ゆとり教育の弊害だなんだといっているが、ゆとり教育の弊害をさけぶ人に限って、その本質が分かっている人はほとんどいない。かくいう僕も分かっていない。しかし、本質が分かっていない人に限って、大声で弊害をさけんでいることだけはよーく分かる。
びっくりすることに、ゆとり教育は教師が楽をするために始まったと思っている人がいる。こういう人はたいてい日教組がドータラとなるわけだが、トンチンカンもはなはだしい。この程度の知識しかない人にゆとり教育の弊害を語る資格があるとは思えない。
たしかに生徒の授業時数は減った。だが、教師の持ち時間数は減っていない。なぜなら、教師の持ち時間数というものは大体決まっていて、端数が出たら非常勤講師などに授業をさせるからである。
仮に生徒数が変わらず、授業時数が減ったならば、非常勤が減るか、専任を減らして非常勤で穴埋めするかのどちらかである。したがって、教師の持ち時間数が減るなどということは論理的に考えてありえない。
土曜日が休みになったのも、生徒の休みが増えただけである。教員はそれ以前から研修日というものが週一日あり、事実上の週休二日だった(地域にもよるが)。
僕の感覚では、ゆとり教育以後、教師の負担は増え続けている。時数と同時に、たしかに内容も減ったのだが、減った時数に見合うほどには減っていないのだ。さらに、ハッピーマンデーで月曜日の授業が減った結果、月曜に当たっている授業は授業時数が足らず悲惨なことになっている。
今は多くの公立学校で、学校公開日を設けている。ゆとり教育の弊害を叫ぶ前に、授業を見に行ったらどうか。おそらく、今なら貸しきり状態で授業が見られるだろう。
それにしても、どうしてこうも教師の仕事を増やそうとするのか。教師の仕事は少ないほど良い教育ができるのは、常識で考えれば分かることである。
びっくりすることに、ゆとり教育は教師が楽をするために始まったと思っている人がいる。こういう人はたいてい日教組がドータラとなるわけだが、トンチンカンもはなはだしい。この程度の知識しかない人にゆとり教育の弊害を語る資格があるとは思えない。
たしかに生徒の授業時数は減った。だが、教師の持ち時間数は減っていない。なぜなら、教師の持ち時間数というものは大体決まっていて、端数が出たら非常勤講師などに授業をさせるからである。
仮に生徒数が変わらず、授業時数が減ったならば、非常勤が減るか、専任を減らして非常勤で穴埋めするかのどちらかである。したがって、教師の持ち時間数が減るなどということは論理的に考えてありえない。
土曜日が休みになったのも、生徒の休みが増えただけである。教員はそれ以前から研修日というものが週一日あり、事実上の週休二日だった(地域にもよるが)。
僕の感覚では、ゆとり教育以後、教師の負担は増え続けている。時数と同時に、たしかに内容も減ったのだが、減った時数に見合うほどには減っていないのだ。さらに、ハッピーマンデーで月曜日の授業が減った結果、月曜に当たっている授業は授業時数が足らず悲惨なことになっている。
今は多くの公立学校で、学校公開日を設けている。ゆとり教育の弊害を叫ぶ前に、授業を見に行ったらどうか。おそらく、今なら貸しきり状態で授業が見られるだろう。
それにしても、どうしてこうも教師の仕事を増やそうとするのか。教師の仕事は少ないほど良い教育ができるのは、常識で考えれば分かることである。