前回書いた生きても死にても雷を捕りし栖軽の墓の説話で、まず奇妙に思うことは、これが『日本霊異記』の説話であることだ。
『日本霊異記』は正式名称を『日本国現報善悪霊異記』といい、その名の通り、因果応報(つまり悪いことをすると悪い報いを得る、逆も同じという仏教思想)をテーマにした日本初の仏教説話集である。しかし、この冒頭の説話には仏教的なものを感じさせるものは一つもない。
たくさん説話があるのだから、一つぐらいテーマと関係ないのがあったって不思議じゃない(実は第二話もあまり仏教的ではない)のだが、これが冒頭だから問題になる。冒頭とか掉尾というものはそれなりに気合いを入れて書かれるものなのだ。序論と結論が立派で、内容がナイヨーな論文なんてゴマンとある・・・いや書いたこともある。
この謎を解くキーワードは雄略天皇と皇后の交合(セックス)である。
たとえば、鎌倉時代初期の説話集『古事談』の冒頭は称徳天皇(女帝)が道鏡のイチモツ(そうとうな巨根だったらしい)に満足できず、ヤマイモでハリガタを作ってお楽しみになっていらっしゃったら(●ナニーですな)、パッキリ折れて抜けなくなって死んでしまったという、聞いているだけで股ぐらがムズムズしてくる話である。
また、『宇治拾遺物語』の冒頭は、道命阿闍梨が和泉式部とセックスをした後に読経したら、道祖神が現われたという説話。道祖神自体、夫婦や性器そのものなど性の神として表現されることが多い。
このように、説話集の冒頭は高貴な人物のセックスで始まることがままあるのだが、これを「記紀」冒頭のイザナキ・イザナミのミトノマグハヒ(今気付いたけどミトノマグアヒって「恋のマイアヒ」に似ているな)に通じるものであるとみる見方がある。#三谷栄一「説話文学の冒頭第一話と農耕儀礼―イザナキ・イザナミのミトノマグハヒをめぐって―」(「国学院雑誌」八十四巻五号・昭和五十八年五月)
さて、ならば『日本霊異記』のスガル君は一体何者なのか?なぜ天皇からわけのわからん注文をされてしまったのか?雷様は何者なのか?本当に高木ブーだったのか?
続きは次回の講釈で。
『日本霊異記』は正式名称を『日本国現報善悪霊異記』といい、その名の通り、因果応報(つまり悪いことをすると悪い報いを得る、逆も同じという仏教思想)をテーマにした日本初の仏教説話集である。しかし、この冒頭の説話には仏教的なものを感じさせるものは一つもない。
たくさん説話があるのだから、一つぐらいテーマと関係ないのがあったって不思議じゃない(実は第二話もあまり仏教的ではない)のだが、これが冒頭だから問題になる。冒頭とか掉尾というものはそれなりに気合いを入れて書かれるものなのだ。序論と結論が立派で、内容がナイヨーな論文なんてゴマンとある・・・いや書いたこともある。
この謎を解くキーワードは雄略天皇と皇后の交合(セックス)である。
たとえば、鎌倉時代初期の説話集『古事談』の冒頭は称徳天皇(女帝)が道鏡のイチモツ(そうとうな巨根だったらしい)に満足できず、ヤマイモでハリガタを作ってお楽しみになっていらっしゃったら(●ナニーですな)、パッキリ折れて抜けなくなって死んでしまったという、聞いているだけで股ぐらがムズムズしてくる話である。
また、『宇治拾遺物語』の冒頭は、道命阿闍梨が和泉式部とセックスをした後に読経したら、道祖神が現われたという説話。道祖神自体、夫婦や性器そのものなど性の神として表現されることが多い。
このように、説話集の冒頭は高貴な人物のセックスで始まることがままあるのだが、これを「記紀」冒頭のイザナキ・イザナミのミトノマグハヒ(今気付いたけどミトノマグアヒって「恋のマイアヒ」に似ているな)に通じるものであるとみる見方がある。#三谷栄一「説話文学の冒頭第一話と農耕儀礼―イザナキ・イザナミのミトノマグハヒをめぐって―」(「国学院雑誌」八十四巻五号・昭和五十八年五月)
さて、ならば『日本霊異記』のスガル君は一体何者なのか?なぜ天皇からわけのわからん注文をされてしまったのか?雷様は何者なのか?本当に高木ブーだったのか?
続きは次回の講釈で。