2010年11月

穴の開いた船に大勢の人が乗っている。この船は穴が開いているだけでなく、エンジンが故障していてすでに動いていない。

船は少しずつ沈んでいく。乗員は、お前が先に海へ飛び込めと口ぐちに言い合あう。各々、人数が減れば自分は飛び込まずとも沈まずにすむと思っているのだ。そうこうしているうちにも、船はどんどん沈んでいく。

すでに勇敢な者は既に海に飛び込んだ。

近くにいた別の船に救助されたものもいるし、島に泳いでたどり着いたものもいる。しかし、中には残念ながら溺れてしまった者もいる。「だから言わんこっちゃない!」と船に残った人たちは溺れたものを罵倒する。

船長は乗員に命令を下すが、何を言っているのかはっきりしない。船長は乗員の希望を聞きすぎて、言っていることに矛盾をきたしている。乗員はだんだん船長の命令を聞かなくなってきた。

頼みの綱のライフジャケットも足りない。この船には最初から少なかったのだ。老人に着せるか、病人に着せるか、子供に着せるかで喧嘩になっている。

そんな夢を見た。初夢じゃなくってよかった。

今日、僕は42歳になった。

僕が生まれたのは1968年、明治元年が1868年だから明治100年にあたる。つまり今年は明治142年になる。つまり、142年前はちょんまげ野郎がそこらに闊歩していたのだが(維新後もいたけど)、これはずいぶん昔のような気がする。

しかし、本当に昔なんだろうか。そこで、分かりやすく比較してみると、そのちょんまげ野郎の時代、つまり江戸時代は260年近く続いている。まだ半分をちょっと回ったところだ。近代、まだまだヒヨっ子だ。

室町時代が240年(戦国時代100年を含む)、鎌倉時代は150年、平安時代に至っては400年、近代はやっと鎌倉時代の長さに近づきつつある程度。歴史の授業で習った鎌倉時代ってそんなに長いイメージないのに、それでも近代よりも長いのである。

中国に目を移すと、清代は270年、明代280年、元代100年、宋代320年,唐代300年(間違ってたらすみません)。あとは面倒くさいからやめとくが、こんなのと比べれば、辛亥革命も中華人民共和国成立もつい最近の出来事と言っていいだろう。

もっと個人的に時代の感覚を考えてみる。

兼好法師が『徒然草』を書いたのは、たぶん今の僕と同じぐらいのときだろう(詳しくは分かっていない)。

『徒然草』が書かれたのは1330年ごろと言われている。『徒然草』は鴨長明『方丈記』との関連が指摘されるが、『方丈記』が書かれたのは1212年、『徒然草』が書かれる120年ほど前である。

これを現代に置き換えてみると、2010年の120年前は1890年となる。このころ書かれたのは鴎外の『舞姫』で、幸田露伴とか尾崎紅葉が活躍していた時代でもある。たとえば、現代の小説家が『舞姫』にもっとも影響を受けたとか、紅葉・露伴を意識したとか言ったらどうだろう。これは、ものすごい違和感である。

『徒然草』は清少納言『枕草子』のパロディみたいな側面があるが、この二つの関係になるともっとすごい。枕草子の成立はだいたい西暦1000年ごろで、徒然草から見ると330年前となる。

これを現代に置き換えてみると、2010年の330年前は1680年となり、西鶴が生きていた時代に重なる。現代の作家が西鶴のパロディを書くことはありえなくはないが、『枕草子』と『徒然草』の関係みたいにはならないだろう。

こういうふうに考えていくと、わずか65年前の太平洋戦争が昔になっちゃう現代人ってちっちぇえなと思うのである。
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11月26日のエントリに対して「やまだ」(以下やまだくん)なる人物から、たいへんありがたいコメントを頂戴している。

デモするアホウに見るアホウ:コメント欄

読んでもらえるとわかるが(読まなくっていいけど)、どうにも話が通じない。

まあ、Web上にはそういう話の通じない人がよくいるので、そんなものかと思って、丁寧にコメントを返していたのだが、mujinさんから、

この手のやからは、企業のもとめる人物像の枠内の既知のことしかしゃべらないので退屈しますよ。
そういう枠組みですって言えば反駁になりうると思い込んでる時点でちょっとどうかという感じです(笑)。


というコメントをいただいて、ハタと気が付いた。

こいつ(やまだくん)、もしかして人間じゃないんじゃ・・・

困ったときのGoogle先生!よろしくおねがいします!

就活とは企業のもとめる人物像に自分をカスタマイズしていき、:Google
多くの学生の皆さんが根本的に勘違いをしているのですが:Google

やまだくん、大活躍だ。(一瞬回文かと思った)

それにしてもやまだくんの意図がわからない。就活関連について書かれたブログを見つけると、自動的にpostするようになっているようだが、普通のSPAMと違い、どこかのサイトに誘導したりはしない。

単に人のブログで自分の主張を書き込みたいだけかもしれないが、それにしてはその主張が陳腐だ。

しかし、bot相手にマジレスしちゃったときのがっかり感は半端じゃないなー。

やまだくーん、一枚とっちゃいなさい!

【追記】
でも、よく見ると微妙に文章が違う。
人間なのか?
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今月、全然写真を撮らなかったので、また中国壁紙で。

まずは、福建省厦門市の新垵(アン)村。ここの古民家は有名らしいけど、そんなことはつゆ知らず、反り返った屋根の長屋が美しかったので写真を撮った。こういうことがあるから自転車旅は面白い。

新垵(1024x768)


新アン(1024x768)
新アン(1280x1024)

次は、泉州のシンボル、清源山の老君岩。この老君像をこういうアングルで撮るのはありきたりにもほどがあるようだ。

清源山ではちょっとした冒険があったんだけど、それはいずれまた。

清源山老君岩(1024x768)


清源山老君岩(1024x768)
清源山老君岩(1280x1024)

最後は、広州市で撮った、白バイ軍団。
ここで何か事件があって白バイ集合!というわけではなく、この前が警察署というだけ。店の前にも平気でおいている。さすがは暴力装置、やりたい放題である。

ちなみに、広州市はオートバイの通行が禁止されている。この街でオートバイに乗れるのは暴力装置だけなのである。

広州の白バイ軍団(1024x768)


広州の白バイ軍団(1024x768)
広州の白バイ軍団(1280x1024)
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就活早期化で学生ら抗議デモ 「卒論書く暇ない」
 企業による採用活動の早期化や新卒一括採用の慣行に不満を持つ現役の大学生たちが23日、東京・新宿の繁華街をデモ行進した。
 法政大4年の学生がインターネットなどで呼び掛けた。約50人の学生らが「卒論書くヒマないぞ」「就活期間長すぎ」などと書いた段ボールの切れ端を手に、「大学は就職予備校じゃないぞ」と声を張り上げた。


たった50人かよと、少々残念な気もしないではないが、アピールすることは大事なことなので頑張ってほしい。現状は大学教員も迷惑しているはずなので、大学の先生方もまきこめればいいんじゃないかと思う。

はてブのコメントや2chの書き込みなんかを読んでみると、例によって否定的な書き込みも散見する。

一瞬、こいつらはバカなんじゃないかと思ったが、考えてみれば、やっているのは新卒の(予定の)学生である。新卒というプレミアムを自ら否定するデモなのだから、反対する意見があってもおかしくない。そういう意見があるのも理解するが、新卒一括採用という制度は、どうかんがえてもおかしいので、僕はデモをした学生の方を支持したい。

2008年の一番最後のエントリに僕はこんなことを書いた。
来年、それらのものが一気に信用を取り戻すなんてことはまずない。たぶん、そういうウソくさいプレミアム(付加価値)ははげ続けると思う。そんなもの、もともとないものなんだから、仕方がない。
これから、少なくなった信用できるものを探すか、自分だけを信用するかが分かれ道になるだろう。僕は経験として後者を選ぶべきだと思っている。
なんだか暗い話になったが、これはいいことだと思っている。くだらないプレミアムはない方がシンプルで分かりやすい。

それにしても、新卒というのは、実にウソくさいプレミアムだ。たった一年でハゲる理由が分からない。こんなもの、もっと早くなくなると思っていたが、なかなかなくなりそうにない。たぶん、なくならないのは、学生の方がプレミアムを必要としているからだろう。今度のデモは、そういうプレミアムが決して学生のためにならないということに気付いた人たちがやったものだと思う。

最近よく耳にして、聞くたびに腹が立ってくるのが、日本企業が海外の優秀な人材を雇うケースが増えているという話である。誤解のないように言っておくが、僕は外国人を雇うこと自体に文句があるのではない。

優秀な人材なら、どこの人間だろうと差別しないのはいいことだ。しかし「どこの人間だろうと」には日本人も含まれる。彼らがやっているのは、日本の学生には勉強できないような制度を作って、代わりに優秀な外国人を雇っているのである。
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榎本泰子『上海 - 多国籍都市の百年』 (中公新書)を読んだ。


上海は太平洋戦争以前に戻ろうとしているのではないかという思いがあって、最近この手の上海近代史本をよく読むのだが、この手の本は歴史をどう切り取るかによって印象が変わってくる。

この本は、上海を「多国籍都市」としてとらえ、そこにいた人たちの「国籍」によって切り取っているところが特徴だ。それは目次を見ればわかるだろう。

序章 上海租界の百年
第1章 イギリス人の野望
第2章 アメリカ人の情熱
第3章 ロシア人の悲哀
第4章 日本人の挑戦
第5章 ユダヤ人の苦悩
第6章 中国人の意志

上海近代史の主な登場人物といえば、イギリス人、日本人、そして中国人というのが相場である。本書では、どちらかというと脇役の(いままであまり光を当てられなかった)アメリカ人・ロシア人・ユダヤ人が入っているのが新鮮だった。

ロシア人やユダヤ人は戦乱や迫害によって自国から逃れてきた人たちである。戦前・戦中の上海では、中国人が下層階級とされているが、ロシア人やユダヤ人は同等かそれ以下の扱いを受けていたのである。それにしても、そういう人たちも受け入れていた、上海という街の懐には驚嘆せざるを得ない。

上海の近代史というと、本来の住人であるにもかかわらず、中国人は添え物の感があるのが多いが、本書では中国人と上海のかかわりについても、生き生きと描かれている。「中国人の意志」という章題はそれを表している。

上海の歴史は政治・経済に翻弄された歴史なので、それらが中心となり、文化面はおざなりにされがちだが、本書はむしろ文化面が中心になっているのも特徴だ。特に、音楽・演劇・舞踏などのエンターテインメントが、それぞれの国籍の人々とどうかかわっていたかが詳しく述べてある。

上海の近代史を述べる本の中では、とっつきやすい方だろう。読んでたら、久しぶりに上海に行きたくなったので、ストロングバイ。
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さて、洛陽橋付近に万安橋記(万安橋碑)がなさそうなことを確認した僕たちだったが、ここに来る直前に、近くに蔡襄祠という蔡襄を祀った場所があるという、道標をみつけていたので、そこへ行ってみようということになった。

道しるべ


道標によると、蔡襄祠はここに来る途中の集落にあったようだ。全然気が付かなかったのだが、とりあえず戻るしかない。

橋の近くの集落。なんだか大工事をしている。今は素朴な集落なのだが、観光地化するのかもしれない。ちなみにこの通り(橋を含む)を蔡襄路という。

ちょっと残念な気もするが、これだけ立派な橋なのだから、いままで観光地化していないのが不思議なくらいである。それにしても、運動会じゃあるまいし、旗とか提灯とか飾りすぎである。

洛陽橋への集落


ここを抜けるてしばらくすると、「何か」があった。これか?

劉氏家廟1


いや、何か違う・・・と思ったのだが、同行の葛的先生「ここだ!ここだ!」と入っていく。うーん、違うと思うんだけど・・・と、冷静になって周りを見渡すと、こんなものが目に入った。

劉氏家廟2


劉氏家廟って書いてある。ここは蔡襄ではなく、劉さんのご先祖様をお祀りしている場所である。

劉氏家廟に乱入した葛的先生はすぐに戻ってきた。

「ここ違うよ。お茶を飲んでいるおばあちゃんがいて、『なんだお前は!』って言われたよ」

他人の家の仏間に乱入したようなものだから当然だ。

僕は「ああ、その人、劉さんだね」と言って、劉氏家廟の石碑を指差した。

福建省は信仰心の強い地域らしく、いたるところにこのような家廟をみかける。「南無阿弥陀仏」と書いた碑や、石仏、日本だと沖縄でよく見かける石敢當も多い。仏教だけでなく、キリスト教の教会もあちこちにある。

さて、ホンモノの蔡襄祠はもう少し先にあった。もちろん、先ほどの劉氏家廟に比べると格段に立派だ。

蔡襄祠の門1


中は庭があって、いくつもの石碑が並んでいる。この中にあるのかと思ったが、さらに門があるので入ってみる。

蔡襄祠の門2


こちらの門は先ほどの劉氏家廟と同じ様式である。なるほど、これなら間違えてもしょうがない。

門の中には大きな廟があり、ここにやたらリアルな蔡襄像がある。

蔡襄像


その周りにはたくさんの石碑が無造作に並べられているが、暗くて読みにくい。時間がないので、とりあえず撮れるものをパカパカと撮影したが、あとで見るとどれも違った。

帰ってから調べると、万安橋記は蔡襄像の向かって右側にあったらしい。
つまりここ↓。

BlogPaint


写ってねえ!

どうでもいい石碑は撮影したのだが、ここはあまりに暗いので撮っていなかったのだ。

言い訳させてもらうと、万安橋記はもともと橋の下にあったものだから、橋のすぐ近くにあるだろうと思っていたのだ。

それに、どういうわけか、書道辞典とか教科書に載っているのは「泉州萬安渡石」とかごく一部だけで、全体がどうなっているのか二人とも知らなかったのである。当たり前だが、ここにある碑はすべて「萬安●●」という文字があってどれがどれやらわからない。

少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。(徒然草)
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書道業界で宋の四大家といえば・・・米芾(フツ)・黄庭堅・蘇軾・・・あとだれだっけ、と、レッツゴー正児(三波春夫の人)かジョージ・ハリスンみたいな扱いをうけてしまうのが蔡襄だが、今年の夏の自転車旅行で福建省の泉州に行ったときに、蔡襄が架けたという洛陽橋(万安橋)を見てきた。

洛陽橋は泉州市の市街地から10数キロ行ったところにあり、盧溝橋(北京市)・趙州橋(河北省)・広済橋(広東省)と並び、中国古代四大名橋と呼ばれる。詳しいスペックは

洛陽橋:百度百科(中国語・簡体字)
洛陽橋:Wikipedia(中国語・繁体字)

あたりをどうぞ。

まずは、この橋を作った、蔡襄先生の像。泉州市からみて、橋を渡った先にある。

蔡襄


橋を渡る僕。何度か補修されているとはいえ、宋代にできた橋だから、おそろしく走りにくい。材質は花崗岩(御影石)。

ここに来る途中立ち寄った水頭鎮は石材の町で、いたるところに大きな花崗岩の塊を積んだトラックをみかけた。もともとこのあたりは花崗岩がたくさん取れる地域なのだろう。

万安橋を渡るワシ


橋の全景。

万安橋の橋げた


とにかく長い。実はこの写真に写っているのは中間地点で、カメラの後ろにまだ橋が続いている。その長さ、731メートル。

上の写真は川下の方で、この橋の特徴は川上にある。

万安橋の舟形橋げた


舟形橋げた(上)


橋げたが舟形をしているのである。これがずらっと並んでいる図はなかなか壮観だ。

とりあえず見えない何かと戦ってみた。

見えない何かと・・・


さて、蔡襄と万安橋といえば、万安橋記(万安橋碑)である。もともとここに来る予定はなかったので、どこにあるのか調べてこなかった。有名なものだから、どこかに書いてあるだろうと思ったが、どこにもない。

橋のたもと(下の写真の右側)に石碑が大量にあるのだが・・・

橋のたもと


丹念に探したが、それらしいものは見当たらない。帰りの時間は刻々と迫る(わりにはくだらないことばかりしてますな)。どこだ!

というわけで、明日に続く。
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そういえば、去年の今頃(もうちょっと後だったか)「百人一首のお約束」というエントリを書いたことを思い出した。

今、書道の授業で篆刻をやっている。そして、百人一首同様、篆刻の授業にもお約束がある。迷惑なお約束ばかりなんだけど。

1.検字(字書で篆書を調べる)のとき、「先生!オレの名前にチ●コが入ってます!」というやつ。
心
これは篆書の「心」という字なんだけど・・・
「ああ、オレも君たちと同じ年のころはそう思ったよ。オレの名前(聡)にも入ってるからな。でも、今は心臓にしか見えないな。」と答える。

2.同じく検字のとき「漢字が見つかりませーん!」というやつ
どれどれ・・・と見てみると、名前の読みで索引を引いている。たとえば「渡辺」の「辺」を「なべ」で探すとか。
そんな都合のいい字書はありません。音読みで引きなさい。
しかし、ときどき本当にない字(国字とか漢代以降にできた字とか)があるので困る。

3.布字するときに鏡文字にしないで刻るやつ
布字というのは、印材に下書きをすることなんだけど、左右を逆にした鏡文字にしないと、押したときに鏡文字になってしまう。
もちろん、刻るまえに持ってこさせるので、たいていその時に気付いて書き直させるのだが、あまりに布字がうまかったり、左右対称に近い字ばかりだと見落としてしまう。
「先生!これでいいって言ったじゃないですか!」
「アタシそんなこと言ってないわ!違う人でしょ!」
とシラを切る。

4.印盒(いんごう・印泥が入っている容器)を割るやつ。
印盒ってのはこれ↓のことなんだけど、磁器でできていて、落とすと簡単に割れる。
印盒

割り方もお約束がある。印泥は読んで字のごとし、泥のような物質である。
だから、印泥を付けるときには、必ず左手で印盒を持って付けないといけないのに、朱肉のように机に置いたままつけようとして、印泥が印にへばりついて落ちるのである。
印泥の付け方はちゃんと説明しているので、割ったときは罵詈雑言を浴びせかけるのだが(始末がたいへんなのだ)、先日僕が割ってしまって、生徒から罵詈雑言を浴びせかけられた。

5.私の印に毛が生えました!というやつ。
印泥はヨモギの繊維(モグサ)が原料なので、つけ方が下手だと繊維が印材にくっつく。
軽やかにやれと言ったのに、ねじりつけるからこうなる。
というか、そんなこと報告せんでよろしい。拭け!
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大和証券のアレと言っても、株でもなければファンドでもなく、テレビCMで使われているアレ。

このブログには、音楽のカテゴリがない。そんな木石のような僕でも、ときどきアレッと心を動かされる音楽というのがある。ワールドビジネスサテライト(テレビ東京)の時に流れる、大和証券のコマーシャルのアレに心を動かされた。

コマーシャルで流れるのは、「Stand by me」「One love」、そして聞いたことのないのに、なぜか耳から離れない「チャンダママ・チャンダママ・ママヤー」とかいっている曲(Chanda Mama)など。画面では、なんだかいい味出している人たちが、街角で楽器を演奏したり、歌を歌ったりしている。これは何だろう。





で、大和証券のサイトを調べてみた。
大和証券グループのCM

国境を越え、人種を越え、文化や宗教も越えて、世界中のミュージシャンがひとつの楽曲を歌い、奏で、つないでゆく、音楽プロジェクト“PLAYING FOR CHANGE”。
このプロジェクトに参加した五大陸にまたがる100人以上のミュージシャンたちのほとんどは、その時点では世界的には無名であり、出会ったこともありませんでしたが、ひとつの楽曲を通じて、お互いに理解しあうことで美しいハーモニーを生み出し、
ひとりひとりが世界とつながっていることを私たちに示してくれました。


ということで、PLAYING FOR CHANGEなるCD+DVDを買ってみた。amazonで2,959円。チーン。



二枚組、で一枚はCD、もう一枚は大和証券のコマーシャルで使われている映像が入っているDVDである。曲目は次の通り。
1. Stand By Me
2. One Love
3. War/No More Trouble
4. Biko
5. Don't Worry
6. Talkin' Bout A Revolution - Afro Fiesta (Capetown, South Africa)
7. Better Man - Keb' Mo' (Los Angeles, CA)
8. Chanda Mama
9. Love Rescue Me - The Omagh Community Youth Choir (Omagh, Northern Ireland)
10. A Change Is Gonna Come - Playing For Change Band (New Orleans, LA)

このうち、DVDには1・2・3・5・8の映像が入っている。

「国境を越え、人種を越え、文化や宗教も越えて、世界中のミュージシャンがひとつの楽曲を歌い」なんていうと、昔のBAND AIDUSA for Africaあたりを思い出すが、こちらは無名のストリートミュージシャンが中心(なぜかU2のボノが入っているけど)。マーク・ジョンソンなるプロデューサーが世界中を旅して録音・撮影してきたものを編集したものだ。録音、撮影には10年かかったらしい。

ほとんどが既存の曲で、昔のチャリティーソングみたいな、押しつけがましさがないのがいい。ビデオに出てくるミュージシャンたちは、みんないい感じに力が抜けていて、いい味を出している。もちろん、ストロング・バイ。

ただ、一つだけ不思議なのは・・・世界中のミュージシャンの中になぜか東アジア(日・中・韓)のミュージシャンがいないことだ。

カリカリしているからハブんちょにされちゃったんだな。きっと。
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