「ホヘボール」という新しいスポーツがあったとしよう。どんなスポーツかはどうでもいい。ボールというぐらいだから、球技なんだろう。
ホヘボールは知る人ぞ知るマイナースポーツだった。そこで、ホヘボールプレイヤーが全国から集まり、日本ホヘボール協会なるものをつくり普及運動をした。ホヘボールプレイヤーたちは、一丸となってホヘボールを世に広めようとしたのである。
10年後、ホヘボール協会の努力もあって、いまやホヘボールは誰もが知っているスポーツになった。学校の授業にも取り入れられ、国体の正式種目にもなり、オリンピック種目の候補にもなっている。
ところが、日本ホヘボール協会は、全日本ホヘボール協会(ホヘ協)と全国ホヘボール連盟(ホヘ連)に分裂した。ホヘ協はボールの色の自由化を主張し、ホヘ連はボールは白にすべきと主張したからである。
傍から見ていると、ボールの色なんかどうでもいいのだが、彼らにとっては重大な違いらしい。ホヘ協とホヘ連は対立し、お互いに自分の正当性を主張した。結果、ホヘボールは衰退した。
ここから先、ホヘボールは消滅するかもしれないし、もう一度一つの団体にもどって普及運動を一から始めるかもしれない。また、それぞれが巨大化するかもしれない。
僕はこのプロセスを「内ゲバ理論」と呼んでいる。人が集まって、一つの目標に向かっているうちは、少しの違いは乗り越えられる。目標を達成するか、達成できなくてもある程度長い時が経つと、その少しの違いが大きな違いになってくる。傍から見ていればたいした違いじゃないのに、本人たちにとっては大問題なのだ。
どんな団体であれ、どんな規模であれ、人が集まると、遅かれ早かれこの問題が起きてくる。因果なものよのう。
ホヘボールは知る人ぞ知るマイナースポーツだった。そこで、ホヘボールプレイヤーが全国から集まり、日本ホヘボール協会なるものをつくり普及運動をした。ホヘボールプレイヤーたちは、一丸となってホヘボールを世に広めようとしたのである。
10年後、ホヘボール協会の努力もあって、いまやホヘボールは誰もが知っているスポーツになった。学校の授業にも取り入れられ、国体の正式種目にもなり、オリンピック種目の候補にもなっている。
ところが、日本ホヘボール協会は、全日本ホヘボール協会(ホヘ協)と全国ホヘボール連盟(ホヘ連)に分裂した。ホヘ協はボールの色の自由化を主張し、ホヘ連はボールは白にすべきと主張したからである。
傍から見ていると、ボールの色なんかどうでもいいのだが、彼らにとっては重大な違いらしい。ホヘ協とホヘ連は対立し、お互いに自分の正当性を主張した。結果、ホヘボールは衰退した。
ここから先、ホヘボールは消滅するかもしれないし、もう一度一つの団体にもどって普及運動を一から始めるかもしれない。また、それぞれが巨大化するかもしれない。
僕はこのプロセスを「内ゲバ理論」と呼んでいる。人が集まって、一つの目標に向かっているうちは、少しの違いは乗り越えられる。目標を達成するか、達成できなくてもある程度長い時が経つと、その少しの違いが大きな違いになってくる。傍から見ていればたいした違いじゃないのに、本人たちにとっては大問題なのだ。
どんな団体であれ、どんな規模であれ、人が集まると、遅かれ早かれこの問題が起きてくる。因果なものよのう。