2011年09月

光速超えるニュートリノ 「タイムマシン可能に」 専門家ら驚き「検証を」
名古屋大などの国際研究グループが23日発表した、ニュートリノが光よりも速いという実験結果。光よりも速い物体が存在することになれば、アインシュタインの相対性理論で実現不可能とされた“タイムマシン”も可能になるかもしれない。これまでの物理学の常識を超えた結果に、専門家からは驚きとともに、徹底した検証を求める声があがっている。

タイムマシンなんかできるわけがないが、科学的なことはよく分からないので、もしできたら”文系”的にはどうなるんだということを考えてみた。

まず、一番恩恵を受けそうなのは民俗学だろう。民俗学は常民(簡単に言うと一般ピープル)を対象とするから、虚無僧のコスプレでもして行きたい時代に行き、気が付かれないようにパカパカ写真を取ってくればそれだけで資料になる。

次は歴史学だ。歴史学は文献から史実を探求する学問である。タイムマシンがあれば、文献である程度分かっていることを、現場に行って確認することができる。例えば、関ヶ原の合戦を見に行って、従来の説を補強するとか、逆に覆すとかできるだろう。ただし、民俗学に比べると、多かれ少なかれ命がけになるので、旅行保険は諦めた方がいい。

しかし、歴史学はテレビだの雑誌だの、スポンサーがつくと思われるので、若手研究者にはオイシイのではないだろうか。戦場カメラマンならぬ戦場研究者みたいなのが出てくるかもしれない。

さて、我らが国文学はどうか。

国文学は書かれた文献そのものが学問の対象になる。是非とも著者自筆本を手に入れたいものだが、江戸時代を除いて文献は本屋に行けば売っているというようなものではない。他に考えられるのは作者にインタビューだが、身分制度の時代になかなか難しいだろう。

まず、奈良時代。『万葉集』の編者に会って、どう読むのか聞いてみたいが、編者が誰だかよく分からない。それ以前に『万葉集』そのものにお目にかかれるかどうかすら分からない。

東歌だったら、東国へ行ってその辺の農民に聞けば歌ってくれるかもしれない。しかし、奈良時代の東国なんてヤバそうなところちょっと行きたくない。

大伴家持に会ってインタビューするのが一番現実的か。家持なら、事跡がわりとよく分かっているので探しやすいだろう。問題はどうコネをつくるかだ。

平安時代に行って『源氏物語』の紫式部自筆本を見るのはどうだろう。それには、なんとかして貴族社会に入らなければならない。しかし、いくらコスプレしたところで、海のものとも山のものとも分からない未来人を受け入れてはくれないだろう。

渡来人のふりをして現代の技術(頭痛薬でも持っていけばいいだろう)を使って道長あたりに取り入るという方法はどうだろう。この方法はグッドアイディアだと思ったが、よく考えたらかなり長期留学になりそうだ。

うまく潜り込めたところで、紫式部本人から直接受け取らないと、本当に自筆本かどうかは分からない。下手をすると、現存本よりもカスなのをつかまされる可能性すらある。たとえ道長に取り入ったとしても、紫式部に会うのはもっと難しいかもしれない。

それでも、作者が分かっているものはまだいい。『平家物語』なんかだと、せいぜい琵琶法師から平家琵琶を聴くぐらいのことしかできないだろう。まあ、それでも十分といえば十分なのだが。

『今昔物語集』になると、もうどうしようもない。『今昔物語集』は近世になってから世に出てきたので、どこにあるか皆目わからないのである。それに、書かれている内容は成立(平安末期)以前のことなので、成立当時に行ってもあまり意味があるとも思えない。

長明とか兼好みたいな隠者文学はなんとかなりそうだ。住んでいたところが分かっているので、手土産でも持ってインタビューすればいいんじゃないだろうか。兼好なんか快く話してくれそうだ。うまくいけば執筆中の『徒然草』が見られるかもしれない。あ、『徒然草』に登場しちゃったらヤバいな。

近世は事跡が比較的分かっているから楽そうだ。西鶴だろうと秋成だろうと、ちょっと握らせればインタビューに応じてくれるだろう。芭蕉は奥の細道を先回りすればいい。

いずれにしても、歴史学と違い、手間がかかる上に地味すぎてスポンサーがつきそうにない。私費で行くか、科研費でも申請していくしかない。
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先日、明治公園で脱原発の集会があった。全国から6万人の参加者があったそうだ。知ってたら行ったのに・・・残念。

まともに数字が数えられない経済学者の池田信夫センセー(現実が見えない人:2011年06月12日)が今度はどんなクソを投げてくるか楽しみだ。話1/3でも2万人なんだけどね。

大江健三郎さんら脱原発訴え 都心で6万人参加デモ:asahi.com
脱原発を訴える「さようなら原発集会」が19日、東京・明治公園で開かれた。ノーベル賞作家の大江健三郎さんらが呼びかけた。主催者側によると、全国から約6万人が参加し、東京電力福島第一原発の事故に関連した集会では、最大規模になったという。
 集会では大江さんのほか、経済評論家の内橋克人さんや作家の落合恵子さんらが登壇。大江さんは「原子力は荒廃と犠牲を伴う。私らは原発に抵抗する意志を持っているということを政党の幹部に知らせる必要がある」と呼びかけた。

ここでこのデモを取り上げたのは、脱原発を主張したいからではない。いや、個人的には脱原発しかないだろうと思っているのだが、それはひとまず置いておいて、デモって何だよということが気になったからである。

もはや6万人の参加者があったと聞けば、いくら池田センセーでも国民の多くが原発はいらないと思っていることは認めざるを得まい。

デモを起こし、問題を提起して、賛同者を増やすのが本来のデモであるとすれば、脱原発デモはまっとうなデモである。これによって潜在的な原発反対の人が表に出てくることになる。今後このようなデモがあれば参加者は増えるだろう。

ここで断っておくと、僕はどんなデモであれ、行動することは尊敬に値することだと思っている。たとえ、それが自分の考えと違うものであってもだ。主張に賛同はできなくても、行動そのものは尊敬するし、それを妨害するものは軽蔑する。

だが、「フジテレビ抗議デモ」には違和感を感じた。なにかおかしい。もちろん主張がおかしいのだが、それ以外に何かがおかしい。

いろいろ考えて、デモする場所がおかしいという結論に至った。

「フジテレビ抗議デモ」はフジテレビ本社近くで行われている。自分たちの要求をフジテレビに伝えるためである。一見、何もおかしくないように思えるが、ちょっと視点を変えると分かりやすい。

例えば、ある会社の本社ビルを対象に待遇改善のデモ行進が行われたとする。デモに参加した人の人数と、社員の人数ははっきりしているから、どのぐらいの人が改善を望んでいるかすぐにわかる。たとえ数十人でも社員の90%の参加ならプレッシャーになるだろう。

フジテレビデモの場合、デモしている人の数はある程度分かるが、上の例の「社員」に当たる人数は分からない。フジテレビを見る人全員とも言えるし、日本国民すべてともいえる。そのなかのどのくらいの数が、放送をやめてほしいほど韓流に反対しているか全くわからない。そして、それはしばらくすれば視聴率という数字ではっきりと表れる。そんな要求をフジテレビが呑むわけがない。

要するにデモでお台場に集まった人たちは、何者をも代表していないのである。本人たちは代表しているつもりなのだろうが、どれだけの賛同者がいるか彼らにもわかっていない。

たぶん、あの程度の人数(正確な人数は分からないが)で大規模デモとか言っているぐらいだから、フジテレビデモに参加した人たちには、「イヤなら見なきゃいいじゃん」と「韓流大好き」の人の方が、韓流に反対している人よりもはるかに多いということぐらいは想像がつくだろう。

ならば、自分たちの考えを世に広め、賛同する人を増やすのが先ではないか。フジテレビ本社よりも新宿とか渋谷とか新大久保とか、もっと人が集まるところでやるべきである。

人に理解されていない主張を振りかざして、放送の内容に抗議する。あれは何なんだと考えて「強訴」という言葉が思い浮かんだ。興福寺なんかの僧兵が神威を振りかざして朝廷にいろいろ要求するアレ。神威は神を信じないものには通じない。
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ちょっと前まで、海外では眼鏡・出っ歯・カメラが日本人の特徴だった。カメラは首からさげるのだから、一眼レフである。僕は三拍子そろっているので、昔の基準ではどこからどう見ても日本人である。

ところが、最近では出っ歯はともかくとして、メガネと一眼レフは日本人以外でも珍しくない。中国人もインド人も欧米人でも、観光地ではかなりの確率でカメラを首から下げている。

一眼(レフ)に限って言うと、どういうわけかニコンが多い。次はキヤノンだが、ニコンとキャノンの割合は、圧倒的にニコンの勝ちである。ヨーロッパの観光地でニコンを持っている人を探すのは1分もかからないが、キヤノンを持っている人を探すのは5分はかかるだろう。ソニーは30分ぐらいか。オリンパスとペンタックスは下手すると一日かかるかもしれない。

持っているカメラは、新しいものが多い。僕のようにススけた一眼レフをぶら下げている人はほとんどいない。たぶん、ハレの旅行に新調してきたのだろう。持ち方がぎこちない人が多い。そんなわけだから、使い方をよく知らずに持ってきている人もいるようだ。

エッフェル塔の下で写真を撮っていたら、若い男性が話しかけてきた。エッフェル塔をバックにシャッターを押してくれという。

もちろん、快く了解し撮ってあげたのだが、なにしろエッフェル塔のバックは明るい空なので、かなりアンダー(エッフェル塔、人物が真っ黒)になっている。これでもいいかと見せたらOKだったので、今度は僕のカメラで僕たちの写真を撮ってもらった。さっきはアンダーだったので、露出は+2補正した。

きれいに撮れた写真をみて、青年、「なんで僕のは真っ暗なのに、君のはちゃんと撮れているんだい?」というから、露出補正を教えてあげた。この時、ロシア語が表示されていた。

メーカーは違うが、やり方は同じで、露出補正ボタンを押しながらダイヤルを回せばいい。ところが試し撮りしてみたら、かえって真っ暗になってしまった。ダイヤルの回し方が、PENTAXとNikonでは逆だったのである。

空をバックにすると人物が暗くなる現象だが、銀塩カメラ(フイルムカメラ)だとフィルムの特性上そこまで暗くならなかったのが、デジカメだと明暗の差がはっきり出て、真っ暗になってしまうことがよくある。

ストロボを焚くという手もあるが、さっきの例でいうと、近くの人物は明るくなっても、エッフェル塔は明るくならない。そういうときのために、デジカメを買ったら、最初に露出補正の仕方を覚えておくとよいだろう。
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一時はどうなることかと思われたWillcomだが、今日、久々に新モデルが出た。これまで新モデルといいつつ、旧モデルのスペシャルバージョンだったりしたので、これだけでも驚くに値する。

「携帯なんか興味ないよ」という人も多いだろうが、ちょっと待ってくれ。だまって次のリンクをクリックしてほしい。腰抜かすぞ。

WX02A(イエデンワ)〜家の電話のような、PHSケータイ〜

普通のPHS端末を家に置きっぱなしにしておくのと同じなんだけど、あえて機能をしぼって固定電話の形にするという発想が面白い。

今やほとんど見なくなった白黒液晶で、メールにすら対応していないのに、(おそらく)世界一でかい。ほとんどギャグだが、Willcomには通話定額プランがあるので、お年寄りの家に置いたりするのにはいいんじゃないだろうか。

乾電池でも使えるというのも面白い。計画停電のときに心配したのが、いかに祖母の家に電話を掛けるかということだった。今の電話は電源がないと通話できないのである。

しかし、停電しても使えるという実用目的以外に、これを持ち歩いて、飲み会なんかの時颯爽と出して電話すれば絶対にウケるだろう。いや、そこまで体を張って笑いを取ろうとは思わないけど。

今回の新モデルには世界最大と同時に世界最小もある。

WX03A (ストラップフォン)〜フリスクサイズ 世界最小最軽量(※)ケータイ〜

Willcomの端末はもともと小さいものが多いのだが、これは世界最小フリスクサイズ。キーホルダー感覚で持てる。

こちらもメール等には対応していない。スマホやタブレット端末と組み合わせて使うのを想定しているのだろう。

僕は先日買ったタブレット端末とWillcomのPHSを併用しているが、PHSは通話だけに使うようになった。この使い方だと、PHSは小さければ小さいほどいいので、この端末には興味がある。

携帯各社がスマホに注力している間に、機能を限定して最大と最小の端末を出すというというのは、すばらしい発想の転換だと思う。Willcomなかなかやるなー。
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佐々木マキ『うみべのまち』(太田出版)を読んだ。このエントリのタイトルに?がついているのは、読めているかどうか自分でも分からないから。



佐々木マキは、絵本や村上春樹の本の表紙で知られている。僕は絵本作家かイラストレーターだと思っていたが、もともとはガロ系の漫画家だったそうだ。

僕が初めて佐々木マキの作品を読んだのは、弟のところに送られてきた「こどものとも」(月刊の絵本)の『ムッシュムニエルをごしょうかいします』である。「こどものとも」の50周年記念誌『おじいさんがかぶをうえました―月刊絵本「こどものとも」50年の歩み』で確認すると、1977年の11月号だった。



このとき、僕は9歳だったのだが、独特の世界観と画風が印象に残り、30年以上たった今、本屋で見かけた『うみべのまち』を衝動買いした次第。

『うみべのまち』は1967年〜1981年の自選漫画集である。初出は「ガロ」が多いが、「朝日ジャーナル」や「サンケイ新聞」など一般誌もある。この「朝日ジャーナル」を見た手塚治虫が、佐々木マキを狂人呼ばわりし、連載の中止を主張したそうだ。

手塚治虫によって狂人扱いされたマンガはどのようなものか。

一つのページに、シュールで幻想的な絵が描き込まれたコマが、普通のマンガよりちょっと多めに詰め込まれている。背景はどことなくヨーロッパを思わせる異国。セリフは抽象的で少ない。描き込まれた一コマ一コマに物語があり、それが一見脈絡のないように並べられているが、よく読んで見ると繋がってストーリーになる。ああ、だめだうまく説明できない。

作風はレオポール・ショヴォサルバドール・ダリ杉浦茂、サイケデリック・ムーブメントの影響がみられる。ますます分からなくなった。

こんな感じなので、僕自身ちゃんと読み取れているか、はなはなだ心もとない。しかし、こういう作品が一般誌に載った、60年代から70年代の時代の空気を感じることができる。あの時代には、難解なものを受け入れようとする土壌があったのだ。

中には子供向けに描かれた、比較的わかりやすい作品もある。そういう作品でも、佐々木マキ的な世界観で描かれているので、よく分からない作品は飛ばして、分かりやすいものから読んでいくという手もある。

まあ、あまり難しいことは考えずに、イラストだと思って絵をつらつらと眺めるだけでも楽しいので、そういう読み方もアリだろう。
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7月に買ったZTE Light Tab青空文庫を読んでいる。Light Tabは非力だが、テキストを読むぐらいでは何の支障もない。パソコンで読むときには少々抵抗があったが、タブレット端末だと紙の本を読むのと近い姿勢で読めるため、非常に読みやすい。

青空文庫とは著作権切れのテキストをボランティアが電子テキスト化し、無料で公開しているサイトである。日本の法律では作者の死後50年で著作権が切れる。逆に言うと、青空文庫には作者の死後50年後まで生き残ったテキスト、つまり名作だけが公開されているわけだ。作品数はすでに1万点を超えた。これを、リーダーアプリで読む。もちろん無料。

ハードウェアの代金は別にして、すべて無料でこれだけの本が読めるのである。僕は今、明治文学を読みなおしている。

例えば、漱石の『吾輩は猫である』を読もうとする。昔読んだことがあるから、書架のどこかにあるはずだが、全集でも持っているか、よほどきちんと整理されていないかぎりすぐにでてこない。僕の本棚はまるで整理されていないので、「まっ、いいか」となって結局読まなくなってしまう。

たまたま『吾輩は猫である』が出てきて、漱石に興味がでたとする。別の作品を読もうとしても、持っていなければ買いに行くかamazonあたりに注文しなければならないが、青空文庫ならすぐに読むことができる。こうやって芋ずる式に『三四郎』『それから』『門』『草枕』を読んだ。

電子書籍を商売として考えた場合、これは強敵だ。なにしろ、相手は長い時代の波にもまれても生き残った歴史が証明した名作で、それが無料なのである。

そんな中、やっぱりというか何というか、シャープのGarapagosの販売終了が決定した。

シャープ:ガラパゴスOS、1年もたず撤退 電子書籍に特化し低迷
シャープは15日、電子書籍サービスに対応した多機能端末「GALAPAGOS(ガラパゴス)」(10・8型、5・5型)の自社販売を9月末で終えると発表した。電子書籍市場が広がる中、米アップルのiPad(アイパッド)に対抗する“日の丸端末”を狙ったが、米グーグルの基本ソフト(OS)「アンドロイド」を搭載した他社の多機能端末との販売競争にも押され、昨年12月の投入から1年もたたずに撤退を余儀なくされた。


Light Tabを買う前に、このガラパゴスも店頭で手に取ってみた。ハードとしては大きさや重さ、液晶の見やすさ等思ったよりも悪くない。しかし、あまりにも制限が多い。青空文庫を読むのもかなり面倒くさい。第一、これだけ機能をしぼってLight Tabよりも値段が高いというのは物を売るってレベルじゃない。こりゃダメだろうと思ったらやっぱりダメだったか。

一方、電子書籍ストアのTSUTAYA GALAPAGOSは継続するらしい。が、いかんせん値段が高く、他のストアとの互換性もない。1万点の名作がライバルだと分かっていないのだろう。

もう、こんなやつら相手にしないで(最初から相手にされていないけど)、青空文庫でも読みましょうよ。
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まだまだ暑い日がつづきますな。

「秋は夕暮れ」ということで、今月の壁紙。

偽夕焼け(1024x768)


偽夕焼け(1024x768)
偽夕焼け(1280x1024)

これ、いつ撮ったんだっけ?と思ってタイムスタンプを見てみたら、「2003:08:26 05:11:17」となっていた。

ん???朝焼けじゃねぇか!
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昨日・今日と戸越で祭りがあり、それを見るために親戚のショータ君(約三歳)が来た。ショータ君鉄ちゃん化計画のショータ君である。

せっかくお祭りに来たのに、神輿よりも電車に興味があるらしく、池上線の踏切の前に座り込んでなかなか動かない。むりやり連れて行ったら、今度は本屋の前にディスプレイしてあった電車の絵本に釘づけになった。計画は順調に進んでいるようだ。

しかし、最近、思いもしなかった伏兵が現れた。なんとレディー・ガガである。電車の絵本から引き離すために肩車をしてやったら、僕の肩の上で「レディー・ガガ」といいつつヘンな踊りを踊っていた。

ショータ君は三歳にしてレディー・ガガファンなのだ。両親がガガファンというわけではないらしい。レディー・ガガのどこに三歳児を引き付ける要素があるのだろうか。

僕が最初にレディー・ガガを知ったのは、BS朝日でやっているベストヒットUSAで小林克也と対談しているのを見たときである。そのころは今ほど有名ではなかった。

ベストヒットUSAはよく見るのだが、実を言うと最近の洋楽にはあまり興味がなく、名前を覚えられない。あれは小林克也を見る番組だと思っている。それでもレディー・ガガの名前を憶えているのは、QeenのRadio Ga Ga:Youtubeをもじったものだとすぐに分かったである。

初めて名前を聞いたときに、これはうまいネーミングだと思った。

Qeenを知っているオッサンの世代には、一度聴いたら忘れられない名前である。数あるQeenのヒット曲の中でも、「売れたことは売れたが代表曲ではない」感じもいい。これがBohemian RhapsodyとかWe Will Rock Youをもじったら、有名すぎていかにもという感じだし、Killer Queenではもじっていることにすら気が付かれない。

逆に出典を知らない世代には、非常に個性的な名前に感じられるだろう。短いのでどこの国の人でも覚えやすい。ちなみに、レディー・ガガの本名はステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ(Stefani Joanne Angelina Germanotta)である。

それでは、なぜ3歳児にまで受けるのか。まず、あのファッションがあるのは間違いない。だが、それ以上に名前の果たす役割は大きいと思う。

元ネタの「Radio Ga Ga」の「Ga Ga」はラジオのノイズを表すオノマトペである。ロジャー・テイラーの息子が「Radio ca ca(ラジオ カカ)」と言ったのに由来する。もともと幼児語だったのである。
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電子書籍への蔵書コピー代行業者急増 作家や出版社、法曹関係者は「違法」と警告:MSN産経ニュース
お気に入りの本や雑誌をスキャナーで読み取り、個人で電子書籍を作成することが人気を集めているが、それを代行するサービスの是非が議論されている。本人に代わって営利目的でコピーすることは、著作権法で許される「私的複製」を逸脱しており、「違法」とみる専門家が少なくないのだ。村上春樹さんら人気作家の中国語版などが無断で電子化された例が相次いでいることもあり、作家や出版社は業者に警告を発している。(海老沢類)
<中略>
ただ、1ページずつスキャナーで読み込む作業は手間がかかることもあり、今春ごろから代行業者が急増し、今では数十社に上るとみられる。1冊350ページを100円以下で請け負う業者が出るなど価格競争も過熱気味だ。客から本を郵送してもらい、PDF(電子文書のファイル形式の1つ)化した電子データをダウンロードしてもらう方式が一般的。東京都内の業者によると、「大半は個人客で、多いときは1日約200冊の依頼が入る」という。

法律的に違反の可能性があるからやめろいう。これ以上やるなら訴えるぞといって、資金力のある大出版社の名前を出しているのだから立派な脅しである。

四の五の言わずスキャン代行業者を訴えてしまえばよさそうなものだが、そうしないのは負ける可能性が高いからだろう。負けたら大っぴらにやられることになるし、勝ったとしても水面下でやられるだけなので、いっちょ脅しをかけておこうという、大変せこいやり方である。

スキャンの代行なんて、考えてみればヘンな商売だ。350ページ100円としても、往復の送料で最低160円、計260円余計にかかるのである。絶対に電子化されなさそうな古書ならともかく、だれが新刊書をスキャンするだろうか。こんな商売が成り立つのは、出版社がマヌケだからである。

例えば、本を買ったときに50円ぐらい追加すれば、その本のデータが一回だけダウンロードできる権利を出版社が付ければ、それだけでこの商売は成り立たなくなる。もちろん、アメリカのamazonみたいに電子書籍がもっと手軽にダウンロードできるようになればなおさらだろう。

商売なんだから商品を売ることに専念すればいいのに、他の商売や消費者の妨害ばかり考えている。スキャン代行業者がいなくなったら売上が上がるとでも思っているのだろうか。

ところで、昔(最近行っていないので今は知らない)、国会図書館のコピーコーナーでは市価の数倍の金をとって係員がコピーしてたが、あれは「本人に代わって営利目的でコピー」じゃないのかね。

【2011/09/25 補足】
このエントリの最後の一行だけを見て、僕が国会図書館批判をしていると誤読している人がいるので補足する。
このエントリの趣旨は、スキャン業者が違法なら、国会図書館だって違法だろうということで、国会図書館のコピーコーナー自体を批判したものではない。
コピーする側の目的がどうだろうと、利益が出たら営利なのだから、絶対に利益が出ないようになっていないかぎり国会図書館のコピーコーナーだって営利目的といえるのである。
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7月、パリに行ったとき、ホテルに近かったので、ヴァンドーム広場に行った。

ヴァンドーム広場


この写真の右側に見えるのが、Puttin' on the Ritzで有名なリッツホテル。

IMGP3655


ダイアナ妃はここから、シャンゼリゼ方面に行く際、アルマ橋のトンネルで事故に遭い亡くなった。ちなみにアルマ橋は、下水道博物館のすぐ近くである。

このリッツホテルの近くで、こんなのを見つけた。

パリのメートル原器


「METRE」と書いてあるから、メートル法に関する何かだろうと思って撮った。なにしろ、フランスはメートル法の発祥地である。しかし、どこにも説明書きがないので何だかわからない。もっとも、あったとしてもフランス語では読めないけど。で、昨日これが何なのか分かった。

メートル法以前、フランスではトワーズという独自の単位が使われていた。フランス革命後、世界各地でバラバラの単位を用いていたのを統一するため、子午線をもとにメートル法を使うことになった。

これは、1796年2月から1797年12月の間にメートル法を民衆に周知するために作られたメートル原器で、パリ中に16基設置されたそうだ。始皇帝が文字統一のために建てたという泰山刻石みたいなものだ。そのうち、現存しているメートル原器は2基で、これはその一つである。

単位というものは変えろと言われても、そう簡単に変えられるわけではない。変えたい方は必然があるが、変えさせられる方は今までの単位で何の不自由もないからである。こんなことをしてもなかなか普及しなかったらしく、メートル法以外の単位を禁止する法律ができてやっと普及したそうだ。

このメートル原器について、くわしくはこちらをどうぞ。

1メートル:長さの原点:パリノアメリカノウゼンカズラ
もう一つのメートル原器:パリノアメリカノウゼンカズラ

さて、まだ意味が分からない写真がいくつかあるのだが・・・
ナゾのモザイク

インベーダー
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