2006年11月

ビクトリノックスとられました 警官の形式主義の取締りに注意!

偶然見付けたこのMyNewsの記事。いや、本当にびっくりしたなぁ、もう。コメント覧を見るとずいぶん被害にあっている違反者が多いようだ。こりゃ立派な警察国家ですな。美しい国をめざして働いていらっしゃる警察のみなさんのバカバカしい仕事っぷりには頭がさがります。

実は僕にも思いあたるふしがあるのだ。それも、上の記事と同じ荏原警察である。

数ヶ月前のことだった。交差点で信号待ちをしていた僕に警察官が声を掛けてきたのである。

警官「その工具入れには何が入っていますか」

僕は、自転車に常時工具入れをつけている。だが、へんなことを聞くなあと思った。

中川「は?工具ですが・・・・(何言ってんだろう)」

別にボケたわけではない。工具入れには工具が入っているにきまっているから、自然とそう答えたのである。もし正確に言うなら、

「パッチ数枚とゴム糊とタイヤレバーと紙やすりとチェーン切りとチェーンピン二本とニップル回しとアーレンキーセットと小型プライヤーと針金ですが、何か?」

となるが、こんなことすぐに言えるはずがない。今だって、やっと思い出したぐらいだ。

警官「アーミーナイフは入ってませんね?」

中川「はい」

その時は何も考えずにそう答えた。もちろん実際そんなものは修理には必要ないので工具入れには入れていない・・・のだが、前にも書いたように鞄の中には入っていた。

警官「最近、工具入れのアーミーナイフなんかでパンクさせる悪戯が増えていますから駐輪するときは気をつけてください」

中川「はい、ごくろうさんです。気をつけます」

ちなみに、僕は学校の教員用の駐輪場以外では、目のとどかない所には絶対に駐輪しない。家では部屋の中に入れている。

家に帰ってから、ちょっと警官の言っていることがおかしいことに気付いた。そもそも、工具入れをつけているような自転車がそんなにあるとは思えない。もしあったとしても、十徳ナイフ(アーミーナイフという言い方が嫌いなんで、これ以降十徳ナイフとさせてもらう)は入れないだろう。修理にはあまり役に立たないからである。

それに、「悪戯が増えている」というのが本当だとしても、悪戯するなら工具は持ち歩くんじゃないだろうか。パンクさせるのが目的なら、画鋲や安全ピンで十分だし、もっと派手にやるなら、ニッパーかプライヤーを使うはずだ。わざわざ滅多にない工具入れが付いている自転車を捜して、これまた滅多に入っていない十徳ナイフなんか使うだろうか。

これまた後から気付いたのだが、「パンクさせる悪戯が増えている」というのもかなりあやしい。というのは、僕は品川区の学校にも勤務していて、そういう生徒が狙われやすい犯罪(例えば変質者など)に関してはそれこそ、管轄の荏原警察からお達しがくるのだ。そのころ僕はそのようなお達しは見ていなかった。もっとも、これは僕の見落としかもしれないが。

さて、そんなわけで、以前は持ち歩いていましたが、金輪際十徳ナイフは持ち歩かないことにしました。その代わりICレコーダーを持ち歩くことにします。僕は反省しています。ですから、もうやたらと僕に声をかけないでくださいね。僕を怒らせるとマジで面倒くさいよ。全力で抵抗しちゃうからね。

#ちなみに、ビクトリノックスの十徳ナイフはアメリカ同時多発テロ事件以前は飛行機の機内に持ち込めました。それほど、安全なものだということです。
#それにしてもMyNewsの「そんなに物騒なら、護身用にもなるじゃないですか。」はまずいと思う。十徳ナイフは護身用にはなりません。
#本気で面倒くさいことにしちゃった人がいました。すごいなー。
真概夢戯言/四方山話/軽犯罪
#結論としては、たとえ持っていても持っていないと主張する、見せない、渡さない、裁判所の礼状を持ってこいと言い張るのが正しい行動のようです。また、ICレコーダーを持ちあるいて、万一のときはすべて録音するというのもいいと思います。
#結局、警察に協力しようとした善人がバカを見るわけですな。しかし、こんなことしてていいんですかね。いずれ市民の協力が得られなくなると思いますよ。
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そろそろ年賀状のことを考えなければならないシーズンである。だからといって、参考にしようと思ったわけではないが、『芸術家の年賀状』(小池邦夫編・二玄社)を買った。

ハガキというのは妙に創作意欲がそそられるサイズで、僕もかつては、木版の手刷りで年賀状を作っていた。これはなんとか干支を一回りしたが、どうにも面倒なのと、苦労するわりには自分が思ったほど好評でないことがわかって、ここ数年はレーザープリンタで印刷したつまらないものになっている。

この本は、洋画家、日本画家、版画家、イラストレーター、篆刻家など明治から昭和にかけて活躍した68人の芸術家の年賀状を集めたものである。もちろんすべて手製で、版画が多いが、中には手書きのものもある。いかにも、その作家らしいというのもあれば、いつものスタイルとは違って「へーこんなのもあるんだぁ」というのもある。そこが年賀状らしくっていい。

続編の『続 芸術家の年賀状』もあるんで、これもいずれ買おうと思っているけど、ちょっとお値段が高いんだよなー。
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タイの僧侶がペニス切断、医師による再接着を拒否 (infoseek:ロイター)

ひさしぶりに古典関係のエントリを書くんで、日本の古典文学のカテゴリを見たら、どうもチ○コネタが多い。なんでだろうと思いつつ、やっぱりチン○ネタ。

なんでも、タイの坊さんが切っちゃったらしいのだ。
この僧侶は、瞑想中に勃起したことが切断の理由とした上で、煩悩をすべて断ち切ったのだから再接着の必要はないと話したという。
なんでよりにもよって瞑想中に勃っちゃったのか知らないけど、なにしろ男性諸兄にはお分かりのとおり、勝手に勃つんだからしょうがない。

ちなみに、イチモツのことを魔羅(マラ)というが、これはれっきとした仏教語で、サンスクリット語で「瞑想を妨げる悪魔」という意味のマーラに由来する。お釈迦様もマーラに騙されそうになるのだが、これはもちろんイチモツではない。マーラのせいで魔羅が勃つのであって、魔羅がマーラなのではない。なんだかわかんないけど。

このように煩悩を断つために勃つものを断つのは日本でも行なわれたらしい。『宇治拾遺物語』第六話「中納言師時、法師ノ玉茎検知の事」には、このタイの坊さんと同じように、イチモツを切っちゃった人が登場する説話がある。ただし、この坊さん、タイの坊さんとは違って、本当に切ったのではなく、実は詐欺師だった。

中納言師時のもとに、一人の法師が来た。その法師は「煩悩を切り捨てた」という。師時が「煩悩を切り捨てたとはどういうことだ」と聞くと、「では、これをご覧ぜよ」といって、衣の前の方をかきあげて見せる。ここの描写が面白い。
中納言「さて、『煩悩をきりすつる』とはいかに」と、問へば「くは、これを御らんぜよ」と、いひて、衣のまへをかきあげてみすれば、誠にまめやかのはなくて、ひげばかりあり。
法師のいうように、そこには例の大切なものがなくって、「ひげ」ばかりだった、というわけである。

中納言師時、不思議そうに見ていたが、この法師の所謂「きゃんたまぶくろ」が妙に大きいのに気付く。そこで、12、3歳ぐらいの若い侍に法師の股をさすらせる。若い侍の柔らかい手にたまらなくなって、法師のイチモツはコンニチハ。一同大爆笑。ここの部分、なかなか面白い文章なので、次にそのまま引用する。
小侍の十二三ばかりなるがあるをめしいでて「あの法しのまたのうへを、てをひろげてあげおろしさすれ」と、のたまへば、そのままに、ふくらかなる手して、あげおろしさする。とばかりある程に、この聖、まのしをして「いまはさておはせ」と、いひけるを、中納言「よげになりにたり。たださすれ。それそれ」と、ありければ、聖「さまあしく候。いまはさて」といふを、あやにくにさすりふせける程に、毛の中より、松茸のおほきやかなる物の、ふらふらといできて、腹にすはすはとうちつけたり。
つまりこの法師は、「きゃんたまぶくろ」の中にイチモツを入れて、糊で陰毛をはりつけて騙そうとしていたのである。

もちろん、研究者としては、果たして「きゃんたまぶくろ」の中にイチモツを入れることができるのかが気になるところだが、一応やってみたが僕にはできなかった。もしかしたら、僕のが大き・・・いや、なんでもない。
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これでいいのか! テレビの自殺報道規定(J-CAST)

以前から、なんかおかしいなと思いつつ、イマイチ自分の判断に自信がなかったのだけれど、これで分かった。やっぱりおかしい。

というのは、テレビの自殺報道である。もう誰もがそう思っているんじゃないだろうか。自殺報道が自殺を助長しているんじゃないかと。

自殺報道は、自殺志願者に三つの動機を与える。一つは、自殺するのは自分だけではないという安心感。もう一つは、自殺という抗議が有効であること。最後は自殺という手段があることだ。

さらにWHOは自殺報道について次の原則を挙げている。
●写真や遺書を公表しない
●自殺の方法について詳細に報道しない
●原因を単純化して報じない
●自殺を美化したりセンセーショナルに報じない
●宗教的・文化的な固定観念を用いない
●自殺を責めない

WHOにこんなガイドラインがあるなんて知らなかったが、少なくともWHOが定めているということは、世界の常識ということだろう。どう考えても、今の報道ではどれ一つ守られていない。

腐れマスコミは、僕のようなオッサンではまともに報道しないのに(自殺する気はないよ。念のため)、若者のときは報道するのだ。若者の方がより悲劇的だからだろう。問題提起したいなら、件数だけで十分なはずだ。ようは、昼のソープドラマと同じ、お涙ちょうだいなのである。

表現の自由もクソもあるもんか。人の生き血を商売にするな。
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どういうわけだか知らないけど、最近都内のコカコーラ系自販機でマックスコーヒーを見るようになった。

これ、茨城と千葉が有名らしいけど、僕が中学生ごろ埼玉にも少数ながらあった。やたらと牛乳臭くて甘い印象があるが、あのころの缶コーヒーは全部甘かったので、どれがマックスだったやら、ポッカだったやら、ジョージアだったやらさっぱり記憶がない。

ちなみに僕の家の近所で売っていたのは、利根コカコーラのページにある「初期のデザイン」というやつだ。後に千葉県の大学に通うようになって(そのころには近所では売られていなかった)、上半分がジョージアで下半分がマックスコーヒーというふざけきったデザインの缶を見たときには驚愕した。千葉は恐ろしいところだと思った。

千葉ついでにいうと、初めて千葉に行くようになって、もう一つ驚いたのがマツモトキヨシである。そのころ、まだマツモトキヨシは千葉ローカルだった。このフルネームを店名にしちゃうセンス、そして千葉県民の生活を支えているといっても過言ではない店舗の数。マツモトキヨシといえばドラッグストアだが、千葉県内ではスーパーマーケット(今年撤退したらしい)やホームセンターもやっていて、どこにでもあったのだ。

この店名、どう考えてもへんなので、地元の人に聞いてみたら、創業者の松本清氏は松戸市長だったそうだ。つまり、店名は選挙の宣伝なのである。店の名前じゃ、どんなに宣伝しても選挙違反にはならない。天才だと思った。もっとも、一番びっくりしたのは、あれよあれよといううちに全国的に店舗を拡大して、銀座の一等地にまで店をだしたことだけど。

話を元に戻す。そんなわけで、マツモトキヨシ以来の千葉(本当は茨城)からの刺客、マックスジョージアを試してみた。デザインは初代缶によく似ている。

缶を開ける。あの懐かしい牛乳臭さが漂ってくる。そうだ、思い出した。昔、ボーイスカウトで、深夜に初詣のゴミ拾いボランティアをしていたとき、父兄から差し入れてもらった缶コーヒーの臭いだ。あれはマックスコーヒーに違いない。

飲んでみる・・・甘い。予想通り、甘かった。コーヒの味そのものは、かなり薄く感じる。ダメなカフェオレみたいな味である。香りとともに、ずいぶん遠くなってしまった記憶が蘇ってくる。××んだ×××で行くあてもなく走り出した記憶とか、××に入り込んで××を××した記憶とか(一部自粛、フィクション有り)。なぜか深夜なんだよな。

僕はノスタルジーにひたりつつ、お口直しのコーヒーを入れなおすのだった。やっぱむり。甘すぎる。
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石川忠久氏の『漢詩の魅力』(ちくま学芸文庫・2006年9月)を読んだ。

一般向けに書かれているので、大変読みやすく、面白い。僕は韻文音痴というのか、和歌だの漢詩だのの韻文を読むのがすこぶる苦手である。理由は読み解くのが面倒くさくなっちゃうのと、その歌なり詩なりの背景がうまく想像できない(イマジネーションの不足か?)からである。

また、この手の漢詩鑑賞の本というのは、「なんか、知っている詩ばっかでつまんなーい」ということになりがちなのだが、この本では、そういう有名な詩はもちろん、「なんじゃこりゃ」級(僕としては)のものまで入っており、それらがちゃんと章ごとの文脈を通して読めるようになっていて、僕の貧困な想像力を補ってくれる。だから飽きない。

石川先生(すみません。突然ですが、過去にお世話になっているので、氏はやめて先生にさせていただきます。)の本には定番の日本の漢詩が載っているのもいい。やっぱりヘンな詩も紹介されている。これなんかちょっとツボにはまった。

富士山図   広瀬青村
一岳排東海  (一岳東海を排し)
三峰撐北斗  (三峰北斗を撐う)
置之斉魯間  (之を斉魯の間に置けば)
泰山之培摟  (泰山は是れ培摟なり)


富士山を讃えているんだけど、富士山を中国の斉と魯の間に置いたら、泰山は培摟(丘)になってしまうって、かなりしょうもない讃え方である。ちなみに泰山の標高は1500mほどなので、書いてあることは間違いではない。

もちろん、石川先生もしょうもない詩として紹介しているんだけど、良い詩だけでなく、しょうもない詩を紹介する本なんてなかなかない。僕は漢詩がイマイチ分からないのは、しょうもない詩を読む機会がないからだと思う。しょうもない物を読んで、はじめていいものが分かるのではないだろうか。

そういえば、教科書の改訂で、石川先生が書いた中学校の教科書から広瀬淡窓の詩が削除されちゃったんだよなー。あれよかったのに。

あ、書き忘れた。もちろんストロングバイ
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本屋にいったら早くも2007年度版の能率手帳が出ていたので買った。毎年、これを買うと「あー、もう年末だなぁ」って気がする。

ネタがこれだけじゃナンなので、普段必ず僕が持ち歩いているグッズを紹介する。ボールペンにやたらうるさいのは、僕の実家が文房具屋だったから。

1.能率手帳
能率手帳ってのはいわゆるオヤジ手帳だが、もうずいぶん長いこと愛用している。他のも買ってみたことはあるが、デザイン、紙質ともにこれが一番だと思う。サイズは一番小さい小型版で色は黒。この時期は二冊になる。

2.ボールペン(黒と赤)
黒はもちろんだけど、職業柄赤は必需品。手帳への書き込みも二色でやるとわかりやすい。
黒はパイロットのV-corn。書きやすいし、軸の中が全部インクだから長持ちする。なにより、書いた線が万年筆っぽいのがいい。ただし、耐水性がないので、水濡れ注意。
赤は三菱鉛筆のユニボールシグノ0.7mm。いわゆるゲルインクで色がいいのと、マルをつけたとき(バツも)の感触がいい。ただし、線が太いので、細かい字には向かないのと、インクが切れるのが早いような気がする。

3.付箋
付箋、大・中・小のセット。特にこだわりはなく、銀行でもらったもの。

4.USBメモリ
学校にはたいていパソコンがあるので、ノートパソコンなどは持ち歩かず(そもそも持っていない)USBメモリにデータを入れて持ち歩く。もちろん重要な情報はなるべく入れないようにし、入れても暗号化して不要になったらすぐ削除。あと、ブラウザ、メーラーなどが入っている。

5.アーミナイフ
前にも書いたが、ビクトリノックスのトラベラーを愛用。ハサミとナイフ小をよく使う。このハサミは小さいがやたらとよく切れて、爪でも切れるというスグレもので、ハサミだけ売ってくんないかなと思う。ナイフ小はカッターの代用として十分使える。

6.印鑑
学校では印鑑は必需品。
以前は新青田石に自分で彫ったのを使っていたが、印材が石だとすぐに磨耗してしまうので、つげの三文判にした。シャチハタネームは嫌い。

7.名刺
滅多に出さないけど、いつ必要になるかわからないので。

僕はこれらを小さなポーチにいれて、さらにカバンの中に入れて持ち歩いている。USBメモリは無くしやすいので、ポーチの内部にあるストラップに結んである。このセットを「デキる男の七つ道具」・・・略してDO7と称して必ず携帯している。続きを読む
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わいろ、3000年前から=周代の出土品に記録−中国(infoseek:時事)

すごくヘンなニュースが入ってきた。上のニュース、時事通信のものなのだが、何から何までヘンだ。

まずヘンなのは、このニュースがinfoseekで収賄のカテゴリに入っていること。もっともこれはinfoseekが何も考えずに分類したものらしく、時事ドットコムでは国際カテゴリになっている。

それから「共産党政権下の現在もまん延している贈収賄が、この時代から連綿と続いてきたことになる。」ってのもヘンな話で、「役人の子はにぎにぎをまず覚え」なんていうぐらいで、贈収賄なんてものは、役人がいれば世界中、どの時代でも必ずあるものである。まして古い時代なら当たり前だ。

一番ヘンなのは、「中国の陝西省扶風県で出土した周代(紀元前11世紀〜同3世紀)の酒器から、役人への贈賄を記した銘文が見つかった。」ってことで、おおもとの北京青年報の記事を読んでいないからわからないけど、これはおそらく青銅器だろう。

青銅器の銘文は金文といい、普通その青銅器の由来や先祖を祀る言葉が書かれる。ようは、永久に残すためなのである。そんな証拠が残っちゃうようなところに「これはワイロです」なんて、なんで書いたんだろう。

ここで僕はあの事件を思い出した。きっと3000年前の民主党永田寿康氏(のようなお方)が青銅器をかざして(重そう・・・)「これが動かぬ証拠です」とかやったんだな。ニセモノなのに。
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「日本国語大辞典」来夏からWebに

どいうわけか『大漢和辞典』と比べちゃうとマイナーなのだが、国語辞典の決定版といえば、日国(ニッコク)こと『日本国語大辞典』である。古語、現代語のみならず、方言までも網羅した、日本最大の国語辞典だ。大学で国文学(日本文学)や国語学を専攻した人だと、先生から「とりあえず最初にニッコクに当たりなさい」なんて、一度はいわれたことがあるはずである。

この『日本国語大辞典』がついにジャパンナレッジのコンテンツとしてWeb上で引けるようになるそうだ。有料コンテンツで月額1575円、もう一声(個人的には千円以下にしてほしい)といいたいところだが、紙の日国は220,500円もするので、11年分+保管場所と考えれば決して高くはない。

図書館なんかでも、調べたいところが誰かに使われているなんてことがよくあるので、是非導入して欲しい。
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どこでどういう自転車を買えばいいか、よく相談されることがある。日常よく使う道具で、しかも命を預ける道具であるのにもかかわらず、安いのは数千円から、高いのは数百万円まであるのだから、迷うのもむりはない。

特に、日本で自転車を買う場合、日本独特の問題があったりする。そんなわけで、今日は自転車を買うのに気をつけるべき点を書いてみる。

1.通販や量販店にご注意
ほとんどの自転車は、ばらばらの状態でメーカーから自転車屋に納入され、そこで組み立てられる。したがって、他の乗り物よりも自転車屋の腕がためされるのである。
通販の場合、まずだれが組み立てているかわからない。最悪の場合仮組み(ちゃんと調整されていない)状態で納車される場合もある。
また、日本では自分の店で買った自転車以外は修理しない(ヘンな話だが、ヘタクソなやつが組んだ自転車を直したくない気持ちはわからないでもない)店が多いので、よほど信頼できる店か、自分であるていど修理・調整ができる場合以外は避けたほうがいいと思う。
マウンテンバイクやロードレーサーのようなスポーツ車の場合は、自転車屋で自分の体格にあわせて部品を変えてもらう必要があるので、(ちょっと入りにくいんだけど)そういう自転車を主力として扱っている店で買うとよい。
そういう店は、サイクルスポーツバイシクルクラブなど広告をたよりにするとよい。うちは田舎で・・・という人も意外なところにあったりするものだ。
ちゃんと調整された自転車に乗ると、いままで乗っていた自転車と全く違う乗り物であることが実感できるだろう。

2.バルブに注目
バルブとは空気入れを差し込む場所である。日本人には、洗濯バサミみたいなのではさむ英式バルブ(ウッズバルブ)がおなじみだが、世界的には仏式(フレンチバルブ)米式(シュレッダーバルブ・自動車と同じもの)が一般的だ。日本でもそれにしたがい、ママチャリでも英式でないものがでてきている。
英式バルブの空気入れでは、米式バルブの空気は入れられないので、新しく買う自転車が仏式や米式の場合は空気入れも一緒に買おう。最近はどのバルブにも対応している空気入れが多くなった。
ちなみに、自動車よりも自転車の方が高圧なので、米式バルブの空気入れを買っておけば自動車のタイヤにも空気が入れられるはず。

3.マウンテンバイクのようなものに注意
MTBルック車というジャンルの自転車がある。これは、見た目はマウンテンバイク(MTB)だけど、山は走れませんよという自転車だ。ちゃんと説明書にそう書いてある。
だいたい5万円以下だったらルック車とみていいだろう。もちろんわかっている上で買うのなら何の問題もないが、街乗りにこれを買うならクロスバイクと呼ばれる市街地用のスポーツ自転車の方がいいと思う。
ルック車の問題点は、見かけのためにブロックタイヤ(オフロード用のタイヤ)を履いていることと、余計なサスペンション(特に後ろのサスペンションはあると逆に坂が登りにくくなる)が付いていることである。どちらも街乗りには無用の長物で、邪魔でしかない。

4.折りたたみ自転車に注意
最近折りたたみ自転車(フォールディングバイク)が流行っている。だが、買う前に考えて欲しい。本当に折りたたむ必要はあるのかと。
折りたたみ自転車は、折りたたみ機能のためにどうしても強度が不足しがちだ。動く部分が普通の自転車よりも多いために、故障の可能性も高くなる。まして、安物ならなおさらである。
部品も特殊なものを使っていて、買った自転車屋以外では修理できないということもある。
また、ほとんどの折りたたみ自転車は、小さいので盗まれやすい。せっかく折りたためるのだから、室内に保管すべきだ。
自転車を電車に載せて移動する(輪行という)ならば、普通のロードレーサーやマウンテンバイクでもできる。タイヤをはずして袋に入れるだけなので、慣れればへたな折りたたみ自転車よりも楽だったりする。
僕自身、折りたたみ自転車を持っているが、どうしてもという理由がない限り避けるべきだと思う。

まとめると、自転車は多少高くても、信頼の置ける店で、店の人と相談しながら買うのをおすすめする。僕に言わせれば、自分の命を預ける乗り物なのに、量販店で数千円のを買う人の気が知れない。
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