2008年06月

テレビを見ていたら、「会社は従業員のものか、顧客のものだと思っていた」という経営者が出てきてびっくりした。

こんなの全然話にならない。会社は株主のものに決まっている。従業員自身が思っているなら、経営者に洗脳されているのだから仕方がない。だが、経営者が思っているのは、ちょっとまずいんじゃないか。

会社は従業員のものだと、経営者に洗脳されている皆さんのために分かりやすく書く。

あなたは、カレー屋を開こうと思っている。まあ、カレー屋でなくてもいいのだが、とりあえずカレー屋にしておいてほしい。

カレー屋を始めるにあたって必要なものは、店舗、調理器具、にんじん、たまねぎ、ジャガイモ、豚肉などだろう。ほかにもいろいろあるだろうが、面倒くさいので、このぐらいにしておく。

これらのものがそのへんに転がっていればいいが、そんなわけはないので、買わなければならない。そのお金はどうするか。当然あなたが出さなくてはならない。

あなたは、自分の貯金の500万円でこれらのものを集めて、首尾よく店を開くことができた。個人商店でもいいが、将来を見越して株式会社として登記した。つまり資本金500万円の会社ということになり、株主はあなたである。株式とは、会社のためにいくら出しましたよという証明書みたいなものなのだ。

ここで質問。この時点で、会社は誰のものか。

もちろん、あなた(株主)のものである。少なくとも、にんじん、たまねぎ、じゃがいも・・・のものではないのは異存がないだろう。

さて、商売を始めて1ヶ月、あなたは、思ったより忙しい事に気づいた。このままでは過労死してしまう。人を雇おう。今の売り上げなら、給料も払えそうだ。あなたは人を雇うことにした。

この時点ではどうか。会社は相変わらずあなたのものだが、雇った人(従業員)のものといえるだろうか。

いまのところ、従業員はこの会社に対して、一円のお金も払っていない。つまり、経営者であるあなたにとって、従業員はにんじん、たまねぎ、じゃがいも・・・となんら変わるものではないのである。

たとえ、他の会社よりも高い賃金で雇っていたとしても、それは野菜を高く買っているのと同じである。福利厚生をよくしても、新鮮な野菜のためにいい冷蔵庫を買うのとなにも変わらない。

つまり、会社は、「にんじん、たまねぎ・・・のものではない」のと同じように、従業員のものではない。「会社は株主のもの」なんてのは、議論の必要がない、アタリマエのことなのである。
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走り湯
先週の金曜日から日曜日にかけて、箱根、伊豆をドライブしてきた。あ、免許持ってるんですよ。車はレンタカーだけど。

箱根神社、伊豆山神社と二所詣をしてきたのだが、面白かったのは、左の写真にある、走り湯。

国道135号線を、熱海方面に走っていたら、「走り湯」と書かれた、しょぼい看板を発見。なにやらあやしいものを感じ、左折した。

細い道をどんどん下っていくと、海岸に出る。そこに小さな公園のようなものがあり、そこの階段を登っていくと、崖とホテルの建物の間に、この洞窟があった。

腰をかがめて中に入ると、熱気ムンムンサウナぶろみたいだ。ゴボゴボと怪しい音が聞こえる。蒸気であっという間に眼鏡が曇ってしまった。

奥に、井戸のような場所があり、のぞきこむと、沸騰した鍋の中みたいに湯が湧き出しているのが見られる。写真を撮ろうとしたが、レンズが曇ってしまって、とてもじゃないが撮影不可。あんまりがんばるとカメラが壊れそうだ。やむなく、入り口を写してきた。

伊豆山神社はかつて走湯権現という名前で、もとはこの走り湯らしい。

真字本『曽我物語』には、源頼朝が万寿御前と参籠した話があり、伊豆山神社の由来について次のようにある。(テキストは東洋文庫『真字本曽我物語』による)

そもそも、当山建立の由来を承れば、人王五十四代仁明天王の御宇、承和三年丙辰年、甲斐の国八代県の上人、賢安大徳と云ひける人、この御山に至りつつ、霊山が信を発して、東岸より始めて清浄覚悟の御湯の湧出するを拝見し、これ則ち走湯権現の応迹示現の初めなり。

それにしても、お湯が噴出しているさまはすごい迫力である。そりゃ神様の仕業だよなと思った。

なお、走り湯については、伊豆山温泉「走り湯」:立ち寄り温泉みしゅらん参照。
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Opera9.5Firefox3を試してみた。

Opera9.5

Opera9.5は、デフォルトのスキンがだいぶ変わって、かっこよくなった。

アドレスバーに、これまでに閲覧したページのキーワードを入力すると、ページ内の一致するテキストを表示する機能は便利。例えば、サイト名もURLも覚えていなくても、「たしか、○○とか××と書いてあったな」と覚えていれば、それを入力すると、インクリメンタルで候補が出てくる。もちろんURLの一部やサイト名の一部でもOK。

9.5にする前に、表示フォントをメイリオに変えていたのだが、そのままではなぜか反映されていない。これには往生した。

表示>スタイル>表示モードの編集>表示モードタブで、作成者モードのユーザーフォントと配色にチェックを入れると、表示されるようになったのだが、これに気づくまでに2時間ほどかかってしまった。

レンダリングのスピードなども速くなっているらしいが、前から十分速いのでよくわからない。

Firefox3.0

Firefox3.0は、Firefoxの最大の難点だった、表示の重さと、メモリ食いが改善されていた。

拡大縮小も文字だけでなく、画像ごと拡大縮小できるようになった。もっとも、これはOperaではだいぶ前から付いていた機能である。

Opera同様、アドレスバーに言葉を入力すると、インクリメンタルで候補がでてくるが、こちらは全文検索ではなく、URLとタイトルのみ。

ブックマークにタグが付けられるようになった。最近、どのブラウザでも少々影が薄くなっていたブックマーク機能だが、うまくタグをつければ、便利かもしれない。

表示の重さと、メモリ食いが改善されているというだけで、Firefoxのユーザはアップデートしたくなるが、残念なことに、アドオンやテーマの多くがまだFirefox3.0に対応していない。アドオンの作者にがんばってもらうしかないが、自分が必須としているアドオンが対応しているか調べてから、アップデートした方がいい。
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ある人から1月11日のエントリ宇野精一先生の思い出を読んだという話があった矢先、今度は鎌田正先生が亡くなられたという情報が入った。

鎌田先生といえば、大漢和辞典がらみの仕事で有名だが、僕にとっては、湯島聖堂の運営団体、斯文会の副理事長の記憶が強い。

僕は大学3年から4年まで、湯島聖堂の斯文会館に住んでいた。こう書くと、なにやら書生風だが、実のところ警備員兼用務員みたいなものだ。そして、そのときの理事長が宇野精一先生で、副理事長が鎌田正先生だったのである。

ある日のこと、先生が斯文会館にいらっしゃったときに、大雨が降った。あいにく先生は傘を持っていらっしゃらなかった。タクシーを呼ぼうとしたが(もちろん交通費は斯文会持ち)、もったいないからいいという。

当時、僕は自動車を持っていた。これがひどいボロ車で、軽自動車だからやたらと狭い(レックスヒストリー 第2章←この一番上のやつ。色まで同じ)。もちろん、エアコンなし。これで、鎌田先生を大塚のご自宅までお送りした。

ちなみに僕の師匠は、このころの僕の車に乗ったことがない。師匠いわく「こんなポンコツ、あぶなくって乗れねぇよ」。これが普通の反応である。

こんなボロ車で申し訳ないなと思う反面、あの中国哲学の泰斗を自分の車にお乗せしたのがうれしかった。後日自慢しまくったのはいうまでもない。

大塚のご自宅の近くに着くと「本当に助かった、どうもありがとう」と、繰り返しおっしゃった。気さくで温厚な先生だった。

もうずいぶん昔のことになってしまったが、こんなわけだから、宇野先生と鎌田先生が亡くなられたというのは、僕にとっては特別な意味がある。

ご冥福をお祈りします。
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やたがらすナビTOPのデザインを変更した。

素人のデザインなんてものは、下手に凝るより、シンプルなのが一番だと思っているので、以前のはわりと気に入っていたのだが、さすがに4年も経過すると古臭く感じられるようになってきた。

解像度の低いパソコンも減ってきたことだし、ほとんどスクロールしなくてもすむようにしたいと思ったのである。

大きな変更点は、下にあったオリジナルコンテンツテーブルを、リンク集の左に持ってきたことと、配色をより落ち着いたものにしたことである。

ついでに、右の方に多摩川をカヤックで下ったときに撮影した鳥の足跡をあしらってみた。

たいした変更でないように見えるかもしれないけど、主要なブラウザといくつかの解像度でまともに表示されるようにするのは至難のわざだった。今の段階でも、解像度を下げると少し崩れてしまう。

僕にあまりにもCSSの知識がないことが原因なのは分かっているが、これほどブラウザによって違うとは思わなかった。

もちろん、TOPだけでなく、ほかのページも手を入れるつもりなので、ぜひご意見を賜りたい。
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書道博物館台東区立書道博物館で開催されている、中村不折コレクション 「 清朝碑学派の足跡 -石如から呉昌碩まで- 」
に行ってきた。

あれ?中村不折コレクションに清朝の作品なんかあったっけ、と思って行ったら、やっぱりなかった。

もちろん、全くないわけではない。(トウ)石如だの呉昌碩だの何紹基だのの軸物(対聯など)がいくつか展示してあったが、実はこれはメインではない。

今回の展覧会の目玉は序跋と題箋である。

書道博物館蔵の拓本資料から、清朝書家の序跋や題箋のある部分を開いて展示していた。題箋はともかく、序跋の部分はなかなか開かれないから、これは画期的である。

展示の仕方も工夫してあって、テーマとする書家が影響を受けた古典を併設して展示してある。解説も懇切丁寧(ちょっと丁寧すぎるような気もするが・・・)で読みやすい。

序跋は軸物の作品と違い小字だが、そこに作品として作られたのではない魅力があったりする。また、対象とする作品があっての序跋なので、じっくり読むと、文章も楽しめる。

法帖などを見ても、序跋と印の方が気になるという人はけっこういるんじゃないだろうか。そんなマニアックなアナタにオススメ。会期は7月13日まで。
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