その26 米子(よねこ)と夜叉鬼(やしゃき) |
今からずっと、ずっと昔のことであったド。 とっぴんぱらりのぷ! |
民話への招待 |
この物語は、高尾山権現縁起の中にありますが、上記の民話は長文をまとめたものです。坂上田村麿の東征は、延暦年代(782~805年)で、今から1,200年ほど前のことです。 夜叉鬼については、羽陰温故誌の平鹿郡の部に、八沢木村(大森町)は往古「夜叉鬼」と言うと記されています。保呂羽山神社関係記録にもまったく書かれておらず、夜叉鬼とは八沢木村から来た男を称したものと推測されます。 山中で生活するための糧を得ることで里人との争いが多く、手下を貯え勢威を振るった一族と思われます。 高尾山の頂上には、高尾権現が祀られています。田村麿東征の時からと伝えられ、代々秋田の国守の尊崇を受け、請原吉彦、秋田城介、平重成、秋田城主藤原保則、源頼義、国司次郎兼杖、陸奥守平泰盛などによって造営された珍しい古社です。佐竹氏の時代においても代々尊崇され、社殿の改築にあたっては、数度にわたり木材や金銀などを寄進され、別当の京極氏には四石五斗の社領を与えていたことが記録されています。 縁起には、行方不明だった一人娘の米子が、賊の妻となって果ててしまつたことを悲しむ白石善五郎が、自らの命を絶つまでのことを細かに記しています。 民話の里 とっぴんぱらりのぷ! 都の軍勢に無念の幕引きを降ろされた夜叉鬼(山賊ですが・・・)の魂を鎮める意味でも、喰えや呑めや唄えのランチキ鎮魂祭!!! 夜叉鬼祭!!! |
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