ドイツの国民車といえばフォルクスワーゲン・ビートル、イタリアはFIAT500、フランスはシトロエン2CV、イギリスはミニ・・・では日本は?
多くの人が富士重工のスバル360と答えるだろう。その富士重工が明日、軽自動車の生産を終了する。
富士重、軽の半世紀に幕 独自の中・小型で勝負
免許を取って、教習車以外で最初に運転した車が、当時住んでいた湯島聖堂の所有するスバルのバン、サンバー5だった。
なんだかマンボNo5(ペレス・プラード)みたいな名前だが、ちょっとした珍車で、軽自動車規格が360ccから550ccに移る1976年に500ccの軽自動車として生産されたものだ。
なにしろ360ccのエンジンをむりくり500ccにしただけの車だから、バンのくせに非力であることこの上ない。その上、その時点で10年を超えていたので、交差点の真ん中でプラグがかぶって止まったり、シフトレバーが根本から折れて変速できなくなったりした。
湯島聖堂に引っ越してしばらく、夜中にそのサンバーで皇居の周りを走ったりして、運転の練習をした。
数か月後、親戚が車を買い替えるというので、古い車をもらえることになった。これが、やはりスバルの軽自動車レックスコンビである。
なにしろ、都心の一等地、7000坪の邸宅(湯島聖堂斯文会館)に住んでいたので、駐車料金はタダだった。雨の日、鎌田正先生を家まで送った(鎌田正先生の思い出:2008年06月16日)のもこの車である。

上の写真はネットで拾ってきたものだが、色も形も全く同じ車である。サンバーよりは少し新しい(7年落ちぐらい)が、それでも前のオーナーがかなり乗っていたのでひどいポンコツだった。
ある日、中央高速を走って、料金所に差し掛かった時に、ものすごい爆音が聞こえた。ボボボボボ・・・・。うわーボーソーゾクだ、嫌だなーと思って周りを見回してみたが、それらしいものはいない。とりあえず料金所に入るためにアクセルを踏むとまた爆音がした。・・・アレ?
あにはからんや、爆音は僕の車から出ていたのだ。家に着いてから点検すると、マフラーがない。高速道路で落としたらしい。
当時の車は100キロ超えると警報が鳴った。普通の車はチャイムだったが、僕のはマヌケなブザーで、それも時速80kmで鳴りはじめた。高速を走っている最中は、つねにブーブー鳴っていて、これがやたらとうるさい。そのせいで、マフラーが落ちたことに気付かなかったのである。
ブレーキを踏んだら、いきなり背もたれが後に倒れたこともある。この車には生意気にもサンルーフが付いていたのだが、そこから空が見えたときには、一瞬何が起こったのかわからなかった。あわてて起き上がったが、あの時ほど腹筋を使ったことはない。
他にも、ラジエターに穴が開いて水が無くなり、夏なのにヒーター(エアコンではない)を入れて走ってこっちがオーバーヒートしそうになったとか、洗車してたら内装から水が噴き出してきたとか、突然サイドミラーが落ちたとか、故障して止まったけど群馬でラッキー(群馬は富士重工業の発祥の地でディーラーが多い)とか、わずか二年しか乗っていないのに、すばらしいポンコツぶりを発揮してくれた。
富士重工の名誉のために言っておくが、スバルがポンコツというわけではない。僕の乗った車がたまたまポンコツだっただけだ。それにしても今はポンコツという言葉自体が死語になってしまった。自動車はポンコツほど愛着がわくものである。
多くの人が富士重工のスバル360と答えるだろう。その富士重工が明日、軽自動車の生産を終了する。
富士重、軽の半世紀に幕 独自の中・小型で勝負
富士重工業が50年以上の歴史がある軽自動車の生産を29日で終える。3月にはトヨタ自動車と共同開発した小型スポーツ車の生産を開始。軽の開発・生産から撤退し、付加価値の高い小・中型車へと経営資源を集中する経営戦略を一段と加速する。円高下でも同社の業績は比較的堅調に推移しており、特色ある中堅自動車メーカーとしてさらなる飛躍を狙う。
免許を取って、教習車以外で最初に運転した車が、当時住んでいた湯島聖堂の所有するスバルのバン、サンバー5だった。
なんだかマンボNo5(ペレス・プラード)みたいな名前だが、ちょっとした珍車で、軽自動車規格が360ccから550ccに移る1976年に500ccの軽自動車として生産されたものだ。
なにしろ360ccのエンジンをむりくり500ccにしただけの車だから、バンのくせに非力であることこの上ない。その上、その時点で10年を超えていたので、交差点の真ん中でプラグがかぶって止まったり、シフトレバーが根本から折れて変速できなくなったりした。
湯島聖堂に引っ越してしばらく、夜中にそのサンバーで皇居の周りを走ったりして、運転の練習をした。
数か月後、親戚が車を買い替えるというので、古い車をもらえることになった。これが、やはりスバルの軽自動車レックスコンビである。
なにしろ、都心の一等地、7000坪の邸宅(湯島聖堂斯文会館)に住んでいたので、駐車料金はタダだった。雨の日、鎌田正先生を家まで送った(鎌田正先生の思い出:2008年06月16日)のもこの車である。

上の写真はネットで拾ってきたものだが、色も形も全く同じ車である。サンバーよりは少し新しい(7年落ちぐらい)が、それでも前のオーナーがかなり乗っていたのでひどいポンコツだった。
ある日、中央高速を走って、料金所に差し掛かった時に、ものすごい爆音が聞こえた。ボボボボボ・・・・。うわーボーソーゾクだ、嫌だなーと思って周りを見回してみたが、それらしいものはいない。とりあえず料金所に入るためにアクセルを踏むとまた爆音がした。・・・アレ?
あにはからんや、爆音は僕の車から出ていたのだ。家に着いてから点検すると、マフラーがない。高速道路で落としたらしい。
当時の車は100キロ超えると警報が鳴った。普通の車はチャイムだったが、僕のはマヌケなブザーで、それも時速80kmで鳴りはじめた。高速を走っている最中は、つねにブーブー鳴っていて、これがやたらとうるさい。そのせいで、マフラーが落ちたことに気付かなかったのである。
ブレーキを踏んだら、いきなり背もたれが後に倒れたこともある。この車には生意気にもサンルーフが付いていたのだが、そこから空が見えたときには、一瞬何が起こったのかわからなかった。あわてて起き上がったが、あの時ほど腹筋を使ったことはない。
他にも、ラジエターに穴が開いて水が無くなり、夏なのにヒーター(エアコンではない)を入れて走ってこっちがオーバーヒートしそうになったとか、洗車してたら内装から水が噴き出してきたとか、突然サイドミラーが落ちたとか、故障して止まったけど群馬でラッキー(群馬は富士重工業の発祥の地でディーラーが多い)とか、わずか二年しか乗っていないのに、すばらしいポンコツぶりを発揮してくれた。
富士重工の名誉のために言っておくが、スバルがポンコツというわけではない。僕の乗った車がたまたまポンコツだっただけだ。それにしても今はポンコツという言葉自体が死語になってしまった。自動車はポンコツほど愛着がわくものである。