2005年12月

茶碗や皿小鉢が暗い台所に光を与へ、清潔が白色であることを教へた功労は大きいが、それでも一方には、物の容易に砕けることを学ばしめた難はある。木綿の罪責に至つては或はそれよりも聊か重かつた。第一に彼は此世の塵を多くしている。をかしいことには木綿以前の日本人が、何かと言ふと人世の塵の苦しみを訴へ、遁れて嬉しいと言ふ多くの歌を残して居るのと反対に、そんな泣言はもう流行しなくなってから、却つて恐ろしく塵が我々を攻めだした。(中略)外の埃はこれのみでも十分であるのに、家の中では更に綿密に、隙間々々を木綿の塵が占領し、掃き出せばやがてよその友だちと一緒に戻ってくる。(柳田国男『木綿以前の事』・定本柳田国男集第14巻)


太字は大掃除していて思い出したフレーズ。
座布団の一つでも作れそうなぐらいに綿ぼこりが出てくる。
木綿以前に戻りたい・・・。
それではよいお年を。
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ちょっと話は古くなるが、今年の漢字は「愛」となった。

僕は4位の「株」で決まりだと思っていたからかなり意外である。

株のことはよく分からないので、いろいろ調べていくうちにヘッジファンドのファンドマネージャーのブログに行き着いた。これがどれも実に面白い。

ヘッジファンドってのは簡単に言っちゃうと、金持ちからお金を預かって運用する人のことである。世の中の動きを見て、株価などを予想するのだが、運用成績が悪ければお金を引き上げられちゃう(商売にならない)んだから命がけである。

政治や経済なんて知りませんよと超然としているのもかっこいいけど、シビアな世界に身をおいて金を稼ぐのもかっこいい。

こういう見方もあるんだなと思うとともに、最近よくブログに引っかかってくるネットナントカの程度の低さをあらためて感じた。

#本当はリンクしたいのですが、先方がリンクを禁じているのでやめておきます。知りたい方は私にメールをください。
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東京ミレナリオへ行ってきた。諸般の事情で今年が最後らしい。

あれは、まぁ、なんだ、電飾だな。

世の中に電飾ぐらい俗なものはない。どんなかっこいいもの、美しいものでも、電飾をつけた瞬間に単なるパチンコ屋になってしまう。フェラーリに電飾を付けたところを想像してみるといい。

電飾も遠くで見ている―つまり電飾と分からない―うちはいい。なかなかきれいなもんだ。だが、近くに寄った瞬間に馬脚を現して「なんだパチンコ屋じゃん」ってなことになってしまう。それが証拠に、東京ミレナリオでは、会場に近づくまでは人が混んでいて、東京駅から1時間ちかくかかったが(普段歩けば5、6分である)、中に入ったら普通に歩ける程度まで人がへる。みんな途中で帰ってしまうのだろう。

僕は電飾の俗っぽさは嫌いではない。だが、俗っぽいくせに芸術を気取ると腹が立つ。作品なんて偉そうなこと言ってないで、屋台の一つでも出せばいいのにと思った。

いや、寒かったんでちょっと機嫌が悪いだけです。
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電子テキストのリンクを増やすため、いろいろなサイトを探している(特に国文)。
ほとんどが個人の労力によるもので、その情熱には頭が下がるばかりである。

僕たちが学生のころ国文学科の授業やゼミではかならず翻刻というものをやっていた。
翻刻というのは、簡単に言っちゃうと、写本や版本などの原典を、今読める字に直すことである。

僕の時代は、ちょうどワープロと手書きの過渡期だったが、今はほとんどの学生がパソコンで翻刻しているはずだ。つまり、これは毎日莫大な数の電子テキストができているということである。これが授業の中でしか使われないのはもったいないことではないだろうか。

注釈書などの活字本だと著作権の問題なんかがあってちょっとややこしいが、翻刻なら著作権が切れた原典によるものだから何の問題もない(著作権の問題についてはいずれ書こうと思っている)。

もし、そんなテキストをお持ちの方がいらっしゃったら是非ご一報願いたい。
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mixiのようなクローズドコミュニティにユーザーが求めるものは何か。最も期待されているのはプライバシーの安全性だろう。では、mixiは安全なのだろうか。

僕はmixiは安全でないと考える。
僕もmixiに登録して初めて分かったのだが、登録時に本名や住所などの個人情報の入力を求められないのである。これは、悪意のある人物を運営側が排斥することが困難であることを意味している。

mixiに入会するには、すでに入会している人の招待状が必要だ。友達の友達、そのまた友達という具合に会員が増えていくことになる。その中に一人でも悪意のある人がいて、例えばお金で招待状を売る人がいれば(実際にYahoo!オークションなどで取り引きされている)、入会している人の紹介が安全を保障するものにはまったくなりえないことになる。

さらに悪いことに、mixiの会員はクローズドコミュニティにいるという安心感から無防備になりがちだ。さすがに最近は匿名で登録する人も多いようだが、以前にも書いたようにこれには実は何の意味もない。問題は自分のプライバシーを日記に書くという行為にある。だが、プライバシーを書かないことには交流はのぞめない。

たとえば、一年間mixiに日記を付けていたとしよう(日記はmixiの最も重要なコンテンツである)。そこにはいろいろな情報が書かれる筈だ。それを分析すれば、いろいろなことが分かる(分からないような日記は意味がない)。さらに悪いことに、mixiではマイミクシィという機能によって、どんな人と交流があるか、どんな交流をしているかまで分かってしまう。マイミクシィの中には、実生活上のあなたのことをきわめてよく知っている人物だっているかもしれない。その人があなたの知られたくない情報を漏らしてしまう(もちろん故意にではない)ことがないなんていえるだろうか。同じ日記でもオープンなブログと比べてはるかに危険であることが分かるだろう。

解決策は三つある。

一つは紹介制かどうかを問わず、有料の信用できるクローズドコミュニティに変えること。かつてのパソコン通信はそうだった。これなら、運営によって問題のある人物を簡単に排斥することができる。有料でなければいけない理由は「お金を払う」という行為によって、利用者のアシが付きやすくなるからである。

もう一つは自分でパス付きの掲示板などを借りてコミュニティを作ってしまうことだ。しかし、僕もやったことがあるが、この方法では「友達の輪」はなかなか広がらない。

もっとも現実的な解決策としては、あくまでmixiをオープンなコミュニティだと思って使うことだ。だが、それはマイミクシィや足跡機能(誰が自分のページを見たか分かる機能)があるため、一般のオープンなブログなどに比べてはるかに自分のプライバシーを守ることは難しいことを理解しなくてはならないだろう。

僕なんかは、それなら何もクローズドコミュニティである必要はないと思うのである。

#mixiを引き合いに出して書きましたが、これはmixiだけに限らず紹介制のSNSにはすべてつきまとっている問題だと思います。
#上記のように僕はmixiの会員になったわけですが、今後誰にも僕から招待状を送ることはありません。
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知り合いからmixiに招待された。mixiって何だよって方はWikipediaのmixiの項を参照してほしい。

せっかく招待されて失礼は承知の上だが、僕はmixiが嫌いである。嫌いといっても、過去に何かあったとか、mixiユーザーは嫌いとかいうのではなく、思想上の問題なのだ。だから、mixiなんてやめとけなんて言うつもりはないし、楽しんでいる人に水をさすつもりもない。

僕がmixiを嫌いな理由。一言でいうなら「クローズ(決まった人しか見られない)だから」ということである。

mixiに書き込まれた内容はmixiの会員でないと見られない。したがってGoogleにもYahoo!にもひっかかってこない。
インターネットでは、沢山の文書が公開されている。その中には掲示板の他愛のない会話や、ブログなどの日記も含まれている。それらは、Googleなどの検索エンジンによって検索することができる。それによって他愛のない会話や、一見どうでもいい日記が必要な人の役に立つことがあるのだ。

以前、僕がやたがらすナビの掲示板で河北省定州市の開元寺塔についてわずか一行だけ書いたことについて問合せが来たことがある。定州市の開元寺塔に登ってみたくて、何度も行ったのだがいつも工事中で登れなかった、今は登れるのかという質問だった。
掲示板の会話の流れでは開元寺塔はたいした意味を持っていなかったのだが、オープンの掲示板だったので、検索エンジンにひっかかったのである。それによって、僕に質問のメールをくれた人は貴重な情報(定州開元寺塔なんてマイナーな仏塔の情報はきわめて少ない)を得ることができたのだ。

インターネットではどんなものでも(たとえガセネタだろうとも)公表されていれば役に立つ可能性がある。その意味では閲覧者を選ぶクローズの情報はインターネットの利便性にまったく貢献していないということになる。

さきほど僕は「mixiが嫌いなのは思想の問題」と書いた。「僕はインターネットで沢山の有益な情報を入手してきた。だから、情報を発信する義務がある」簡単に言っちゃえばこれが僕の思想である。この思想に反するのでmixiが嫌いなのである。

しかし、コミュニケーションのツールとしてSNSのようなクローズなコミュニティはあってもいいと思う。だが、mixiの場合はこれにも問題があるように思えてならない。次回はそれについて書くことにする。
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生まれて初めて自分で読んだ本は何だったか、覚えているだろうか。もちろん僕もはっきりと覚えていない。だが、その本はたぶん絵本だったはずだ。

そんな本の中に「おじいさんがかぶをうえました」で始まる本はないだろうか。お爺さんがかぶを植えたら、巨大なかぶに育ってしまい、一人じゃ抜けなくなって、たくさんの人やら動物の手を借りて「うんとこしょーどっこいしょ」とひっこ抜く物語である。「うんとこしょーどっこいしょ」でピンとくる人もいるかもしれない。これは『おおきなかぶ』という題名で、1962年5月に月刊絵本「こどものとも」で刊行された。

おじいさんがかぶをうえました』(福音館書店)は副題を「月刊絵本「こどものとも」50年のあゆみ」といい、「こどものとも」の創刊50周年記念出版である。

「こどものとも」なんて知らないよという人でも、前記の『おおきなかぶ』や『三びきのこぶた』『ぐりとぐら(シリーズ)』『イカロスのぼうけん』などは一つぐらいは知っているだろう。これらはすべて「こどものとも」が初出である。

なにをかくそう、この僕も毎月送られてくる(たしか幼稚園経由だったと思う)「こどものとも」を楽みにしていた一人なのだ。今あらためて50年のラインナップをみると、いかに僕が「こどものとも」育ちだったかが分かる。表紙の写真を見ただけで、内容が思い出されてくるのである。

それにしても、なんとバリエーションの豊かなことか。創作童話、世界各国の昔話、詩、絵画、写真、これらは立派な芸術である。大人が読んでも十分に楽しめるし、本来の読者である子どもをまったくナメていない。僕が言うのもへんだけど、教育してやろう的な説教臭さが感じられないのである。

良心的な出版とはこういうのをいうんだろう。僕ももう一度「こどものとも」を定期購読してみたくなった。続きを読む
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ebookjapanとは電子書籍の販売サイトの一つである。

僕は電子テキストがどうのこのいっているが、結局紙の本の方が好きだから、今まで電子書籍を読むことなんてほとんどなかった。とはいえ、電子書籍の利点は理解しているつもりなので、興味がないと言えばウソになる。
まず、電子書籍の利点を考えてみる。
  1. 品切れがない
  2. 紙の本より安価である
  3. 場所をとらない
  4. 本文検索が容易である
  5. コピー、ペーストができる
こんなところだろうか。

1は売るのが電子データだから当然である。紙の本だと入荷を待ったり、古本屋を歩きまわったり、それはそれで楽しいのだが、「すぐにも読みたい!」という場合やコストのことを考えると品切れがないのは大きな利点である。
2は紙という実態がないのだからそうあるべきだし、たいていはそうなっている。
読書家には3が一番大きい利点ではないか。本の置き場所に困っていない読書家なんて一人もいないだろう。どうしても紙の本でなければいけない本と、紙でなくてもいい本というものがある。後者で場所をとられるのはウンザリする。また、検索機能があれば「あの本どこいっちゃったっけ」ということもなくなる。だらしない人(たとえば僕)なんかにはうってつけである。
4と5は、本に書かれた内容を利用しようとする場合、例えば研究者とか文筆業の人には重要である。そうでなくても、ちょっとメモっておきたいときに、せっかくコンピュータをつかっているのに画面を見ながら紙にボールペンで書くなんてマヌケなことガマンがならないことだろう。
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僕たちは雷の正体が電気だということを知っている。しかし、電気だと分かる前の日本人は何だと思っていたのだろう。
雷のことを「稲妻(イナヅマ)」という。また「イナツルビ」という地方もあり、古典でもこの名前ででてくることがある。
「イナ」はそのまま「稲」のことで、「ツマ」は「妻(この場合夫)」である。また、「ツルビ」はずばりセックスのことである。余談だが、『宇治拾遺物語』には「かはつるみ」という言葉がでてくる。これは「皮とつるむ」という意味なのだが、男性諸兄におなじみのアレである(男色という説もある)。

つまり、かつての日本人は雷を空と大地の交合とみていたらしい。交合ならば子どもが生まれなくてはならないのだが、それが米ということになる。激しい交合の結果米が生れる=五穀豊穣ということで、日本各地の奇祭というわれる祭のなかに、妙にイヤラシイものがあるのもそのためなのだ。また、神社の御幣も稲妻を形どっている。それにしても激しい○○(お好きな言葉を入れてください)である。

前回挙げた三谷栄一氏は「記紀」を始めとする説話集の冒頭にセックスから始まるものが多い理由を、
これらは農耕社会特有の説話であって、国家の安泰には新しい年が豊作でなければならない。畑作、稲作の生産に豊穣をもたらすようにと年のはじめに祈る儀礼として、性の神秘な呪力が重んじられたからに他ならない。

という。

さて、これで雄略天皇と皇后の交合(ダジャレになってるの気づいた?)と雷はつながったわけだが、それではオマヌケスガル君が雷を取ってこいといわれたのは何故だろうか。
スガル君の本名は「少師(子)部栖軽」である。○○部という名前は、もともと何らかの職能を持って天皇に仕えた一族なのである。たとえば、現在でも「服部さん」という人がいるが、これは服を作る職業であったということで、「ハタオリ」がなまって「ハットリ」になったものだ。では「チイサコベ」とはどんな職業の人だったのだろうか。
そこで、『日本書紀』のスガル君大ボケ説話へとつながっていく。スガル君は雄略天皇から「蚕を集めてこい」と命じられた。つまり、チイサコベとは養蚕にかかわる職能をもった人だったようだ。

あなたは「クワバラクワバラ」という言葉を知っているだろうか。最近はあまり言わないかもしれないが、これは雷よけの呪文で「クワバラ」は「桑原」である。雷は桑の木をおそれるという信仰があるのだ。そして、桑と養蚕のかかわりが深いことはいうまでもない。
これで話はつながった。スガル君があっさり雷様をつかまえてきちゃったのも、養蚕という職能をもっていたからだと考えられる。なお、雷、桑、養蚕の関係は石田英一郎『桃太郎の母』所収「桑原考」に壮大な論考があるので興味があったら読んでほしい。

かくして、「スガル君の墓発見か」というニュースで始まった(もうリンク切れてるね)講釈も一巻の終りとなむかたり伝へたるとや。
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ちょっとエロモノが続いたので、続きは次回の講釈でといっておきながら話題を変える。もちろん、次回の講釈は用意してある。

さて、毎年恒例の新語・流行語大賞が決まった。せっかくわがブログにも言葉というカテゴリがあるので、勝手に寸評をする。

大賞 小泉劇場   自由民主党幹事長 武部勤さんほか4名
#小泉関連が大賞なのは妥当な線だと思う。

大賞 想定内(外) ライブドア社長 堀江貴文 さん
#個人的に好きな言葉だ。言い方によってこれほど意味が変わってくる(たとえば涙目で想定内というのと、笑いながら言うのとでは意味がちがう)のは面白いと思う。

   クールビズ  環境大臣 小池百合子 さん
#こんなものに名前を付けなきゃいけないこと自体情けないと思え。

   刺客     該当者なし
#受賞者候補は「刺客と教育」でおなじみの亀井さんか?辞退したらしい。

   ちょいモテオヤジ LEON編集長 岸田一郎 さん
#流行ったか?

   フォーー!  タレント レイザーラモンHG さん
#フォーー!

   富裕層    すみしんウェルスパートナーズ社長  田中嘉一 さん
#富裕層がいるなら貧困層がいるはずだが・・・。そういや「セレブ」ってのは今年じゃないの?

   ブログ   「鬼嫁日記」のブロガー カズマ さん
#古田敦也とか眞鍋かをりとかしょこたんとかの方が適当だと思う。ホリエモンのダブル受賞でも可。第一、鬼嫁日記はどこが面白いのか分からない。僕に嫁がいないからわからないのか?あ、でも自分のブログで謝っているからゆるす。

   ボビーマジック 千葉ロッテマリーンズ サブロー さん、今江敏晃 さん
#ボビー!

   萌え〜    秋葉原のメイドさんグループ 完全メイド宣言 さん
#だれだよこれ。これだと、「小泉劇場」は小泉首相に、ボビーマジックはバレンタイン監督にあげなきゃならなくなる。「萌え〜」という人(すなわちアキバ系の人)にあげるべきだ。

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