2011年10月

エキセントリックな子供の名前で取り上げた、DQNネームとかキラキラネームのことだが、すごくいいアイディアを思いついた。

名前を一生のものとするから、親の責任が重大になるし、他人のことながら気になるのである。ならば、成人以降、本人の自由に名前を変えられるようにすればいい。

もともと日本では、生まれたときにつけられた名前を幼名といい、元服すると名前が変わるものだった。例えば、紀貫之の幼名は阿古久曽(アコクソ)。「我が子、ウンコ」である。

現代でも戸籍上の名前を変えることは珍しくても、芸名・ペンネーム・雅号などの方が本名よりも知られていることは珍しくない。第一、結婚すれば戸籍上の姓が変わるのは普通なので、名前を変えることも事務処理上はそんなに難しいことではないだろう。

銀行の口座名義とかパスポートとか免許証とか、変えるのが面倒なのは大人になってからだから、その前に変えるのは結婚して姓を変えるよりもずっと簡単なはずである。

これなら日本の伝統に沿っているし、親がどんな名前を付けようとも、本人が気に入らなければ変えるだけなので問題ない。もちろん、変えたくなければ変えなくてもいい。ピカチュウだろうがミッキーだろうが安心して付けられる。

面倒なのは学校の先生だけだが、そこはガマンするよ。

え?学校で他の生徒にいじめられるって?

大丈夫。そういう名前が増えれば多数派になるからいじめられない。

昔「高木」ってごく普通の苗字なのに「ブー」っていじめられてる奴がいたじゃないか。名前が変わっているかどうかなんて関係ない。責められるべきはいじめる方でしょ。
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このブログには書かなかったが、20日に河口湖に行ってきた。本当は湖面に富士山がバーン!的な写真を撮りたかったんだけど、天気がイマイチで・・・。代わりに紅葉なぞを。紅葉もイマイチだったんだけどね。

河口湖の紅葉(1024x768)

河口湖の紅葉(1024x768)
河口湖の紅葉(1280x1024)

もう一つは、昨日神奈川近代文学館に行ったときに撮った、外人墓地。妖怪人間ベム・ベラ・ベロが出てきそうな感じで。
外人墓地(1024x768)

外人墓地(1024x768)
外人墓地(1280x1024)

神奈川近代文学館に行ったのは、林芙美子展を見るため。実はイマイチ興味がないので、あんまり期待していなかったんだけど、展示物も豊富でなかなかよかった。オススメ。
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先日、小林克也ベストヒットUSAを見ていたら、QeenのTEO TORRIATTE(手を取り合って)がかかった。Qeenは結構好きなのだが、僕はこの曲を知らなかった。フレディ・マーキュリーの日本語が聴けるというので、期待していたのだが、あにはからんや、これが良かった。全然違和感がない。



期待していたというのはいい意味ではない。洋楽に日本語が取り入れられる場合、TEO TORRIATTEみたいにかっこよく決まることは滅多にない。

まずはCultureClub の "The War song"。立派な反戦歌なのだが、3:37ごろにボーイ・ジョージの「センソウハンターイ」というどことなくマヌケな声が聴ける。



日本語が入っているといえば、今ではすっかりお願いランキングのテーマとして有名になった、STYXの Mr. Roboto。

最初の「ドモアリガト ミスターロボット マタアウヒマデ〜 ドモアリガト ミスターロボット ヒミツヲシリタイ〜」というのが有名だが、3:10ごろに連発しているのが圧巻。大仏っぽいロボットと日本風のお辞儀にも注目。



これを検索するときに気付いたのだが、"Robot"じゃなくって"Roboto"となっている。日本製のロボットという設定なので、日本人の発音に合わせたのかもしれない。

さて、ここまでは一部日本語だが、全部日本語というのもある。The Policeの "De Do Do Do, de Da Da Da "の日本語バージョンをどうぞ。訳は湯川れい子先生。



たしかにスティングの声だし、発音も悪くない。すごく真面目に歌っているんだけど、聞いている方がこっぱずかしくなるのはなぜだ。

最後に、ちょっとマイナーかつもっともマヌケなやつを。イギリスのスカバンド、The Trojansの"Ringo"。美空ひばりの『リンゴ追分』のカバーである。1:36あたりのトラメガ野郎が歌う浪花節みたいなのに注目。なにもかもショボイがそこがいい。



ヘンな鉢巻を巻いているので分かるように、ボーカルのギャズ・メイオールは日本好きらしいが、『リンゴ追分』は、スカの元祖The Skatalitesがカバーしたのを先蹤とする(1960年代前半)。歌は入っていないが、こちらもヘンなピストルの音とか入っていて「勘違いしている感」が実にいい。

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“キラキラネーム”でうつになる罪のない子供たち

DQNネームとか、キラキラネームとかいうのは、ちょっと変わった名前のことだ。人の名前をクサすのは好きじゃないので、どんなのがあるかは上の記事を見てほしい。多くは漢字の表記に対して読み方が想像できないものだったり、従来の名前とはちょっとかけ離れたものだったりする。

明治安田生命の発表した2010年の名前ランキングを見ると、たしかにキラキラネームとまでは言わなくっても、なじみのない名前、読めない名前がたくさんある。

名前ベスト100(名前ランキング2010):明治安田生命

なぜ、このような名前が増えるのか。個性的な名前を好むとかいうが、僕はもっとシンプルな理由だと思う。

例えば、僕のことが大嫌いな人がいたとする。その人が我が子に名前を付ける場合、嫌いな人の名前を付ける人はいないだろうから、少なくとも「聡」とか「サトシ」をつけることはない。当然「サトコ」も「サトミ」もダメだろう。さらにいうと、音の近い「サトル」「タカシ」「タケシ」「ヤスシ」あたりもボツになる可能性が高い。

どんな人でも生きていれば、嫌いな奴というのはいるものだ。そして、それはたいていの場合一人ではない。嫌いでなくても、「こいつと同じ名前はちょっとなあ」という人はもっといるだろう。さらに、たいてい親は二人いるので、この「つけたくない名前」は倍になる。

そうすると、付けられる名前は今までにない名前か、もっと前に流行した名前ということになる。例えば「○太」系の名前などはリバイバルタイプだろう。

逆に言えば、前の世代を尊敬していれば、前の世代と同じ名前を付けようとするはず。活躍したスポーツ選手や、人気の芸能人、歴史上の人物の名前を付けるのはそういう心理である。もちろん、限定的にはそういう名前もあるが、目新しい名前が多いということは、前世代を尊敬していないということだろう。

端的に結論をいおう。我々オッサン・オバサンは残念ながら若者には尊敬されていない。子供に付ける一見奇矯な名前はそれを表しているのである。

ヘンな名前を付けるなというのは、オレを尊敬しろと言っているのと同じで実に見苦しいことだ。そんなことより、尊敬されるオッサン・オバサンになることを考えよう。
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以前、浦木裕さんが『前賢故実』という版本の翻刻をしていたときに、和歌の翻刻を頼まれたことがある。

先賢故実

前賢故実は小伝と人物画からなる。小伝は基本的に漢文(楷書)で書かれているので問題ないが、人物画には和歌が付け加えられているものが多い。この時代(近世後期)、仮名の種類はかなり絞られてきているはずだが、絵に添える和歌なので、変体仮名・草仮名を交えて流麗に書かれている。これが恐ろしく読みにくかった。

僕は一応書道の先生なので、草仮名・変体仮名は一通り読めるつもりだ。その上相手は和歌だから、散文とは違い五・七・五・七・七という韻律があって読みやすいはず。それなのに、どこからどこまでが一文字なのか分かりにくいのである。

幸いなことに、和歌だからある程度読めれば検索すればたいがいのものは出てくる。情けないことだが検索してみて「ああ、なるほど、そう読むのか」と分かることが何度もあった。

なぜ、『前賢故実』の和歌は読みにくいのか。

浦木さんが持ってきたのは、版本(板本)の影印だった。版本とは江戸時代に印刷された本で、美術の時間にやった木版画と同じように、木の板に彫って、バレンで摺って印刷する。

こういう印刷の仕方だから、線の太い・細いは表現できるが、濃淡は表現できない。ここが写本(筆で書きうつされた本)との違いだ。

筆で書かれたものは筆圧や書くスピードの変化、墨の涸れ具合などで線に濃淡ができる。線の太い・細いは版本でも表現できるが、実際に書かれたものと比べるとどうしても不自然なものになるし、版がつぶれてくれば不明瞭になる。その結果、字の形は分かっても、筆がどのように進んで文字となったかが分かりにくくなる。

この「筆がどのように進んだか」を表すものを、書道のタームで筆脈とか気脈という。

少(筆脈)六(筆脈)


上の「少」「六」の赤い線で示したものが筆脈である。赤い線の部分は実際には書かれていないが、見えない線でつながっている。一画目を指でつまんで引っ張ったら、全部つながってくる感じといえばいいだろうか。

筆脈が通っていると、どういう筆順で書いたかが分かる。上の例は行書だが、草書や仮名の場合はより明確で、楷書は不明確だがないわけではない。

本来、漢字にしろ仮名にしろ、文字は筆脈で読むものだったのだろう。「うちにある軸にこう書いてあったんだが、何と読むのか」と、鉛筆なんかで写したものを持ってこられても読めないことが多い。形だけ写しても、筆脈を写していないからである。逆に言うと、筆脈さえ通っていれば、形が少々おかしくても読むことができる。

現代人は手書きの文字よりも、印刷された文字やスクリーン上のフォントを読む方がはるかに多い。これらの文字には読みやすいように工夫されているが、筆脈がほとんどない。僕たちは文字を形で読んでいるのである。

だから、授業で文字を教えていても、生徒たちの多くは細かい形ばかりにこだわり、筆脈に気が回らない。考えてみると、僕たちが子供の頃の大人は、筆脈の通った字を書く人が多かった。英語の筆記体にも筆脈があった。知らず知らずのうちに筆脈という概念を身に着けていたのだろう。今、そういう字に触れていないのだから、筆脈が理解できないのも無理はない。

写本や版本など、昔の字を読む第一歩は、字形ではなく筆脈を読むことである。また、字を美しく、読みやすく書く第一歩も、筆脈を意識することである。
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モスバーガーの期間限定とびきりハンバーグサンド焼トマト&チーズデミを試してみた。

モスバーガー焼トマト&チーズデミ(ヘンな音楽注意)

構成は上からバンズ・焼いたトマト・デミソース・チーズ・バンズ。デミソースは野菜を刻んでデミグラスソースで煮込んである(たぶん)。

トマトは加熱すると酸味が抜け甘くなる。そのせいか、全体にやや甘みが強い。これが高級感を感じさせるのだが、個人的にはもう少し塩味とスパイスが効いていても良いように感じた。

チーズの味も上品で、かなり濃厚であるにもかかわらずジャンクフード感がまったくない。なにしろこれは470円の高級ハンバーガーなのである。中身だけ出してご飯のおかずにしてもいけるだろう。ジャンク感丸出しのマクドナルドとは対照的だ。

主力商品のモスバーガー同様、どう食べても袋の中に大量のソースとチーズが残った。もったいないから、ポテトに付けて食べたら最高に旨い。

ジャンク感のないハンバーガーを求める人にはストロング・バイ。
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久しぶりに神保町の古書店めぐりをした。

もちろん、神保町に行く機会はいくらでもあったのだが、夜だったり、行ってもすぐ帰ってきたりと、あまりじっくり歩くことがなかった。もう何年・・・いや、下手すると10年ぐらい歩いていないような気がする。

で、いくつかびっくりしたことがあったので書いてみる。神保町に詳しい人なら、僕がいつから行かなくなったか分かるだろう。

1.ラーメン屋がやたらと増えた
中華料理屋は多かったけど、こんなにラーメン屋なかったよね。
ちょっと前まで目黒にしかなかった揚州商人まで進出しているとは・・・。

2.一誠堂の隣が駐車場になってた
何が建ってたか全然覚えていないんだけど・・・。

3.日本特価書籍が単なる古本屋になってた
そういう本屋じゃなかったよね。

4.三省堂が・・・
古本コーナーとか、文具売り場とか、メガネ売り場とか、オンデマンド出版とか、いつからできたんだ。
まあ、amazonとかで買う人が多くなったから、多角経営はしょうがないか。
あと、すずらん通り側が禁煙になってた。

5.映画館ができてた
神保町といえば岩波ホールだけど、文房堂の近くに神保町シアターってのができてた。しかも、隣に神保町花月

6.ヒミツのトイレがことごとく入れない
神保町には知る人ぞ知るトイレがいくつかあるのだが、どれも暗証番号を入れないと入れないようになってた。
前に行ったときに、ヒミツトイレAとBがダメになったのは知っていたが、今回はCまでダメ。ケチくせえな。

たいしたものは買わなかったけど、共栄堂でカレー食べて帰ってきた。焼リンゴ始まってたよ。

そうそう、古本祭りは27日から。間違えて行ったんじゃないってば。

東京名物神田古本まつり
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健康診断が近づいてきて、検○をしなきゃいけない。

和式トイレのアパートに住んでいたとき、○便はそれほど難しくなかった。今のマンションはもちろん洋式なので、慣れない僕には非常に難しい。

以前、そんな話を高校生にしたら・・・する方もする方だが、話の流れで・・・とんでもない事実が発覚してしまったことがある。

僕「洋式でウ○コ採取するのって大変だねー」
A「え?和式の方が大変だよ」
僕「そう?慣れれば簡単なのかなー」
A「でも、男の人は大変なのかも。」
僕「は?何で?(尿ならまだ分かるが・・・いや、尿なら男の方が有利なはず。)」
A「だって、アレにウン○ついちゃうでしょ。女はアレが付いてないから大丈夫だけど。」
僕「おまえ、どうやって取ってるんだーーーー!」

あー、もう書けません。ご想像にお任せします。
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たまたまWikipediaで二松学舎大学の出身者一覧を見ていたら、自分の名前(中川聡)が目に入った。

Wikipediaより


うおっ、オレ玉川大学教授だったかと一瞬喜んだが、玉川学園高等部の非常勤講師採用面接に行ったことはあるが(絶対に専任になれないと聞いて断った)、大学には足を踏み入れたこともない。

名前の並びが秀逸で、「中川聡」のすぐ上の方には、直接知っている先輩が何人もいる。この並びだと、見る人が見れば僕は玉川大学教授になったと思われてしまうだろう。

珍しい名前でもないので、同姓同名かもしれない。それはそれで面白いのだが、事実を知るべくリンクをクリックしたら、今を時めくテレビ東京アナウンサーのページに飛んでしまった。これはどう見ても違う。

もう少し調べたら、中村聡という人が見つかった。一字違いである。

中村 聡:J-GLOBAL

現職も、出身大学も合っているので間違いない。

このままほおっておくのも面白いが、誤解されていいことは一つもなさそうなので、書き換えておくことにした。

僕は相変わらずの浮き草稼業です。関係者の皆様、ご安心ください。
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最近、ブレーキを付けていないピストという種類の自転車が問題になっている。

自転車の種類というのは、興味がない人には分かりにくいものらしい。ママチャリとMTB(マウンテンバイク)まではそこそこ区別がつくが、ロードレーサーやピストとなるとすべて同じに見えるのも無理はない話である。

まず、ピストとロードレーサーの違いを説明しよう。この二つ、形はよく似ているが、用途は全く違う。

ピスト
元来、トラック(楕円形、すり鉢状のコース)を走るための自転車。陸上競技でいうと、競技場を走るトラック競技だと思うと分かりやすい。競輪に使うのもピストである。
単純な楕円形のコースを走るためにできているので、変速機もブレーキもない。
ペダルを止めると後輪が止まり、反対に回すと、後輪が反対に回る。
ただし、道路を走るためにブレーキを付けたものや、フリー(後述)がついているものもある。

ロードレーサー
一般道を走るための自転車。陸上競技でいうとマラソン。ツール・ド・フランスに使う自転車である。
複雑な地形を走るため、変速機とブレーキが付いている。
一般的な自転車と同様、ペダルを反対に回しても後輪は回らない。この機構をフリー(フリーハブ)という。

見た目はピストの方がシンプルに見える。ポイントは後輪のギアで、ロードレーサーには変速機がついているので9〜10枚ほど重なっているが、ピストは小さなギアが一つついているだけである。前のギアもロードレーサーは2〜3枚、ピストは1枚となっている。

どちらも普通の自転車に比べるとかなりスピードがでる。例えばロードレーサーだと風向きや地形にもよるが時速40〜45キロぐらいは出せる。ピストは設定によって違うが30キロぐらいか。乗ってみると分かるが(僕はピストには乗ったことがないけど)、いわゆるシティサイクルとかママチャリしか乗ったことがない人には別の乗り物だと思うだろう。

気を付けてほしいのは、「速いから危険」なのではないということだ。競技用の自転車はスピードも出せるが、ママチャリではこけるぐらいのスピードでゆっくり走ることもできる。例えば、ロードレーサーで一番遅いギアに入れれば、歩くよりもゆっくり進むことができる。競輪で乗ったままピタッと止まったところを見たことがある人もいるだろう。スピードを出す出さないは乗る人の問題で、車種の問題ではない。

そこで、最大の問題点はブレーキということになる。

ロードレーサーには両輪に強力なブレーキがついているので問題ない。ピストには(つけているものは問題ないが)ブレーキはない。ではどう止まるか。ピストのギアは固定されているので、ペダルに反対方向の力をかけて止まるのである。

つまり後輪がブレーキになるわけだが、二つ問題がある。一つは、タイヤがロック(完全に回転が止まること)されやすいこと。ピストのタイヤは細いのでロックしやすいのである。

タイヤがロックすると制動距離(完全に止まるまでの距離)が長くなるのは自動車の免許を持っている人ならご存知だろう。また、直線ならいいがカーブでロックしてしまうと、コントロールが利かなくなる。

今の自動車は、ABS(Antilock Brake System)といって、思いっきりブレーキペダルを踏み込んでも自動的にブレーキをゆるめロックしないようにしている。これを足でできれば問題ないが、緊急時にそんな器用なことはできない。

もう一つは、重心の問題。ブレーキをかけてスピードが下がるとき、重心は慣性の法則により前にいく。逆に言うと、後輪にかかる力は少なくなり、これまたロックしやすくなるのである。このことは自転車を降りたまま押して、片方ずつブレーキをかけてみればすぐに分かるだろう。前ブレーキだけかけるとしっかり止まり、後ろブレーキだけかけると後輪を引きずってしまうはずだ。

ロードレースの選手は上手い人ほど、前輪のブレーキを引く割合が大きいという。ヘタクソはつんのめるのが怖いから後輪を中心に引く。車重が重くつんのめる心配のないオートバイも、前ブレーキを中心にかける。

したがって、(両輪にブレーキがついていないといけないという道交法の問題は別にして)最低限前輪にブレーキのついていない自転車は、公道を走ってはいけないのである。もちろん、ペダルでの制動はロックしやすいので、後輪のブレーキも必要だ。

さて、ここまで書くとカンのいい人は、雨の日の傘さし運転がいかに危険なものか分かるだろう。

雨の日は路面が濡れていて滑りやすい。つまり、晴れた日よりもタイヤがロックしやすいのである。そこを(傘をさしているので)片方しかブレーキの利かない状態で乗る。多くの人はつんのめるのが怖いから傘は右手で持つだろう。これは、ブレーキなしのピスト以上に危険なことなのである。

雨の日の傘さし運転はぜひともやめていただきたいものだが、どうしても傘を持ちたいなら、せめて左手で持ってくれ。貴方がひっくり返ろうが僕の知ったこっちゃないが、僕が巻き添えになるのはイヤなのだ。
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