2006年04月

セブンイレブン限定国際的「エナジードリンク」、F1に二つもチームを持っていることでもおなじみレッドブルを試してみた。

缶に
パフォーマンスを発揮したいときのために開発されました。云々

なんて書いてある。別に今パフォーマンスを発揮したいわけではないのだが(そもそもパフォーマンスって何よ)、ものめずらしさで買ってみた。お値段は\275。ああ、パフォーマンス。

味は・・・ひとひねりあるオロナミンCみたいな感じである。妙にチープな後味が残るが、これがなかなかいい。これがイヤって人もいるかもしれないけど。ただ、パフォーマンスを発揮するのに必要なコストパフォーマンスはどうなんだろう。

この缶にナゾの文言がある。
Red Bullは、トップアスリート、多忙なプロフェッショナル、アクティブな学生、ロングドライブをする方など世界的な評価をいただいています。

トップアスリートってのはプロスポーツ選手のことでしょ。じゃあ、「多忙なプロフェッショナル」って何よ。

はっ!もしや、プロ中のプロと目されるあのお方・・・。

あのお方もご愛飲のRed Bull、キンキンに冷やして飲みましょう。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

身長が高くていいのはスポーツ選手だけである。日本で普通に生活するならせいぜい175cmぐらいでとどめておくべきだ。特に180cmを超えると、電球の玉を取り替えるのに便利だとか、満員電車で上の方の空気が吸えるとか以外にはなにもいいことがない。

そもそも、日本の建物は「1間」が基準になっている。1間は181.818182cm。たいがいのものがこの高さだ。だから身長が180cmを超えると、とたんにいろいろなところ(自分の家を含む)に頭をぶつけるようになる。

気にしているときはいいのだが、気を抜いていると、突然頭をぶつける。青天の霹靂、痛いなんていうもおろかなり。足の小指をたんすに引っ掛けた感覚に似ている。ただし、痛さは倍。ついつい気を抜いてしまった、自分のバカさかげんへの憤りも相まって、こんなにでかくなってしまった自分を呪ってしまう。

毎度毎度頭をぶつけるのは嫌なので、どうしても姿勢が悪くなる。でかいからただでさえ目立つ上に姿勢が悪いので、どうにも印象が悪く写ってしまうようだ。

上から人を見るから、人を見下しているように思われる。でかいんだからしょうがないじゃないか。逆に、自分より背の高い人をみることはあまりないので、ちょっとでも自分よりでかい人と会うと、それがどんなに優しそうな人でも異常な恐怖感を感じる。

初対面の人に「何かスポーツをやってたんですか」と聞かれるのも迷惑だ。僕が「やってません」と答えると、なんかガッカリしたような顔になるのは何故だ。話題づくりに乗れなくてすみません。でもウソはつけない。

どういうわけか男性には「自分の身長がもう少し高かったらスポーツ選手(特にプロ野球選手)になれたのに」と潜在的に思っている人が多いようである。そういう人からはうらやましがられるが、人からうらやましがられてもいいことは何一つない。

ちなみに高校時代、僕の体育の成績はつねに2だった。これには理由がある。僕の高校は体育推薦があった。ラグビー部は当時全国優勝した学校である。体育のテストの時、身長が近いそういう連中と組まされてしまうのだ。

さて、何故いまこんなことを書いているか。答えは簡単。
たった今、自分の部屋の入り口で頭をぶつけたからである。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

女優の杉本彩さんが小説新潮スペシャルとして『エロティックス―私のカラダを熱くした官能文学選』なるムックを出すらしい。

で、上のリンクに収録される作品名が載っているのだが、ちょっと待て、川端康成がはいっとらんぞ。

川端康成といえば、日本人初のノーベル文学賞だの『伊豆の踊り子』だの『雪国』だの、なにやら叙情的なイメージだが、彼こそは日本の近代文学史に燦然と輝く、変態中の変態、ド変態作家である。

例えば『片腕』という作品がある。「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」なんていう若い女から、一晩片腕を借りてくる。片腕だけだよ。一眼レフのレンズみたいに簡単に外れちゃうんだよこれが。

で、男は借りてきた女の片腕を最初はいじくりまわしているのだが、そのうちにどうしても自分の腕を取り替えてみたくなり、片腕の承諾を得て(腕のくせにしゃべるのだ)自分の腕と付け替える。腕を付け替えたときに・・・アウウウッ!こんなこと、ちょっと普通の人じゃ思いつかないね。

この女(片腕も)の口調がまた妙にお嬢様っぽくっていいのだ。杉本彩じゃだめかもしれない。

なお、『片腕』は新潮文庫の『眠れる美女』に入っている。『眠れる美女』もそうとうなナニなので、これを読めば川端変態ワールドが楽しめると思う。

あ?変態文学選じゃなかったか。それじゃしょうがない。失礼しました。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

キリンの上海冷茶が出たときに、上海にそんなお茶はないぞ!と思った人は多いと思う。

そもそも、ジャスミンティー(茉莉花茶)の類は、お茶が採れない北方にお茶を持っていくさいに、品質低下をごまかすために花を香りをつけたものといわれており、上海のような周囲にお茶所がたくさんあるようなことろではあまり飲まれない。第一、お茶を冷やして飲むなんて習慣は中国にはない(たぶん)。

つまり、上海も冷茶もおかしいわけで、ついでに味もいまいちだなと思っていたらやっぱり売れなかったんだろう、上のリンクを見ると出荷は終了したと書いてある。

ところが、先日上海に行ったときに、甘くないお茶(ペットボトル入りで甘くないお茶をみつけるのは意外と難しいのだ)が飲みたいなと思ったら、キリンの「花間清源」なるお茶を発見。その店には甘くないのはそれしかないので購入してみる。あれ?どっかで飲んだ味だなと思ってラベルを読んでみると、「日本名、上海冷茶」とか(うろおぼえ)書いてあるじゃないか。まだ売られているということは、上海ではそこそこ売れているのかもしれない。

日本には日本のメーカーが作った「上海冷茶」があって、上海には日本のメーカーが作った「上海冷茶」ではない「花間清源」がある。

う〜ん・・・
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

忘れないようにと思って書いておいたんだけど、やっぱり忘れていましたしたした・・・
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

今日、電車に乗っていたら、某所で某氏が「画業十周年記念展覧会」をやるというポスターがあった。

僕は5年前に同じ人が「画業五周年記念展覧会」という展覧会をやったのを知っている。

そもそも美術なんて画業X周年のXが10以下だったら初心者も同然である。画業X周年記念の展覧会ができるなんてせいぜいX>=50だろう(X<=10が個展をするなと言っているのではない)。

よく恥ずかしげもなく画業十周年なんて書けるなと思ったけど、彼はもともとお笑い芸人だからきっと気の利いた冗談のつもりなのだろう。でも、五周年のときと同じネタだし、そもそもたいして面白くないぞ。

もちろん世の中には天才もいて、筆を持った瞬間から素晴らしい作品が描けるという人だっている。だが、そんな人ならますます「画業○周年」なんて無意味だ。天才なら1年だろうが50年だろうが変わらないからだ。

どうせハッタリかますなら、初めて絵を描いた1歳ぐらいから数えて画業X周年とすれば50年以上になるだろう。僕の友人で「詩書画陶芸篆刻の世界」といういろんな世界の代表をして、東京一レンタル料の高い(地価も高い)ギャラリーで個展をやっちゃった人がいるが、なんと陶芸は一年未満だった。

画業十周年の先生も是非見習って、次はちゃんと笑える展覧会をやってほしいものだ。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

カドルコア世代で配布している話題のソフト、成分解析を試してみた。

このソフトは世の中のありとあらゆるものが何でできているかという、古代ギリシャ哲学に始まり現代の素粒子物理学に至る疑問をいとも簡単に解析してしまうという画期的なソフトである。

ではさっそく解析してみよう。使い方は簡単で、テキストボックスに解析したい物の名前を入れて、ボタンをポチッと押すだけ。もちろん、やたがらすナビは古典文学のサイトだから、古典文学やその作者が何によってできているか解析してみる。今回は国文学編。

まずは『源氏物語』。ポチッ。
源氏物語の成分解析結果 :

源氏物語の68%はハッタリで出来ています。
源氏物語の25%は根性で出来ています。
源氏物語の6%は黒インクで出来ています。
源氏物語の1%は気の迷いで出来ています。

すばらしい!この結果に異論のある者はいないだろう。いや、ここまで的確に源氏物語を評したものを筆者は見たことがない。

これだけでも、成分解析の実力は十分にお分かりいただけたのではないかと思うが、念のため作者の紫式部を解析してみよう。
紫式部の成分解析結果 :

紫式部の51%は根性で出来ています。
紫式部の18%は度胸で出来ています。
紫式部の12%は毒物で出来ています。
紫式部の6%は希望で出来ています。
紫式部の5%はツンデレで出来ています。
紫式部の4%は歌で出来ています。
紫式部の4%は野望で出来ています。

やはり半分以上根性だった。根性がなければ五十四帖にもなる長編小説などは書けまい。12%の毒物は『紫式部日記』などで確認することができる。歌は歌人だから当たり前だし、野望も中宮付きの女房なら当然である。
特筆すべきはツンデレである。ツンデレとは「普段はツンツン、二人っきりの時は急にしおらしくなってデレデレといちゃつく」ようなタイプのキャラクターの事らしい。父親から男だったらよかったのにとまで言われた才媛、紫式部にいかにもありそうなことではないか。続きを読む

東京国立博物館の最澄と天台の国宝展を見に行った。閉館間際ならすいているだろうと思ってぎりぎりに行ったのだが、ぎりぎりすぎてゆっくり見られなかった。それほど混んでいた様子でもなかったので、これから行く人は余裕を持っていったほうがいいだろう(あたりまえですね)。

仏像、画像などは全国のお寺や博物館から、国宝、重文を中心に集めてあって圧巻。
書は自筆本を含む最澄・円仁・円珍関連文書のほか嵯峨天皇『光定戒牒』(本物は初めて見ました・4/16まで)、小野道風「円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書」(4/16まで)などが目を引いた。
写本では、観智院本『入唐求法巡礼行記』(あれ?目録には後期のみの展示になってる。あったと思うんだけど・・・)、青蓮院本『往生要集』、『是害房絵巻』(是害房は写本じゃないか。個人的趣味ですみません)などが見どころか。

会場で一番人気があったのは聖衆来迎寺像「六道絵」(4/16まで)である。「六道絵」なのに15幅で、全部いっぺんに見られるのは滅多にないらしい。人気があるのはもちろん地獄のところ。昔も今も、みんなこういうのが好きなんだな。いや、僕も好きだけど。

で、さすがに今回は図録を買うまいと思っていたのだけど・・・買ってしまった。しょうがないじゃんゆっくり見られなかったんだもの。

これがまた、前の書の至宝展とほぼ同じボリューム。やたらと重い。ちょっと残念なのは、例の六道絵がほとんど縮小されていてなんだか分からないところ。これにかぎらず、展示されている物が物なので縮小されているものが多く、図録としてはストロングバイではないかな。

というわけで、ちょっとシブイけど、見所は前期(3/28〜4/16)に多いと見た!いってらっしゃい!
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

おそまつ民主党で、ガセメールのことを書いたが、結果はご存知の通りである。

このガセメール問題、ダメ論文ができる過程によく似ている。

論文を書く場合、資料を調査して積み上げて結論を導き出す方法と、最初に結論を考えてそこへ導く証拠資料を探していく方法がある。どちらがいいとか悪いとかの問題ではなく、二つの方法があるのだ。ただし、前者の場合は何の結論も出ない(書誌学などを除く)可能性があり、後者の場合は最初に考えた結論がトンチンカンで論文にならない可能性がある。

ダメ論文ができやすいのは最初に結論を考える方法だ。まず、非常に斬新な結論が思い浮かぶ。慣れてくると、それが斬新なのか単なる妄想なのかある程度見当がつくのだが、経験の少ない人が功をあせっていたりすると、とんでもないアイディアでも画期的に思えてくる。
偽メール問題でいうと、「自民党はホリエモンとなんらかの黒い接点があるに違いない」という結論。たしかにあったとしても不思議じゃないので、今回の場合、ここまではいい。

そこで、その画期的な結論を導き出すために、証拠となる資料を探す。不思議なもので、結論が正しければ、証拠はむこうからいくらでも出てくる。だが、正しくなければなかなか出てこない。まあ、間違っているのだから、当たり前っていえば当たり前である。本当はここであきらめるべきである。
証拠があるはずだ・・・見つからない・・・見つからないのは探し方が悪いか、自民党の隠し方がうまいんだ。

しかし、まったく出てこなければそれでいいのだが、何しろ文学の世界は長い歴史を持っている。むりくりこじつければ証拠といえなくもない(少なくとも本人はそう思っている)ものがどこからともなく出てくる。たった一つのショボイ証拠なのに「ホレ、でてきた!」と大喜び。さらにいろいろこじつけて、かくて立派なダメ論文が完成するのである。
メールが出てきた。武部幹事長はクロだ!これで糾弾すれば他にも出てくるに違いない。

これを防ぐのは、証拠が出てこない時点で、ダメなものはダメと切り捨てる勇気である。

え、アタシですか。アタシなんかもう・・・アイディアが枯渇してますって。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr


圧力鍋の思い出
圧力鍋で煮物を作っていたら、ものすごい勢いで、本来出るべきところじゃないところから蒸気が吹き出したことがある。
僕はとにかく火を止めなきゃいけないと思って、恐る恐るコンロに近づき火を消した。
わずか数秒だったが、一時間よりも長く感じた。

雪平鍋の思い出
雪平鍋のユキヒラというのは、本当は行平と書き、在原行平のことである。行平が須磨で海女に鍋で塩を焼かせたかららしい(『古今集』雑下962)。
田むらの御時に、事にあたりて津の国のすまといふところにこもり侍けるに、宮のうちに侍ける人につかはしける
わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩たれつゝ わぶと答へよ

在原行平は『伊勢物語』の主人公在原業平の兄である。
ちなみに東京の隅田川に掛かる橋に業平橋というのがある。兄がナベで弟はハシ。だから中古文学を専攻する人はこの二人を調理器具ブラザースと呼んでいる(ウソ)。

中華鍋の思い出
これ一つで、揚げる、炒める、焼く、煮る、すべてできてしまう。しかも、蒸籠を乗せればさらに「蒸す」ことも可能だ。
嬉しいことに、中華鍋は基本的に洗わなくていい。ごりごりと汚れをこそげて終わりである。自然にもやさしい。
中華鍋は片手のものを北京鍋といい、両手のものを広東鍋という。僕のような素人には北京鍋の方が振り回しやすい。中華料理の料理人が広東鍋の片一方の取っ手に布巾を巻いて振り回しているのを見ると、かっこいいなあと思う。僕は一回まねをして布巾が炎上したことがある。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

↑このページのトップヘ