2005年05月

先日ある先生と話していて、僕が「啓蒙する」という言葉を使ったら、「啓蒙」という言葉は今は使わないんだよ、「啓発」を使うように、と言われた。
「啓蒙」の「蒙」は「無知蒙昧(むちもうまい)」のように、分かりやすくいえば「バカ」の意味があるから「バカに教えてやる」という意味を含む「啓蒙」は最近では使わないのだそうだ。
言われてみるとその通りだが、僕も(そしてその先生も)「啓発」という言葉には良い印象がない。どうも「自己啓発セミナー」のイメージがあるからだ。もっともこれは「啓発」という言葉に対するぬれぎぬで、悪いのは「自己啓発セミナー」の方なのだから「啓蒙」の代りに「啓発」使わない理由にはならない。
たぶん、最初に「啓蒙」はよくないと思った人は「自分はバカじゃないぞ、蒙とは何ごとだ」と思ったのだろう。しかし、自分が「蒙」であることに気付かなければ、賢くはならない。
僕はそんな人間にはなりたくないなと思いつつ、「啓蒙」という言葉を使うことを封印した。続きを読む
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今の「やたがらすナビ」リンク集の分類は、最初に考えたのとほとんど同じである。これは僕の思いつきによるもので、「こんな感じでどうでしょう」と雛形をつくって、あとから修正していこうと思ったのだが、よく考えてみると、中身を入れてからカテゴリーを移すのは容易なことではない。結局そのままほとんど変更せずに続けている。

作ったカテゴリーに分類するのが難しい。結局、僕の主観が入ってしまって、総合とか国文はいいのだが、中文カテゴリーになるとどうもあやしくなってくる。
こちらとしては、まったく自信がないのだが、かといって意見をいってくれる人もいない。なんで言ってくれないのかとも思うが、まったく僕が考えたカテゴリーだから、意見の言いようもないのだろう。

次に難しいのがリンク切れへの対処である。
僕はともかくリンク切れのないリンク集がつくりたいのだが、いいサイトなのに突然消えてしまったり、引越してしまったりする。こればっかりはどうにもならないので、定期的にリンクをつつくしか方法がないのだが、これだけサイトの数が増えてしまうと、なかなかすべてのリンクを確認することはできない。利用者も増えてきた今、使っている人にはぜひとも協力をお願いしたいところである。

しかし、これは僕のサイトだけではない。もし、同じサイト内で何らかのミスによるリンク切れがあったときは、そのサイトの管理人に是非連絡してほしい。感謝されることはあっても、不愉快に思うことはないだろう。
こういう簡単な協力をして、始めてインターネットを利用しているといえるのではないかと思う。多くのサイトが無料で利用できる理由を考えてほしい。たいていのサイト管理者はあなたの協力を待っているのだ。

僕はこれも「無いものは作れ」の精神の一つだと思っている。
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僕がインターネットを使い初めたのは、WINDOWS3.1の時代である。そのころは、まだまだインターネットは発展途上で―今もだけど―インターネットで有益な情報を得るなんて冗談みたいな話だった。

僕はそのころ学生で、コンピュータを使わなくても十分な情報を得ることができた。時間も十分あったし、本が見たければ図書館へ行けばいくらでもあった。だから、当時の僕にとってはインターネットと国文学というのが繋がらなかったし、それほど必要だとも思っていなかった。

それから月日が流れ、大学院を修了し、大学という場を離れると、それまであたりまえのように入手できた情報がなかなか入らなくなってきた。
そこで「情報といえばインターネットだ」ってなもんで、いろいろ見てみるが、あれからずいぶん経ったのに、国文学関連ではなかなかうまく情報が得られない。

まず、いいリンク集が無い。ネットサーファーお墨付きのサイトしか登録させてもらえないという、Yahoo!Japapanのディレクトリはまるで使えない。個々のサイトにそれなりに充実したリンク集は付いているものの、説明がなかったり、リンク切れが多かったりして、参考にはなるが便利とは言いがたい。
そのころ、たまたまインターネット上で知りあった人たちと「とりあえずリンク集でも作りましょうか」ってな感じで初めたのが、この「やたがらすナビ」なのである。

「無いものは作れ」はこれまでインターネットを発展させてきた原動力だ。孫正義だの三木谷だのホリエモンだの、インターネットで金もうけをした人になじみのある人にとってはなかなか理解できないかもしれないが、本来インターネットとはそういうもので、ボランティアによってささえられているのである。

しかし、やってみて既存のリンク集にリンク切れが多いわけがすぐに分かった。「リンク集でも」なんて軽い気持で作れるものではなかったのである。
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というわけで、やたがらすナビのカウンターが10000を超えたのを記念して、ブログを初める。本当は↓(5月18日)の文章は、デザインの確認のために入れたもので、削除しようと思っていたのだが、どことなく序文ぽいので残しておくことにした。

10000人まで一年とちょっと、長いような短いような。本当はもっと早くいくだろうと思っていたんだけど、まあこんなもんだろう。
そもそも、僕はカウンターの数字はあまり気にしていない。それなら付けなくてもよさそうなものだが、付けなきゃ付けないで、何の反応もないんじゃ一年ももたなかったかもしれない。

ブログを初めるといっても、これはこれでかなり悩んだ。なにしろ天性のナマケモノだから、書いたり書かなかったり、書かなかったり、書かなかったり・・・になることは目に見えているからだ。第一、古典文学のポータルサイトなどと偉そうなことを看板に掲げているが、個人的には文化的なことなんか何一つしていない。本だって、専門の本を最後に読んだのはいつだったか(学校の教科書は除く)というような状態で、情けない話だが、これが現実である。

それでもまあ、書けなくなったらひっそり消しちゃえばいいさと思って、ひっそりと初めるのである。
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正直いって、僕はあまりブログが好きではない。
なんでかってぇと、ブログ=日記っていう印象があるからだ。

僕がWebsiteを初めて作ったのは、1995年だったと思う。当時はまだ今ほどサイトがなかった。フラッシュなんてなかったし、一部の恵まれた人をのぞけば、回線も細かったから、どれもシンプルなサイトばかりだった。
そのころ、個人サイトが少しずつ増えてきた。僕の場合はそのころやっていた美術団体のサイトだったが、「プロバイダに入会したらウェブスペースが付いてきた、とりあえず日記でも」という人が多かった。

これが十中八九つまらない。今なら回線速度も上がったから、つまらなくても大して腹が立たないが、そのころは14400bpsでダイアルアップだったから、ゆ〜っくり時間をかけて愛犬の写真なんか出てきた日には、「おれの通信費を返せ!」って感じだった。そう、ダイアルアップだったから、市内電話の電話料金がそのままかかったのだ。
だから、少なくとも日記は書くまいと思っていたのだ。いや、今も思っている。しかし、日記(のようなもの)は一番書きやすいのも事実。ブログが流行る理由である。

「十中八九つまらない」のは今も変わらないかもしれない。そして僕もまた、つまらないものをインターネットの世界に流そうとしている一人なのだ。続きを読む
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