4月といえば新学期である。
僕のような公立学校万年非常勤講師にとっては、戦力外通告(本当に戦力外という意味ではないよ)されたり、新たに違う学校に行ったりと、なかなか精神的につらい季節である。結果は1校減って、1校増え、時数は去年より週あたり2時間増えた。とりあえず一年間の収入は確保できたから安心である。
もう18年も続けているので、それなりの心構えはできているが、3月の終わりから4月の初めは落ち着かない。
非常勤講師の仕事は、今年のように、時間数が増える年もあれば、減る年もある。大学院を修了してから、一番多い年で週29時間・少ない年で11時間だった。このごろは26時間から20時間の間をいったりきたりしている。
昔、週29時間授業をやっていてつらいとグチをこぼしたら、一般企業に勤めている人から「それぐらいでつらいとか言っているから教師は甘い。オレなんかx(忘れた)時間だ」と言われたことがある。その人はよほど残業が多かったのかもしれないが、「教師は甘い」という固定観念にしばられた気の毒な人だと思った。
教師の仕事というのは、誰もが生徒として見ているから、どんな仕事か分かった気になっている。だから、教師は甘いだの世間知らずだのという知った風な声が聞こえるのである。
だが、それはあくまで分かった気になっているだけで、本当はまるで分かっていない。生徒として見ているから分かっているなどというのは、客として見ているからラーメン屋の仕事は知っているというぐらい間違っている。
教師は生徒が見ていないところで、たくさんの仕事をしている。だが、それだけでなく、見ている前でやっていること(授業)だって、相当なものだ。
考えてもみてほしい。生徒は黒板に書かれたことを一度ノートにとって、一度話しを聞けばいいが、先生は全く同じ板書をいくつものクラスで書いて、いくつものクラスで同じ話をしなければならないのだ。
これだけでもかなりきつい仕事である。これがやりがいのない生徒だったらさらにきつい。言ってみれば、川下で水を汲んで、川上に流すようなものである。
仕事のきつさは時間では計れない。やったこともない仕事を、きついとか楽だというのは失礼な話である。
僕のような公立学校万年非常勤講師にとっては、戦力外通告(本当に戦力外という意味ではないよ)されたり、新たに違う学校に行ったりと、なかなか精神的につらい季節である。結果は1校減って、1校増え、時数は去年より週あたり2時間増えた。とりあえず一年間の収入は確保できたから安心である。
もう18年も続けているので、それなりの心構えはできているが、3月の終わりから4月の初めは落ち着かない。
非常勤講師の仕事は、今年のように、時間数が増える年もあれば、減る年もある。大学院を修了してから、一番多い年で週29時間・少ない年で11時間だった。このごろは26時間から20時間の間をいったりきたりしている。
昔、週29時間授業をやっていてつらいとグチをこぼしたら、一般企業に勤めている人から「それぐらいでつらいとか言っているから教師は甘い。オレなんかx(忘れた)時間だ」と言われたことがある。その人はよほど残業が多かったのかもしれないが、「教師は甘い」という固定観念にしばられた気の毒な人だと思った。
教師の仕事というのは、誰もが生徒として見ているから、どんな仕事か分かった気になっている。だから、教師は甘いだの世間知らずだのという知った風な声が聞こえるのである。
だが、それはあくまで分かった気になっているだけで、本当はまるで分かっていない。生徒として見ているから分かっているなどというのは、客として見ているからラーメン屋の仕事は知っているというぐらい間違っている。
教師は生徒が見ていないところで、たくさんの仕事をしている。だが、それだけでなく、見ている前でやっていること(授業)だって、相当なものだ。
考えてもみてほしい。生徒は黒板に書かれたことを一度ノートにとって、一度話しを聞けばいいが、先生は全く同じ板書をいくつものクラスで書いて、いくつものクラスで同じ話をしなければならないのだ。
これだけでもかなりきつい仕事である。これがやりがいのない生徒だったらさらにきつい。言ってみれば、川下で水を汲んで、川上に流すようなものである。
仕事のきつさは時間では計れない。やったこともない仕事を、きついとか楽だというのは失礼な話である。