2006年07月

何しろ夏なのに涼しい日が続いているので、ここ数日かけて大掃除をしている。名づけてエクストリーム大掃除。Yeah!

エクストリーム大掃除とは、掃除を「限界に挑戦するスポーツ」として位置づけた究極の大掃除のこと。もちろん大掃除だから「部屋をきれいにする」のが目的だが、これは主目的ではない。あくまで「限界に挑戦するスポーツ」なのだ。Yeah!

使用する道具は、ほうき、ちりとり、雑巾、マスク、ヘッドランプ、ゴミ袋、そしてたらいと水。ダスキンとか掃除機の類は絶対に使ってはならない。なぜって、それはエクストリームだから。Yeah!

時間帯は深夜から次の日の昼まで。だから掃除機は使えないぜ。っーか持ってないぜ、Yeah!

種目は、1.本棚 2.デスク 3.パソコンデスク 4.収納 5.水回り&トイレの5種目。今、2種目めから3種目めに入るところ。どれだけ綿ぼこりが取れたかで勝敗が決まる。しかし、第一種目の本棚で4日もかかっちまったぜ。So cool!

Goddamn!それにしても俺の部屋には一体何本コードがあるんだ。パソコン本体・モニター・プリンター・スピーカー・ADSLモデム・スタンド×2・ラジオ・CDプレーヤー・扇風機・空気清浄機・携帯の充電器、電気ポットに冷蔵庫・・・行方の分からないのが数本、発情期の蛇みたいにもつれてるぜ。

え、なんで今ごろこんなこと書いているかって?いい質問だBrother!

飽ちまったのさ。

最後にもう一つ、coolなエクストリームスポーツを紹介するぜ。

エクストリームアイロンがけ

So cool!
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日本にたった一つだけ、自転車天国がある。しまなみ海道である。もし、これ以上の自転車天国があったら教えて欲しい。

しまなみ海道の素晴らしさは、自転車以外では味わえない(書いていて思い出した。自転車道路は原付バイクでも走れる)。自動車ではあっという間に過ぎてしまうし、橋の途中で立ち止まって瀬戸内海の絶景を堪能なんてできないからである。逆に徒歩では距離が長すぎるし、舗装道路は単調で飽きてしまうだろう。

しまなみ海道では、尾道大橋以外はすべて自転車専用道路が付けられている。橋に登るまでがたいへんだが、ちゃんと自転車用に考えられて作られているので、押す以外にのぼりようがない坂というのはない。

なお、尾道大橋は自転車には最悪なので、どうしても全部橋でなきゃいやだという人以外は、大林宣彦の映画でおなじみミニフェリーを使おう。

このしまなみ海道は、全長80キロなので、ロードレーサーやMTBでごりごり走る人には、一日で十分渡れる距離(がんばれば往復できる)だが、それではちょっともったいない。なにしろ見所が多いのだ。

出発地の尾道と因島はあまりに有名だからいいだろう。

まず、生口島。ここには耕三寺がある。ここは、鉄鋼で財をなした耕三寺耕三(金本耕三)が母親の菩提を弔うために建てたお寺で、すべて日本全国のお寺のパッチモンをインスパイヤして作られている。成金趣味に母親への愛に涙が出てくるのだが、ここの博物館には重要文化財・重要美術品の仏像や絵画、工芸などのコレクションが多数ある。

なんて、見てきたようなことを書いているが、実はあまりに胡散臭いのでこんな珍宝があるとは知らず、僕は行っていない。

それから、大三島。ここはなんといっても大山祇神社である。国宝、重文が佃煮にできるぐらいある。もともと武将の信仰を集めた神社だから、平安・鎌倉時代の武具が多い(全国の国宝級武具の8割はここにあるらしい)。9月9日の一人相撲も必見。なにしろ本当に一人で相撲をとる(らしい。実は見ていない)。

村上三島記念館もこの島の多々羅大橋のすぐ近くにあるので、現代書道に興味のある人は行っておこう。

大三島にもいくつかキャンプ場があるが、次の伯方島(伯方の塩でおなじみ)と大島の間(伯方・大島大橋)のかなり伯方島よりに、見近島という小さな無人島があり、ここに無料のキャンプ場がある。自転車ツーリングでテント泊ならここがお勧め。

なんとこのキャンプ場、自動車道からは降りられない。したがって、このキャンプ場に来られるのは、自転車か原付き、徒歩しかない。掃除のおじさんに聞いたら、自前の船で来る人もいるそうだ。さすがは村上水軍の末裔である。

さて、自転車天国なんて書いたが、自転車ならなんでもいいというわけではない。けっこう上り坂があるので、いわゆるママチャリではちょっときついと思う。このあたりはレンタサイクルも充実しているので、大三島あたりを中心にサイクリングしても十分に楽しめると思う。大三島だったら多々羅大橋のたもとの道の駅で借りられる(と思う。下のリンクを参照。ご利用は計画的に。)

この夏、自転車でしまなみ海道はいかがですか・・・というか、書いていたらまた行きたくなってきた。

【参考サイト】
SHIMAP しまなみ海道観光マップ
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時速78キロ暴走と言えぬ 猶予判決に両親無念

制限速度50キロの現場でどれだけの速度が出ていたかが争点となっていた。岡部裁判長は、時速95キロ以上との検察側主張を「科学的根拠に欠ける」として退け、78・8キロ以上だったと判断。その上で「被告の過失は重いが、暴走とまでは言えない」と判決理由を述べた。


>時速50キロ以上で違反の道路を、78.8キロで走ったら「暴走とまではいえない」。

あー、この裁判長、何言っているのかさっぱり分からない。
30キロオーバーは暴走じゃないならなんなんだ。
そもそも暴走かそうじゃないかはスピードと関係あるのか。
暴走族はずいぶんゆっくり走っているように見えるが。

ともかく、アホ裁判長は運転手付きの自動車だけじゃなく、自転車にも乗ってみろよ。
隣を時速80キロのトラックが走る恐怖を味わってみろよ。

制限速度ってのは、一体何のためにあるんですかね。
つい、脊髄反射で書いてしまいました。

【追記】
こんなページがありました。
白倉美紗さん交通死事件 支援のページ
時速約65kmで走行中の乗用車を追い抜き、その後、美紗を撥ねたのに、加害者は「70km/hくらいで走っていて、回避できないくらい目の前に飛び出してきた」と言うのです。それは絶対に有り得ない事です。35m以上のブレーキ痕を残し、更に、路外逸脱後12mも畑を走行し、電柱を折って停止しているのにです。

突っ込みどころ満載ですな。

被告の言うとおり時速70キロだとしても、停止するのに42.14mかかります(ここで計算しました)。目の前に飛び出したかなんか知らんが、立派な暴走です

>35m以上のブレーキ痕を残し、更に、路外逸脱後12mも畑を走行し、電柱を折って停止しているのにです。

これ以上ないくらいの暴走です
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オンライン書店や図書館から本を探すフリーウェア、本の検索を試してみた。

「本の検索」は現在、amazon・紀伊国屋・bk-1(三省堂)・芳林堂・ジュンク堂・有隣堂の五つのオンライン書店と、NACSISWebcat・慶応大学図書館OPAC・国会図書館総合目録ネットワークシステム・横浜市立図書館・大阪市立図書館の蔵書を串刺し検索できるソフトである。

いたってシンプルなソフトで、簡単に言えば、それぞれのウェブページをいっぺんに検索して開いてくれるのである。書籍検索専用タブブラウザというと分かりやすいだろうか(かえって分かりにくいか?)

ただし、書名以外の検索はできないし、ユーザーが探したいサイトを自由に増やせるというわけではない(これらには技術的な問題があるのだと思う)ので、広く浅くざっくりと探すのに便利である。

現在、古書店を検索できないのが残念だが(このソフトはむしろ古書店を検索するのに向いているような気がする)、ユーザーからの要望が出ているので、対応してくれることに期待する。

#えらそうに書いてすみません>作者の方
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山口仲美『日本語の歴史』(岩波新書・2006年5月)を読んだ。

昨今、出版された本で「日本」とか「国家」が付く題名の本は、鬱陶しい本の代名詞だが、本書は違う。最初に言っておこう、ストロングバイ。この本が例の鬱陶しい本より売れなかったら、いよいよ日本は終わりだと思う。

国文学科出身の人にとっては、本書に書いてある内容の大部分は、国語学の教科書で読んでだいたい知っているはずだが、どういうわけか、この手の教科書は読んでいておもしろいと言えるものではない。いきおい、通読はできず、知識が穴だらけ。教科書だから面白い必要はないのだが、特に国語学系の教科書は無機質で、どうも読む意欲が失せてしまうものなのだ。

古文の先生は文法大好きだと思われているが、それは違う。文法大好きなのは国文学科出身でも、国語学を専門にやってきた人で、ほとんどの人は文学専門。文学専門の人は内容に興味を持ったからやっているのである。だから、文法は苦手なのに、文学を読むには文法の知識がなければ読めないから、いやいや勉強したという人も多い(と思う。少なくとも僕はそうだ)。

昔、この話を数学の先生にしたら、「数学の先生は計算好きだと思われているが・・・」と言われた。「なるほどなー。文学と数学って似てますね、漢字二文字だし、就職率悪いし」なんてワケのわからないことを言ったのを記憶している。

話をもとにもどす。この本は題名のとおり、奈良時代から現代までの日本語の歴史の本である。時代別に構成されているが、表記、文法、語彙などが、それぞれ整然と並べられているというのではなく(これが国語史の本を単調に感じさせる原因かもしれない)、各時代別に有機的に構成されている。だから、読んでいて飽きないし面白い。

用例も適切で、すべて現代語訳付。古典になじみがない人にも読みやすいように配慮されている。一般向けの本だが、どうも国語学は苦手という国文学科の学生や、国語の先生のネタにもぴったりだと思う。

僕が興味を持ったのは、係り結びがなぜ現代に残らなかったか、という部分。係り結びは、高校の古典の授業で必ず習うのだが、「なんで昔はこんなややこしいことをしていたんだ!」と思ったのは僕だけじゃないだろう。本書のものすごく明快な答えで納得した。答えは書かないよ。本を買うように。

時代が降るにしたがって、日本語が論理的になっていくというのも面白かった。古典を現代語訳するときに、一番ひっかかる部分はこれだったのだ。

なお、著者の山口氏は「山口仲美の言葉&古典文学の探検」というサイトを立ち上げていらっしゃるので、こちらもどうぞ。
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山本夏彦訳「なめくぢ犬と天文学者」は福音館版では「『なめくじの話』」となっている。題名はとりあえず山本版に統一する。

サーカスで算数をするという芸を持つなめくじ(名前である)は、盲導犬チョコレートの誘いで、盲人の天文学者ラリュンヌの助手になる。ある日、なめくじ犬の計算結果を聞いたラリュンヌが「今日の午後一時に流星に当たって地球が粉々になる」という予言をする。回避するための数式をなめくじに解かせようとするが、難しくて解けない。なめくじ犬の友人ピタゴラス(蛙)なら解けるかもしれないと、ピタゴラスとその飼い主、首なし女を呼びに行く。ラリュンヌ・なめくじ・チョコレート・首なし女・ピタゴラスの五人は、食事をはじめるが歓談しているうちに気がつくと三時になっていた。もちろん地球は粉々にならず、なめくじは自分の計算が出鱈目だったことを告白し、ラリュンヌも自分は天文学を知らないことを告白し、チョコレートもラリュンヌの代わりに星を見ていたのはウソだったと告白する。

サーカスで算数をしていたなめくじは本当は3までしか数えられなかった(ちなみにピタゴラスは2までしか数えられない)、それらしく研究していた天文学者ラリョンヌ(福音館版では満月氏)は、実は天文学者どころか「太陽や月の形すら覚えていない(盲人だから)」ほどだった、というあたり、論語読みの論語知らずみたいだが、それを批判するのではなく「結局、地球が粉々にならなくってよかったじゃん」という方向へ向かっていくのがこの物語の面白さである。

ラリョンヌはなぜか、最後にくびなし女(すごいキャラクターである。文字通り首のない女の挿絵がある)と結婚するのだが、その時も、「子どもが生まれたら天文学を教えよう」なんて言っている。もちろん、なめくじ犬も「僕は計算を教えよう」と言う。

みごとな不条理なのだが、この不条理が優れているのは、どうしても読者が寓意を読み取ろうとしてしまうところで、僕なんかも「ちゃんと源氏物語を読んだら源氏物語の論文なんて書けない」という、ある先生の言葉を思い出しちゃうが、そういう深読みをすればするほど読者の負けである。せいぜい「世の中ってそういうもんだよな」ぐらいに思っていたほうが楽しく読める。

訳は福音館版の方が現代的(あたりまえだ)で読みやすいが、山本版はいかにも山本夏彦らしい訳である。

ラリュンヌが講釈をたれるときのセリフで比較してみよう。

【福音館版】
いままでの天文学は、いろいろと、あやまちをおかしたけれども、星座の名前だ。外見とはまるっきり、似ても似つかないじゃないか。大熊座は、ほんとうにクマに似ているかね?とんでもない。では小熊座は?こちらも、ぜんぜん。これは、ぜひとも修正する必要がある。・・・

【山本版】
従来の天文学の、排斥すべき誤謬の随一は、その外観と何等の関係のない名称を、星座に与へたことである。大熊座は熊に似てゐるだらうか。否。然らば小熊座は?同じく否。これは訂正しなければならぬ。・・・

山本版はここのセリフだけ文体を変えていて、いかにも偉そうな感じがする。もっとも、こういう文体では現代の少年少女には意味がさっぱり分からないと思うけど。

ところで、山本先生、先生はタクシーをタキシーと書くのが癖だととこかに書いていらっしゃいましたが、この本にはタクシーとなっています。若いころはタクシーだったんでしょうか?それとも誤植?
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山本夏彦氏の本の最後には著者紹介とともに著書一覧があって、このレオポール・ショヴォ作・山本夏彦訳『年を歴た鰐の話』(櫻井書店・昭和16年)が一番最初に書いてある。

この『年を歴た鰐の話』は、生前、復刊の許可がでなかった。山本氏の著書一覧がこの本で始まる理由は、氏のエッセイにいくらでも書いてあるので興味があったら読んでほしい。この本、一度読みたいと思っていたのだが、平成十五年に文芸春秋社から復刊されたことにより読むことができた。

これがおもしろいなんてもんじゃない。寓意があるようでない(山本氏によると、純粋なナンセンスで寓意などない)シュールな内容と、ショヴォ自身による、上手とも下手ともいえないみょうちくりんな絵がなんとも言えずいい。

『年を歴た鰐の話』を読んでから他の作品も読んでみたかったのだが、最近、中学校の図書室で発見。探していた本というのはどこから出てくるか分からないものである。さっそく借りてきた。

レオポルド ショヴォー著・出口裕弘訳『いっすんぼうしの話』(福音館書店・1986年12月)である。このシリーズ、ほかにもたくさんある。なお、このリンクにあるのは文庫版だが、僕が借りてきたのは大判の絵本である。こちらは絶版のようだ。

表題の「いっすんぼうしの話」は、普通の人から生まれた小さな少年が、おとっつあんの木靴に乗ってアヒルと一緒に海を冒険し、巨人(少年から見た巨人、つまり普通の人)の王に食べられそうになった小さな王女を助け結婚する話・・・とあらすじを書くと普通だが、読んでみれば分かるけどぜんぜん普通じゃない。

この本には山本氏の『年を歴た鰐の話』に所収される「なめくぢ犬と天文学者(福音館版では「『なめくじ』の話」)」が入っている。こっちの感想は次回に。
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もう5年ぐらい前の話。ちょうど今ぐらいの季節だった。

僕は友人S君の結婚披露パーティーに呼ばれた。幸い、僕の家から近い場所(といっても1時間ぐらい)だったので、歩いていくことにした。

招待状には、「平服で来い」と書いてあった。だから、歩きやすいTシャツに半ズボン、サンダルで行こうとしたら、出がけにおばあちゃんが「結婚式だからせめて襟のある服を着て行け」という。

なんで襟なのかよく分からないけど、なるほどTシャツじゃ地味かなと思って、緑地に竜虎の絵が描いてある、超おしゃれなアロハシャツに着替えた。

会場に着いて、僕は凍りついた。平服で来ているやつなんて一人もいないのである。8割がたは礼服かドレス。残りの2割もスーツなどしごくまっとうな格好だ。こうなってくると「平服って書いてあったじゃん!」なんて言ってはいられない。

しかも、S君とは長い付き合いである。嫁さんのほうも僕の後輩でよく知っている。50人はいるであろう招待客の9割以上は僕のことを知っている人ばかりではないか。「相変わらず中川は・・・」と言っているような気がした。いや、気のせいではない。10年ぶりぐらいに会ったのに「変わんないですね〜」なんて薄ら笑いで話しかけてくる奴がいる。

「せめて襟の付いた服をきていけ」と言ったおばあちゃんの言葉が脳裏をよぎった。こういうことだったのか。僕は逃げ出したくなった。

その時、僕以外で唯一ヘンな格好をしていたのが、中国服を着ていた司会のIさんである。「いやー中川君、やってくれるなー。でも思ったより地味だね。どんな出し物をするの」なんて言っている。違うぞ。第一出し物なんて聞いていない。

出し物をするなら、僕はサンタクロースでもウルトラマンにでもなるだろう。なんなら腰蓑の裸族になってもいい。そんなのはちっとも恥ずかしくない。このときはあくまでこれが「平服」のつもりだったから恥ずかしい。

主役のS君に非礼をわびた。「平服でって書いてあったから・・・」と僕が言うと、S君「いや、それでいいんだよ。平服なんだから」っていうが、あんたが着ているのは思いっきりタキシードじゃないか。客には平服でと言っておいて、なんだそれは!

このとき、僕は三つのことを悟った。

1.意外にも僕は常識人ではないらしい。
2.平服と普段着は違うらしい。
3.狙って変な格好をしてくる奴だと思われているらしい。

さて、来月、このとき中国服を着ていたIさんが結婚する。S君は早速、今回は何を着てくるの?なんて言っている。

誰がなんと言おうと礼服を着ていく。

たとえウエストが入らなくても、だ。
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むじんさんとこで紹介されていた、Stardictを試してみた。

リンク先見たら英語ばっかりだったからってびびらない。いや、僕がびびったんだけど、日本語のStarDictインストール ガイドがあるんで、そこを読んでからインストールするとよい。

UNIX由来のクロスプラットフォーム(要するにOS問わず使える)なんで、ちょっといつものWindows用のソフトウェアをインストールするのとは勝手が違うが、それでもインストールするだけの価値はある。

Stardictとは、Googleツールバーのマウスオーバー辞書とか、以前にこのブログで紹介したPOP辞書のように、マウスカーソルで指した単語の意味をポップアップで表示してくれる辞典ソフトのフリーウェアである。

マウスオーバー辞書などと違うところは、ブラウザ上の単語だけではなく、表示されている文字ならすべてポップアップしてくれる(例えばスタートボタンの「スタート」にさえ反応する)ことと、ポップアップだけでなく、テキストボックスへの入力に対応していることと、辞書ファイルの種類がむちゃくちゃ多いことである。

たとえば、英和・和英、中日・日中(これらは複数種類がある)、成語辞典、仏教語辞典、珍しいところでは本草綱目なんてのもある。

というわけで、外国語の文章を読む人には必須のツールである。

ワールドカップでフランスのジダンがイタリアのマルコ・マテラッツィに頭突きをかまして退場になった。

マテラッツィの暴言にジダンがキレたということらしいが、分からないのはあれほど短い時間にジダンが頭突きしたくなるほどの暴言が何だったかである。そこで、この記事に注目。

マテラッツィ、バカンスのため前倒し自白 (日刊スポーツ)

マテラッツィの「自白」の要点は次のようなものだ。
  • 姉妹を侮辱するような言い方をしてしまったが、イタリア人ならば普通に使う“売り言葉”である。
  • 彼に姉がいるのかも知らなかった。
  • 一般的な侮辱言葉だ。
これで思い出すのは、日本の侮辱語「お前の母ちゃんデベソ」である。そもそも母ちゃんがデベソだろうとヘベソだろうと息子としてはどうでもいいことなのだが、なぜか侮辱の言葉になっている。

この言葉は、もとはヘソではなく女性器だったという説がある。本来は「母ちゃんとやっとれ」的な侮辱語だったらしい。これは全世界的な罵り言葉で、英語の"motherfucker"や中国語の"他媽的"にも通じるもので、おそらく"son of a bitch"も、もとはこのあたりだろう。
#笠松宏至氏「お前の母さん・・・」(『中世の罪と罰』・東京大学出版会)

これが、侮辱語たりうるのは、母ちゃんといたすのが近親相姦のタブーに触れるためで、なにしろ女性器がヘソに変わっちゃうぐらいだから、母ちゃんが姉ちゃんだったとしても不思議はない。

僕はイタリア語にそういう侮辱語があるのかどうかは知らないので憶測にすぎないが、「姉ちゃんとやっとれ!」「うちには姉ちゃんはいねぇよ」みたいな軽妙なやり取りがイタリアにあったとしても不思議じゃないと思うのである。

しかし、侮辱言葉は同じでもそれの持つ重みは地域や文化によって違う。それはジダンには通じない言葉だったんじゃないだろうか。何はともあれそんな言葉は言わないことが賢明だが、最大の不幸はジダンに本当に姉ちゃんがいたことであろう。

でも、僕がもっと分からないのは、なんでパンチやキックじゃなくって頭突きなんだってことなんだけど・・・
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