2010年01月

昔、ある学校で書道を教えた卒業生からメールが来た。用件はある先生の住所を無くしてしまったので教えてくれという他愛のものだが、このブログを読んでいるそうで、

「死ぬまでやってください♪」

と書いてあった。

このブログ、2005年5月に書き始めたのだが、二つ目のエントリにこう書いてある。
それでもまあ、書けなくなったらひっそり消しちゃえばいいさと思って、ひっそりと初めるのである。

実はこれはオオウソで、最初から死ぬまで書こうと思っていた。

だから、

「死ぬまでやってください♪」

と言われたら、

「望むところだ!」

と答える。

僕は自分の書いたブログを後から読むのが好きだ。数年前でも面白いのに、80歳ぐらいの「素隠居」みたいな爺さんになってから、40年前に書いたものを読んだらもっと面白いだろう。

ブログが書けなくなると、閉鎖してしまう人がいるが、僕には理解できない。別に金がかかるわけじゃないんだからコメントとトラックバックだけ閉じて放置すればいいのにと思う。

そう思うので、どんなにヘンなことを書いていても、絶対に削除しない(多少修正はするけど)。その代わり、書くときは、つまらないエントリでもかなりの覚悟で書いている。これ、更新が少ないときの言い訳だけど。

だったら日記でもいいじゃないかと思われるかもしれないが、僕はこのブログで日記を書くつもりはない。日記に見えても、それは「日記的章段」というやつで、断じて日記ではない。そういうものを自分にしか読めないメディア(ノートとか)で書くと続かないものだ。

まあ、そんなこと言ってても、いつまで生きるか分からないし、それ以前にライブドアが逝っちゃうかもしれないけど。ちゃんとバックアップしとかなきゃ。

今月の壁紙は倉敷から。

素隠居1024x768

素隠居1024x768
素隠居1280x1024

この老人の面は素隠居といい、倉敷市の阿智神社の祭礼のときに、御神幸の雌雄の獅子にこれをかぶった若者が付き添うんだそうだ。ちなみにこの写真は「じじ」で、「ばば」もあるが、眉毛があるかないかぐらいの違いしかない。手に団扇を持っていて、これで叩かれると賢くなるとかならないとか。

名前も面白いが、由来も面白い。元禄5年(1692)沢屋善兵衛という爺さんが、年を取って祭礼に出るのが大変になったので、自分の店の若者にこれをかぶらせて代理として行かせたのが始まりとか。若者にしてみりゃいい迷惑である。

囃子言葉があるのだが、これがまたひどい。
すいんきょ、らっきょう、くそらっきょう

子供たちは、これをはやして逃げ惑うんだそうだ。それを団扇でひっぱたくわけだが・・・敬老も何もあったもんじゃないな。

詳しくは、じじばば:倉敷素隠居保存会参照のこと。

倉敷1024x768

倉敷1024x768
倉敷1280x1024

言わずと知れた倉敷の町並み。風景といい観光地化の程度といい、浙江省の紹興によく似ているなと思った。

大原美術館1024x768

大原美術館1024x768
大原美術館1280x1024

近代美術のコレクションで有名な大原美術館。ここに行けば、美術の教科書で見た作品がいくつか見られる。
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被災したハイチに千羽鶴を送ろうという人たちがいるらしい。

ハイチ大地震の被災者に千羽鶴を ミクシィで広がる支援の輪 :MSN産経ニュース

ハイチ地震被災者に千羽鶴を送ろう!活動がmixiで広がる:痛いニュース

さすがにこれはどうなのかなと思った。

これを偽善だとは思わないし、ハイチの人のためを思ってやろうとしていることは分かる。しかし、すでに義捐金を寄付したとか、ハイチの情勢が落ち着いたころに届けたいとか、そういう部分を差っぴいても軽率な感じがする。

ハイチの情勢などはさておき、まず、千羽鶴を送ることが、ハイチ人に励ましと受け取ってもらえるのか、誰に送るのか、全く考えないままやっている感じがするのだ。

もし、本気でやるなら、NPOの力を借りずに代表が持っていくべきだろう。千羽鶴を送るという、日本の文化を説明するのもその人がやるべきだ。

また、ハイチだけに千羽鶴を送っても意味がない。これから災害があったら、そこが世界のどこであろうともやらなくてはならない。そうでなければ千羽鶴を送るという日本の文化は理解されないだろう。彼らにそれだけの覚悟があるのかどうか。そのへんが見えてこない。

ちょっと考えれば意味がない(どころか下手すると相手に迷惑になる)のに、こういうことをしたいと思うのは、お金を出すだけではなく、直接ハイチにコミットしたいという気持ちがあるからだと考えられる。元記事の中村さんの言葉にあるように「日本にいて、何も助けられない自分がもどかしかった」から、せめて自分の折った折鶴に行ってほしいということだと思う。

お金を寄付しても、そのお金が直接ハイチに送られるわけではなく、数字として送られるだけである。どのように使われるかもイマイチ分からない。

だから助けた感覚がない。しかし、お金というのはそういうもので、そのものは紙切れに過ぎず、数字が大事なのだ。その数字があればいろいろなものが買える。だから、義捐金を出すことは十分立派な行いだし、それで十分ハイチの人々を助けていることになる。

どうも日本人にはお金を数字としてではなく、物質として見る癖があるようだ。祝儀には新券でとか、現金は失礼だから商品券とかも同じ感覚だろう。

たしかに、それも日本の文化である。しかし、本当に困っている人には説明しても通用しない文化である。この人たちが考えるべきことは、千羽鶴をいかにして数字としてのお金に変えるかということである。

イギリスでは7歳の少年が自転車で募金を呼びかけ、1900万円の寄付を集めたという。

少年のハイチ支援呼びかけに1900万円!:日テレNEWS
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この少年はハイチを自転車で走ったわけではなく、家の近所(たぶん)を8キロ走っただけだ。それを1900万円に変えてハイチに送るのである。千羽鶴を直接ハイチに送るよりも、はるかに健全な発想だと思う。
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吉備津神社から1キロほど東に行ったところに、吉備津彦神社がある。

吉備津彦神社


昨日のエントリで書いた、吉備津神社と名前がそっくりだが、祭神も同じ吉備津彦命である。

どちらも一宮で、吉備津神社が備中一宮で吉備津彦神社が備前一宮となっている。ちなみに駅も隣あっていてややこしい。大化の改新後、吉備国が分割された際、吉備津神社から勧請したものらしい。

ちなみに、岡山県が桃太郎の発祥の地と名乗っているのは、吉備津彦命(孝霊天皇の皇子とされる)が、鬼ノ城に住む温羅(うら)という悪人を退治し、吉備津神社の釜の下に埋めたという伝説が、桃太郎のモデルになったという説があるため。

温羅はさらし首になっても、吼え続けたので、吉備津神社の釜の下に埋められ、温羅が生前愛した「阿曽女(あぞめ)」に火を炊かせたところ吼えるのを止めたという。それが吉備津神社の鳴釜神事の由来となり、鳴釜神事では今でも神官と阿曽女の二人で神事を執り行うそうだ。

吉備津彦神社の狛犬


こちらは、吉備津彦神社の狛犬。さすがは備前一宮、みごとな備前焼である。

同じ吉備路沿いには備中国分寺がある。これは吉備津神社から西に10キロほど行ったところ。

備中国分寺


ここからさらに北へいくと、雪舟が修行した寺として知られる宝福寺がある。

宝福禅寺


この建物は方丈といい、雪舟が柱に縛られて涙で絵を描いたのはここである。ただし雪舟の時代の建物ではなく、230年前のもの。
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行ってから、もう一月経っちゃったけど、まだまだ続くよ。

長い回廊が印象的な吉備津神社

吉備津神社


吉備津神社は、釜に米を入れて蒸したときに出る音で吉凶を占うという、鳴釜神事で知られる。そして吉備津神社の鳴釜神事といえば、上田秋成『雨月物語』「吉備津の釜」である。

吉備津神社の神官の娘である磯良は、吉備津神社の鳴釜神事で凶と出た(吉のときは牛の吼えるような音がするのに、全く音が出なかった)にもかかわらず、遊び人の井沢正太郎と結婚した。しかし、正太郎の放蕩は直らず、袖という遊女とともに家をでてしまう。残された磯良は、正太郎を恨んで死んでしまった・・・この後は磯良が化けて出るという、秋成お約束のホラーなのだが、この鳴釜神事を行うのが、御釜殿である。

御釜殿


中に入ってみると、壁が煤で真っ黒になっている。この写真でいうと右の方に、かまどがあって、蒸篭(せいろ)がのった釜がある。何故か釜の後ろに巨大なしゃもじがかかっていた。左は板の間になっていて、祈祷を受ける人が座る場所らしい。僕が見たときも、火をたいていた。

写真を撮りたかったのだが、撮影禁止と書いてあったのでやめた。僕たちしかいなかったので撮ろうと思えば撮れたけど、こういう信仰の場では指示に従うべきだろう。ちなみに祈祷料3000円で祈祷してくれるそうだ。

吉備津神社の燈籠


これは吉備津神社の燈籠。赤いのは備前焼だからだろう。備前焼の狛犬は見たことあるが、燈籠は初めて見た。なお、ここの狛犬は石だった。

この後、吉備津彦神社に行ったのだが、吉備津彦神社と吉備津神社の間に、鼻ぐり塚というのがある。

鼻ぐり塚


鼻ぐりというのは、牛の鼻に着いている輪っかのことである。ここには600万頭ぶんの鼻ぐりがうずたかく積んであるらしい。「らしい」というのは受付に人がいなくて入れなかったからである。残念。

鼻ぐり塚については数百万個の鼻輪が奉納されている岡山の「鼻ぐり塚」:GIGAZINEをどうぞ。腰抜かすぞ。
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城つながりで尾道城。

これは尾道駅からも見えるが、観光用の展望台で、もともとここに城などない。その上、今は閉鎖されていて入れない。

尾道城1

見た目はなかなか立派だが、石垣よりも天守の方が大きいのはどういうわけだろう。下から見ると天守が落っこちそうな印象を受ける。

尾道城2

閉鎖されているが、けなげにも足軽が今も城を守る。いや、マジでびびった。

尾道城3

入り口は何故か磁石に・・・。意味がわからん。
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昨日のエントリで書いた、吹屋ふるさと村は見るところが多く、もっと早く行くつもりだったのだが、着いたときにはもう暗くなっていた。理由の一つは、予想した以上に行くのがたいへんだったからだが、もう一つは備中松山城に登ったためである。

備中松山城は高梁市にある山城である。実はこの城、山田方谷三島中洲の仕官した備中松山藩の城である。詳しくは、備中 松山城:ザ・登城をどうぞ。

備中松山城1


これは、駐車場で撮ったもの。この駐車場まで、すでに細い道をかなり登ってきている。

左に城主さまのありがたい「心得」が書かれている。
忘れ物なきよう身支度すべし

ここの城主様は大変慈悲深い人らしく、このあともたびたびアドバイスをくれる。

備中松山城2

松山城へは右手の道を進むべし

しばらくいくと・・・。(立て札の写真はクリックしても拡大しません)
備中松山城3

ああ、一刻も早く城主様にお会いしたい一心で急いでしまった。たしかにこれは危険だ。ゆっくり行こう。

備中松山城5

かたじけない。でもそれは心得ではございませぬ。

備中松山城6

いや、だからそれは心得では・・・。

本当はもっと心得があったんだけど、これしか撮ってなかった。とにかく、城主様さえ気を使うほど、山を登っていかなければならない。さきほどの駐車場から30分ほど歩いてやっと着いた。

道のところどころにウ○コが落ちている。犬のウ○コと同じぐらいの大きさだが、犬がいるとは思えない。見かけなかったが、猿が多く生息しているそうなので、たぶん猿のものだろう。

備中松山城7


備中松山城8


この天守閣は、後に再建されたものではなく、現在12しかない現存天守である。江戸時代の城は廃城令により取り壊されたものが多いが、ここは場所柄、取り壊すのにも相当なコストがかかるため、放置されたらしい。昭和になってから、地元の郷土史家の運動で修復したそうだ。

二層の天守閣で、こじんまりとした印象を受ける。現存する天守では一番小さいらしい。なにしろ山のてっぺんにあるので、二層でもとても見晴らしがいい。

で、意味もなく忍者になったつもりで、石垣を登ってみた。

備中松山城9


それにしても、こんなところまで登らなきゃいけないなんて中洲先生も大変だったろうなと思ったら、江戸時代以降の城主はふもとにある御根小屋(現在の高梁高校)で日常生活及び政務をしていたそうだ。
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さて、再び年末の旅行ネタにもどる。なぜか横溝正史

横溝正史といえば金田一耕助シリーズだが、岡山近辺が舞台になっている作品が多い。これは倉敷市真備町に疎開したためである。
横溝正史疎開宅


横溝がここに住んでいたのは、昭和20年の4月から三年半。
観光地のお約束、金田一耕助の顔出し看板があるって、ここは当然顔を出して写真を撮りたいところだが、残念ながら休館日で中に入れなかった。

疎開地らしく、まわりは田園風景である。

濃茶のばあさん


この写真の左に見えるのが、「濃茶のばあさん」の祠。

濃茶のばあさん2


立て看板の解説には次のようにある。
このちいさな祠は、江戸時代藩家老の奥方が旅路で病に苦しんだとき、茶店の老婆の親切でその地の神社に祈願し、平癒したので帰国後奥方は祠を立て、その神体を勧請したと伝えられ、土地の人は「濃茶のばあさん」としてまつり、供え物が絶えなかったという。

なんで神様が濃茶のばあさんになったのかイマイチよくわからんが、この「濃茶のばあさん」が『八つ墓村』の「濃茶の尼」モデル(といっても名前だけ)になったそうだ。

「濃茶の尼」ってのは「たたりじゃ〜」の婆さんである。僕たちぐらいの世代だと、映画は見てなくても「たたりじゃ〜」と叫んだことのない人はいないだろう。

吹屋


こちらは、高梁市の山の中にある吹屋ふるさと村

なんだか観光用の施設みたいだが、ちゃんと人が住んでいる集落である。写真にあるように、家が赤いのが特徴で、これは、幕末頃から明治時代にかけてベンガラの産地だったため。実は、着いた時間が遅かったため、暗くなっていて、肉眼では赤だか何だか分からなかったけど、こうして写真で見るとたしかに赤い。

2009年12月27日のエントリで紹介した、現在使用されている中で最古の木造校舎もここにある。

ちなみに、ここは『八つ墓村』や『男はつらいよ』のロケ地になったそうだ(あ、どっちも渥美清が主人公だ)。しかし、多治見家の撮影場所になった、広兼邸には時間が遅くて行けなかった。
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中国人が海外でつい口にしてしまう「おバカ」な質問:LivedoorNews/RecordChina

これはちょっと面白かったので解説する。総じてそんなにおバカだとは思わない。

質問1「お湯はありますか?」
中国ではどこでもお湯が手に入るもんね。あれは便利。
電車の中でさえ、給湯器があるか、ヤカン持ったお姉さんが回ってくる。
以前、中国国際航空の飛行機に乗ったときに、ヤカンもったお姉さんが来たから、お湯もらおうと思ったら、実はコーヒーだった。コーヒーをヤカンに入れるな。ややこしい。
ちなみに、日本の場合はコンビニエンスストアにあるけど、何も買わないでお湯だけもらうのはやめたほうがいいかも。僕はもらったことあるけど。

質問2「中国製じゃないものはありますか?」
これは中国人じゃなくてもあるね。
ハイテク機器とかブランド物ならしょうがないけど、民芸品が中国製ってこともある。
ハワイでハワイアンキルト買ったら、見事に中国製だったときは、さすがに悲しい気持ちがした。

質問3「なんでホテルがこんなにおんぼろなの?」
えー!そんなことないだろうと思ったけど、海外旅行に行けるぐらいの金持ちならそうなのかもしれない。
実際のところ海外の3つ星ホテルは中国の招待所(簡易宿泊所)並というのが実情だ。
・・・それは絶対にない。書いたやつ招待所に泊まったことあんのか

招待所宿泊マニュアル参照。

質問4「わたし、差別されているんじゃない?」
お互い様だよね。妄想も含めて。

「これはニセモノですか?」
「値引きできますか?」

行き先にもよるけど、いいんじゃないの?

「公園の入園チケットはどこで売っていますか?」

欧米とか入場無料が多いのかな。日本も入園料が必要なところは多い。

「病気になったら莫大な治療費を請求されるんじゃないの?」

これもいいんじゃない。

「(ホテルの宿泊で)保証金を支払う必要がありますよね?」

中国のホテルは先に宿泊費と同額の保証金を払わなくちゃいけない。
たとえば、一泊300元のホテルに三泊泊まるときは、最初に300×3×2で1800元必要。900元はチェックアウトのとき返ってくる。だから、長期滞在するときは、ホテルの引っ越しをしないと、大量の人民元が帰国する直前に戻ってきて面倒なことになる。
実は、夏、ツアーで中国に行ったとき、もらう必要がない(ツアーだから)のに保証金返してもらおうとしてしまった。

「こちらはわたしたちの幹部です。優遇してもらえませんか?」

しょうがないよね。偉い人と一緒だと。
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あんまりやりたくないけど、自分の作品の作品解説をば。
今回出したのはこれ。

送信者 第16回教員展


意味はこちらをどうぞ。

獅子大開口:北辞郎

買い物をしていて、相手が法外な値段を言ってきたときに使う言葉です。

一見、何やら深い意味がありそうで、実はたいした意味がない文句を、偉そうに書きたかったんです。基本的に僕の作品はオフザケですので。

六朝風の楷書で書いたのは、この言葉が、佛教語の「獅子吼」を想起させたので、いかにも仏教的に仕立てたかったから。本当は六朝の造像記風にしたかったんだけど、力及ばず。シンプルにしました。

もう一つの作品はこれ。

送信者 第16回教員展


あー、ほんとにしょぼいや。
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