2009年06月

6月はイベントがない代わりに、ほとんど休みがないので、なかなかブログの更新ができなかった。

で、去年のことを思い出してみると、7月にブログ強化月間と称して、毎日更新したのだった。かなりきつかったのだが、普段書けないことも書けたので、今年もやることにする(あー、言っちゃった)。

実は、このブログ、ほとんど全文書いてからボツにすることがけっこう多い。中でも多いのが政治ネタである。

政治の話というのは、書きやすいのだが、実名で書いている以上、踏み込んだことは書きにくい。

例えば、2009年06月25日のエントリは、東国原知事のことを書いているが、東国原知事を支持しているわけではない。反自民(なぜか、現状では反自民だと民主党を支持していることになるらしいが)と取られるかもしれないが、それもちょっと違う。

ここで僕が言いたかったのは、こういう「都合のいい人材の使い方は通用しないぞボケ」ということだ。

ある組織があって(ここでは自民党)、それに欲しい人材の属性(ここでは東国原知事の知名度・人気)がある。でも、それ以外の属性はいらない(ここでは東国原知事の政治思想)。

その人のいらない属性はそぎ落として、欲しい属性だけほしい、そんな都合のいい話はない。ないはずなのだが、僕の経験上、それを要求する組織が自民党に限らず多すぎる。

東国原知事は自分の知名度・人気という属性を使いたいなら、政治思想も抱き合わせだと主張した。これは当然のことだが、なかなか言えることではない。だから、痛快なのである。
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ペプシしそ期間限定販売のペプシしそを試してみた。

以前、やはり限定販売で、ペプシアイスキューカンバー(キュウリ味)というのがあった。これはそこそこ旨かったが、だからといって何本も飲みたくなるというものではなかった。

そして、今度は「ペプシしそ」。英語ではなく日本語で「しそ」。アイスでもホットでもなく「しそ」。ラベルにしその絵が透明に抜かれている。大麻ではない。

色が妖しい。昔のクリームソーダに入っていたソーダ水みたいだ。そういえば、アイスキューカンバーも不気味な色をしていたけど、あれよりも濃いようだ。

さて、飲んでみる。「爽やかな香りとすっきりとした後味が特徴のしそ風味コーラ飲料です」とのことだが、あまりコーラっぽくはない。後味にほんのりと紫蘇風味。だが、色で予想できるが、赤紫蘇ではない。刺身のつまに乗っている青紫蘇(大葉)である。ここが、好き嫌いが分かれるところかもしれない。僕は嫌いじゃないな。好きでもないけど。

決してまずくは無いのだけど、やっぱり何本も飲みたくなるもんじゃないな。嫌がらせで誰かに飲ませるほどまずくないし、微妙だなあ。
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最近、どうも政治的にはつまらんことばかりだったのだが、今回の東国原知事の一件はなかなか痛快なできごとだった。

これ、評論家なんかにも分かってない人がいるらしい。塩田丸男とか。何言ってんだろう。

まず、出馬要請した自民党側の目論見は大変わかりやすい。

知名度が高く、人気がある元タレント政治家の東国原を国政に担ぎだせば、自民党の人気も回復し、票が取れるだろう。その上、厄介な知事をだまらせることができる。東国原の後釜は自民党から東国原県政の継承者としてだせば、当選するだろう。

本当にこれで自民党の人気が回復するかどうかは疑わしいが、そうでないにしても、東国原知事の出馬は自民党にとって一石二鳥どころか三鳥も四鳥もある。これはいつもの自民党の手で、国民と東国原知事をバカにしている。

東国原知事からしてみれば、ここで出馬しても、小泉チルドレンの例をみれば分かるように、使い捨てにされるのは目に見えている。仮に国政に興味があっても、今、自民党から出馬するのは得策ではない。

知事会の要望と首相の座を条件にすれば、断ってくるだろう。仮に断らなかったら、首相になって知事選挙当選時の公約をはたすことができるから、そんなにダメージにはならないだろう。

ここで彼が上手いのは、ジョークめかして言うのではなく、いかにも本気のように言っていることだ。鳩山君の怒り芸とは対照的で、さすがに役者が違う。

この要求に、ヤ○ザみたいな自民党の代議士が「ナメられている」といったそうだが、どこからどう考えてもナメていたのは自民党の方だ。断られることはあっても、まさかこうくるとは思わなかったろうから、これは実に痛快な話である。

この話の結末だが、次の三つが可能性として考えられる。

1.自民党が出馬要請をとりやめる。
2.東国原知事の要求を呑んで、出馬させる。
3.妥協点を探して、東国原知事が出馬する。

おそらく、1だろう。2はちょっと考えられないし、3は東国原知事にとってマイナスにしかならない。

しかし、その場合自民党からどんな報復があるか、若干心配ではある。
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以前、友人に「今、中学校で何を教えているの?」と聞かれて、魯迅の『故郷』をやっていると答えると、彼は「ああ、サスマタ・チャーだろ」と言った。

なにやらどこかの国の人名みたいだが、武器の刺叉とチャーという動物の名前である。面白いことに彼は『故郷』のストーリーをろくに覚えておらず、チャーを刺又で突くシーンだけは鮮明に覚えているという。

「今は寒いけどな、夏になったら、おいらとこへ来るといいや。おいら、昼間は海へ貝殻拾いに行くんだ。赤いのも、青いのも、なんでもあるよ。『鬼おどし』もあるし、『観音様の手』もあるよ。晩には、父ちゃんとすいかの番に行くのさ。おまえも来いよ。」
「どろぼうの番?」
「そうじゃない。通りがかりの人が、のどが渇いて、すいかを取って食ったって、そんなの、おいらとこじゃ、どろぼうなんて思やしない。番をするのは、穴ぐまや、はりねずみや、チャーさ。月のある晩に、いいかい、ガリガリって音がしたら、チャーがすいかをかじってるんだ。そうしたら、手に刺叉を持って、忍び寄って……。」
 そのときわたしは、その「チャー」というのがどんなものか、見当もつかなかった――今でも見当はつかない――が、ただなんとなく、小犬のような、そして獰猛な動物だという感じがした。
「かみつかない?」
「刺叉があるじゃないか。忍び寄って、チャーを見つけたら突くのさ。あん畜生、利口だから、こっちへ走ってくるよ。そうして、またをくぐって逃げてしまうよ。なにしろ、毛が油みたいに滑っこくて……。」(竹内好訳・原文は故郷:亦凡公益図書館参照)


ここでは片仮名にしたが、「チャー」には「猹」という漢字があってちゃんとunicodeにも入っている。ところがこの動物、「故郷」にしか出てこない。

この漢字は新華字典にもちゃんと載っていて、

猹cha2 貛類野獣,喜歓吃瓜(見于魯迅小説《故郷》)


とある。

亦凡公益図書館の電子テキストの注によると、この漢字は魯迅が創作したもので、魯迅自身どういう動物か知らないらしい。発音がchaの二声だと分かるのは、魯迅が「査」のような発音だといっているからである。文字を作った本人も正体が分からないのに、「貛」に似ているとか、瓜を好むとかまことしやかに書いてあって面白い。

他の辞書も調べてみたが、おおむね同じで、おそらく新華字典から取っているのだろう。ちなみに、日本の漢和辞典でも、僕の電子辞書に入っていた漢字源にはちゃんと載っていて、

貛(カン)(あなぐま)に似た獣。うりを好む。魯迅が小説「故郷」で創作した字。


とあって、やはり新華字典を踏襲しているようだ。

それにしても、これは、どう考えても「故郷」にしか使われない字である。こういう字ってUnicodeにどのくらいあるんだろう。
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いまさらながら、ケータイ小説の話。

一年以上前、ケータイ小説をかくぞ!みたいなことを書いてしまい(魔法のiらんどを試してみた)、いまだに「中川さんケータイ小説はどうしました、ウヒヒ・・・」などといわれるのだが、もちろん書いていない。

しかし、何もしなかったわけではない。まず、プロットを作った。これは一応できたのだが、第一話を書いてみると、これがなかなか難しい。

ケータイ小説は、なにしろ携帯電話の小さい画面で読まれるものだから、ブログで書いているような文章ではダメなのだ。

まず、一文が長いと読みにくくなる。セリフも短くしなければならないし、情景描写も簡潔にしなければならない。言葉も難解な言葉は使えない。この簡潔にするというのは得意なつもりだったが、いざやってみるとものすごく難しいことが分かった。

なにしろケータイ小説で一山当てようと思っていたので、第一話を書いた後、実際に女子高生数人に聞いてマーケティングをしてみた。

分かったことは、とにかく毎日のように更新しなければならないらしいということ。週一回ぐらいのペースで更新しようと思っていたのだが、それではダメだそうだ。これはかなりきつい。半分以上できてからでないとUPできない。

そしてもう一つ分かったこと。これが重要なのだが、彼女たちによると、最近(一年ぐらい前である)面白いケータイ小説がないと言う。どれも同じようなものばかりでつまらないということらしい。どうやら、すでに飽きてしまったようだ。

ケータイ小説のプロットなんて、どれも昔見た何か(ドラマとか少女漫画とか)の焼き直しみたいなもので、「同じようなもの」ばかりなのは当然なのだ。女子高生は昔見ていないから新鮮に感じたんだろうが、いくつも読んでしまえば「同じようなもの」ばかりになるのは当然である。だから飽きてしまったのだろう。

僕の作ったプロットは「昔見た何か」を継ぎはぎしたものだ。妙なところから持ってきているので、それなりにオリジナリティ溢れるものだが、今出しても絶対に売れないだろうと思った・・・といえばカッコイイが、なんだか面倒くさくなった。

そんなわけで、ケータイ小説プロジェクトは、サスペンド。魔法のiらんどのアカウントは生きているので、忘れたころに書くかもしれないけど、たぶん書かないな。
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「税金は値切れる」 国家というシステムのバグを突くには? 【書評】貧乏はお金持ちby橘玲 :TABLOG

そもそも医療費控除ひとつにしたって、「面倒臭いから」とか「申告の仕方がよくワカランし・・・」、と控除をしなかった人に対して「あなた、税金を収めすぎですよ!」と税務署が、気を利かして税金を再計算して、勝手に自分の口座に振り込んでくれるわけではない。
超基本的なことだが、「税務署(日本国)vsアナタ」という「ゲームのルール」に基づいて「プレイするか、どうか」という気構えの問題がそこに横たわっているのだ。
あなたは、日本国という存在を、自分がプレイしている人生という「ゲーム」の対面に位置するプレイヤーとして、意識したことがあるだろうか?


言っていることはあたりまえのことで、何も目新しいことはないんだけど、初めて確定申告した田端信太郎氏には新鮮だったらしい。

僕の場合、毎年の確定申告で50万円前後が還付される。もし確定申告していなければ、50万は税金として取られてしまうのである。

僕の収入は、ほとんどが給与所得である。税金対策などしていない(というより、給与では必要経費が計上できない)が、それでもこれほどの額が「払いすぎ」なのだ。いやがおうにも「税務署(日本国)vsアタシ」という構図は理解させられる。

実は今年、「税務署(日本国)vsアタシ」という思いを新たにさせられたことがあった。

僕は例年通り3月の初めに確定申告書を提出した。例年遅くとも4月には通知が来て指定の銀行に還付金が振り込まれるはずだが、待てど暮らせど送ってこない。計算が間違っていたのかとも思ったが、それにしても何も来ないのはおかしい。やむなく、6月に入ってから税務署を再訪した。

理由はすぐに分かった。確定申告書に書いた住所が間違っていて、通知書が税務署に返送されたのだ。これが届かないと振り込みがされないようになっているらしい。

つまり、これは僕のミスなのである。しかし、確定申告書には僕の住所とともに電話番号も書いてある。もちろんこちらは合っていた。住所不明で税務署に返送されたのなら、電話で確認すればすぐ間違いに気づいただろう。

問題はなぜ一ヵ月以上もそれをしなかったか。税務署員が忙しいから?そうではない。それに気づいたのは、僕の応対をした税務署員の態度がやけに丁重だったからである。

税務署員は僕に対して平謝りに謝っていた。しかし、これは僕のミスであって、税務署のミスではない。謝る必要はないだろう。事務的に粛々と処理すればいいだけだ。謝るのはやましいことがある証拠である。

このとき、税務署はあわよくば50万円以上の還付金をなかったことにしようとしたのだと合点した。気づいたら返すけど、気づかなかったらもらっちゃおうという程度のものだったんだろう。

逆のことを考えてみる。例えば、計算間違いをして、還付金を多く申告したらどうだろう。こういうことは今までに経験がないが、おそらくすぐに電話がかかってきたんじゃないだろうか。

これを怒ってもしかたがない。税務署(国)は少しでも多く税金を取ろうとするし、こちらは払わないようにする。税金なんて所詮そんなものなのである。
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日本語の実力その2】日本語なしには成り立たない現代中国語:Suzacu Late Show

現代中国語の中に、日本で作られた言葉があるのは有名な話で、これをいちいち検証する気はない(実は、ここに挙げられた例に疑問を持たないでもないが、専門ではないのでやめておく)が、ここをもって「日本人スゲー」とか「日本語スゲー」というのは勘違いもはなはだしい。スゲーのは昔の日本人で、現代の僕たちではないし、ましてや日本語ではない。

こういうネイティブにも違和感のない漢語を作れたのは、それだけ昔の人々(それも漢文が専門でない人)が漢文(あえて漢文と書く)を操る能力があったからである。それはたしかに、僕たちの先祖なんだけど、それは僕たちとは違う日本人である。

現代では、漢文教育なんか見る影もない。大学の入試でも軽視されるし、何で高校の国語で扱うのかとまでいう奴がざらにいる。だから、外来語がこんなにはびこるのである。漢文が教養の基礎だった、昔の日本人と一緒にしたら、昔の日本人が迷惑がるだろう。

分かりやすく言えば、こういうことだ。昔はむちゃくちゃ野球の強かった学校で、甲子園にも何度も出た。しかし、今は衰退どころか何十年も前に廃部になっている。その高校の現役生が、強豪だった時代の昔の野球部に誇りを持つ。それと同じことである。マヌケにもほどがある。

上のエントリにしたって、「漢文の実力」とか「漢字の実力」とか「昔の日本人の実力」なら分かるが、なんでこれが日本語の実力になるのだろう。漢字と漢文の文法を使って言葉を使ったのだから、日本語は関係ないじゃないか。

そもそも、言語に優劣はない。使う人間(いっとくけど個人だぞ。国民じゃないぞ)に優劣があるだけだ。これで溜飲を下げるなら、古文と漢文を勉強したまえ。昔の日本人に頼るんじゃないよ。
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6月の壁紙は、ベタですが紫陽花ということで・・・
うちのベランダで撮りました。

紫陽花(1024x768)

紫陽花(1024x768)
紫陽花(1280x1024)
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前のエントリで「まだつづきます」と書いたものの、忙しくて書けませんでした。で、話の流れをみごとに忘れてしまったので、断片的に書きます。
カワセミとオッサン(その1)

<前回のおさらい>
戸越公園に散歩に行った僕は、カワセミとその写真を撮っているオッサンに出会う。
なんか面白いやり取りがあったのだが、気がついたらもう一週間も経っていて、いろいろ忘れていたり、いなかったり・・・。

<登場人物>
中川・・・わし。
オッサンA・・・カワセミを撮りに毎日戸越公園に通っている人。50〜60歳ぐらい。作業着を着ていて、近くの工場の人だと思われる。
オッサンB・・・オッサンAの友人と思いきや、単なる話好きのオッサン。カワセミにはあまり興味がないらしい。この人も作業着を着ていたがAとは違う工場らしい。

<鯉を食うカワセミ>
中川「魚食べに来てるんですかね。池には鯉しかいないみたいですけど。」
オッサンA「クチボソがいるんだよ」
中川「なるほど、それならいそうですね」
オッサンB「鯉でもガバッと食べてくんないかな。すげぇ迫力だろうな」
オッサンA「鯉なんか食おうとしたら、逆に食われちまうよ」
オッサンB「あー鯉ってのは噛む力が強いらしいからね。十円玉なんか曲げちゃうらしいよ。カワセミ、食われちゃうか。そうだよなー。じゃあ、亀はどうだ。硬くて無理か。」
  いや、噛む力の問題じゃなくって大きさなんだけど・・・

<翡翠>
オッサンB「カワセミってのはきれいなもんだねぇ」
中川「漢字で翡翠(ヒスイ)って書くぐらいですからねぇ」
オッサンB「へぇー、ヒスイか。なるほどねぇ。俺は群青(グンジョウ)かと思った」
中川「色は青でも群青でもいいと思いますけど・・・」
オッサンB「いや、グンジョウじゃねえな。あんたのいうとおり。たしかにあれはヒスイだね。帰ったら家族に教えてやろう。こりゃいいこと聞いた」
  オッサン、ヒスイが宝石って分かってるのかな。

<写真の極意>
オッサンB「飛ぶぞ!飛ぶぞ!」
オッサンA「それ来た!」
 カシャッ、カシャッ、カシャッ、オッサンAの連写音が鳴る。
オッサンB「撮れた?」
オッサンA「うーん、イマイチだなー」
オッサンAはカワセミが魚を捕るところを撮りたいらしい。
オッサンB(中川に)「なんで撮らないの?」
中川「いや、どうせこの距離では撮れませんから。」
オッサンB「撮らなきゃダメだよ。一枚ぐらい写っているのがあるかもしれないんだからさ。」
オッサンA「あー、それじゃ写真は上手くならないな。写真は撮りまくらないと」
オッサンB「それ、ペンタックスだろ。ペンタックスなら撮れるだろ」
  共闘された・・・。
  このカメラではどうせまともに撮れないので、肉眼で見ていたいのだ。
  それにしてもなんでペンタックスなら撮れるのかわけわからん。

<マクロレンズ>
オッサンB「そんなに好きならマイクロレンズで撮ればいいんだよ」
中川「なんですか、それ。」
オッサンB「あ、知らない?昆虫とかを、画面いっぱいにドアップで撮るやつ」
中川「ああ、マクロレンズ(近距離で撮るレンズのこと)。でも、近づいたら逃げちゃいますよ」
オッサンB「いや、だから遠くから近づいてアップで・・・」
  すみません、もう何が何やらさっぱり分かりません。

文章にすると、面白さがイマイチ伝わらないが、二人とも見事な江戸弁で、落語を聴いているみたいだった。
写真の件はいずれリベンジしようと思う。
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天気がよくなったので、戸越公園へ散歩に出かけた。たまたま、入り口の掲示板に戸越公園の池にカワセミ(翡翠)が来たというニュースが貼ってあった。

「へー、でももういないんだろうな」と思いながら池の方へ歩いていくと、本当にカワセミがいるじゃないか!池の中にある妙な小屋(カモの子供用らしい)の屋根にとまっている。

もちろん、カワセミを見たのは初めてではない。しかし、こんなに見やすいところ、しかも都会にいるのは初めてだ。

すぐさま、カメラの電源を入れて撮ろうと思ったら、もうどこかへ飛んでいってしまった。残念。

すると、池の向こうから、「おーい、カワセミがいるよー」と、60歳ぐらいのオッサンが声をかけてきた。声のしたほうを見ると、同い年ぐらいのオッサンが二人いる。僕は、オッサンたちの方に歩みよって、「今見ましたけど、逃げちゃいましたね。どっちへ行きましたか?」と聞いた。

すると、望遠レンズ付きのデジタル一眼レフを構えていたオッサン(以下オッサンAと命名)が、「森の方に入ったね。魚を食べに来ているから、また出てくるよ」と言った。

オッサンはCanonのカメラを持っていて、すぐそばにNikonのデジタル一眼レフが置いてあった。メーカーが違うので、もう一人のオッサン(オッサンBと命名)のものかと思ったが、どうも両方ともオッサンAのもので、オッサンBは単なるギャラリーらしい。

僕はオッサンAに「毎日来てるんですか?」と聞いた。すると、「毎日来てるんだって。」とオッサンB。いや、あなたには聞いてませんから・・・。

オッサンAによると、天気の悪い日は来ないが、天気の良い日の5時ごろには必ず現れるそうだ。

オッサンB「時速100キロぐらいで飛ぶんだって」
中川「へー(うそこけ)」
オッサンA「1000キロだよ」
オッサンB「あーそうだった。間違えた」
中川「いや、そんなに速くないでしょう」
オッサンA「いや、だって1/1000でシャッター切ってぶれるんだから」
中川「(どんな計算だよ・・・)すごいですね〜」

こんな感じで、かみ合わない話は続いた。

しばらくして、カワセミはまたやってきた。僕はあわててカメラを構えた。といっても、コンパクトカメラ(Pentax OptioW60)である。なかなか上手く取れない。何枚かシャッターを切ってやっと撮れたのがこれ。

戸越公園のカワセミ

出かける前に一眼レフにしようか、コンパクトにしようか迷ったのだが、今日は歩くことに専念しようと思ったので、コンパクトにしたのが失敗だった。これでもトリミングしてあって、実際にはもっと小さくしか写っていない。

オッサンA、言っていることはわけわかんないけど、毎日来ているだけあって、いい写真を撮っている。くやしいぞ。

このオッサンA・Bとのやりとり、なかなか面白かったので、この話まだつづきます。
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