2007年05月

祖母の家に電話会社のセールスマンが来た。この手のセールスマンはしょっちゅうくるのだが、今回のはひどかった。

祖母の家では、電話会社をNTT東日本とNTTコミュニケーションズにしている。セールスマン氏は「NTT東日本とNTTコミュニケーションズを一本化すると、基本料金が安くなります」という。祖母には何を言っているか理解できなかったので、ここで、たまたまいた僕が話を聞くことにした。もっとも僕にもよく分からない。

セールスマン氏の要点をまとめると、次のようになる。

1.NTT東日本とNTTコミュニケーションズを一本化すると、基本料金が安くなることをお知らせに来ただけ。(故に自分はセールスマンではないといいたいらしい)
2.今回、それらを一本化する会社にセールスマン氏の会社が選ばれた。(何故かKDDIのIDカードを首から提げている。何故ライバル会社が・・・)
3.基本料金だけでなく、料金体系が変わり遠距離が安くなる。(後述)
4.PCなどを繋いでいると、一本化できない。(年寄りだからPCはつないでいないと踏んだんだろう)
5.今、自分に言ってくれれば、一本化できる。(要するにセールスマンじゃん)

どうも言っていることがおかしい。一本化なら基本料金が安くなるのはありえるが、3の料金体系まで変わってしまうとなると、それは同じサービスとはいえない。

ともかく、わけが分からないので、こういうときの常套文句「検討しますので、資料を置いていってください」を言った。

ところがセールスマン氏「説明したのと同じことなんですけどねぇ」といい、資料を出そうとしない。「同じでしょうが、書面に書かれたものを見ないと分からない」というと、しぶしぶ、パウチされたパンフレットを出す。どうやら、配るための資料は持っていないようだ。そしてそのパンフレットには・・・

KDDIメタルプラス

と書かれてあった。オイコラ、要するに電話会社を変えろってことじゃないか!

「それなら知っている。検討して安かったら直接KDDIに申し込むので帰ってくれ」というと、さすがに観念したのか、セールスマン(と書いて詐欺師と読む)は帰っていった。

実際にKDDIメタルプラスにすれば安くなったのかもしれない。だが、こういうやり方はたとえ損しないとはいっても詐欺である。実は以前にも、各電話会社のセールスマンによって、祖母の電話は何度も電話会社を変えられているのである。年寄りを狙ってくるのは、布団の押し売りとなんら変わりがないじゃないか。

電話会社も、くだらない詐欺師を雇う金(たぶん下請けだろうが)があったら、まじめに価格競争をするべきである。
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高校までの学校ではよく使われるのに、大学以降はほとんど使わない言葉がある。

例えば、国語の「古文」なんて代表的なものだ。「古典」の教科の中に漢文が含まれるので、それに対して、和文の古典を「古文」と呼ぶのだが、大学の国文学科では日本の古典文学は単に「古典」といい「古文」とはいわない。高校の教科書にも「古文」と書いてるから仕方なく使っているが、なんとなく釈然としないものがある。

小学校あたりから習う、意味段落と形式段落というのも使わない。段落といえば形式段落のことである。

一字下げにして、改行してあるのが形式段落ということになるらしいが、書いている側からすればちゃんと意味があってやっていることで、単に読みやすいからというだけではない。

意味段落というのはもっと意味不明だ。あれは読者が勝手に「ここからここはこういうことを言っているのだな」と決めるものである。著者の意に反していたり、人によって切れる位置が微妙に違ったりする可能性もでてくる。そんないいかげんなもの段落といえるだろうか。

Wikipediaの「段落」の項にも、日本語の文章には意味段落と形式段落があると書いてある。だが、そもそも日本語には段落という意識がなかった。おそらく西洋の文章にならって作ったものだろう。それなのに、日本語の文章と西洋の文章を分けて考えるのはおかしくないか。

だから、僕は、授業では意味段落という言葉は使わないようにしている。「何ページの何行目から何行目の部分」それで十分である。
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国語の教科書を読んでいたら、漢文のところに、落語の「饅頭怖い」の出典が載っていた。「饅頭怖い」は『五雜俎』が出典だったのである。あまりによくできた話だから、日本オリジナルだと思っていた。

読んでみたら、細かい違いはあるもののほとんど同じ。興津要編の『古典落語』(講談社文庫)で比較してみると、話の始まりが『五雜俎』では「窮書生」のはかりごとだったのが「恐いもの問答」になっていることと、饅頭責めをする人物が『五雜俎』の饅頭屋から熊さんの友人に変わっていることと、怖いはずの饅頭を食べた理由が違うことぐらいである。

落語で印象的な落ちになっている「濃いお茶が恐い」はすでに『五雜俎』にもある。

実は一番の違いは饅頭である。どちらも「饅頭」なのだが、中国の饅頭は包子(パオズ)と言われるいわゆる中華まんだ。饅頭屋は「窮書生」を饅頭責めにするために、100個用意したのに、半分以上食べちゃったというのだから食べた量も半端じゃない。第一、ホカホカの包子100個と部屋に閉じこめられたら、サウナ風呂に入れられたようなもんで、いくら貧乏書生でも本当に「饅頭恐い」になりそうである。

それに対して、日本の場合は、お菓子の饅頭だから話の流れが自然だし、「お茶が恐い」というオチが、より生きてくるように思える。もちろん包子50個食べてもお茶が欲しくなるだろうが、欲しくなるというより喉に詰まりそうである。
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東京では、はしかが大流行中で、すでに学級閉鎖になった学校もあるそうだ。

今日は行く先々の学校で、副校長から「はしかにかかったことがあるか、予防接種をしたことがありますか」と聞かれた。なんでも、非常勤をふくめた職員全員に聞くことを義務付けられており、どちらもない人は、安く予防接種を受けられるのだそうだ。

僕は「そういう古臭い病気は、たいがいかかっています」と答えた。念のため電話で母に聞いてみたら「死にかけた(大げさ)」そうだ。

それにしても、長生きはするものである。よもや、いにしえのガキの病気だと思っていたはしかなんかが流行するとは思わなかった。いまや、「はしかみたいなもん」なんていう比喩すら通じなくなってきているのに。世の中何がおこるか分からないものである。
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禁止公園のエントリに書いたストーリーは僕の創作だけれど、実際似たようなことがあったんじゃないかと思う。

あの禁止公園を見つけたとき、なんじゃこれはと思った。公園は何のために存在しているのか。人が来ない公園なんて意味がない。これなら駐車場にでもした方が100倍ましだと思う。

近所に住んでいる人の気持ちも分かる。だが、看板で禁止するするなんて安直すぎる。「ルールを守って遊びましょう」なんて書いているけど、実際には「ここで遊ぶな」と書いているのと同じことだ。はたして、ここで遊ぶ人はいなくなったわけである。

最近、何は禁止だとか、何をしろ(命令)とか、正直「うるさいなー」と思うことが多い。

挙句の果てに禁止されていないことまで、禁止されていると思い込む始末。自転車は歩道を走れとは何ごとか。

誰が、何の権限があって禁止や命令をするのか、よく分からないことが多すぎる。人様に迷惑かけるのは悪いことだけど、たいして迷惑でもないのに、でかい声で「迷惑だー!」って叫んでいるクレーマーのいうことを聞いていればよいといわけではない。

禁止や命令をする前に、やることがあるはずだ。それをしないで、やたらと禁止だ命令だとやっていると、いずれは日本全体が禁止公園になってしまうんじゃないだろうか。僕はそんな国には住みたくない。
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#物語はフィクションですが、写真はすべて同じ公園にあった本物です。
#写真はクリックすると拡大します。
#本当はもっと禁止看板があります。


ここは、東京都大田区のある公園。かつてここには、遊具があり、たくさんの子どもたちが遊んでいる姿が見られた。

ところが、ある日、遊具で事故が起きた。役所はすぐに遊具を撤去した。公園は空き地のようになった。

最初に目をつけたのは、老人のゲートボールクラブだった。公園はゲートボールクラブに占拠された。これを不満に思った、子どもたちの親は役所に苦情を申し立てた。公園は団体での使用が禁止された。

団体禁止

老人たちのいなくなった公園で、子どもたちはボール遊びを始めた。住宅にかこまれた公園だったから、ボール隣の家に飛び込むこともしばしばあった。その家のなかに、あのゲートボールクラブに所属していた老人の家があった。ここぞとばかり、老人は役所に苦情を申し立てた。

入り口

公園にはネットがかけられたが、それだけでは不安だったのか、バットとサッカーボールの蹴り上げ、フライの練習が禁止された。子どもたちは野球とサッカーをやめ、キャッチボールとテニス、バトミントンに興じた。
ところが、ある日、たまたま通りかかった男がラケットに当たってしまった。男はすぐさま役所に苦情を申し立てた。

ラケット・スパイク禁止

従来から禁止されていたバットともに、ラケットとスパイクも禁止された。もちろん、子どもたちはスパイクなんか履いていなかった。危険そうだからという理由でついでに禁止したらしい。

禁止看板があまりに多くなったので、禁止事項をまとめた大看板を作ることにした。

大禁止

ところが、書いた人の国語力に問題があったので、結局スポーツは何もできないことになってしまった。
続きを読む

風車1
オートで撮ってみた。
ISO200、シャッタスピード1/750、絞りF8.0。
クリックすると拡大しますが、かなりでかいので注意。




風車2
シャッタースピード優先で撮ってみた。
ISO200、シャッタースピード1/20、絞りf22。
上の写真よりは1段明るい。
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PENTAXのデジタル一眼レフ、K100Dを買った。

デジタル一眼レフ自体初めて使うので、K100Dの使い勝手を評論することはできない。だから、今回はデジタル一眼の使い勝手を書きたいと思う。

コンパクトデジカメはあまり好きではない。理由はシャッターを切った瞬間の快感がないからだ。しょうもない理由だと思われるかもしれないが、僕の場合、このカタルシスみたいなものが、写真を撮りたくなる原動力になっていて、デジカメなら何枚とっても現像料がかからないにもかかわらず、なぜか取る枚数が少なくなってしまう。これは電子音ではダメなようで、特にシャッターの音に似せたものはカメラにバカにされているような気がしてしまう。

デジタル一眼の場合はちゃんとそれがある。当たり前だけど、一眼レフ独特のミラーショックもあって、写真を撮っていることを実感させられる。ミラーショックなんて本当は無い方がいいのだが、こんなに愛しいものだとは思わなかった。

ちょっと重たいが、持ち運びはともかく、使うのはこのぐらいの方が使いやすい。銀塩の高級機種と同じぐらいの重さだと思う。これに、手ぶれ補正が付いているので、かなり遅いシャッタースピードでも滅多にブレない。デジタル一眼としては比較的安いカメラにもかかわらず、マウントが金属なのもいい。あとは耐久性がどのぐらいあるかが問題だ。

買ったときにアルカリ電池が付属していて、コンパクトデジカメの経験から、こんなのじゃちょっと撮ったらすぐなくなっちゃうだろうと思っていたが、意外とそれほどでもなかった。ズームは自分の手でやるし、背面のモニターもあまり使わないので、コンパクトよりも電池をくわないのかもしれない。

レンズは持っているので、本体だけを買ったのだが、また新しいレンズもほしくなってきた。充電式の電池も欲しいし、ACアダプタもあった方がいい。USBのハブを2.0対応にしたいし、カラープリンタも欲しい・・・なんて考えていくと、また泥沼にはまりそうな予感がする。
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