光速超えるニュートリノ 「タイムマシン可能に」 専門家ら驚き「検証を」
タイムマシンなんかできるわけがないが、科学的なことはよく分からないので、もしできたら”文系”的にはどうなるんだということを考えてみた。
まず、一番恩恵を受けそうなのは民俗学だろう。民俗学は常民(簡単に言うと一般ピープル)を対象とするから、虚無僧のコスプレでもして行きたい時代に行き、気が付かれないようにパカパカ写真を取ってくればそれだけで資料になる。
次は歴史学だ。歴史学は文献から史実を探求する学問である。タイムマシンがあれば、文献である程度分かっていることを、現場に行って確認することができる。例えば、関ヶ原の合戦を見に行って、従来の説を補強するとか、逆に覆すとかできるだろう。ただし、民俗学に比べると、多かれ少なかれ命がけになるので、旅行保険は諦めた方がいい。
しかし、歴史学はテレビだの雑誌だの、スポンサーがつくと思われるので、若手研究者にはオイシイのではないだろうか。戦場カメラマンならぬ戦場研究者みたいなのが出てくるかもしれない。
さて、我らが国文学はどうか。
国文学は書かれた文献そのものが学問の対象になる。是非とも著者自筆本を手に入れたいものだが、江戸時代を除いて文献は本屋に行けば売っているというようなものではない。他に考えられるのは作者にインタビューだが、身分制度の時代になかなか難しいだろう。
まず、奈良時代。『万葉集』の編者に会って、どう読むのか聞いてみたいが、編者が誰だかよく分からない。それ以前に『万葉集』そのものにお目にかかれるかどうかすら分からない。
東歌だったら、東国へ行ってその辺の農民に聞けば歌ってくれるかもしれない。しかし、奈良時代の東国なんてヤバそうなところちょっと行きたくない。
大伴家持に会ってインタビューするのが一番現実的か。家持なら、事跡がわりとよく分かっているので探しやすいだろう。問題はどうコネをつくるかだ。
平安時代に行って『源氏物語』の紫式部自筆本を見るのはどうだろう。それには、なんとかして貴族社会に入らなければならない。しかし、いくらコスプレしたところで、海のものとも山のものとも分からない未来人を受け入れてはくれないだろう。
渡来人のふりをして現代の技術(頭痛薬でも持っていけばいいだろう)を使って道長あたりに取り入るという方法はどうだろう。この方法はグッドアイディアだと思ったが、よく考えたらかなり長期留学になりそうだ。
うまく潜り込めたところで、紫式部本人から直接受け取らないと、本当に自筆本かどうかは分からない。下手をすると、現存本よりもカスなのをつかまされる可能性すらある。たとえ道長に取り入ったとしても、紫式部に会うのはもっと難しいかもしれない。
それでも、作者が分かっているものはまだいい。『平家物語』なんかだと、せいぜい琵琶法師から平家琵琶を聴くぐらいのことしかできないだろう。まあ、それでも十分といえば十分なのだが。
『今昔物語集』になると、もうどうしようもない。『今昔物語集』は近世になってから世に出てきたので、どこにあるか皆目わからないのである。それに、書かれている内容は成立(平安末期)以前のことなので、成立当時に行ってもあまり意味があるとも思えない。
長明とか兼好みたいな隠者文学はなんとかなりそうだ。住んでいたところが分かっているので、手土産でも持ってインタビューすればいいんじゃないだろうか。兼好なんか快く話してくれそうだ。うまくいけば執筆中の『徒然草』が見られるかもしれない。あ、『徒然草』に登場しちゃったらヤバいな。
近世は事跡が比較的分かっているから楽そうだ。西鶴だろうと秋成だろうと、ちょっと握らせればインタビューに応じてくれるだろう。芭蕉は奥の細道を先回りすればいい。
いずれにしても、歴史学と違い、手間がかかる上に地味すぎてスポンサーがつきそうにない。私費で行くか、科研費でも申請していくしかない。
名古屋大などの国際研究グループが23日発表した、ニュートリノが光よりも速いという実験結果。光よりも速い物体が存在することになれば、アインシュタインの相対性理論で実現不可能とされた“タイムマシン”も可能になるかもしれない。これまでの物理学の常識を超えた結果に、専門家からは驚きとともに、徹底した検証を求める声があがっている。
タイムマシンなんかできるわけがないが、科学的なことはよく分からないので、もしできたら”文系”的にはどうなるんだということを考えてみた。
まず、一番恩恵を受けそうなのは民俗学だろう。民俗学は常民(簡単に言うと一般ピープル)を対象とするから、虚無僧のコスプレでもして行きたい時代に行き、気が付かれないようにパカパカ写真を取ってくればそれだけで資料になる。
次は歴史学だ。歴史学は文献から史実を探求する学問である。タイムマシンがあれば、文献である程度分かっていることを、現場に行って確認することができる。例えば、関ヶ原の合戦を見に行って、従来の説を補強するとか、逆に覆すとかできるだろう。ただし、民俗学に比べると、多かれ少なかれ命がけになるので、旅行保険は諦めた方がいい。
しかし、歴史学はテレビだの雑誌だの、スポンサーがつくと思われるので、若手研究者にはオイシイのではないだろうか。戦場カメラマンならぬ戦場研究者みたいなのが出てくるかもしれない。
さて、我らが国文学はどうか。
国文学は書かれた文献そのものが学問の対象になる。是非とも著者自筆本を手に入れたいものだが、江戸時代を除いて文献は本屋に行けば売っているというようなものではない。他に考えられるのは作者にインタビューだが、身分制度の時代になかなか難しいだろう。
まず、奈良時代。『万葉集』の編者に会って、どう読むのか聞いてみたいが、編者が誰だかよく分からない。それ以前に『万葉集』そのものにお目にかかれるかどうかすら分からない。
東歌だったら、東国へ行ってその辺の農民に聞けば歌ってくれるかもしれない。しかし、奈良時代の東国なんてヤバそうなところちょっと行きたくない。
大伴家持に会ってインタビューするのが一番現実的か。家持なら、事跡がわりとよく分かっているので探しやすいだろう。問題はどうコネをつくるかだ。
平安時代に行って『源氏物語』の紫式部自筆本を見るのはどうだろう。それには、なんとかして貴族社会に入らなければならない。しかし、いくらコスプレしたところで、海のものとも山のものとも分からない未来人を受け入れてはくれないだろう。
渡来人のふりをして現代の技術(頭痛薬でも持っていけばいいだろう)を使って道長あたりに取り入るという方法はどうだろう。この方法はグッドアイディアだと思ったが、よく考えたらかなり長期留学になりそうだ。
うまく潜り込めたところで、紫式部本人から直接受け取らないと、本当に自筆本かどうかは分からない。下手をすると、現存本よりもカスなのをつかまされる可能性すらある。たとえ道長に取り入ったとしても、紫式部に会うのはもっと難しいかもしれない。
それでも、作者が分かっているものはまだいい。『平家物語』なんかだと、せいぜい琵琶法師から平家琵琶を聴くぐらいのことしかできないだろう。まあ、それでも十分といえば十分なのだが。
『今昔物語集』になると、もうどうしようもない。『今昔物語集』は近世になってから世に出てきたので、どこにあるか皆目わからないのである。それに、書かれている内容は成立(平安末期)以前のことなので、成立当時に行ってもあまり意味があるとも思えない。
長明とか兼好みたいな隠者文学はなんとかなりそうだ。住んでいたところが分かっているので、手土産でも持ってインタビューすればいいんじゃないだろうか。兼好なんか快く話してくれそうだ。うまくいけば執筆中の『徒然草』が見られるかもしれない。あ、『徒然草』に登場しちゃったらヤバいな。
近世は事跡が比較的分かっているから楽そうだ。西鶴だろうと秋成だろうと、ちょっと握らせればインタビューに応じてくれるだろう。芭蕉は奥の細道を先回りすればいい。
いずれにしても、歴史学と違い、手間がかかる上に地味すぎてスポンサーがつきそうにない。私費で行くか、科研費でも申請していくしかない。