2012年02月11日

プチブルは貧乏人に搾取される

思考実験だそうなので、思考してみる。

「搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ」:togetter

ここで、俎上に上げられている人の意見はリンク先を見てもらえれば分かる。かいつまんで言えば、働かない人に生活保護なんかやらんでいい、選挙権もあたえんでいいという考え方である。

それについては、世間知ってると思い込んでいる世間知らずの言いそうなことなので、別に言うことはない。世間を知ってもらうまで待つしかない。永久に知らないかもしれないけど。

僕が面白いなと思ったのは、生活保護などの弱者救済を「搾取」と捉えているということである。togetterのタイトルがこうなっているからには、まとめた人もそう思ったのだろう。

もとのTweetにはこうある。

あと、搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ、多分。年金にせよ老人医療費にせよ生活保護にせよ。「俺の金を他に使うな」ってのが身も蓋もない本音でしょうね。

「搾取」というのは文字通り搾り取るという意味だが、経済用語として使ったマルクス経済学のタームとして使われる。端的にいえば、本来労働者が賃金としてもらわなければならないはずのお金を、労働者でない人(資本家などのブルジョア)がピンハネするという意味である。

例えば、先日僕は株の配当金をもらったのだが、配当金は株を発行している会社の儲けから、人件費を含む諸経費やら原料費やらを差っ引いた残りを、株を持っている人に所有する株式の数に応じて分配するものである。しかし、僕はその会社では働いていない。単に金を出して株を買っただけである。

これを搾取という。浦安方面の労働者諸君、僕のためにせいぜい働いてくれたまえ。僕は影ながら応援しています。

僕が〈搾取〉している金額なんてたかが知れているが、世の中には〈搾取〉だけで暮らしていける人もたくさんいる。それがいわゆるブルジョアジーで、前の前の総理大臣の家なんかがそうだ。

搾取という言葉を使うなら、そこに矛先が向うのが普通だろう。だが、この人の矛だか鑓だかは、なぜだか生活保護受給者、すなわち貧乏人の方へ向いている。

これはとても不思議な感覚だが、よくよく考えてみると共通点はある。それは、どちらも労働の対価ではないお金をもらっているという点である。働かない奴(働けない奴も含む)が金をもらうのは許せん!ということで、「許せん!」の対象が上に向いているか下に向いているかが違うだけだ。

上のTweetを見ると、再三自分のことをアッパーミドルであると言っている。アッパーミドルとは左翼用語でいうプチブル(プチブルジョア)と言い換えることができるだろう。

本物のブルジョアは搾取はするが、鑓を向けることもない。なにしろ労働者諸君はせっせと働いて自分たちを食わせてくれるのである。ところがプチが付くと様相が変わってくる。プチブルはプチとはいえブルだから、不満があってもブルジョアに鑓は向けられない。むしろブルジョアになりたいと思っている。

しかし、生活はプロレタリアートのそれとなんら変わらない。さらに今の情勢では自分はブルジョアになれないと思っているから不満だけはたまる。不満の矛先は上には向けられないから下に向くのである。

生活保護受給者に搾取されるなんて、言葉だけ見ても矛盾以外の何物でもないのだが、その矛盾に気づかないほど、焦燥と不安があるということだろう。  
Posted by yatanavi at 15:44Comments(1)TrackBack(0)賢い消費者

2012年02月05日

郭沫若『歴史小品』を読んだ

前のエントリで、岩波書店をくさしたので、お詫びに本の紹介を。

郭沫若『歴史小品』(平岡武夫訳・岩波文庫)を読んだ。先日のシグマ書房閉店セールで買ってきた本である。



内容は『歴史小品』という題名の通り、中国古代史に登場する人物を題材にした、八編からなる短編小説集である。出版されたのは1936年。

取り上げられている人物は、老子・荘子・孔子・孟子・始皇帝・項羽・司馬遷・賈長沙の八人で、この順番に並べられている。

後半(賈長沙はよくわかんないけど)は歴史小説によく出てくる人物だが、前半の老子から孟子まではなかなか小説では見ない人物である。

とりわけ最初の老子は伝自体が少なく、実在すら疑われてすらいる。『史記』に描かれる老子は、国が衰えたのを機に周を去り、函谷関で関令の尹喜に会い、尹喜の求めに応じて『老子道徳経』を書き、どこへともなく去ったという。

『歴史小品』の第一話「老子函谷関に帰る」では、函谷関から消えた後の老子を描く。

老子は砂漠をさまよった後、再び函谷関に帰って、尹喜に再会する。尹喜は尊敬する老子に再会できたことを喜ぶが、老子は過酷な旅の間に考えが変わり、それまで自分が言ったことをすべて否定し、尹喜の持っていた『老子道徳経』を取り上げ去って行く。

得体のしれない聖人、老子が妙に人間的な人物になっているのである。それに呼応するように尹喜も俗物になり老子を罵る。

一歩間違えるとパロディか何かになってしまうが、そこは郭沫若先生。フィクション以外の部分はしっかり資料に基づいて書かれているので、そういうこともあったのかなという気にさせられる。

たぶん、老子が一番最初になっているのは、これがフィクションであることを明確にするためだろう。もし注釈がなかったら、僕のように中国古代史に暗いものには、どこからどこまでが創作か分からない。

荘子以下も中国古代史の聖人・英雄といわれるような人の、人間的な弱さを描く。荘子は友情の浅さを嘆き、孔子は自分の威厳が保たれたことを安堵し、孟子は妻との別れを惜しむのである。

これが森鴎外のいう「歴史離れ」なのだなと思った。郭沫若の思想とか、政治的背景とかいろいろありそうだが、単純に歴史小説として面白かった。  
Posted by yatanavi at 23:06Comments(0)TrackBack(0)

2012年02月03日

岩波書店のコネ入社

岩波書店が新入社員の応募条件を「コネのある人」にしたそうだ。

応募条件「コネのある人」宣言 岩波書店が縁故採用:47News
応募資格は“コネ”のある人―。老舗出版社の岩波書店(東京)が、2013年度定期採用で、応募条件として「岩波書店(から出版した)著者の紹介状あるいは社員の紹介があること」を掲げ、事実上、縁故採用に限る方針を示したことが2日分かった。


採用される側からすれば、どうせ言わなくってもコネなんだから、はっきり言った方がマシということになる。そういう点でいえば、岩波書店は良心的といえるだろう。

もともと出版社なんてコネ採用が多かったから、コネが条件になってるなんてことは驚くに値しない。驚くのはそれを会社が明言したことである。

コネにはいい面もある。新入社員なんて山の物とも海の物ともつかない人間だが、コネクションによって保証をつけることになる。社員の紹介で入った新入社員の不祥事は、少なからず紹介した社員の責任にもなる。出世にかかわるどころか、下手すると会社にいられない事態になりかねない。

その上、紹介状を書いたとしても、面倒なだけで紹介した人には何の得もならない。社員は簡単には紹介状を書かないだろう。著者にしても同じことで、岩波書店は一種のステータスになっているから、大江健三郎クラスの大家でないかぎり、わけのわからない奴を紹介して、岩波から本が出せなくなることを恐れるはずだ。

はてブなんかでは、「人脈を作るのも仕事のうち」とかいっている人がいるが、ちょっとやそっとの人脈では紹介してくれないだろう。逆に言うと、コネで来る人は、仕事ができるかどうかは分からないがとりあえず安心できる人物だということになる。

しかし、最初からコネが必要となれば、コネのない優秀な人は来なくなる。つまり、コネのない人を締め出すことは、初めからいい社員を取る機会を放棄しているのである。もっとわかりやすく言えば成長する気がない企業とみていいだろう。

だから実際にはほとんどコネで採っていても、普通そうは言わない。これを堂々と言っちゃうなんて、さすがは天下の岩波書店である。  

2012年02月01日

懐かし玩具(ベーゴマ)

なんだか字ばっかりのエントリが続いたので、今日は写真主体で。

前にも書いたが、昔はおもちゃ屋はハレの日行くもので、日常のおもちゃは文房具屋で買うものだった。特に子供に人気があったのが、ベーゴマである。

ベーゴマ


もともとバイ貝に砂を入れて独楽にしたのがベーゴマの由来で、裏を見るとたしかに螺旋状の模様が付いている。

ベーゴマ(裏)


表はこんな感じ。なぜかアルファベットが鋳込まれている。

ベーゴマ(表)


普通の独楽のように芯が付いていないので、結び目を二つ作り、とがった部分にひっかけて紐を巻く。
回し方、遊び方などは次のページが詳しいので参照してほしい。

特集 ベーゴマで遊ぼう!基本編:galiton

写真のベーゴマは比較的小さなもので、もっと大きいものも店にあった。10年ぐらい前に大人が全部まとめて買っていったように記憶している。それには、「大鵬」とかの(他のは忘れた)相撲取りの名前が鋳込まれていた。「長嶋」など野球選手の名前のものもあったらしい。

大きさが違うと、大きい方が有利になって、勝負にならないように思えるが、必ずしもそうでもない。テクニック次第でどうにでもなるし、改造して背を低くして、小さい方を大きい方の下に潜り込ませるようにして勝つという方法もある。

勝つのに解法はない。昔の遊びは技術を磨かなければならないし、頭も使わなければならなかったのである。今は金をかければ強いアイテムが買えるらしいが、遊びとしては実にくだらない。

なんて、知ったかぶっているが、実はベーゴマで遊んだことがない。すべて三友亭先生に教えてもらったことである。  
Posted by yatanavi at 23:48Comments(4)TrackBack(0)おもちゃと文具

2012年01月31日

2012年1月の総括

毎年、正月明けの書道の授業では、今年の目標・抱負を書けというのをやる。

生徒に出した課題は基本的に自分でもやる(書道のみ。国語はやらない)主義なので、僕も書いてみた。

「勉強する」

で、一月が終わったわけだが・・・

二月から本気出す。  
Posted by yatanavi at 22:18Comments(2)TrackBack(0)今月の総括

2012年01月27日

この「いじめ対策」はすごくない

すべての教育論は机上の空論である。実際の教育現場でそのまま使えるものはほとんどない。

なぜなら、生徒も先生も人間だからである。人間は置かれている時代・地域その他の環境によって千差万別だ。どんな相手でも、どんな先生でも運用でき、効果の高い、画期的な教育方法なんてものは存在しない。

机上の空論だから意味が無いというつもりはない。方法を提示することはヒントになるし、それを検討することには意味がある。そこからより現場にあった効果的な方法が発見できるかもしれないからだ。

しかし、原則として机上の空論だということだけは忘れてはいけない。例えば、次の例はどうか。なお、引用は元記事筆者の意見を削除してある。

2009-05-20 この「いじめ対策」はすごい!:森口朗公式ブログ
1 いじめの認知は、本人、親、友人の誰からの報告であっても「この事態を心配している人から報告があった」で統一する。
2 必ず、一人の教員ではなくチームで対応する。
3 複数の加害者(大抵そうです)と複数の教員が別部屋で1対1で対応する。
4 15分後に部屋に加害者を残して教員が集合し、情報交換・矛盾点の分析を行う。
5 3・4を繰り返し追求することで、加害者に「いじめの事実」を認定させる。
6 事実を認めた加害者に対し「泣くまで」反省を迫る。
7 いじめの事実を認め、「泣くまで」反省した加害者は、通常、被害者に謝りたくなるのですが、すぐに謝らせることはしない。
8 少なくとも一週間の時間を置いて、加害者に謝ることを許す。
9 保護者を交えて、いじめの事実を報告する。


一見、よくできたシナリオに見える。だから、なんだか感動しちゃっている人たちがいる(この「いじめ対策」はすごい! - 森口朗公式ブログ:はてなブックマーク)が、この方法の一番の問題は、シナリオとして完成していることである。

まず1〜3まではいいだろう。これで参考になるのはここまで。

4の情報交換・矛盾点の分析から、いじめの真相が見えてくるだろうか。現実的には、見えてくる場合もあるだろうし、見えない場合もあるだろう。真相が見えなかったときの処理をどうするかが考えられていない。

4が一番大事なのに、そこが考えられていないから5以降がおかしくなってくる。

仮に4に失敗すれば、5は冤罪になる。冤罪なら、絶対に認めない子供もいるだろうし、冤罪なのに面倒くさいから認める子供もいるだろう。逆に冤罪でなかったとしても、自分のやったことが正しいと思い絶対に認めない子供もいる。

大人の世界を考えればすぐにわかることだ。痴漢の濡れ衣を着せられたが認めてしまった人や、確信犯で絶対に罪を認めない人、そんな人はいくらでもいる。

こうなると、6以下がもう検討に値しないことが分かる。6以下はすべて3が適切に行われているのが前提の、いわば処罰である。

教育的な処罰は、この場合いじめの真犯人で、なおかつ反省していないと意味がない。3がうまくいかないまま6以下に進めば、子供の心に深い傷を負わせることになるだろう。

最初にこれがシナリオと書いたが、シナリオには演者がいて、シナリオどおり演じることで劇が成立する。上の〈すごい〉方法を読むと、なにやら学園ドラマのワンシーンが思い浮かぶだろう。奇しくも元のブログに、反省をせまるときに「刑事ドラマのカツ丼」が必要と書いているが、これがドラマのシナリオに過ぎないことを露呈させている。

このシナリオの一番の問題点は、子供をキャストに含めてしまっているところだ。先生はシナリオ通り演じられても、子供はそう都合よく演じてくれはしないのである。  

2012年01月21日

マナーがなっていないマクドナルド

マナー違反で関学生を“出入り禁止”? マクド側は困惑:MSN産経
 関西学院大西宮上ケ原キャンパス(兵庫県西宮市)近くにある大手ハンバーガーチェーン「マクドナルド」甲東園駅前店が、学生のマナーが悪いとして同大に対応を求めたところ、大学側は「関学生の出入りが禁止された」と、学生に通知したことが18日、分かった。日本マクドナルドは、対応を求めたことは認めながらも「出入り禁止とまでは言っていない」と困惑している。
 関係者によると、店長が「学生が試験勉強をするために店内を占拠し、飲食物を持ち込んだりする」と、16日に同大に相談した。


つい学生のマナーがとか言いたくなっちゃうかもしれないけど、よく考えたらちょっとおかしくないか。

もちろん、飲食物の持ち込みに関しては学生に問題がある。これを禁止するのは正当なことだし、教育的見地から大学に指導を要請するのもいいだろう。しかし、「学生が試験勉強をするために店内を占拠し」長居することは何が問題なんだろう。

たとえば、このマクドナルドが時間制だったら、たしかに問題だ。だが、そんなマクドナルドは見たことがない。たぶん、甲東園駅前店にもそんなことは書いていなかったろう。

だとしたら、どれだけいてもいいということになる。

学生からすれば、他の客と同じお金を払い、同じ権利を有している。時間制でない以上、何時間いてもいい権利があるのだ。

他の客からしても、高歌放吟するとか、絡んでくるなら迷惑だろうが、静かに勉強していて何の問題があるだろうか。席が無かったら別の店に行けばいいだけで、そんなことはどこでもあることだ。

迷惑だと思っているのは、回転率が下がり、利益が下がる店の方だろう。

おそらくこの店は、普段、学生たちから多くの利益を上げている。だから「出入り禁止とまでは言っていない」となる。しかし「普段は来てください」「試験期間中は来ないでください(もくしは、さっさと帰ってください)」こんな都合のいい商売が許されると思っているのだろうか。

客を差別しないのは、商売として最低限まもるべきことである。試験期間の回転率を上げたければ、時間制限をして、関学生だけでなく、誰であっても、1時間とか2時間とかしかいられないようにすればいい。

もちろん、そういうルールは店が運用することで、大学は関係ない。大学に苦情を言うこと自体がお門違いなのである。

マナーがなっていないのはマクドナルドの方である。関学生はこんな店、金輪際行かないようにした方がいいね。  
Posted by yatanavi at 18:15Comments(4)TrackBack(0)賢い消費者

2012年01月19日

ネジまがる

授業で小さなヒートンが必要になって―そもそも授業でヒートンが必要になること自体奇妙なのだが―看板に「ネジなら何でもそろっている店」と書いてある店に入った。

さすが何でもそろっている店だけあって、店中ネジの箱だらけで、どこにヒートンがあるんだかさっぱりわからない。店の主人に聞くと「ヒートンは大きいのしかないね〜。駅前の100均に行ってよ」という。ネジなら何でもそろっている筈なのに。この辺から何かがおかしくなったらしい。

自分の家の近所になる、100円ショップには無かったのを確認していたので、望み薄だったがとりあえず駅へ向かった。

途中、住宅街の路地を歩いていると、前方から朗々と歌う声が聞こえた。

「私のお墓の〜前で〜 泣かないでください〜」

むちゃくちゃ上手い。まるでプロの声楽家のようだ。

一体、どんな人が歌っているのだろうとおもっていると、どう見てもホームレスみたいなオッサンが(たぶん本当にホームレス)こちらへ来るではないか。無表情で歌いながら、結構な速足で微妙にジグザグに歩いている。酔っぱらっている風ではなく、いかにもヤバい雰囲気を醸し出している。

路地は幅員2メートルほどしかない。ぶつかるかも!

一瞬恐怖を感じたが、オッサンは僕なんか目に入らない様子で、通り過ぎて行った。もちろん、「千の風になって」を歌いながら。

しばらく歩いて今度は国道の広い交差点にでた。すると今度は大音量の音楽が聞こえてきた。聞き覚えのある演歌だが、カラオケなので歌詞がない。サビの部分になってやっと思い出した。

「決めた〜。決めた〜。おまえとみちづれに〜」

牧村美枝子の「みちづれ」である。そして、「みちづれに〜」と同時に音源が姿を現した。

右翼の街宣車!

RVを改造した、小型の街宣車。運転しているのは軍服を着たいかついオッサンで、あきらかに「みちづれ」をくちずさんでいる。

街宣車と「みちづれ」のミスマッチが妙に怖い。一体誰をみちづれにするつもりなんだろう。

そんなこんなで、駅前の100円ショップに到着。探していたヒートンがあった。さすが「ネジなら何でもそろっている店」の店長である。  
Posted by yatanavi at 02:02Comments(0)TrackBack(0)日常

2012年01月17日

シグマ書房閉店セール

誰にも思い出の本屋はあるだろう。僕の場合、武蔵小山のシグマ書房はその一つである。

そういう書店の多くが閉店してしまったが、シグマ書房は今も営業している。だから、正確には記憶の彼方にある思い出の本屋ではない。しかし、近いうちに思い出の本屋になることになった。

この本屋ができたのは、僕が小学生のころだったように記憶している。武蔵小山には祖父母の家があり、そこに行ったときにはかならずパルム商店街(当時はそんな名前はなかったけど)を歩いた。埼玉の小さな町に住む僕にとって、パルム商店街は地元のチンケな(失礼!)商店街とは比較にならない楽しいところだったのだ。

シグマ書房と「ささや」というおもちゃ屋が僕の巡回ルートだった。シグマ書房はパルム商店街の奥の方にある。ちなみに、今僕が住んでいるところは、その祖父母の家よりもシグマ書房に近い。

不思議な本屋で、それほど広くないのに、妙にマニアックな本があるかと思うと、ごく普通の本もある。陳列の仕方もうまく表現できないが独特だった。ご主人の趣味が多分に出ているのだろう。

おまけに、なぜだかときどきお釣りをまけてくれる。古本屋ならそういう店があっても不思議じゃないが、ここは近年古書も売るようになったものの、新刊書を売るのが本業である。

今日、買い物があってパルム商店街を歩いていたら、いつもはほとんど人がいないシグマ書房の前に人だかりができている。何だろうと思って見てみると、入り口に貼り紙がしてあった。

【文庫本】
1冊 100円
5冊 300円
10冊 500円

【単行本】
1冊・・・

文庫本だけでなく、単行本や新書、和書だけでなく洋書も、そしてなぜか板本までとんでもない値段で売っている。どれも、むちゃくちゃな値段である。

どうやら店を閉めるらしい。すでに奥の書架は空になっている。

普通、本は返品ができるものなので、閉店しても送り返せばいいだけだが、この本屋は買い取り制の岩波文庫(講談社学術文庫もあったけど、買い取りなのかな?)を多く置いていたので、この文庫本には新刊本がたくさん含まれている。

時代の流れとはいえ、子供の頃から親しんでいるこの店がなくなるのはとても寂しい。しかも、現在祖母の文具店も閉店で在庫処分している最中である。大事な「店」が二つ同時に消える感覚は、ちょっと言葉に表せない。

岩波文庫の黄帯を中心に15冊買った。これで800円。もっと買いたかったが、別の用事があったので、これぐらいにしておいた。

聞くとシグマ書房の閉店セールは今週いっぱいやるそうだ。時間があったらもう一度見に行ってみようと思う。  
Posted by yatanavi at 21:48Comments(0)TrackBack(0)

2012年01月10日

パナソニックのドアモニを試してみた

ドアモニなんてなんだか、AKB48に対抗して作ったモーニング娘のユニットみたいな名前だが、ドアモニターの略である。

僕が住んでいるマンションは築年数が古く、入り口から誰でも中に入ることができる。その上、ドアチャイムは付いているが、インターホンやモニターが付いていない。

チャイムがなったらのぞき穴から見るのだが、これはよく見えないし、来てほしくない(セールスとか)奴は、立つ場所を心得ていて、そこに立たれるとほとんど見えなくなってしまう。

やむなく、「どちら様ですか?」とか聞くが、僕のマンションは廊下が幹線道路に面しているので、かなり大声を出してもうるさくて聞こえないらしい(または聞こえないふりをしている)。オマケに平日の昼間に来る宅配業者なんぞは、初めからいないものと思っているのか、たいして待ちもせずに帰ってしまう。

そんなわけで、以前からインターホンを付けようと思っていたのだが、意外に値段が高い上に、賃貸なのであまり大工事はしたくない。何か手軽なのはないかと思って探していたら見つけたのがコレ。

ドアモニター:Panasonic



簡単に言うと、ドアの外を室内の液晶モニターで見られるというものである。そんなのはいくらでもあるが、取り付けが簡単なのが特徴だ。

ドアの形状に条件があるものの、両面テープと付属の六角レンチ一本で簡単に取り付けられ、ワイヤレスなので配線の心配がない。僕の場合10分ほどで取り付けることができた。

ドアモニにはVL-SDM100とVL-SDM200の二種類がある。VL-SDM100の方は外が見られるモニターだけの機能しかなく、モニターはACアダプタに繋がっている。VL-SDM200はインターホンの機能や録画機能があり、モニターが充電式のワイヤレスで複数にすることもできる。差額は10000円ぐらい。

この商品を買う人は、比較的狭いアパートの独り暮らしが多いだろうし、今時インターホンがないアパート・マンションも少ないだろうから、大抵の場合VL-SDM100で十分だろう。

僕の家の場合、インターホンがないので、その機能が付いているVL-SDM200の方を買った。

これが、ドアモニのカメラ部分。上の黒い部分がドアの外で、白い部分がドアの内側になる。ドアを跨ぐように取り付けるので、ドアの形状(こちらを参照)条件がある。

ドアモニ(カメラ)


写真だとずいぶん大きく感じるが、実際に取り付けてみるとそれほど目立たない。

ドアモニ(外)


内側はこんな感じ。ここに単三電池4本が入り、説明書によると6か月もつそうだ。電池の交換はここに取り付けたまま行える。
ドアモニ(内)


モニターの方はこちら。この写真ではよく分からないが、携帯電話の充電器のようなものの上に乗っている。VL-SDM200の場合(VL-SDM100はコンセントと直結する)、これが親機になっている。最初それを知らなかったので、充電が終わってコンセントを抜いたら通信されなくなってしまい故障かと思った。

ドアモニ(モニター)


モニターの大きさは片手で握れるぐらい。

ドアチャイムがなったら「モニター」と書かれているボタンを押すと20秒間画像が現れる。VL-SDM200なので、同時に外の音が聞こえ、「押しながら話す」というボタンを押しながら話すと、外のカメラ部分から音声が出る。

画像は鮮明(自動的に感度が上がるらしく夜間は白黒になる)で、画角も広い(120度)ので、ドアから外れたところに立たれてもちゃんと見える。

ちょっと残念なのは、ボタンを押してから画像がでるまで3秒ほどのタイムラグがあることと、外のカメラが上に付いているため、外の人には音声が聞こえにくい(あと、上から声がでてきてびびる)ことぐらいだろうか。

監視カメラではないので、一定の時間で写真を撮るという機能はないが、ドアののぞき穴に比べたら格段によく見えるので、セキュリティに少々難のある集合住宅に住んでいる人にはストロングバイ。  
Posted by yatanavi at 15:15Comments(0)TrackBack(0)試してみた