私の天使さんのはなし

 

 あのね、老人になって気がついたことやけど、みんなそれぞれに、守られているんだと言うことをね。私もどれだけ守られてきたことか。ちかくはお父さんお母さん、いつもお年玉をくれたおじいさんおばあさん、叔父さん叔母さん。他人さんだけど近所の人たち、学校の先生。

 

その人達はみんなこの目で見ることが出来るけれども、他にもたとえ目には見えなくても、みんなは見守られているんだよ。

 

試合で勝てばよく「勝利の女神が微笑んだ」と言うね。試合で負けてその悔しさをバネにして、努力する者を、神様は見捨てることは絶対しないんだ。ことわざに「捨てる神あれば拾う神あり」と言うだろう。

 

勉強もスポーツでも同じことやけど、努力して集中する者には、いつの間にか得意なものを持った神様がやって来て、励ましたり、ヒントを与えてくれたりするんだ。

 

日本の古事記を見ると、八百万(やおよろず)の神と言って、次々とたくさんの神様が生まれたんだ。いたるところに神様はいらっしゃるんだ。外国だと一つの神様を拝むが、日本人は違う文化を持っているんだ。

 

たとえば勉強の神様といえば、菅原道真をお祀りしてある天満宮、商売繁盛ならお稲荷神社と言ったぐあいだ。もちろん、なんでも引き受けて下さる神様もたくさんいるんだ。

 

私は勝手に神様に断りなしに、神様があまり多いので、ひとまとめにして、天使さんと呼ぶようにしている。天使さんは身近に居て、こまごまと世話をやいて下さる。そして努力や、集中している者を見ると素早く駆けつけ、手助けや知恵を貸してくれるんだ。

 

天使さんの姿は見えないけれど、まあ、想像で言うと、はだかの子供が背に羽をはやして、弓矢を持って空中を飛んでいる、あのアニメの天使を想像すればよい。

 

前向きな考えや、物事に集中して、やる気モードになった者に、天使さんは集まってきて、応援や援護をしてくれる。反対に気分が乗らず、なげやりで、消極的で、自分を責めたり、他人を恨んだりすると、天使さんは、たちまちどこかに消えて行ってしまう。常に天使さんの存在に注意することだ。

 

間違った考えや努力ではいくらやっても天使さんは来てくれないんだ。またそのような者が神社にお参りして「うまく行きますように、合格しますように」とお願しても、そのようなお人よし、いや虫のいい神様も天使さんもいないと言うことや。

 

日頃の生活の中で、天使さんが近くにいてくれると、ちょっとしたことでもラッキーな場面にたくさん出会う。だから、天使にいつも感謝をすることを忘れちゃだめなんだ。