2007年04月

子どもの日が近いせいか、みんなの童謡は「柱のきずはおととしの〜 五月五日の 背くらべ〜」でおなじみ「背くらべ」(作詞海野厚、作曲中山晋平)である。

それで知ったのが、「おととしの〜」の理由である。いわれてみれば、五月五日は毎年くるのに、「去年」とか「昨年」でないのはおかしい。あまりに語呂がいいのでぜんぜん気づかなかった。

これ、作詞の海野厚が静岡に帰省するたびに弟の身長を計っていたのだが、「去年」は帰省できなかったからだそうだ。2番(この歌に2番があること自体知らなかった)に富士山が出てくるのも、静岡だからだという。

Wikipediaにも書いてあったので、もしかしたら有名な話なのかもしれない。

くわしくは静岡市曲金海野家の人々をどうぞ。
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僕はプリペイドというものが大嫌いだ。特にJR東日本のSuicaは死んでも使わないつもりだ。あれは消費者をバカにしている。

Suicaは基本的には運賃を支払うものだから、最低1000円程(実際にはもっと多いだろう)は常に入っていないと、役に立たない。逆に言えば、Suicaを使わなくなるまで、1000円分常にJRに余計に支払っていることになる。

たとえば10年使い続けたとして、その間、余分に支払った1000円を、預金したり、投資で運用したりした利益は、JRがネコババすることになる。

個人単位だと1000円ぐらい運用しても、いかほどにもならないが、これがSuicaを使っている人全員となると、莫大な額になるだろう。実際にはカードのデポジット500円がこれに加わる。切符を買わなくなるのだから、紙代も浮く。さらに、払い戻しには手数料がいるらしい。ともかくなぜ自分の金を使うのに、代金以上に支払わねばならないのか。

僕の場合、これだけで十分使わない理由になるのだが、まあ、JRネコババ分は便利にするための手数料だと納得できる人もいるだろう。しかし、許せないのはSuica専用改札なるものだ。

このSuica専用改札はその名の通り、Suicaのみで通れる自動改札である。切符を入れる場所はふさがれている。

それが、高速道路のETC専用レーンのように、Suica利用者を「便利にするため」につくるならば結構なことだ。だが、どうみてもSuica利用者が便利になっているとは思えない。

つまり、Suica専用改札は、Suica利用者を「便利にするため」にあるのではなく、切符で乗る人を「不便にするため」にあるといえる。あれはSuicaを普及させるための悪意で作られたものなのである。

僕の祖母は、切符を買って、間違えてSuica専用改札から入ろうとして、他人から心無い言葉を浴びせかけられた。目の不自由な人がとまどっていたのを見たこともある。ひどい話である。

Suicaを普及させたい、つまり、ネコババ分を増やしたいために、切符購入者を不便にするというのは、これはもう立派な悪徳商法だ。こんなものどんなに便利になっても、僕は絶対に使わない。
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俺はLunchを食ったあと、いつものように"Lunch-L+i"=unchiをしたくなった。いつものことだから、いつもの場所に入ろうとしたが・・・今日に限ってoccupied!

だが、俺はあわてないぜ。この学校にはもう5年以上勤めている。この学校には絶対に生徒が来ないlavatoryがいくつかあるのを知っている。そこへいくだけさ。So cool!

俺は、そこから一番近い別のlavatoryへ行って用を足した。あとは水を流せばすべて完了!のはずだったが...But...

Oh shit! 水が流れないぜ!

だが、俺は世界一汚いというChinese lavatoryを語らせたら日本一の便所猛者、そのぐらいではビビらないぜYeah!こういうときに対処は知っている。

こんなのはタンクをどうにかすれば...But...アレ?どうにもならない...ならばしょうがない、バケツで水を流すまでよ。バケツは掃除用具入れに入っているはずだ。Wise guy!

個室の中でそうこうしているうちに、来ないはずのstudentsがlavatoryに入ってきた。Why?Why?Why?Why?Why?

「なんか臭くない?」
「ここ、あんまり使われていないからヘンな匂いがするんだよ」
「いや、それもあるけど・・・」
「そういえば、ちょっと臭いような・・・」

そりゃすぐわきに、俺の"Lunch-L+i"があるんだから当たり前だ。俺は息をひそめた。バレたら、俺は確実に「ニャンコ先生」ならぬ「ウンコ先生」とかいうあだ名になっちまうぜ。水の出ない水洗トイレ、"water closet"-"water"="closet"。そして smell。

幸い、studentsは詮索せずに出て行った。このときぐらい、自分のstudentsがかわいいと思ったことはないぜ!Yeah!

だが、これで終わったわけではない。肝心の"Lunch-L+i"を流さなければ!俺はclosetから出て、バケツを探した。

無い・・・

滅多に使わない場所なので、掃除用具入れにバケツがないのだ。バケツはjanitorにいえば出してくれるだろうが、そのためには、ここを出なくてはならない。lavatoryの中には一人もstudentsがいないようだが、外にはうじゃうじゃいるようだ。もしかしたら、俺はバケツを借りに行っているあいだに、studentsが俺の"Lunch-L+i"を見てしまうかもしれない。だが、授業開始の時間は近づいている。

俺は、意を決して、lavatoryを出た。何故かstudentsたちが佃煮にできるぐらいいる。ひるんではいられない。何しろ授業の時間が迫っていたんだ。Go!

「先生いつの間に?」(さっきからずっとだ!)
「何してるの?」(便所なんだから決まってるだろ!)

口々に言うstudentsを尻目に「早く授業に行け!」と叫んで、俺は用務員室に直行。理由を聞こうとするjanitorに「理由は聞かないで」と言って、無理やりバケツを借りてきた。戻ってきたときには、studentsは一人もいなかった。Lucky!

勝った・・・

俺の勝ちだ。俺がいないあいだに"Lunch-L+i"さえ見られていなければ、の話だが。
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どういうわけか、日本人はYahoo!Japanが大好き。特に、インターネットをあまり使わない人は、Yahoo!Japanさえあればいいと思っている節がある。なにしろ、インターネットとYahoo!はどう違うんですかなんていう質問まで出る始末。

検索にしても、インターネットを辞書代わりに使っているような人で、Yahoo!を使っている人はほとんどいないだろう。なんだかんだいっても、Googleを使うはずだ。

そのほかのサービスにしても、Yahoo!がいちばんいいとか、Yahoo!でなきゃだめなんてのは、せいぜいオークションぐらいじゃないだろうか。僕も、メールなど惰性で使っている部分はあるが、基本的には使っていない。

唯一、とりえがあるとしたら、TOPの画面が分かりやすいことぐらいだろうか。それだけに、いろんなサイトでパクられている。スタート時点から、このスタイルはほとんど変わっていないのだから、たいしたものだ。もっとも少々古臭い気がしなくもない。

そんなことを考えながら、外国のYahoo!を見てみたら・・・

本家アメリカのYahoo!
イギリスのYahoo!
フランスのYahoo!

なんかしらないうちにずいぶんおしゃれになってるじゃん!他のヨーロッパのものも同じ。しかもIDが共通らしい。欧米人は日本のYahoo!を見たら懐かしく思うんだろうな。

じゃあ、アジアはどうかってえと・・・

韓国のYahoo!
台湾のYahoo!
香港のYahoo!
中国のYahoo!

どうやら、日本人が使っているYahoo!はYahoo!ではない何からしい。
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先日、ある名門と言われる都立高校へ行ってきた。そこの副校長先生(昔でいう教頭先生)から聞いたのだが、その学校では数年前から制服を導入したのだそうだ。なんでも、あまりにも見苦しい生徒がいるからだそうである。「時代に逆行しているようですが・・・」と、その先生はおっしゃっていたが、どうもそうじゃないようで、他にもそういう学校が増えていると聞いている。

東京に住んでいる人以外には分かりにくいかもしれない。東京では、都立高校というのは、私立に比べて自由な校風であることが多い。特に名門といわれる学校ほど、服装を含めて自由な学校が多いのである。

僕たちが高校生だった時代、管理教育の全盛期で、僕の学校では制服はもちろんのこと、靴やカバンも決められていた。もっとも完璧に守っている奴はあまりいなかったが、目にあまるようだと殴られた。だから、同じ東京都内の私立高校に通っていた僕は都立の生徒が羨しかった。

そういう時代だったから、僕たちは皆なんらかの形で抵抗していた。学校から一歩でたら、制服を着替えちゃうとか。校則にはない物を持つとか。生徒会なんかでも、カバンの自由化(今から考えると小さい要求だなー)の運動をしていたりした。やり方は人それぞれだったが、とにかく自由を模索していたのである。

尾崎豊なんかが支持されたのも、そういう時代だったからだと思う。だが、彼の母校は私立でも自由な校風で有名なところだから、僕たちからすると「何甘ったれたこといってんだ、コイツは」という感じだった。

話がそれたが、制服の導入には、生徒の反対などはほとんどなかったようである。むしろよろこんでいるらしい。まあ、明日着るものに悩まなくっていいわけだから、理由はわからないでもないが、「私服・制服どちらでもいい」ではなく「制服にせよ」といわれているのに、どうして抵抗しないのか僕には理解できない。

どうやら、実は人間は自由が嫌いだということらしい。自分たちは縛られているという感覚があるうちは抵抗するが、それが無くなってしまうと逆に縛ってほしいと思うのだ。

卒業式の国歌の問題も同じで「歌え」という意見は「歌うな」というのと同じぐらいくだらないことだと思っている。

誤解の無いように書いておくが、僕は卒業式に国歌を歌うことには反対ではない。むしろ、卒業式のような儀式の時に国家を歌うのはまったく正当なことだと思っている。だが「歌え」となると話は別だ。そんなの自由だろといいたくなる。第一、国歌とはいえ、所詮はただの歌である。ヨッパライのカラオケじゃあるまいし、無理に歌わす法があるか。

そういうところで、少しずつ自由が奪われていき、それに気付かないところに、僕は漠然とした不安を覚える。
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4月5日から7日まで、京都に行ってきた。桜は満開。花見に行ったようなものだが、今回のメインイベントは都をどりである。

ようは、祇園の舞妓はんがステージで舞いを見せてくれるのである。早い話が和風宝塚(宝塚だって日本のものだが)みたようなものである。といってもこっちの方が歴史は古い。

僕はどういうわけだか、お茶券付き特等観覧券なるもの(4,300円也)を手に入れてしまったので、始まる前のお抹茶、茶菓子と、前から3列目という特等席(しかも真ん中)で見ることができた。

都をどり会場の祇園甲部歌舞練場へ行くと、お茶席に通され、お抹茶と饅頭をいただく。前の方では舞妓はんがお点前を見せてくれる。結構なお点前だけど、前のオッサンの頭でよく見えん。やがて、お客全員にお抹茶が配られる。ただし、配るのは(たぶん)バイトの女の子である。

お茶と饅頭はうまいのだが、お茶が出てきてから、片付けられるまでの時間が異常に短かい。さっさと追い出されて、結構な時間会場の入口で待たされるので、舞妓はんのお点前が見たいという人(そういう人は一番前に座らなければならない)でなければ、近くの喫茶店かなんかで時間をつぶした方がましだ。ただし、饅頭が載っていた都をどりオリジナルの皿をくれるので、お土産にはいい。

しばらく、会場の前で待って、いよいよ待望?の「都をどり」である。

みーやーこーをーどーりーーーーーはーーーーーーーーヨイヤフォーーーーーー!!

の掛け声で始まる。本当は「ヨイヤサァーーーー」らしいが、どう聞いても「フォー」にしか聞こえない。聞きたい人は公式サイトで聞ける。なんか国会の「ギチョーーーー」ってのに似ていて、まあナンだな。たぶん、こういう文化から出たんだろうな。

客層はオッサン・オバハン9割+外国人1割といったところだろうか。それにしても、ここに限らず京都はずいぶん外国人観光客が増えたようだ。

それにしても、こういう芸を外国人が見たらどう感じるのだろう。コテコテに化粧しているのを「きれい」だと感じるのだろうか。芸には迫力や派手さはないし、雑技団みたいなアクロバットがあるわけでもない。オペラや歌舞伎のようにストーリーを楽しむものでもない。

左右から聞こえてくる音は迫力あるが、どう考えてもオーケストラにはかなわない。彼らはエキゾチシズム以外のものを感じるのだろうか。

なんてことを考えながら見ていたのだが、そんなことを言っている僕も実はよくわかっちゃいない。国語の教師なんかしているが、僕も外人さんみたいなものである。
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NHKスペシャル激流中国富人と農民工を見た。さすがはNHKだけあって、見事に埋めがたい貧富の格差を描いていたが、見ていて面白いことに気づいた。

題名の「農民工」というのは、地方の農村からの出稼ぎの人のことで、格差社会の底辺にいる人である。この番組では、農民工と地方(内モンゴル自治区の小さな村)に住む家族の貧しさを描く。

一方、「富人」は上のNHKのサイトにある文章を引用すると、「個人資産300億円以上、巨万の富をたった一代で築き上げた会社社長。改革開放の波に乗って、不動産投資などで成功を収め、今も1回に何億もの金を株などの投資につぎ込む。富がさらなる富を生み、笑いが止まらない。」ということになるが、そんな特別な人と農民工を比較することに何の意味があるんだろう。

この番組が本当に中国の格差を描くならば、たとえば「出稼ぎの農民工」と「一般の都市住民」とか、同じ北京市民間の格差でなければまともな比較にならないはずである。

「富人」みたいな特別な人は中国でなくてもどこにでもいる。中国の場合、たまたま最近まで「富人」がいなかったのが、国の成長とともに出現してきたというのが他の国との違いである。成金なんかどこの国にでもいるのだから、それを責めるわけにはいかないだろう。

そこで、観点を変えてみると、この番組は中国の経済格差を描いているように見せて、実は、貧乏人は永久に貧乏・金持ちはますます金持ちになるという、格差社会の普遍的な本質を描いたものだとわかる。もちろん、本当のターゲットは日本だ。NHK、なかなかやりますな。

この文脈で、パート2のある雑誌編集部 60日の攻防も見ると、なかなか面白い。

え?うがった見方ですかね。
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