2007年12月

お世話になりました

大掃除中ゆえ、このような姿で失礼します。

来年も、やたがらすナビやた管ブログと私をよろしくお願いします。

それでは、よいお年を。
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承前

上のエントリはなかば冗談で書いたのだが、実はよりUFOっぽく見せるために底本を角川文庫にした。

『とはずがたり』は孤本(一つしか写本が存在しない)である。どの活字本も同じものをもとにしているのだが、肝心の底本がはなはだ怪しいものだから、翻刻や解釈に違いが出やすい。原文は次のとおり。

かしらはかいふといふものゝせいにてしたいにさかつきほとすへき程なるものゝ

特に最初の「かいふ」は意味不明で諸説分かれている。なお、アスタリスク以下は注釈書にあった注である。

新日本古典文学大系(三角洋一)
頭はかいふといふ物のせいにて、次第に盃ほど、陶器程なる物の、
*かいふ・・・「かひご」で卵ほどの大きさの意か。一説に「海賦」とも「匙(かひ)」「土器(かはらけ)ともいふ」

新潮日本古典集成(福田秀一)
頭はかいふといふもののせいにて、次第に盃ほど・陶器ほどなるものの、
*かいふ・・・「海賦」(または海部)すなわち大波・海松(みる)・貝など海岸の風物を描いた模様か。また「匙(かい)」の誤写で匙の類とも、「土器」(盃の類)の誤写ともいう。

筑摩叢書『とはずがたり』(冨倉徳次郎)
頭は海賦ほどの勢(せい)にて、次第に、盃ほど、陶器程なるものの、
*かいふ・・・模様で、貝・海草・怪魚の図をいう。ここは特に怪魚をいうか。

角川文庫『とはずがたり』上(松本寧至)
頭は土器といふもののせいにて、次第に盃ほど、陶器程なるものの、
*先頭は土器ぐらいの大きさで。「かはらけ」底本「かいふ」。

朝日古典全書『とはずがたり』(次田香澄)
頭はかいふといふもののせいにて、次第に盃ほど、すへきほどなるものの、
*かいふ・・・未詳
*すへき・・・酢坏の誤写か

新潮日本古典集成と筑摩叢書は、そのままの読みで「海賦」としているが、これは「海賦模様」とよばれる着物などの模様で、大きさを示すのにはそぐわない。ただし、日本古典集成は「せい(勢)」から、先頭だけ大きさではなく勢いを表したものと解釈したのかもしれない。

新日本古典文学大系の「かひご」説はたしかに「ひ」と「い」、「こ」と「ふ」は間違えやすそうだから、ありそうな話である。

角川文庫の「土器(かはらけ)」説は、盃・陶器とつづくため通りがいいものの、「かはらけ」がなぜ「かいふ」になっちゃうのか理解できない人も多いだろうと思う。

この時代の写本は現在でいう変体仮名を用いてかかれている。したがって、現在の仮名からは想像もつかないような文字が誤写される。この場合、「は」は「ハ」と間違われやすく、「希」を字母とする「け」は「布」を字母とする「ふ」と間違われやすいので(「ら」は字が小さいので読み飛ばされやすい)、「かはらけ」を「かいふ」と誤写することは十分ありえるのである。(「け」と「ふ」については変体仮名を覚えよう参照)

以前、古典文学の著作権(その1)古典文学の著作権(その2)にも書いたが、古典の本文はこのようにして違いができるものなのである。
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帯広・恒例つかみ取り硬貨に交じり…なぜかおはじき 主婦「偽装では」
帯広市の「年末全市連合大売り出し」恒例の抽選くじの賞品として行われた百円玉と五十円玉のつかみ取りで、主催した実行委が事前に知らせず、硬貨の中におはじきを交ぜていたことが二十五日、分かった。同市内の主婦などから「今年はやった一連の『偽装事件』と同じではないか」といった苦情が事務局の帯広商工会議所に寄せられ、同会議所は「説明不足だった。反省している」と陳謝している。

最初読んだときは福引で文句いうなんてセコイなあと思ったけど、よく考えてみれば、文句をいう方が正当である。

これが、単なる福引なら何の問題もない。たとえ、1000に1しか当たりがなくって、それ以外が全部スカだったとしても、実際に当たりが入っているのだからウソにはならない。

ところが、現金つかみ取りとなると状況が違う。「現金つかみ取り」ならば、すべて現金だと思うのが当然だ。自分がいくらつかみ取れるか、その可能性を試算することができるのである。しかも、100円玉、50円玉のつかみ取りだから試算しやすい。

すべて現金なら、最低でも20枚ぐらいはつかめるだろうから、買い物にかかったお金から2000円は取り返せる可能性があると試算できる。

これは、買い物の判断につながっていく。ここが問題である。買い物の合計額がもうちょっとで福引一回分に満たないとき、2000円取り返せる可能性があるなら、もう一品何か買って福引の回数を増やし、取り返すチャンスを得ようとする人は多いだろう。

しかし、半分おはじきなら、どんなにがんばっても、1000円しか取り返せない。初めから1000円しか取り返せないと分かっていたら、もう一品買うのをやめておく人もいるはずだ。

そういう人が2000円取り返せるかもしれないと思って、わざわざいらないものを買ったのに、どうがんばっても1000円しか取り返せないというのなら、騙されたと思うだろうし、怒るのも当然だ。

ゲームとしてはおもしろいし、主催者側に悪意があったとも思えないが、消費者に間違った試算をさせて買い物させているのだから「偽装と同じ」といわれてもしょうがないのではないか。

ところがこちらの意見を見ると、圧倒的に主催者側を擁護するものが多い。余裕があるのか、なんなのかわからないが、お金の感覚の薄い人があまりに多いことには驚かされる。
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毎年恒例の・・・あれ?今まで一度も書いてないや・・・展覧会やります。

東京都の高等学校書道科教員による書展

会期:平成20年1月5日(土)〜1月7日(月) 
時間:午前11:00〜午後6時(最終日は5時まで)
場所:東京近代美術クラブ
地図はこちら

その名のとおり、東京都内の高校の先生の展覧会です。

実は、ここ三年ほど、実行委員長(と書いてパシリと読む)などというものをやってます。おかげで、忙しくてまともな作品ができません(言い訳)。

でも、いろいろな作品があって面白い展覧会ですので、銀座に来るついでがあったらぜひお越しください。
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UFOの存在を確認していないという閣議決定が出たが、日本におけるUFO目撃の記録はかなり古くからある。

UFOらしきものは、月に帰っていったかぐやひめの乗り物がよく知られるが、あれは「車」と明記されているので、未確認飛行物体ではない。そもそも『竹取物語』は「作り物語」といわれる創作物なので、これをUFO目撃の初出とするのは無理がある。

あきらかにUFOと確認できるのは『とはずがたり』の文永8年(1271)の記録である。なお、『とはずがたり』は日記なので、信憑性が高い。
丑の時ばかりに橘の御壷に、大風の吹く折に荒き磯に浪のたつやうなる音おびただしくするを、「何事ぞ、見よ」と仰せあり。みれば、頭は土器(かはらけ)といふもののせいにて、次第に盃(さかづき)ほど、陶器(すへき)程なるものの、青めに白きがつづきて十ばかりして、尾はおびただしく光りて、とびあがりとびあがりする。

当時の人々はUFOを知らなかったため、「人魂」として後嵯峨法皇の魂だと考えた。

だが「大風の吹く折に荒き磯に浪のたつやうなる音」というのは、人魂にしてはやかましすぎる。たぶん。

「かはらけ」だの「さかづき」だの「すへき」だの皿様のものに例えていること、青白く光っていることなども、現代のUFO目撃証言と一致している。これが現代にも地球に飛来し続けているUFOであることは間違いない。たぶん。

それにしても、UFOについてこれほど生々しく描写されたものが他にあるだろうか。これは、実際に見た人物だけが書ける文章である。たぶん。
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クリスマスツリーメリークリスマス!

えー、何か誤解されているようですが、それはツリーではなくって、笹の方だと思います。
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12月12日のエントリで書いた、シグマ17-70mm F2.8-4.5 DC MACROを試してみた。
(作例は下の写真をクリックしてください)

テスト撮影


広角側の17mm(35mm換算で25.5mm)は、以前よく使っていた35mmフィルムの28mmよりも余裕があって、敷地の狭い神社仏閣の撮影には便利。少し樽型にひずむようだが、このぐらいなら許容範囲だろう。

あえて太陽を入れて撮ってみたが、ゴーストやフレアも、思いのほか少なかった。かなり立派なフードが付いているので、そのせいかもしれない。

にっしんカメラの店員から、「明るいレンズの開放で撮ると、軟調に写る」と聞いていたのだが、言われたほどでもなく気にならなかった。

特徴は、ズーム全域で20cmまで寄れること。これ、勘違いしていたんだけど、レンズの端から20cmじゃなくってCCDから20cmなのね。だから、レンズの前面からだと数センチになる。これだけ寄れれば、蔵書印だろうと虫食いだろうとしっかり写るので、書誌学のみなさんにオススメ。

とりあえず、これ一本でなんでもいける万能レンズである。
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レンズ買いました 付、中古カメラ屋の作法を書いてから、買い物に作法があるってのはヘンだよなーということに気づいた。

まとめてみると面白いかもしれないので、お作法というカテゴリを作ってみた。なお、僕は筋金入りの知ったかブリブリ半可通なので、間違いがあったら、遠慮なく教えて欲しい。

今日、仕事の帰りに都営地下鉄神保町駅のファンケルショップで青汁を飲んだ。

他に飲むところがないので、ここで飲んでいるが、青汁を飲むにしてはここは何かが違う。きれいすぎるし、うますぎるのだ。たとえて言うなら、東急ハンズで雑貨を買うのとユザワヤで雑貨を買うのとの違いである。

もちろん、ファンケルショップは東急ハンズの方である。ここの青汁はちょっと前には考えられなかったぐらいうまい。おまけに、青汁のくせになにやらサプリメントをトッピングしてくれる。31のアイスクリームじゃあるまいし、しゃらくせえ。

では、青汁業界のユザワヤとはどこか。40年間青汁のみを販売したという、頑固一徹銀座青汁スタンドで決まりだろう。ここで青汁を飲んでこそ、真の青汁飲み、青汁ドリンカーと言えるのではないだろうか。

この店、まず見た目がアヤシイ。花の銀座の裏通りの、どう見ても築50年ぐらい経っていそうな建物(実際にはそんなに古くないらしい)の中にある。一見昔の喫茶店風だが「青汁スタンド」とか「遠藤青汁友の会資料館」とかいう看板の文句が、初心者の行く手を阻む。

意を決して中に入ってみると、非常に狭い店内に板張りの壁と小さな木のベンチとテーブルがあり、まるで無人駅の待合室のようだ。壁にはなにやら資料が貼ってある。これが資料館ということか。

ここは「スタンド」だから、座っていてもオーダーをとりにはこない。カウンターの店員に小(230円)か大(460円)かを告げ、出てくるまで待つ。ファンケルのような軟弱な店とは違い、大だとかなり大きいので、初心者は小にした方が無難だろう。

出てきたら、金を払い(あれ?後払いだったかな。忘れた)青汁を飲む。立ったままでもよし、待合室の椅子に座って飲むのもよし。ともかく一心不乱、かつ自然に飲む。

最後は飲み終わったコップをカウンターの中にいる店員に返すのだが、そのまま返してはいけない。ここに銀座青汁スタンドの作法がある。

カウンターのすみっこに給水器が置いてある。これはチェーサーではない。飲み終わった空のコップにその給水器で水を入れる。入れたらコップを揺らし、コップの内側についている青汁を十分に水に溶かす。

そしてその薄くなった青汁を飲む。この店では青汁を最後の一滴まで飲むのが作法なのだ。この作法の後、きれいになったコップを返して店を出れば、ミッション終了である。

おめでとう!これであなたも真の青汁ドリンカーだ。
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「佐賀のがばいばあちゃん」の「がばい」は形容詞かと思ったら、「非常に」に近い意味の副詞らしい。

ただそれだけ。
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12月13日、サントリー美術館の鳥獣戯画がやってきた!―国宝『鳥獣人物戯画絵巻』の全貌―を見に行った。鳥獣人物戯画がこれだけまとまって見られるのはもうちょっとないだろう。

鳥獣人物戯画は甲巻が有名で僕も見たこともあるが、乙巻以降は初めて見た。やはり、有名な甲巻に比べると、いかにも手遊びという感じがあるが、かえって絵師の画力をうかがい知ることができる。

『鳥獣人物戯画』以外のものも面白かった。陽物比べだの、屁合戦だのでおなじみ『勝絵絵巻』は印刷物でみたことがあるが、こんなに迫力のあるものだとは思わなかった。

平日の昼間であるにもかかわらず、かなり混んでいた。もっとも、並んでもせいぜい10分ぐらいだから、以前上海博物館で見た、『清明上河図』5時間待ちにくらべたらたいしたことない。『清明上河図』よりよっぽどいいと思うけど。

あらかじめ買っておいた図録で予習してきたので、とても理解しやすかった。だから、ぜんぜん後悔してないもん!
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