4月14日(土)の国会議事堂前デモに行ってきた。ちょっと賞味期限切れの気がしなくもないが、せっかく行ってきたので、記録という意味で残しておこう。

僕が行ったのは、午後4時近く。桜田門方面から入ったのだが、前半が終わって、帰る人が多数いた。
デモ会場入り口
相変わらず、「どうみても発表の人数より少ない」とか言っている人がいるが、途中で帰る人もいるし、僕のように途中から来る人もいる。憲政記念館の公園で休んでいる人もいるし、もっといえば単なる観光客もいる。そういうことでデモをクサすのは、全く無意味である。

さて、会場に近づくと、誰かが警察の車に押し込まれていた。あわてて近づいてシャッターを切ったが、残念ながらその人は写っていない。あとで、一人公務執行妨害で逮捕されたと、ニュースで聞いた。
逮捕された人
国会前デモで男逮捕 機動隊員の胸押した疑い:毎日新聞
警視庁麹町署は14日、国会議事堂前で開かれた安倍政権に退陣を迫る集会に参加していた30代の男を公務執行妨害容疑で現行犯逮捕した。
 逮捕容疑は同日午後3時45分ごろ、東京都千代田区永田町1の路上で、歩道沿いに置かれたパイプ柵を乗り越えて車道に出ようとした際、制止しようとした機動隊員の胸を押したとしている。「やっていない」と容疑を否認しているという。

すでに歩道が決壊していて、柵が倒されていた。何度でも言うけど、この国会議事堂前の道は、交通に重要な道路ではない。最初から車道でのデモを許可すべきだ。多数の警察官を配備しても抑えきれないほどの人数を歩道に押し込めておくのは、安全面からみてもよくないし、もっと言えば、デモへの弾圧ととられてもしかたがない。
倒された柵
それでもまだ「歩道に出てください」と叫ぶ警察官。並んでいる警官の皆さんには申し訳ないが、ここまで来て出るわけがない。はっきり言って滑稽である。
居並ぶ警察官
前の方で何かがイナバウアーやってた。
イナバウアー
動画でもどうぞ。

後方はこんな感じ。
議事堂から後方を見た所
横から
全体的に見て、安保法案反対デモの時よりは人が少なかった。警察も少なく見えたが、これは決壊した後だからで、僕が行く前はもっと多かったらしい。

蒙求和歌』が一応終わったので、次は何にしようかなーと考えた。

で、この並びで『打聞集』がないのはいかがなものか。ということで・・・。

打聞集:やたナビTEXT

『打聞集』は写本の字が小さく、ものすごく読みにくそうなので、今まで敬遠していた。実際読んでみると、『蒙求和歌』でカタカナに慣れたせいか、意外と普通に読める。漢字に限って言えば、妙な異体字や見たこともない漢字が出てくる『蒙求和歌』よりは、よほど読みやすそうだ。
打聞集

内容的には、『今昔物語集』・『宇治拾遺物語』・『古本説話集』などとかぶっていて、目新しいものはない。その上それらよりも簡単に書かれているのだが、違いがいろいろあって面白そうだ。

例えば、すでにUpした第2話「釈迦如来験の事」の書き出し。

昔、唐に、晋の史弘の時、天竺より僧渡れり。
最初の「唐に」は王朝ではなく、単に中国という意味。で、問題は「晋の史弘」。誰よそれ。

「シンのシコウ」・・・「秦の始皇」・・・始皇帝のことである。

内容的には『今昔物語集』6-1「震旦秦始皇時天竺僧渡語」を簡略化したもので、仏法を伝えに来た天竺僧を、始皇帝が「怪しいやつだ」と獄に幽閉。巨大でビカビカ光る釈迦如来が、ウルトラマンよろしく空から飛んできて、天竺僧を助け、ついでに罪人も逃がすという話。「後漢まで仏法は伝わらなかった」と書いてあるから、誰がどう見ても始皇帝なのだが、なぜか「晋の史弘」。

というわけで、一つよろしくお願いします。

『蒙求和歌』の電子テキストを公開しました。例によって、翻刻部分はパブリックドメイン(CC0)で、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

国立国会図書館本『蒙求和歌』:やたナビTEXT

前に、「小説(文学作品)には読書感想文を書きたくなる作品と、論文を書きたくなる作品がある」と書きましたが(エミリ・ブロンテ『嵐が丘』を読んだ:2010年12月08日)、『蒙求和歌』は後者です。

国立国会図書館本では、漢字片仮名交じりが基本ながら、突然平仮名が混じったり(『蒙求和歌』の漢字片仮名平仮名交じり文:2017年12月07日参照)、ガチガチの漢文になったり、アヤシイ異体字がでてきたり、なかなか謎めいています。おまけに、真名序と仮名序があり、さらに藤原孝範(師匠)・源光行(本人)・藤原定家(たぶん友達)のゴージャスな跋付き。さらに、異本が多く、本文だけでなく歌も違うものがあります。

内容ははっきり言って、あまり面白くありません。中国説話の翻案としては、小品ながら『唐物語』の方がずっと文章がいいし、まとまっていて面白い。『今昔物語集』震旦部みたいな、「典拠のどこをどう読んだらそうなるのか」とツッコミを入れたくなるような、荒唐無稽さもありません。

でも、『蒙求和歌』はきわめてマジメに書かれています。教科書的な用途を想定して書かれたものだと思いますが(荘周は夢中に胡蝶となりし人なり:2018年02月11日参照)、それだけにちゃんと訳そうという意気込みが感じられます。

日本では、平安時代以降、漢籍の入門書として、広く『蒙求』が用いられました。本来『蒙求』とは、四字一句の韻文だけを指すのですが、それでは何を言っているのか分かりません。『蒙求』を読むということは、同時に注を読むことになります。

ところが、この注がクセモノで、今一般に読むことができる『蒙求』(例えば、新釈漢文大系『蒙求』など)は、南宋時代に徐子光によって書かれたもので、平安・鎌倉時代の日本人は読んでいません。彼らが読んでいた『古注蒙求』は、例えば国会図書館蔵本(附音増廣古注蒙求:国立国会図書館デジタルコレクション)などがありますが、通して読むのはちょっときついと思います。

『蒙求和歌』は、もちろん『蒙求』そのものではありません。配列も変わっています。そもそも、251話もあるとはいえ、『蒙求』の596句から比べると半分にも満たない数です。

しかし、これは平安・鎌倉時代の知識人には、知っていて当たり前のエピソードを選んであると思います。平安・鎌倉時代を専門とする方には、ご一読をオススメします。

おかげで、僕もずいぶん勉強になりました。

インラインスケートを試してみた(たぶんその1):2018年03月16日の続き。

あれから、雨の降った日と用事があった日と花見客が多かった時をのぞいて、毎晩のように文庫の森公園(国文学研究資料館跡地)に通って、インラインスケートの練習をしている。どう考えても、国文学研究資料館だったころより行っているのは、我ながらいかがなものかと思う。
K2インラインスケート

インラインスケートとは、上の写真のとおり、車輪(ウィール)が縦に並んでいるローラースケートである。実際やってみると、前に進む、曲がる、止まるぐらいはそれほど難しくない。アイススケートをやったことのある人なら、すぐに滑れるようになるだろう。

一方で、アイススケートと全く違うところもある。エッジがどうのとか、そういう難しい話ではない・・・というか、そんな話はまだできない。

アイススケートのリンクは、なにしろ水で出来ているから坂はない。しかし、世の中そんな平坦な所は存在しない。見て分かるような坂ではなくても、僅かな勾配はどこにでもある。そうなると、インラインスケートは勝手に滑っていく。スケートがスキーになってしまうのである。ある程度出来るようになれば何でもないが、最初はこれが怖い。

もう一つは、舗装されている道でも、意外となめらかな場所は少ないということだ。普段歩いているときには全く気付かなかったが、同じ舗装路でも、やたらとガタガタしているところと、そうでない所がある。当然、なめらかな方が滑りやすい。幸い、国文学研究資料館跡地はコンクリートで舗装されていて、非常に滑りやすい。

だから、最初は場所を捜すのが大変である。田舎ならそんなところはいくらでもありそうだが、都会ではなかなかそんな場所はない。すぐに見つかったのは、ラッキーだった。国文学をやっていてよかった。

肝心の滑り方だが、今はYoutubeを検索すると、沢山の動画が出てくる。まったく、便利な世の中になったものだ。動画をアップしてくれた人にはひたすら感謝である。なかなか動画のようにかっこ良くは滑れないが、普通に滑っているだけでも気持ちがいいし、なんといっても運動不足の解消になる。

インラインスケートを始めて、胃腸の具合もだいぶ良くなった。明日(すでに今日か)から仕事が始まるが、ヒマを見つけて続けていきたい。
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小学生のころ、埼玉県出身の偉人として、塙保己一と渋沢栄一を学校で習った。

塙保己一と渋沢栄一が大変な偉人であることにはいうまでもない。しかし、その"偉さ"は小学生には少々理解するのが難しい。塙保己一の編んだ群書類従は身近ではないし、渋沢栄一は渋沢財閥を作らなかったので、社名に名を残していない。そのころは、何をした人かよく理解できなかったが、名前だけは覚えた。

二松学舎大学の国文学科に入って、塙保己一の編んだ群書類従を使うようになった。渋沢栄一は、かつて二松学舎の舎長だった。意外な所で、縁ができた。

さて、前置きが長くなったが、先日、久しぶりに群馬県在住の師匠と会って、僕を含めた弟子二人とともに、本庄市の塙保己一記念館と、塙保己一生誕の家、墓に行ってきた。

こちらが記念館。入場無料である。
塙保己一記念館
やけに新しいが、それもそのはず、平成27年7月オープンである。場所や開いている日時はこちらをどうぞ。
塙保己一記念館:本庄市
展示物はそれほど多くないが、なかなか興味深いものもある。燭台一点を除いてすべて撮影可。

群書類従の版木。なお、版木のほとんどは温故学会に保存されている。
群書類従版木
和学講談所の印。
和学講談所印

ここから自動車で5分ぐらい行った所に、塙保己一の生家がある。現在も保己一の弟、荻野卯衛門の子孫が暮らしているので、通常は中に入って見ることはできないのだが・・・。
塙保己一生家
塙保己一生家(裏手)

ここで偶然散歩帰りの子孫の方登場。保己一の弟から7代目の子孫に当たる。系図はこちらをどうぞ。

荻野氏・塙氏系図:温故学会

たいへん気さくな方で、いろいろ説明していただき、普段見られない家の中まで見せてもらった。さすがに生活感のある家の中を写すのは憚られたので、写真はナシ。この家、もともと建っていたところから、少し(二メートルぐらい)後方に移動したそうだ。

なにしろ、今時めずらしい茅葺きの日本家屋である。維持するだけでも相当なお金がかかる。ちょっとした改修でも億単位のお金がかかるそうだ。文化財なのでお金は自治体から出るが、反面、勝手な改築やリフォームはできない。

庭には生誕の地の石碑がある。
塙保己一生誕の地石碑
生家の裏手に、塙保己一公園なる小さな公園がある。
塙保己一公園
ここに、塙保己一の墓がある。塙保己一の墓は東京都新宿区の愛染院にもあって、分骨されたようだ。
塙保己一墓
塙保己一墓(碑文)
碑文は次のとおり。
和学院殿心眼智光大居士
うき島か原にて
言の葉のおよはぬ身には目に見ぬも
なかなかよしや雪のふしの嶺 保己一

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河野太郎外務大臣の名状しがたい篆書のようなものが話題になっている。
河野太郎外相「一度見たら忘れない」書体 G20事務局発足で看板披露:産経ニュース
河野太郎の書

篆書の筆遣いをしておらず、字形も篆書らしさがない。一度もまともに篆書を書いたことのない人の字なのは間違いないのだが、それ以外にもいくつか気になる点がある。

1.片仮名
「サミット」は片仮名で書かれている。平仮名や片仮名は、漢字とは別の文字である。したがって平仮名や片仮名の篆書というのは存在しない。通常篆書と仮名を組み合わせることはないが、どうしても組み合わせなければならない場合、漢字と違和感がないように組み合わせなければならない。

河野大臣の片仮名を見ると、「サ」や「ツ」「ト」の最終画に、篆書に寄せようとする工夫が見られる。それが成功しているとは思えない(これならそのまま書いた方がいい)のは、河野氏が篆書を理解していないからだが、それならば、この工夫はどこから来るのか。

2.「事」の筆順
篆書にきまった筆順はない。だが、人間どうしても書き慣れた楷書の筆順に近いものなる。特に、「事」のような、楷書とほとんど同じ字形であれば、なおさらだ。

ところが、どうも縦画の直前のヨの筆順がおかしい(下図参照)。
比較
指導する人がいたり、手書きの文字をお手本にしたりしたのなら、こういうことは起きないだろう。

3.「務」の「力」
筆遣いはともかく、字形的にはほとんど合っている。しかし、「務」の力がなぜか楷書の字形になっている。本来の字形(『説文解字』の小篆)はこうなる。
務
4.「局」の「口」
篆書を勉強した人なら、いちばん違和感を持つのが、「局」の口だろう。篆書で口を書く場合、上に二本ツノが出るのが普通である。
局

河野大臣の書き方では、口がひっくり返っているように見える。書道の先生がお手本を書いた場合、このように書くことはまずありえない。

このような書き方は印相体という、開運印鑑屋がでっち上げた書体に見られるらしい。


以上をまとめると、この文字は書家が指導したものではなく、おそらくフォント等を参考にして書いたものだろう。フォントなら平仮名・片仮名も篆書的にデザインされているはずだ。片仮名最終画の妙なくねりはそれを感じさせる。

それでは、なぜ普段使っている楷書や行書で書かなかったのだろうか。インパクト重視なら、インパクトのある楷書なり行書なりを書けばよいだけだ。おそらく、楷書や行書によほど自信がないから、上手いのか下手なのか分からない(一般的には)奇妙な書体で書いたのだろう。ようするにハッタリである。

ハッタリ書道というと、小泉元総理を思い出す。小泉元総理は書くスピードが異常に早く、自分の字で書いていた。全く上手いとは思えないが、文句を言わせないハッタリ感があって、それがいかにも小泉氏らしさをだしていた。

河野氏の書は、向いている方向は小泉元首相と同じだが、結局何らかのお手本、それもフォントのような安直なものを見ていて、まともに勉強していない。まあ、そういう人間なのだろう。
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今月は森友学園の文書改竄問題と佐川氏の証人喚問でほぼもちきりだった。これに関するデモも続いており、3月15日には僕も行ってきた(森友文書改ざん問題の抗議デモに行ってきた:2018年03月15日)。

一方で、北朝鮮情勢が一気に動き始め、先日25〜28日には、金正恩朝鮮労働党委員長と夫人が訪中し、習近平国家主席との会談があった。4月には文在寅大統領と、5月にはトランプ大統領と会談する予定である。さらに、経済ではアメリカが貿易戦争を仕掛けてきて、世界が大きく動きそうな勢いだ。このような状況の中、森友学園問題なんかに関わっている場合ではない・・・という意見も、心情的には分からなくはない。

だが、日本が民主主義を標榜する以上、文書改竄問題は、現在の世界情勢よりも優先すべき、遥かに大きい問題である。

どのような政治が行われるかは、国会での審議を通して決められる。その判断の材料になる文書が、政権に都合のいいように書き換えられていたのである。これでは、まともに審議はできない。

日本人はブランド好きが多く、そういう人は、一度確立されたブランドの信用が多少損なわれる事態があっても、まだそのブランドを信用する。この場合、行政のブランドが損なわれたわけだが、ブランド好きの人は過小に評価する。

しかし、世界中の常識的な人はそうは考えない。何しろ、国会に提出する書類を書き換えていたわけだから、ここで日本政府のブランドは信用できなくなる。これは森友学園問題に限ったことではなく、日本の政府はどれも同じようなことをしているのではないかと考える。もし、これがこのまま有耶無耶になるなら、日本は民主主義ではないということが明らかになるわけだ。

文書の改竄というのは、それほど大きな問題なのである。改竄が行われたのは間違いない事実で、それが現在の政権に都合がいいように行われたのも事実である。最低限、誰が何のためにやったのかをはっきりさせ、しかるべき人物に責任をとらせ、二度と起こらないようにするための対策をしなければ、信用は取り戻せないだろう。
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あまりに毎年恒例なので、たぶん一度もこのブログでは書いていないと思うんだけど、昨日、目黒川に花見に行った。

それにしても目黒川の桜、昔は地元民か付近の会社・学校に通っている人ぐらいしかいなかった。昨今はテレビでも取りあげられるようになり、昔と比較にならないほど花見客が増えた。僕が行ったのは、平日(火曜日)の昼間である。さすがに、お年寄りが多く、それに加えて大学生ぐらいの若者と外国人が多い。
目黒川(花見の人)
さて、単なる目黒川の桜の写真なんか、インスタグラムあたりでいくらでも見られると思うので、久しぶりに壁紙サイズにしてみた。
目黒川の桜(1280x1024)
目黒川の桜(1280x1024)
目黒川の桜(1366x768)
目黒川の桜(1920×1080)

すでにかなり散っている。目黒川の桜は、花びらが散って川面に浮いているのが一番きれいだと思っている。
川面に落ちる花びら(1280x1024)
川面に落ちる花びら(1280x1024)
川面に落ちる花びら(1366x768)
川面に落ちる花びら(1920×1080)

こちらは、行く途中に通った禿坂(かむろざか)の桜。禿坂という変わった名前の由来は、こちらをどうぞ。
かむろ坂:品川区
禿坂の桜(1280×1024)

禿坂の桜(1280x1024)
禿坂の桜(1366x768)
禿坂の桜(1920×1080)

祖父が他界した日、ここの桜がちょうど満開になった。僕はこの桜を横目に、病院へ走っていったのだった。それは、目黒不動尊の縁日の日だったから、よく覚えている。18年前の今日、3月28日である。
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散歩していたら、武蔵小山駅の駅ビルに、なんだかやたらとお高いプリンが売っていたので、買ってみた。「侍のプリン ザ・プレミアム」という名前で、お値段は一個693円。札幌の店らしい。

プリン本舗

袋はこんな感じ。侍・・・というか浪人が「買いましたね」とか言っている。うん、買ったよ。ところで、酒森すすむって誰?
プリン本舗紙袋(侍)
袋の裏側。なんかよくわからん五箇条の御誓文なるものが・・・。賞味期限当日がうまいと書いてあるが、買ってすぐ食べてしまった。
プリン本舗紙袋(五箇条の御誓文)
中身はワンカップ大関みたいなガラスのコップに入っている。大きさもほぼワンカップと同じぐらいで、食べ出がある。高いプリンにありがちな、「美味しいけど、ちょっとものたりない」ということはない。
侍のプリンプレミアム
侍のプリンプレミアム(上から)
さて食べてみた。

思いの外うまかった。

流行りのとろとろタイプではなく、ちょっと固め。僕はとろとろのプリンがあまり好きではないので、こっちの方がいい。プレミアムというだけあって濃厚で、バニラビーンズが効いている。甘さは、やたらと甘くなくちょうどいい塩梅。

例の「五箇条の御誓文」に「ほろにがカラメル」と書いてあるが、これが本当に苦くて美味しい。底の方に溜まっているので、最初のうちに発掘しておくとおいしく食べられる。

というわけで、食べたい人は武蔵小山駅か札幌の店舗か通販でどうぞ。

侍のプリン ザ・プレミアム:プリン本舗オンラインショッピング
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大喜利そのものは、笑点以前からあったが、座布団を重ねるのは笑点が初めだそうだ。今では笑点といえば大喜利、大喜利といえば座布団となっている。

しかし、このシステム、誰が考えたかは、諸説あってよく分かっていないらしい。笑点の初代司会者で企画者でもある立川談志が考えたとも、当時の日本テレビチーフプロデューサー小暮美雄氏が考えたとも言われているが、確固たる証拠はないようだ。

「山田くんの座布団、実は自前説」不確かな「笑点」50年目トリビアを追う:exciteニュース
さて、この座布団をあげるシステム、誰が考えたのかがはっきりしていない。『金曜夜席』のプロデューサーだった小暮美雄氏が「寄席で演者ごとに座布団を裏返す所作にヒントを得た」というのがスタッフの間では通説。一方、大喜利をメインに構成したのは談志のアイデアであり、座布団のシステムも談志は「自ら考えた」と語っていたそうだ。
座布団を裏返す所作と、積み重ねる所作にはずいぶん開きがあるように思えるが、『蒙求和歌』に、どう考えても大喜利の座布団の由来としか思えない説話を見つけた。
『蒙求和歌』第14第16話 戴馮重席:やたナビTEXT
おほやけ、正旦の朝賀に、文道に賢き人を抜き出でて、召し合はせて、論談をなして、試みらるるに、負けたる人の筵取りて、勝ちたる人の筵に重ねられけり。

元旦の朝賀のとき、帝が賢人を集めて論談をさせた。負けた人の筵を取り上げて、勝った人の筵に重ねるルールだったが、戴馮は五十余枚を重ね、人々を目を驚かせた。

『蒙求和歌』なので、いうまでもなく典拠は『蒙求』だが、さらにもとをたどると、『後漢書』儒林列伝である。こちらは「戴馮」ではなく「戴憑」になっている(古注蒙求も「戴憑」とするものが多い)が、内容は同じ。
正旦朝賀,百僚畢会,帝令群臣能説経者更相難詰,義有不通,輒奪其席以益通者,憑遂重坐五十余席。
おそらく、大喜利のように何人も並んで問答したのではなく、一対一で論談し、負けた方の筵(むしろ。蒙求・後漢書では席だが、意味は筵)を勝った方が取ったのだろう。

これが本当に由来かどうか分からないが、『蒙求』にあるのなら、そこそこ知られていた話だろうから、談志なり小暮氏なりが知っていたとしても不思議ではない。全く無関係だとしても、漢代の皇帝と現代の日本人が同じことを考えるというのは、なかなか面白いことである。
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