学校関係者には新学期が始まったが、僕にとってはいつもと違う新学期となった。ついに国語の授業が無くなったのだ。
すでに去年の段階で、国語の授業は週2時間(それも現代文)になっていた。書道の授業が2時間増えたので、授業時数は去年と同じ。万年非常勤講師としての収入は変わらないので、生活の心配はない。
国語の授業が無くなったのは、団塊の世代の退職が始まったのが主な理由である。
最も採用が多かった団塊の世代が退職し、僕たちに近い立場として再就職するのに伴って、非常勤講師の仕事が彼らにとられてしまったのである。書道はもともと専任がほとんどいないので、その心配が(ほとんど)ない。書道をやっていて本当によかったと思う。
これは、最初から予測できたことだから、仕方のないことである。まして、前年度と同じ収入が確保できた僕が文句をいう筋合いはない。
単に「仕事」という点で考えれば、悪いことは一つもない。面倒くさい定期考査からも解放される。そもそも、複数の教科をやるのは結構たいへんだ。
実をいうと、これまで書道をやめようと思ったことが何度もある。学校で書道を教えているぐらいで「書道をやっている」というのも図々しい話だが、僕はそれすらもやめようと思ったのである。
自分の中では、専門は国文学だというのがあって、今はほとんど休止状態だけど、いつかは戻ろうと思っている。だから、書道からは距離を置きたいというのが本音なのだ。
ところが、僕に利益をもたらせてくれるのは書道の方だった。距離を置こうとすればするほど、書道の時間が増える。お金と時間を「投資」としてたとえれば、お金と時間をかけた文学研究はまったくダメで、書道はとても効率のいいリターンがあった。
まあ、投資ってのはそういうもんだ、と納得するが、ちょっとさびしくもある。
すでに去年の段階で、国語の授業は週2時間(それも現代文)になっていた。書道の授業が2時間増えたので、授業時数は去年と同じ。万年非常勤講師としての収入は変わらないので、生活の心配はない。
国語の授業が無くなったのは、団塊の世代の退職が始まったのが主な理由である。
最も採用が多かった団塊の世代が退職し、僕たちに近い立場として再就職するのに伴って、非常勤講師の仕事が彼らにとられてしまったのである。書道はもともと専任がほとんどいないので、その心配が(ほとんど)ない。書道をやっていて本当によかったと思う。
これは、最初から予測できたことだから、仕方のないことである。まして、前年度と同じ収入が確保できた僕が文句をいう筋合いはない。
単に「仕事」という点で考えれば、悪いことは一つもない。面倒くさい定期考査からも解放される。そもそも、複数の教科をやるのは結構たいへんだ。
実をいうと、これまで書道をやめようと思ったことが何度もある。学校で書道を教えているぐらいで「書道をやっている」というのも図々しい話だが、僕はそれすらもやめようと思ったのである。
自分の中では、専門は国文学だというのがあって、今はほとんど休止状態だけど、いつかは戻ろうと思っている。だから、書道からは距離を置きたいというのが本音なのだ。
ところが、僕に利益をもたらせてくれるのは書道の方だった。距離を置こうとすればするほど、書道の時間が増える。お金と時間を「投資」としてたとえれば、お金と時間をかけた文学研究はまったくダメで、書道はとても効率のいいリターンがあった。
まあ、投資ってのはそういうもんだ、と納得するが、ちょっとさびしくもある。