2010年10月

今月あったことで印象的だったのは、やはり尖閣諸島沖での中国漁船拿捕にまつわる、反日デモである。

こんなものはどうせ長続きしないし、あまり興味がわかないが、僕はなにしろついこの間、中国を自転車で旅行するような奇特な人なので、中国のことをよく聞かれるようになった。

なかでもよく聞かれるのが反日と格差のことである。

反日に関しては、何度もこういう旅行しているが、ほとんど感じたことはない。まあ、僕の中国語レベルも低いし、所詮は外国から来たヘンなお客様なので、仮に相手が反日感情を持っていたとしても、表には出さないだろう。逆にいえばその程度のものだとも言える。

格差については、日本人が思っている格差と、中国の格差は全然違うんじゃないだろうか。

たとえば、日本では金持ちの食べるものと貧乏人の食べるものはそう変わらない。いや、ものすごい金持ちになれば話は違うのかもしれないが、それでも毎日なだ万で夕食を食べているような人はあまりいないんじゃないだろうか。

中国の場合、金持ちが食べるものと貧乏人が食べるものが違う。そして、かならずしも金持ちが食べるものがうまいとは限らない。

たとえば、マクドナルドのバリューセット。バリューセットの値段は決して高くはないが(17元ほど=200円ぐらい)、中国の貧しい人にとっては毎日食べられるような値段ではない(食べたいかどうかは別として)。では、マクドナルドのバリューセットすら食べられない人たちは飢えているかというと、そうではない。貧しい人たちが食べるものがあるのだ。

たとえば、街角に売っている肉まんは、だいたい一個1元〜2元ほどである。日本のコンビニに売っている、中村屋の肉まんの倍ぐらいの大きさで、肉もたっぷり入っていてうまい(店にもよるけど)。これで昼食一食分になる。ペットボトル入りの水が2元ぐらいだから、せいぜい5元(60円程度)で十分満足する昼食が食べられる。

しかもそっちのほうが旨いのだから、マクドナルドなんか商売にならなさそうだが、それでもマックやケンタッキーは増殖する一方だ。よもやこの町にはないだろうと思ったところにまで進出しているし客も十分入っている。

中国の貧乏人はマックなんかおいそれとは入れないが、だからと言って飢えているわけではない。しかも、決してまずいものばかり食べているわけでもない。もちろん、それは食だけでなく、衣・住も同じことが言える。金持ちが着る服と貧乏人が着る服は違うし、住むところも同様に違うのだ。

こういうのを見ていると、やはり中国はまだまだ途上国なのだなと思う。日本もかつてはそうだったのだが、そういう時代を忘れてしまったのだろう。

これが分からないで、中国では金持ちと貧乏人の収入が何倍の差があるなどと聞くと、格差の下にいる人が今にも暴動を起こすんじゃないかと思えてくる。そこからさらに中国が分裂するとまでいう人がいるが、僕はそんなことはまずないと思っている。

もちろん、彼らにもそれなりに不満はあるだろうが、国家がひっくり返るほどの暴動は起きないだろう。

それが証拠にあの反日暴動の連中をよく見てみよう。小金持ちのクソガキばかりじゃないか。貧乏人は働いているのである。

IMGP0417
写真は、広東省汕頭市で食べた朝食。腸粉というらしい。
へんな名前だが、形が腸ににているためそういう名前になっている。米粉でできていてうまい。値段はたしか2元ぐらいだったと・・・。

一度、グランマ号(僕のファルトボート)で紅葉を見たいと思っていたので、20日に奥利根湖に行った。奥利根湖は利根川の最上流部にある、八木沢ダムのダム湖。結構な山奥にあるので、当然紅葉は・・・

奥利根湖の微妙な紅葉(1024x768)

奥利根湖の微妙な紅葉(1024x768)
奥利根湖の微妙な紅葉(1280x1024)

こんな感じ。ビミョー。本当は「湖面に映る山一面の紅葉」みたいなのを撮りたかったのだが・・・。あ、二可さんお世話になりました。

今年は暖かく、10月20日では、まだ早かったようだ。暖かいならカヌーにはよさそうだが、あいにくこの日は雨で組み立てるのに一苦労した。まあ、一苦労した理由は、僕がマニュアルを忘れたからというのが一番の原因だが。

なので、今月の壁紙は路線変更。ごく一部で好評だった、「うじゃうじゃ」写真を壁紙にすることにする。

まずは、すでに登場したアヒルさん。

アヒルうじゃうじゃ(1024x768)


アヒルうじゃうじゃ(1024x768)
アヒルうじゃうじゃ(1280x1024)

次は魚。干物だけど。

魚うじゃうじゃ(1024x768)

魚うじゃうじゃ(1024x768)
魚うじゃうじゃ(1280x1024)

左上にあるのが門なんだけど、門の外がこれなら、門の中がどうなっているか気になるところである。
ということで、中はこうなっとります。

干物とおばさん(1024x768)

干物とおばさん(1024x768)
干物とおばさん(1280x1024)

最後に干物のアップ。

干物アップ(1024x768)

干物(1024x768)
干物(1280x1024)

なんかまずそうだけど、たぶんダシ用の煮干しみたいなもんだと思う。

それにしても、このあたりけっこう魚臭かったんだけど、猫とか集まってこないんだろうか。これじゃあ盗られても、すぐには追いかけられないんだけど・・・。
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それでは予告通り、鳥類。こちらは「うじゃうじゃいる」がテーマ。

まずはアヒルさん。

アヒル(親)


近づいたら、逃げる逃げる。

逃げるアヒル


子供もおるで。

アヒル(雛)


なぜだか知らんが、親子は別々に飼われている。これだけいると雛といえどもちっともかわいくない。

続いてロンドンの不忍池でもおなじみガチョウさん。その名もシナガチョウ。

ガチョウ


もちろん、こっちもうじゃうじゃと・・・。

ガチョウ2


なれのはて・・・。鶏だけど。

チキン


オマケ。一見鶏に見えるが、実は人間。

トリ人間
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さて、間に一つエントリを挟んだが、今度は中国で見つけた動物しゃん。

まずは、カタツムリくん。福建省泉州市の清源山で発見。

【10/24追記】
こいつはアフリカマイマイと判明。
寄生虫がいるため、見つけても絶対触らないように!
這った跡もヤバイらしい。
浦木さん、情報ありがとうございました。

カタツムリ


バイ貝みたいだけど、カタツムリ。あまりにでかいんでびっくりした。写真には撮らなかったが、ゴキブリもでかくてビビる。

野生動物はこれだけ。あとは家畜。
蝸牛に続いて水牛くん。こっち見んな!

水牛


水牛(アップ)


南方なんで、水牛くんにはもっと会えると楽しみにしていたのだが、あまりいなかった。10年前、江蘇省であちこちで水浴びしているのを見て、なるほど水牛というだけあって水が好きなんだなと感心したのに。たぶん、トラクターなどの農機具が普及したので、お役御免になったのだろう。

その代り、普通の牛はたくさんいた。こっち見んな!

牛


こっちのはでかい。
後ろの塀がヨーロッパっぽいけど、イギリスで撮ったのを混ぜたわけではない。

牛2


豚しゃんも。こっち見んな!

豚


あと、この地方ではなぜか犬を飼っている家が多かった。番犬のつもりらしい。

さて、明日はいよいよ鳥類です。家畜だけど。
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9月9日のエントリで奨学金が街金以下の学生ローンになっている現状について書いたが、今度のもかなりひどい。

奨学金の条件「社会貢献活動への参加」追加へ:YOMIURI ONLINE
文部科学省は、国費を財源とする無利子奨学金の貸与を大学生らが受ける際の条件について、成績や世帯収入に加え新たに「社会貢献活動への参加」を追加する方針を固めた。
来年度から貸与者らに文書で呼びかけを開始し、周知期間をおいて数年後の条件化を目指す。社会貢献活動の場の提供に積極的な大学にも補助金などを上乗せする方針。同省は、公費で学ぶ学生に社会還元の意識を根付かせたいとしている。

学生の本分はいうまでもなく勉強することである。それ以外にはない。サークル活動にしろ、ボランティアにしろ、それはあくまでオマケである。そして、奨学金は学生の本分を全うするために存在する。奨学金をもらうことにより、経済的なことに悩まされず勉強できるようになる、それが理想だろう。

この記事によると、社会貢献活動への参加が奨学金をもらう際の条件になるという。社会貢献活動が具体的に何かはっきりしないが、「社会貢献活動の場の提供に積極的な大学にも補助金などを上乗せする方針」とある以上、学生に社会貢献活動させるつもりらしい。

まず、勉強が本分の学生に働かせて貴重な時間を搾取するのは、奨学金の趣旨にはずれている。それに、社会貢献活動だって立派な労働だから、利息分は在学中に働いて返してもらうということになる。おそろしくけち臭い話だ。

文科省は「同省は、公費で学ぶ学生に社会還元の意識を根付かせたい」らしいが、分かっていないのは文科省の方である。奨学金をもらった卒業生が、そこで学んだ学問を生かすことが社会還元である。学んだ学問と関係ない社会貢献活動をしたって、それは還元したことにならない。

このように言うと「どうせお金もらったって勉強しないんだから、ボランティアでもしてもらったほうがいい」という人がいるかもしれない。それは別の問題だ。学生に十分勉強する環境を与えること、それができて僕たちは学生に「勉強しろ!」と言えるのである。

大学側もこれには文句を言うべきだ。ただでさえ、くだらない就職活動なんかで、学生が勉強する機会は失われている。その上、今度は国家がその機会を奪おうとしているのである。

なぜ、寄ってたかって学生から勉強する機会を奪うのか、僕には理解できない。ホントこの国マジでやばいっすよ。
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HOSHINA HOUSE生き物カテゴリに対抗して、しばらく生き物写真で攻めることにした。

ペリカンまたしても・・・ロンドンの公園でハトを丸呑み:カラパイア

このロンドンの公園ってのは、バッキンガム宮殿のそばにあるセント・ジェームズパーク(St.Jame's Park)。ハイドパークやリージェントパークと比べると狭いし若干マイナーだが、鳥がいっぱいいて楽しい。ロンドンの上野公園と命名。

上野公園といえばカモだが、ここで一番多いのはたぶんGoose(ガン・ガチョウ)だろう。ガンはカモと比べるとなんだか偉そうだ。

ガチョウ


上の記事でペリカンに食べられちゃったハトは、ガチョウさんにもいじめられている。

ハトに襲い掛からんとするガン


ところで、上の写真には、鳥類に交じって哺乳類が写りこんでいる。さて、どこでしょう。

正解はこちら

リスしゃん!リスしゃん!

リス


さて、ここで珍しい写真をお目にかけよう。

ガチョウとオオバン


右の向こうからヒョコヒョコやってくる黒い鳥はオオバン(大鷭)。この鳥自体は日本にもいる鳥でちっともめずらしくない。

珍しいのはこれ。

オオバン


脚に注目。

オオバンは水鳥で、カモのように泳ぐが、足には水かき(蹼足…ぼくそくという)がない。なにやらヒダみたいなのが付いているが、このようなのを弁足というらしい。それにしても、かなりキモいぞ。

水かきの種類:Nature Photo Gallery

ちなみに、オオバンがいるのだからコバンもいるのかというと、いない。単なるバンならいる。おでこが赤いのがバンで白いのがオオバンである。

バン


ガンにもどる。正直、ガンなのかガチョウなのかよくわからないのだが、ここには数種類住んでいる。名前を知っている人がいたら教えてください。

白いガン


顔が怖いガン


よくわからないガン


最後にオマケ。この公園の隣にあったTHE GUARDS MUSEUMにて。戦闘の指揮をしてみた。

装甲車とわたし

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外山滋比古『異本論』(ちくま文庫)を読んだ。

もう20年以上前、『方丈記』の異本を比較するというゼミの授業のときに、師匠から読めと言われていたのだが、今日まで入手難で読んでいなかった。いや、途中から存在自体忘れていたというのが正しい。

先日、本屋でちくま文庫として売られているのを見つけて、昔のことを思い出して、買ってみた。奥付を見ると今年の七月になっている。出たばかりだ。

文献学用語の異本とは、通行の本に対して、本文の異なる本のことをいう。たとえば「『源平盛衰記』は『平家物語』の異本の一つである」などというように使う。この言葉は原典や流布本に対して使われる。原典や流布本を正統とみなし、それに対して異本というのだから、一種の蔑称とみて差支えない。

研究が進むにつれて、異本として評価されていたものが、実は原典に一番近いされ、評価が高くなることもある。その場合、それまで異本でなかったものが異本になり、立場が逆転するだけで、やはり異本が一段価値の低いものとされることには変わりがない。基本的に異本は蔑まされているのだが、外山氏はそれが誤りであるという。

まず、本書では原典から異本がどのように発生し、どのように原典からその座を奪っていくかを論じる。そこから、異本の発生こそある作品が古典になる原動力であると主張する。つまり、原典至上主義の文献学(文献学はできるだけ原典を復元しようとする)に対して、異論を唱えているのである。

外山氏のいう「異本」は、文献学用語的な意味での「異本」だけにとどまらない。外国文学を翻訳すること、外国文学を外国人が読むこと、そればかりか、単にある作品を読んで解釈すること、そういった読書そのものが、すべて異本を作る行為であるという。そして、異本をたくさん生むことができる作品が、古典になれる作品だという。

僕は、ある作品が古典になるのに必要な条件は、その作品がもとから持っている普遍性だと思っていたが、本文そのものが改変される異本が重要だという『異本論』の見方は新鮮だった。文学の研究の中で、享受史という分野があるが、これはまさに外山氏のいう異本を研究することにつながるだろう。もっと注目されてもいい分野である。

というわけで、すべての読者にストロング・バイ。
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今年の夏に行った、イギリス・中国・日本を比較して、それぞれの国で少数派がどう扱われるかを考えてみた。

まずはイギリス。大学タイプと命名。
少数派は隔離。
たとえば、前に書いた喫煙。一見喫煙者に不利なようだが、実は非喫煙者を隔離している。喫煙者は多数派ではないと思うが、伝統重視なのだろう。
もう一つ例を挙げると、イギリスの電車にはquiet coachという 車両がある。ここではおしゃべりも携帯電話も禁止。車内がうるさいのを嫌う人を隔離している。知らずに乗っちまったぜ。

次に中国。小学校タイプと命名。
多数派が少数派を圧倒するが、目に余ると政府が強権発動。
広州市ではかつてオートバイが自在に走っていたが、あまりに危険なので、市内は走行禁止にしてしまったそうだ。
気持ちは分かるが、禁止って・・・。

日本。中学・高校タイプと命名。
少数派だろうと多数派だろうと、声の大きい人の意見が勝つ。または、声の大きい人に流され、少数派が多数派になる。
日本人なら思い当たる節はあるはず。

なお、学校種別は大学が大人で小学校が子供という意味ではない。

福建省は南方なので、果物には事欠かない。中には見たことのない果物があって面白い。

まずは見たことがあるのから。一面のバナナ畑。
バナナ畑


バナナの木。

バナナの木


市場に行ったらたくさん売ってたので、一番ヘンな形(三つ連なっている)のをチョイス。原産地で熟れたバナナは、むちゃくちゃ甘くておいしい。

へんなバナナ


福建省は竜眼(リュウガン)の産地としても有名。自転車で走っているとき、あちこちで竜眼畑を見た。

竜眼


バナナほどガードが固くないので、道端に植わっているのをとって食べた。食べられるところは少ないが、喉が渇いているのでうまい。なに「通りがかりの人が、のどが渇いて西瓜を取って食ったって、そんなの、おいらとこじゃどろぼうなんて思やしない」(魯迅『故郷』)って閏土も言ってたじゃないか。

次は果物の王様ドリアン。なんか臭いなと思って木を見上げてみると・・・。果物の常識に外れた生り方に注目。

ドリアンの木


ドリアンがこんなだらしない生り方をしているとは知らなかった。これ、泉州市の開元寺の境内にあったんだけど、頭に落ちてきたら大惨事だ。

安かったので果物屋で買ってみた。20元(250円程度)ぐらいだったと思う。

丸ごと一個買ったのだが、殻を割ってパックしてくれた。この店、子供たちが店番をしていて、彼らが3人がかりで割ってくれたのだが、なかなか割れないは、トゲが刺さるは、臭いはで大騒ぎ。ちなみに中身はそれほど臭くない。

ドリアン(中身)


次は・・・さて何でしょう?

蛇皮果


これは是非拡大して見てほしい(あ、このブログの写真は基本的にすべてクリックすると拡大します)。皮がヘビそっくりで、その名を蛇皮果という。調べてみたら福建産ではなく、インドネシアの果物らしい。

蛇皮果(中身)


このように皮をむいて食べる。まるでヘビの抜け殻みたいだ。

中身は見た感じ巨大なニンニクみたいな感じ。果物のわりには水分量が少なく、食感もどことなくニンニクに似ている。そして味は・・・まずい。

それほど強烈ではないが、妙な匂いがするし、甘味も少ないし、水分もあまりないので喉を通りにくい。2・3個食べて捨ててしまった。

最後はこれ。

人参果1

人参果2


泉州市で、おばちゃんが天秤棒で売っていたのを購入。果物の名前を聞くと「人参果」と言ったように聞こえた。

なるほど『西遊記』に出てくるのはこれか(『西遊記』のは本当に人間の形をしている)と思ったが、帰ってから画像検索してみたがどうも違うようだ。これは何だったんだろう。

味は薄く、甘酸っぱい。食感は大根を生でかじっている感じ。ものすごくおいしいというものではないが、これはこれでうまいと思う。

【追記】
人参果は、「蓮霧(レンブ,Liánwù)」が正しいらしい。

レンブ:wikipedia

浦木さんに教えてもらった。
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「尖閣、渋谷2600人デモ」 CNNが報道する一方、日本のマスコミは…:痛いニュース
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なにやら吹き上がっているが、東京では2600人規模のデモなんて珍しくもないし、報道されなくても不思議はない。ちなみに、今年のメーデーの参加者は32000人で、これに比べたら2600人という数字がいかに少ないかが分かる。

もちろん、単純に数字の問題ではないのだが、これに先立つ北京での反日デモの報道を併せて見ると、さらに面白い。

北京で100人、反日デモ…漁船衝突事件に抗議
公安車両20台以上が配置された日本大使館近くには、午前9時(日本時間同10時)ごろ、「くたばれ、日本」などと書かれたプラカードをもつ若者3人が到着。その後集まって来た約50人が「(漁船の)船長を返せ」「日本製品ボイコット」などと気勢をあげた。手製の日本国旗を踏みにじる者もいた。続いて約100人がデモ行進を始めた。行進は正午(同午後1時)ごろ、公安当局に解散させられた。
(2010年9月18日13時55分 読売新聞)

こちらはなんとわずか100人。100人ぐらいだったら、友達に声をかければすぐに集まりそうだ。まして北京である。この後のことは知らないが、少なくともこの時点では、尖閣諸島なんて誰も興味を持っていなかったといっていい数字である。

しかし、中国での100人の反日デモは報道するのに、国内の反中(でいいんだよな、コレ)デモは2600人でも報道しないということになる。マスコミにイデオロギーがあるとすれば、これは矛盾している。おそらく、日本のマスコミは、その主張や規模とは関係なく、国内のデモはなるべく報道しない方針なのだろう。

僕がそのことに気付いたのは、2003年2月15日のイラク戦争反対デモに参加したときである。このときのデモは世界規模のもので、僕が参加した渋谷でも5000人が参加した。ただし、これは渋谷だけの数字で、このときは東京でも数か所、さらに日本各地でやっていたので、数字は推して知るべしである。

ところがマスコミは海外のデモを報道するばかりで、日本で行われたデモは、報道各社のカメラマンがあちこちにいたにもかかわらずほとんど報道しなかった。さすがに翌日の新聞には載ったが、それでも探してやっと見つかるというレベルの小さな扱いで、写真はまったくなかった。

この時も、世界各地で同時に行われた海外のデモ(ほとんどは日本よりも大規模だった)は報道された。笑ったのは、香港で500人のデモがあったという。たった500人ぐらいで報道して、全国では何万人も参加した自国のデモは無かったことにするのか、やはり日本はアメリカのポチだったかと当時はおおいに憤慨したものだ。

しかし、マスコミの立場になって考えてみればメーデーみたいな年中行事のデモ(そもそも年中行事になっている時点で、デモとしてのインパクトは薄い)は別として、下手にデモを報道すると煽動することになるし、どこのデモを報道して、どこのデモをしなかったとなると、やはりイデオロギー的な問題になる。報道する側としては責任が重すぎるのだろう。

そもそも、デモはマスコミの力に頼って広げるような筋合いのものではない。少しでも人数を増やし、少しでも多くやって民衆を動かすのがデモというものである。
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