2011年11月

大阪で市長選挙に鞍替え出馬した橋下前大阪府知事が当選した。圧勝だった。

彼は公務員を徹底的に自らの敵と定義し、それで市民の支持を得た。大阪の公務員はついに社会の敵になったのである。

彼らがそれだけのことをしたのか、大阪に住んだことのない僕にはわからない。もちろん、全然根拠のないことでもないのだろう。公務員にとって、市民は顧客であるとともに、株主でもあるわけだから、この結果は謙虚に受け止めなければならない。

しかし、単純に公務員が一般企業と比べて優遇されているとか、怠慢だとかいう、妬みや憎しみだけで橋下氏を支持したなら、橋下氏に投票した市民は大変なリスクを覚悟しなければならない。

例えば、橋下氏が、みずからの意に沿わない公務員をバッサバッサとクビにしたとする。民間企業もそれに倣ってバッサバッサとクビを切るだろう。橋下氏が公務員の給料を下げれば、民間企業の給料も下がるだろう。労働時間を延ばせば・・・以下略。

現状では、公務員の労働環境はどんどん悪くなっているように思える。民間企業はどうだろう。少なくともよくなったという話は聞かない。この二つはリンクしているのである。

公務員はハナクソ穿くって、新聞読んでいればいいとは言わないが、公務員を締め付けることに、みずからを締め付けるリスクがあることは理解しておいた方がいい。

あ、ポジショントークじゃないですよ。僕は所詮バイトですから。国民年金だし、国民健康保険だし。全然優遇されてません。

母の友人から頼まれたので、久しぶりに篆刻。シロートなのであまりやりたくないが、母の友達だし、刻りやすい名前なので引き受けた。

ちょうど、今、授業で篆刻をやっているので、授業中に「こうやって刻るんだ、オラ」とか、どこかで聞いたようなことを偉そうに講釈たれながら刻った。

ちなみに「刻る」は「ほる」と読む。「コクる」ではない。

後から見ると「ここをこうすれば良かったな」というところはいくらでもあるが、久しぶりに刻ったにしては意外とよくできたのでここに曝す。少なくとも、どこかのイロモノ書家の印よりはいいと思う。

印影


印面はこんな感じ。印材は依頼主から指定されたもの。本来の印面よりも小さくしてくれと言われたので、周りを削った。撃辺にちょっと不自然なところがある(今気づいた)のはそのせい。

印面


側款。見ずらくってすみません。

側款
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昨日散髪屋に行った。床屋清談とか書いておいて、散髪屋もないもんだが、普段そう言っているので、勘弁してください。

で、散髪屋に行った。この散髪屋、僕が20年来ずっと通っている散髪屋である。今は少し遠くなってしまったが(といっても徒歩10分)、前はすぐ近所に住んでいて、祖父母が経営する文房具屋の近くなので、子供のころにも何度か行ったことがある。

そんなわけだから、僕は散髪屋の家族構成や、息子さんの職業、家族構成までまでことごとく知っている。つもりだった。

僕が散髪屋に入ると、一人のオッサンがソファに腰かけてテレビを見ていた。お客かと思ったらそうではない。親しげに散髪屋の主人に話しかけている。少なくとも借金取りではないようだ。ちょうどニュース番組をやっていたので、まさに床屋政談である。

店の中にいるのは、僕と散髪屋の主人(以下、主人)、主人の奥さん(以下、奥さん)、謎のオッサン(以下、謎)の四人。他に客はいなかったので、すぐに散髪が始まった。

しばらくして、謎がこんなことをいう。

「そういえば、今日、大森さん(仮名)どうした?」

この散髪屋はバーバー大森(仮名)という。どうしたここうしたも、目の前にいるじゃねえか、妙なことを言うな、と思いながら聞いていると、主人が

「○○へ行ったみたいだよ。いつも黙って行っちゃうから分かんねえけど」

当たり前だが、大森さんはここにいる人間の誰でもないようだ。ならば息子か。しかし、謎とはいえ主人の息子を苗字でさらにさん付けで呼ぶのはヘンだ。

謎「じゃあ、何時に帰ってくるのか分かんねえのか」
主人「いつ帰ってくるどころか、いつ行ったのかも分かんねえよ」
謎「どこ行くって言って行かねえのか?」
主人「言うも何も、オレ一度も口きいたことねえよ」
謎「それじゃ、晩飯はどうするんだ」
主人「知らねえよ、勝手に食ってくるだろ」
謎「そんな奴にメシ食わせることないよ。コロッケでも買ってくればいいんだよ」

僕は分からなくなった。晩飯はどうするというからには、出かけなければ一緒に食べているということだ。

奥さん「そうよ、大森さんとはしゃべったことないね。息子たちは子供の頃かわいがってもらったから、よく話すけど」
主人「なにしろ朝会ったって、向こうから挨拶したことねえんだから。主人から挨拶することはないよねえ」

僕に話を振るなよ。「はあ、そうですね」と一応答えたが、あいかわらず渦中の人物「大森さん」が分からない。「息子たち」と言っているが、もう50代である。

しばらく、御主人・奥さん・謎の会話が続いたのだが、聞いているうちに何となくわかってきた。

大森さんはバーバー大森の居候である。苗字は同じだが、親戚の友人とかで、主人との血縁はまったくない。御主人、これが大変迷惑だという。

驚くことに、大森さんが居候になったのは40年前。ということは、僕がここに行くようになったときにはいたということになる。すぐ近くに20年住んで、同じ散髪屋に祖父と二人で通ったが、そんな隠れキャラがいるとは知らなかった。

大森さん少なくとも今は60歳以上だろう。家賃はおろか光熱費も食費も一度も払ったことがないそうだ。まさに筋金入りの居候である。主人も奥さんも、大森さんがどんな仕事をしているのか、全くわからないらしい。40年も住まわすなんて、いくらなんでも人が良すぎるぞ大森さん(散髪屋の方)。

それにしても、ソファに座っていた謎オヤジ、大森さんについて妙に詳しいですが、あなたは一体何者ですか?

ちょっと前まで、中国では使用済みトイレットペーパーをゴミバコに捨てるのは常識だった。下水管が細く詰まりやすいからというのが理由である。

中国人「なぜウチの国ではトイレットペーパーを流さないでゴミ箱に捨てるのか」:「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む

10年前、初めて中国に行ったとき、あらかじめ「使用済みのトイレットペーパーはゴミバコに捨てる」というのを聞いていた。たしかにトイレの隅っこには必ずゴミバコがある。郷に入れば郷に従うだけの話なので、そうしていたのだが、普段トイレに捨てているから、ときどき無意識にトイレに捨ててしまう。「うわーやっちまった!」と、慌てて取り上げていた。キチャナイ!

すぐにサルベージできたときはいいが、思いっきり濡れてしまうと、さすがに拾い上げる気がしない。まあ、いいやと流して、詰まったためしはない。そのうち、最初の一拭きでコッテリ付いたのはそのまま流し、二拭き三拭き目だけをゴミバコに捨てるようになった。

ある留学生楼に泊まった時は、水もバケツで流さなきゃいけないほどボロいトイレ(意味が分からないと思うが、要するにウンコをしたあとバケツの水で流すのである)なのに紙を流していた。留学生に大丈夫なのかと聞いたら、それで詰まったことはないから大丈夫だろうという。

ゴミバコに使用済みトイレットペーパーを捨てるというのは、実際に詰まるというより習慣的なものじゃないだろうか。もちろん、日本よりは詰まり易いのかもしれないが、基本的には流れるようにできているのだろう。

ところで、去年イギリスに行ったときに、キースリー駅の有料トイレ(個室)に入った。便座に座ると妙にウ○コ臭い。もちろん水洗トイレだし、どこにも匂いの元はない。

よく見ると、座った右側の壁にゴミバコが据え付けてあり、明らかにそこから臭ってくる。足元に置いてあるのと違って、鼻から近いのでやたら臭い。おそるおそる中を見ると、使用済みとおぼしきトイレットペーパーがたくさん入っていた。

中国人ばかり来る駅ということはないだろうから、イギリスにもトイレットペーパーをゴミバコに入れる習慣があるのだろうか。ご存知の方がいらしたら教えてほしい。

なお、アジアのトイレ事情は、斉藤政喜著・内澤旬子イラストの『東方見便録』(文藝春秋)がオススメ。
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携帯電話が普及した現在では想像もできないだろうが、昔は電話は貴重なものだった。昔といっても、大正時代の話ではない。たかだか20年ぐらい前の話である。

そのころ電話加入権というアホとしかいいようがない制度があった。電話を引くときには、誰かに頼んで加入権を譲ってもらうか、電電公社(後にNTT)から買わなければならなかったのである。この権利、実は今でもあるのだが、ほとんど有名無実と化している。

電話加入権:Wikipedia

僕が大学生のころ、電電公社から買う加入権はだいたい10万円ぐらいだったように記憶している。電話料金自体は、今とほとんど変わらないので、これがいかに高いか分かるだろう。地方から上京してきた大学生は、電話を引けない人もけっこういた。

だから、たいがいのアパートや下宿には共用の電話が置いてあった。名簿などで、こういうところに住んでいる人の電話番号には最後に(呼)が付いていた。こちらから電話すると、下宿の誰かが出るので「○○さんお願いします」と呼び出してもらうのである。

相手が電話の近くに住んでいないかぎり、こちらからはなかなかかけにくい。異性だったらなおさらだ。同じ下宿には同じ大学の学生が住んでいることが多いので、下手をすると同級生に呼び出してもらわなければならないのである。プライバシーも何もあったもんじゃない。

逆に電話をかけるときには、その都度お金を払う。さすがに僕が大学生の時代は、公衆電話タイプのピンク電話(ピンク電話は公衆電話ではなく、普通の電話に料金徴収機能がついたもの)が多かったが、なかには普通の黒電話の隣に電話料金箱を置いている下宿もあった。

今日の懐かし文具は、その電話料金箱。貯金箱や空き缶で代用することもあるが、これはそれ専用に作られたもの。この箱を電話機の横に置いて、電話をかけるたびにお金を入れるのである。

もちろん、この箱が正確な料金を計ってくれるわけはないので、かける時間が短かったら10円とか、ちょっと遠いから100円いれとけばいいかとか、たいへんアバウトなものだった。

電話料金箱

底にはお金を取り出す扉が付いている。ちゃんと鍵がかかるようになっているが、こんな小さいもの持っていこうと思えばいくらでも持って行けるので、あまり意味があるようには思えない。

電話料金箱裏蓋


鍵と一緒に「貯金箱」のシールが同梱されている。「G.C」がよく分からないが、たぶんメーカーの名前だろう。シールを張り替えると、貯金箱に早変わりという寸法。だったら逆でもよさそうだが、電話料金箱がデフォルトになっているのが、時代を感じさせる。

貯金箱シール


裏面には穴が開いている。壁掛け式にもなるということだろう。

電話料金箱裏面


それにしても、隣人が呼び出すとか、適当にお金を入れるとか、携帯電話の普及した今では考えられないことだ。携帯電話で遠くにいる誰とでもすぐ連絡がつくようになって、逆にすぐ近くの隣人や大家との関係が薄れたのは皮肉なことである。
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歴史的仮名遣い変換辞書「快適仮名遣ひ」を試してみた。

歴史的仮名遣い変換辞書「快適仮名遣ひ」

歴史的仮名遣ひを入力する人はいつも苦労する。例へば「食ふ」を入力したいと思ひ「くふ」と入力して変換するとうまく変換できない。そこでやむなく「くう」で「食う」を出し、「う」を削除して「ふ」を入力するといふやうな面倒なことをしなければならない。これは大変なストレスになる。

歴史的仮名遣ひの文章を打つとき、僕はSKK-ime(skkime's page)やemacs上のSKKを使つてゐるが、これは少々入力の仕方が特殊である。SKKは歴史的仮名遣ひの入力には最強だと思はれるが、そのあまりに個性的な入力方法(SKKはいかがですか?:2005年10月05日参照)から、万人に勧められるものではない。

そのやうな、大変面倒な歴史的仮名遣ひの入力を支援するのが、この辞書だ。MS-IMEとMS-OfficeIMEに対応してゐるので、Windowsユーザーなら誰でも使ふことができるし、辞書を追加するだけなので、インストールも簡単である。

ここで配布される辞書には、いはゆる新字体版と旧字体版(本辞書では正字体版)があり、旧字体を使つた変換にも対応してゐる。

ただし、あくまで歴史的仮名遣ひの入力を支援する辞書なので、現代仮名遣ひで入力したものを歴史的仮名遣ひに変換してくれるものではない。

例へば、「くう」と入力しても「食う」と変換されるだけで「食ふ」にはならない。あくまで「快適」に歴史的仮名遣ひを入力する辞書なので、勉強しないで歴史的仮名遣ひで表記したいといふやうな、お手軽ネトウヨさんには全く向いてゐないので注意してほしい。

さて、僕はかくのごとく歴史的仮名遣ひでこのエントリを書いてゐるわけだが、なかなか気持よく書ける。文語の活用にも対応してゐるので、古典のテキストもこの辞書をインストールしてゐないMS-IMEに比べるとはるかに入力しやすい。

歴史的仮名遣ひを入力する必要のある人は、インストールしておくことをお勧めする。

ZTE Light tabを試してみた(その1)のつづき

7月にその1を書いて、あっという間に4か月経ってしまい、もう書かなくってもいいかなと思ったんだけど、ZTE Light tabで検索して来る人が意外と多いので書くことにする。



結論から言えば、この端末、非常に実用的なタブレット端末である。

まず、画面が大きいので、スマートフォンと比べると見やすく、操作しやすい。片手でちょうど握れる大きさで、軽いので持ち運びも苦にならない。ただし、文字の入力は片手というわけにはいかない。

大きいのでバッテリーの持ちもいい。満充電で一日は楽勝で持つ。

カメラとスピーカーが予想していたよりも良かった。特にスピーカーはステレオになっていて、小さなわりにはよく鳴る。枕元でRadikoを聴くのが習慣になった。

写真はこんな感じ。さすがにデジカメとくらべればショボイが、これだけ撮れていれば十分だろう。

11 - 1


買った当初予定していた、青空文庫の閲覧や、あらかじめSDカードに入れておいた動画や音楽の視聴など、比較的負荷のかからない作業は特に不満はない。

GoogleMapの類も十分実用に耐える。Youtubeの視聴やSkypeなども、Wifiを使用する前提なら問題ない。

いちいち書いているときりがないのだが、一通りのことはできる。しかし、大きな難点がある。

それは、CPUがショボイ(ARM V6 600Mhz)のと、本体メモリが少ないことだ。

アプリをいくつも起動すると、とたんに動きが悪くなる。感圧式のタッチパネル自体は思ったよりも使いやすいのだが、CPUがフル稼働して反応がにぶくなるとストレスがたまる。

また、いくつかアプリをインストールすると、すぐに「メモリの空き容量が足りません」が出てくる。これがとてもウザい。

Android 2.2なので、アプリ本体をSDカードに移動することができるが、やたらと容量をとりアンインストールできないGoogle謹製アプリに限って移動できなかったりする。または移動できても本体メモリを食うものが多い(Google+、オマエだ。)のは困ったものだ。

とりあえず、定期的にタスクキラーアプリを使うことと、時々電源を切ることである程度回避できるが、そんなのを気にして使うのはストレスがたまる。

僕のように、マトモなスマホを使ったことがない人は、これでも十分実用的だが、サクサク動くのを使っている人にはガマンできないかもしれない。

というわけで、このZTE Lighttabをまとめると、

1.頻繁に海外に行く人。(SIMロックフリーだから)
2.使い方が限定される人。
3.ときどきテザリングしたい人。
3.他のスマホを使っていない人。

にはオススメ。

あと、まともな説明書が付いていないので、デジタル物に弱い人もやめておいた方がいいかもしれない。

震災以降、あちこちで「絆(きずな)」という文字を見かけるようになった。「みんなで協力して難局を乗り切ろう」ってことなんだろう。非常事態だからそれ自体は結構なことだ。

この「絆(きずな)」という言葉、震災の前からよく見かけけるようになったように思う。僕の仕事関連で言うと、書道の授業で好きな漢字一文字を書けというと、クラスの何人かは「絆」と書いていたし、文化祭なんかのテーマでもよく見たように思う。

なんだか天邪鬼みたいだが、僕はイマイチこの言葉が好きになれない。というより、いけ好かない。

たぶん、糸偏で「きずな」というからには、何やらよくわからんが綱(つな)の類なのだろう。「き」が妙に強い感じがするので、太い綱に繋がれて不自由な感じがするのである。それに繋がれていない人を仲間外れ(もしくは敵)にするような感覚もある。人間、そんなに繋がっていなきゃいけないもんだろうか。

もっとも、これだけ絆、絆というところを見ると、それだけ人間関係が希薄になっているのだなとも思う。そうでなければ、殊更に絆なんて言う必要はない。しかし、そんなに太い綱でつないだら、繋がれていない人とは返って希薄になるんじゃないだろうか。

そもそも、「絆」「きづな」とはどんな綱なのだろうか。あまりちゃんと調べていないのだけど、ちゃんと調べだしたら途中で面倒くさくなるのがオチなので、調べた範囲で書いてみよう。

まず、和語の「きづな」だが、手元の『旺文社古語辞典』には二つの意味を挙げてある。

1.動物をつなぎとめるための綱。
「御厩の隅なる飼ひ猿は、きづな離れてさぞ遊ぶ」〈梁塵秘抄〉

2.断ちがたいつながり。
「恩愛のきづなを断ち」〈沙石集〉

『岩波古語辞典』では1は解釈も用例もほぼ同じだが、2.は少し解釈と用例が違う。

2.断ちがたい煩悩。煩悩のほだし。
「ただ生死のきづなとなるものなり」〈孝養集〉
「恩愛のきづな切りがたく」〈雑談集〉

『旺文社古語辞典』の解釈だけ見ると、なんだかいいものみたいだが、用例はすべて仏教書なので『岩波古語辞典』のように煩悩と解釈するのが適当である。仏教では煩悩を断つのが悟りに至る道とする。つまり、きづなは断ちがたいが断たなければならないものだったのである。

愛は煩悩の根本的なものなので、「夫婦の絆」とか「親子の絆」とかいうのは、仏教的な意味から来たのだろう。そしてそれは本来煩悩として断つべきものだったのである。

ちなみに、岩波の解釈に「ほだし」とあるが、「ほだし」も「絆し」と漢字をあて、「人の心や行動の自由を縛るもの。」という意味で使われる。

もともとの意味は1の「動物つなぎとめるための綱」であることは間違いない。考えてみればそんな綱がいい意味で使われるわけがない。『梁塵秘抄』には仏教的な歌が多いので、これも単純に猿をつないでいる綱というだけではなく、煩悩の比喩にもなっているのだろう。

さて、こうなってくると、漢字の「絆」の意味が気になってくる。漢代に編まれた、最古の漢字字典『説文解字』では「馬を繋ぐもの」であるとしていて、和語の1とほぼ同じ意味になっている。

『説文解字注』絆:中華博物

馬を繋ぐというと、手綱で繋ぐのを想像するが、その他の字書(『字彙』『正字通』など)によると、昔の中国では足を繋いでいたらしい。逃げられないようにする「絆」である。

おそらくそこから転じたのだろう。現代中国語では、「絆(ban4)」は、専ら「(石などに)つまづく」とか「(足に)からみつく」という意味で使われているようだ。こちらも、あまりいい意味では使われていない。

調べればもっといろいろ出てきそうだが、和語の「きずな(きづな)」も、漢字の「絆」も、今、日本で使われているような良い意味はなかったことは間違いない。

いつから現在のような意味になったのか、もう少し調べないと分からないが、僕が持っていた「いけ好かない感じ」の理由ははっきりしたように思う。
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昔はどこの事務机にもあったけど、最近見ないのがこれ。どういうわけだか、昔は必ずこの緑色の鋳物でできた台のものだった。

状差し



この台、なぜか向かい合った山羊の絵が付いている。落ちてきた紙を食べるという意味だろうか。手前に妙にかっこよく「Josashi」と書いてあるのもワケがわからない。もっとも、この部分、すぐに見えなくなってしまうのだが・・・。

状差しの台


こんなふうに伝票とかメモを突き刺して一時保存するのに使う。

状差し(使用中)


製品名は「カール両用状差し」。カールはメーカーの名前で、両用というのは上の写真のように置いても使え、壁にかけても使えるから。

状差し(壁掛け状態)


さすがにこれはもう作っていないだろうと思って、例のフリマの時に写真を撮ったのだが、実はまだ現役。ロングセラー商品である。amazonでも630円で買える。また、現役商品を紹介してしまった。



子どもの頃、「状刺し」だと思っていた。だって刺すんだもん。
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フリマで文房具を売ったの続き。

今回、フリーマーケットに参加して驚いたのは、開始前からたくさんのお客さんが来たことである。僕はもっと牧歌的なものだと思っていた。

たぶん、この人たちはフリーマーケットの常連なのだろう。厳しく値切ったり、オマケを要求したりと、なかなかイヤらしい買い方をする。

こちらは、とにかく一つでも多く売って、在庫を減らし、お金に換えたい。だから値段なんかどうでもよく、一つでも多く買ってもらえればそれでいいのだが、それでも、市場価格の10パーセントとか5パーセントの値段で売るのは複雑な心境だ。

もちろん、ネットオークションかなんかで売れば、もう少しいい値段で売れるだろう。しかし、それには相当な手間と時間がかかる。在庫はまだまだたくさんある。あらかた在庫を始末した後、リフォームする予定なので、のんびり売っている暇はない。

物の売り買いとその値段には、時間と場所が強く関係してくる。

リフォームの予定がなければそこまで急いで売る必要はなかった。せいぜい半額ぐらいにして、店で何年かかけてゆっくり売ればよかったのである。祖母は今93歳だから、そんな悠長なことは言っていられない。

また、フリーマーケットという場所でなければこんなに早く売れなかっただろう。フリーマーケットの客は安いものが出ると知ってくる。少々汚いのも織り込み済みだから、ほこりまみれでも買っていく。まさに蚤の市とはこのことだ。

市価で売っている自分の店で、フリーマーケットと同じ値段を付けたとしても、せいぜい近所の人が来るぐらいだろう。ほとんど開店休業状態とはいえ、店で売っている以上ほこりまみれというわけにいかない。結局、時間と手間がかかってしまう。

僕は株式投資をしているので、こういうことは頭では分かっていたつもりだった。どこの市場で売買するか、いつ売買するか、それによって損益が変わってくる。ときにはやむなく買値よりも安く売らなければならないこともある。売買する場所と時が大事なのだ。今、話題のTPPも同じことである。

頭では分かっていたが、実際に目の前でお金とモノが動くのを見て初めて実感がわいた。動いているのは小さな額だが、コンピュータのスクリーン上の数字ではない。ブリキの缶にチャリーンとお金を投げ込むたびに、物を売ることの痛みと快感を感じたのである。
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