2005年11月

前回書いた生きても死にても雷を捕りし栖軽の墓の説話で、まず奇妙に思うことは、これが『日本霊異記』の説話であることだ。

『日本霊異記』は正式名称を『日本国現報善悪霊異記』といい、その名の通り、因果応報(つまり悪いことをすると悪い報いを得る、逆も同じという仏教思想)をテーマにした日本初の仏教説話集である。しかし、この冒頭の説話には仏教的なものを感じさせるものは一つもない。

たくさん説話があるのだから、一つぐらいテーマと関係ないのがあったって不思議じゃない(実は第二話もあまり仏教的ではない)のだが、これが冒頭だから問題になる。冒頭とか掉尾というものはそれなりに気合いを入れて書かれるものなのだ。序論と結論が立派で、内容がナイヨーな論文なんてゴマンとある・・・いや書いたこともある。

この謎を解くキーワードは雄略天皇と皇后の交合(セックス)である。
たとえば、鎌倉時代初期の説話集『古事談』の冒頭は称徳天皇(女帝)が道鏡のイチモツ(そうとうな巨根だったらしい)に満足できず、ヤマイモでハリガタを作ってお楽しみになっていらっしゃったら(●ナニーですな)、パッキリ折れて抜けなくなって死んでしまったという、聞いているだけで股ぐらがムズムズしてくる話である。
また、『宇治拾遺物語』の冒頭は、道命阿闍梨が和泉式部とセックスをした後に読経したら、道祖神が現われたという説話。道祖神自体、夫婦や性器そのものなど性の神として表現されることが多い。

このように、説話集の冒頭は高貴な人物のセックスで始まることがままあるのだが、これを「記紀」冒頭のイザナキ・イザナミのミトノマグハヒ(今気付いたけどミトノマグアヒって「恋のマイアヒ」に似ているな)に通じるものであるとみる見方がある。#三谷栄一「説話文学の冒頭第一話と農耕儀礼―イザナキ・イザナミのミトノマグハヒをめぐって―」(「国学院雑誌」八十四巻五号・昭和五十八年五月)

さて、ならば『日本霊異記』のスガル君は一体何者なのか?なぜ天皇からわけのわからん注文をされてしまったのか?雷様は何者なのか?本当に高木ブーだったのか?
続きは次回の講釈で。
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まずは次の記事を読んでほしい。

雷神捕まえた臣下の墓か 奈良・雷丘で5世紀の埴輪(Yahoo!NEWS-共同通信)
「雷」捕獲の説話と関連か=雷丘に5世紀後半の古墳−奈良(Yahoo!NEWS-時事通信)

雷神を捕まえた雄略天皇の臣下の話とは、上のニュースでも書かれているように『日本霊異記』第一話である。なかなかおもしろい話なので、要約してみる(ちょっと脚色する)。なお、原文はこちらをどうぞ。

雄略天皇が大安殿で后とえっちしていたところ、随身の「少師部栖軽(ちいさこべのすがる)」がそうとは知らず大安殿へ入ってしまった。天皇はあわててやめた。
そして、そのときたまたま雷が鳴った。
「おい、スガルよ、おまえさん雷をつれてこられるか?」
#天皇はさっさと出ていってほしかったんだろう。しかし無茶な注文である。

「はい、できます」といってスガルは退出した。
#このスガル君、なかなかの大ボケキャラで『日本書紀』雄略紀六年三月条に、天皇が「蚕(「こ」と読む)を集めてこい」という命令をうけて「嬰児(わかご・子と間違えたらしい)」を集めてきちゃったいう話がある。天皇大爆笑。これが「チイサコベ
」の由来となる。

天皇の命令をまにうけたスガル君、なんと本当に雷を捕まえてきてしまった。「雷神をお迎えしました」といって天皇に差出すスガル君。中を見る天皇。なんか知らんが、雷神だけにビカビカ光ってる。「どこ見てんのよー」ぐらいは言ったかもしれない。
天皇はビビリまくって(そりゃ、ビビるわな)「さっさと返してこい!」と命令して、お供え物といっしょに落ちていた場所にお戻しになった。そこを「雷の岡」と呼ぶようになった。
#これが、今回のニュースに出てくる雷丘。実際には具体的な地名が書いてある。

その後スガル君が亡くなったときに、その忠誠をたたえ、例の「雷の岡」に墓を作り、「雷を取りし栖軽が墓」という碑文を刻んだ柱を建てた。
かの雷神これがおもしろくない。雷神ともあろうものが人間ごとき(しかも大ボケ君である)に捕まえられたなんてことを書かれたら末代までの恥、ぶっこわしてやれとばかりに、この柱に落雷して踏みつけたのだが、柱の裂け目に挟まれてしまい、またしても捕まえられてしまった。天皇は雷を解放してやるが、雷は七日七晩ボケーとして地上にいた。
#マヌケな雷様である。映画にするなら高木ブーで決定。

そして、再び柱は建てられ、そこには「生きても死にても雷を捕りし栖軽の墓」と記された。

今回、この説話の舞台である雷丘で埴輪が見つかったのである。「生きても死にても雷を捕りし栖軽の墓」がでてきたら楽しいんだけどなぁ。

なお、この説話、実はいろいろ面白い問題を含んでいるので、続きは次回の講釈で。
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日展に行ってきた。日展が何かなんて説明する必要はないだろう。日本を代表する美術(日本画・洋画・彫刻・工芸・書道)の公募展である。
僕のお目当ては5科の書道だが、4科の工芸(個人的に好き)と2科(ジュディオングが特選だったから)の洋画も見てきた。

さて、「日展様、なんとかしてください」というタイトルにしたが、日展そのものを批判しようなんて気持ちは毛頭ない。
何とかしてほしいのはこれ↓である。

日展ホームページ

日本を代表する公募展なのにこれはないだろう。あまりにもセンスがナンである。

まず、突っ込ませてもらいたいのが、全体的にピコピコ動きすぎだ。スクロールするフォームも見にくいし、Newとポストのアニメーションgifもウザい。シンプルなバナーがだいなしである。

使っている色数も多すぎる。ざっと数えて(画像はのぞいても)8色は使っているようだ。色数が多いと下品になるのはウェブデザインにかぎらずデザインの鉄則である。
リンクしたそれぞれのページもデザインに統一性がない。バックの色を変えてわかりやすくしたつもりかもしれないが、全部変えたら意味がない。
ついでにダメを押しておくと、"copy right"ではなく"copyright"だ。スペースはいらん。一単語だ。

日本を代表する公募展である「日展」のホームページを見ようと思った外国人がこれを見たらどう思うだろう。
デザイン部門がないとはいえ、日本の美術のレベルはこんなものかと思うに違いない。
ホームページは単なる宣伝の手段ではなく、世界中どこからでも見られる顔だということを理解してほしい。

ともかく一つだけアドバイスをしておこう。
デザインに自信がないならとにかくシンプルに徹するか、いいデザインのページをパクること。
やたがらすナビのデザインならいくらでもパクってくれてかまいませんよ。続きを読む
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Skype(スカイプ)とはインターネット電話である。簡単に言っちゃえばパソコンから電話がかけられる無料ソフトだ。
インストールは簡単。下のサイトからダウンロードしてくればいい。日本語版は三種類あるが、どれも同じである。自分のパソコンで使えるかどうかは下のサイトで確認してほしい。
面倒な設定はほとんどいらない。ダウンロードしたファイルをダブルクリックして、必要事項を記入すればOK。
スピーカーはたいていのパソコンについているだろうから、あとはマイクを買ってきてマイク端子に差し込めばそれでパソコンが電話になってしまう。
ユーザーが多いので、情報が多いのもいい。上記のソフト配布サイトのほかこのへんが詳しい。
さて、インストールさえすれば、Skype同士の通話は無料でできるのだが、そう都合よく電話をかけたい相手が電源の入った(しかもSkypeがインストールされた)パソコンの前にいるわけはない。これはこれでアマチュア無線のように使えるのだが、これではタダの音声チャットソフト(本当は従来の音声チャットとはかなり違うのだが)だ。そこで、Skypeout。これで一般の電話にかけられる。

さすがにこれは無料というわけではないが、国内ならどこにかけても1分2.6円、海外ならアメリカ2.3円、中国2.38円(ユーロ決済なので変動する)なので格安である。なお、料金表はこちら
クレジットカードであらかじめお金を払うプリペイド方式で、とりあえず、10ユーロ分買ってみた。買うと自動的にSkypeoutが使えるようになる。

早速実家に電話をかけてみた。音はあまりよくないが十分である。ただし、Skype同士なら携帯電話以上にいいらしい。
それよりも問題はタイムラグである。国内への電話でも国際電話と同様外国を経由するので、自分の声が相手に伝わるまでに1秒程度遅れがでるのだ。これがどうも、いっこく堂のものまねみたいでストレスになる。Skypeoutで長電話はちょっときついかもしれない。

だが、携帯電話しか持っていない人や、長距離や海外に頻繁に電話をかける人、決まった相手とよく電話する人、外国語を学びたい人にはオススメである。
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白状するが、僕は実はいままでウィルス対策ソフトというものを使ったことがなかった。

もちろん、何もしなかったというわけではない。
たとえば、メールは電信八号を使っている。これは、勝手に添付ファイルを実行しちゃうようなことはないし、HTMLメールもそのままでは表示されないから、一番多いメールからの感染は防げる。

ブラウザはFirefoxで、あやしいサイトはほとんど見ないようにしている。
当然、ファイアウォールも使っているし、定期的にトレンドマイクロのオンラインスキャンSpyBotをかけていが、ウィルスにもスパイウェアにも感染したことはない。

でも、あんまり胸をはれることでもないので、無料で使え評判もいいavast!を入れてみた。

日本語版があるので、インストールはそれほど難しくはない。英語で利用登録をしなくてはならないのがちょっと面倒だが(登録しないと60日限定試用版になってしまう)、おじいちゃんのメモこのへんを読めばなんとかなる。ちなみにこのサイトの作者はavast!のボランティア翻訳者である。

さて、使ってみた感想だが、たしかに何も入れないときに比べると重くなるが、十分我慢できる範囲である。最近のコンピュータならほとんど何の問題もないかもしれない(僕のPCはAthlon1.4Ghz、512MB)。
設定もインストールしたままで、ほとんど何もしなくても大丈夫。メールソフトを複数使っていてもいちいち設定する必要がないのはありがたい。

僕はPOPFileというスパム振り分けソフトを使っているが、こちらも一緒に使用してもまったく問題なし。

ちゃんと、ウィルスを排除してくれるかなと思っていたら、Netsky付きのメールがうまいぐあいに(というか、ここ一月ほど来まくり)来た。しっかり警報をだしている。合格。

まだ使い始めたばかりだからこれ以上は何ともいえないが、とりあえず某社の激安有料ソフトよりははるかにいいようだ。
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古典の好きな人間は、旅先で古典に出てくる地名を見ると意味もなく興奮してくる(あれ?僕だけですか?)。
そういう由緒正しい地名が昨今の市町村合併で、失われていくのは残念だ。
市町村合併そのものは時代の流れだから仕方がない。だが、合併して付いた名前が、ナンというか、分かりやすくいうとアホだったりするので、そこはガマンがならない。

例えば「南セントレア市」(すったもんだの末、合併自体なし)というのが記憶に新しい。ほかにもいろいろ目を覆うようなのがある。あえて地名は出さない。その土地に住んでいる人が考えることだから、僕に口をだす権利はないからだ。

だが、自分の出身地となれば話は別だ。
まず、「さいたま市」。僕は旧浦和市出身でも大宮市出身でもないが、埼玉県出身だから言わせてもらう。
「埼玉県」の「さいたま」とは、もともとは現在の行田市近辺の地名(こちらは「さきたま」と読む)である。

これは『万葉集』の1744番歌、高橋虫麻呂の
前玉之 小埼乃沼尓 鴨曽翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯
埼玉の小埼の沼に鴨ぞ羽霧るおのが尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし

にも出てくる由緒正しい地名なのだ。ちなみにこの「小埼の沼」は行田市にある。「さいたま市」は地名をパクったわけである。

この合併は浦和市と大宮市でどちらの名前にするかもめて公募にした経緯がある。なにしろ、浦和市は県庁所在地だが、知名度では東北新幹線も止まる大宮市の方がはるかに上だ(実際には与野市も合併に加わっていたが小さいので蚊帳の外)。
僕はこんなつまらないことで、ケンカをするのは埼玉県の発展につながらないと思った。そこで、だれもが納得いく名前を思いついた。

荒市(あらし)

旧浦和市と旧大宮市を結ぶ川、荒川にちなみ、両地域の人々が仲良く暮らせるよう祈りをこめた画期的な名前だったが、どういうわけかあっさり却下されてしまったようだ。

ところで、なぜ僕が今回こんなことを書いたか。実は僕の故郷(埼玉県上福岡市)も地名が変わってしまったのである。
その名もふじみ野市
「すてきな名前じゃないか」と思うなかれ。隣はなんと富士見市である。もちろん、こちらの方がはるかに古い。

さらに屈辱的なのが、上福岡市と大井町が合併してできた「ふじみ野」という地名はもともと存在せず、東上線の「ふじみ野駅」に由来し、その「ふじみ野駅」(東上線では一番新しい駅である)の名前は(たぶん)富士見市に由来するのである。「ふじみ野駅」自体、所在地は富士見市である。

11月13日、市長選挙が行われるそうである。新市長よ、あなたの権力で、こんな屈辱的な名前は捨ててもっとステキな名前にしないか。僕にいいアイディアがある。大井町と上福岡(もとは福岡町だった)をあわせて、

大福市

なんてどうだろう。東京都大田区(大森+蒲田)や国立市(国分寺+立川)の例もある。
いや、名誉市民なんていらない。お願いだから変えてくれ。
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五島美術館の特別展やまとうた一千年に行ってきた。

八代集をテーマに代表的な古筆切や写本を展示している。左のリンクにある展示品リストはそのごく一部である。

たとえば『古今集』だと、高野切一種から三種、継色紙、亀山切、関戸本、本阿弥切など代表的なものはほとんど(それも複数)展示されていた。
十数年前「おいおい出てきちゃったよ。しかもいまさら冷泉家かよ」と学界を震撼させた(ホントか?)隠岐本『新古今和歌集』もある。

和歌文学会の協力により個人蔵のものが多数ふくまれているし、八代集では『古今集』と『新古今集』は以外は特集することも滅多にないので、この機会を逃すともう二度と見られないものもかなりあるんじゃないかと思う。
図録もフルカラーで出来がいい(仮名はフルカラーじゃないと意味がないね)。一冊3000円とちょっとお高いが買っておく価値がある。

雨だから日曜日とはいえそんなに人はいないだろうと思っていたらさにあらず。ん、なんか客層が・・・お着物をお召しになられている方が多い・・・講演会があったのか。

僕の隣で高野切を見ていた二人連れの上品なおばさんがいう。もちろんお着物だ。

「この線なんかすーっと伸びていてすてきねー」
#うんたしかにすてきだ。

「ほら、このへんなんか○○先生の書き方にそっくり」
#おいおい○○先生が高野切に似てるんだろ・・・
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国語の先生をしていると、横書きの文書に触れる機会が極端に少なくなる。
教科書も縦書きだから、必然的に本は右開きがデフォルトになってしまうようで、横書きの文書をファイルするのに間違えて右側に穴を開けてしまった。立派な職業病である。

ところで、中国(大陸)では横書きが一般的である。看板とか対聯(家の入り口両側に貼ってある赤い紙)以外は縦書きのものはほとんど見ない。その看板でも、これは扁額の名残なのかもしれないけど、やっぱり横書きが多いように思う。本、新聞はもちろん横書きだ。

僕は中国を旅行しているとき、中国人に縦書きのノートを渡したらどう書くか試したことがある。筆談するときにあらかじめ縦書きのノートに縦書きで質問を書いて渡すのである。試してごめんなさい。先に謝っておきます。
結果はまちまち。強引にノートを横にする人もいれば、書きずらそうに縦に書いてくれる人もいる。面白いのは、縦書きで句読点をどこに打ったらいいか分からなくなっちゃうみたいで、「。」が左すみにいってしまう人もいた。

もともと伝統的でない横書きがそれほど浸透しているのにびっくりしたが、その反面、毛筆書きの文字が日本よりもはるかに多く見られることに複雑な気持ちがした。
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