2010年02月

品格は嫌いだのエントリを書いたら、直後に国母選手のユニフォームずりさげ事件があった。あれも要するにオリンピック選手としての品格に欠けるということだろう。自民党の河野太郎氏は、このことでルールと価値観:河野太郎公式サイトで、僕と同じようなことを書いている。

品格はルールではない。なぜか横綱の場合は、品格がルールにあるから面倒なことになったが、国母選手の場合はズボンをずり下げてはいけないというルールはどこにもない。なぜあそこまで責められなければならないのか。

ズボンずり下げが気に入らないなら、新たにそれを禁止するルールを作ればいいのである。もちろんルールは遡っては適用できない。今回はルールになかったからお咎めナシ、次はルールができたからずり下げたらダメ。それでいいじゃないか。

後から勝手に品格というルールを作って、それにあわないという理由で怒られたら、国母選手でなくても舌打ちの一つでもしたくなる。まして、ルールに生きるアスリートにはなおさら納得できないだろう。

そういえば、管理教育全盛の時代、髪の毛の長さはどうとか、スカート丈は膝下何cmとか、くだらないとしか思えないこまごまとした校則があった。ああいうのは今でもくだらないと思っているが、「高校生としての品格」とか言わなかっただけマシである。

仮に校則に「高校生としての品格」しか校則に書いていなければ、教師は恣意的に生徒を罰することできるということになる。分かりやすく言えば「おまえ、気に入らない」ということで、これは国母選手叩きに通じるものがあるだろう。

実名で書いているから、具体的にはいえないが、僕は、全くルールどおりの手続きをとったにもかかわらず、慣習を守らなかったために問題になったことがある。この場合、品格が問われたわけではないが、品格と慣習はかなり近いところにある。

そういう慣習があることは知っていた。が、どうしても守れない事情があったのである。慣習は守れないが、ルールさえ守っていれば文句は言えないはずだと思ったのだが、実際はそうではなかった。

ルールには必ず抜け穴があって、意図的かそうでないかにかかわらずその抜け穴を抜けてしまうことがある。帰国のときはちゃんとしていたそうだから、国母選手は意図的抜けようとしたのではなかったのだろう。

そういうときに、ルールを決める側ができることは、抜け穴をふさぐことだけである。抜けたものを捕まえることはできない。いくら気に食わなくても抜けられた側は素直に負けを認めるしかないのである。

実は、先ほど書いた、僕が慣習を破ったことによって問題になった事件には続きがある。

結局そのことはルールにはならなかった。今では、僕のような手続きをしている人は珍しくはない(具体的に書けなくてすみませんね)。要するに、たいした慣習ではなかったということであろう。

慣習だの品格だのってのは、たいがいその程度のものなのである。
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『八つ墓村』のDVDを見ていたら、葬式行列の係りを割り振るシーンがあった。葬儀委員長かなんかが「一、遺影 ○○(名前)」と行列のときに持つ係りの名前を呼ぶのである 

父方の祖母が亡くなったときに、こういう葬式行列に参加したことがある。『八つ墓村』みたいな墓地までの行列ではなく、家の門の前に止めてある霊柩車までの短い行列だった。

この時も、係りが割り振られた。『八つ墓村』と違い、読み上げられたのではなく、自分の持つものを覚えておくようにと紙に毛筆で書いてあるのを見せられた。もちろん僕も入っている。

一、遺影 中川○○
一、香炉 中川××
一、位牌 中川▲▲
一、供物 中川◆◆



一、靏(雨かんむりに鶴)  中川聡

僕の担当は靏だった。

ん?靏???


「靏」って何だ?そもそも何て読むんだ?

素直に聞けばいいのだが、なにしろ僕は国語の先生の上に、博士(文学)様である。オマケに師匠は僧侶。プライドが邪魔して「これ、何て読むんですか」なんてマヌケな質問はできない。

それにしても他の従兄弟なんかは「遺影」とか「香炉」とか、ひと目見ればすぐ分かるものなのに、なんでよりによってこんなわけのわからないのが来ちゃったんだろう。

どうせ分からないだろうと思ったが、藁をもつかむ思いで隣にいた妹に聞いてみた。

「これ、何だろうな。俺のだけ分かんないんだけど・・・」
「ヒエッヒエッヒエッ、兄ちゃん「ツル」だよ、「ツル」!」
「コラ!通夜で笑うな!だから「ツル」って何だよ」
「国語の先生だろー。鳥だよ。鳥!」
「何で葬式で鶴もって歩かなきゃいけないんだよ!だいたいこの字本当に「ツル」でいいのか」
「国語の先生が読めないもの、わたしに読めるわけないじゃん、ヒエッヒエッヒエッ」

ダメだ。藁をつかんだつもりだったが、石だったようだ。

しかし、持つものが分からないのではしょうがない。意を決して、割り振りをした伯父に聞いてみた。

「この「ツル」(小声で・・・みたいな字)何ですか?」
「ああ、それはあれ」

と言って指差したものは・・・

鶴亀燭台:よねはら

読み方は「ツル」で合っていた。燭台の足の部分が鶴になっているから「ツル」というそうだ。今知ったのだが、この形式は浄土真宗大谷派独特のものらしい。

「燭台」って書いてくれればいいのに・・・。
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クマネズミとの戦いに勝利した僕の前に、新たな野生動物が立ちふさがった。ベランダにやってくるハトである。正しく言うならドバトである。

ここに引っ越したときから来ていたのだが、最近ちょっとひどくなっていて、看過できない状態になった。こいつはネズミとは違い、何かをかじったりはしないのだが、とにかく糞がひどい。きれいに掃除しても、3ヶ月ほどすると糞だらけになる。これは健康にも悪いらしい。

最初はハトが来るたびに、ホウキやらサンダルやらを投げつけていたのだが、しばらくすると戻ってくる。そもそも、24時間ハトの番はできない。

挙句の果てには、怒りのあまりサンダル暴投。9階下の地上に落下。下に人がいなかったからよかったが、こんなことを続けていたら面倒なことになる。そこで、対策を考えた。

いろいろ調べたところ、第一歩は糞を掃除することだという。糞を放置すると、ハトがそこはいていい場所だと解釈するそうだ。とりあえず、ベランダの糞をきれいに掃除した(というかヨメがした)。

次は、前回ネズミと戦った経験を生かしてハトを観察。必ず手すりの下をくぐって来ることが判明。それもだいたい位置は決まっている。都合よくネズミ穴をふさぐために買った金網が残っていたので、これを手すりの下に張った。

しかし、敵は羽を持っている。手すりの下からは潜れなくなったので、来る回数は減っているようだが、一旦手すりにとまってからベランダに来るようになった。

これ、一旦別の場所にとまって安全を確認してから目的地へ降りるという、ハトの習性だそうだ。ならば、ここにとまれなくすればよいわけである。というわけで、ハトが嫌う匂いがするというハト避けグッズを置いてみた。

平べったいプラスチックの皿の上にハトの嫌う柑橘系の匂いのするワセリン状のべたべたするものが塗ってある。これを15センチ間隔で置くと、ハトが手すりにとまる際に、これに足を突っ込んで不愉快な思いをする。これを嫌って二度とこなくなるという寸法らしい。

「不愉快な思い」ってのが少々あやしいが、仕掛けた翌日見てみると、たしかに足を突っ込んだ跡がある。ベランダにはそれを除去しようとしたのか、ハトの足跡多数。ただし、本当に不愉快だったかどうかはハトに聞いてみないと分からない。

念のため、手すりにテグスを張った。専用のものもあるようだが、少々お高い(4000円ぐらい)ので木工に使うクランプ(1個300円ぐらい)とテグス(100メートル500円ぐらい)をホームセンターで買ってきた。

すべて装備した写真がこれ↓。

BlogPaint


ブルーシートがかけてある物体は、グランマ号が入ったザックで、この隅がハトにとっては雨風を防げる格好の場所なのである。

実は写真に見えている部分よりも、ずっと手前まで手すりはあるのだが、そちらは全く対策していない。観察からグランマ号周辺を固めればよいと思ったからである。実際、簡単にベランダに入れるのだが、入ってきた形跡はない。今のところ、万物の霊長たる人類の勝利である。

ドバトの先祖は人間に飼われていた伝書鳩やレース鳩である。やたらと人の家に来るのもそのせいらしい。人間のために飼われ、不要になった今は人間に嫌われる存在になった。思えばかわいそうな鳥である。
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西鶴の『日本永代蔵』を読んでいる。

別に金持ちになりたいとか、西鶴に興味を持ったとかではない。出勤前に電車の中で読む本を持っていこうと思って本棚に手を伸ばしたら、たまたま角川文庫の暉峻康隆訳注『日本永代蔵』があったというだけの話である。

近世だし、そんなに難しくないだろうと思って読んでみたのだが、これが恐ろしく難しかった。ナサケナイ話だが、現代語訳付きでないと理解できない。いや、それでもちゃんと読めているかあやしいものである。

西鶴の文章は、省略が多い上に、どこで切れるのかよく分からなかったり、妙な典故を使っていたりして読みにくい。その上、なじみのない商売用語が多く出てくる。ちゃんと理解するには、ある程度経済の知識が必要だろう。

この作品は簡単に言うと、商人が商売を成功させて、金持ちになるにはどうすればいいかを、いくつものエピソードから説いている。

とにかく「豊かになる」というテーマを肯定的に捉えている。三代目が資産を取り崩す話とか、インチキで金儲けするが結局破産してしまう話のように、若干説教臭い場面もあるが、それが決して観念的なものではなく、資本主義を十分に理解して書いているようだ。

暉峻先生の解説によると、『日本永代蔵』は西鶴の作品のなかでも、もっとも読まれた作品だそうだ。今も昔も変わらないんだな。

これ読んだって金持ちになれるわけじゃないのに。そもそも西鶴自身・・・。
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坂本龍馬にイッチョカミってのは高知市のお家芸だが、今年は大河ドラマ『龍馬伝』のおかげで日本各地でイッチョカミが見られる。我が品川区もその一つ。このブログもイッチョカミ。

東海道龍馬がゆく


旧東海道の商店街の入り口にあった柱。何しろ東海道だから行ったのは龍馬だけではない。それにしても、いつの間に・・・。

お次は京急立会川駅近辺の公園でヌメヌメと輝く龍馬像。桂浜の龍馬像のコピーだがFRP製。

龍馬像(立会川)


あまりの安っぽさに、『龍馬伝』イッチョカミで商店街が客寄せで作ったのかと思ったら、台座に「寄贈:高知市 2004.11」と書いてある。つまり、大河ドラマは無関係。結構写真を撮っている人がいる。FRP龍馬もよもやこんな人気者になるとは思わなかったろうな。

龍馬と黒船


何の施設か分からないが、東京都下水道局の施設に龍馬と黒船の絵が・・・。ここに浜川砲台というのがあり、19歳の龍馬はここで警備をしていたんだとか。

それでは今月の壁紙。施設の壁が壁紙ではシャレにならないので、龍馬が黒船を見たという品川の海をどうぞ。

品川の海(1024x768)


京浜運河(1280x1024)
京浜運河(1024x768)

前に見えるのは戦前に埋め立ててできた勝島。ちなみに戦争に勝つから勝島で、隣の平和島は戦後にできたそうだ。これ、タモリ倶楽部で得た知識ね。

もちろん、龍馬の時代は海だった。考えるな、感じろ。
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なんか知らないうちに書道ブームらしいんだけど、この書道は僕の知っている書道とは違うものらしい。

書道パフォーマンス甲子園
書道ガールズ甲子園

この書道パフォーマンスとやらには、釈然としないものを感じる。

一生懸命やっている高校生には悪いけど、なんで踊りながら筆で字を書かなきゃいけないのか分からない。踊りたいならダンスとかチアリーディングでいいじゃん。

それ以上にもっと分からないのが、同じようなパフォーマンス・作品ばかりだということだ。何で「新しい書道のカタチ(書道ガールズ甲子園)」なのに、「でかい字+漢字仮名交じり」みたいな様式が出来上がっているのか。まるでどこかの社中みたいである。

例えば、大きな字は一切書かず、皆でちまちま小字を書くチームがあってもよい。仮名を縦横無尽に書くチームがあってもいいはずだ。

どうせ踊るなら、暗黒舞踏みないなのを踊りながら書くチームがあってもいい。書いているやつ以外直立不動なんてのも面白そうだ。書いている文章だって、ひたすら暗いものを書いたり、意味不明の雄叫びを書いたっていい。

端的にいうと、この書道パフォーマンスには芸術の欠片も感じられないのである。もっと分かりやすく言うと面白くない。そもそも、書道はスポーツじゃないんだから勝ち負けとか言うなよ。

もちろん、高校生に罪はない。悪いのは仕掛けている大人である。彼らの作品を見ると、仕掛け人の素性がなんとなく分かるのがまた気持ち悪い。

残念ながら、アイディアがよろしくないので、これはすぐに廃れると思っている。それ以前に、本当にブームなの?コレ。
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「読んだ」としたのは、この本が写真集だからである。ただ、写真それぞれがストーリを感じさせ、解釈を楽しめたので「読んだ」とした。

梅佳代氏の写真集は、最近高校の図書館で初めて見た。『男子』である。これが面白かった。



その名のとおり、「男子」の写真集である。

男子がかならずしも子供を指すのではないとか、そういうのはどうでもいい。男子はスカートめくりをしなくてはいけない。あれは別にスカートの中が見たいのではなく、めくらなきゃいられない習性なのだ。男子は掃除中にほうきでチャンバラ(ちりとりを盾にする)をして女子にしかられなければならない。あれもチャンバラがしたいのではなく、そういう習性なのだ。

『男子』はそういうバカまるだしの「男子」がてんこもりの写真集(スカートめくりやほうきチャンバラの写真はないけど)で、これはいいところに目をつけたなと思った。

しかし、仮に僕がこのテーマを思いついてもこんな写真は撮れそうにない。こういう写真を撮れるのは、梅氏がスカートをめくられる意味での「女子」だからだろう。

僕は以前、大田区のある公園で一眼レフをぶら下げて歩いていたら、遊んでいた小学生女子から「あの人キモーイ。カメラ持ってる!」と言われたことがある。

思わず「男子」になって「お前らなんか写さねぇよブサイク!」と言いたかったが、大人なんでやめておいた。ちなみにそのブサイクは↓の写真の左の方で遊んでいる誰かである。Upしたった!ざまあ見ろ!

ブサイク


話がそれたが、『男子』が面白かったので『うめめ』を買ってみた。ちなみにこれ、2006年度の木村伊兵衛写真賞受賞作品である。



『うめめ』はスナップショットの写真集である。一見、面白投稿写真みたいな笑える写真が多いが、それぞれにいろいろな解釈をすることができる。

例えば、部屋と廊下を仕切る衝立の上からピンク色の突起みたいなのが出ている写真がある。天井に電光掲示板があり、「目が腰を抜かし、頭が舌を巻く」と意味不明の言葉。ページをめくると、衝立の向こうからピンク色のあいつが登場。突起はあいつの頭だったわけだ。着ぐるみで笑顔のあいつなのに、何故かバツがわるそうだ。

こんなのどう撮ったんだかさっぱり分からない。まさかノッポン控え室と分かって待っていたのではあるまい。ノッポンを仕込めばできないことはないが、衝立の上から頭が出るなんて発想はなかなか出てこない。これはすごい。

頭にゴハン粒を付けた髪の薄いオッサンが携帯電話をかけている写真がある。このオッサンは何で頭にゴハン粒がついているのか?寝ながらご飯をたべたのだろうか。すると、女房にでも逃げられたか。携帯でなんの話をしているのか。

サインするためにマジックを持って構えている戦隊物のヒーローがいる。何故か股を広げている。「早く帰りてえなあ」というマスクの下の声が聞こえてきそうだ。

他にも「折口信夫生誕の地」の石碑のわきで幽霊の真似をする女の子とか、単に犬がウ○コしてる写真とか、そんな写真が適当に並べてある。この適当な感じがまたいい。わけわからないけど、ついストーリーやら突っ込みやらを考えてしまう。

たぶん、自分が面白いと思った写真を並べているだけなんだろうけど、この感性はちょっとないと思うよ。だいたい、こんな写真、毎日カメラもってても撮れないし。
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使っている端末のバッテリーが弱ってきたので、買い換えることにした。

Willcomの端末はいい意味でも悪い意味でもヘンなのが多い。そこで、実用的かつヘンなのをと思って、willcom9の黄色を買った。

見た目は色のせいか、でかいLEGOみたいである。閉じた状態では携帯(PHSだけど)端末に見えない。ちょっと見ないデザインなので、使いにくいかなと思ったが、そのへんはよく考えられているようで、それほどでもなかった。ただし、長電話するとちょっと耳が痛くなる


IMGP8058-1


左側は今まで使っていた、初代京ポンことAH-K3001V。これも決して大きくはないのだが、これに比べてもかなり小さいことが分かる。

ちなみに、僕が端末を選ぶ条件は、できるだけ小さいことである。小さければ小さいほどいいのだが、ストレートはだめ。ワイシャツの胸ポケットからはみ出してしまうからである。

IMGP8069


開けるとこんな感じ。両手で開けると開けやすいが、片手だとあまりにぴったり閉まっているので開けにくい。

IMGP8060


側面から見たところ。厚みがあるように見えるが、実際にはAH-K3001Vよりも薄い。横にしても立つのが面白い。光モノは側面の小さな青色LED一つだけなので、机に置いておくときはこの状態にしている。

これであとライターが付いていれば最高なんだけどな。
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タイガー・ジェット・ドルジなんてネタを書いたら本当に引退しちゃったんでびっくりした。覆面力士計画は着々と進行しているようだ。

で、たぶんタイガー・ジェット・ドルジ・・・もとい、朝青龍も嫌いだろうし、僕も大嫌いな言葉に「品格」という言葉がある。誰かがつまらない本を出したせいで、この不愉快な言葉がやたらと聞かれるようになった。

そもそも「品格」というのは努力して付けるものじゃなく、自然と出てくるものだ。「あの人には高僧としての品格が感じられる」とか。その高僧は品格をつけようとして僧になったわけじゃないだろう。第三者が「品格を付けろ」とか「保て」なんていうのはナンセンスである。

「品格」は「ルール」とは違う。「ルール」は最初から明文化されているから、仮にルールを知らなかったとしても違反すればそれは違反だ。知らなかったは言い訳にならない。

「品格」は明文化されていない。「品格が・・・」という人によって感じるか感じないかというだけだ。その基準も人それぞれである。ルールと違って確かめようがない。

声のでかい奴が勝手に品格の条件を考えて、「品格がない」とか言う。絶対に勝てる後だしじゃんけんである。

朝青龍は横綱としての品格に欠けるとよく言われたが、人によっては(特に直接会った人によっては)朝青龍に品格を感じる人もいたんじゃないだろうか。

これは伝染して、最後には「品格」なんか気にしてなかった人まで「品格が・・・」なんて言い出す。そういうあなたは自分の品格を考えて行動しているのか。自分の品格を棚に上げて、人を非難するとは気が強えぇな。

要するに「品格」なんて、価値観の問題なのである。みんなが同じ価値観なんてことはないし、そんなのを押し付けられるのはごめんだ。

もちろん、タイガー・ジェット・シンがマスクマンでないことは知っているよ。
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朝青龍やばいね。

しかし、どんなに憎まれようとも朝青龍がいなければ大相撲の人気低下は免れない。だから協会も弱腰なわけだ。

まず、朝青龍はとりあえず引退させて、モンゴルに帰ったことにする。

来場所の千秋楽、結びの一番で、一人の覆面力士が青龍刀を咥えつつ土俵に乱入。

「その取り組み、ちょっと待った〜!」

あっけにとられる観客の前で、二人の力士をあっさりと投げ飛ばす(もちろん八百長)覆面力士。

これが謎の覆面力士、モンゴルの怪人、タイガー・ジェット・ドルジ誕生の瞬間である。

朝青龍はモンゴルに帰ったのだから問題ない。もちろん、タイガー・ジェット・ドルジの正体を探るなんてヤボはなしの方向で。

このシナリオどうよ。内館センセ。

【追記】
本当に引退しちゃったよ・・・。
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