2009年12月

去年はなんだか一年がすごく長く感じられたんだけど、今年は早く感じられる。個人的なビッグイベントがあまりなかったからだろう。

社会的には新型インフルエンザの流行だの、政権交代だの―だのっていってもそんなのしか思い浮かばないけど、二つあれば十分だ―いままで経験したことのないことで、すべての人が関係することが多かった年だった。

僕のような仕事をしていると、新型インフルエンザがどれほど流行しているかよく分かっている。なにしろ、一番前の席(つまり教師である僕の近く)に座っていた生徒が「気持ちが悪い、具合が悪い」と言っていて「大丈夫か?インフルエンザじゃないか?」なんていったら、案の定インフルエンザで、次の次の週「やっぱりインフルだったー」なんて笑顔で言われてしまうのである。

このインフルエンザ、季節性インフルエンザよりも症状が軽いと思われているらしく(実際そうなのかもしれないが)、薬屋の店頭からマスクが消えたころより、かなりガードが甘くなっているように感じられる。

僕たちの関連でいうと、学校によっては、かなりの数の感染者が出ても、学級閉鎖にしないところもあると聞く。症状の重さと感染力は別の問題だと思うのだが、これで本当に大丈夫だろうか。

夏、中国に行ったとき、空港での入国審査の対応の違いにびっくりし、日本のガードの甘さを痛感した。

中国に入国するとき、以前よりも面倒くさい書類を書かされ、少しでも記入漏れがあると書き直しさせられる。検疫では、体温が高いということで、何人か別室に連れて行かれたのを目の前で見た。

それに比べると、日本の入国はちょっと質問してくる程度で、青島空港よりはたくさんの人がいたにもかかわらず、一人も別室に連れて行かれる人を見なかった。

これだけ厳しいのはSARSの経験があるからに違いない。中国は感染症は病気そのものの恐ろしさだけではなく、それ以上に経済・社会などダメージを与えるものだということを学んだのだろう。日本はこんなんで大丈夫なのかと心配になる。

もう一つ、なんといってもインパクトがあったのは政権交代である。実は、自民党から民主党に変わったところで、かわりばえしないだろうと思っていた。

しかし、その内容にいろいろ賛否はあるだろうが、少なくとも「かわりばえしない」感じはない。民主党としては、今の段階ではこれでいいのだ。

とにかく、今は自民党の存在感を消すことが彼らの課題だろう。だから、賛否両論あること自体が、民主党の利益につながる。問題は今の不安定感がいつまでつづくのかということだ。

僕は、来年これで民主党がコケた時が一番ヤバいと思っている。民主党が自民党の存在感を消すことに(今のところ)成功している以上、民主党がダメだから自民党にしましょうとはならないからである。

そこにあるのは、これまでにない政治不信だけ。それが一番怖い。

伊藤漱平氏(いとう・そうへい=元二松学舎大学学長)21日、慢性腎不全で死去。84歳。:YOMIURI ONLINE

IMGP7845旅行から帰ってきたら、ホシナさんから掲示板の中文ニューススレッドに書き込みがあった。

大学一年生の授業なんて、どんな授業だったかさっぱり覚えていない(内容ではなく授業の様子)ことが多いが、伊藤先生の授業ははっきりと覚えている。

伊藤先生は中国文学史の担当をなさっていた。恰幅のいい紳士で、かつてはサッカーの選手だったと聞く。何故かいつもたくさんの本を持って教室に現れるが、その本を開いたことはない。

中国文学史の授業で使っていた教科書は、たしかコレだったと思うが、発行年があわないような気もする。いずれにしても、台湾商務印書館の本で、当然中国語(繁体字)で書かれている。ついこのあいだまで高校生だった僕には、読もうにも何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。

最初の授業は発行元の商務印書館の話だった。当時、商務印書館なんて聞いたこともないし興味もない。そもそも、中国文学史とどういう関係があるのか、聞いても理解できなかった。その日の授業はそれで終わった。

次の授業は、教科書の前書きだった。それも前書きを途中まで読んで終わりである。ますます分からない。その次は前書きの中ほど、その次は前書きの終わり、そこで本文に入るのかと思ったら、今度は目次である。

商務印書館の説明と、前書きと、目次の最初の方だけで夏休みが来た。どうやって試験(レポートだったかな?)を乗り越えたのか、これはさっぱり覚えていない。

前書きだけで授業が終わっちゃうといっても、ぱっと読んですぐ授業を終えるというわけではない。微に入り細穿つ話で、90分きっちり使う。それどころか90分経っても終わらないこともしばしばあった。

今聞けば面白いのかもしれないが、基礎的な中国文学史の知識がほとんどない、一年生にはそんな細かい話をされても全く理解でず、大学とは恐ろしいところだなと思った。

それでもちゃんと授業には出ていたが、文学史的になかなか進まないので「妙に変だなー、最後は突然早く進むのかなー」と思いつつ、教科書の本文に入ったのは11月ごろである。最後の授業は詩経・楚辞だった。中国の文学は詩経・楚辞に始まると思っていたのに、伊藤先生の授業では詩経・楚辞に終わったのである。

こんな授業をしたら、今だったら何を言われるか分からないが、このころはそんなことで文句をいう奴はいなかった。通り一遍の文学史なんて、自分で勝手にその手の本を読めばいいのだから、これでいいのである。聞いて分からないのは自分が悪いのだ。

その後、研究室の引っ越しを手伝って、新潮社の『新潮世界文学辞典』をもらった。写真はそれにサインしてもらったもの。「挿架」と書いてあるが、僕の持っている本のなかでも出番の多い本で、ほとんど「挿架」したことがない。

伊藤漱平先生の御冥福をお祈りします。
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昨日まで、岡山近辺を旅行してきた。とりあえず、今月の壁紙。

まずは、高梁市立吹屋小学校。現在学校として使われている校舎では、日本最古だそうだ。この写真は本館で、明治42年竣工。

高梁市立吹屋小学校

高梁市立吹屋小学校カラーバージョン(1280 x 1024)
高梁市立吹屋小学校カラーバージョン(1024x768)

ついでにセピア色にしてみた。

高梁市立吹屋小学校セピアバージョン(1280 x 1024)
高梁市立吹屋小学校セピアバージョン(1024x768)

こちらは、横溝正史疎開宅近辺の田んぼで撮ったもの。

藁1024x768

藁(1280x1024)
藁(1024x768)
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愛の戦士レインボーマンを見た(キャッツアイ作戦)
愛の戦士レインボーマン「M作戦編」を見た
愛の戦士レインボーマン「モグラート作戦編」を見た
愛の戦士レインボーマン「サイボーグ軍団編」を見た

あの川内康範先生の原作だから、全編見事な右翼テイスト彩られている。だが、それでもなんとなく安心して見ていられるのは、なんとかウヨクみたいな特殊な思想を持つ方とは違い、敵味方を単純に善悪に分けていないからだろう。

この作品は、大雑把に言うと「日本人がテロリストから日本を守る」というものである。テロリストは宇宙人とか怪人(どう見ても怪人にしか見えないのもいたけど)怪獣ではなく、外国人である。そして、ヒーローのレインボーマン自信も、宇宙人でも改造人間でもなくただの人間(このセリフは何度も出てくる)である。

こういう設定だから、レインボーマンは人知れず敵と戦うことと、恋人や家族などとの個人的な事情の間で悩むことになる。これほど悩むヒーローというのは外にはないだろう。

それは敵も同じことで、死ね死ね団はかなり非人道的に描かれてはいるが、ミスターKや美人幹部たちの心理までしっかりと描かれている。

さて、敵が外国人という設定だと、排外的な作品だと思われるかもしれないが、この作品は決してそうではない。太平洋戦争で日本がアジアの国々に迷惑をかけたとはっきり言っている。ミスターKが日本人を執拗に狙う理由もはっきりとは言わなかったが、そのあたりにあるようだ。レインボーマンでは「確かに侵略したが、アジアの進歩に寄与した」なんて言い訳がましいことは一切誰も言わない。

かつて日本は戦争で過ちを犯した。それが原因で今死ね死ね団に狙われるハメになった。原因を作ったのは日本人自信自身だが、無抵抗という訳にはいかない。どうする・・・というのが、この作品のテーマなのだろう。

こんな風に書くとやたらと重い作品みたいだが、ショボイ特撮とか、ヘンなセリフ(なにしろ変身の時に「阿耨多羅三藐三菩提」という)とか、常軌を逸した怪人とか、露骨なタイアップとか、とにかくツッコミどころの多い作品でもある。単純にそういうのを楽しんでも面白い。
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たて続けにフリーの日本語入力ソフトが発表され、話題になっている。google日本語入力バイドゥタイプである。

「本当は試してみた」にしたかったんだけど、どちらもまだ試してみたと言えるほど使っていない(でも、この文章はバイドゥタイプで入力している)ので、とりあえず思ったことなど。

そもそも、僕はSKKが最高だと思っているし、SKKが使えなくても、MS-IMEで十分満足しちゃっている人なので、感想を書いてもあまり参考にならないだろう。

ただ、このgoogle日本語入力とバイドゥタイプ、そしてGoogle中国語入力(谷歌併音輸入法)の関係はちょっと面白い。

Google日本語入力が出てきたとき、フリーのIMEという意外さで話題になったが、中国語を入力する人にとっては全然意外ではない。

中国には標準のMS-IMEはもちろん、ポータルサイト大手の搜狗による搜狗搜狗輸入法や、QQでおなじみ(日本人にはおなじみじゃないか)テンセントによるQQ併音輸入法などいくつものフリーのIMEがある。

Googleも出している。日本だと、他のIMEがGoogleをパクったんじゃないかとか言われちゃうそうだが、過去に搜狗輸入法の辞書をパクったとして提訴されたことがあるいわくつきのIMEだ。

谷歌併音輸入法

だから、Googleが日本語IMEを出しても、谷歌併音輸入法を知っている人からすれば、何の不思議もないのである。ちなみにこれらのフリーのIMEはMSのものよりもはるかに使いやすいので、中国語(簡体字)を入力する人はインストールすることをオススメする。

では、中国での検索最大手の百度はどうかというと、こちらは不思議なことにフリーのIMEを出していないようだ。検索サイトトップシェアを誇る中国では出さず、知名度の低い日本で先に出したということになる。

さらに不思議なのが、今度出たGoogleIME日本語入力は中国語入力IMEの谷歌併音輸入法とは似ても似つかないのに、バイドゥタイプは谷歌併音輸入法にそっくりなのである。

谷歌併音輸入法
google


バイドゥタイプ
百度


まず、ツールバー(でいいのか?)がよく似ている。百度タイプは色が変えられるものの、デフォルトの色はどちらも同じような空色で、おまけにアイコンまでどことなく似ている。

入力状態であることを示す「あ」と「中」のどことなくナサケナイ感じまで似ているようなき気がするが、これは本当に気のせいかもしれない。

しかし、見た目以上に変換の方法がそっくりである。インライン入力(別の窓ではなく、入力する行に文字が出てくること)でないこと、入力するごとに想定される候補を出してくるのはまったく一緒だ。

おそらく、百度はバイドゥタイプでテストして、いずれは「百度併音輸入法」を出そうと思っているのだろう。ほんとうはひっそりやるつもりだったのが、たまたまGoogle日本語入力とバッティングしちゃったので、予想外に話題になっちゃったという感じではないだろうか。

それにしても、Google日本語入力、Operaが落ちる問題なんとかしてください。いまのところバイドゥタイプより使えません。

長々続いたレインボーマンシリーズもこれで終わり。

M作戦編も面白かったが、このサイボーグ作戦編がレインボーマンでは一番の傑作だと思う。

ミスターKも次第に追い詰められてきて、ますます血なまぐさくなってくる。

サイボーグ作戦というのは、ドクターボーグなるマッドサイエンティストが発明したボーグアルファなる薬物によって、一般人をサイボーグにしてレインボーマンを襲わせるという非人道的作戦である。

ドクターボーグは、太平洋戦争当時、家族を日本兵に殺されたという過去を持つ。このとき、ミスターKも「私もおなじようなものだ」と言い、死ね死ね団が執拗に日本人を攻撃する理由がわかる。ドクターボーグが死に際に言った「私が死んでも私の執念は死なない」という言葉が印象的だ。

さて、一般人をサイボーグにするということは、一般人と戦わなければならないのである。ボーグアルファはレインボーマンの解毒の術で解毒することができるのだが、自分の知り合いは解毒するのに、知らない人はボコボコ殺しちゃう。

これには理由があって、解毒の術を使うとレインボーマンはかなり体力を消耗してしまう。だから、どうしても相手を選ばなきゃならないんだけど、見てる方からするとやっぱりコネかよという痛々しい気持ちになってくる。

さすが最後の作戦だけあって、ストーリー的にもかなり見ごたえがある。

たとえば、ここまで敵は死ね死ね団だけだったが、アマゾンの魔女イグアナ(M作戦編に登場)の母「ゴッドイグアナ」と、例によって愉快な怪物たち(さすがにエルバンダを超えるものはいなかった)が登場する。

ゴッドイグアナはレインボーマンの血によって娘を生き返らせるという涙ぐましい理由のため、死ね死ね団とは別にレインボーマンに襲い掛かる。しかし、ゴッドイグアナにとって、死ね死ね団も娘が命を落とす原因になった敵である。時に死ね死ね団に襲い掛かったり、時に手を組んだりして、複雑な構成になっている。

最終回は川内康範やりたい放題だ。やけのやんぱちで東京にミサイル攻撃をしかけてきた死ね死ね団が、レインボーマン自ら処刑台に上るのと引き換えに攻撃をやめるという条件を出す。なんだか『走れメロス』みたいだ。

悩んだ末、国立競技場の処刑台に磔にされるレインボーマン。これまでの記憶が走馬灯のようによみがえる。銃を構える死ね死ね団。そこに落雷がドーン・・・って、これは間違いなく日蓮がモチーフ。ちなみに、川内康範氏は日蓮宗の寺に生まれている。

そして本当の最後、レインボーマンの背後にNHKの放送終了みたいに日の丸がはためく!。さすがに君が代は流れないが、よもやヒーロー物で日の丸を見るとは思わなかったよ。
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「希望学」という学問があるらしい。

東京大学社会科学研究所 希望学プロジェクト

昔、ある人から、どんなことでも文系の学問の対象になったら、それはすでに終わっている分野だと聞いて、なるほどなと思った。

たしかに、人文科学にしろ、社会科学にしろ、過去の例を分析して評価するというのがその本質だから、対象は「終わっている」ことが前提となる。

文学の研究を例に挙げると、雑誌連載中の小説を研究することはできない。この先どうなるか全く分からないからである。

しかし、雑誌連載が終わったとしても、連載直後に研究することはできない。理由の一つは、続編や番外編が出る可能性があることと、単行本に収録される際に作者によって書き換えられる可能性があるからである。

もう一つは、それをどういう人が読み、どんな影響を与えたかも分からないからである。これでは享受史や文学史的位置づけはできない。

つまり、雑誌連載中の小説を研究対象にできるのは、書かれてからかなり後ということになる。

「希望学」なる学問が存在するということは、希望はすでに終わっているとみていいだろう。それも、二流、三流の大学が学生集めにでっち上げた学問ではない。天下の東京大学公認の学問だから事態は深刻である。

今僕たちが感じる希望のなさは、過去の事例をどうこうしたところでどうなるものとは思えない。今まで考えもしなかった、全く新しい発想が必要だろう。それを探すのは学者の仕事ではない。
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なんで突然こんな話を書いたかというと、昨日、やはり平和島の駅で話しかけられたからである。

僕はなぜか知らないおじさん(もしくはおじいさん)の話し相手にされることが多い。過去の事例は↓。もちろん書いていないものもある。

洗足池にて
カワセミとオッサン(その1)
カワセミとオッサン(その2)

今度は前みたいな強面の方ではなく、60歳〜70歳ぐらいのごく普通の男性である。場所柄、町工場の社長と見た。根拠はないけど。

平和島駅のトイレの脇に、灰皿が置いてあって、ここが喫煙所になっている。僕がここでタバコを吸っていたら、トイレの中からおじさん登場。

おじさん「ここは喫煙所かい?」

中川「はい。」

おじさん「久しぶりに平和島に来たら、ずいぶん変わっちゃったなあ。前にここに住んでいたんだけど、今日は友達に会いに来たんだよ」

中川「はあ。そうですか」

僕が平和島に来るようになったのは、去年からだから変わったのか変わってないのかなんて分からない。とりあえず「はあ」というより仕方がない。

おじさん「友達、死んでたんだよ」

予想外の展開である。携帯水没ヤ○ザ同様、平和島で話しかけてくる人はどうにも話の先が読めない。

中川「ええっ。じゃあ警察か何か呼んだんですか?」

おじさん「いや、そうじゃなくって・・・。今年の八月に死んだんだそうだよ。連絡くれないなんて水臭いじゃないか。行ったら死んでたから、写真と2時間話してきたよ」

中川「そうですか・・・それは残念でしたね。誰かが連絡しただろうと思って、実は誰も連絡していないってよくありますもんね」

おじさん「そうだよー。向こうの家族もそう言ってたよ。○○さんから聞かなかったのって。聞いちゃいないよ。あんたもそういうことあるか」

中川「ええ、何度もあります。親しい人ほどそうなんですよね」

これは本当である。お願いだから、誰かが死んだらとりあえず教えてくれ。

おじさん「そういうもんかねぇ。長い付き合いなのに水臭いねぇ。ずいぶん長いこと来られなかったからしょうがないのかね」

中川「ああ、いくら親しくても、遠いとなかなか来られないですよね。お住まいはどちらですか?」

おじさん「六郷土手」

また予想外。平和島が変わったとか、長いこと来なかったとか言っているから、もっと遠くだと思ったのである。六郷土手なら平和島と同じ京浜急行沿線で5駅先(電車に乗って10分ぐらい)である。

中川「じゃあ近いことは近いですね」

おじさん「そう、近いんだけど来られなかったんだよ。うちの野球チームは大所帯で100人ぐらいいるんだよ」

今度は野球チーム?100人の?だからどうした。

おじさん「8月に知ってたら、全員で行ったのに・・・」

いや、それは100人で来られたら困るから言わなかったのでは・・・。

このあたりで、ちょうどタバコを吸い終わったので、「それでは、このへんで」と言ってその場を辞した。

おじさん、誰かに話したくってしょうがなかったんだろうな。最後に「こんな話聞かせて悪かったね」と言っていた。

ある日、僕は平和島の駅を降りて、歩道で信号待ちをしていた。隣に、スキンヘッドにサングラス、ヒゲをはやして妙にハデなシャツを着た50歳ぐらいのオヤジが立っていた。

どう見てもヤ○ザにしか見えないのだが、このへんでそういう人を見かけるのは珍しいことではないので、そのこと自体では心は揺れない。

ところがこのときはちょっと違っていた。なぜかこのオヤジ、携帯電話を閉じたり開いたりしつつ、僕の方にじりじりと寄ってきたのだ。

早く信号が変わってくれないかなーとビビリながら待っていると、ついにオヤジが僕に声をかけてきた。

よう、にいちゃん


「よう、にいちゃん」

周りを見わたしたが、おばちゃんとおじちゃんしかいない。どうやら、「にいちゃん」とは僕のことらしい。

僕は信号待ちをしているだけだ。肩が触れたわけでもないし、屁もこいていない。もしかして、ここハッテン場だったか?そういえば、以前上野で知らずにハッテン場に足を踏み込んで、あわててエビのように後ずさりして逃げたことがあったが・・・いや、駅前の歩道に発展場があるわけない。ならばチャックでも開いているのか・・・開いてないな・・・ならば・・・僕の脳ミソは高速で回転した。

超高速で考えたあげく、これは道を聞かれるに相違ないと結論を出した。聞かれるとしたら競艇場かBIGFUN平和島あたりだろう。どう説明すればいいかな・・・必死に道案内を考え、とりあえず、

「はい?」

と返事したら、その後に続く言葉は全くの予想外だった。

「携帯が使えないんだよ。壊れちゃったのかなあ」

一気に脱力。そんなことをここで相談されても、どうしようもない。それにしても、なぜ僕に・・・。

「今朝トイレに落としたら、使えなくなっちゃったんだよ。こまったなあ。」

そりゃ、間違いなく壊れているよ。それで、僕にどうしろと・・・。しょうがないので、

「あー、携帯は水に弱いですからね。僕も落として壊したことありますよ(ウソ)」

と答えた。

「そっかー、携帯って水に弱いのか」

常識ですよ、と言いたかったが、とてもじゃないけど言えない。

「開けてたのが悪かったのかな」

思わず笑いそうになったが、ここは我慢。相手は困っているのだ。いや、それ以前にヤ○ザだし。

「いや、閉じていてもダメですよ。すぐ電池を抜けば大丈夫なこともあるみたいですけどね。」

びびっていらないウンチクを垂れてしまった。

「そっかー、水に落としたら電池抜けばいいんだな。これはいいことを聞いた。今度からそうしよう」

いや、それ以前に水に落とさないようにしろよ、と心の中で突っ込みをいれたら、信号が青に変わった。

携帯貸せとか言われると面倒なので、すかさず、

「それでは失礼します」

と言って早足で横断歩道を渡った。後ろから、

「にいちゃん、ありがとう」

という声が聞こえた。案外いい人だったのかもしれない。

でも、「よう、にいちゃん」って呼びかけはどうかと思うぞ。

流行語大賞が決定したが、そっちはさらっと無視して、興味があったのはこれ↓。

大賞に選ばれて…「マジでアゲなんだけど」 今年のギャル的流行語トップテン:産経ニュース

記事を読むのが面倒くさい方のために、ランキングの画像をパクって貼っておく。腰ぬかすぞ。

trd0912040800002-p2

興味深いのは、6・7年前だったら、ネラーキモイ!とか言われそうなのが入っていることだ。アゲ・サゲ(意味は違うけど)・ガチ・神がそれである。

よく覚えていないけど「的な」もあったような気がする。そういえば、ちょっと前に流行った(これは本当に流行ったか自信がないけど)KY(空気読めない)の元(空気を読む)も2ch由来ではなかったか。

それが今はギャル語である。時代は変わるものである。

こういうマスコミが発表するギャル語なんてものは、往々にして、実は使ってなかったりするものだが、学校でも「ガチ」と「神」はよく聞く。

僕が一筆手本でも書くと、「先生、神だね〜」とか言われることがあるんだけど、神ならもう少し奉ってほしいものだ。

もう一度ランキングされた言葉を見てみると、「からの〜」はブログ(これよくわかんないんだけど、元は竹原慎二?あれは「じゃあの。」か)、「ATM」と「ムカTK」はメールで、ネットと無関係なのは、2位「チョリーッス」と4位「トゥーッス」、5位「盛り」の三つだけである。

この中で、テレビ由来なのは「チョリーッス」と「トゥーッス」だけだろう。いかにネットの影響が大きく、テレビの影響が小さくなったかが伺える。
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