2007年10月

東大は「日本の最高学府」ではありません:INSIGHT NOW

そうそう、これ前から疑問だったんだ。

最高学府ってのは、東京大学ではなく、すべての大学(本来の意味からすると大学院)を指すはず。でも、たしかにマスコミでも東大を指していっているのをよく聞く。日本の最高学府ですからとかなんとか。

でも、まあ、東大が日本の最高学府だとしよう。しかし、そうなってくると、アメリカの最高学府だとかイギリスの最高学府だとかというのもなきゃいけないわけで、たとえば、イギリスの最高学府がオックスフォードだったら、ケンブリッジはどうなんだってことになる。おそらく、イギリスだったらオックスフォードもケンブリッジも同様に最高学府なんだろう。

もちろん、同じことは日本でも言えるわけで、京大はどうなんだ、阪大はどうなんだ、早稲田慶応は最高学府じゃないのかってことになってくるわけだが、それらに対して「最高学府」と使った例は寡聞にして聞かない。どうやら日本で最高なのは東大だけらしい。

つまり、日本では入学するのが一番難しいのが最高学府なのである。

学問について、日本人が最高と認めるのは、施設でも教授でもなく、18歳かそこらのガキの学力なのだ。情けないのも程度問題である。
このエントリーをはてなブックマークに追加

中国が道路清掃用に大量の竹ぼうきを搭載した掃除マシーンを導入:GIGAZINE

ネットでたびたび見かける中国の竹ぼうき清掃車、GIGAZINEの記事には初めて導入されたようなことが書いてあるが、僕が始めて自転車旅行した2000年にはすでにあった。おそらくもっと昔からあったんじゃないだろうか。

この竹ぼうき車は北京や上海などの大都市では見たことがない。だいたい、郊外の小規模な市場や集落で見ることができる。

後ろについている、竹ぼうき車は反時計周りに回転し、ゴミを路肩へ飛ばす。飛ばすだけで、それ以上のことはしない。

これが来ると、ほこりっぽいところでは、もうもうと土煙があがってしまい、数十メートル先が見えない状態になってしまう。なかには、いっしょに水をまく親切設計のものもあるが、これはこれで泥が飛んでくるので要注意だ。

市場なんかでは、路上で果物なんかを売っているので、不衛生である。僕は道端で売っているサンザシ飴(日本のリンゴ飴みたいなの)が、一瞬にして黄な粉餅になったのを見たことがある。それでも平然と売っているのだからおそろしい。

清掃しているつもりなんだろうが、はっきりいって迷惑だ。最初はなんでこんな余計なことするんだろうと思っていた。だが、よく観察してみると、まったく意味のないことでもないことがわかった。

中国人はよく路上にゴミを捨てる。特に、田舎の人の集まりやすいところになると、いろいろなものが落ちている。中には、竹串だの釘だの空き瓶だの、自動車が踏んだら一発でパンクしちゃいそうなものもある。

このほうき車はそういうものを路肩に飛ばしているらしい。では、飛ばされたものは永遠にそこにあるかというとそうでもなく、誰かが捨てているようだ。

この車を見かけたら、まず土煙をかぶらない程度の位置につけ、しばらく後ろを走る。そのうち、あまりほこりっぽくないところにいったら、全力で走って車の前に出るようにする。そうでないと、全身ほこりまみれになってしまうのである。
このエントリーをはてなブックマークに追加

十三夜の月

今日(正確には昨日)は十三夜。

十五夜の月見は中国伝来の風習だが、十三夜は日本独自のものらしい。
しかし、中間考査の採点中で、ウンチクを語っている(調べる)余裕がない。なので、写真を撮ってみた。

なんか欠け具合がジャガイモみたいだ。なんでこんなんが鑑賞の対象になるんだろう。とりあえず、壁紙サイズ(1280×1024)にしたので、ご自由にお使いください。

ウンチクを語る余裕がないのに写真を撮る余裕はあるのか、などというツッコミはナシの方向で。
このエントリーをはてなブックマークに追加

まだ新聞に載っていませんが、半田公平先生(二松学舎大学名誉教授・中世和歌文学)が、10月10日逝去されたそうです。
通夜は11日なので、告別式は12日(つまり今日)と思われますが、詳細はわかりません。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【追記】
詳細が笠間ONLINEにありました。
二松学舎大学名誉教授の半田公平さん死去:笠間ONLINE
このエントリーをはてなブックマークに追加

承前

で、なんで僕がこんなことを書いたかって言うと、僕も波会長のDVDを持っているからである。

数年前、会員のある人からもらった。もっとも、その人はなぜか僕にはあまり勧めなかった。ただ見てくれといわれただけである。

今思うと、僕に評価して批判してほしかったのかもしれない。だが、僕は無視した。せめてやめておけというメールの一つでも送るべきだったと後悔している。

まだ円天市場ができる前で、あかり天国とかいうなんだかよくわからんものの「株主社員」なるものを募っているビデオだった。

波会長がファナティックに叫んでいて、何をいっているのかさっぱり分からなかった。分からなかったが、波会長のいう「株主社員」が私たちが一般的にいう株主とは全く違うことだけは分かった。

株式会社の株券というのは、簡単にいうと、会社に出資しましたよという証明書である。持っている数にしたがって、配当がでるから、価値があって市場で取引されるのである。

増資といって、株券を発行している会社が新たに出資者を募って株の数を増やすことがあるが、儲けが変わらないと仮定すると、増やせば株券の数は増えるのだから、配当は減り価値は下がる。

ただし、増資によって会社の体力が増して、増やした数以上に儲かれば(もしくは儲かることが予想されれば)、価値は下がらない。場合によっては騰がる場合もある。こういう性質のものだから、増資するときは、株主総会の承認を得なければならない。

あかり天国では、株主総会を経ずに、勝手に増資されるらしい。つまり、一株あたりの価値は下がり続けるわけである。上場企業なら、自分の意に反して増資されれば、市場で売却してキャッシュにもどせるが、これはそう簡単にはできないようだ。

そういうのは株とはいわない。それをもっともらしく株というところに、L&Gの狡猾さがあると思った。だから無視したのである。この間、株から通貨へ、つまり会社から国家へと成長したのだから、L&Gもずいぶん偉くなったものだ。

当時、こういう説明ができれば、その人に止めさせることができたかもしれない。僕にはうまく説明できなかったし、普段近くにいる人でもなかったので、説得する自信がなかった。

もっとも、説明したところで「私たちはL&Gを信用して増資を一任していますから」とか言われてしまえば、僕には返す言葉が無いのである。

(たぶんまだ続く)
このエントリーをはてなブックマークに追加

円天市場の問題、イマイチよくわからなかったが、Student magazine:そろそろ円天市場(L&G)について一言いっとくかを読んでようやく理解できた。是非読んで欲しい。ハイパーインフレというのがキーワードである。

円天市場では波会長の裁量で、通貨を発行できるらしい。100%の配当というのも、通貨を発行しているだけのようだ。このような状態だと、円天市場を流通する円天通貨は無尽蔵に増え、円天通貨の価値は下がっていき、いずれはハイパーインフレに陥る。単純にいえば、最初は1円=1円天だったとしても、100%の配当を全員がもらったとたんに1円=2円天となるわけだ。円天通貨の数字が増えたからお金が増えたと錯覚するが、日本円に対する価値が半分に減ったのである。

会員を増やしつづけることができれば―つまり増えた円天通貨を押し付ける相手がいれば―、この問題は先送りにされる。問題は通貨を発行する人間の信用なのである。だが、波会長には信用がないから永久に会員を増やすなんてことは絶対にできない。

そもそも「給料は日本円でもらっている」とか「円天通貨を使ったことがない」などと堂々とテレビで発言する(上のブログのYoutube参照)発行者を信用することは常識的に考えてできない。

たとえば、日銀の福井総裁が「給料は米ドルでもらっている」とか、「日本円は使ったことがない」なんてテレビでいったら、僕は即座に自分のお金のほとんどを外貨に替えるだろう。いや、実はすでに替えているんだけどね。日本円、あんまり信用できなくなってきたから。

(次回に続く)
このエントリーをはてなブックマークに追加

時津風部屋の力士リンチ死亡事件は、角界と一般人との意識の違いに驚いた人も多いんじゃないだろうか。

北の湖理事長の「尊い命が失われたし、協会の名誉も大きく傷つけた。(解雇は)やむを得ないだろう」という言葉も、「協会の名誉」だの「やむを得ない」だの、どこか常識に外れた印象をうける。

だいたい、脱走した力士をリンチするという時点ですでに常識に外れている。常識で考えたら、イヤになって脱走したのだから、リンチされたら余計逃げたくなるだろう。チャンスを見つけて、次はもっと遠くに逃げようと思うのが関の山だ。

こういう不可解なことが起こるのは、角界がこの世と違う異界だからである。

一般の人間が、異界へ入るのはそれほど難しいことではないが、出てくるときは、身体の欠損をともなったり、場合によっては命を失ったりするものである。

たとえば、竜宮城へいった浦島太郎は、帰ってきて爺さんになってしまう。瘤取り爺さんは、異界の鬼に瘤を取られる(または付けられる)。こういう例は説話にはいくらでもあって、現代でも、ヤクザの指ツメとか、刺青とかに残っている。

おそらく、角界という異界にいる人たちにとっては、時太山はたまたま死んでしまっただけで、逃亡者をリンチし身体を欠損することは、彼らの観念として当然のことだったのだろう。

表に出てしまった以上、「あれは異界のことだから」ではすまされないが、これからは、相撲はスポーツなどではなく、異界で行われている何かだと認識するよりない。特に入門しようとする人は、力士になるということは、人間ではなくなることだと思うぐらいの覚悟がなければいけない。

時太山は逃げると決めたら、全力でどこまでも逃げるべきだった。黄泉国から逃げたイザナキのように。17歳の少年にそれを望むのは酷な話だが。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ