泡沫ながらも、長くブログを書いていると、たまにバズることがある。僕のブログで、ものすごくバズったと言える記事は二つある。

一つは、桜新町の波平さん像の毛が抜かれない方法を提案したこの記事。

波平さんの毛を守るたった一つの冴えたやり方:2012年12月10日

思いつきでささっと書いたのだが、これが何だか大当たりしてしまってびっくりした。普段、短い記事でも1時間ぐらいはかかってしまうのだが、これは15分ぐらいで書けた。それがバズったのだからびっくりだ。

気を良くして、次の日にわざわざ桜新町まで行って、続編を書いた。ところが、手間をかけたのに、これがぜんぜんダメ。バズっても定着はしないのだと理解した。

波平さんの毛、もしくは偽りの地平線:2012年12月11日

もう一つは、大阪市の学校給食がまずいと評判になったとき、自称給食評論家として、なぜまずいのかを考えたこの記事。

なぜ大阪の弁当給食がまずいのか:2015年03月02日

これもかなり早く書き上がった。波平さんのときは、Twitter・Facebook・はてブぐらいだったが、こちらは内容に社会性があるためか、Gigazinや某ニュースサイト、そしてなんと某有名エロサイトからもリンクされた。某ニュースサイトが健在だったのも驚いたが、Gigazinよりも某有名エロサイトの方が流入が多かったのには驚いた。

どちらも共通しているのは、あまり時間を書けずに書いたことである。思いついた時に、すでにアイディアも文章も頭の中で完成していたわけで、そういうのがバズりやすいようだ。

こういうときは、普段数百ぐらいしか行かないPV(ページビュー)が一気に数万に跳ね上がる。100倍になるのだが、アフィリエイト収入も普段の100倍になるかというと、そんなことはない。これもよく覚えていないが、5倍にもなっていなかったと記憶している。

また、これらのバズった記事は寿命が短く、一週間弱で沈静化する。時事的なネタなので、時期が過ぎてしまえば、あまり読まれなくなる。

逆に、書いた時にはあまり読まれなくても、長い間読まれる記事もある。昔、池袋にあった喫茶店蔵王のことを書いた記事がその代表である。

池袋「純喫茶蔵王」の思い出:2012年10月23日

この記事、僕の文章よりも、コメント欄に注目してほしい。2013年2月に最初のコメントが入り、最後のコメントは今年の3月、僕のコメントも入っているが、5年にわたって35もコメントが入っている。なかには蔵王の店員だった人もいて、さながら蔵王同窓会になっている。

僕の文章というよりも、それだけこの喫茶店が愛されていたということだろうが、それでも、何か人の役に立てたような気がして、瞬間的にバズった記事よりも、こちらのほうが嬉しく感じる。
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Twitterで「ピアノのレッスン代を財布から渡すのはマナーがなっていない」とかいうピアノの先生のTweetを見て、「ハア?そうかぁ?」と思った。

僕も、教材費や書写検定の受験料などで、生徒からお金を預かることがある。誰に仕込まれたのか、ほとんどの生徒が封筒に入れてくる。件の先生からすれば、うちの生徒は「マナーができている」ということだろう。

丁寧なのはいいが、僕としては封筒なんか入っていないほうがいい。たまに「先生、封筒がないんですけど」なんて言ってくる生徒もいるが、「いや、そんなのむしろいらん」なんて答えている。

お金を預かったら、払った人の目の前で金額を確認する。それこそがお金をやり取りするときのマナーだと思うのだが、封筒に入れられていたら、わざわざそこから出さなければならない。それに、どういうわけか封筒に入れてくる生徒ほど、お金を渡したらさっさと帰ろうとする。

僕としては、目の前で封筒を開けるのは、なんだか相手を疑っているようで悪い気がするし、それ以前に手間がかかる。一人二人ならいいが、こういうときは10人20人といっぺんに持ってくるので、本当に面倒くさい。ついでに、封筒には名前が書いてあって、再利用もできないから余計なゴミが増える。いいことは一つもない。

たぶん、祝儀や香典・お年玉あたりからの連想なのだろうが、あれは金額が支払う人に任されていて、金額が間違っているということがありえないから確認する必要がないのだ。支払う額がもらう人と払う人の合意に基づいている場合、確認しにくい封筒に入れるのは、かえって失礼なのではないか。

とはいえ、誰かがマナーとして仕込んだことだろうから、大々的に「教材費・検定料金は裸で持って来い」とも言えず、毎回悶々としている。
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暑い。蒸し暑い。僕の部屋にはエアコンがないから、窓を開けないわけにはいかない。さらに、この部屋に面した幹線道路が工事をしている。これがハンパじゃなくうるさい。何ともいえない不快な音だ。

暑さと騒音で、何か書こうと思っても、ノーミソからすーっと抜けてしまう。スマホに騒音計をインストールして調べてみたら、最大で60デシベル平均で50デシベル程度。あれ?こんなものか。
騒音
50デシベルは「静かな事務室・一般の降雨」だそうだが、そんなわけあるか。こんなのが事務室だったら、仕事にならん。

もっとも、これ以外の音はほとんど聞こえない時間帯(現在21:30)だし、何ともいえない不快な音だし、不規則に大きくなったり小さくなったりするしで、余計にうるさく感じるのだろう。

そんなわけで、とてもこれ以上ブログを書く気にならないので、今日はこんなところで失礼します。
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先日、いつもの公園(旧国文学研究資料館)でインラインスケートをしようとして、ブーツを履いて道に出ると、道の真ん中で、大きなガマガエル(たぶん、アヅマヒキガエル)がのっしのっしと歩いているのを見つけた。

堂々たる風格だが、この辺は街灯が少なくて暗い。ジョギングや散歩をしている人に踏んづけられたら可愛そうだし、そもそもスケートの邪魔だ。スマホで写真を撮ってから、捕まえて草むらに投げ込んだ。なんだかゴムみたいな感触だ。

捕まったガマくん、「ブホッ!」とか言って抗議しているが、君のためだ、許してくれ。

家に帰って、写真を見て驚いた。
ひきがえるさん
ガマくんの目の前に、蟻が群がっているのが写っている。そのときは暗くてよく見えなかったのだ。

君、もしかして、これ狙ってた?ごめん、気が付かなかったよ。食べ物を目の前にして捕まえられたら、そりゃ抗議するよな。
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今日、書道の授業で簡単な創作として、「好きな四字熟語を作品にしてみよう」というのをやった。ヒマなので、僕も作品を作ってみることにした。

まずは、言葉を選ばなくてはならないのだが、生徒とかぶるのはよくない。さて、どうしましょうと考えていると、「南船北馬」という言葉思い浮かんだので、それを書くことにした。今日の段階では草稿だけだが、生徒が帰った後、来週の授業用に書いてみたのがコレ。

まず篆書バージョン。「北」がイマイチ。あと落款が下手。まだ一週間あるので書き直しましょう。
南船北馬(篆書バージョン)
行書バージョン。なんかだらしない字だな。あと落款が下手。まだ一週間あるので書き直しましょう。
南船北馬(行書バージョン)
まあ、それはともかく、なぜ「南船北馬」かというと、あまりの暑さで、18年前の中国自転車旅行を思い出したからである。僕にとって、暑さと「南船北馬」はセットなのだ。

当時、僕たち(三人)は、北京の前門で自転車を購入しスタート、大運河沿いに走行して上海を目指した。結局、上海にはたどり着かなかったが、なんとか長江を越え、鎮江まで行った。

僕にとっては始めての中国・・・どころか海外である。驚きの連続だったが、一番思い出深いのが、南北の違いである。

7月下旬の出発だったから、とにかく暑かった。北京の前門で自転車を買って、天津を通り、河北省、山東省をぬ抜けた。このへんはやたらと乾燥していて、暑いことは暑いが汗は出ない。汗が出ないせいか日焼けが早く、日焼け止めを塗り忘れると、そこが数分で火脹れになる。

とんでもない田舎を走っているので、景色は畑ばかりだ。当時は家畜を連れている人も多く、牛・馬・ロバ・羊に出くわした。

僕たちを追い抜いていく自動車のナンバーが、河北省の「冀」から山東省の「魯」に変わり、江蘇省の「蘇」が多くなってくるころ、地名でいうと徐州市に入ったあたりから、急に沼や川が多くなり、景色も田んぼが多くなった。気候も蒸し暑く、だらだらと汗がたれてくる。

大運河の川幅もずっと広くなり、荷物を満載した船の行き来が見られるようになった。これを見て、「ああこれが南船北馬というものか」と合点したのだ。僕たちは南輪北輪だったけど。

往来の家畜も変わってくる。馬やロバは少なくなり、牛に代わって巨大な黒い水牛になる。

沼みたいなところに向かって立ち小便をしたら、水面が小刻みに動いた。よく見たら、水牛が目鼻と角と耳だけ出してこっちを見ている。対不起!なぜか覚えたての中国語で、チ○コを出したまま水牛に謝った。

そのときのことは、当時運営していたサイト(まだブログは無かった)に書いたが、サイトそのものが消えてしまったので、解像度の低い写真を削除して、やたがらすナビの目立たないところに置いてある。

読み返してみると、なんだかバカっぽい文章で読んでいると恥ずかしくなるが、もう18年も経ってしまったのかと、懐かしくもある。
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ファッションなんて誰が何を着ようと自由なんだけど、誰でも「あれだけはダメ」というのがあると思う。僕はダメージジーンズが大嫌い。ダメージジーンズとは、ファッションとして、あらかじめ破れたジーンズのことである。

ジーンズは、もともとアメリカの金山労働者の作業着である。だから、ダメージを受けて穴があいているのは、別に間違ってはいない。

だから、履き古して自然にあいた穴なら何の文句もないのだが、現代の生活でそう都合のいい場所に穴があくわけがない。長年使っても、膝小僧にちょろっとあくか、へたすると尻に空いてしまう。そこへ、都合のいいところに穴があいた、いやあけられたジーンズを「これがファッションです」と見せられると、「このニセモノめ!」という気分になる。

ファッションというものは、着る人の人生が出ているものが一番かっこいいと思っている。サラリーマンのスーツはあれはあれでかっこいいと思うし、工員の作業着も、とび職のニッカボッカも、看護師のナース服も、それを長年来た人が着るとかっこいい。ジーンズは真新しいのをだんだん着古していくのがかっこいいのであって、最初から人為的に古びさせるのは、あまりかっこいいこととは思えない。

こういうファッションには、ブルジョアの悪趣味を感じる。源融が邸宅に塩釜を模して塩を焼かせたとか、白樺派の柳宗悦が民藝運動するとか、金持ちが田舎暮らしして蕎麦屋を開店するとか、プロレタリアートの僕としては、どうにもいけ好かない。

突然こんなことを言い出したのは、次の記事を読んだからである。

【ナウい!】LA発2018年最新ダメージジーンズがダメージ受け過ぎている件。:edamame

リンク先の記事の写真を見てもらえば分かるが、ここまでいけば許せる。もはやズボンですらなく、これはアートである。なんだかやたらと涼しそうだし。
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自分は誰それに教わったという先生自慢はダサい。折口信夫が柳田国男を自慢するレベルならいいが、たいしたことない人が先生自慢するのは、本人にそのつもりがなくても、先生を笠に着ているようで、とてもダサいと思う。

そんなことは分かっているけど、それがあまりにもスゴイときは自慢してもいいんじゃないだろうか。いや、したい。させてくれ。ここから先を読んでもらえれば、分かる人には分かってもらえると思う。

僕の専門は中世文学である。「中世文学を代表する作品を一つ挙げてください」と言われたら、どう答えるだろうか。たぶん、『平家物語』80%、『徒然草』10%、その他10%ぐらいじゃないだろうか。つまり、中世といえば軍記、軍記といえば中世といっても過言ではあるまい。

そういう理由だか何だか知らないが、僕の出身大学では、必ず軍記の講座がなくてはならないという、よくわからん暗黙のルールがあったらしい。中世の散文は専任の先生が二人いたから、軍記は他大学から非常勤で来ていただいていた。

僕が最初に軍記を習ったのは、駒沢大学の水原一先生である。学部4年から博士前期課程の2年まで講義を受けた。学部4年が『平家物語』、大学院で慈光寺本『承久記』を読んだ。水原先生は新潮古典集成の『平家物語』を担当され、学部のときはそれが教科書だった。



水原先生には黒板画というものすごい特技があった。例えば、兜のパーツを説明するときに、黒板にさらっと兜の絵を描く。馬の説明をするときは馬の絵を描く。これがむちゃくちゃうまい。今だったら、絶対にスマホで写真を撮って、TwitterにUpしていただろう。

授業中の水原先生には、ものすごい威圧感を感じた。いきなり怒ったりすることはないが、僕がアホな発言をすると、う〜んとうつむいて黙っちゃうのが怖かった。学部生のときは数十人の中の一人だったからよかったが、院生になると受講者が数人になってしまったので、それがけっこうきつかった。さすがは軍記の専門家、モノノフだと思った。

一浪して博士過程後期に入ったとき、水原先生はすでに辞められていて、軍記の担当は早稲田大学の梶原正昭先生になった。梶原先生は、岩波新日本古典文学大系『平家物語』(=岩波文庫)の他、新編日本古典文学全集『義経記』、『曾我物語』など、たくさんの注釈書を書いている。



梶原先生に教わったのは、たしか二年ぐらいだったと記憶している。『真名本曽我物語』を読んだ。老大家でありながら気さくな先生で、ときどき一緒に神保町へ行ったりもした。水原先生とはあまりに対照的だったので、軍記の先生はみんなモノノフというわけではないのだなと思った。

梶原先生が体調をくずされて代打でいらしたのが、これまた早稲田大学の日下力先生だった。日下先生といえば、角川ソフィア文庫の『保元物語』・『平治物語』だが、そのころは新日本古典文学大系の『保元物語 平治物語 承久記』(平治物語担当)だった。



日下先生は、水原先生や梶原先生よりはずっと若かったので、親近感がもてた。しかし、教わった期間が短かったので(たしか年度の途中で梶原先生と交代されたと記憶している)、何をやったのかよく覚えていない。なんだか僕の振ったくだらない質問に、呆れながらも丁寧に答えていただいた記憶ばかりが残っている。

偶然とはいえ、これだけの先生方に教わる機会はなかなかない。当時の僕があまりにもボンクラだったことが悔やまれてならない。今だったらもうちょっとマシな・・・とも思うが、「その時悔ゆとも、かひあらんや」(徒然草49段)である。
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七人の死刑が執行され、またオウム事件が話題になりつつある。誰しもが気になるのがその真相だが、細かい犯行のいきさつ以上に気になるのが、なぜ新興宗教団体があのように先鋭化されていったかだろう。

僕は東西冷戦が元凶だと思っているのだが、テレビなんかを見ていると、誰もそこに触れない。どうにも隔靴掻痒の感がある。

例えば、今「人類が滅亡するのは、最短でいつごろだと思いますか?」というアンケートを取ったら、どういう結果が出るだろうか。自分で考えると、最短でも数百年は滅亡しないだろうと思う。長さは人によって違うだろうが、数十年後に滅亡すると思っている人はほとんどいないはずだ。現在ならば、「人類の滅亡」よりも「日本の滅亡」を心配する人の方が多いだろう。

ところが、冷戦時代はそうではなかった。

当時、世界は東西に二分され、その親玉であるアメリカとソ連が大量に核兵器を持ち、全部合わせれば地球を何個破壊できると言わていた。冷戦とはいうものの、朝鮮戦争を始め、ベトナム戦争・イランイラク戦争・アフガニスタン紛争など、実質的な二大国の代理戦争も多かったから、人類滅亡はリアルな話だった。

日本の置かれた位置はさらに微妙だ。なにしろ地理的にアメリカとソ連・中国に囲まれていて、三国とも核兵器を所持し、それぞれが(ソ連と中国も仲が悪かった)敵対していた。

しかし、当時「日本にも核兵器を!」と考える人はほとんどいなかった。もちろん、日本が被爆国だからだが、それ以上に、こんな状況で核兵器を持っても意味がないし、キューバ危機などを考えれば、持っている方がヤバいと思っていたからである。

日本に核兵器が飛んでくることは、同時に世界的な核戦争の始まりを意味し、さらに人類滅亡を意味した。日本の滅亡=世界の滅亡だったのだ。

放射能除去装置(コスモクリーナー)をイスカンダルに取りに行くという『宇宙戦艦ヤマト』や、1999年に人類が滅亡するという『ノストラダムスの大予言』は、そういう文脈で支持されたのである。どちらも1974年の放映・発行である。

そんなわけで、『宇宙戦艦ヤマト』や『ノストラダムスの大予言』で育った少年時代の僕たちは、人類は50年を待たずに滅亡すると本気で思っていた。「なんとかしなきゃ!」と思うわけだが、ガキになんとかできるわけもなく、あらぬ方向…つまりオカルトへ行ってしまう人もあった。かくして、オカルトブームからオウムへと繋がるのである。

その後、1989年にベルリンの壁が崩壊し冷戦は終結。1991のソ連の消滅により、冷戦は完全に過去のものになった。僕たちはガキだったから、政治情勢なんか理解できるわけもなく、自分たちの恐怖が冷戦に由来していること自体知らなかった。冷戦が終結しても、潜在的な滅亡の恐怖だけが残ったのだ。

オウム真理教は冷戦の終結するちょっと前に誕生し、冷戦終結後に規模を拡大した。人類滅亡の恐怖を終末思想へと転化し、「なんとかしなきゃ!」という子供っぽい思いが、残酷な犯罪へと先鋭化していったのだろう。実際オウムに対する『宇宙戦艦ヤマト』の影響は強かったらしく、空気清浄機をコスモクリーナーと言ったり、主題歌の替え歌を作ったりしていた。

一方で、滅亡の恐怖は、「人類」から「日本人」へと矮小化していったのではないか。僕はこれが最近の特殊な思想(いわゆるネトウヨ)につながっていると考えている。
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結論から先にいうと、そんな日は来ないと僕は考えている。

まず最初に、「翻刻する日」を定義しておく。これは、どんな写本でも版本でも、スキャナーにかければ、99%以上の文字を正確に翻刻できるという意味である。

「どんな写本でも版本でも」というのは、例えば江戸期の版本だけとか、定家本だけとかではなく、ありとあらゆる写本・版本という意味だ。そうでなければ、役には立たない。99%はハードルが高いようだが、実際には100文字で1字の間違いなので、これでもあまり実用にはならない。かなりハードルは低いが、それでも無理だと思っている。

AIとは人工知能という以上、人間のノーミソできることなら、コンピュータができるということだろう。違いはスピードと量。人間がやっているのだから、AIで写本・版本を読むことは、理論的には可能である。

しかし、大前提として「人間のノーミソできることならすべてできる」のなら、「人間のノーミソでもできる」ということでもある。

読む対象である古典籍は有限である。新しく発見されることはあっても、新しく書かれることはない。増えないリソースのために、わざわざAIで読ませる必要があるだろうか。まず、経済的な合理性がない。

そんな日は来ないと考えるもう一つの理由は、古典籍で使われる文字と現代の文字の根本的な違いにある。続続・春秋か暮秋か(春と暮)で述べたように、古典籍の時代は、文字と解釈は車の両輪だった。

もしAIに古典籍を読ませようと思ったら、人間が読むのと同様、解釈ができなければ読めるようにならない。それも、仮名遣いも送り仮名も定まっていない文章である。そんな各時代の多種多様な古典をAIに学習させて、読解の勉強をさせなければならないことになるが・・・その本文を作ったのは人間である。

だったら、最初から人間が作っちゃったほうが早いだろうというのが僕の考えである。

金曜日は授業が三時間目からだから、起きるのが遅い。9時ちょっと前に目が覚めて、テレビをつけたら、松本智津夫(麻原彰晃)の死刑が執行されたと言っている。

オウム事件の死刑囚が各地の拘置所に移送されたときから、近いうちの執行は予想されていたが、こんな朝っぱらからニュースになるのは妙だなと思った。てっきり昨日執行されて、今日ニュースになったのだと思っていたのである。

ところが、よくよく聞いてみると、起きる前に執行されたらしい。それなら逆に早すぎる。そんなのは今まで聞いたことがない。

朝食を食べながらテレビを見ていると、今日7人が執行されるだろうという。そう言ったアナウンサーの舌の根も乾かぬうちに、まるで地震速報のように、今度は井上嘉浩が執行されたという速報が入る。しばらくして次に・・・誰だったかよく覚えていない。

3人執行されて―いや、まどろっこしい言い方はもうやめよう―殺されてから、テレビを見るのはイヤになった。僕は早めに家から出た。たぶん、そのあとも速報は続いたはずだ。

起きる直前、そして朝食を食べている短い間、3人の人間が、合法的に殺されたのである。その後電車に乗っている間に4人が殺された。もしこれが合法でなければ、虐殺と言っていい人数である。これがリアルタイムで報道されたのだ。

僕は死刑廃止論者だが、現行法に死刑という刑罰がある以上、死刑囚が執行されるのは仕方のないことだと思う。また、不快だから報道するなというのでもない。

しかし、7人もの人が一度に合法的に殺されて、それをほぼリアルタイムで報道するというのは、どう考えてもおかしい。そもそも、死刑執行のどこにそんな速報性が必要なのか分からない。ただただ不快なだけである。

少しずつ、人の命が軽くなってきたような気がする。
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