2008年11月

よく考えたら、昨日は誕生日だった。ついに40代になった。

誕生日なのに思わずしょうもないことを書いてしまった。不惑なのに(これも浦木さんから指摘されて気づく始末)惑いまくり、反省。

今月のカレンダーを見てみると、15日から急に更新頻度が高くなっている。EeePCを買って、出先で文章を打てるようになったからである。注釈講座も、実はEeePCに慣れるために書き始めたものがきっかけとなった。唐突な感じがするのはそういう理由である。

もちろん、これを書いた本当の目的というのは、そういうものではなく、古典の本文や注釈はこのように作られますよというのを、説明したかったからだ。

文学の研究というものは、読書感想文の延長だと誤解されている部分が多い。もちろん、そういう面もないわけではないが、本来科学的なものなのだということを分かってほしいのである。

こういうHowtoものみたいなのは、意外と手間がかかる。しかし、自分が誤解していた部分や、理解が不足している部分も書いてみるとよく分かる。手間もかかるが、なかなか得るものも多い。

これを読んでいる人で、異論がある人や、間違いを見つけた人は遠慮なく指摘して欲しい。質問も歓迎。よろしく頼む。
このエントリーをはてなブックマークに追加

博士号をとろうとしている人文系院生に告ぐ:猫を償うに猫をもってせよ

いわゆる余剰博士の問題は、理系ばかり問題にされるが、実情は人文系の方がはるかにひどい。ただ、人文系は最初から就職が無いのはある程度織り込み済みで博士号を取るというだけである。

ただし、就職が無いのは織り込み済みだが、取ったらかえって就職できなくなるなどとは普通は考えないだろう。

もちろん、何も考えずに博士号取得者を増やせと命じた文部科学省にも問題はあるが、上の猫猫先生のエントリにあるように「博士号のある人が落とされて、ない人が採用された例」があるならば、大学の教員自身が学位を軽んじているとしか言いようがない。

結局、猫猫先生の言うとおり「有力なコネがあるとか親が有力者だとかいうのでない限り、博士号なぞとるのは考えものだ」ということになるだろう。

先ほど「あるならば」などと書いたが、実を言うと、僕自身「博士号のある人が落とされて、ない人が採用された例」を何度も経験している。だから、今は猫猫先生の説を支持せざるを得ないのである。
このエントリーをはてなブックマークに追加

翻刻した本文は、現代人にとって読みやすいといえるものではありません。また、誤字や脱字、虫食いなどがあって本文が完全でない場合もあります。これらを、他の伝本と対照するなどして、補完、補正して本文を作ることを本文校訂といいます。

ちなみに、「本文」という言葉は一般的に「ホンブン」と読まれることが多いですが、テキストを指す場合は「ホンモン」と読みます。ですから、本文校訂は「ホンモンコウテイ」です。

まず、校訂の方針を決める必要があります。例えば、学術的な用途ならば、なるべく底本に忠実な校訂にします。読みやすさを追求するなら、漢字や仮名遣いの訂正もする必要があるでしょう。

ここでは、できるかぎり読みやすい本文、つまり高校の古文の教科書のような本文にするという方針で校訂してみます。

最初に、虫食いなどで読めない部分を他の本で補います。今回の例では若干虫損が見られますが、読めないほどのものはないので、この作業は不要です。

また、写し間違いなどで、意味のわかりにくい言葉を、別の本から入れかえる場合もあります。しかし、これは安易にすべきではありません。別の本を書き写した人が勝手に訂正した可能性もあるからです。

1 これも今は昔、伴大納言善男は佐渡国郡司が従者也。彼
2 国にて善男夢にみるやう、西大寺と東大寺とをまたげて
3 立たりとみて、妻の女にこのよしをかたる。めのいはく「そこのまたこそ、さかれん
4 ずらめ」とあはするに、善男、おどろきて「よしなき事を語てける
5 かな」とおそれ思て、しうの郡司が家へ行むかふ所に、郡司、きはめ
6 たる相人也けるが、日来はさもせぬに、事の外に饗応して、わら
7 うだとりいで、むかひてめしのぼせければ、善男、あやしみをなして、
8 我をすかしのぼせて、妻のいひつるやうにまたなどさかんずるやらんと
9 恐思程に、郡司がいはく「汝、やむごとなき高相の夢みてけり。それに、
10 よしなき人にかたりてけり。かならず大位にはいたるとも、事
11 いできて罪をかぶらんぞ」といふ。然あひだ、善男、縁につきて京上して
12 大納言にいたる。されども、猶罪をかぶる。郡司がことばにたがはず。

そのように校訂した本文に(この場合何もしてないけど)、句読点と鉤括弧、濁点を補いました。これでかなり読みやすくなったと思います。なお、ここでは左側に便宜的に行番号を付しました。

ここで気をつけなければならないことは、句読点や濁点のつけ方いかんによっては、解釈が変わってしまうということです。

たとえば、5行目「しうの郡司が家へ行むかふ所に」は「しうの郡司が家へ行(く)。むかふ所に・・・」と分けて読むこともできなくはありません(ちょっと無理があるけど)。ここに句点を置くか置かないかで後の解釈が変わってきます。

濁点によって解釈が変わるのは「はは」も「ばば」も「はば」もすべて「はは」という表記になることから理解できるしょう。これらは文脈などによって判断します。

底本に忠実な本文が要求される、学術的な校訂ならばこれで終了でもいいでしょう。しかし、ここでは、「高校の教科書みたいな本文」を目指しています。

この場合、まず気になるのが、表記の不統一です。例えば、3行目は「妻の女」とあったあと、「めのいはく」となっています。「妻=め」ですので、「妻のいはく」と統一した方が読みやくすなります。また、1行目「従者也」の「也」は読めなくはないですが、付属語なので「なり」に直した方がよいでしょう。それ以外にも、「また(股)」や「みる(見る)」など、現代では当然漢字で書かれているところも、仮名になっていますので、そこも直してみます。他に漢字表記では6行目「日来」も気になります。これは「ひごろ」と読みますが、現在では「日頃」か「日ごろ」でしょう。

もう一つ気になるのが、送り仮名です。3行目「立たり」は現行の送り仮名だと「立ちたり」です。9行目「恐思程に」にいたっては、ちょっと心得がなければ読めません。「恐れ思ふほどに」に直します。ついでに、段落も設けてみます。

今回は出てきませんでしたが、『宇治拾遺物語』のような中世の作品になると、いわゆる歴史的仮名遣いと違った仮名遣いも増えてきます。読み易い本文を目指すならば、それらも訂正しなければなりません。

これも今は昔、伴大納言善男は佐渡国郡司が従者なり。
彼の国にて善男夢に見るやう、西大寺と東大寺とをまたげて立ちたりとみて、妻の女にこのよしを語る。妻のいはく「そこの股こそ、裂かれんずらめ」と合はするに、善男、驚きて「よしなき事を語りてけるかな」と恐れ思ひて、主の郡司が家へ行きむかふ所に、郡司、きはめたる相人なりけるが、日ごろはさもせぬに、ことの外に饗応して、わらうだとりいで、向かひて召しのぼせければ、善男、怪しみをなして、我をすかしのぼせて、妻の言ひつるやうに股などさかんずるやらんと恐れ思ふほどに、郡司がいはく「汝、やむごとなき高相の夢みてけり。それに、よしなき人に語りてけり。必ず大位には至るとも、事出できて罪をかぶらんぞ」といふ。
しかるあひだ、善男、縁につきて京上りして大納言に至る。されども、なほ罪をかぶる。郡司が言葉にたがはず。

これで私たちが一般的に見るような、古典の本文になりました。

さて、これで本文づくりはとりあえず終ったわけですが、写本の状態から見ると、ずいぶん趣が変っていることが分かると思います。

校訂には校訂者の思想があり、解釈があります。古典の本文は、それらによって、多かれ少なかれ変ってきます。いずれにしても、古典の本文に校訂者の意志が大きくかかわっているということは言えると思います。
このエントリーをはてなブックマークに追加

首相「社会常識欠ける医師多い」 その後“問題発言”を陳謝:47NEWS

麻生首相、陳謝しなくてもいいですよ。いっぺんビシッと言ってやらないと、あいつらは分からないんです!

(医師には)社会的常識がかなり欠落している人が多い。(中略)ものすごく価値観なんか違う。そういう方らをどうするかっていうのは真剣にやらないと。

いやいや、分かります。医師なんて狭い世界の常識で生きてますからね。ヘンタイ医師とか増えてますしね。

社会的常識がかなり欠落しているのは、医者だけじゃないですね!あいつらにも言ってやってください!

(教師には)社会的常識がかなり欠落している人が多い。(中略)ものすごく価値観なんか違う。そういう方らをどうするかっていうのは真剣にやらないと。

いやいや、分かります。教師なんて狭い世界の常識で生きてますからね。ヘンタイ教師とか増えてますしね。

(役人には)社会的常識がかなり欠落している人が多い。(中略)ものすごく価値観なんか違う。そういう方らをどうするかっていうのは真剣にやらないと。

いやいや、分かります。役人なんて狭い世界の常識で生きてますからね。ヘンタイ役人とか増えてますしね。

(サラリーマンには)社会的常識がかなり欠落している人が多い。(中略)ものすごく価値観なんか違う。そういう方らをどうするかっていうのは真剣にやらないと。

いやいや、分かります。サラリーマンなんて狭い世界の常識で生きてますからね。ヘンタイサラリーマンとか増えてますしね。

(主婦には)社会的常識がかなり欠落している人が多い。(中略)ものすごく価値観なんか違う。そういう方らをどうするかっていうのは真剣にやらないと。

いやいや、分かります。主婦なんて狭い世界の常識で生きてますからね。ヘンタイ主婦とか増えてますしね。

ヘンタイ主婦、どうしましょうかね。麻生さん、ウヒヒ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

今月の壁紙をすっかり忘れてた。とりあえず、勤務先の公園で撮った写真をどうぞ。
道(1024×768)

道(1280×1024)
道(1024×768)

この季節は、紅葉をきれいに撮りたいということがあるだろう。

そんなあなたにワンポイントアドバイス。紅葉は逆光で裏から透かして撮るのが基本。順光で撮ると、くすんでしまうぞ。

というわけで、紅葉ならぬ黄葉を壁紙にしてみた。

黄葉(1280×1024)
黄葉(1024×768)

ライブドアブログのメンテナンス時刻(2:45)が迫っているので、今日はこのへんで。
このエントリーをはてなブックマークに追加

まず、底本に決定した、陽明文庫本『宇治拾遺物語』の影印をご覧ください。第4話「伴大納言事」の部分です。なお、画像をクリックすると大きな画像が見られます。
伴大納言事
このように、筆で書き写された本のことを写本といいます。

一見すると、ところどころ読める字があるものの、何が書いてあるか分からないと思います。これは変体仮名という仮名が使われているからです。

平仮名は、漢字の草書体をさらに崩して出来ました。たとえば、「あ」は「安」から出来ました。現在は「あ」は「安」の崩しから出来たものだけが使われていますが、昔は「阿」「亜」などを崩した「あ」があったのです。

この影印の一行目は次のように書かれています。

これも今は昔伴大納言善男は佐渡国軍司か従者也彼


「これも」の「こ」は「古」を崩した変体仮名です。「れも」は現在使われている仮名と同じ。「今」は漢字の行書、「は」は「盤」を崩した変体仮名です。

このように、写本は現在使われている仮名と変体仮名、漢字がごちゃまぜに使われています。どこにどの字を使うというルールはなく、恣意的に使われていますので、とにかく覚えるしかありません。

そこで、これを漢字は楷書に直し、仮名は現行の仮名に直してみます。これを翻刻(ほんこく)といいます。なお、改行は陽明文庫本のとおりにしました。

これも今は昔伴大納言善男は佐渡国郡司か従者也彼
国にて善男夢にみるやう西大寺と東大寺とをまたけて
立たりとみて妻の女にこのよしをかたるめのいはくそこのまたこそさかれん
すらめとあはするに善男おとろきてよしなき事を語てける
かなとおそれ思てしうの郡司か家へ行むかふ所に郡司きはめ
たる相人也けるか日来はさもせぬに事の外に饗応してわら
うたとりいてむかひてめしのほせけれは善男あやしみをなして
我をすかしのほせて妻のいひつるやうにまたなとさかんするやらんと
恐思程に郡司かいはく汝やむことなき高相の夢みてけりそれに
よしなき人にかたりてけりかならす大位にはいたるとも事
いてきて罪をかふらんそといふ然あひた善男縁につきて京上して
大納言にいたるされとも猶罪をかふる郡司かことはにたかはす


いかがでしょうか。だいぶ読みやすくなりましたが、これではとても読みやすい文章とはいえないでしょう。どこで文が切れるのかすら分かりません。

写本には句読点も濁点も半濁点もないのです。段落や鍵括弧もありません。昔の読者は、それらがなくても読めたのです。

誤解のないように書いておきますと、昔は文の切れ目がなかったとか、濁音がなかったというのではありません。そういう概念がなかったのです。

句読点や濁点、鍵括弧を補って読むことは、解釈をすることです。翻刻は解釈以前の機械的にできる唯一の作業となります(厳密には紛らわしい字などを解釈して翻刻しています)。
このエントリーをはてなブックマークに追加

注釈をするために最初に必要になるのが本文(テキスト)です。あたりまえですが、本文を後回しにすることはできません。大学の授業などでは、決まった教科書があって、それに基づいて注釈を付けていくことがありますが、今回は本文作りからやってみます。

まず、底本(ていほん)を決めなければなりません。底本とは、注釈の本文のもとになる本のことです。

古典文学は書き写しなどによって伝えられてきました。この中で現代まで伝わった本のことを伝本といいます。

現在のコピーとは違い、書き写しというのは不正確なものです。必ず、写し間違いや、脱字がおこります。また、写した人によって、意図的に書き換えられてしまう場合もあります。虫に食べられてしまったり、本が汚れたり破れたりしたものを書き写している場合もあります。その結果、たいていの古典文学作品では、同じ作品でも異同のあるいくつもの伝本があります。

これらを諸本(しょほん)といい、なかでも内容の違いが著しいものを異本(いほん)と言います。

本文を作る場合、諸本の中から最も良い物を選ぶ必要があります。良い本とは、簡単にいうと、原作者が書いた内容に最も近い本です。さらに、誤字・脱字・欠損の少ない本であればなおよいでしょう。

ですから、原作者が書いた本が現存している場合は無条件にそれが底本になります。また、伝本が一つしかない場合(孤本といいます)もそれを底本にするしかありません。

しかし、そういうことは滅多にありません。『宇治拾遺物語』の場合もいくつもの諸本があります。

これらの諸本を比較、検討して最も良いものを選べばいいのですが、なにしろ日本全国、いや下手をすると世界中にちらばっている諸本を比較検討しなければならないのですから、大変なスキルと時間がかかります。『宇治拾遺物語』の場合、先行研究があるので、それを参考にします。

先行研究によると、『宇治拾遺物語』の場合、諸本は大きく分けて、流布本系と古本系に分けられ、古本系の方が流布本系よりも古い本文を持っているとされます。その古本系の中でも特に古い形態を持っているとされるものは、

陽明文庫本
伊達本
宮内庁書陵部本
龍門文庫本

の4つです。この中から底本を探せばよいということになります。

また、この4つの諸本には、それぞれにどの本がどの本を書き写したという親子関係は認められず、どれもそれほど違いはないようです。

ちなみに、新日本古典文学大系(岩波書店)は陽明文庫本、新編日本古典文学全集(小学館)・新潮日本古典集成(新潮社)は宮内庁書陵部本を底本にしています。

幸い、これらはすべて写真版で刊行(これを影印本という)されていて、入手はそれほど難しくありません。ここはとりあえず、新日本古典文学大系の底本にも採用されている陽明文庫本を底本にすることにします。
このエントリーをはてなブックマークに追加

古典文学の研究は、注釈に始まり、注釈に終わるといっても過言ではありません。大学の国文学科(日本文学科)では、これでもかというくらい注釈をやります。

ここでは、実際に注釈を作ることにより、注釈がどのように作られるか解説します。

注釈は次の三つのパートからなります。

1.本文
 言うまでもなく、古典の本文そのもの。テキストともいいます。

2.通釈
 いわゆる現代語訳。市販の注釈書には、これがない場合もあります。

3.語釈
 本文にでてくる言葉の解釈。

一般に売られている注釈書には、これ以外にも、鑑賞や補注などの項目があることがあります。いずれにしても、注釈とは本文の読解を助けるものです。

そして、注釈は次のような工程で作られます。

1.底本の選定
2.底本の翻刻
3.本文校訂
4.語釈
5.通釈

1から3までが本文作り、あとは語釈と通釈です。なお、4と5は逆にする人もいるかもしれません。

ここでは、上の1〜5の工程に従って『宇治拾遺物語』の第4話「伴大納言事」の注釈を作ってみます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

EeePC901については、発売されてからずいぶん経って、いろいろなところで使い方のコツみたいなことが書いてあるので、細かく書く必要はないだろう。ここからは自分用のメモみたいなものだが、参考のために書いておく。

僕の用途としては、外出先でインターネット(Webとメール)が使えて、テキストが打てて、Word・Excelファイル開ければよい。その線でインストールしていく。

まず、何はなくともブラウザ。最初はプリインストールのIE7(メインのコンピュータではFirefox)を使っていたが、イマイチ使い勝手が良くないので、Operaにした。メーラーも付いているので、サーバー上に残す設定にして、これで済ますことにする。

エディタは普段はMeadow(EMACS)とTeraPadを使っているが、Meadowはインストールが面倒くさいので、xyzzyとTerapadにした。ただし、ctrlキーが押しにくいので、Emacs系のエディタは少々使いにくい。

オフィススイートはStarSuite(Oooとほぼ同じ)がプリインストールされているのだが、あまり使い勝手が良くないのと、MS-Officeファイルの再現性がイマイチなので、KINGSOFTのOffice2007にした。ただし、僕がインストールしたのは中国版。中国語版は無料だし、操作性はMS-Officeとほぼ同じだから問題なし。中国語版には簡体字と繁体字を一発で変換できるという、うれしい機能も付いている。

ウイルス対策はavast!。メインで使っているものと同じ。これもKINGSOFTインターネットセキュリティにしようかなと思ったが、わざわざ使い慣れていないものを使う必要はないだろう。

あとは、無線LAN関係とか、自宅で使っているNAS関係のソフトをインストールした。今のところ快適に動いている。

基本的に外で使うことを想定して購入したのだが、実際は家で使うことの方が多い。寝転んで、Webを見たりするには最適である。
このエントリーをはてなブックマークに追加

前から気になっていた、ASUSのEeePC901-xを買った。

EeePC901は、出たときから買おうと思っていたのだが、お値段がもう一声安くならないかと待っていた。そしたら、いつのまにかamazonで49800円で売られていた。

ビックカメラ.comなど、他の通販も見てみたが、なぜか901だけ載っていない。ちょっと前まであったのだが。後継機種がでる前触れとする報道もあったが、これ以上のスペックはいらないので、amazonでぽちっとな。

数あるネットブックの中でEeePCにした理由は、ハードディスクの代わりにSSDを採用していること。どうもハードディスクは信用できない。そして、それによって、バッテリーの持ちが比較的良いことである。

実際使ってみると、予想していたよりも良い質感だ。僕が買ったのはファインエボニー(少々メタリックの入った黒)だが、なんだか漆塗りみたいで、和風な感じ(台湾の会社だが)がする。やたらと指紋が付くが、それを拭く布まで付いてくる。

キーボードは思っていたよりも打ちやすい。逆に、タッチパッドがイマイチなのだが、実はドライバが入っていないせいだと判明。そこで、EeePC 901-Xのタッチパッドドライバが正式公開:ボビーのデジモノ日記に紹介されているドライバをインストール。

このドライバ、何故かインストールされていないのだが、901を買った人は必需品である。慣れると、大変便利で、マウスが必要なくなる。

SSDは不思議な感覚だ。あたりまえだが、ハードディスクの音が全くしない。特に起動が早いとは思わないが、音もなく起動すると感動する。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ