篆刻でもしましょうか(その3・印稿を作る)の続き。

印稿ができたら、それを印面に書き込む。これを「布字」という。いよいよ印材の登場だ。

説明するまでもないが、印を刻る石を印材という。一個数百円のものから、何百万円もするものまであるが、よほどの大富豪でないかぎり、浙江省産の青田石(せいでんせき)や内モンゴル産の巴林石(ぱりんせき)などを使う。

参考のため、アマゾンのアフィリを付けておくが、硬さや不純物に個体差があるので、できるだけ通信販売ではなく、書道具屋で買ったほうがいい。石の質は経験を積めばある程度見極めがつくが、こればっかりは簡単に説明できない。おおむね、食ったらうまそうに見える石は刻りやすい。青田石の場合、良い印材ほど舟和の芋ようかんに似ている。


さて、いよいよ印材に書き込むわけだが、その前に、印面を平らにならす作業をしなければならない。

800番ぐらいの耐水ペーパーを平らな面に置き、水をかけて印面を磨く。鏡やガラスなどの上がよいと言われる。丁寧にやらないと、四隅がまるくなってしまうので注意。円を描くように丸く磨く人と、前後に磨く人がいるが、僕は前後に動かす派である。


昔は買ってきた印材の面が、どう見ても平らでなかったり、のこぎりで切ったキズがあったりして、荒いペーパーから細かいものへ順番にかけていったものだが、最近は最初から平らになっているものが多いので、それほどしつこくやる必要はない。

さて、印面を磨いたら、白文なら朱墨を、朱文なら墨を印面に塗る。あとは、前回の印稿と同じ。印稿の文字を左右反転させて、鏡で確認しつつ何度も修正しつつ書き込んでいく。口で言うと難しそうだが、篆書は水平・垂直・左右対称が基本なので、それほど難しくない。このとき、印稿よりもいい感じになっちゃうことがあるが、それはそれでよい。

で、できたのがこれ。
布字布字2

さて、次回はいよいよ刻ります。刻りまくります。
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前回の篆刻でもしましょうか(その2・印稿の前に)を踏まえて、印の完成予想図である印稿を作ってみよう。

まず、どのような順番で文字を並べるかだが、4文字の場合、通常は次のような順番で並べる。
通常の配置
別の並べ方として、次のようなものもある。たとえば「一期一会」を普通の並べ方にすると、上半分ばかりスカスカになってしまう。そういうときは図のように反時計回りにぐるっと配置にする。これを回文印という。
回文印
二文字の場合は左右に並べる。篆書は本来縦長なので、印面が正方形であるかぎり、縦に並べることはない。左右に並べる場合、右から左へ読めるようにする。縦書の場合、上から下、右から左へ読んでいくから、二文字だとこうなるのである。
二文字
今回はいずれも4文字なので、最初の並べ方で問題ない。

印稿は人によって様々な作り方がある。筆で半紙などにいくつも書く人もいるし、鉛筆などで作る人もいる。今ならパソコンで作ることもできる。しかし、ここでは、多くの入門書に書かれている、墨と朱墨で推敲する方法をとることにする。この方法は、なんだかんだ言っても、章法(収め方)を学ぶのには一番適切な方法だと思う。

必要なのは、ハガキのような厚紙と、墨、朱墨、それぞれの硯、小筆である。

墨は普段使っている墨汁でもいいし、磨ってもよい。朱墨は、添削用の液体朱墨では薄いので、固形の朱墨を使う。したがって、硯は墨と朱墨用の二面必要である。篆刻用の二面硯というのもあるが、硯を二面使うよりも使いにくいので僕は使っていない。

まず、厚紙を墨で真っ黒に塗る。印材の大きさを鉛筆などでとり、白文(字が白くなる)なら、その大きさを朱で塗って、墨で印面を書き込む。朱文(字が赤くなる)なら、そのまま朱で書き込む。朱を塗ったり、墨を塗ったりを繰り返して、文字の位置や線の太さを調整し、推敲する。

実際やってみると、ほんの少し書き換えただけで、印象が変わるのが分かる。初心者は早く刻りたい一心で、いい加減にやってしまいがちだが、印の良し悪しが理解できてくると、この工程が一番楽しい。

で、今回作ったのが、これ。実際のサイズは前回のエントリの漢印とほぼ同じ、2.4cm四方(8分という)である。
印稿
上が「寒来暑往」で白文、下が「秋収冬蔵」で朱文。白文は文字の線を太く、朱文は細くがセオリーである。

朱文の場合、印全体のワクを取る必要があり、このワクの太さも、作品を構成する重要な要素になる。古璽風の場合はワクを文字よりも太くするが、漢印風の場合はワクは細くなるのが基本。ただし、四辺すべて同じ太さにする必要はない。

「寒来暑往」は、「寒暑往」は横画がやたらと多く、右下の「来」がちょっと目立つ。これをうまく調和させて、なおかつ変化のポイントとしよう・・・。

とか、

「秋収冬蔵」は、画数の多い字と少ない字がいい塩梅で並んでいる。逆に言うと、普通に並べちゃうと、つまらない印になってしまうから、空間の多い「収」を利用して、粗密の変化を付けよう。ワクも右下が細くなるようにしよう・・・。

などと考えて作ってみた。

もちろん、僕にこの通り刻れる腕はないし、実際に刻ってみると、思わぬ欠けが出来てしまうことも多い。それはそのときの成り行きで対処する。印稿は一つの理想であって、本当のゴールではないので、それでいいと思っている。

実は、こんな印稿を作るのは久しぶりだが、どうにも見づらい。もともと目が悪いので、普段老眼を感じることはなかったが、篆刻をやると如実に分かる。

さて、次はこれを左右反転して印面に書き込む。これを布字という。
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今月の大きな出来事といえば、前半のドナルド・トランプ氏が次期大統領に決定したことと、後半のフィデル・カストロ氏の死である。

ドナルド・トランプが共和党から大統領候補に立候補すると聞いた時は、どうせネタだろうと思っていた。共和党候補に決定したとき、「こりゃ民主党の勝ちだな」と思った。しかし、あれよあれよといううちに、最終的に次期大統領に選出されたのはドナルド・トランプだった。
トランプタワー玄関

アメリカが現在の地位を保てるのは、資本主義の胴元だからである。なんだかんだいっても、胴元が一番儲かる。アメリカは資本主義の胴元だから、世界一の経済大国でありつづけることができるのである。

しかし、胴元は公平でなければならない。何人だからよくて、何人だからダメというのは許されない。参加者はすべて平等に扱われなければ、賭場(この場合市場)の信頼が損なわれ、参加者は減っていく。

トランプ氏の言動は、資本主義の胴元であるアメリカの価値を損ねる言動だった。資本主義の胴元としての価値を理解している人には、トランプ氏の主張はとても受け入れられない。一方で、資本主義の胴元であることに疲れている人達が思いのほか多かった。だから、トランプ氏は次期大統領になれたのである。

そんな、資本主義の怪物と戦い勝ったのが、先日亡くなったフィデル・カストロ前議長だ。彼は、アメリカの巨大資本とマフィアに搾取されたキューバを解放した。

8人乗りのプレジャーボート「グランマ号」に、82人で乗り込んだフィデル率いる反乱軍は、上陸と同時に当時の政権側のバティスタ軍に包囲され、わずか12人になった。しかし、その後のゲリラ戦で、大国のバックアップを受けていない12人が、アメリカの傀儡政権に勝ち、革命を成功させた。

その後、巨大資本の持っていた資産(農地の7割を持っていた)を凍結し、巨大資本を追い出した。巨大資本は決してむりやり土地を奪ったわけではない。アメリカから見れば、正当に手に入れた資産を、力で奪ったことになる。これは、資本主義の胴元たるアメリカには許しがたい行為である。これが、今に至るまでキューバとアメリカの国交が回復しない理由である。

しかし、キューバ革命は、巨大資本だからといって、好き勝手は許されないという先例を作った。その後のキューバの政治は、賛否両論あって、僕ごときには評価できない。だが、巨大資本の横暴と戦い、勝利した功績は、比類なく大きい。

フィデル・カストロ前議長のご冥福をお祈りします。コミュニストに冥土があるかどうか分かんないけど。
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昨日、キューバのカストロ元議長が亡くなった。いろいろと思うところはあるが、それは置いておいて、安倍首相の「哀悼の意」が、日本語としてひどかった。
カストロ氏死去 安倍首相が哀悼の意 各国首脳も追悼:NHK NEWS WEB
安倍総理大臣は「キューバ革命後の卓越した指導者であるフィデル・カストロ前議長の逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。本年9月に、私がキューバを訪問しお会いした際には、世界情勢について情熱を込めて語られる姿が印象的でした。日本政府を代表して、キューバ共和国政府および同国国民、ならびに御遺族の皆様に対し、ご冥福をお祈りします」としています。
いやいやいや、キューバ政府と国民に対し「ご冥福」をお祈りしちゃいけないだろう。

ご冥福をお祈りするのは、亡くなったカストロ前議長に対してである。「冥福」は、読んで字のごとし、「冥土の福」で、死後の世界での幸福という意味である。コミュニストに死後の世界があるかどうか分からないが、少なくとも、生きているキューバ政府とキューバ国民に対して使う言葉ではない。それとも、キューバが冥土なのだろうか。

さて、言葉としてひどいといえば、最近、学校でこんなのを見かけた。
ナゾの書道半紙
巻かれた巨大な紙である。僕の大嫌いな書道パフォーマンスに使うものらしい。「なんじゃこれは」と思って近づいてみると、このラベルにこんなことが書いてある。
ナゾの書道半紙ラベル
「書道半紙」である。サイズは1000ミリ×30メートル。でかい。半紙じゃねぇ!

「半紙」とは、紙の種類ではなく、サイズのことなのである。日本人なら誰でも知っているあのサイズを「半紙」という。だから、「大きい半紙」などは存在しない。ちなみに、「日本人なら」と言ったが、半紙というサイズは日本独特のもので、中国産の唐紙は日本に輸出するため、わざわざ半紙サイズに切っている。

もちろん、言葉の意味を知らない人が、これを半紙というのは仕方がない。だが、商品にして売ろうというのに、これを書道半紙とネーミングするのは書道用具を売る業者としていかがなものか。まあ、書道パフォーマンスに群がる連中なんてその程度のものだということである。

僕は、言葉を知らないことを嘲笑する気はない。誰にでも知らない言葉はある。問題は言葉に対する態度である。

追悼の言葉でも、商品名でも、普段、会話で口にする言葉とは重みが違う。そういう言葉を世に出すときは、細心の注意を払うのが当然だ。すべての言葉を調べるぐらいの気遣いが必要である。

しかも、「冥福」も「半紙」も、それが「冥土の幸福」とか「半分の紙」とか、本来の意味が比較的類推しやすい言葉である。それなのに、だれからも「ちょっとおかしいな」という意見が出ず世に出てしまったのが、どうにも不思議でならない。
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篆刻でもしましょうか(その1・検字)の続き。

文字を調べたら、今度は実際の印面にどのように並べるかを考える。この、〈完成予想図〉を「印稿」という。印の良し悪しの要となるもので、もっともセンスが問われるところである。では、どのように並べればいいのだろうか。

ある人が、「ネットで篆刻を販売している人がいるが、ひどい人ばかりだ」と言っていたので、いくつか検索してみたら、そのとおりだった。分かっている人が見れば素人以下、僕の生徒(高校生)が初めて刻った印よりもひどいものを平気で売っている。買う人は、良し悪しが分からないから、それでも買ってしまうのだろう。

良し悪しが分からないのは、評価の基準となるものを知らないからである。書はたいがいの人が、なにかしら〈上手な書〉を見ている。それが基準となるから、ある程度(あくまである程度だが)は良し悪しが分かる。だが、基準となる印がどんな印かは知らない人が多い。

書で基準となるのは王羲之だの顔真卿だのの古典である。篆刻の場合、清朝の文人たちの作や近代の篆刻家の作品も古典になるが、それももとを正せば、おおむね古鉨と漢印の2つになる。まず、それを抑えておかないと、まともな印稿は作れない。

1・古璽
古璽
「❏(立+歨)都右司馬」(『十鐘山房印挙』より)

上の印は、古璽の官印(官職を記した公的な印)で、右に「❏(立+歨)都右」の三文字、右に「司馬」の二文字入れられている。なお、実際のサイズは2.5cm四方である。

古璽は、正確には「古鉨」と書く。青銅製だから金へんになっている。もともと印はすべて「鉨」だったのだが、皇帝だけが玉で作るようになって、それを「璽」とし、それ以外はすべて「印」と表記するようになった。表示の問題もあるので、以下「古璽」とする。

古璽は、中国の戦国時代に使われた印である。独特のユニークな字形を持っていて、配置の仕方や空間のあけ方もおもしろい。形式もバラエティに富んでいて、正方形でないものも多く、漢印には少ない、朱文(字が赤くなる)のものも多い。

2・漢印
漢印
「軍司馬印」(『十鐘山房印挙』より)

上の印は漢印の官印。実際の大きさは2.3cm四方。その名の通り、漢代の印である。いうまでもなく右に「軍司」左に「馬印」となっている。日本人におなじみ、漢委奴国王の金印も漢印の官印である。

正方形の中に規則正しく文字が配置されていて、字形もそれに合わせて四角くなっている。官職名を刻した漢印の場合、前漢のものは4文字、後漢のものは5文字になっていることが多い。

篆刻作品をつくる場合、どちらをベースにするかは自由だが、古璽風に作るのはなかなか難しい。古璽にはたまらない魅力があるが、今回は説明しやすく、初心者に優しい漢印をベースにする。

そこで、もう少し細かく、先の「軍司馬印」を見ていこう。
漢印(グリッド付き)
基本的には次のようなことが基本になる。
  • 余白は少なく、印面いっぱいに配置する。
  • 水平・垂直。
  • 並行・等間隔。
  • すべて同じ太さ。

文字同士の線の位置関係がわかりやすくなるように、上の図では補助線を引いてみた。上下、左右の隣の字の画が、ほぼ同じ位置にあるのが分かるだろう。

ただし、厳密に同じではなく微妙にずれている。全く同じにしてしまうと、無機質なつまらないものになる。逆に完全にずれてしまうと、調和が失われる。漢印風の印を作るには、文字同士の対応をどうとるかが重要なのである。これは、線の太さや、長さ、曲がり具合などにも同じことが言える。

というわけで、次はこれを踏まえて、次は実際に印稿を作ってみよう。

篆刻でもしましょうか(その3・印稿を作る)に続く。
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今年も授業で篆刻をやる季節がやってきた。そこで、いい機会なので、篆刻のやり方を書くことにする。

篆刻とは、印を刻(ほ)ることである。中国では、明代末、刻りやすい石の素材が出てきた。そこから、職人ではない文人が詩・書・画と並ぶ芸術として、篆刻が発達したのである。

そのころ、考証学という実証的な学問が勃興してきた。そこから、漢字のなりたちや変遷を考える文字学も学問の対象とされ、その影響で、最も古い書体である篆書を用いる篆刻も流行した。つまり、篆刻と文字学は表裏一体のもので、篆刻は単なる造形芸術ではなく、教養も問われるものなのだ。

さて、そのあたりも踏まえて、実際に作品を作ってみよう。

まず、何を刻るかだが、前に「千字文を全部刻る(今年の作品:2014年01月14日)」と大口をたたいたものの、四句だけ刻って中断している。そこで、その続きを刻ることにする。文句は「寒来暑往」「秋収冬蔵」だから、季節的にもちょうどいいだろう。

篆刻を始める上で、最初にするのが〈検字〉である。簡単に言えば、字典を引いて、文字を調べることだが、実は一番やっかいで、これだけで一冊本が書けるほど(僕にはムリだけど)である。

検字がやっかいな理由は2つある。

まず一つは、現在使われている文字が存在しないことがあるということだ。篆書は今から二千年以上前に使われていた書体である。当然、それ以降にできた漢字は存在しない。もちろん、日本でできた国字も存在しない。

そのような場合、勝手に偏旁を組み合わせて字を作ってはいけない。その字に該当する字があったかもしれないからだ。そこで、『説文解字』など、様々な字書や研究書に当たって、文字の成り立ちを調べることになる。もっとも、「寒来暑往」「秋収冬蔵」なら、篆書の時代から文字が存在するので問題ない。

もう一つの問題は字形である。楷書に異体字があるように、篆書にも様々な字形がある。篆書は甲骨文・金文の時代から長い歴史を持ち、秦の始皇帝が統一するまでは、地方によっても字形が違っていた。逆に、漢代になると、怪しい字が増えてくる。

一つの印に、違う時代の字形がまざると、違和感がでてくる。たとえ同じ時代の字であっても、おかしな字は存在するので、なるべくそういう字は使わない方がいい。これを見極めるには、知識と経験が必要となる。

これを説明するのはきりがないので、今回は最初から用例が絞られている字典を使うことにする。今回、僕が授業で使っている『標準篆刻篆書字典』(牛窪梧十編・二玄社)を使うことにする。
二玄社標準篆刻篆書字典

本格的にやるにはもの足りないが、ズブの初心者が〈おかしな印〉を作らないためには、このあたりから始めるのがいいだろう。

さて、「寒来暑往」の「寒」の字は、この字典では次のようになっている。
寒
一番左に、「小篆」とあるのは秦代に始皇帝が統一した字形(厳密にいえば、漢代の字書『説文解字』の字形)、「印篆」とあるのは漢代に印の文字として使われた字形、「金文」は周代の青銅器の字形、「古鉨」とあるのは戦国時代の字形である。

ちなみに、「古鉨」の「鉨」は「璽」の異体字で、昔は銅で作られていたので金偏だった。後に玉でつくられるようになったので、今では「璽」と書く。現在でも日本の天皇が使っているのは「玉璽」という。

話がそれたが、この字典では、横の列を統一して使うと、〈おかしな印〉にはならないようにできている。例えば、「寒」を小篆にしたら、「来暑往」もすべて小篆にすればよいという寸法だ。こうして、一字一字、すべて調べていく。

その2・印稿の前に」に続く。
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昨日のエントリ(講談社少年少女日本文学全集:2016年11月20日)を書いていて、芥川龍之介の『三つの宝』を思い出した。

『三つの宝』は昭和3年6月に改造社から刊行された、芥川龍之介による童話集である。芥川の生前に企画され、死の直後に刊行された。芥川の本は、装丁に凝ったものが多いのだが、これは格段に凝っている。その理由は後ほど説明するが、装丁は芥川の本のほとんどを手がけた小穴隆一である。

最初に断っておくと、これはほるぷ出版によるレプリカである。本物だったら相当するらしいが、以前本物を見た時には、ほとんど見分けがつかなかった。

まず、函はこんな感じ。いたってシンプルである。
『三つの宝』函
中身は、手触りのいい布装で、講談社少年少女日本文学全集同様、イラストが貼り付けてある。もちろん小穴隆一の絵。ふと、講談社少年少女日本文学全集は、これを意識したのではないかと思ったのである。

表表紙
『三つの宝』表表紙
裏表紙
『三つの宝』裏表紙
ついでに背。
『三つの宝』背
扉。6色も使っている。
『三つの宝』扉
本文はこんな感じで柄のある枠が印刷され、ところどころに小穴隆一の挿絵がある。これも、直接印刷するのではなく、別の紙に印刷して貼ってある。
『三つの宝』挿絵と本文

その他の挿絵をいくつか。
『三つの宝』挿絵2

『三つの宝』挿絵3

ベッタリと貼るのではなく、すぐにも剥がれそうな感じで貼ってあるのはなぜだろう。こっちの方が手間がかかりそうだが・・・。

さて、この本、長辺が31cmもあり、バカでかい。子供が読むのに、なぜこんなデカい本にしたか。それは、小穴隆一の手になる跋文に書かれている。
あなたがたはあなたがたの 一番仲のいいひと、一番好きな方がたと、御一つしよに、この 三つの宝 を御覧になりませうが、この本は、芥川さんと私がいまから三年前に計画したものであります。
私達は一つの卓子(テエブル)のうへにひろげて 縦からも 横からも みんなが首をつつこんで読める本がこしらへてみたかつたのです。この本の差画のもでるになつて下さつたかたがたばかりではありません。私共の空想 われわれがこの程度の本をこしらへるにもなかなかの努力がいりました。みなさんにこれ以上の贅沢の本は今日の日本ではこしらへてあげることが出来ません。私達の計画を聞いた方がたは みんながよろこんでこの本の出来あがる日をたのしんで下すたものです
著者の、芥川龍之介は、この本が出来あがらないうちに病気のために死にました。これは私にとりましては大変に淋しいことであります。
けれども この本をお読みになる方がたは、はじめ私達が考へてゐましたように、みんな仲よく首をつつこんで御覧になつて下さい。
 私は、みなさんが私共の歳になつてから、この本をお読みになつたあなたがたの時代は、余計にたのしかつたと思はれやあしないか、さう思ふから、三つの宝の出来あがったことは愉快です。
 どうか あなたがたは、三つの宝のなかの王子のやうに お姫様のやうに この世のなかに、信じ合ひ助けあつて行つて下さい。
昭和二年十月廿四日朝
小穴隆一
奥付によると、この本は当時5円。公務員の初任給をもとに現在の価値を計算すると、12000円ぐらいである。誰もが買える値段ではない。おそらく、学校の図書室なんかで読むことを想定しているのだろう。豪華な一冊の本を仲良く数人で読むというアイディアがすばらしい。

なお、序文は佐藤春男によるもの。これも、追悼文としてちょっと面白いので、転載する。
他界へのハガキ
 芥川君
 君の立派な書物が出来上る。君はこの本の出るのを楽しみにしてゐたといふではないか。君はなぜ、せめては、この本の出るまで待つてはゐなかつたのだ。さうして又なぜ、ここへ君自身のペンで序文を書かなかつたのだ。君が自分で書かないばかりに、僕にこんな気の利かないことを書かれて了ふじやないか。だが、僕だつて困るのだよ。君の遺族や小穴君などがそれを求めるけれど、君の本を飾れるやうなことが僕に書けるものか。でも僕はこの本のためにたつた一つだけは手柄をしたよ。それはね、これの校了の校正刷を読んでゐて誤植を一つ発見して直して置いた事だ。尤もその手柄と、こんなことを巻頭に書いて君の美しい本をきたなくする罪とでは、差引にならないかも知れない。口惜しかつたら出て来て不足を云ひたまへ。それともこの文章を僕は今夜枕もとへ置いて置くから、これで悪かつたら、どう書いたがいいか、来て一つそれを僕に教へてくれたまへ。ヰ゛リヤム・ブレイクの兄弟がヰ゛りやむに対してしたやうに。君はもう我々には用はないかも知れないけれど、僕は一ぺん君に逢ひたいと思つてゐる。逢つて話したい。でも、僕の方からはさう手軽には—君がやつたやうに思ひ切つては君のところへ出かけられない。だから君から一度切てもらい度いと思ふ—夢にでも現にでも。君の嫌だった犬は寝室には入れないで置くから。犬と言へば君は、犬好きの坊ちゃんの名前に僕の名を使つたね。それを君が書きながら一瞬間、君が僕のことを思つてくれた記録があるやうで、僕にはそれがへんにうれしい。ハガキだからけふはこれだけ。そのうち君に宛ててもつと長く書かうよ。
下界では昭和二年十月十日の夜
佐藤春夫
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前にも書いたように(本を整理すること:2016年08月13日参照)、現在、祖母の家にある蔵書を整理している。ほとんどは僕の本だが、中には母の本や叔父の本もある。その中に、僕が子供の頃、読んだ本があった。講談社の『少年少女日本文学全集』 全24巻である。

おそらく、祖父が叔父のために買ったものだろう。当時、文学全集は百科事典と並んで、本棚のこやしとして流行ったが、「少年少女」とあるように、子供向けに読みやすく作られている。
講談社少年少女日本文学全集

僕が日本の近代文学に触れたのは、これが最初だった。実家にも日本文学全集のたぐいはあったが、大人向けで読みにくい。これは、字は小さいものの、難しい漢字にはルビが振ってあり、収録作品も、大人向けのものは排除されていたから読みやすかった。祖父母の家に行って、商店街のおもちゃ屋へ行くのと、これを読むのが楽しみだった。

近代文学の全集というのは、個人全集でなければ、ほとんど価値がないものが多い。僕が引き取るには場所を取り過ぎる。懐かしいものではあるが、全部捨てるしかないかと思い、最後のお別れに何冊かページを繰ってみると、これが出来がいいのでびっくりした。

一口でいうなら、手抜きがない。お飾りの大人向けの全集と違って、あくまで読まれることを想定して作られていて、手が込んでいる。人選はこんな感じ。これに漏れている人(子供向きの作品が少ない人)も、21巻以降に入っていることがある。
少年少女日本文学全集24巻内容
一冊一冊はこんな感じである。
少年少女日本文学全集5巻

これは5巻。内容は「芥川龍之介・菊池寛・宇野浩二・豊島与志雄」となっている。同じ時代の人ではあるが、中の良い友達を集めたかのような人選だ。

実際、普通だったら、まとめられちゃいそうな、夏目漱石・森鴎外も別の巻にされていて、2巻は漱石にかかわりのある作家でまとめられている。

1巻 森鴎外・島崎藤村・国木田独歩・二葉亭四迷
2巻 夏目漱石・中勘助・高浜虚子・野上弥生子

装丁がまたすばらしい。当時の文学全集(当時に限らないが)は、本棚の飾りなので、むやみに厚く、読みにくい物が多いが、子供の手で楽に持てるように薄く作ってある。函も無機質なものではなく、それでいて子供っぽすぎないのがいい。安野光雅の装丁らしい。

表紙は布装だが、わざわざ絵が貼り付けてあって手がこんでいる。芥川編では、「蜘蛛の糸」と思しき絵が付いているが、各巻によって異なっていて、描いている画家も違っている。

こちらは1巻。森鴎外の「山椒大夫」だろう。
山椒大夫
2巻。漱石の「坊っちゃん」だと思われる。
坊っちゃん
3巻。小川未明集だけど、読んでいないので分からない。
小川未明集
装丁だけでこれだけの手間がかけられている。

もちろん、中身もよい。今の本と比べると、活字が小さいものの、ルビや注釈だけではなく、作家の写真や、解説も充実している。解説は近代文学研究の一流どころの執筆で、例えば森鴎外編の解説は吉田精一である。
作者の写真
解説

これを読んだ〈子供たち〉は、いわゆる団塊の世代にあたる。当時は子供が多いから、これで十分商売になったのだが、それだけでは、ここまでのものは作れなかっただろう。この全集からは、子供向きだからこそいい加減なものは作れないという意気込みを感じるのである。

なお、この全集(23巻「ノンフィクション名作集」のみ欠本)はヤフオクに出しているので、ほしい方は入札をおねがいします。

講談社『少年少女日本文学全集』 全24巻(23巻欠本):ヤフオク!

最後は宣伝で締める・・・と。
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昔、グループ展をやっていたころ、「ご自由に壊してください」という作品を作った人がいた。そばにプライヤーを置いて、見に来たお客さんに作品を壊させるという趣向である。めでたく壊されたあかつきには、中から何かが出てくる予定だった。

しかし、結局その中身が何だったかは分からなかった。その作品は、展示したその日のうちに、袋に入れて燃えるごみに出せるほど、壊されてしまったからである。一週間後には細かく砕かれて、おまけに画廊の壁まで傷つけられてしまった。何が出てくる予定だったのか、作者以外は誰も知らない。お客さんは作者の思惑通り壊してくれなかったのである。

こんなことを思い出したのは、TOKYO DESIGN WEEK2016での悲惨なニュースを聞いたからである。

「子どもが中に!」ジャングルジムから火の手 神宮外苑:朝日新聞デジタル
東京・明治神宮外苑で開かれていたロボットやオブジェなど現代アートの展示イベントで6日夕、木製の展示品が燃え、遊びに来ていた5歳の佐伯健仁(けんと)君が火に巻き込まれて死亡した。晩秋の休日が一転し、会場には消火作業にあたる人たちの大声が飛び交った。

木製のジャングルジムに鉋屑様の木くずを満たし、下からライトアップ(白熱電球だったらしい)していた。どうやらその熱により発火したらしい。

Twitterなどでは、「照明による発火が予測できないのはオソマツだ」というような意見を多く見る。たしかにそれはそうなのだが、もっとも大事な問題はそこではない。

僕が最初に書いたエピソードを思い出したのは、これにより〈お客さんは作者の思惑を超えてくる〉ことを知ったからである。

アートというものは、お客さんに何か体験させようとするものだ。絵画などの普通の作品なら、「作品を見て心を動かす」というのが体験になる。「ご自由に壊してください」作品は、「作品を壊す」という体験を、炎上した木製ジャングルジムでは、「作品の中で子供に遊ばせる」という体験である。

しかし、お客さんは必ずしも作者の思ったとおりには動いてくれない。最初の例では、「ここを壊すだろう」と予想したところでない部分を壊しはじめ、最後は完全な塵になった。この時のお客さんは、ほとんどが大人だったが、理性ある大人でさえそうなのだから、子供ならもっととんでもないことをしても不思議ではない。

もし、運良く木製ジャングルジムが炎上していなくても、照明に触ってやけどするかもしれない。防火対策が施されていたとしても、子供がそれを壊してしまうかもしれない。あらゆる危険を想定しても、子供はまったく大人の考えもつかないことをしてしまうものだ。

炎上したジャングルジムが、単に見るだけのオブジェだったら、炎上しても最後は笑い話になっただろう。そこに、作者以外の第三者、しかも最も行動の予測が難しい子供を介在させてしまったのが、この悲劇の発端である。

このジャングルジムの作者は、建築のサークルだそうだ。建築は、第三者が強く関わる作品である。だから、お客さんを中に入れたいという気持ちになったのだろう。しかし、ならば、安全対策はもっと強力に取られるべきだったし、主催者もより厳しく監督すべきだった。

もっというと、このレベルの人たちが、子供を作品に介在させるべきではなかった。その結果、誰も予想しない悲惨な体験をさせてしまったのである。

『撰集抄』の電子テキストを公開しました。

松平文庫本『撰集抄』:やたナビTEXT

底本は、古典文庫『撰集抄』上・下(安田孝子他校注・現代思潮社・上 1985年11月 下1987年12月)と同じ、松平文庫本です。例によって、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。おそらく、今読める『撰集抄』のテキストで、もっとも読みやすいものになっていると思います。

『撰集抄』は、西行作に仮託された、仏教説話集です。しかし、そこは〈なりきり西行〉ですので、和歌説話も多く出てきます。とりわけ、巻八は和歌説話がほとんどです。

書写者はかなり分業しているらしく、読みやすい巻もあれば読みにくい巻もありました。そのへんはいずれ書こうと思いますが、それ以上に、読むにしたがい、だんだんつらくなってきました。正直、これほど読んでいて、つらくなった作品はありません。

これもまた、いずれ詳しく書こうと思いますが、僕が『撰集抄』を読んだ感想は、「東証一部上場企業の中間管理職で、定年を迎えたオッサンが、田舎暮らしにあこがれて、房総あたりに引っ越して、そば打ちやってドヤ顔している感じ」とでも言いましょうか。分かりにくい喩えですが、『撰集抄』には、そういうオッサン独特の〈痛さ〉を強く感じます。

『撰集抄』は20代のころ、一度読んでいます。その時はそんなふうには感じませんでした。僕の読みが深くなったのか、自分がオッサンになって、作者〈なりきり西行〉の気持ちが分かるようになったのか、いずれにしても、読んでいてつらく感じるのは、自分の中にも〈なりきり西行〉的なものがあるからでしょう。

この流れで行くと、次は鴨長明の『発心集』か、無住『無明抄』・『雑談集』あたりが順当でしょう。でも、ちょっと隠者文学は食傷気味ですので、全然違うのをやってみたいと思っています。

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