2009年11月

これは直感なんだけど、今年11月ってのは、後々記憶に残る月になるんじゃないだろうか。

まず、23日のエントリで書いたデフレ。これが今後どうなるのか。

そして、円高。ちなみに現在86円である。

去年の10月に浦木さんが来日して、数ヶ月ほどして円高が進んだ。かなり暮らしにくかったろうが、あのときでも1ドル95円程度だった。あれからもう一年も経つのかとそれにもびっくりするけど、今浦木さんが日本にいたら飢え死にしているだろう。

さすがに70円台に突入するとは思わないが、1ドル90円〜85円ぐらいの円高はしばらく続くんじゃないだろうか。もちろん、企業業績は悪くなるし、就職難には拍車がかかるだろう。もう夢も希望もない。

でも、若い人はいまこそ海外に目を向けるチャンスだと思う。

実は昨日で41歳になった。これまで生きてきて大きく後悔したことそれほどないが、30歳過ぎるまで海外に行こうという気が全くなかったことは、とても残念なことだ。

旅行以外で海外へ行くというのは、年を取れば取るほどしがらみが多くなって難しくなってくる。身軽な20代のうちに行くべきだ。まだ語学が・・・なんて言っていないで、ぱっといっちまえ。

昔と違って、どこの国へ行くのでも行きやすくなってきた。情報も簡単に手に入る。日本と連絡をとるのも、メールやSkypeを使えばただ同然である。

若いときにこんなシケた国にいたら、シケた人間になっちゃうよ。希望がないなんていってないで、さあ、旅の支度をしよう。
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五島美術館「伝えゆく典籍の至宝」に行ってきた。

前から行きたいと思っていたのだが、忙しさにかまけて行かなかった。下手に家からちかいとこうなる。29日で終わりと気づいてあわてて行ってきた。

「典籍の至宝」というぐらいだから展示されているのは古典籍である。古筆切とか絵巻とか(もあることはあるが・・・)とは違い、少々マニアックなのでそんなに人はいないだろうと思っていたら、あにはからんや、五島美術館名物、着物のおねえさんがたくさんいらっしゃった。

このおねえさん方、愚にも付かないすてきなおしゃべりをするという癖があり、古典籍というちょっと分かりにくいものだったせいか、いつも以上におしゃべりがはげしかったようだ。

しまいには、お静かにご覧くださいという館内アナウンスが流れる始末。もっとも、おねえさま方、アナウンスを聞いていらっしゃらなかったようだが・・・。

展覧会そのものは、さすが大東急記念文庫創立60周年記念だけあってすばらしいものだった。

僕の目当ては延慶本『平家物語』である。幸い、興味ない人には、ただのススけた本でしかないので、ゆっくり見ることができた。

その他にも貴重な写本がたくさん展示されていたのだが、それ以上に嵯峨本などの古活字本や、近世の版本をまとめて見られたのがよかった。これらは、時代、ジャンルごとにまとめられていて、大変勉強になった。これだけまとめて見られる機会はなかなかないだろう。

展覧会を見終わった後、庭を散策するのが、五島美術館のお約束である。五島美術館は狭いので、むしろ庭園散歩の方に多く時間をとったりする。

というわけで、今月の壁紙は五島美術館の庭園。もっと紅葉をきれいに撮りたかったんだけど、ちょっと曇っていたんで、イマイチ。

五島美術館の庭園(1024 x 768)

五島美術館の庭園(1280 x 1024)
五島美術館の庭園(1024 x 768)

あ、先月の壁紙はすっかり忘れてました。
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「夫婦別姓」慎重派が導入をためらうホントの理由:R25

これ、いくら聞いても理解できない。そりゃ夫婦別姓でなきゃいけないというなら分かるんだけど、今議論されているのは、別姓にしたい人はしてもいいってことでしょ。ホントの理由は何なんだ。さあ、慎重派の高崎経済大学の八木秀次教授」に聞いてみよう。

夫婦が別姓になれば、子どもの姓をどちらの姓にするかという問題も出てきますし、家族の一体感が薄れる可能性があります。現行の民法では、“夫婦同氏原則”がありますが、これは民法が核家族を基盤とした制度だからです。夫婦別姓は、民法を変えるという大きな話につながります

え?ホントの理由?これが?

だって、子供の姓をどちらにするかという問題は夫婦が話し合って決めることだろう。そんなこと、あんたが気にしてくれなくっても結構だ。

「家族の一体感が薄れる」ってのもよく分からない。中国や韓国はもとから別姓だが、日本以上に家族の一体感があるように思えるが・・・。

「現行の民法では」以下は意味不明。分かりやすく説明して欲しい。っていうか民法を変えるってそんなに大きな話だけ。憲法と間違えてない?

じつは、日本で議論されているような選択的夫婦別姓制度を取り入れたのは、スウェーデンくらいですね。ただ、スウェーデンは離婚率が極めて高い国になってしまった。結婚制度が意味をなさなくなり、非嫡出子も多く、社会問題になっています」

別姓制度を取り入れたから離婚率や非嫡出子が増えたといわんばかりだが、根拠あるのだろうか(無いからこんな書き方なんだろうな)。それに離婚率は関係あっても不思議はないが、非嫡出子が増えたことと夫婦別姓にどういう関連があるのかわからない。

それにしても、中国や韓国みたいに最初から別姓の国のことは隠して、スウェーデンのことしか語らないとは、八木センセー黒いですな。

そもそも名前のルールとか概念ってのは、国によって違うものだ。他国と比べても意味がない。じゃあ日本はどうなのかってえと、日本も明治までは別姓だった。文化的にも根拠がない。伝統とか文化の好きそうな八木センセーがそういわないのはそのためだろう。

僕は別に別姓にしろと言っているのではない。どちらでもいいと言っているのだから、反対する人は自分が夫婦同姓にすればいいだけの話だ。より自由になるというだけのことである。

これに反対している人は、自由が嫌いなんだろう。なんかよくわかんないけど、そんなに自由が怖いですか?
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政府が「日本経済は緩やかなデフレ状況にある」と宣言した。そんなこといまさら分かりきったことだが、テレビのニュースバラエティーでは、デフレが進むとどうなるかなんて解説している。

だいたいどの番組でも、「物が安いからといって喜んでもいられません」とかいう前フリで「1物価が下がる→2企業の業績悪化→3給料が下がる→4購買力が下がる→1にもどる」みたいな感じで判で押したように説明している。プロセスとしてはそれでいいけど、大事なことが抜けている。

この論法だと、いま一つデフレのやばさが伝わらないのだ。「物価が下がると給料が下がるからやばい」では、逆に「給料が下がっても物価も下がるからやばくない」ともいえるからである。

物価が下がるとどうなるか。何がやばいのか。端的にいえば、

1.貯金をしている人は得をする。
2.借金をしている人は損をする。

という点である。

まず、貯金をしている人は得をする。銀行でも貯金箱でも箪笥でも得。

10万円を貯金しているとしよう。利息は無視する。もっとも普通預金の利息なんて無視しなくても変わらないけど。

10万円あれば1万円のスーツが10着買える。もし仮に一年でデフレが進んでスーツが1着5000円になったとしたら、たった一年間貯金するだけで同じ10万円で20着のスーツが買えることになる。

つまり、ただお金を持っているだけで、利息なぞつかなくても倍の価値になるわけである。数字は変わらないけど。

貯金が得ということは、逆に借金は損になる。これがやばい。

どこからか10万円を借りたとする。前と同じように10万円はスーツ10着分だ。一年後に半分の5万円を返したとする。借金の残りは5万円だ。

ところがさっきと同じように一年間でデフレがすすんで、スーツが一着5000円になった。すると、借金の残り5万円で、やはりスーツ10着が買えてしまうことになる。借金返してるのに、全然減ってませんがな。アホクサ。

実際にはこれに利子が付くから、借金は返していて数字も減っているのに、実質増えているという事態になるのである。ああ恐ろしい。

まあ、これが10万円の2回払いぐらいだったら、我慢もできようし、そもそも物価が一年で半分になるなんてことはないだろうが、長期の住宅ローンだったりするとどうなるか。みなまで言わすな。

とりあえず、「スーツ10着も買わねえよ」とか言っている奴は赤点。
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レインボーマン「モグラート作戦編」を見た。

モグラートってのは、地中を自由に動けるという死ね死ね団の秘密兵器の名称。この作戦名からは、モグラートで官邸を破壊するとか、レインボーマンを倒すとか思いがちだが、死ね死ね団はそんな安直なことはしない。

モグラート作戦の内容は、日本を海外から孤立させ、エネルギーなどの供給を断つことである。具体的には、海外から来る要人やタンカーなどにテロを仕掛けたり、人工的に津波を起こしたりして、諸外国から日本は危険な国だと思わせることにより、国際関係を悪化させるのである。

オイルショックを彷彿とさせるが、実はオイルショック直前(レインボーマンは1972年10月6日〜1973年9月28日、第一次オイルショックは1973年11月)に放映されている。おそらく戦前のABCD包囲網に着想を得たものだろう。

今回の死ね死ね団は、これまでにもまして攻撃がえげつない。例えば、外国要人が乗った航空機を何機も撃墜したり、レインボーマンの見ている前で一般人を殺しまくったりする。

挙句の果てには、淑江(ヤマトタケシの恋人)になりすましてタケシに毒をのませる。当然、タケシは人間不信に陥るのだが、モグラート作戦編は全体的にタケシが日本を守る使命と、そのために自分を犠牲にしなければならないことの間で苦悩するシーンが多い。

って、やっぱり子供向けじゃないよなー。これ。
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xuetuiさんの横書きゆえの誤り:学退筆談のエントリとコメントを読んで、僕が初めて中国に行ったときにしたいたずらを思い出した。

中国の文書が書道作品を除いて横書きなのは知っていた。ならば、無理に縦書きにさせたらどうなるだろう。

やり方はこうだ。まず、日本から縦罫のメモを持っていく。これは便箋を小型にしたものを想像してもらえればよい。

そして、買い物などのとき、そこに縦書きで質問を書き、筆談する。あらかじめ書いておくとわざとらしいので、目の前で書いて見せるようにした。

それほどたくさんの人に試したわけではないが、次の三つのパターンに分かれた。

1.メモを横にして横書きする人。
メモと筆記具を渡すと、やおら90度転回して横書きする。一番多かった。

2.罫線を無視して横書きする人。
そのまま罫線を無視して横書きする。単語で答える場合に多い。

3.縦書きにする人。
こういう人はあまりいなかったが、縦書きの質問に合わせて、縦書きで書く。
横のものを縦にするだけだから簡単かと思いきや、文字はともかく、句読点を左側に打ったり、真ん中に打ったりして、書きなれていない様子がうかがわれた。

このメモ帳、画像でお見せしようと思ったが、引っ越しのときどこかにまぎれてしまったらしく見つからない。お詫びに別の画像をお見せする。

これは、河北省定州市で、三輪車に乗ってゴミ集めをしていた70歳ぐらいのお爺さんからもらったもの。中国の庶民(ちょっと所得低めの人)の字である。

もらった経緯はジャージャー麺はかきまぜて食え:品川武術倶楽部に書いた。「日本朋友」とか書いてあるが、もちろん初対面である。

jaja1jaja2
jaja3jaja4

もちろん、すべて横書き。三枚目の「叫」が妙なところに書いてあるのが面白い。ちなみにこれは自己紹介の文で、「日本朋友来定州。我非常高興。我叫蔡淑印。電話256−***小陳村***」と書いてある。蔡淑印さん、僕たちに会えたのがうれしかったらしい(蔡さん、白酒飲んで、若干酔っ払っていた。仕事中なのに)。

字そのものは、若干怪しい崩しもあるものの、行草(行書と草書)で書いてある。草書が混じっているのは、簡体字の一部に草書に由来するものもあるため。これを崩すを自然と草書になる。

この人に限らず、中国人は漢字を崩して書く人が多い。行書や草書はどう考えても横書きに向いていないのだが、それでも自然に見えるのは流石である。

それにしても、あのお爺さん元気かなあ。もうちょっと中国語ができるようになったら電話してみようか。
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これはちょっと自信があるのだが(妄想)、僕が何か新たに始めると、1〜5年後ぐらいにブームが来る。例を挙げてみよう。カッコ内は僕が始めた年である。

パソコン・インターネット(1994年)
写真(1998年)
自転車(1999年)
クラシックカメラ・ロシアカメラ(2000年)
お遍路・野宿(2001年)
熊野古道歩き(2002年・世界遺産登録前)
中国株(2004年)

もちろん、やったけど流行っていないもの、例えば狛犬とか、ファルトボートとか、バードウォッチングとか、書道とか書道とか書道とかあるんだけど、まあその辺は目をつぶって、みごとにブームになっている。

これは、電通の間諜が僕をマークしているに相違ない。まさにトレンドリーダー、トンガリキッズである。

しかし、過去の業績を自慢してもしょうがない。次、何がクルかを提案できなければトレンドリーダーとはいえない。

次クルのは、キーボードである。キーボードといってもパソコンのアレではない。楽器である。

話は半月ほど前に遡る。妻の実家から香典返しのカタログが届いたのだ。

亡くなったのが義父だったので、僕はそこそこまとまった額の香典を渡した。そこで、カタログのランクとしては、香典ではなく、結婚式の祝儀レベル中級のものが届いたのである。

ところが、イマイチ欲しいものがない。食器とか調理器具が定番だが、あらかた揃っているので特に欲しいものがない。食べ物も食べたら無くなっちゃうのでパス。カバンや文房具など「こだわりの一品」は、こだわるから自分で見て買いたい。

いくら探しても、これといって欲しいものがないのだ。逆にいえば何でもいいのである。ならば、絶対に自分の金では買わないものを選ぶことにした。

そこで目に付いたのが楽器。トランペットとバイオリン、エレキギターとカシオのキーボードが載っている。キーボード以外はメーカーが書いてなく怪しい。そもそも、この家でトランペットを練習するなんて不可能である。

キーボードならヘッドホンで聞くことができるし、工場で作られたものだから変なものじゃないだろう。これに決定。もちろん楽器の心得などない。

余談だが、僕の母はキーボードを注文したといったら、「口で吹くアレか」と言っていた。何と勘違いしたんだ(たぶんピアニカ)。

そして昨日、キーボードが届いた。カシオCTK-230である。感想は・・・

軽いけど、意外とデカいな・・・。

天袋しかしまうところがないぞ。早くも嫌な予感がしてきた。やっぱりブームは来ないかも。
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佐伯有清『最後の遣唐使』(講談社学術文庫)を読んだ。


日本で教育を受けた人なら遣唐使を知らない人はいないだろう。遣唐使が唐から輸入した文化の数々や、最澄、空海がもたらした仏教、そういうのはよく知られているが、どういうコースで、どんな船で、どんな人たちが渡ったかということはあまり知られていない。

知らないから、勝手なイメージを作る。僕の遣唐使に対するイメージは4船ほどで行って、行きに1隻が沈んで、帰りに1隻が沈む。ちゃんと行って帰ってくるのは強運の人だけ。空海も最澄もたまたま帰ってこられた。そんなものだった。

それは円仁の『入唐求法巡礼行記』読んだときにさらに強くなった。そこに描かれていた唐への旅は、それまでの想像をはるかに上回るすさまじい冒険だったのである。

この円仁の乗った遣唐使船こそが、本書のいう「最後の遣唐使(第17次遣唐使)」である。したがって、主な史料も『入唐求法巡礼行記』と『続日本後記』ということになる。本書では、これらの史料をもとに最後の遣唐使にまつわる数々の謎を解明している。

第17次遣唐使は二度の渡航失敗、遣唐副使小野篁の乗船拒否、そして相次ぐ遭難により遣唐使六百数十人のうち40%が海の藻屑となるというすさまじい航海だった。

技術は進歩するものだから、最初の遣隋使から200年以上もたってこの有様では、もっと昔はさらにひどかったんだろうと思い込んでいたのである。たぶん、司馬遼太郎の『空海の風景』に、航海技術の遅れを書いている場面があったので、その影響もあったんだろう。

ところがそうではないらしい。つい当時の日本の技術は、大陸や朝鮮半島に比べて劣っているという前提で、それを理由にしてしまったが、それ以上に国際情勢や、国内の政治問題などが複雑に絡み合っていたようだ。

本書は、そういう歴史上の「謎」だけでなく、遣唐使の人生を多く描いている。特に、篁や円仁のような有名人だけでなく、あまり知られていない、無名の遣唐使たちや新羅人の人生にも光をあてていて、それらは小説の書き方ではないが、下手な歴史小説よりもずっと面白い。

というわけで、すごく面白かったのでストロングバイ。
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やたがらすナビのレイアウトがおかしくなっていることに今気づいた。左揃えのテキストがすべて中央揃えになっているのだ。これでは読みにくい。

トップは大丈夫だったから、今まで全然気づかなかった。左端にあったカウンターの位置が中央に変わっているので、おかしいなと思っていたのだが、まさかテキストがすべて中央揃えになっているとは思わなかった。

ちょっと調べてみたら、すぐ犯人は分かった。無料レンタルサーバーのIS-webである。ちょっと前からいつもの広告の上に「ウェブ検索」とかいうのが出るようになったのだが、これが悪さをしているらしい。2chの楽天系HP (isweb-infoseek, cool)スレッドを見ると結構苦情が出ている。

カウンター以外、TOPページには影響がないので、CSSをいじればなんとかなると思うが、それにしても迷惑な話である。無料サーバーだから、広告がでることに文句は言えないが、本文に影響するような変更はやめて欲しい。

と思って別のブラウザで確認してみたら、崩れてるのOperaだけだった・・・。応急処置したけど、一部直ってないっす。

IEだけ崩れているという人もいるようなので、IS-Web使っている人は確認した方がいいみたい。
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客を犯罪者扱いする店:思いて学ばざれば

以前、母から「なんでも買える商品券はないか」と聞かれた。僕は商品券というものは、図書券とか文具券みたいに、買えるものを限定するものだと思っていたので「それは日本銀行券っていうんだよ」と答えたら「そんなはずはない。前にもらったことがある」という。調べてみたら、カード会社が発行したものや、デパートが発行したものがあった。何のためにそんなものがあるのか理解できなかった。

例えば、図書券を子供にあげる場合は、あげる相手に対して「この金で余計なものを買わず、本を買う足しにしてくれ」とか「本は素晴らしいものだから、君も読むように」などというメッセージになる。だから、文具券とか、図書券はまだ理解できる。

だが、カード会社やデパートの発行したものは、日本銀行券で買える大部分のものは買える。つまりメッセージ性はない。

しかし、商品券で買えるのは日本銀行券で買えるものの大部分であって、すべてではない。しかも、使える店が限定されてしまう。日本銀行券なら、売っているものなら何でも買え、国内の店ならどこでも買える。どう考えても「なんでも買える商品券」が存在する理由は見当たらない。

もちろん、母から「なんでも買える商品券」を聞かれたとき、なぜ日本銀行券ではいけないのか聞いた。その時の答えは曖昧だったが、どうも「なんとなく失礼だから」らしい。

しかし、もらう側になって考えてみると、失礼とは思えない。買う場所を限定される方がよほど失礼だ。第一、現金以外のものを財布に入れて持ち歩くのは面倒くさい。

失礼かそうでないかという点でいえば、「図書券」などの商品を限定する商品券も失礼だ。僕に現金を渡すと、ロクでもないことに使うと思われているということか。だったらビール券は何だ。ビールを飲んでアル中になれということか。

もらう方は失礼だなんて少しも思っていないのに、渡す方が失礼だと思うのは何故なんだろう。
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