2008年07月

新訳ゲバラ日記』を読んでいたら、毎月の月末に「当月の解析」というのを書いてあるのがあったので、まねして、今月の総括を書くことにする。

このエントリで、ブログ強化月間は終了!終わってみれば、こんなもんかという感じだ。

ブログを一日も欠かさず書くというのは、できる人にはそんなに難しくないんだろうけど、できない人にはこんなに大変なことはない。できない僕がやってみると、これがなかなか得るものがあった。

まず、毎日更新するために、時間があるときにネタをメモしたりしたのだが(いつもはしない)、意外と役に立たなかった。いいと思ったネタが、いざ文章にしてみると、膨らまなかったり、まとまらなかったりするのである。

それから、七月は後半から夏休みに入り、時間ができたのだが、時間ができたからといって書けるものではないということが分かった。ネタ切れということもあるのだが、試験、評価などやたらと忙しい前半の方が書きやすかった。

ついでに告白しておくと、29日と30日のエントリは、旅行に行っていたので、予約による投稿である。このことは明日あたり書こうとおもっている。

こういうのは、僕のような怠け者には刺激があっていい。また、半年ほどしたらやってみたい(予定は未定)。

最後に、お題やらコメントをくれたみなさんありがとうございました。ブログ強化月間は今日で終わりですが、8月もちゃんと書くので、よろしくおねがいします。

ホシナさんのお題もやってないし・・・。
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神保町から秋葉原までの道を散財ロードと呼んでいる。まず、神保町で本を、小川町で自転車の部品やキャンプ用具を、秋葉原でパソコン関連の物を買ってしまうからだ。最近はものが揃ったので、あまりいかなくなったが、それでもこの通りを歩くと必ず何か買ってしまう。

その時は古本屋を冷やかすために神保町へ行った。たいした収穫もなく、小川町を歩いていると、カヌーの専門店を見付けた。その店のショーウィンドウに、ファルトボートがあった。ファルトボートというのは、折り畳み式のカヤックである。

その瞬間、僕の脳裏にはユーコン川(行ったことない)で息子(いない)と一緒に川下りする図が思い浮んだ。そのときは帰ったが、我慢できず、二三日してそのカヤックを買ってしまった。本を買うはずがずいぶん高くついた。これがグランマ号である。

しかし、このグランマ号、折り畳めるので場所はとらないが、やたらと重い。結局、持っていくのが面倒で、買ってから4年ほど放置することになってしまった。

さて、話を自転車にもどす。自転車で多摩川を走っているときに、多摩川にいろいろな鳥がいることに気付いた。そこで、鳥の図鑑と双眼鏡を買ってバードウォッチングを始めた。これがなかなかおもしろいのだが、エクストリームな旅では鳥なんぞ見ている余裕はない。そんなわけで、今はあまりしていない。

もうひとつ、自転車の中国旅行から始まった趣味があるのだが、これはヒミツ。ブログにも書いていない。
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かくして、「狛犬の写真を撮る」ことから、カメラ・レンズへと趣味は広がったわけだが、それと同時に狛犬の写真を撮るための移動手段を考えるようになった。

これには自転車が最適だ。僕はDAHONというメーカーの折り畳み自転車を購入した。ここで一つ、大きな失敗をする。通信販売で買ってしまったのだ。

折り畳み自転車にしたのは、電車に載せて運ぶためと、置く場所がなかったためである。それで、近所の自転車屋を探したのだが、どうも魅力的なのがなかった。そんなとき、ある雑誌(小学館)の通信販売でDAHONの折り畳み自転車を見つけた。かっこよかったので、5万円とちょっとお高いが即決。

しかし、これがクランクは外れる、ヘッドは緩む、変速機は入らないで、故障続出。大変なくわせものだった。DAHONの名誉のためにいっておくが、これはDAHONが悪いのではなく、「ある雑誌(小学館)」が悪いのである。自転車というものは、仮組で工場から出荷し、自転車店で組み直すのだが、これは仮組のまま送られてきたらしい。

そのころはよく分からないから、こんなもんかと思った。自転車屋に持っていっても、自分のところで売ったものじゃないからとかいって直してくれない。しょうがないから、自分で直した。おかげで故障には強くなったし、工具も増えた。死ね!ありがとう「サライある雑誌(小学館)」。とにかく、こういうことがあるから、自転車は通販で買ってはいけない。

DAHONを1年ほど乗っていて、もっと速く、もっと遠くへ行きたくなってきた。そこで、アレックスモールトンのAM-APBという自転車を買った。これは、モールトンの中では安い方だったが、それでもDAHONが6台も買える値段だった。

このころから自転車で旅行をするようになる。最初は中国で、友人と北京から鎮江まで走った。これは北京で買った自転車だった。次の年は、自転車でお遍路。モールトンにキャンプ道具を積んで。それ以降、中国・国内を何度か旅行した。
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いよいよブログ強化月間も終盤に入り、ネタ切れしてきたので、自分語りでもしよう。

このブログを継続して読んでいる方は、中川はなんと多趣味なんだろうと思う方もいるかもしれない。どれも半可通なのだが、多趣味には違いない。

これらの趣味は一見ばらばらだが、実はつながりがある。

始まりは狛犬だった。僕は国文学を専攻する学生で、その関係で、いろいろな神社仏閣に行った。そこで、狛犬に個性があることに気づいたのである。

それまでは、狛犬というのは、せいぜい稲荷の狐と普通の狛犬だけだと思っていた。ところが、狼(浅間神社・御嶽神社)、猿(日枝神社)、牛(天満宮)、兎(調神社)など、いろいろな神使が狛犬代わりに置かれていることを知った。

そのきっかけになったのが、板橋区桜川の御嶽神社にいる狼型。これに関しては、だいぶ前に書いた(狛犬との出会い:品川武術倶楽部)ことがあるので省略する。その後、みな同じと思っていた普通の狛犬にも個性があることが分かった。

そこで、僕は狛犬の写真を撮ることにした。本来なら、由来などを調べる方に走るところかもしれないが、本業が調べることなので、どうもそちらには食指が動かなかった。で、どうせ撮るなら美しく撮りたい。そこで写真にはまった。

狛犬は動かないから簡単に撮れると思ったら大間違いだ。なにしろ、必ず二体いる。それも、薄暗い場所にいることが多い。右に光が当たっていれば、左は真っ暗だったり、両方真っ暗だったり、なかなか難しい。どんなに暗くても、ストロボを当てれば撮れることは撮れるのだが、平板になってしまい、狛犬の魅力を引き出すことはできない。

そんなわけで、CONTAX G1を買った。一眼レフでなく、レンジファインダーのカメラにしたのは、小さいことと、幼稚園などが併設されていることが多い神社やお寺で、怪しまれないためである。

僕はそれまで、コンパクトカメラしか使ったことがなかった。それに比べたら、このカメラで撮った写真はとても美しく見えた。

さらに、写真を撮るという行為そのものが楽しくなった。そこで、なぜかクラシックカメラにはまりだした。

クラシックカメラは高い。本当はライカやコンタックスがほしかったが、金がないので、もっぱらソ連・ロシア・東欧のカメラとレンズを買った。これらのカメラは、なにしろ共産圏のものだから、質感はチープだったが、単純構造のせいか意外と故障がなく、レンズは東ドイツの技術を受け継いでいるので、写りはなかなかいいし、その気になれば、ライカやコンタックスのレンズを付けることもできる。

それからしばらくたって、デジカメの時代が来た。僕はそれに抵抗して銀塩カメラを使い続けたが、時代の波には勝てず、ついにデジカメを使うようなった。デジカメの一眼レフを買ったのは去年の五月である。
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阿仏尼の『夜の鶴』は和歌の入門書だが、論文などの文章を書くときに応用できる。

1.歌を作るときは下の句を作ってから、二句目、三句目を作り、最後に初句を二句目以降にあうように作る。

これは、初句からつくると、下の句が弱くなることから言っているのだが、文章を書くのも全く同じ。
序ばかり立派で内容がナイヨーな論文はよく読む(書いたこともある・・・)。

2.未熟な人が古語を好んで使ってはいけない。

古語をうまく使うには、熟練が必要で初心者がむやみに使うものではないということ。
古語を漢語とかテクニカルタームとかに言い換えると分かるが、文章の下手な人に限って、難しい言葉を使おうとする傾向にあるように思う。

3.現代の歌人の句をむやみに真似してはいけない。

パクリじゃなくっても、どっかで見た文章だな・・ってのはなんか恥ずかしい。
それが古典なんかだったらいいが、小説の文句とか、流行歌の歌詞だったりすると・・・。

4.「うれしい」「かなしい」などの言葉をやたらと入れてはいけない。

うまく表現できないと、つい形容詞でごまかしちゃうんだよな。「面白い」とか。反省。
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モンキーにあまり意味はないけど、申年生まれなんで。

昨日、用事があって母校(高校)へ行った。卒業してからは、20年ほど、その間、10年ぐらい前に行って以来である。

高校

僕がいたころは、大変ガラの悪い男子校だったが、今は共学でそんな感じは微塵もない。校舎も建て換わってずいぶんきれいになった。もっとも、こちらは10年前に行ったときにすでに建て換わっていたから、別に驚かない。

大学1

それよりもびっくりしたのは大学の方だ。僕の母校は大学に隣接する付属校だったのだが、この大学が同じ大学とは思えないぐらい変わってしまっている。

母校である高校を初め、記憶にある建物がほとんどない。敷地は変わっていないのにずいぶん広くなったように感じる。なんだか全然違うところに来ているようだ。

大学2

唯一、当時と変わっていないのが10階建ての2号館である。この建物は当時最新の校舎だった。しかし、高校生立ち入り禁止だったので、入ったことがない。

だが、ここで思い出した。2号館の地下に池上書店という小さな本屋があったのだ。高校時代、僕はこの本屋でいろいろな本を買った。大学の書店だから、近所の本屋とはちょっと違うアカデミックな雰囲気があった。

岩波文庫というものがあることを知ったのも、この本屋だった。当時、岩波文庫はパラフィン紙でくるまれていて、星の数で値段を表している時代で、それがなんだかかっこよく思えた。たぶん、生まれて初めて岩波文庫を買ったのはこの店だろう。

2号館の角から地下へ降りていってみると、池上書店は健在だった。だが、なんだか殺風景だ。店の前にたくさん置いてあったはずの自動販売機が一つもないのだ。

中に入ってみたが、客(学生)が一人もいない。夏休みに入っているのだろうか。客がいないのは仕方がないが、本棚も隙間だらけでなにやら物寂しい。

僕は、唯一残っていた母校の遺品に敬意を表し、記念に岩波文庫を買った。これが、昨日のエントリで書いた『訳注聯珠詩格』というわけ。

消費税はオマケしてくれた。ああ、そうだ、この店昔から値引きしてたんだ。

#別にどこの大学か書いてもいいんだけど、隠した方が面白いかなとおもって隠しました。
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岩波文庫の『訳注聯珠詩格』(柏木如亭著・揖斐高校注)を買った。



『訳注聯珠詩格』とは、『聯珠詩格』という漢詩集の一部を、江戸時代後期の漢詩人柏木如亭が、初心者用に当時の話し言葉で「現代語訳」したもの。

といっても、なんのことやら分からないと思うので、高校の教科書にも出てくる、王維の「送元二使安西」で一例を示してみよう。


渭城朝雨裛軽塵 渭城の朝雨 軽塵を裛し
客舎青青柳色新 客舎青青 柳色新たなり
勧君更尽一杯酒 君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西出陽関無故人 西のかた陽関を出づれば故人無からん

これが、柏木如亭先生の手にかかるとこうなる。なお、括弧に入れたのはルビ。

渭城といふとこまで送てきたれば
朝(けさ)の雨で軽塵(みちのほこり)も裛(しづまつ)て
客舎(はたごや)にある柳の色も青々として新(めづらし)い
勧君(おすすめまう)す酒(わかれざけ)だから更(かくべつ)に一杯尽(すご)したまへ
これから西のはうの陽関(おせきしょ)を出(こし)たら飲(のも)ふといつても無故人(つれがあるまい)

なるほど、これは訓読よりはるかに分かりやすい。ルビで注釈をしているのである。それにしても、本気と書いてマジと読む式の書き方がこのころからあったとは知らなかった。

分かりやすいのはいいけど、「客舎」を「旅籠屋」と読んだり、「陽関」を「お関所」とか読んだりすると、唐代の風景が一変して江戸時代の品川宿みたいに思えてくる。

全編この調子で、なにやらご隠居の薀蓄を聞いているみたいで面白い。こういう漢詩の現代語訳というと、井伏鱒二の『厄除け詩集』を思い出すが、『厄除け詩集』はあきらかにウケ狙いの感があるのに対し、こちらはそれがない。もしかしたら、狙っているのかもしれないけど、自然なんだな。
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gooラボのブログ通信簿を試してみた。結果は下の写真のとおり。

ブログ通信簿

ブログ年齢59歳?通信簿の見方によると、「ブログに書かれた内容や言葉遣いなどから自動的に推定され」るそうだ。定年間際の内容と言葉遣いということか。うーん、ジジムサイ。お寺だの、仏教だの、死亡記事だののネタが続いたからだろうか。

主張度・気楽度3ってのはこんなものかな。よくわからんけど。

マメ度5は強化月間でむりやり毎日書いているから当然だろう。先月だったら2とかだったかも。

影響度2・・・引用できまるらしい。論文か!

通信欄・・・

あなたは図書委員タイプです。よいリーダーを見つけてブレインになりましょう。よく話題にしている経営の知識や経験を生かして・・・

いや、話題にしてないし、知識も経験もないんだけど、

学者を目指しましょう。

喧嘩売ってんのか!
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川崎大師の風鈴市に行ってきた。風鈴市そのものは、会場がせまいため、混んでいたが、全体的には正月の混みようを知っているものからすれば、ぜんぜんたいしたことない。

川崎大師風鈴市

川崎大師の名物といえば、とんとこ飴。飴を切る包丁をまな板の上にリズミカルに打ちつけ、客の歓心をさそう。参道のいたるところでやっているから、あちこちでトントンという音が聞こえる。

その中に、なにやらあまりリズミカルでないのが混ざっているのに気づいた。一応トントンという包丁の音が聞こえるものの、弱々しくて、リズムもちょっとおかしい。

音のする店の奥を見てみると、日本人離れしたイケメンが包丁を振るっているではないか。

飴職人人形(独身)

たぶん、日本に出稼ぎに来たはいいけど、東京で仕事がなくってここまで流れてきた外国人だろう。包丁の扱いに慣れていないらしく、(写真ではわからないだろうが)動きがぎこちない。それでもけなげに包丁を振るっている。

別の店では夫婦で働いていた。こちらは日本人と外国人のカップルらしい。

飴職人人形(夫婦)

なんとも、幸薄そうな夫婦である。夫は東南アジア系だろうか。髪の毛など、ぺッタリとしていて、何日も風呂に入っていないように見える。色白の妻が夫に切り方を教えているようだが、妻の方も決してうまくない。

それにしても、二人とも生気がない。おそらく何日も食べていないのだろう。動きが緩慢である。二人とも、そうとうつらいらしく、うつむいて何度も首をふっている。威勢のよいねじり鉢巻がかえって物悲しさを増す。厄除け開運とか書いてあるけど、ますます厄がよってきそうだ。

心優しい僕は、この店で飴を買ってあげた。ここで買ってあげたからといって、彼らの給料が増えるわけではないが。

飴職人

ちなみに、普通の職人は↑これ。
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セクシィ古文! (ナレッジエンタ読本 8)を読んだ。

これ題名だけ読むと「マドンナ古文」とかの二番煎じっぽく見える(見えないか)けど、執筆者をごろうじよ。

田中貴子×田中圭一 (著), 田中圭一 (イラスト)

これはすごい!
この二人なら、どこからどう考えてもセクシィ(というよりエロ)である。まかり間違っても学参にはなりえない。

まず、何がすごいって、同じ田中だけど、別に兄弟とか親戚じゃない(たぶん)のがすごい。

次に田中貴子先生がすごい。田中貴子先生は、泣く子も黙る新進気鋭の国文学者だ。その上、僕のような下賎の者のブログにまで、コメントをくれる(2006年12月02日のエントリ)人格者である(いやみです。念のため)。

さらに田中圭一先生がすごい。田中圭一先生は手塚治虫風・藤子不二雄風・本宮ひろ志風などの画風を自在に使いこなす天才的な画力に、小学生以下のシモネタセンス(褒め言葉です。念のため)を持った、類希なる漫画家。『神罰―田中圭一最低漫画全集 (Cue comics)』読んだときは、すさまじいシモネタに感動した。

この本の一番の対象は、古典には興味がないという人だろう。そういう人(で、シモネタに抵抗がない人)でも、読みやすく、十分に古典の面白さが分かってもらえると思う。だが、ある程度古典を読んできた人(で、シモネタに抵抗がない人)にも楽しめる本である。

古典にセクシィな話が多いことは、古典好きには常識である。だから、こういう本はいくらか古典を読んだ人には、どうにもつまらない本が多かった。もとから面白いものを紹介しているだけだから、その話を知っている人が面白いわけない。

『セクシィ古文』でも、大半は僕の知っている話である(このブログに書いた話もいくつかある)。それでも僕が面白く感じたのは、単に話を紹介するだけでなく、田中貴子氏がその話を解釈するのに必要かつ十分な知識を与えてくれ、田中圭一氏がこれまで僕の脳内で漠然と描いていた景色をそのまま絵にしてくれているからである。

ただ、ちょっと残念なのは、出典の作品が入手しづらいものがいくつかあることだ。一種の入門書を企図しているのだから、話に興味をもって全文が読みたくなっても、本文が入手困難というのはいかがなものか。もちろん、これは田中貴子氏の責任ではないが。

ストロングバイだけど、下ネタ嫌いな人は絶対に買ってはいけません。念のため。
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