2008年01月

不忍池の野鳥


東京国立博物館に行ったついでに、不忍池で鳥の写真を撮った。上の写真がそれ(クリックするとアルバムに飛びます)。

それにしても、もっといろいろいると思ったのに、意外と少なかったなー。
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東京国立博物館の「宮廷のみやび―近衛家1000年の名宝」に行ってきた。出品リストはこちら

ワーキングプア特権を利用して、平日の昼間に行った。おかげで、思ったよりも人が少なくゆっくり見られた。

なにしろ陽明文庫の名宝ばかりなので、いい悪いをいうようなものではないのだが、近衛家熈にかなりのスペースを割いているのが特徴だ。

恥ずかしながら僕はこの近衛家熈という人物をよく知らなかった。近衛家熈は江戸中期の人(1667〜1736)で、書にしても、絵にしても、とにかくうまい。江戸時代の人に対して「うまい」なんてへんな褒め方だが、そうとしか言いようがないのである。

近衛家の書といえば、寛永の三筆の一人で、三貘院流(近衛流)の祖である近衛信尹(1565〜1614)だが、信尹(信尹の書もかなり展示されている)には全然似ていない。似ていないばかりか、家熈の仮名はこの時代には珍しく流麗な平安朝風なのである。現代では近世的な仮名は完全に廃れているから、この時代に平安朝風を守った家熈はもっと評価されてしかるべきである。

仮名だけではなく、漢字もいい。変わったところでは、隷書の般若心経や篆書の百寿図があったが、やや和臭がするものの、同じ時代のものに比べてかなり手馴れた書きぶりだった。

近衛家熈は、宝物をことごとく臨書、模写して練習したらしい。それらも、原本といっしょに展示されているのだが、忠実に臨書していて、いかに古典を大事にしていたかがよくわかる。特に、空海『風信帖』の臨書は、コピーと見まごうほどだ。

僕の目的の一つは、『宇治拾遺物語絵巻』を見ることだった。これも詞書が家熈のもので、非常に美しい。勉誠出版の『宇治拾遺物語絵巻』が欲しくなってきた(ちょっとお高いんだよなー)。

この展覧会、実は後半に古筆切などの仮名の逸品がある。あと、最後の方に趙孟頫の仇鍔墓誌銘もあって、異彩を放っていた。あれ陽明文庫の所蔵だったのね。知らなかったよ。
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ユリカモメに何かささっちゃったらしい。このユリカモメ、東京都の都鳥であると同時に、『伊勢物語』の東下りに登場する「ミヤコドリ」として知られている。

しかし、本当にミヤコドリはユリカモメなのだろうか。まず、『伊勢物語』からミヤコドリの描写を見てみよう。
さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず。渡し守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふをききて、・・・

まず、「白き鳥の嘴(はし)と脚と赤き、鴫(しぎ)の大きさなる」だが、色はたしかにユリカモメに合致する。しかし、鴫の大きさというのがよく分からない。シギの仲間は種類が多く、一概にはいえないのだが、ユリカモメと比較するには小さいように思う。特に翼を広げた大きさはシギとは比較にならない。

「水の上に遊びつつ魚をくふ」というのも、ユリカモメにはイマイチしっくりこない。ユリカモメは急降下して魚をとるからである。「水の上に遊びつつ魚をくふ」というような魚の捕り方は、ウとかカイツムリを想起するが、もちろん白いウやカイツムリはいない。

ところが、この歌『古今和歌集』411番歌に収録されていて、長い詞書を持っている。
武蔵国と下総国との中にある隅田河のほとりに至りて、宮このいと恋しう覚えければ、しばし河のほとりに下り居て、思遣れば、限りなく遠くも来にける哉と思侘びて、眺め居るに、渡守、はや舟に乗れ、日暮れぬと言ひければ、舟に乗りて渡らむとするに、皆人もの侘しくて、京に思ふ人なくしもあらず、さる折に、白き鳥の、嘴と脚と赤き、河のほとりに遊びけり。京には見えぬ鳥なりければ、皆人見知らず、渡守に、これは何鳥ぞと問ひければ、これなむ宮こ鳥と言ひけるを聞きて、よめる

この詞書にはシギとの比較や魚の捕り方についての描写はない。かわりの「河のほとりに遊びけり」というのは、いかにもユリカモメらしい行動のようにも思える。あるいは、「鴫の大きさ」だの、「水の上に遊び」だのというのは、『伊勢物語』で付け加えられたのかもしれない。

しかし、もう一つ問題がある。

『伊勢物語』の東下りの過程は、三河国>駿河国>武蔵国となっている。三河国では有名な「かきつばた」の折句となっている。かきつばたが咲くのは現在の五月中旬から下旬である。

次の駿河国では、五月の末なのに、富士山に雪が降り積もっているとある。この五月は旧暦なので、今の六月の終わりか七月の初めごろだろう。

武蔵国についたのがいつかは書かれていないが、八橋から宇津と、宇津から隅田川までは同じぐらいの距離だから、やはり一ヵ月ぐらいとみられる。したがって、一行が隅田川でミヤコドリを見たのは八月ごろとなる。

ところが、ユリカモメは十月ごろ渡ってくる冬鳥なので、真夏の八月ごろは日本にはいないはずである。なお、『古今和歌集』の場合でもミヤコドリを詠んだ411番歌の直前がかきつばたなので、時系列的には問題ない。

それでは『伊勢物語』にでてくる、ミヤコドリの正体は何か・・・。続きを読む
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規模の大きな辞典には逸話が付き物だが、なんといっても大漢和辞典ほど、物語に富んだ辞典はないだろう。

これについて書かれた本で、僕が読んだ中では一番面白かったのが、原田種成著『漢文のすすめ』(新潮選書)である。

原田先生の講演は何度か聞いたことがある。どんな題目の講演でも、いつの間にか自慢話にしてしまうという特技の持ち主で、それも本題よりも自慢話の方が長かった。

もちろん、全然本題と関係ない自慢というわけではないのだが、いくら偉い先生でも他人の(しかも先祖のだったりする)自慢話などそう面白いものではない。数回聞いて、原田先生の講演を聞くのはやめてしまった。

『漢文のすすめ』は原田先生の自慢話の集大成である。思う存分書いていて、読んでいるとあの講演を思い出す。『漢文のすすめ』と題しておいて、やっぱり自慢になっちゃうところもいかにも原田先生らしい。

講演は聞かなくなったが、活字で読むととても面白い。中でも、第2章 諸橋『大漢和辞典』編纂秘話は面白かった。はっきりいって暴露話なのだが、たぶんここが一番書きたかったんじゃないだろうか。

第4章 国語教育と漢字教育の「国文学者の誤読」には、僕の師匠(国文学者)が登場する。これについて師匠から裏話を聞いたけど、とてもじゃないが書けません。
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ずいぶん前に別のサイトで書いたのだが、前回のエントリで『広辞苑』について書いたついでに、今の『広辞苑』は新村出編ではないというお話。

僕は第三版(第四版も同じらしい)を持っているのだが、この版の「形容動詞」の項目を見ると、次のように書かれている。

(前略)また、別説では、文語の第一類は形容詞連用形と「あり」とに還元し、第二類・第三類は名詞と指定の助動詞の結合とみなして形容動詞を認めない。本辞典はこの最後の説に従う。

また、巻末付録「国文法概要」には、

このように考えればいわゆる形容動詞は、それらの属性概念を表す名詞に、指定の助動詞「なり」「たり」が付着して成立したものであると見られる。つまり形容動詞の語幹は意義として用言的な属性概念をもつものであるが、品詞としては名詞と見られるものである。それゆえ、特別に形容動詞という一品詞を立てる理由はない。本書はこうした後者の見解に従い、形容動詞なる品詞をたてず、その語幹をすべて名詞として取り扱った。

とされていて、やはり形容動詞の存在を認めていない。

それどころか「それゆえ、特別に形容動詞という一品詞を立てる理由はない。」という文には、編者の強い主張が感じられるだろう。

ところが、第五版(1998年刊行)から『広辞苑』は突然姿勢を変える(六版は未見)。

「形容動詞」の項目では、

形容動詞を品詞の一としない説もある。

とし、巻末付録の「日本文法概説」では

また、形容動詞に当る語は、語尾を除いた語幹に独立した意味合いがあるので、形容動詞を名詞に助動詞などの語が付いたものとして、独立した品詞と認めない説もある(本書における見出しは語幹だけを示し、品詞表示も見出しの形式に合わせて名詞と同等に扱う)。

として、形容動詞を認める立場に変わっている。さきほどの認めない立場からすると、まるで他人事のようだ。

どちらにしても、語幹のみを見出しにしているのだから、見出し語としては変わらないのだが、編集方針が変わってしまっている。

『広辞苑』の編者は、いわずとしれた新村出で、今回改訂された第六版にも「新村出編」と大きく書かれている。ところが、新村出は1967年没なので、形容動詞を認める編集方針は彼の意にそぐわない。

現行の『広辞苑』にも新村出が執筆した項目もあるかもしれない。しかし、品詞の概念が変わってしまった以上、五版以降の『広辞苑』の編者は新村出とはいえない。岩波書店は『広辞苑』から新村出編の文言を消すべきである。

なお、三省堂の『広辞林』は、もともと金沢庄三郎編だが、かなり早い時期に三省堂編修所編にしている。
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追随許さぬ広辞苑人気 定着ブランド、地道に改訂:asahi.com
「国民的辞書」とまで言われる広辞苑の第6版が11日、岩波書店から発売された。10年ぶりの改訂で、予約だけで34万部に達した。魅力的な辞書は数多いのにどうして広辞苑ばかりが人気なのか。ライバル辞書の編集者や研究者に品定めしてもらった。

なにが驚いたって『広辞苑』の予約が34万部に達したことだ。これ、電子辞書などの台頭で、第5版の半分以下なのだそうだが、それでも先日話題になった『ミシュランガイド東京2008』(2310円)が初版12万部であることを考えると驚異的である。

しかし、この時期に出したのはうまいと思う。成人のお祝いや、卒業祝いや入学祝にはぴったりだ。一万円でおつりがくる値段も、電子辞書では高すぎるという層にはちょうどいい。もっとも、お祝いをもらう人の多くは電子辞書ももらっているだろうから、34万部の多くが書架のこやしになるだろう。

上のasahi.comの記事に、
辞書について研究する評論家の武藤康史さんは、国文学を学ぶ学生だった30年ほど前、発表で広辞苑を引用した同級生が教授から怒られているのを見た覚えがある。
 「項目も説明も不十分で、国語の研究者で引用する人はいなかった。逆に、広く浅く知りたい専門家以外の人には使いやすかったのではないか」

とあるが、こんなことをすれば怒られるのが当然である。

研究者以外の人にとって『広辞苑』は国語辞典の権威に思えるかもしれないが、研究者にとっては、中型の実用的な国語辞典の一つにすぎないからである。これが『日本国語大辞典』(小学館)だったら、それほど叱られずにすんだかもしれない。

ただし『日本国語大辞典』ならば怒られずにすんだかといえば、そうともいえない。研究者にとっての国語辞典とは、あくまで一つの解釈であり、解釈のためには複数の辞書や注釈書を引く必要があるからである。

国語学や国文学の研究者のなかで『広辞苑』がとくに優れた辞書であるという評判はない。あくまで「なんでも載っている便利な辞書」程度のもので、せいぜい座右に置いて実用的に使うものだ。

しかし、最近の『広辞苑』は座右に置くには大きすぎる。座右に置くなら電子辞書の方がはるかによい。紙の辞書にしても、これよりも読みやすく工夫してある類書(大辞林(三省堂)大辞泉(小学館)など)がたくさんある。

結局、ミシュランと同じで『広辞苑』がこれほど売れる理由はブランドだけということだ。まさに贈答品である。
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14日は成人の日だった。

ここ何年か、荒れる成人式が話題になったが、今年はほとんどニュースにならなかったようだ。

成人式のトラブルであれば、ちょっとしたことでもニュースになるから、全く(成人式後にはいくつかあったみたいだが)ニュースがないのなら、それはいいことである。

今年の新成人は高校の三年間をゆとり教育ですごした、所謂ゆとり世代の第一号である。とかくネット上(主に2chだが)ではアホの代名詞みたいに言われるゆとり世代だが、学力はともかくとして、非ゆとり世代よりずっとまともらしい。

ゆとり教育の目標は、知識偏重の教育を見直し、学力以外にも大事なものがあるということ(中教審はそれを「生きる力」と表現している)だったから、所謂ゆとり世代の成人式が荒れなかったのなら、ゆとり教育は大成功ということになる。

新成人の諸君、これからは非ゆとり教育世代がおかしなことをしたら、「これだから非ゆとりは・・・」というがいい。君たちにはそういう権利がある。

そもそも、ゆとり教育だから学力が低下したというのは本当なのだろうか。

僕の知識の中で、学校の授業で得たものはそれほど多くはない。

たとえば、英単語は学校で教わったよりも、自分で覚えた方がはるかに多い。今よりもはるかに受験競争が激しかったからである。覚えなければ、進学できないから、必死になって自分で覚えただけの話である。

知識や学力などというものは、学校の授業そのものよりも、生徒自身や彼らを取り巻く環境の方がずっと影響が強いものだと思う。

こういう仕事をしている僕がいうのはナンだが、学校教育なんてそんなもんだし、それでいいのだと思っている。

渋谷のシネマアンジェリカで、雪の女王・鉛の兵隊を見た。どちらも、アンデルセン原作のソ連製アニメーションである。

『雪の女王』は1957年の作品。なお、原作は雪の女王:青空文庫で読める。

【あらすじ】
あるところにカイという少年とゲルダという少女がいた。2人はとても仲良しだったが、ある日、悪魔の作った鏡の欠片がカイの目と心臓に刺さり、カイの性格が一変してしまう。その後のある雪の日、カイは一人で雪ぞりで遊んでいて、そのまま雪の女王に連れ去られる。
春になると、ゲルダはカイを探しに出かけた。太陽や花、動物の声に耳を傾け、ゲルダは旅を続ける。途中で、王子と王女の助けにより、馬車を得るがそれが元で山賊に襲われる。あわや殺されそうなところで、山賊の娘に救われたゲルダは、娘が可愛がっていた鳩に、カイは北の方に行ったと教えられる。山賊の娘のトナカイに送られ、ゲルダはとうとう雪の女王の庭にたどり着く。
カイを見つけたゲルダは、涙を流して喜び、その涙はカイの心に突き刺さった鏡の欠片を溶かし、カイは元の優しさを取り戻す。2人は手を取り合って故郷に帰る。

雪の女王:Wikipediaより。

とても50年前のアニメとは思えないほど、動きが自然で美しい。僕はディズニーアニメの動きが嫌いなので、この自然さは心地よく見られた。

異論はあると思うが、この映画のクライマックスは山賊の娘の心が変化する場面である。

動物たち(ゲルダも)を綱で繋ぎとめることによって、「友達」としていた山賊の娘は、ゲルダに会って心変わりをし、動物たちを罵りながら繋いでいた紐を切る。

こう書くと、山賊の娘とゲルダのやりとりがそうとうありそうに思うかもしれない。しかし、そこはあっさり描かれ、動物たちを繋ぐ綱を切る場面に重点が置かれる。ここでは、山賊の娘が動物たちを罵りながら繋いでいた紐を切るが、解放されたはずの動物たちは山賊の娘のもとを去らない。本当の友達になるのだ。

つまり、一方的に拘束することによってしか愛を表現できなかった山賊の娘が、ゲルダによってはじめて本当の愛を知るのである。

この場面は、紅白の小林幸子みたいな雪の女王と、とらわれたカイの関係を予告している。

雪の女王から、カイを取り返す場面は、本来クライマックスなるべき部分だろう。だが、この映画では、あっさりとカイを手放してしまい、非常に淡々と描かれる。

そこに物足りなさを感じるかもしれないが、すでに山賊の娘と動物たちの関係で描いたので、詳しく描く必要がないのである。このため、説教臭さはみじんも感じられない。

さて、三鷹の森ジブリ美術館が提供しているのでも分かるように、宮崎駿が影響を受けた作品として知られるが、影響どころか、これは種本だと思った。そんなに宮崎アニメ見ていないで偉そうなことはいえないけど。

鉛の兵隊は1970年の作品。わずか20分の小品だが、こちらも美しい見ごたえのある作品だった。

どちらの作品も、共通していえることは、省略すべきところを大胆に省略していることだろう。そこに想像する余地を与え、素朴な物語の中に、細かい心理描写を見ることができるのである。
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中国哲学の泰斗宇野精一先生が亡くなられた

僕は宇野先生に直接習ったことはないのだが、湯島聖堂の理事長でいらしたときは、その関係で何度もお会いしている。

もう15年以上も前のことだ。当時すでに80歳をこしていらっしゃったのに、ストライプのスーツを着こなして、とてもお若く見えたのを記憶している。

ストライプといっても、白に青のストライプで、色白の宇野先生にはよく似合っていらっしゃった。あんなスーツ、普通の人にはとてもじゃないが着こなせない。育ちの違いというのはこうところに出るのだなと思った。

僕は、幸いなことに一度だけご自宅にお伺いしたことがある。蔵書を湯島聖堂に寄贈されるとかで、僕と友人がバンに乗って取りにお伺いしたのである。

戦前の大衆小説(菊池寛の真珠夫人とか)にでてくるような家で、着物をお召しになった先生が現れたように記憶しているが、なにしろ15年前なので、本当にそうだったかいま一つ定かではない。

とにかく、いかにも絵に描いたような「学者」という感じだったのは間違いない。こういう人がだんだん少なくなるのはさびしいことである。

いまはただ、ご冥福をお祈りするのみである。
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というわけで、今回の展覧会(第15回教員展)に出品した、僕の作品をお見せします。他の人の作品はこちらをどうぞ。

題名は「臨本院侍従消息(偽)」です。

臨というのは、古典をお手本にしたという意味です。「消息」は手紙。なので、この作品は「本院侍従消息」をお手本にしましたという意味なんですが、実は「本院侍従消息」なんて存在しません。だから(偽)です。

ここまで書くと、分かる人には分かるかもしれません。「本院侍従消息」の説明は後に書きます。

作品はコレ↓。クリックすると拡大しますが、わざわざ拡大して見なくてもいいかも。



わざわざお越しくださった方、こんな作品ですみませんでした。

この写真じゃなんだかわからないので、真ん中の字の部分を拡大してみます。

みつ

「みつ」です。それだけ。

実はリアリズムに徹するため「みつと」まで書いたのですが、「と」の部分は破いてあります。なんども「みつと」を書いているうちに、「みつを」に見えてきたよ。

僕にしてはうまい(実は仮名は苦手)ので、何かから剥ぎ取ってきたんだろう、だから偽なんだろうとか言われましたが、ちゃんと自分で書きました。お手本はありません。

ついでに落款。
落款

落款にも、去年を表す漢字の「偽」をあしらってみました。普通、ここは「書」とか「かく」なんて入れるところです。おそらく、ここに偽と入れたのは本邦初ではないかと。

とまあ、例によって手抜きの品ですが、ふざけているわけじゃなくって、僕としては「これ何だろう」と思っていただければいいかなと・・・。続きを読む

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