2008年04月

大田区の馬込文士村に行ってきた。ここは近代文学の作家が多く住んでいた場所として知られているが、実は平家物語ゆかりの地でもある。

まずは、磨墨塚から。

磨墨塚

磨墨は、宇治川の先陣争いで梶原景季が乗った名馬である。磨墨はこの地で死んだんだそうだ。

磨墨塚近くの万福寺には、磨墨の銅像も建っている。

磨墨像

この寺の開基は、景季の父、梶原景時で、墓地には立派な墓もある。

梶原景時墓

話がうますぎると思うかもしれないけど、気にしちゃいけません。

なお、ここからは少し離れているが、同じ大田区の洗足池には千束八幡神社という神社があり、ここは宇治川の先陣争いで梶原景季のライバルとなった、佐々木高綱が乗った名馬、生食(いけづき・池月とも)が誕生した場所である。

池月像

千束八幡神社

話がうますぎると思うかもしれないけど、気にしちゃいけません。
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殺人未遂:バットで殴られ中3重体 無職少年逮捕 千葉:毎日jp

調べでは、少年は携帯電話のサイトの書き込みを巡って生徒と口論になり、緑地内に落ちていた金属バットで生徒の頭を数回殴って殺害しようとした疑い。少年は「サイトに悪口を書かれ、頭に来て殴った」と話しているという。
 2人は生徒が開設した携帯電話の自己紹介プロフィルサイト(プロフ)を通じて5、6カ月前に知り合ったとみられる。当初はメッセージなどのやりとりをしていたが、お互いが次第に悪口を書き込むようになった。その後のやり取りで2人に共通の知人がいることが分かり、この知人を介して直接会って話をすることになったという。2人はこの日が初対面だった。

たまたまテレビを見ていたら、この事件のことで、インターネットにお詳しい何某(名前は忘れた)という方がコメントをしていた。

「インターネットに詳しい何某」曰く、とにかくインターネットではセキュリティを守るために、本名、住所、電話番号など、本人を特定される危険性のあるものを書き込んではいけない・・・とかなんとか。少なくともこの事件に関しては、おそろしくトンチンカンなコメントである。

「その後のやり取りで2人に共通の知人がいることが分かり、この知人を介して直接会って話をすることになった」というのだから(テレビでもそう言っていた)、プロフでは本名や住所などは明かしていなかったようだ。加害者は「共通の知人」が登場するまでは、被害者の個人名が特定できていなかったのである。

つまり、被害者が氏名・住所を書き込んだのではなく、共通の知人から被害者の情報を得たのだ。これは、以前僕がmixiを試してみる(その2)でmixiの危険性について書いたのと同じことで、実名や住所を書かないことが必ずしもプライバシーを守ることにはならないことを示している。

さて、事件の発端は「お互いが次第に悪口を書き込むようになった。」ことである。どちらが先かわからないが、悪口さえ書き込まなかったら、この痛ましい事件は避けられたはずだ。

悪口の言い合いになってしまったのは、自分が誰か分からないという安心感からだろう。もし逆に、実名をさらしていたとすれば、発端となった加害者への悪口自体がなかったのではないか。

繰り返し書いておくが、僕は実名主義者はない。「インターネットに詳しい何某」のように、匿名であることが安全を守る基本だという考えが間違っていると言いたいのである。

この事件でも分かるように、むしろ匿名であることが危険を生むことがあるのだ。プライバシーを守る上では、名前を隠すことの優先順位は低いのである。

どんな場合でも、無責任な発言をしないことが、最大のセキュリティなのである。
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東京国立博物館で6月8日まで平城遷都1300年記念「国宝 薬師寺展」が開催されているが、タイアップ企画のもうひとつの薬師寺展に行ってきた。

場所は五反田の薬師寺東京別院、会期は東博の薬師寺展と同じく、6月8日まで。
出品物は以下の通り。

  • 重文 大津皇子坐像(鎌倉時代)
  • 重文 十一面観音菩薩立像(奈良時代)
  • 重文 十一面観音菩薩立像(平安時代)
  • 重文 十一面観音菩薩立像(平安時代)
  • 重文 文殊菩薩坐像(奈良時代)
  • 重文 吉祥天女像(平安時代)
  • 重文 地蔵菩薩立像(平安時代)
  • 重文 弥勒菩薩坐像(鎌倉時代)
  • 重文 東塔塑像残欠(鎌倉時代)
  • 市指定文化財 毘沙門天立像(南北朝時代)
  • 国宝 東塔天井画(奈良時代)
  • 市指定文化財 釈迦三尊十六善神像(鎌倉時代)
  • 市指定文化財 二河白道図(鎌倉時代)
  • 県指定文化財 薬師曼荼羅(鎌倉時代)
  • 重文 増一阿含経(奈良時代)
  • 重文 大般涅槃経(中国・北魏時代)
  • 重文 古枡(室町〜桃山時代)

出品物はこれがすべてで、数は多くないが、なかなかの逸品ぞろいである。

古写経などの小品以外はショーケースに入っておらず、かなり近寄って見られた。オマケに読経と薬師寺名物、おもしろ説法(解説)が聞ける。

薬師寺東京別院は、現代的な建築なので、いわゆるお寺という感じではない。それでも、博物館で見るのとは一味違った仏像の持つ〈ありがたみ〉が感じられる。東博からはちょっと離れているが、行く価値はある。

東博の方は・・・まだ行ってません。
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痛いニュース:ビビリな若者たちよ! 匿名は止めて実名で意見発信する勇気を!…日経BP

僕が実名でこのブログを書き始めて3年が経とうとしている。実名どころか顔が見える写真も載せているし、職業や出身も書いてあるし、本文を仔細に読めば、東京23区内のどのへんに住んでいるということもなんとなく分かるだろう。

それで何か実害があったかというと、僕自身が気づいていないだけかもしれないが、今のところ特にない。

実名で書くことにしたのには深い理由などない。

やたがらすナビのリンク集を作るときに、リンク先が実名でサイトを運営している人が多かったことから、相手が実名で自分が匿名では失礼だろうと思い実名にしたのである。もちろん、実名の人と現実社会で会ったときに話のネタになるという考えもあった。その後、付録としてこのブログを始める時にこちらも実名にしただけのことである。

僕は、誰もが実名で書くべきだとは思わない。実名で書くのは難しいことも多いからである。僕自身、かなり書いてから、これはまずいなと思ってボツにすることがけっこうある。書きたいことを思いっきり書くには匿名の方がいいのかもしれない。

上の2chの意見や元記事のトラックバックを読むと、実名で書くことにメリットがないから書かないという意見が多い。たしかに、実名で得したことはないが、メリットはある。

それは、実名を暴かれる心配をしなくていいということだ。すでに実名をさらし、職業までさらしている以上、僕が誰かという詮索をされずにすむ。これは大きなメリットではないだろうか。

僕は実名で書いているから、安心して書くことができる。ビビリだから匿名なのではなく、ビビリだから実名なのである。
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2008年04月09日のエントリの犬は生きているが、同じ日に東急の多摩川駅近くにある浅間神社で狛犬を撮ってきた。(クリックするとアルバムに飛びます)
多摩川浅間神社の狛犬


浅間神社や御嶽神社などの山岳系の神社には、狼型が多い。ここも、一番大きな社殿前のはオーソドックスな狛犬であるものの(だが、大変立派な狛犬である)それ以外はほとんど狼型だった。

なお、狼と狐と犬はよく似ているが、三遊亭円丈著『THE狛犬!コレクション』(立風書房)によると、

1.キバがある
2.脇腹にアバラが見える
3.耳がねている(立っていない)
4.山岳系神社にしかいない
5.台座が岩座

で見分けられるという。ただし、すべてを備えているものはほとんどないので注意。今回も、狐か狼かイマイチ区別のつかないものがあった。
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先日、多摩川の土手を散歩していたら、犬を連れた子供が僕のわきをすり抜けて行った。

アレ?裸足?

近くに親らしき人はいない。

そんなことはおかまいなしに、子供はスタスタと歩いていった。

裸足の少年


裸足の少年2

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ちょっと前の話になるが、今年もある学校の卒業式に出席した。東京の学校なので、当然国歌斉唱がある。

卒業式での国歌斉唱には、賛成でも反対でもない。絶対に歌わなきゃいけない(歌わないと罰せられる)というのもアホくさいし、歌うなと禁止するのも同じぐらいアホだと思う。

それにしても、不思議でならないのは、国歌の歌詞を変えるべきだという議論が全く出ないことである。

だいたい『君が代』なんていうのは、かなりいい加減な経緯で作られたものである。革命や戦争などの末に生まれた、他国の国歌とは比較にならない。(詳しくはWikipedia 君が代参照)

作曲は宮内庁雅楽課だが、最初はお雇い外国人に作曲させて、あんまり評判が良くなかったから、宮内庁雅楽課に依頼しなおしたものだ。国歌を外国人に作曲させたのとは、いかにそういう時代だったとはいえ、明治政府も太いものである。

歌詞にしても、もともと国歌として作られたものではなく、原型は『古今和歌集』343番歌で、賀歌である。賀歌というのは、簡単に言えばお祝いの歌で、この場合長寿を祝う歌である。

つまり、「国歌斉唱です」といって「ハッピーバースデートゥーユー」を歌っているようなものである。「君」が天皇を指そうが指すまいが(僕はもともとは指していないと思う)、国とは関係ないし、あまり国歌にふさわしいとも思えない。

明治以来の伝統が・・・とか言う人がいるが、たかが140年程度の伝統だ。古墳時代から続く、わが国の伝統から比べればつい最近といっていいほど新しい方である。

歌わせようとする側は、何故こんないいかげんに作られたものに固執するのだろうか。歌詞に問題があると考えて、歌いたくない人のために作り変えようと思わないのは何故か。国を讃えるような和歌なら、万葉集以来いくらでもあるはずだ。

逆に、歌いたくないという側にしてみれば、歌わないという消極的な選択肢より、新しく作ろうという選択肢の方が受け入れられやすいのではないか。何故新しい歌を提案しないのか。

変えることも選択肢に含めていないのは、どちらの側もまじめに議論する気がないということだろう。そんな国歌なら、歌いたい奴だけ歌っていればよろし。
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今度引っ越したのは、いままでいたところから徒歩で10分ぐらいの場所である。

近距離だし、大荷物もせいぜいパソコンと布団、分解可能なスチール本棚、イス(机などは痛みが激しいので捨てた)ぐらいなので、引越屋さんに頼むほどのものはない。

しかし、とにかく本が多い。単身者用の引越便ではとても間に合わない。最初はレンタカーを借て自分でやろうと思っていたのだが、尻のできもののせいで運転ができなくなってしまった。

やむなく、赤帽に見積もってもらったら、本は重量があるので、一台ではできず2台きてもらって16000円かかるといわれてしまった。うーん、もう一声。

幸い、春休み中で時間はあるので、リヤカーと台車、登山ザックを使って、エコロジカルに完全人力で引っ越すことにした。

リヤカー

まずは、リヤカー(大八車)を某所で借りてきた。大八ミヤジマ号と命名。

ミヤジマ号の積載能力は申し分ない。
写真は冷蔵庫と組み立て家具、布団と毛布を運んでいるところ。

これ以外にパソコン一式、事務イス、本などを運んだ。

かなり重いものを積んでも、空気入のタイヤなので、スムーズかつ楽に運べる。

しかし、ミヤジマ号は所詮借り物、諸般の都合により借りられなくなってしまった。

そこで、台車登場。その名も便利くん。近所のホームセンターで3800円。積載量は150Kg。

便利くん

ところが、この便利くん、むちゃくちゃうるさい。大八ミヤジマ号と比べたら、プリウスと族車ぐらいの差がある。

マンションの廊下など滑らかなところでは問題ないのだが、普通の道路で、特に荷物を載せていないときなどはものすごい騒音だ。

さらに揺れが激しいので、縛った本などはすぐに荷崩れてしまう。段差に弱いのも欠点で、1センチぐらいの段差でもバックしないと越えられない。

台車


そこで、一計を案じ、大きな段ボール箱に本を入れることにした。これで荷崩れ問題は解消した。台車で本を運ぶ人は、段ボール箱を用意したほうがいい。

台車2


もちろん、台車ならではの利点というのもある。そのまま、エレベーターに乗せて、玄関まで運べるのである。これはミヤジマ号では不可能だ。

また、ミヤジマ号だと、どうしても夜逃げ臭く(昼なのに)見えてしまうが、台車なら何かの業者にしか見えない。実際、マンションで花屋と間違われた。それにしても、何故に花屋だ?

それにしても、本というものは重いものである。これを知の重みというのだなぁ。きっと。
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僕がこの部屋を借りたのは、ちょうど10年前の今頃だった。
この部屋を出るときには、今とは違う自分になっているんだろうなと思っていた。
荷物が無くなったこの部屋は、10年前と何も変わっていない。
そして僕も。

汚い部屋1

きれいな部屋1

汚い部屋2

きれいな部屋2

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この件については、書かないつもりだったけど、YahooJapanのコメントがあまりにアレなんで、書くことにした。

<中国製ギョーザ>基準値の6万倍のメタミドホス検出 千葉

かいつまんで言うと、事件の発端となった毒餃子から基準値の6万倍のメタミドホスが検出されたということだ。

この記事によると「1課は「残留農薬のレベルではない」とし、意図的な混入の可能性が更に高まったとみている。」とある。

ここで不可解なのは、Yahoo!Japanのこの記事についているコメントである。もと記事に「意図的な混入の可能性が更に高まった」とわざわざ書いてあるのに、中国政府を批判するようなコメントばかり。彼らは中国政府が意図的にメタミドホスを入れたとでも思っているのだろうか。

これが残留農薬なら、たしかに政府の責任も問われるべきだろう。だが、この場合、何者かの犯罪による可能性の方が高まったのだから、中国政府を批判するのは的外れもいいところだ。仮に犯罪者が中国人だったとしても、それを中国人全体や中国政府の責任にできるだろうか。

ここで批判すべきは、どう考えても、犯人と、この犯罪を見抜けなかった天洋食品及びJTフーズである。

日本人が論理的でないのは十分に分かっているつもりだったが、これはあまりにひどい。
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