夏休みをエクステンドして、中国で遊んでいたせいで、今月は仕事が溜まりにたまるし、やたがらすナビは移転しなやならないしで、あっという間に過ぎてしまった。
さて、仕事の総括なんか書いても面白くもなんともないので、先月の総括につづいて、中国で感じた「迫力」を書こうと思う。
もっとも、これは今回はじめて感じたものではないし、先月の総括が「ロンドン」の迫力に対して、「中国」とおおざっぱなので、均衡を欠いているのだが、それを承知の上で書かせてもらうと、広さと人口の迫力である。
ときどき、なんでわざわざ中国を自転車で走るのかなんて聞かれることがあるが、どうしても答えなければならないとすれば、この迫力を感じるために行くと答える。もちろん、本当の理由は「おもしろいから」だが。
もちろん世界一の人口13億人とか、世界3位の面積とか、だれでも頭では理解できることだろう。しかし「迫力」は実際に行ってみないとわからない。それは、観光旅行でもある程度分かるが、自転車旅行だともっと分かる。
たとえば、北京に行ってうじゃうじゃ人がいるのを見れば、とりあえず、人口が多いことは実感できる。だが、それだけでは新宿に行って日本の人口が多いと感じるのと同じ。
中国の場合、日本の地図にも載っていないような街に行っても、うじゃうじゃ人がいる。それぞれ何か勝手なことをやっていて、見ていて飽きない。この迫力が違う。初めて行った人はかならずこの迫力に押されて疲れてしまう。
そして広さ。これは単純な面積のことではない。場所によって文化・習慣が違うということである。そこに住む人の考え方にも違いがあるだろう。
もちろん、それは日本にもあるが、中国はもともと城壁都市だったためか、日本よりもこの違いが大きい。このことは、今回南方を旅して、特に強く感じた。
中国に行くたびに「中国は」とか「中国人は」という言説が空虚なものに思えてきて、自分でもそういうことは言えなくなる。もちろん、そういう全体を覆うものはある。しかし、それは声高らかに「中国は」とか「中国人は」という人の意見とは全然違うところにあるように感じられるのである。
さて、仕事の総括なんか書いても面白くもなんともないので、先月の総括につづいて、中国で感じた「迫力」を書こうと思う。
もっとも、これは今回はじめて感じたものではないし、先月の総括が「ロンドン」の迫力に対して、「中国」とおおざっぱなので、均衡を欠いているのだが、それを承知の上で書かせてもらうと、広さと人口の迫力である。
ときどき、なんでわざわざ中国を自転車で走るのかなんて聞かれることがあるが、どうしても答えなければならないとすれば、この迫力を感じるために行くと答える。もちろん、本当の理由は「おもしろいから」だが。
もちろん世界一の人口13億人とか、世界3位の面積とか、だれでも頭では理解できることだろう。しかし「迫力」は実際に行ってみないとわからない。それは、観光旅行でもある程度分かるが、自転車旅行だともっと分かる。
たとえば、北京に行ってうじゃうじゃ人がいるのを見れば、とりあえず、人口が多いことは実感できる。だが、それだけでは新宿に行って日本の人口が多いと感じるのと同じ。
中国の場合、日本の地図にも載っていないような街に行っても、うじゃうじゃ人がいる。それぞれ何か勝手なことをやっていて、見ていて飽きない。この迫力が違う。初めて行った人はかならずこの迫力に押されて疲れてしまう。
そして広さ。これは単純な面積のことではない。場所によって文化・習慣が違うということである。そこに住む人の考え方にも違いがあるだろう。
もちろん、それは日本にもあるが、中国はもともと城壁都市だったためか、日本よりもこの違いが大きい。このことは、今回南方を旅して、特に強く感じた。
中国に行くたびに「中国は」とか「中国人は」という言説が空虚なものに思えてきて、自分でもそういうことは言えなくなる。もちろん、そういう全体を覆うものはある。しかし、それは声高らかに「中国は」とか「中国人は」という人の意見とは全然違うところにあるように感じられるのである。