2010年07月18日
台湾青少年交流出発間近!
いよいよ7/23-8/2関東から23人、中部から6人、関西から12人の5年生を中心とした子供たちと、ジュニアグループフェロウの高校生2人、グループフェロウ5人と台湾の青少年交流にグループフェロウで参加します。台北、台中、台南に分かれ、私は関東の6人の子供たちと台北組。みんな一緒に行くのだけど、台湾では子供たちも1人ずつ向こうの台湾の家庭にホームステイ。調査票も届いて、みんなドキドキしながら電話をしてみたり、手紙を送ってみたりいよいよって感じです。これまで関東の準備会は3回と青少年合宿1回。子供たちとの合宿では向こうで自分が出せるように一芸披露をしたり、子供たちがあっという間に仲良くなることがヘンハオ!ホームステイで大切なことを確かめあったり、もっと、一緒にいっぱい歌いたかったなと思う所もあるのだけど、まあ、もうありったけで行くだね!向こうでスマイルと謝謝の気持ちを忘れずに、何でもまねしてありったけを出していったらボヤキンボヤキン!
10歳で家庭に1人で入って、家族と過ごしてくるってほんとに大きな冒険だよね。私もそんな子供たちの冒険に一緒に出かけ、その姿を間近で見られるのはグループフェロウ特権だよね。楽しみでもありドキドキでもあります。
いつも交流中にやる交流PARTYも今年はホスト家族だけでなく、お友達や今まで交流の知り合いなどにも開いてやる予定です。親日家の方も多い台湾だから、ヒッポのことを知ってもらって、台湾にいつかヒッポができるきっかけになったらうれしいな。
私も子供たちの引率だけでなく、ホームステイもします。小2の長男玄太を連れて行くので台北で毎回受け入れをしてくださっている登子さん(24歳、25歳の息子のいるお母さん)宅に一緒にステイします。楽しみ〜。色々準備などで、玄太をあまりかまえなかったりもしたので、台湾でゆったり過ごしたいな〜。そんな余裕ない??
台湾のお母さんリーファンがホームステイに来てくれたよ
7/3-7の5日間、台南の和順小学校から子供たちと校長先生、先生、父兄の方が来日して、我が家にもリーファンというお母さんがステイしくてれました。和順小は去年から青少年や家族交流の受け入れもしてくださっていた小学校で初めての来日。今年も台南で受け入れをしてくださいます。リーファンは15歳と10歳の娘さんと12歳の息子さんのいる笑顔いっぱい、元気で肝っ玉母ちゃんのようなお母さん。
去年の夏は学校から受け入れの話があり、ドキドキで受け入れをしたそう。でも子供たちはそれぞれに日本語と台湾語でのコミュニケーションだったみたいだけど、いっぱい話してとても楽しかったそう。ことばの量じゃないんだよね。
この夏は、10歳の娘さんがリーファンと一緒に日本に来て、他のおうちにホースステイしていました。その子も一度も日本滞在中に電話もなく、リーファンも不安そうな感じはほとんどなく、きっとやりきってくてくるだろうと腹をくくっている感じが素敵でした。
リーファンは日本語ほ「いちばん!」「おかあさん」などほんの少し。中国語と台湾語で私が分かる分からないに関わらず、たくさん話をしてくれました。はじめはかなり??だったけれど、それでも最大限の想像力で分かろうとしたり、何度も聞いてたり、それでも分からないと漢字を書いてもらったりしたりしていたら、どんな話しなのか分かるような感じになってきたよ。リーファンはあたたかで私の赤ちゃんのようなことばも受け止めてくれてチョッファヒエ!相手と受け止めあいながらことばってできていくんだなと思ったよ。リーファンは2歳上のとてもしっかりして私のニューアー(娘)です。関東の最終準備会でも受け入れの話をしてくれたり、子供たちと話したりもしてくれてほんとにうれしかったです。学校や幼稚園もあったので、近場しか案内もできなかったのだけど、たくさん話ができたこと、出会えたことがハオパンラ!
いつかリーファンの家族に会いに行きたいな。
2010年05月17日
おたふくだって、マレーシア語で伝えられる〜!
フェブリー スダ プラン ルマ サユ!
4/6〜9の4日間、マレーシアからインドネシア人の16歳の男の子フェブリーが我が家にホームステイしたよ。アニー宅に来る予定だったのだけど、アニーがどうしても予定が入ってしまい、急遽うちにステイすることに。12月にマレーシアのシャメルを受け入れたばかりだったのだけど、フェブリーもまたチョメー(可愛い〜)と思えちゃう。対面式から帰って、家について「お母さん」と呼んでくれた。やっぱり「お母さん」といわれるからお母さんになる。それがやっぱり魔法のことば。
フェブリーは調査表の特技に「I can make laugh」と書いてくるようなタイプ。表情も見ているだけで楽しくなる。可愛い。メキシコ人のエマとそっくり。たか&としのたかにも似てる?フェブリーはインドネシア人で家族はインドネシアに住んでいるんだ。勉強のためにマレーシアの学校の寮に入っているそう。弟や妹もいるから子供たちと遊ぶのが上手だったよ。フェブリーに「洗濯物は一緒に洗うから、カゴに入れて」と言ったんだけど、パンツも入ってて、そのフェブリーのリラックスな感じが家族な感じがしてサヤ ガンビーラ!
受け入れの4日間は抜けられないミーティングがあったり、かんたがおたふくになったり、その分周りのみんなにもたくさん助けてもらって、4日間と短い期間だったけど、フェブリーはいっぱいの人とも友達になって、うちの家族とも触れ合うことができた。トゥリマカシー バニャ!!トゥリマカシースモア!
初日の対面式はアニーとうちの子供たちと私で、夜はヒッポのファミリーでマレーシア青少年交流から帰ってきたばかりの太郎も話を一緒に聞いた。小6太郎の話もサンガサンガバグース!いっぱいの人の話が出てくる。どれだけ人と会ってきたのが感じられるし、やり遂げた自信みたいなものが満ち溢れていたよ。TEENSワークショップを一緒に作った高校生達、なつみ、まいちゃ、サリーも遊びに来てくれました。
次の日は私が抜けられないミーティングだったために、フェブリーは太郎、げんた、コッキリ、アニーと一緒に、阿須の公園や100円ショップなどに。トゥリマカシーバニャ!!
その日の夕方なーんと、かんたのおたふく発覚!わー、どうしようと思って、まずはフェブリーに伝えねばと話をした。「フィーバー(熱)?」とフェブリーが聞くので、「ティダ(違)」と言って、手をほっぺに当てながら、「サト オラン サト」って言ったの。そしたら、フェブリーは「あーーー、チャチャラアイラ」って答えた。そして「スダ」と言った。「おたふく」ということばだって辞書も使わず伝えられる。私が使ったことばはほんとうに簡単なもの。「サト」は数の1、「オラン」は「人」そのふたつだけ。「ひとり一回」って言ったんだ。「スダ」という一言でフェブリーがおたふくをやってることも分かった。あと2日ということでフェブリーもチャチャラアイラをやっているのでホスト変更はしないでティダアパアパ。
次の日はおたふくスダのアロミや太郎も遊びに来て、たこ焼きをみんなで作ったり、裏の山を散策したり。次の日は渋谷のお別れだったのだけど、かんたを連れて電車には乗れないので、アロミに送りをお願いをして、飯能駅でお別れをした。短い期間でバタバタだったけど、ほんとにみんなのおかげで、また楽しい受け入れ。またまた可愛い息子ができました。
12月にシャメルを受け入れをした時もあんなにマレーシア語が話せてしまう事にびっくりしたのだけど、またフェブリーの時にはさらに何でも話せた。シャメルの話をたくさんしていたからだよね。話せば話すだけどんどん話せるようになる。
インドネシア語とマレーシア語はとっても似ている。単語が違うものもあるけれど、基本的な所はほとんど同じなんじゃないかな。大阪弁と京都弁くらいな感じ?どっちでも大体伝わる。
フェブリーから面白い事聞いたよ。マレーシアではお姉さんがカカでお兄さんがアバン。だけどインドネシア語では男女で分けず、上の子供は姉も兄もカカでもアバンでもどっちもいいそう。フェブリーは家では「カカ」と呼ばれていたそう。マレーシア語で言うお姉ちゃんだよね。フェブリーもマレーシアに来て、女の人にアバンと言ったら、怒られたそう。面白いね。
インドネシアもフェブリーのいる大好きな国になったよ。
←おまけ メヒコのエマ、似てるよね。調査票と一緒に撮った写真2010年01月27日
サヤ イブ シャメル!!マレーシアのシャメルのお母さんになったよ!!!
対面式でホストとゲストが呼ばれて、対面をするのだけど、そのハグをするときにシャメルは日本語で「お母さん」と呼んでくれたんだ。「お母さん」と呼ばれるからはじめから私も「お母さん」になる。
でも、私のマレー語も同じなんだ。シャメルに聞いた「がんばって」ということばは「ブルッサハブル スンゴスンゴ!」。でも、はじめはまた言おうと思ったときに「スンゴスンゴ」という音しか思い出せない。でも「スンゴスンゴ」と言うと、シャメルが「ブルッサハブル スンゴスンゴ!」って言ってくれるから、言えるようになる。くっきりと言えなくても、半分忘れてても相手に向かって言ってみるから、相手に伝わる。小さい子のことばも同じ。ご飯を食べた後に「まー」って言ったら、「ごちそうさま」だったり、でもそれをお母さんは「ごちそうさまね」って受け止める。だからことばが育っていくんだよね。
完璧なことばを話そうと思っていたら、ことばは育たなくて、つたなくても出して、受け止め合うからことばは育っていくんだよね。そうやって、この1週間シャメルと私の中で日本語もマレーシア語も育っていったんだ。お互いにお母さんと子供の関係だったんだ。
シャメルに出会ってこんなに自分の中にマレー語があったことにびっくりしたんだ。普段CDを聞いていたり、ファミリーで飛び交っている音、それが体の中に無意識にたまっていてそれがその音で話す人に出会うとバシバシ意味としてつながっていくの。あとはまねして、すぐ自分のことばになっていく。全然力が入っていないの。対面式の帰りも面白かった。シャメルは見るものすべてが面白いらしく、シャメルが「ムナリ」って言うから、アロミとその音知ってる!と「ムナリ〜」とまねすると、シャメルは「は?」って顔して「ムナリ〜」と言いながら踊るようなまねをするんだ。文字では表せないのだけど、面白いの「ムナリ」と踊るの「ムナリ」は違う音。私達が面白いと言おうとすると彼はまた踊るまね。何度かやるうちに言い分けられるようになったよ。子供を見るとシャメルは「チョーメー」。その音cdの空港のシーンにある。ただマネして歌っていた音(ことば)の意味がくっきりしたり。2歳くらいになって、急に話し始める子供みたいな感じで、シャメルに出会ったら、どんどん音に意味がついて、それをまねしてしゃべれてしまう自分。2日目にピグリファミリーがあったのだけど、マイクを持った瞬間に対面式のことや2日目に学校に行ったことやシャメルのことなどいっぱいマレーシア語で話せる自分がいたんだ。シャメルにマレー語で何でも話せる。シャメルの帰国後マレー語CDを聞いてみたの。シャメルと話していた音はCDにほとんどある。だから体の中にあったんだ。だからすっと聞いてまねして、あまり忘れないんだ。覚えるのでもない。すーっと体にマレー語がしみ込んでいったんだ。今まで聞こえてなかった細かい音も聞こえてきたり、どこでことばが切れるか分かったり、バシバシと意味として聞こえてくる。
やっぱり多言語はどんどん楽になるよ。支えてくれているのはマレー語だけでなく、今まで無意識に聞いていた音、出会った人の音それが密になって、楽に話せるっていうことが起こったんだと思う。あー、ちょっとここをうまく伝えたいんだけど。。。人間のことばはひとつで、基礎的な部分は同じってことかな?そこが密になるだけなのかな?
いつも聞いている音、ファミリーで何気に聞いている音がすごいんだね。分からない音をどれだけあびるかっていうのがほんとに大事なんだと思う。多言語たくさん聞いていこう!!!歌っていこう!
2日目の午前中はシャメルと小学1年生げんたの学校へ。学校へ向かいながら、自己紹介の練習。「おはようございます。私はシャメルです。よろしくおねがいします」と。校長先生に校長室でも日本語でご挨拶。マレーシアの受け入れが8年続いていることやヒッポのことも少し話し、そして、1-2のクラスの方へ行きましょうと行くとちょうど体育の授業が始まるところ。子供たちの前でも挨拶し、はじめの体操。シャメルが自ら子供たちの方に指をさし、一緒にやる?って感じだったから、私がうなずくと、一番大きい子の後ろに行って、一緒に体操。走って、タイヤ飛び、鉄棒くぐりなどをして、広い校庭へ。子供たちも後ろを振り返りながらうれしそう。ドッチボールもし、それからクラスで国語の授業へ。何人かの子供たちに囲まれながら移動。国語の授業は玄太の横に机を置いてもらい、一緒に参加。休み時間は一緒にオニゴッゴ。一緒にやるってことが仲良くなる秘訣だよね。子供たちの人なつっこさ、順応さにも驚いたよ。校長先生にまた校内を案内していただき、最後はクラスで先生からみんなの前でマレーシア語での挨拶もさせてもらい、その日のさよならはマレーシア語でと先生から言ってもらい、みんなで「スラマティンガー!」うれしいね!シャメルは何でもチャレンジするし、いつもスマイル。愛されるキャラがバグース!!♪
たくさんのヒッポメンバーもお友達が集まって25日は我が家でトゥリマカシーPARTY。シャメルとマレーシアのムニャニやムナリをやったり、シャメルを中心にしながらみんなの気持ちがひとつになれるような会でバグース!そこで驚きの発見。なんとシャメルは豚以外の肉は食べられる!!シャメルはイスラム教だから豚肉とお酒がダメ。豚以外も、マレーシアみたいにお祈りをしていないから食べられないと思っていたんだ。調査票にも×all meetって書いてあったし。シャメルがとーまちゃんが作ったチキンの料理を食べようとするから「ダギン(肉)、ダギン」と言ったら、シャメルは「ボレボレ」っていうからびっくりモスリムも2タイプあって、ハラル(祈り)していない肉は全部ダメという人と、ダメじゃない人がいて、自分はだいじょうぶだって言うんだもん。もー!帰る前の日じゃな〜い。肉断ちの1週間、たんぱく質は卵と魚とイカ。毎日何かしらイカ料理。イカのお好み焼き、イカ入り八宝菜、イカ大根、天ぷらなどなど。おかしいな〜。初日に聞いたはずなんだけど〜。

最終日は朝から秋葉原に行き、午後神田のホテルにホームステイをした40組近いゲスト&ホスト家族が集まり、感想などをシェア。みんないい顔していたよタピ、シャメルがNo1かな(笑)。シャメル&進藤家の番になって、私が先に言おうとしたら、「お母さん」と言って、自分が先に言いたい!とシャメルがマイクを持ち、みんなの前で大きな声でげんたの学校に行った事、友達のけいこちゃんの家で日本のピザを食べたこと、おにぎりをみんなで作ってサッカーをしたこと、おはぎを作ったこと、神社に行ったこと、パーティーをしたことを日本語で話したんだ。バグース!その日本語にびっくり!!言いたいという気持ちあふれるそのうれしそうな感じにみんながぐっと引き寄せられていたよ。その後私が「ソランソラン(初)シャメル バハサ(語) ジャポン、スリキ(少)。」その後にシャメルから聞いたマレーシアの心のようなことば「スリキスリキ(少)ラマラマー(長) ジャリ(成) ブキ(山)」と言ったんだ。そのことばの途中からマレーシアの子供たちも一緒に大合唱!感動するよね!!「シャメル サンガサンガバグース!」と言いながらハグをした。大人数だったし、それでシェアは十分。
そして、お別れの時間。シャメルはハグをしながら声を上げて号泣。私はいつも合言葉のように言っている「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」と抱きしめたよ。「ハティ(心)サマ(同)」とも言ったんだ。家族みんなで泣きながらハグ。でも、別れでけっこう泣いてしまう私があまり泣かなかったんだ。
でも、次の日の朝起きて、それがどうしてなのか分かったんだ。サヤ イブ シャメル foreverだからだ。どこにいても家族。それをアデランテに言ったら、やっぱり寂しくて涙が出た。家族が増えることは普通にはないよね。こんな出会いのある人生はやっぱり豊かだな〜と思った。トゥリマカシー スモア。
長男げんたの感想(小1)

2009年12月12日
マレーシアの男の子が1週間我が家に来るよ
アパカバー!12/21-26にマレーシア教育省からの15才の男の子が我が家にステイする予定です。バグース!サヤ ガンビーラ
来年の春休みには青少年ホームステイ交流で小5の太郎もマレーシアに行くし、受け入れがとっても楽しみです。なので12/22(火)の18:30-20:30の壱丁目倶楽部のファミリーは「マレーシアの子となかよくなろう」オープンファミリーです。12/25(金)は帰国前日なので我が家で「
トゥリマカシー&クリスマスパーティ
」をします。みんな仲良しになってね
。
来年の春休みには青少年ホームステイ交流で小5の太郎もマレーシアに行くし、受け入れがとっても楽しみです。なので12/22(火)の18:30-20:30の壱丁目倶楽部のファミリーは「マレーシアの子となかよくなろう」オープンファミリーです。12/25(金)は帰国前日なので我が家で「
トゥリマカシー&クリスマスパーティ
」をします。みんな仲良しになってね
。2009年08月20日
メキシコへ親善大使で留学に行くベリーが来てくれたよ
先々週のダバイファミリーに埼玉県代表のメキシコ親善大使に選ばれて8/12からメキシコに留学に行くベリーが遊びに来てくれたよ。ベリーは小学生低学年の時からヒッポを家族でやっている大学4年生。高校生の時にはアメリカにイヤロン(ヒッポの交換留学プログラム)に参加。大学はスペイン語を専攻。イヤロン帰国後もまぶしく成長したベリーだったけど、久しぶりに会うベリーはさらにまぶしく素敵に育っていて感動しちゃった。小さい頃からを知っていたり、自分や自分の子の成長だけでなく、一緒に成長を喜べるような環境って他にないよね。みんなでうるうるしながら聞いちゃった。ベリーはイヤロンでアメリカへ。スペイン語の授業があって、たくさんの人が話すスペイン語に興味を持ち、大学はスペイン語学科へ。ヒッポをやっているお父さん、お母さんのパンプキン、ヤスミンは「勉強で語学をやるなんて!」とスペイン語学科を反対したそうだけど、大学に行ってみると、発音のいい先生はまずまねをしなさいと言って、ヒッポと一緒だったって。自分は人と話すのが好きだから「スペイン語学科」に行ったのだけど、周りの友達は人見知りの子が多かったり、留学生ともあまり話しかけない人もけっこういるそう。友達からどうしてベリーは誰とでも話せるの?と言われたりしてびっくりしたそう。そして、ベリーはもっと生のスペイン語を話す人に会いたいと思って、なんと外国人枠のバイトで外国の人がたくさん集まるレストランで働いて2年半。ベリーのバイト代も安かったそうだけど、そこで働いている外国人は、ほんとに給料も安くて長時間労働、同じ家に住んだりという過酷な状況。それでも日本で働けることが幸せと言う彼らにこんな苛酷なのにどうして!?なぜそんなに明るいの!?いい人たちなの!?と。そんなことから労働事情などにも興味をもったそう。もっと知りたいと去年埼玉県のメキシコ親善大使に応募。審査に時間がかかるので、忘れて就職活動をしていたら、合格の通知が。就職活動でも自ら新しい事を開拓するようなことがしたいと、ビザ問題など外務省を目指そうかと思っていたんだって。ベリーはメキシコ親善大使に選ばれ、8/12から1年間メキシコの大学に留学することに。今の家族も周りも大好きで出発するのが寂しいとも言っていたけど、またさらにさらに成長して帰ってきてくれるのが楽しみです。ANIMO!ベリー!!ムチャス グラッシャス!!
2009年08月04日
韓国の中学生ジヨンがウリチベ オワッソヨ
アニョハセヨ!7/28〜31まで韓国の修練館から中1のジヨン がウリチベ オワッソヨ。今、ジヨンの事を書こうとすると、ハングマルが浮いてきて、日本語で書くのがもどかしいような感じ。4日間と短かったけれどそのぐらいジヨンとたくさん韓国語で話をしたよ。ジヨンはとっても可愛いの。遊んでいるときには子供らしくキャハハとよく笑ったり、川遊びでは体をくの字に曲げて、水中めがねで魚をつかまえるのを夢中になっていたり、ほんとにかわいいんだ。初日はファミリーの日で渋谷の本部で対面式が17時からあったのだけど、ゲストの到着が遅れて、帰りのレッドアローの時間がぎりぎりになってしまったので、ジヨンだけ渋谷の駅前で対面して、そのまま急いで電車へ。ジヨンもはじめちょっと緊張していました。対面式に出られなかったのでレッドアローの中でhippoのことやホームステイとは?とかそんな話をしたんだ。なんだか自分の持っている音で気持ちよく話せるような感じ。いっぱい色々な人やCDからも音をたくさんもらってるんだよね。飯能に着いてそのままファミリーへ。ゲームやメタ活も楽しそうでキッポヨ。アンジュセヨでジヨンのニックネームの事で盛り上がったりしたよ。ジヨンの韓国でのニックネームはチメ ハイマングー(意味はクレイジーばばあ)。クレイジーと言われている友達がジヨンの事を私のおばあちゃんそっくりと言ったからだそう。そのニックネームはさすがに呼べなかったな〜。ジヨンは韓国語がネイティブで英語もとっても上手、中1とは思えない英語でした。日本語はほんの少し、あいさつくらい。私が韓国語で話しても、ジヨンは英語で返したりしていたのだけど、みんなでジヨンのハングマルを受け止めたいって思ったから、「マウムでアラッソヨ。ハングマル ヤギ ハセヨ。」心でわかる。韓国語たくさん話してみたいな事をファミリーで言ったんだ。ヒッポのことや受け止めたいという気持ちが伝わったのかな。それからホームステイの間ジヨンはほとんど韓国語で話してくれたんだ。それから色んな話をしてくれたよ。韓国の習慣から、今の大統領の事やアメリカとの関係なども。心で分かるからと言ったものの、まったく話したことのない話題って、はじめはさっぱり分からないの。でも、そこでめげずにタシハンボンとか、チョンチョンニと言って何度か話してもらうと、そこから何かひとつことばを見つけたり、こんな話かなという内容を自分で返したりしているうちにかみ合ってくるような感じで面白かった。知っているから分かる、知らないから分からないではなく、あきらめずにやりとりしていけば分かるんだよね。今の李大統領の話もしてくれて3週間前から塾は22時以降に外出禁止になったとか、その違反者を写真でネットに載せて警察からお金をもらう人がいるだとか、米国産牛肉の輸入再開された問題で、去年から今まで毎日デモがあるとか、支持率が30%に落ちたなんて話もしてくれたの。絵なども描いてもらいながらだったけど韓国語でそれが分かるってうれしかった。狂牛病の話の時にニックネームの話を思い出して、「チメ ソ(クレイジー カウ)?」と言ったら、通じたりして、日々話をしていく内にことばが蓄積していくというか、投げかけられたり、相手のことばを受け止めるのもどんどん楽になる感じだったよ。子供達はというと、駅前での対面でげんたは「チャーロワッタ」と言いながらハグ。照れ屋のかんたはそこではハグはしなかったけれど、レッドアローに乗るとずいぶん慣れたようで、相手が分かるか分からないなんて関係なく、自分の楽しい思い出話をベラベラとしゃべりまくり。子供ってすごい!ジヨンが部屋にいる時もどんどん部屋に入っていって、遊んでいたり笑い声が聞こえたり。最後の夜はげんたはベットに座って感想文を書くジヨンの横でごろりとなってそのまま寝てたよ。一緒にいたかったんだね。かずまる宅で川遊びもさせてもらったよ。チョンマルチェミッソッソヨ。ゆりん、しげまるはもちろんユッケ、コッキリ、かずみ&わたる&わかこも集まってチョンマルチェミッソッソヨ。家で遊んだりもとても楽しそうでした。ゆりんもずっと離れずすっごい仲良しになったね。ヨロブンカムサムニダー!かわいい娘ができてチョンマルキッポヨ。2008年07月23日
韓国のかわいい娘ができたよ
7/10−16日の1週間トトロハウスから韓国の大学生、19才のサンウォンがうちに泊まりに来てくれたよ。とってもかわいくて、親戚のやさしいお姉さんが夏に遊びに来てくれたみたいな感じでした。公園や天覧山に登ったり、我が家のいつもの遊びが一緒にできたのもチョンマルキッポヨ。こども達とも遊んでくれたり、皿洗いなど家のお手伝いもしてくれて、チョンマルチェミッソッソヨ!いつもありがとうとお礼言ってくれたり、ほんとにできたお姉さんでした。韓国のアッパ、オンマがとても素敵なのだと思います。いつかお会いしたいな。
初日に「お母さんと呼んでいいですか?」と言われて、「いいよ」と言ったんだ。ことばって面白いよね。そう呼ばれると、ほんとにお母さんになる。サンウォンはほんとにかわいい娘です。
サンウォンは日本語がとっても上手。中学生の時に日本語の文字や音がかわいいなと思って中学生の時にひらがなとカタカナを自分で覚え、大学生になってから、独学で日本語を勉強したそう。何でも話ができたよ。テダネー!受け入れをしながら、サンウォンの日本語が1週間でどんどんナチュラルになっていくのが面白かった。「ごはん食べない?」とこども達に優しく言ってくれたり、こども達をシャワーに入れてくれていたずら三昧の子供に「やめて!お姉さんがぬれちゃうでしょ!」水遊びをやめないこども達に「もういいじゃん!」などなど。私も日本語で話したり、韓国語で話してみたり。どっちでもいい感じがとっても楽でした。サンウォンは一生懸命勉強したのもあると思うけど、日本語を勉強している友達や日本からの留学生と会って日本語で話す時間もたくさん作っていたそう。ホームステイが決まってからは特に熱心に話したそう。話す環境を創るってヒッポに似てるよね。ソウルだから韓国でヒッポをやれたらうれしいな。
サンウォンと使った韓国語で面白かったのを少し紹介。
「チャルモネ」=くいしんぼう←寛太のことです。「モギ ハンテ ブリョッタ」=蚊にさされた 「チドケ」=くさい←寛太が人に足を向けたりするのでチドケと言って遊んでました。
ウェルカムパーティーにもたくさん来てくださってありがとう!みいやんには原宿にも連れて行ってもらいました。年の近いみいやんと仲良くなれてとても楽しくうれしかったって。テダニ カムサムニダ〜!!
2008年04月14日
2008年04月13日
イロハオエ〜
2008年03月13日
赤い白菜
寛太は色が言いたいんだよね。だから当てずっぽうでも言ってみて正解を引き出しているような感じが面白い。まずは言う!大波から丸出し。そうやって、あっという間にちゃんと言えるようになっちゃうんだろうな〜。
ぎゅれぎゅれ
2007年11月28日
ゆるい!
よくワカチャンが動物がワンワンから順番にネコさん、キリンさんと分かっていくのではなくて、一気に分かれるって話をするでしょ。私にとってはBEBEは動詞(形容詞も)が一気に分かれるというか、必要なことばが一気に増えるような気がするんだ。何でなのかなと思っていたんだけど、カンタの「ゆるい」でその秘密をちょっと見つけた気がする。
GWのトルコに行ったときがカンタ1才半。トルコでもアンネンのことばをまねして話していてびっくりしたのだけど、帰ってきてから日本語もすごかったんだ。ちょうど帰ってきた頃に「食べる」と聞いたら、「かーる」とまねをして、それまですぐにマネして返すようなことがそんなになかったので、びっくりした記憶があるの。それからのことばの吸収はあっという間。なんでも繰り返す。
大波の音もあるけど、2才になった今では食べる、行く、行きたい、もむ(飲む)、いたい、かゆい、きれい、ひこうき、まつり、書く、やいたい(やりたい)、おいしい、からい、いってらしゃい、いい?、何これ?だいじょーぶ
だめ(バベ→まめ→ダメと完璧になったよ)書ききれないほど。
もちろん、かーさん、とーたん、げんちゃん、アロミというと続けてヒッポと言うよ。首痛いとか、かんちゃんも行く、今行くここかいー(ここ痒い)とか、
もう完璧な文章も言うんだ。でも、「おいしい?」と聞くと「おいしい」というけど、「どう?」と聞くと「どう」と答える。
とりあえず、意味も分からずまねしていくことばもある。「いってらっしゃい」とお兄ちゃんが言うから言うみたな。こないだはアロミに講演会の後「おつかれさま」と言ってたな。BEBEはとりあえず言う!
「ゆるい」は状況と合わせて、見つけてマネしてか、マネして見つけてって感じかな。次も覚えてはないかもしれないけど、また見つけるんだと思う。きっと無意識のうちにどこかで聞いていた音だよね。ピカっとその状況で見つかるような。産まれてたった2年でも、音としてはものすごい日本語を浴びてるよね。
トルコに行った私の状況も同じ。飛行機で会ったトルコの人や一緒に行ったメンバー、アンネンが言うことばを聞いて、みんなと浴びていったトルコ語が、それまでただの音だったのが状況と共にばりばり意味がついてくる感じだった。どんどん色鮮やかになってくるような。それをそのままマネしてそれがことばだった。ほんとに「ことばってまねするだけなんだ」って感じたんだ。それをまた思い出したよ。
今日の「ゆるい」から、なんでもマネし始めた途端からバリバリマネして、バリバリ見つけて、どわーっと増えていくんじゃないかなと感じたよ。
2007年08月20日
2007年07月30日
2007年05月06日
トルコ子連れホームスティ体験記6「わたしのトルコホームステイ」
帰国してトルコ語のCDを聞くと、ものすごくくっきり聞こえてきた。アンネンが話していたことばや一緒に行った仲間が話すことばがビュンビュンと飛びだして聞こえてきた。
トルコホームステイは結婚してからはじめて、子連れもはじめての8年ぶりのホームスティだった。近くの仲間と一緒に行けたこと、「丸ごとまねしながら話していく」という普段やっていることがそのままできたこと、トルコの家族と本当の家族のようになれたこと、ヒッポを始める前、ほんとに人が苦手だった私が今こんなに気持ちを開いて人に出会えるようになっていることがうれしい。
これからもトルコ体験を話し続けていきたいと思っている。
2007年05月05日
トルコ子連れホームスティ体験記5「ことばはまねするだけ!」
寛太に投げかけられることばは私にもわかりやすかった。そのやりとりを見ながらそのままマネしてそのまま自分のことばになった。ほんとにことばはマネするだけだと思った。マネしていくうちにことばの規則みたいなものも見つけられた。例えば、イステヨルンとイステミョルン、セビョールとセミョール、欲しい欲しくない、好き、好きじゃないみたいな意味だけど、はじめは耳で聞いてもどっちがどっち?という感じだったけど、聞き分けられるようになったし、自分でも使い分けられるようになっていた。そうすると言いたくなる。車もバギーもアラバ。出かけるときにババンがバギーを持っていくかと聞かれて、「カンタ アラバ セミョール。ヨクヨク。」と、寛太はバギーが好きじゃないからいらないと言うことができた。ほんとに子供のようにことばを見つけて話していった。
バザールでアンネンが洋服を見ていて、「ネカダール」とお店の人に値段を聞いて、残念、高いという顔で「クークー」と言って、買わなかったので、「高い」ってことだと思ったら、「50」っていう数字だった。でも、間違いながら見つけいていくのも面白い。
2007年05月04日
トルコ子連れホームスティ体験記4「かんたのトルコ語」
子供って、おばあちゃん家に遊びに行くとぐっとことばが増える。寛太にとってトルコ交流はたまたまトルコ弁のおばあちゃん家に行ったようなものかもしれない。トルコ前の寛太の日本語は「これ」、「あれ」、「これは?」「あちっ」、「はい」「ねんね」「かーか」(母さん)、「とーた」(父さん)くらいだったのだけど、帰ってきたら日本語もどんどんまねっこ上手になっていた。
2007年05月03日
トルコ子連れホームスティ体験記3「トルコの家族」
でも、「ニハンという名前の意味は目の黒い所、ヒミツです」と言われて、えっ、ヒミツ?と思ったけど、その時は黒い所は大事だからヒミツなのかなとそのままにして、日本でその話をしたら、「それ、ひとみ(瞳)だよ」って言われて、かわいい間違えを発見。とってもまじめなニハンだけど、「ババンはほんとにやさしいね」という話から「トルコにも暴力をふるうような男性もいる」という話になったら、「そんな人は死んだ方がいい」と言うから笑っちゃった。
ババン(お父さん)は元アーミー。とってもやさしい。ヘリコプターや飛行機などの技術をしていたそう。転勤も多い仕事でニハンがチャナッカレ大学に受かったのを期に退職して、チャナッカレに住むことにしたそう。トルコの大地は広いし、日本のように電車網が発達していないから通いで大学になんてとても無理。家族想いのやさしいババンは家族と暮らすことを一番に考えたんだね。寛太もババンにとってもかわいがってもらった。トルコはイスラム教。お祈りもかかさず行っていたのはババンだけだった。
アンネン(お母さん)は明るくって楽しくって、料理も編み物もとっても上手。家には冷蔵庫が2台。
1台はすべてがタンスの引き出しのようになっている冷凍庫。そこから何でも出てくる。カーテンも靴下もスカーフもマフラーもなんでも手作りで編んでしまう。コカコーラのCMの歌を歌いながらひとりで踊っちゃうような楽しいアンネン。ハマム(トルコの蒸し風呂)で、チョコを食べたりしながら、踊って、歌ったことも毎日アンネンと料理を一緒にしたのもチョクエランジェリーナ!
家族と街や海辺を散歩したり、お友達の家に行ったり、大学の授業でカブトの折り紙を教えたり、普通の生活を家族と過ごせたのが、ほんとに幸せでした。
2007年05月02日
トルコ子連れホームスティ体験記2「いよいよ出発」
飛行機ではいい具合にカンタが寝てくれ、いい調子。トルコの人は赤ちゃん好きと聞いていた。本当にそうだった。赤ちゃんを見るとシェカール(砂糖)、タットルー(甘い)、ギュゼール(美味しい)と言ってかわいがるくらい。北京での乗り換えの時にも、トルコのご夫婦が一緒に行ったメンバーのウッチの娘、あけたん(1才3ヶ月)をみて、たまらないという感じで話しかけていた。「どこから来たの?」と聞かれて、ウッチは「ジャポン、あっ、ジャポンヤ」と答えていた。その様子を見ながら、日本って「ジャポンヤ」っていうんだと知る。トルコ航空の中でとなりに座っていたおじさんも、寛太を抱っこしてくれた。デジカメで一緒に写真を撮って、その映像を見ていたら、おじさんは手を出して「バキン!」と言った。その音知ってる。それはCDの電話のシーンでお母さんが「どれどれ見せてごらん」の所だ。デジカメを見せてって言っているんだと分かった。場と共にただの音だったものに意味がついた。移動中からとっても楽しい感じ。「ハディ、ギディヨルス」(じゃあ行こう!)だとか、「ヒッピミス メキチン ギディヨルス」(みんな集まったから行こう!)だの、歌っていた音(ことば)や遊んでいた音(ことば)がみんなに向かって軽やかに口から出てきた。
2007年05月01日
トルコ子連れホースステイ体験記1「出発まで」
マルハバ!ナスースヌス?ベン チョーク
チョークイーン!!トルキエ ホームスティ チョギュゼー!!!
2007年の4月28日から5月4日の
約1週間、ヒッポのホームステイプログラムで1才6ヶ月の次男寛太を連れ、トルコに行った。近隣のメンバーを誘って飯能から
4家族、全国から全部で15家族の参加。
トルコに行こうと思い立ったのはその年の1月。それから近くのメンバーを誘い、一緒に参加することができた。トルコ語は自己紹介くらいできたけど、割と最近出たばかりのことばでCDもほとんどどこで何を言っているかも分からない所からのスタートだった。だからこそ、どんなことが起こるのか楽しみだった。一緒に行く仲間やファミリー(毎週の活動の場)で集まるメンバーとトルコ語のCDの音をたくさんマネしていった。ヒッポではことばを歌うようにまねしていくことを歌うと言っている。大まかからでも歌い始めると楽しくなってくる。はじめは「エランジェリー」や「チョキン」などの面白い音を見つけ、そのうち大まかな意味をとらえて、みんなトルコ語で遊ぶように話し始めた。一言何か言えば「エランジェリー!」「チョキン!」などと。寛太もみんなが言うのを真似して、ファミリーから帰るときには「ギュエギュエ〜(さよなら)」と言っていた。寛太に「ティシュクレデレン」(ありがとう)と言ったら、「シー」と返してきた事があって、「ビシディー」(どういたしまして)って言っているのだと分かった。音が飛び交う環境があるってほんとにすごい。音を共有しているから子供の発する些細なことばも見つけられる。

チョークイーン!!トルキエ ホームスティ チョギュゼー!!!
2007年の4月28日から5月4日の
約1週間、ヒッポのホームステイプログラムで1才6ヶ月の次男寛太を連れ、トルコに行った。近隣のメンバーを誘って飯能から
4家族、全国から全部で15家族の参加。
トルコに行こうと思い立ったのはその年の1月。それから近くのメンバーを誘い、一緒に参加することができた。トルコ語は自己紹介くらいできたけど、割と最近出たばかりのことばでCDもほとんどどこで何を言っているかも分からない所からのスタートだった。だからこそ、どんなことが起こるのか楽しみだった。一緒に行く仲間やファミリー(毎週の活動の場)で集まるメンバーとトルコ語のCDの音をたくさんマネしていった。ヒッポではことばを歌うようにまねしていくことを歌うと言っている。大まかからでも歌い始めると楽しくなってくる。はじめは「エランジェリー」や「チョキン」などの面白い音を見つけ、そのうち大まかな意味をとらえて、みんなトルコ語で遊ぶように話し始めた。一言何か言えば「エランジェリー!」「チョキン!」などと。寛太もみんなが言うのを真似して、ファミリーから帰るときには「ギュエギュエ〜(さよなら)」と言っていた。寛太に「ティシュクレデレン」(ありがとう)と言ったら、「シー」と返してきた事があって、「ビシディー」(どういたしまして)って言っているのだと分かった。音が飛び交う環境があるってほんとにすごい。音を共有しているから子供の発する些細なことばも見つけられる。