないのだという厳粛な気持が入っているのである。

我々が仕事をする上においても、その精神でやれば、全力が出せる。また、この「剣」のなかには、同じことは二度ない。どう来るか分からないものに対して、いつも新たな気持ちで対応しなくてはいけない、という気持ちが入っている。本当に、自分が素裸でないと、そういうものに対せられないという気持ちが入っているのである。

繰り返して言うが、「剣」のなかには、そういう精神が入っているので、刀を差さない時代になっても、そういう精神を残してゆこうという意味で「剣」の一字が入れられたのである。したがって、撓い(しない)競技の袋撓いとは次元が異なっているのである。この点が、単なるスポーツ剣道とは次元が違うところである。

このように、「剣」ということは大事なものであるが、今回の審判法の改正で、弦の反対側で打つということを廃止してしまったことについて、日本武道新聞などで、弦の反対側は刃筋ではないか、刃筋を無視することは剣を無視することであって、剣道の命取りであるという風に採り上げている。これは大事なところであり、全くその通りであって、誰もこの意見に異論を唱える者はないと思う。

それにも拘わらず、敢えて、弦の反対側という表現を削除したのは、刃筋のない日本刀はないのであり、剣という字が入っている以上、当然刃筋は入っているのであるから、入れる必要がないということで、削除したのである。弦の反対側などというと、廻りくどくなって却って、竹刀ということを連想して、真剣という気持ちにならない。そこで、この改正規則が出来たときに、私は、或る委員に、「弦の反対側で打つということを削除したのはよかった」と言ったのであるが、深い考えのない人は、あちらこちらで突つかれると、弦の反対側ということを註に入れてしまった。このような定見のないことをするので、註に入れるくらいなら、何故本文に入れないかと、余計なところで突っこまれることになる。

信念をもって事に当たらないから、このようなことになるのであって、追求して来たら、これは剣道の理念によって削除したのでると言えば、それで解決するものであると、私は思っている。16割の袋撓いではない。「剣」なのである。このことを、しっかり肚に納めて、やってもらいたいものである。しかも、剣道は、単なる剣の術ではなく、剣の道であるということは、前にも述べた通りである。

この「道」の道たる所以は後に述べるとして、次に「理法」について述べる。

 

「理法」

理法というのは意味合いの似たものに、理合いという言葉もあり、いろいろな考え方があるが、理念委員長の、松本敏夫先生が、理合いより、理法の方が、大きく、深い意味があるということを唱導されて、全委員がこれに賛成して、この言葉になったという経緯がある。

   自然の二字を上に置くと理法がはっきりとする。自然の理法は、人間が居ても居なくても、厳然として存在するのであり、過去から、現在を通じて、永遠の未来まで、時間を超越して存在する。山は高く、川は流れる。これも自然の理法であって、人間の存在に関係なく、この理法は厳存する。このように、自然の理法は、時空を超越したものであり、その理法に従って行くのが「道」である。  以下省略

 
 小川先生のお話の中に、松本敏夫先生のお名前が出てきました。次回は
松本敏夫先生を忍んでお話をしてみたいと思います。









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