2010年06月

昨日、PK戦でパラグアイに負けて、日本のワールドカップは終わった。

サッカーには詳しくないので、日本の活躍がどうだとかはいえないし、監督・選手がどう思っているか知らない。ただ、結果だけ見ると、もう十分すぎるほど良い結果だった。

実は今回のワールドカップ、僕はあまり関心がなかった。まあ、いつもみたいに、マスコミがむりくり盛り上げて、結果はしょぼいんだろうぐらいにしか思っていなかった。サッカーに限らず、これまで何度も「盛り上げてダメ」パターンにはまってきたからである。

これは僕だけではないようだ。前回のワールドカップ(ドイツ大会)では、やたがらすナビのページビューが異常に上がった。普段は100前後(当時)だったのが、大会期間中は400〜500程度、日本の試合のときは1000から1500まで跳ね上がったのである。

2006年06月13日 意外なワールドカップ効果
2006年06月19日 意外なワールドカップ効果2

これは「やたがらす」という言葉で検索して来た人がそれだけいたということである。日本代表のシンボルが八咫烏だったからだが、だからといって試合の日にこのキーワードで検索するというのはヘンな話である。

当然今回もワールドカップバブルが期待されるが、残念ながら、今回は普段のページビューと全く変わらなかった。当時と違い、現在はアクセス解析をつけているが、「やたがらす」で検索してきた人はそれほど多くない。

4年前と比べると、Googleで検索して表示される順位は少し低くなっているから、少なくなるのは不思議ではない。しかし、全く増えていないということは、四年前ほど注目されていないということだろう。

しかし、考えてみれば、試合の日に代表のマークをキーワードにして検索しているなんてのは、普段それほどサッカーに関心がない証拠である。そういう人まで盛り上がっていたのだから、あれは異常事態だったのだ。そして、そんな盛り上がりはいらない。

日本代表はいい試合をした(たぶん)。そして、今年の日本人はいい盛り上がり方をしたんじゃないかと思っている。

僕は万年非常勤講師という立場ながら、高校に(ほぼ)自分の部屋を持っている。今行っている学校に書道の教師は僕しかいないからである。僕の師匠なんか、後に名誉教授にもなったのに、ずっと別の先生と相部屋だったのだから、ありがたい話である。

僕の部屋というのは、書道室と準備室である。準備室は本当に僕の部屋みたいなものだが、書道室は授業をやる場所なので、生徒がいろいろ忘れ物をしてくれる。

食いかけの弁当箱だとか、ジュースが半分残ったペットボトルだとか、こ汚い携帯電話だとか、たいがいロクなものじゃない。その中で一番多いのが筆記用具である。

これも、壊れたシャープペンシルとかロクなものじゃないことが多いのだが、今日、唯一置いていってくれてありがとうといいたいものを置いていってくれた。三菱鉛筆のボールペン、ジェットストリームである。

いまやボールペンはゲルインクまたは水性インクが主流になり、油性インクは支給される安物ボールペンというイメージになった。新製品らしい新製品もほとんどでない。しかし、ジェットストリームは油性である。

僕が使ったのは一番安いもので、ゴムのグリップがついている。これは非常に握りやすい。太さもちょうどよく、無駄な力が入らない。カタログを見ると「アルファゲル搭載」なるものがあるが、これはどうだろう。

僕はこのゲル入りグリップというのがどうも嫌いだ。力が入れにくいのだ。太さも無駄に太い。気のせいかもしれないが、字の下手な生徒に限ってこれを使っているように思う。

ジェットストリームはノック式である。ノック式というのは蓋がなくならなくっていい反面、カチャカチャと動いて安定感に欠けるものがあるので、敬遠しているのだが、これは全くガタがなくしっかりしている。なかなか細かいところまで行き届いてるなと思った。

さて、問題は書き心地と書いた後の色だ。これが「クセになる、なめらかな書き味」の言葉どおり、びっくりするほど滑らかである。

上質紙(コピー用紙)では紙の抵抗を全く感じない。まるでアート紙に書いているようだ。たぶん、ジェルインク・水性を含めて、今売られているボールペンの中でもっとも滑らかなのではないだろうか。更紙のような抵抗の大きい紙で書いても十分滑らかに書け、水性とちがってにじまない。

これで書いた後、愛用のパイロットV-CORNで書くと、やけにガリガリと引っかかるように感じる。断っておくがV-CORNも十分に滑らかである。

ただし、ジェットストリームは少々滑らか過ぎるように感じる。これだけ滑らかだと、長く書いたときの疲労はかなり少ないだろうが、書きやすさという点ではもう少し抵抗があったほうがよい。書体で言えば、行草向きといえようか。

色は普通の油性ボールペンに比べれば黒いが、やはり油性の色である。水性やジェルインクの「黒さ」には及ばない。

油性ボールペンの色というのは、なぜか字が下手に見える。なので、書写検定を受ける生徒には、ゲルインクか水性を薦めている。これは黒いぶん普通の油性ボールペンよりはマシだが、やはりゲルインクや水性に比べると見劣りする。

とにかく滑らかに書きたい人や、ノートや原稿など長い文章を書くというのにはぴったりだが、履歴書や手紙など、人に見せる文書を書くのにはあまり向いていないかもしれない。
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今月の壁紙は祇園祭。

この写真は2004年に撮影したもので、当時持っていたデジカメでは解像度が足りず、1280×1024のは1024×768のをむりやり引き伸ばしているのでちょっとショボイ。

祇園祭1(1024x768)

祇園祭1(1024x768)
祇園祭1(1280x1024)

祇園祭・放下鉾(1024x768)

祇園祭・放下鉾(1024x768)
祇園祭・放下鉾(1280x1024)

上の写真はどこで撮ったのかよく覚えていない。下のはバグダッドにフクロウの見送りでおなじみ(おなじみか?)の放下鉾。ググッて調べた。

このときの祇園祭には思い出がある。

祇園祭には一度行きたいと思っていたが、なにしろ混むし、この時期、試験なんかで一番忙しい時期なので、行けなかった。まあ、今行かなくっても、そのうち行けるだろうと思っていたのである。

ところが、たまたま京都のある高校で公募があって、「京都もいいなあ」と思って履歴書を出してみたら、面接があるから来いと言われて行ったのだ。

いかに新幹線が速いとはいえ、日帰りというわけにはいかず、ホテルを取ろうとしたが、なぜか夏休み前なのに空室のあるホテルがない。なんとか亀岡のやたらと狭くて暗いホテルがとれた。

当日、京都に着いてホテルが空いていない理由が分かった。祇園祭の山鉾巡行の日だったのである。

この季節の京都は非常に蒸し暑い。それに加えて、大変な人ごみである。いつもだったら、Tシャツ短パンで行くところだが、なにしろ面接の後なので、スーツを着て見に行った。

もし、ここで就職できたら、毎年見られるななんて思っていたが、結果はダメだった。面接の前、北野天満宮にお参りしたのに。
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定時制の給食で、サラダが出た。このサラダ、寒天みたいなものが入っている。この歯ごたえ、これは間違いなくアレだ・・・アレ?なんて名前だっけ?カタカナだったのは間違いないんだが・・・。

ブブゼラ

違う!それは南アフリカのアレだ。

僕はこれを初めて食べたときのことを覚えている。友人とファミリーレストランに入ったとき、サラダバーにこれがあったのだ。

あまりに奇妙な食感だったので、これは何だと議論になった。たぶんイカをどうにかしたものだろうというまったく見当違いの結論だったのだが、後日これが大流行して正体が分かった。名前は、

ブブゼラ

ちがう!

場所は柏のVolksだった。そこまで覚えているのになぜでてこない。

これはフィリピン産で、椰子の実のなにやらを発酵させて作る。バブル期に日本で大ブームになったので品薄になり、フィリピンの農家が増産するために投資したら、一気に熱が冷めて彼らは大損した。名前は、

ブブゼラ

違う!

ブルセラ

それはブルマーとセーラー服だ!

ベルゼブブ

ハエの王!

いくら考えても出てこないので、やむを得ず生徒に聞いた。

「今日のサラダに入ってた四角いの何ていうんだっけ?」

「え?肉?」

ちがーう!そもそもサラダに肉は入っていないし、いくらボケても肉は忘れない。

その後、この生徒によって答えが分かったのだが、あまりに「ブブゼラ」と似ていないことに驚愕した。
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全部読んでから「読んだ」にして書こうと思ったけど、我慢できないので今書く。これはまぎれもなく名著である。復刊ドットコムのリクエストから復刊が決まったようだが(もとは旺文社)、恥ずかしながらこの本知らなかった。

小西甚一『古文の読解』(ちくま学芸文庫)はいわゆる学参(学習参考書)である。昔の(といっても80年代)学習参考書に名著が多いのはよく知られているが、これは飛びぬけている。そしてなにより読みやすくて面白い。『古文の読解』は一言で言うなら学問的態度で書かれた学参である。

例えば、はしがきにこんなことが書いてある。
この本をお読みになる諸君は、大学の入試を気にしていられるだろう。気にするなという方がむりだから、わたくしは、入試で合格点の取れる古文学習を紹介しようとする。しかし、それは合格点を取る要領であって、満点を取る方法ではない。よく考えてみたまえ。満点なんて、取ってみたところでどれだけの使い道があるか。合格さえすれば、後は自分の専門で、のびのびと成長してくれたまえ。点数などにビクビクしているようでは、とても二十一世紀の日本を背負う人材にはなれない。

こんなことを書く学参が他にあるだろうか(あったらすみません)。

学参なんてハッタリでも、満点を狙うものだ。満点を狙って8割正解すれば、それでいいというのが普通の学参の考え方だろう。だから、この問題はこれが正解と書いてあるのが学参の常識である。言葉を換えて言うと、記憶に頼るのが普通の学参である。

ところが、この本は記憶に頼っていない。解釈だろうと文法だろうと、考え方の筋道が説明されている。語呂合わせで古文単語を暗記するなんていう、愚にもつかない方法はそこにはない。

章立てもよく考えられていて、第一章は「むかしの暮らし」として、平安時代をたたき台にして、現代とはちがう「むかし」の文化を解説している。もちろん、平安時代をたたき台にする理由もちゃんと書いてある(もちろん入試に出やすいなどというくだらない理由ではない)。

文化は古文の読解では軽視されがちである。特に、受験のためとなると、文化よりも文法とか語彙の方がどうしても重視されてしまう。しかし、文化が分からないと正確な解釈はできないし、「むかし」の人の心情なども理解できない。これは古文に限ったことではなく、外国語もそうだろう。第一章が文化から始まるのは、筆者が語学に堪能でアメリカの大学に在籍していたからかもしれない。

第二章は「むかしの感じかた」と題し、「あはれ」とか「をかし」「幽玄」「いき」などの、抽象的な概念について解説している。もちろんこれらも「あはれはこういう意味」式の暗記ではなく、いくつもの用例を挙げて帰納的に解説している。必要とあれば英語も交えてあってとても分かりやすい。

第三章は「むかしの作品」である。ジャンルと文学史について解説している。ジャンルというのは非常に微妙な部分で、観念的な思考に陥りやすい分野だが、とても論理的に説明されている。ジャンルから文学史という流れも自然である。一番暗記ものになりやすそうだが、そうならないところがすごい。

第四章「むかしの言い方」に至って、やっと文法が出てきて、最後の第五章「解釈のテクニック」で解釈となる。

実はまだ「むかしの言い方」の途中までしか読んでいないのだが(文法苦手なんで時間がかかる)、この章立ての流れは古典を解釈する際の基本である。

ちょっと難しいかもしれないが、高校生でも(もともとは高校生用なんだけど)ゆっくり読めば読めるだろう。まあ、研究者の方は今更必要ないかもしれないけどね。

というわけで、古典を読むすべての人にストロングバイ。
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本当に不思議でしょうがないんだけど、すでに住所とか電話番号は知っているのに、メールアドレスを教えてくれなかったり、あることさえ言わない人がいる。

電話番号は教えないが、メールアドレスは教えるというなら分かる。不都合があれば、メールアドレスは変えてしまえばいいからだ。

もちろん、電話番号だって変えようと思えば変えられるが、手間がかかるし、変えた後の番号を周知するのには費用も時間もかかる。メールアドレスだったら、新しいアドレスを教えたい人に一斉送信すればいいのだから簡単だ。

そこまでいかなくても、電話ではかかってきて出ないわけにはいかないが、メールだったら見ないなり、返信しないなりいくらでも手段がある。自分のプライバシーを守るという観点からいうと、どう考えても、どう考えてもメールアドレスを教える方が、電話番号を教えるよりも優先である。

いちどそういう人に、メールアドレスを教えない理由を聞いた事がある。「怖いから」だそうだ。何が怖いのか聞いてみたが、どうも流出するのが怖いらしい。しかし、これは変な話で、流出するのが怖かったら、誰にもメールアドレスなど教えられなくなる。

不思議とこういう人は通販会社なんかよく利用していたりする。個人より、通販会社の方が安心というのはかなりおかしなことである。

そもそも、メールアドレスの流出そのものはそれほど怖くない。アドレス自体が分かっても、誰のアドレスかわからなければ悪用する人にとって意味がないからである。せいぜいトンチンカンなSPAMが来たりするだけだろう。

本当に怖いのはメールアドレスとそのほかの個人情報(性別・住所・職業など)が同時に流出することである。したがって、個人にメールアドレスを教えるよりも、通販会社などのサイトに住所などとともにメールアドレスを登録した方がよほど怖い。

こういうちぐはぐな状態になるのは、よく考えずにインターネットを使っているからだと思う。安全にインターネットを使うのに一番必要なのは、アンチウィルスなどのセキュリティソフトではなく、考えることである。

今年の夏も海外旅行に行こうと思って、パスポートを引っ張り出してみたら、有効期限が今年の6月13日になってた。

このパスポートは、初めての海外旅行の時に作ったものである。7月の20日ごろ出発したので、たしかにいまごろ作ったのだ。期限切れにもびっくりしたが、あの中国自転車旅行からもう10年も経つことに驚いた。

あのとき、僕を北京に置き去りにした葛的先生がアップを始めている。今年の夏、6年ぶりに走ることになるかもしれない。

僕のパスポートはこの旅行の時、僕の汗を大量に吸ってへなへなになってしまった。これだけぼろいパスポートを持っている人はなかなかいないだろう。

そんなこんなで、証明写真を撮り、戸籍抄本を取って、10年ぶりに有楽町の東京交通会館へパスポートの申請に行った。

交通会館にも思い出がある。大学時代、ここの二階ギャラリーで展覧会をやったのだ。これが僕の初めてのグループ展である。23年も前のことだ。

パスポートの申請窓口も二階にある。たしかに、あのころ、パスポートの申請に来た人が、何人も見に来てくれた記憶がある。展覧会というものは、場所によっては知り合い以外の人が全く来ないこともある。あのとき、ぜんぜん人が来なければ、書道なんか続けていなかったかもしれない。

書道を続けていなければ、今の職業もしていなかったろうし、中国を自転車で旅行するなんて考えもしなかったろう。そう思うと、交通会館は僕のルーツの一つである。

さて、あのギャラリーはどうなったかなと思ったら、全く変わっていなかった。やけにハデな赤い絨毯も健在で、誰かの絵の展覧会をやっていた。

変わっていないのは、ギャラリーだけではない。交通会館の持つ雰囲気がまるで変わっていない。いくつかの店は入れ替わっているようだが、地下の小さな食堂街や、胡散臭い店は健在だ。

しかし、不思議と懐かしい感じが全くしないのはなぜだろう。僕も変わっていないからだろうか。
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久しぶりに書いたと思ったら、しょうもないネタですみません。

ここのところ時間の流れが早くて、ブログを書くスピードが追いつかない。ちょっと書いたら、もう時代遅れになっていてボツ。別に時代を追う必要はないのだが。

追いつかない理由はもう一つある。指の先っぽを包丁で切ってしまったのだ。

ショウガって指に似てるななんて思って、ショウガの皮をむいていたら、ショウガと間違えて指を切ってしまったのだ。血はすぐ止まったし、たいしたキズではないと思っていたのだが、意外に深かったようで、これがひりひりと痛い。

さっくりやって、もう一週間以上経つが、キーボードを打つときに人差し指が使えないのである。左手は中指と薬指を使って入力するしかない。これが不思議とミスタッチ続出である。

僕の仕事では、紙の枚数を数えて配るという作業が多いのだが、これも指先が使えないと不便だ。絆創膏を貼ると、微妙な感覚がなくなってうまく紙を扱えないのである。

幸い右手でなかったのが不幸中の幸いだが(包丁は右手で持つからあたりまえだけど)、人差し指の先がつかえないのはこれほど不便だとは思わなかった。

06月05日のエントリで書いた足の爪(こちらは見た目はともかく、痛みはない)も含めて、なにやら先っぽがキズだらけである。
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2010年5月の総括で鳩山さんがやめるような事を書いたら、本当に辞任しちゃった。朝青龍引退のときも当てちゃったので、我ながら恐ろしい。

で、今後どうなるか予想してみたい。

後継は菅直人氏となった。久しぶりの世襲でない首相で、ここまでは予想どおり。

で、菅さんは都立小山台高校出身なので、武蔵小山パルム商店街で、大売り出しをやる。そして僕は買い物に行く。ここまでは間違いない。

それから、菅さんは吉祥寺に住んでいるらしいので、吉祥寺でも大売り出しをやるだろう。これも間違いなし。

しかし、これでは武蔵小山近辺に住んでいる人と吉祥寺近辺に住んでいる人にしか意味がないので、もう少しマジメに考えてみる。

小泉さん以降、短命政権が続いたが、今度はちょっと長くなるんじゃないかと思っている。それは、菅さんだからどうのというのではなく、タイミング的に非常にいいからである。

なぜタイミングがいいかというと、経済が最悪だからである。もちろん、日本の経済がこれ以上悪くならないとは言い切れないが、これだけ下がっていて、しかも下がっている主な要因はヨーロッパなのだから、仮に底でなかったとしても、ここからさらに落ち込むことは考えにくい。

もちろん、良くも悪くもならず横ばいということも考えられる。しかしその場合、横ばいだと気づくのは一年以上先のことである。少なくとも、それまでは持つだろう。

なんだかんだいっても、結局政局は経済次第である。景気が良くなればどんな政権でも支持される。もはやほとんどの国民は、すぐに景気が良くなるなんて思っていない。つまり期待されていないのだ。これはラッキーだ。おそらく、よほど不測の事態がない限り、菅政権は続くのではないだろうか。

そして、首相が交代するように、僕のツメが取れた。

爪ぽろり
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