祖母の家を片付けていたら、避難訓練のときの記念品がいくつかでてきた。品川区の避難訓練に出ると、ロウソクやアルファ化米など、非常時に必要なものが粗品にもらえたらしい。その中に、三角巾があった。中身は何の変哲もない白い布を、三角形に切っただけのものである

三角巾など、非常時にどう使うのかと思われるかもしれないが、三角巾は怪我をしたときに便利とされていた。三角巾が入っていた封筒の裏には、使い方が書いてあった。
三角巾の使い方

表はこんな感じ。
粗品
ん?
全身包めます
三角巾が18枚あれば、全身を包めるそうだが・・・。
そんな状態になったら、もう死んでるだろ。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

子供の頃、僕にとって崎陽軒のシウマイは、CMでは見るものの、食べたことがない未知の食べ物だった。あの「おいしいシューマイ、崎陽軒」という耳について離れないフレーズは、何かものすごくうまいものを予感させた。

シューマイ自体は近所の惣菜屋でもスーパーでも、どこにでもある。しかし、テレビやラジオでコマーシャルしているシューマイは崎陽軒以外に聞いたことがない。当時、リンリンランラン留園だの、萬珍樓だの、中華料理店でCMを流しているところはあったが、崎陽軒のCMはそれよりもずっと頻度が高かった。これがまずいわけがない。

その後、誰かと横浜へ行って、どこで食べるかという話になって、僕が「崎陽軒に行きたい」というと、なぜか一笑に付された。崎陽軒のシウマイが折り詰め弁当専業であることを知らなかったのだ。横浜のどこかに店舗があって、そこで作りたてのシューマイが食えるのだと思っていたのである。

そんなわけで、僕が初めて崎陽軒のシューマイを食べたのは、20代後半である。あの憧れのシウマイを食べた感想は、・・・・まずくはない。まずくはないが、はっきりいって近所の惣菜屋の方がうまい。しかし、時々これが無性に食べたくなるのである。

というわけで、先日無性に崎陽軒のシウマイを食べたくなったので、京急品川駅で買ってきた。

こちらがパッケージ。よく見るとちゃんと「横浜駅」と書いてあるな。駅弁である証左。
崎陽軒のシウマイ(パッケージ)
中身。電子レンジ等で温めてもうまいと書いてあるが、おすすめしない。暖めると味が濃すぎる。崎陽軒のシウマイは常温が一番うまい。
崎陽軒のシウマイ(中身)
本来駅弁なので、お手拭きも入っている。ズブズブに濡れていて、しかも小さい。これも含めて崎陽軒の味。
崎陽軒のシウマイ(お手拭き)
ドヤ!最近はこういう写真を夜食テロというらしい。これ見てたら腹が減ってきた。夜食テロ自爆。
崎陽軒のシウマイ
崎陽軒のシウマイといえば、醤油差しのひょうちゃん。何種類もあって、コレクターもいるらしい。現在は『フクちゃん』で有名な横山隆一作。
ひょうちゃん
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

かつて、フリースタイル修行にはまっていたことがある。フリースタイル修行とは、決まった修行の型をとらず、自分のルールで修行することだ。もちろん、僕が考えた言葉だから一般的な言葉ではない。

そのころ、自転車で四国八十八ヶ所をめぐり熊野古道を歩いた。次は出羽三山に行こうと思っていたのだが、様々な事情により果たせなかった。

出羽三山修行の気持ちは今もあるので、予行として、出羽三山神社に行ってきた。出羽三山神社は、羽黒山・月山・湯殿山を合祀した神社で、場所そのものは羽黒山にある。

羽黒山の標高は414m。月山(1,984m)、湯殿山(1,500m)と比べても極端に低く、東京の高尾山(599m)よりも低い。麓から神社までは石段がつづき1時間程度かかる。なお、自動車で上がることもできるが、通行料が往復で800円もかかるし、それではつまらないので、片道だけでも(後述)歩いた方がいい。

まず、麓のいでは文化記念館から。無料の駐車場がある。ここから車で上まで行くこともできるが、なお、頂上に行くまでにトイレがないので、ここですませて置かなければならない。
いでは文化記念館
随神門。もとは仏教なので山門だった。
随神門
随神門をくぐってしばらく行くと、赤い橋が現れ、滝が見えてくる。かつては、ここで水垢離をして出羽三山詣でをしたそうだ。
祓川と須賀の滝
国宝五重塔。かつて山中は寺だらけで、その名残。600年ほど前のものらしい。
国宝五重塔
こんな石段が延々続く。熊野古道の小雲取越・大雲取越の方がずっときつかったが、見た目のインパクトはなかなかだ。
石段
ときおり見える庄内平野。
庄内平野
だんだん末社が増えてきて、いでは文化記念館から1時間程度で出羽三山神社に着く。手前の池が鏡池で、茅葺きの建物が三神合祭殿。
三神合祭殿と鏡池
これも寺院時代の名残、梵鐘と鐘楼。国の重要文化財である。
鐘楼
このまま歩いてきた道をもどってもいいが、時間がないので、バスで戻ることにした。ところが、ちょうど行ったばかりで、かなり待たなくてはならない。そこで、タクシーの相乗り(4人)で、下ることになった。4人だとバスとほとんど同じになるそうだ。

ここから、車で月山まで行った。八合目までは車で行けるのだ。細い道をクネクネ行って、やっとたどり着いたのだが・・・
月山八合目
霧でなーんも見えん。ここから頂上まで登山道が続いているが、今回はパス。

その他の写真はこちらでどうぞ。
出羽三山神社:ギャラリーYa
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

夏休みの終わりに、山形県庄内地方に行ってきた。まずは鶴岡市の善寳寺から。

善寳寺:公式サイト
善寳寺:Wikipedia

善寳寺は現在曹洞宗の禅寺になっているが、開山は古く、平安時代の中頃、妙達上人がここに庵を結んだのが最初とされ、当時は龍華寺といったという。今年はその妙達上人の生誕1150年にあたり、特別に普段入れない奥の院を御開帳している(10/28まで)。

と言われても、まずピンとこないが、昔(平成2年)に話題になった人面魚をご存知の方は多いだろう。人面魚がいる貝喰池はここの池である。

実は僕もピンとこなかったのだが、本当は妙達上人でピンとこなければならなかった。妙達上人の名が出てくるのが、『法華験記』と『今昔物語集』なのである。

『今昔物語集』巻13 出羽国龍花寺妙達和尚語 第十三:やたナビTEXT

さて、そんなわけで、善寳寺に行ってきた。ところが・・・写真に雨が写るレベルの土砂降り。

善寳寺山門

山門の中には、普通仁王様と相場が決まっているが、ここは毘沙門天と、
毘沙門天
韋駄天。
韋駄天
地蔵菩薩や弥勒菩薩など、この寺の仏像はでかいのが多いが、石段のわきの切り株の中に、小さなお地蔵さん発見。
切り株の地蔵
こちらが本堂の感応殿。
感応殿
感応殿の裏手に今回初公開の奥の院龍王殿がある。
龍王殿
今回、この龍王殿の中に入れたのだが、残念ながら写真撮影は禁止。中には秘仏の龍王像があるのだが、小さくてよく見えない。天皇家の紋が付いているのは、天皇家とゆかりが深いからということで、中には有栖川宮家の位牌もたくさんあった。

何しろ大雨で傘をさしてもすぐにずぶ濡れになってしまう。ちょっと離れた貝喰の池に行く根性はなかった。まあ、これだけの雨が降ったということは、龍神様のご利益ということで、よしとしよう。

その他の写真はこちらをどうぞ。

龍澤山善寳寺(山形県鶴岡市):ギャラリーYa
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

昭和天皇が崩御した時か、今上天皇が即位した時だったか、よく覚えていないが、都内の神社に過激派が時限発火装置を仕掛けるというテロが起こった。犠牲者はいなかったが、都内のめぼしい神社はほとんど仕掛けられた。

当時、僕は御茶ノ水の湯島聖堂に住んでいた。3人交代で夜間の警備(のようなもの。夜勤と言っていた。)をしており、その日の担当は僕だった。夜勤明け(といっても夜は寝ているが)の朝、出勤してきたバイトの女性が僕にこんなことを言った。

「地下鉄の通風口から煙が出てるんですけど・・・」

事務室がある斯文会館の駐車場には、丸ノ内線の通風口があった。マリリン・モンローのアレを思い出してもらえれば、だいたいあっている。慌てて外に出てみると、本当にそこからモコモコと煙が出ている。

天皇崩御以来、警戒が厳しくなっており、通りはたくさんの警官がいた。僕は通りに出て、直接一人の警官に事情を話した。警官はすぐに見に来てくれたが、

「ここは、普段煙は出ないんですか?」

などと、トボケたこと言う。そんな低いところから煙がでるわけがない。

「出ません!早く応援を呼んでください!」

すると警察官は、通風口の中を覗き込み、

「火が見えますねぇ」

とか言って、無線で何やら話していた。全く緊張感がない。こいつ、もしかしたらバカなんじゃないかと思った。

その後、消防と何人かの警察官が来て、湯島聖堂備品のバケツを借りて、時限発火装置を処理していった。過激派のしわざと知ったのは、その晩のニュースである。神社でもないのになぜ狙われたのか、そもそも、なんで天皇が崩御して過激派が時限発火装置をしかけるのか、いまだにそのロジックが分からない。

それから約一ヶ月後、本富士署から警察官が来て、事情聴取を受けた。僕が疑われたわけではない。住み込みだったから、事件の前に気がついたことがなかったかというのである。

なにしろ一ヶ月前のことで、それも仕掛けられたのは発火する数日前の可能性もあるという。そんなの何一つ覚えていない。それでも、メシの時間から寝た時間まで、何から何までむりくり思い出させられて、事情聴取は五時間以上に及んだ。

後日聞いたところ、中からはバッテリーと時計などが出てきたという。仕掛けられた時間は、当日の朝方だそうで、一週間分の記憶の呼び戻しは全く意味がなかった。

警察に貸したバケツは、結局返ってこなかった。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

今月のはじめ(8月8日)、天皇の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」があった。7月の報道のときにネタにした(今上天皇譲位かと事情通:2016年07月13日)ので、何か書こうかと思ったが、どうにも文章がまとまらなかった。いちいち解釈していると、とんでもない長さになってしまうのである。それだけ良く出来た文章であるとだけ言っておこう。

7月の時点では、虚偽の報道だという宮内庁からのコメントもあったが、今上天皇が生前譲位の意思を述べているというのは間違いがなく、天皇は国政に関する権能を有しないという、日本国憲法第4条の趣旨を十分に配慮して語られたものであったと思う。なお、正確な内容には宮内庁の象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)を参照されたい。

しかし、「ではどうすればいいか」は難しい問題だ。天皇の希望を聞いてしまえば、憲法に反することになる。だから、あくまで国民の意見として、どうしたらいいかを考えなければならない。

僕は天皇の定年制にはメリットしかないと考えている。

これは、昭和天皇崩御の時の混乱を知っている人であれば、だいたい賛同いただけるだろう。天皇は、毎日のように体調を報道される。僕が「下血」という言葉を知ったのはあの時だ。まるで死ぬのを待っているようで、どうにも嫌な気持ちがしたものだ。

崩御したらしたで、今度は自粛の嵐。「自粛」はあくまで自粛だから、何を自粛したらいいのかわからず、とりあえず自粛する連中が出てくる。近所の女子大学は皇居に近いという理由で学園祭を自粛したが、もっと皇居に近い僕の大学は自粛していなかった。

そういえば、過激派によって、都内の神社に時限発火装置を仕掛けられたということもあった。なぜ、天皇が崩御すると神社に時限発火装置を仕掛けるのかよく分からないが、そのせいで都内の警備は厳しくなり、全国から警察官が動員された。僕も大変面倒なことに巻き込まれたのを思い出したのだが、長くなるので、明日書くことにする。

さらに、改元である。当時は今ほどコンピュータ化されていなかったからほとんど影響はなかったが、今なら改元にかかるコストはもっと上がる。万一、どことは言わないが、どこかの銀行がボケをかませば、被害は甚大である。

当時はバブル期だったから、それでも経済に与える影響は軽微だったが、おそらく今なら日経平均株価を二割ぐらい下げる影響があるだろう。いつ来るか分からない、だが確実にくる災難を、放置していいのだろうか。

何歳を定年にするか、今の天皇をどうするかは、議論が必要だろう。ドサクサに紛れて「憲法を変えなければならない」とか言っている人がいるらしいが、「第二条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。」とあるので、定年制なら皇室典範を変えるだけでよいだろう。

さて、デメリットだが、僕には一つも思いつかない。だれか教えてくれ。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

もともと狛犬が好きで、神社や寺に行ったら、必ず狛犬を探していたのだが、贔屓(ひいき)の引き倒し:2016年01月10日を書いて以来、石碑の下のカメさん、亀趺にも興味がでてきた。

先日行った、山形県鶴岡市の荘内神社のカメさんが面白かった。荘内神社は、創建が明治10年と新しく、それほど見るものはない。とりあえず、お参りをして、いつものように狛犬を探したが、どこにも見当たらなかった。

帰ろうとして、もう一度振り返ったら、境内のすみの方に、それほど大きくない石碑が立っている。篆額には「贈従三位酒井忠徳公頌徳碑」とある。酒井忠徳は庄内藩の第7代藩主で、藩校の致道館を作った人である。

この碑の下にはカメさんがいる。ところがこのカメさん、遠目で見ても、なんとなく様子がおかしい。石碑とカメの大きさが合っていないし、カメがすっきりしすぎている。
アール・デコ亀(全体)
近づいてみると、無機質な直線で構成されている。メカガメラというのがいたら、たぶんこんな形をしているだろう。
アール・デコ亀(前)
後ろから見たら、だれもこれがカメの尻尾だとは思うまい。
アール・デコ亀(後)
カメの台座も、幾何学的なデザインである。これはアール・デコ様式に違いない。

そう思うと、つるつるに磨き上げられた石碑そのものも、アール・デコっぽく見えてくる。日本でアール・デコが流行ったのは、昭和の初期と聞くが・・・
昭和3年4月建之
予想通り、昭和3年4月。

江戸時代の藩主の頌徳碑に、当時最先端のデザイン。今見てもモダンである。このあと、昭和5年の昭和恐慌を経て、日本はファシズムの時代へと突入してゆき、こんな斬新なデザインは全く作られなくなる。

さて、最後になったが、荘内神社そのものの写真をば。
荘内神社

こちらは本殿側から参道を見たところ。どこまでもまっすぐ。
荘内神社参道
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

今年の夏休みの宿題の一つがOSのアップデートだったが、すべて終了した。こういうことは、普段やってしまうとドツボにはまってさあ大変になる可能性があるので、仕事に支障をきたさない夏休みにやっておきたかったのである。

一つは妻の使っているWindows8.1を10にする作業だった。妻はネットでの悪評を気にして、なかなかアップグレードしなかったのだが、ついに、
Window10アップグレードの勧め
こんな妙に慇懃無礼な画面が出るようになり、アップグレードを決意した。

実際やってみると、やたらと時間がかかったものの、思いのほかスムーズにできた。それほど複雑な使い方をしていないせいもあるが、ファイルも環境もそのまま移行できたし、今のところなんの問題もない。使い勝手もWindows8.1よりは使いやすいと思う(あんまり使ってないけど)。

もう一つは、僕がメインで使っているUbuntu。

今までは14.04LTS(2014年4月リリースの意)で、LTS(5年サポート)なので2019年まで問題なく使えるし、Windowsのようなアップグレードもできるのだが、デュアルブートにしていたWindowsXPを削除してディスクを有効に使うため16.04LTSをクリーンインストールすることにした。

ディスクをフォーマットしてからのインストールだから、Windowsほどの時間はかからない。だが、OSをインストールしただけではどうにもならないので、いちいち使っていたアプリをインストールし直さなければならない。ここで引っかかった。

Ubuntuのソフトウェアは、基本的にはandroidでいうGooglePlayのようなアプリを使ってインストールする。これが、14.04LTSでは「Ubuntuソフトウェアセンター」だったのが、16.04LTSでは「Ubuntu Software」に変わった。名前も似ているが、アイコンは全く同じで、全く別のアプリである。

こちらが、以前のバージョンにデフォルトで入っていた「Ubuntuソフトウェアセンター」
Ubuntuソフトウェアセンター_046
これが「Ubuntu Software」
Ubuntu Software
一見してわかるように、新しいものの方が洗練されているし、動作も早い。

「こりゃ便利だね」と思ったのだが、使ってみると、あって当然のソフトウェアがない。検索しても、カテゴリから探しても見つからないのである。一瞬リポジトリから外されたのかと思ったが、だとしたら外されすぎだ。

そこで、いろいろ見ていたら、カテゴリ>システム>その他に、以前のUbuntuソフトウェアセンターがあるのを発見した。同じくソフトウエアのインストールによく使われるSynapticもここにあったので、この2つをインストールしたら、すぐに目当てのソフトウェアを見つけることができた。

というわけで、デフォルトのUbuntu Softwareは役に立たないので、最初にUbuntuソフトウェアセンターとSynapticをインストールするのがオススメ。問題は使い勝手だが、実はこれ以外は14.04とそれほど変わっていないので特に問題なし。

なんだかんだ文句を言っているが、昔に比べたら格段に楽になった。昔はファイルをバックアップするのに一苦労だったし、ソフトもいちいちCD-ROMでインストールしなければならなかった。今はすべてネットワーク上にあるので、この手の〈下ごしらえ〉はほとんどすることがない。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

SEALDs解散
昨年の今ごろは、国会前デモに行って、何度も〈おいしい写真〉を撮らせてもらった。その役者の一人(一グループ?)がSEALDsだった。
決壊直後

僕はいつのころから、「世の中をどうするか」よりも、「世の中がどうなっていくか」が気になるようになった。だから、国会前デモに行ったのは、僕の主張がどうということではなく、あのデモがどうなるかを見たかったのだ。

あのデモを通して、僕が思っていた以上に日本がダメであることと、思っていた以上に若い人に期待が持てることを確信した。

人にはいろいろな主張がある。だから、安保法制賛成だっていい。その文脈で、国会前に集まった人たちを批判してもいい。

しかし、「デモをしても変わらない」とか、「デモなんかしてたら就職できなくなる」とか、「共産党がバックに・・・」とか、デモの主張ではなく、デモそのものにケチをつける言葉が、いい年をしたオッサン・オバサンから出てきたのが、残念でならない。正直、先進国日本を支えてきたと(思われる)人たちが、こんな程度の低いことを言うとは思わなかった。そしてそれはまだ続いている。

先進国には先進国のフォーマットがあって、その一つが民主主義である。デモが自由にできなかったり、デモをやったら就職できなくなったり、共産党が非合法になったりしたら、それはまともな民主主義国家ではない。たとえ、その主張に反対だったとしても、デモ自体に反対するのは民主主義を否定する行為である。

デモ参加者は金をもらっていると言ったアホな政治家もいた。それが何の根拠もないウソであることはいうまでもない。一度でもウソをついた者は信用しない。そんな当たりまえのことさえ出来ないのが、今の日本人であることもよく分かった。

SMAP解散
気になって、平均年齢を計算してみたら、41.5歳である。ついでにいうと、V6が39.4歳、TOKIO37.3歳、嵐36.9歳、Kinkikids37歳。

よく頑張ったなとは思うが、もういいだろ。アイドルは。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

ここのところ、蔵書を整理するのに追われている。

僕の蔵書は自宅・祖母の家・実家の3ヶ所にあるのだが、祖母の家を貸家にする可能性がでてきたので、蔵書を整理する必要が出てきた。最終的には、実家に送ることになるが、そうなると完全な死蔵になり、読むことも、売ることも、捨てることもできなくなる。それでは意味がないので、できる限り処分しておきたい。

蔵書というと大層なものに聞こえるが、金銭的な価値のあるものはそれほどない。しかし、それはあくまで市場価値であって、僕にとっては単なる値段以上のものがある。

僕の師匠は、とにかく本を買えという人だった。先輩もそういう人たちばかりだったし、大学が神保町に近かったから、学生時代は手当たりしだいに本を買った。専門と直接関係無いものでも、興味があるものはとりあえず買った。そのころは、本さえ買えば、読まなくても賢くなると思っていた。

本は必要なときに買えばいいと思われるかもしれない。また、買わなくても図書館で済ませることもできる。しかし、いつ、何が役に立つかわからないのが本というものである。

適当に買った本が10年以上後になって役に立つこともあるし、これは必要だと思った本が、ほとんど役に立たないこともある。本そのものは役に立たなくても、巻末に付いている広告が役に立ったり、オマケの月報が役に立ったりすることもある。だから、本を手放すのは難しい。

それだけでなく、買った本には、それぞれに思い出がある。僕の場合、大概が苦しい思い出ばかりだが、それだけにどんな本でも手放すのに抵抗がある。いくら本を入れてもまだあまる書庫でも買えればよかったが、残念ながらそこまでの甲斐性がないのだからしょうがない。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

↑このページのトップヘ