2011年01月

今月はずいぶんいろんなニュースがあったから、正月がひと月前のこととは思えない。もう二・三か月経っちゃったような気がする。

今月あったことで一番気になったのは、チュニジアやエジプトのデモ。

アレを見ると、例の中国の反日デモがハナクソみたいなものだったことが分かるだろう。

しかし、それだけではない。もっと重要なことは、エジプトやチュニジアのデモは、中国のアレなんかよりももっと大きな問題に発展する可能性があるということだ。

なぜなら、どちらもアラブ世界であり、アラブといえば中東。これが飛び火すればどうなるか。まさに飛び火。火に油。今のうちにトイレットペーパー買っておいた方がいいかもしれない。

なんて書いているが、実は自分でもよく把握しきれていない。ただ、例の反日デモや尖閣問題なんかよりも、よほど重要なことだけは間違いないだろう。

その尖閣問題の例の英雄だが、起訴猶予になった。「事件の真相を知っていただき、尖閣諸島の問題、日本の領海を脅かす外国船の問題などを考えてほしかった」というコメントを出したそうだが・・・もうちょっと騒いでやろうよ。英雄なんだろ。
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「古典文学電子テキスト検索」の使い方:1月9日で紹介した「古典文学電子テキスト検索」をさらにオシャレにした。

検索すると、GoogleとAmazon、Wikipedia、国立国会図書館サーチの検索結果へのリンクが出るようになった。これは便利ですよ奥さん!

電子テキストサーチスクリーンショット


というわけで、電子テキストが見つからなかったら、Amazonで買いましょう。ちょっと僕が儲かります。
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今度の大河ドラマの題字は青森県在住の書家、菊池錦子氏である。聞いたことのない名前だが、「篤姫」の題字もこの人だそうだ。「篤姫」にはあまりイロモノ感(そのころイロモノ書家なんて概念がなかったけど)を感じなかったが、ここの所ブラックイロモノ書家(イロモノ書家最上級)の起用が相次いでいる大河ドラマなので、どうだろう。

まず手始めに公式サイトを見てみよう。

書家・菊池錦子

非常にシンプルなデザインで、プロに制作させたものではないようだ(これでもしプロだったら、業者かえたほうがいいですよ)。素人くさくてなかなか好感がもてる。しかも、geocities。独自ドメインをとっていないのもいい。とっちゃいけないわけじゃないけどね。

それではイロモノ書家度チェック。基準はイロモノ書家度チェック:2010年07月21日にある。

では、手がかりになるプロフィールをみてみよう。

菊池 錦子 プロフィール
菊池 錦子 プロフィール
青森県弘前市出身・在住
書家 (無所属)
6歳から書を始める。
個展で作品を発表している他、大河ドラマ「篤姫」・「江 〜姫たちの戦国〜」などの映像・イベントなどのタイトルや社名、商品名など 多方面にわたって筆文字の素材を提供している。


なんともシンプルなプロフィールである。これを見ると、イロモノ書家たちのプロフィールがいかに汚いかわかるだろう。

イロモノ書家度チェックでひっかかるのは、

1.経歴に日展・毎日展・読売展のいずれか一つが入っていない。+5

だけである。

他のページも見てみたが、和服姿で書いているのはないし、もちろんパフォーマンスもない。経歴は40年以上。しいて言うなら、「墨以外の色を使った作品」がちらほらあるが、それほど多くないので加算する必要はないだろう。雅号を名乗っていないのも好感がもてる。

ということで、

0〜19pts 素人(残念ながら、あなたはイロモノ的な意味において才能がありません)

あくまでイロモノ書家としての才能なので、誤解なきよう。

「書道団体から離れ、個人で書に親しむようになって二十年」とあるので、あるいはかつて公募展にも出していたのかもしれない。現在、個展で活動しているようなので、公募展の経歴がないのはおかしくない。

作品については写真が小さいので何とも言えないが、それほどヘンなのはないように思える。とりあえずこの人はイロモノ書家ではないと見ていいだろう。
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いろんな「伊達直人」が、あちこちの児童養護施設にランドセルを寄付するという「タイガーマスク運動」は、なるべく早いうちにお金を寄付する運動にするべきである。

匿名であろうとなかろうと、何かを寄付するのはなかなかできないことだ。ましてランドセルとなると、値段も結構するし、新入生の人数を調べなければならない。

これはかなり敷居が高い。同じ人が永久にランドセルを寄付し続けることはできないから、これでは一過性のもので終わってしまう可能性が強い。

寄付するのはランドセルである必要はない。だが、物だといらないものを寄付される恐れがある。実際、すでに食べ物を寄付した「伊達直人」もいるそうだ。だからお金が一番いい。タイガーマスクは美談として語り継いで、これからお金を寄付できるように誰かがしなければならない。

それにしても、ランドセルに気付いた一番最初のタイガーマスク(初代タイガー)はすごい人物だ。これが札束だったら、追随するタイガーはでなかったのではないか。ランドセルなら大きいから見栄えがするしメッセージ性もある。どこかのチャリティー番組よりよほどインパクトがあった。これを利用しない法があるものか。

初代タイガーがランドセルを送った日を「タイガーマスクの日」にして、毎年児童養護施設への寄付を募る。これが一番いいと思う。問題はだれがやるかだが、だれもやらなければ各養護施設自体が寄付を募ってもいいだろう。

匿名でかっこつけたい人には向かないが、心配しなくてもかっこいいのは初代タイガーだけである。
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近代文学用語に純文学と大衆文学というのがある。たとえば芥川賞は純文学が、直木賞は大衆文学が対象となっている。

では、どう違うかとなると、これは難しい問題だ。純文学と大衆文学の違いは、俳句や短歌のような形式の問題ではないから、一見して分かるものではない。

一般に大衆文学の方が売れるといわれるが、売れる純文学もあれば、売れない大衆文学もある。作者の意識としても、純文学を書いているつもりで大衆文学になっちゃったり、その逆になったりすることもあるだろう。

端的に言えば、純文学は芸術で大衆文学は芸術ではない。しかし、そうなってくると今度は「芸術とは何か」となって、ますますややこしいことになる。

そもそも、そんなうすぼんやりした区別だから「そんな区別はない」と言い切っちゃいたいのはやまやまだが、教える立場としては教科書に書いてあるのだからそれではすまない。そこで考えてみた。

こういう時は両極端なものを考えてみるといい。例えば官能小説。あれはどう考えても大衆文学だが、作家は読む人をエロい気持ちにさせるのが目的で書いている。読む方もエロい気持ちになりたくて読むわけだ。分かりやすく言えば「勃ってナンボ(男性の場合)」なのが官能小説である。

一方、純文学と言われる作品の中にも、官能小説みたいなものはある。たとえば、谷崎潤一郎なんか、ものによっては一見それとしか思えないようなものもある。

谷崎は耽美派と言われる。美に耽るということで、官能的なものに美を見ている。だから、仮に谷崎の小説で勃ったとしても、それは谷崎の目的ではない。「勃つ」のはあくまで副作用である。

このへんにヒントがありそうだ。エロいものを見て(読んで)「勃つ」のは人間の本能である。官能とはよく言ったもので、こういう本能に訴えかけるのが大衆文学だと言えないだろうか。

例えば、悲しい物語を読んで「泣けた」なんていうのも本能である。「笑える」もそうだろう。もっとおおざっぱに「感動した」も含まれる。

大衆文学は「泣ける」「笑える」「感動する」のような本能に訴えることを目的とするが、純文学はそうではない。もちろん、本能に訴えかける純文学もあるが、それはその作品の一番の目的ではないのである。

だが、人の本能に訴えるのは難しい。書くという点でいえば、大衆小説作家の方が難しいといわれるゆえんである。
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まるで酢こんぶ…マイクロフィルム資料劣化に悩む図書館
古い文書や画像を記録したマイクロフィルムの劣化が、各地で問題になっている。酢のようなにおいを放ち、ワカメのようにゆがんでしまう「ビネガーシンドローム」。図書館などでは劣化を遅らせる工夫をしたり、新しいフィルムに複写したりするなど対応に追われている。
 京都市内の私立大学の図書館。資料室に入ると、鼻を突くような酸っぱいにおいが漂っていた。原因は、貴重な仏典などを撮影したマイクロフィルムだった。10年ほど前、資料を閲覧した利用者の指摘で、異変に気づいた。フィルムが波を打ち、表面に白い粉が付いていた。まるで酢こんぶのような状態で、機器で映し出すこともできなかった。
 この図書館では、2千本を超えるフィルムのうち、約半分がビネガーシンドロームになっている可能性があるという。担当者は「将来、大切な文献だと判明するフィルムも含まれているはず」と考え、マイクロフィルム撮影業者に対応を尋ねた。しかし、「修復は難しい」と言われた。大半のフィルムはそのまま残されている。


学生時代、国文学なんかやっていると、少なからずこのマイクロフィルムにはお世話になったことがあるだろう。僕もマイクロリーダーの付属品みたいになって何時間も操作したことがある。初めて見たときは、「マイクロ」とかいうわりにでかいなと思った。スパイ映画に出てくるようなのを想像していたのである。

それはともかく、ビネガーシンドロームなんていうのがあるとは知らなかった。フィルムが劣化するのは珍しいことではないから、さして驚くようなことではない。

こういう問題が出てくると、当然デジタルで保存しておくべきだという話になる。デジタルなら劣化しないし、検索も容易だ。DVDなどのメディアは劣化するが、定期的にコピーすれば問題ない。それよりも、インターネット上公開してしまえば遠く離れたところから、だれでも見ることができて便利。

誰でも見ることができるということは、誰でも保存できるということでもある。万一、元のデータがダメになっても、誰かが保存していれば復活できる。結局、インターネットで誰でも見られるように公開するのが一番の保存法なのではないか。

もちろん、マイクロフィルムをすべてデジタル化するとなると、相当なお金がかかる。だから、お金がかかるからデジタル化できないというのは一つの理由として分かる。しかし、どういうわけか、アナログの方が保存に向いているという人がいる。これがいくら考えても理解できない。

そもそも、仮にアナログの方が保存に向いていたとしても、デジタルで保存してもプリントすればアナログになるわけだ。デジタル化しない理由にはならない。

2009年07月28日の「もうフロッピーはいいだろ」というエントリのコメントにそんな人が現れた。

もうフロッピーはいいだろ:2009年07月28日
もっとものを学んでから論述すべきです。
証拠を保存するという点において、デジタルはアナログに比べて致命的な欠点があります。
警察の鑑識も未だにフィルムを使ってます。
Posted by 通りすがり at 2010年02月08日 10:12


もっとものを学べとか、洞察しろとか、名前も名乗らない人にどうしてこんなことを言われなきゃいけないのか分からないが、結局どんな致命的欠陥なのかは教えてくれなかった。
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本当の贅沢とは何か?

贅沢とは金を使うことではない。

例えば、満漢全席を食べるのは贅沢のようだが、食べきれないのを必死で食べたり、食べきれなかった料理を折詰にして持って帰ったりするのは、本当の贅沢とはいえない。それどころかかなり貧乏くさい行為である。二三口食べて「もう結構、次を出してくれ」。これが真の贅沢である。

金のかかる満漢全席でなくても、寒い日に自販機で120円の暖かい缶コーヒーを買い、懐に入れて暖をとった後、飲まずにそのまま棄てれば、贅沢である。しかし、それを飲むのは120円のコーヒーをそのまま飲むよりも貧乏くさい。

満漢全席を持ち帰ろうが持ち帰るまいが、また、缶コーヒーを飲むもうが飲むまいが、かかっている金額は同じである。つまり、贅沢と貧乏は表裏一体で、金をかけたか否かではなく、振る舞いがそれを分けるのである。

さて、昨年の暮れ銚子に行ってきたことはすでに書いたが、これはとても贅沢な旅だった。

まず、泊まった旅館はぎょうけい館。全室オーシャンビューというステキホテルだが、僕たちが泊まったのは「次の間付客室」なる特別室。

15畳+6畳の二部屋からなる広大な客室で、一階にあるのでオーシャンビューどころか波がかかりそうな勢い(実際には絶対にかからない)。

ぎょうけい館


ここに大人数で泊まれば贅沢ではないが、わずか二人で使う贅沢。しかも6畳の次の間は物置に使用。一泊しかしていないので、荷物が少なく一畳も使っていない。押入れで十分なのにあえて一部屋物置にしてしまった。

次の間


まあ、ここまではゼニさえ出せばだれでもできる贅沢である。本当の贅沢はここからだ。

東の空見るゝゝ金光射し来り、忽然として猩紅の一点海端に浮み出でぬ。驚破(すはや)、日出でぬ、と思ふ間もなし。息をもつかせず、瞬く間もなく、海神が手もてさゝ(注)ぐるまゝに、水を出づる紅点は金線となり、黄金の櫛となり、金蹄となり、一揺して名残なく水を離れつ。水を離るゝ其時遅く、万斛(ばんこく)の金たらゝゝと昇る日より滴りて、万里一瞬、此方を指して長蛇の如く大洋を走ると思へば、眼下の磯に忽焉として二丈ばかり黄金の雪を飛ばしぬ。(徳冨蘆花の『自然と人生』中、「大海の出日」より・HOSHINA HOUSEより孫引き


徳富蘆花も書いているように、ここから見る日の出は絶品らしい。「らしい」というのは、僕がそれを見なかったである。見られなかったのではない。寝る方を優先したのだ。これほどの贅沢があるだろうか。

「あしか寿司」のご主人の話によると、夜から明け方、強い風が吹くと雲が無くなるらしいが、大抵は雲から日が出る。つまり、このような雲のない日の出は珍しいらしい(HOSHINA HOUSEよりパクり)。この千載一遇の日の出をあえて見ないで夢を見る。まさに究極の贅沢である。

ニセ初日の出(1024x768)


今回の記事は犬吠埼・その2(銚子2011・その6):HOSHINA HOUSEを徹底的にオマージュ(誤用)いたしました。

【オマケ】

ここにしてください

何をだよ。
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昨年の11月12日に「あのビデオを公開しなかった意味」というエントリを書いた。

あのビデオを公開しなかった意味

「あのビデオ」とは海保の船と中国漁船との衝突事故のビデオのことである。このエントリは、どちらの言い分が正しいとかいうものではない。政府がなぜ公開しなかったのかを考えたのである。そして僕は日本と中国の国民がこの件について騒ぐことが、どちらの国にもメリットがないからだと考えた。

しばらくして、「おやじ」さんという方からコメントをいただいた。そのまま引用する。

毎日新聞の記事
アジアサバイバル:転換期の安保2010 「尖閣」で露呈、外交の「弱さ」
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101108ddm003030115000c.html
を読めば、なぜ非公開にされたのかよく分かります。
仙石官房長官の中国との密約で非公開となりました。
教職にあるならば、もう少し深い洞察と、幅広い情報収集の後に記事の掲載をするべきだと思います。


毎日新聞の記事は、おやじさんのコメントにもあるように、中国政府とビデオを公開しないという密約があったというものだった。しかし、この時のコメントで反論したように、それは公開しなかった理由になっていない。

密約があったから非公開にされたというのは、泣いている人を見て、悲しいから泣いていると思うのと同じことである。それはたしかに理由には違いないが、悲しいから泣いているのか、どこかが痛いから泣いているのかなんてことは誰でも分かる。その人がなぜ悲しんでいるのかを考えなければ、「洞察」とはいえないだろう。

「洞察」とは「物事を観察して、その本質や、奥底にあるものを見抜くこと。見通すこと。(大辞泉)」である。泣いている人を見て、その人が親を亡くして悲しんでいるのか、恋人と別れて悲しんでいるのか、友人に裏切られたのか、そこまで考えて初めて洞察といえる。

漁船衝突事件にもどると、仙石官房長官との密約で非公開になったのなら、なぜ密約が成立したかを考えなければならない。前のエントリの場合、僕は毎日新聞の記事を読んでいなかったので、その点ではたしかに「幅広い情報収集」は足りなかったが、あの記事にはそこまで書いていなかった。そこから先が「洞察」である。

密約があったとして―さらに中国側が非公開を要求したとして―日本政府がそれを飲んだ(というより合意した)のはなぜだろう。僕はそれを両国にとって何のメリットもないからだと、流出した後の状況から「洞察」したのである。

もちろん、他の「洞察」もあるだろう。だが、僕にはこの「洞察」が一番現実的だと思ったから書いた。根拠は流出した後の状況である。

面白かったのは、何も「洞察」していないおやじさんが、僕に「もう少し深い洞察」を求めたことだ。どうやら洞察していない人は、相手に「洞察」を求めるものらしい。これは嫌味ではない。勉強になった。

なぜ僕が今更こんなことを書くかだが・・・結局あの「英雄」は何だったんだ。彼は職まで賭したのに、英雄とはやし立てていた連中は誰も何も言わない。あまりにかわいそうじゃないか。

結局僕の「洞察」は間違っていなかったようである。
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現在古典文学電子テキスト検索で、謡曲三百五十番集入力:半魚文庫にある作品を登録している。ナサケナイ話だが、僕は中世文学専門(だった)にもかかわらず、謡曲には疎い。さすがに歌舞伎ほどではないが、読みに自信のないものがあるので、怪しいものは調べてから入力している。

こういう時にインターネットは便利だ。Google先生にお願いすればたいがい教えてくれる。そうして調べているうちに、かなり高い確率でヒットする、同じサイトがあることに気付いた。で、あらためて読んでみたらこれがとても面白かった。

謡蹟めぐり 謡曲初心者の方のためのガイド

このサイトのメインコンテンツは、宝生流の謡曲、180曲全曲の紹介である。だが、単にストーリーを紹介しただけではない。その舞台となった地を訪ねたときの写真と詳細なレポートがある。

恥ずかしながら「謡蹟」という言葉を知らなかったのだが、謡曲の舞台となった(といっても、能楽堂のことではない)場所のことらしい。謡曲はあらゆる古典を題材にしている。だから謡曲にあまり興味がなくても、日本の古典に興味がある人は参考になるだろう。

このサイトは謡蹟の紹介だけではなく、能の基本的な知識も解説している。これがまた簡潔で実に読みやすい。

それにしても、これだけのものを作るのは大変なことだ。デザインもすっきりしていて読みやすく、非常に完成度が高い。作者がいかに能を愛しているかが伝わってくる。個人サイトのようだが、一体どんな人が作ったのだろう、と思ってプロフィールを見た。

プロフィール:謡蹟めぐり

高橋春雄 大正14年2月生れ・・・

高橋さん、すごすぎます!
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今月の壁紙は1月2日のエントリにあるが、ニセとは言え、いつまでも初日の出じゃないだろうと思うので、今月二つ目の「今月の壁紙」。

象のはな子さん(1024x768)


象のはな子さん(1024x768)
象のはな子さん(1280x1024)

64歳を迎えた、井の頭自然文化園に住むアジアゾウのはな子さん(「ハナコ」でも「花子」でもなく「はな子」が正しい表記らしい)。

日本最長寿の象という縁起物。

井の頭自然文化園にはツシマヤマネコもいたんですけどね・・・どうみてもただの猫でした。
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