2010年04月

耕耘機(こううんき)を買った。

HONDA FH220

僕が使うためではなく、父への古希記念プレゼントのためである。父と(母もいたけど)買いに行った店で試運転してもらったので、(たぶん僕が使うことはないが)耕耘機を動かす手順を書いておく。

1. 燃料コックを開く。
使い終わったら閉める癖をつけておけと言ってた。なんでか知らんが。

2.チョークを始動側にする。
チョーク懐かしい。最初に乗っていた軽自動車に付いていた。
チョークってのは、燃料と空気の比率を調節する弁のこと。最初は燃料を濃くして始動し、エンジンがかかったらもとに戻す。寒い時期には特に重要。
今の車はオートチョークといって、自動的に調節しているので分からないかもしれないけど、寒い日の始動直後に回転数が上がるのは、チョークのせい。

3.エンジンスイッチON。
たぶん、1の前でも2の前でもいいと思う。

4.スロットルを開ける。
スロットルを「始動」の位置にする。
スロットル(アクセルとほぼ同義)はママチャリの変速レバーみたいな感じになっていて、これで回転数を決める。耕している最中はあまり動かさないものらしい。

5.ヒモみたいなの(始動グリップというらしい)を引っ張る。
さて、これでエンジンがかかりました。バババババ。

6.チョークを運転側にもどす。
忘れがちなので、忘れないように。
寒い日はエンジンが暖まってから。

7.スロットルで好みの回転数にする。
本当はエンジン回転数調節レバーというらしい。

8.クラッチレバーを引く。
ハンドルについている自転車のブレーキみたいなの。
これを引く(握る)と動力が伝わり、ローター(耕す部分)が回る。

9.耕す。
まあ、適当に。

止めるときは、エンジンスイッチをOFFにするだけ。

長く使わない時は、タンク以外のガソリンを抜かなければいけないそうだ。燃料コックを閉めて、ドレインプラグをはずせば抜ける。燃料コックを開けたままはずすと、ガソリンが全部抜けちゃうので注意。
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一部で、やずや(黒酢がどうので有名なあの会社)の採用試験が話題になっている。

選考に落ちたものに「やずやへの思い」を氏名、大学名入りでYoutubeにUpするというものだ。実際、Upした人がいて、Youtubeで見ることができる。

やずやの採用試験ブラックすぎワロタwwww:ニュース2ちゃんねる
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もちろん、敗者復活戦なんて悪趣味(僕はこれは問題だと思う)だし、少々頭の悪い感じがしないでもないが、そんなこといったら日本企業の採用試験なんてたいがい頭悪そうなので置いておく。そういうことを差っぴいて、一体何がブラックなんだかよく分からない。

はてブやYoutubeのコメントを読んでみると、世界中から見られるYoutubeに顔と名前と大学名をさらせという課題に批判が集まっているようだ。

ようは、プライバシーの侵害を強制されているということらしい。しかし、その程度のことができないでどうして社会人になれるだろうか。仮に営業職を募集しているなら、Youtubeに顔と名前が出るのを恐れるような新入社員は役に立たない。テレビの取材が来たら覆面でもするつもりか。

批判している人は、顔と名前を隠して社会人になれると思っているのだろうか。工場勤務ならできるかもしれないが、大部分の仕事はできないだろう。

そもそも、これは選考に落ちた人全員にUpしろと言っているわけではない。コントロールできるプライバシーなのである。顔を出したくない人はあきらめればいい。なんにも問題ないじゃないか。
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日曜日、ひこにゃんに会いに彦根城に行ってきた。本当は、法事に行ったついでなんだけど・・・。

彦根城の駐車場につくやいなや、ひこにゃん音頭が流れている。実は今も脳内で流れている。

「ひこにゃん、ひこにゃん、ひこにゃん、にゃん」

愛嬌をふりまくひこにゃん

彦根城天守閣前で愛嬌をふりまくひこにゃん。

鈴を見せびらかす

なぜか観客に鈴を見せびらかすひこにゃん。なにがしたいのかイマイチわからない。

ライバルせんとくんは、かなりアクティブに踊るらしいが、ひこにゃんはかなりゆっくり。それに動きがいちいちヘンだ。一見やる気がなさそうだが、結構長い時間やっていたので、やる気がないわけではないようだ。

こんな感じで、しばらくわけのわからないパフォーマンスをしていたひこにゃんだが、突然表情が変わった。いや、写真では相変わらずとぼけた顔をしているが、たしかに変わったのだ。

ずらり抜きひこにゃん

刀をずらり抜きするひこにゃん。兜はだてじゃない。突然動きが機敏になる。そして・・・

観客に斬りかかるひこにゃん

観客に斬りかかるひこにゃん。阿鼻叫喚の嵐!
観客はあらかじめ係員の人から「ケリなどを入れてはいけません」と言われているので、なすすべもなく斬られる。

帰るひこにゃん

何事もなかったかのように帰るひこにゃん。彦根城天守閣前は死屍累々、血の海である。(多少誇張しています)

ちなみに、ひこにゃんのモデルになったのは、東京都世田谷区の豪徳寺の猫。彦根藩第二代藩主・井伊直孝がたまたま通りかかった豪徳寺で、住職が飼っていた猫が手招きをしたので、直孝は寺で休憩をした。すると程なくして雷雨。招き猫の由来ともされるが、ひこにゃんは東京出身とはしらなかった。そして、兜は直孝の兜に由来する(彦根城博物館蔵)。
井伊直孝甲冑


ひこにゃんもいいけど、滋賀県といえば信楽のタヌキも忘れないでね。
信楽タヌキ
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ネタはあるんだけど、新学期に入ってから、忙しくて更新している暇がなかった。とりあえず、今月の壁紙でお茶を濁す。

まずは、輪島の千枚田から。いわゆる棚田である。

千枚田(1024x768)

千枚田(1024x768)
千枚田(1280x1024)

田植えの季節でも、刈り入れの季節でもなく、天気が悪かったので、なんとなく寂しげな感じがするけど、これはこれでいいのかな、と。

次はこれ。

間垣(1024x768)

間垣(1024x768)
間垣(1280x1024)

これは間垣(まがき)といって、風除けのため、家の周囲にめぐらされた竹製の垣根。

風のつよい能登半島の民家に多く見られる。太い竹で作られたものと、細い竹のものがあって、こちらは細い竹バージョン。
猿山岬近辺で撮影。

オマケ。石川県で知らない人はいないという、まっちはっちの町八家具。写真そのものは大変汚いけど、一部で有名なんで、とりあえず壁紙サイズにしてみた(でも面倒くさいから一種類だけ)。
町八(1280x1024)
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五右衛門風呂の記憶で、子供のころ入った五右衛門風呂のことを書いたが、今度の北陸旅行で実際の五右衛門風呂と対面した。

この五右衛門風呂は使われているものではなく、三国(福井県)の旧岸名家にあったもの。

五右衛門風呂1


この写真では大きさがイマイチわからないが、一人がやっと入れる大きさである。構造上そんなに大きなものが作れるわけはないので、僕が入ったのもこれぐらいの大きさだったろう。祖父と二人で入ったのだから、僕がいかに小さかったかが分かる。

風呂の内部について、前のエントリで、
では、一日目はなぜそのまま入れたのか。これはずっと後に聞いたのだが、この五右衛門風呂には底のほうにツメがついていて、中で浮き蓋を回転させると引っかかるようになっていたそうだ。二日目は一番風呂だったので、浮き蓋が浮いたままだったのだろう。

と書いたが、このツメと浮き蓋も見ることができた。
五右衛門風呂内部


突起に浮き蓋の切り欠きをあわせて沈め、中で少し回転させると、浮き蓋が突起に引っかかって浮き上がってこないという寸法だ。この写真は(お湯は入っていないが)沈めて回転させたところ。

風呂の外はこうなっている。
五右衛門風呂2

木の蓋がついているのが焚き口で、ここから薪を入れて焚く。材木商だから薪はいくらでもあっただろう。五右衛門風呂は効率のいい風呂なので、比較的簡単に沸くようだが、それでも所に焚き口があると、そうとうな重労働だっただろう。

僕が入った五右衛門風呂の焚き口がどうなっていたか、さすがに記憶にない(というより、たぶん見ていない)が、体を洗う場所はこんな感じで狭くて、すのこがおいてあったように記憶している。もちろん、シャワーなんてしゃらくさいものはなかった。

この風呂では喜多さんが下駄で暴れたぐらいでは底が抜けそうな感じがしないが、弥次喜多が入ったのは形式が違う。『東海道中膝栗毛』には挿絵があって、こちらはかまどの上に直接木の桶が乗っていて、本文には
土をもつてかまをつきたて、そのうへゝ、もちやのどらやきをやくごときの、うすぺらなるなべをかけて、それにすいふろおけをきけ、まはりをゆのもらぬよふに、しつくいをもつてぬりかためたる風呂なり

とあるので、木桶の下に中華鍋のような薄い平たい鍋があったらしい。
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北陸地方に旅行に行ってきた。

そのへんのことはまた改めて書くが(ネタは大事に使わないと・・・)、羽咋市で折口信夫(釈迢空)の墓を発見した。もちろん発見したといっても、土に埋もれているのを発見したわけではなく、もともとそこに行く来はなかったのだが、たまたま通った道すがら「折口博士父子の墓」という看板を見つけたのである。

この墓、とても不思議な場所にある。なにが不思議かってのはうまくいえないけど、とにかく墓地の全景を見て欲しい。写真からも「気」みたいなものが感じられると思う。

折口信夫・春洋墓のある墓地


この写真の中心付近に白い柱が立っていて、その右側に真四角の墓が見える。この墓が折口信夫と弟子春洋の父子墓である。

近寄ってみると、これがまた変わっている。変体仮名を多く使った散らし書き風なのだが、「折口春洋」「父信夫」「墓」が楷書で書かれていて、妙な迫力がある。

折口信夫・春洋墓

もつとも苦しき/たゝかひに/最くるしみ/死にたる/むかしの陸軍中尉/折口春洋/ならびにその/父 信夫/の墓


父子とあるが、血のつながった親子ではない。折口春洋は旧姓を藤井といい、國學院での折口信夫の弟子で、18年間共に暮らし、昭和19年に養子になった。

昭和19年の時点で、すでに硫黄島の戦場におり、20年3月19日に38歳で戦死したという。この墓がここにあるのは、ここが春洋の故郷だからである。

この墓ができたのは昭和24年7月。折口がこの墓に入ったのは、その4年後の昭和28年12月だった。

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