茶碗や皿小鉢が暗い台所に光を与へ、清潔が白色であることを教へた功労は大きいが、それでも一方には、物の容易に砕けることを学ばしめた難はある。木綿の罪責に至つては或はそれよりも聊か重かつた。第一に彼は此世の塵を多くしている。をかしいことには木綿以前の日本人が、何かと言ふと人世の塵の苦しみを訴へ、遁れて嬉しいと言ふ多くの歌を残して居るのと反対に、そんな泣言はもう流行しなくなってから、却つて恐ろしく塵が我々を攻めだした。(中略)外の埃はこれのみでも十分であるのに、家の中では更に綿密に、隙間々々を木綿の塵が占領し、掃き出せばやがてよその友だちと一緒に戻ってくる。(柳田国男『木綿以前の事』・定本柳田国男集第14巻)
太字は大掃除していて思い出したフレーズ。
座布団の一つでも作れそうなぐらいに綿ぼこりが出てくる。
木綿以前に戻りたい・・・。
それではよいお年を。