2012年02月

ドイツの国民車といえばフォルクスワーゲン・ビートル、イタリアはFIAT500、フランスはシトロエン2CV、イギリスはミニ・・・では日本は?

多くの人が富士重工のスバル360と答えるだろう。その富士重工が明日、軽自動車の生産を終了する。

富士重、軽の半世紀に幕 独自の中・小型で勝負
富士重工業が50年以上の歴史がある軽自動車の生産を29日で終える。3月にはトヨタ自動車と共同開発した小型スポーツ車の生産を開始。軽の開発・生産から撤退し、付加価値の高い小・中型車へと経営資源を集中する経営戦略を一段と加速する。円高下でも同社の業績は比較的堅調に推移しており、特色ある中堅自動車メーカーとしてさらなる飛躍を狙う。

免許を取って、教習車以外で最初に運転した車が、当時住んでいた湯島聖堂の所有するスバルのバン、サンバー5だった。

なんだかマンボNo5(ペレス・プラード)みたいな名前だが、ちょっとした珍車で、軽自動車規格が360ccから550ccに移る1976年に500ccの軽自動車として生産されたものだ。

なにしろ360ccのエンジンをむりくり500ccにしただけの車だから、バンのくせに非力であることこの上ない。その上、その時点で10年を超えていたので、交差点の真ん中でプラグがかぶって止まったり、シフトレバーが根本から折れて変速できなくなったりした。

湯島聖堂に引っ越してしばらく、夜中にそのサンバーで皇居の周りを走ったりして、運転の練習をした。

数か月後、親戚が車を買い替えるというので、古い車をもらえることになった。これが、やはりスバルの軽自動車レックスコンビである。

なにしろ、都心の一等地、7000坪の邸宅(湯島聖堂斯文会館)に住んでいたので、駐車料金はタダだった。雨の日、鎌田正先生を家まで送った(鎌田正先生の思い出:2008年06月16日)のもこの車である。

レックスコンビ

上の写真はネットで拾ってきたものだが、色も形も全く同じ車である。サンバーよりは少し新しい(7年落ちぐらい)が、それでも前のオーナーがかなり乗っていたのでひどいポンコツだった。

ある日、中央高速を走って、料金所に差し掛かった時に、ものすごい爆音が聞こえた。ボボボボボ・・・・。うわーボーソーゾクだ、嫌だなーと思って周りを見回してみたが、それらしいものはいない。とりあえず料金所に入るためにアクセルを踏むとまた爆音がした。・・・アレ?

あにはからんや、爆音は僕の車から出ていたのだ。家に着いてから点検すると、マフラーがない。高速道路で落としたらしい。

当時の車は100キロ超えると警報が鳴った。普通の車はチャイムだったが、僕のはマヌケなブザーで、それも時速80kmで鳴りはじめた。高速を走っている最中は、つねにブーブー鳴っていて、これがやたらとうるさい。そのせいで、マフラーが落ちたことに気付かなかったのである。

ブレーキを踏んだら、いきなり背もたれが後に倒れたこともある。この車には生意気にもサンルーフが付いていたのだが、そこから空が見えたときには、一瞬何が起こったのかわからなかった。あわてて起き上がったが、あの時ほど腹筋を使ったことはない。

他にも、ラジエターに穴が開いて水が無くなり、夏なのにヒーター(エアコンではない)を入れて走ってこっちがオーバーヒートしそうになったとか、洗車してたら内装から水が噴き出してきたとか、突然サイドミラーが落ちたとか、故障して止まったけど群馬でラッキー(群馬は富士重工業の発祥の地でディーラーが多い)とか、わずか二年しか乗っていないのに、すばらしいポンコツぶりを発揮してくれた。

富士重工の名誉のために言っておくが、スバルがポンコツというわけではない。僕の乗った車がたまたまポンコツだっただけだ。それにしても今はポンコツという言葉自体が死語になってしまった。自動車はポンコツほど愛着がわくものである。
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雪だるまになりに、北海道のニセコに行ってきた。

聞いてはいたが、外国人が多い。カフェなどで働いている人もいて、注文したコーヒーを持ってきたウェイターが英語で「ミルクいりますか?(たぶん)」と聞いてきたのにはびっくりした。

中でも一番多いのがオーストラリア人である。おそらく、今夏休みなのだろう。子供連れが多く、やたらと上手い。まあ、夏だというのに外国に来てまでスキーをしようというんだから、上手いのは当たり前である。他に韓国人や香港人も多いようだ。

オーストラリア人の子供はホテル館内を靴下だけで歩いていることが多い。ちょっと奇妙だったので調べてみたら、本国では外でも裸足で歩くことが多いらしい。

オーストラリア+裸足:Google検索

さて、このブログでは毎月「今月の壁紙」というエントリを書いていたのだが、最近サボっていた。久しぶり(去年の10月以来)にUpしよう。

羊蹄山
富士山と同じ単独峰で蝦夷富士といわれる。よく似ているが北斎が描いた富士山に似ているように思う。
これがリフトを降りたとたんにドーンと見えるのだからたまらない(そしてびびる)。
羊蹄山(1024x768)

羊蹄山(1024x768)
羊蹄山(1280x1024)

リフトから見えた雪原。右上にリフトのワイヤーが写っちゃっているのはご愛嬌。
雪原(1024x768)

雪原(1024x768)
雪原(1280x1024)

オマケ。
新千歳空港で飛行機に乗っていたらヘンな重機みたいなのが来た。クレーンみたいなのに人が乗っている。翼の雪下ろしをする車だった。
IMGP0679

動画もどうぞー。

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「テンプレどおり」なんてよくいうけど、本当のテンプレはCtrl+Vですむような生易しいもんじゃない。本当のテンプレってのは、こういうものだ。

テンプレート


なんだ、小学生のときに雑誌の付録に付いてきたアレかなんて言ってはいけない。それはおもちゃ。これはプロが使うホンモノのテンプレート。これをごろうじよ。

IMGP4780


一見、下敷きみたいなプラスチックの板に穴があけてあるだけだが、値札に注目。1100円。職人が一つ一つ丁寧に穴を穿ったに相違ない。

これがヤフオクでなんと400円!安い!
東京定規テンプレートNo.101-S円定規

まだまだたくさんある。今買わなきゃ損だよ!
全出品リスト:Yahoo!オークション

というわけで、宣伝でした。あなたもテンプレート一枚いかがでしょう?
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大学生ぐらいの一時期、署名をするときに「中川聰」と書いていた。「聰」は「聡」の異体字であり、いわゆる旧字体である。

余談だが、楷書の異体字について初めてまとめられた唐代の『干禄字書』は、なぜか「聡」で始まっていて、これによると「聡・聦」が通字で「聰」が正字となっている。『康熙字典』も「聰」になっている。

干禄字書影印
聰


自分の名前を「聰」と表記したのにたいした理由はない。もちろん戸籍上は「聡」だが、同じ字だったらより難しい方がかっこいいと思っただけのことである。

普段そう書いていると、郵便物も「中川聰様」で来るようになる。これには「総」とか「恥」と間違える(信じられないことだが「恥」と間違える人がたまにいる)こともなくなるという副次的な効果もあった。

ところがある日、祖父が「中川聰様」と書いてある手紙を手に取って首をかしげていた。

「これ、中川さんのところと間違えたのかな・・・」

当時、僕が住んでいたのは祖父母の家の二階で、この祖父母は母方なので中川という苗字ではない。中川さんというのは三軒隣の家である。ややこしいことに祖父は文房具屋を営んでいたのだが、三軒向こうの中川さんの家も文具店だった。ついでにいうと、そのころ僕の実家も文房具屋で、三軒隣の中川さんと同じ屋号である。

同じ並びの三軒隣だから、住所もほとんど同じ。宛先が正確に書いてあっても、向こう宛ての手紙がこちらに来たり、こちら宛ての手紙が向こうに着いたりすることは日常茶飯事だった。しかし、この手紙が僕宛てであることに間違いない。

簡単に言うと、祖父が「聰」と「聡」が同じ字であることに気付かなかったというだけだが、問題は僕の名前を付けたのは、この祖父に他ならないということである。

名前を付けた人が読めないのでは仕方がない。それ以来、署名するときは「聡」と書くようになった。

祖父は明治45年生まれ。漢字を旧字体で学んだ世代で、今以上に「聡明」という言葉を使っていた世代である。
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前回のエントリを繰り返すが、二点しんにょうと一点しんにょうは、旧字体とか異体字といったような字形の違いではなく、活字のデザイン上の違いである。

古い活字を見ると、すべて二点しんにょうになっているが、手書きの文字は昔から一点で書くものだった。「半」の2画めまでも、古い活字ではハの字形になっているが、基本的に逆ハの字形に書いていた。旧字体だから二点しんにょうにするとか、ハの字型にするというようなものではない。

もともと活字の字(活字体)と手書きの字(筆写体)では形が違うのである。

この違いは現在でも残っており、例えば次の「令」という字の最終画は現在の一般的な活字では左のように縦棒になっているが、書くときはほとんどの人が右のように点で書くだろう。

令


現在の活字体には書写体がとりこまれつつあるが完全ではなく、「令」のように活字体のまま残ったものや、しんにょうのように、字によって混在している状態である。

さて、それではなぜ活字体と筆写体でこんなに違いがでるのだろうか。

今、ここで俎上に上げているのは楷書という書体である。漢字の歴史としては、篆書から隷書がうまれ、そこから草書(草書は一部篆書由来のものもある)・行書・楷書がそれぞれ発生した。

楷書らしきものは、すでに後漢ごろから見られるが、現在楷書と言って思い出すような形に完成するのは唐代である。現在書かれている筆写体の楷書も、その時代から連綿と続いているものである。

一方、活字体は18世紀の始めに中国で編まれた『康熙字典』の字を基準にしている。『康熙字典』は清朝考証学という学問の成果に生まれた字典である。清朝考証学は近代的な学問の萌芽で、『康熙字典』の文字を実証的に「正しい文字」にしようと心がけた。

この「正しい文字」というのがクセモノである。そもそも文字というものは習慣的に発展していくもので、誰かが作ったものではない。だから、正しいとか間違っているなどというものは根源的に存在しないのである。

しかし、これは字書だから正しい文字を載せる必要がある。そこで、『康熙字典』は中国最古の字書『説文解字』(漢代・1世紀に成立)に範を取ることにした。辞典の用例は最も古いものを挙げるのが基本である。それならこれはあながち間違ってはいない。

しかし漢代に成立した『説文解字』の見出しは篆書である。『康熙字典』は、これを楷書に当てはめて文字を作ったのである。

先ほどの例でいうと、しんにょうの部分の元の形は「辵」という字で、楷書では面影がないが、篆書にはある。次の写真は説文解字に見られる「通」という字。

通(説文)


この左側の部分の一画目と二画目が、二点しんにょうの根拠になっている。

半(説文)


「半」は上の部分が「八」になっている。『説文解字』本文にも「従八従牛」とある。『康熙字典』的にいうと「半」は「八」と「牛」を合成した文字だから、二画目まではハの字形が正しいというわけだ。

このように『康熙字典』は、漢字を人工的に改造していった。その一方で、楷書成立から習慣として受け継がれた手書きの字形があった。現在の日本で使われる活字(フォント)はこれが混在しているのである。

まとめると、活字体と書写体の違いは、人工的に作られた文字か、習慣的に使われた文字かの違いで、どちらが正しいとか、間違っているとか、古いとか新しいとかいうものではない。
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最近は下手なのがバレたのかそういう仕事自体こなくなったが、かつてはこの時期になると卒業証書の名前書きという仕事があった。

これが大変面倒くさい。卒業生全員のぶんだから、枚数が300枚ほどある。成績会議で卒業が確定してから、卒業式までの間に書かなければならないので、期間も限られている。

しかし、そんなことよりも面倒くさいのが、表記の問題である。

名前は使える漢字が決まっているから、書きやすい字とか書きにくい字はあるがそれほど問題ない。問題は苗字である。

よく知られている例でいうと、渡辺さんの「辺」は「辺」「邊」「邉」と少なくとも三種類の書き方がある。これを異体字といい、実はすべて同じ字なのだが、名前はこだわりのある人が多く、間違えると書き直しになってしまう。

そこで、ほとんどの学校では、生徒に正しい字を書かせて、親のハンコをもらってくることになっている。書く方はそれを見て書くのだが、渡邊さんなんか普段、試験の答案なんかには「渡辺」と書いているもんだから、それ自体が間違っていたりすることもある。

これ誤字じゃねえかと思いつつ、書いてみると後で「やっぱり間違ってました、書き直してください」なんてことになる。もちろん、書き直したからといって、余分にお金がもらえるわけではない。

ところで、渡辺の「しんにょう」はあなたのスクリーン上ではどのように表示されているだろうか。

フォントによってはすべて点が一つの場合もあるが、多くの場合「辺」は点が一つで「邊」「邉」は点が二つになっていると思う。下の画像はメイリオの例。

ScreenClip


これらは異体字ですらない。活字のデザイン上の違いである。「半」の上の二つの点も、「半」のときは逆ハの字に書くのに、「絆」だとハの字に書く人がいるが、あれもデザイン上の違いというだけで、「絆」だからといって「ハ」にする必要はない。

卒業証書の名前ではここまでこだわる人がいるが、異体字はともかくここにこだわる意味はない。ちなみに手書きの文字としては、しんにょうは一点、半は逆ハの字が普通である。

しかし、なぜこんな違いがあるのだろうか。ちょっと書くのが面倒くさくなってきたので、それは次回の講釈で。
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思考実験だそうなので、思考してみる。

「搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ」:togetter

ここで、俎上に上げられている人の意見はリンク先を見てもらえれば分かる。かいつまんで言えば、働かない人に生活保護なんかやらんでいい、選挙権もあたえんでいいという考え方である。

それについては、世間知ってると思い込んでいる世間知らずの言いそうなことなので、別に言うことはない。世間を知ってもらうまで待つしかない。永久に知らないかもしれないけど。

僕が面白いなと思ったのは、生活保護などの弱者救済を「搾取」と捉えているということである。togetterのタイトルがこうなっているからには、まとめた人もそう思ったのだろう。

もとのTweetにはこうある。

あと、搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ、多分。年金にせよ老人医療費にせよ生活保護にせよ。「俺の金を他に使うな」ってのが身も蓋もない本音でしょうね。

「搾取」というのは文字通り搾り取るという意味だが、経済用語として使ったマルクス経済学のタームとして使われる。端的にいえば、本来労働者が賃金としてもらわなければならないはずのお金を、労働者でない人(資本家などのブルジョア)がピンハネするという意味である。

例えば、先日僕は株の配当金をもらったのだが、配当金は株を発行している会社の儲けから、人件費を含む諸経費やら原料費やらを差っ引いた残りを、株を持っている人に所有する株式の数に応じて分配するものである。しかし、僕はその会社では働いていない。単に金を出して株を買っただけである。

これを搾取という。浦安方面の労働者諸君、僕のためにせいぜい働いてくれたまえ。僕は影ながら応援しています。

僕が〈搾取〉している金額なんてたかが知れているが、世の中には〈搾取〉だけで暮らしていける人もたくさんいる。それがいわゆるブルジョアジーで、前の前の総理大臣の家なんかがそうだ。

搾取という言葉を使うなら、そこに矛先が向うのが普通だろう。だが、この人の矛だか鑓だかは、なぜだか生活保護受給者、すなわち貧乏人の方へ向いている。

これはとても不思議な感覚だが、よくよく考えてみると共通点はある。それは、どちらも労働の対価ではないお金をもらっているという点である。働かない奴(働けない奴も含む)が金をもらうのは許せん!ということで、「許せん!」の対象が上に向いているか下に向いているかが違うだけだ。

上のTweetを見ると、再三自分のことをアッパーミドルであると言っている。アッパーミドルとは左翼用語でいうプチブル(プチブルジョア)と言い換えることができるだろう。

本物のブルジョアは搾取はするが、鑓を向けることもない。なにしろ労働者諸君はせっせと働いて自分たちを食わせてくれるのである。ところがプチが付くと様相が変わってくる。プチブルはプチとはいえブルだから、不満があってもブルジョアに鑓は向けられない。むしろブルジョアになりたいと思っている。

しかし、生活はプロレタリアートのそれとなんら変わらない。さらに今の情勢では自分はブルジョアになれないと思っているから不満だけはたまる。不満の矛先は上には向けられないから下に向くのである。

生活保護受給者に搾取されるなんて、言葉だけ見ても矛盾以外の何物でもないのだが、その矛盾に気づかないほど、焦燥と不安があるということだろう。

前のエントリで、岩波書店をくさしたので、お詫びに本の紹介を。

郭沫若『歴史小品』(平岡武夫訳・岩波文庫)を読んだ。先日のシグマ書房閉店セールで買ってきた本である。



内容は『歴史小品』という題名の通り、中国古代史に登場する人物を題材にした、八編からなる短編小説集である。出版されたのは1936年。

取り上げられている人物は、老子・荘子・孔子・孟子・始皇帝・項羽・司馬遷・賈長沙の八人で、この順番に並べられている。

後半(賈長沙はよくわかんないけど)は歴史小説によく出てくる人物だが、前半の老子から孟子まではなかなか小説では見ない人物である。

とりわけ最初の老子は伝自体が少なく、実在すら疑われてすらいる。『史記』に描かれる老子は、国が衰えたのを機に周を去り、函谷関で関令の尹喜に会い、尹喜の求めに応じて『老子道徳経』を書き、どこへともなく去ったという。

『歴史小品』の第一話「老子函谷関に帰る」では、函谷関から消えた後の老子を描く。

老子は砂漠をさまよった後、再び函谷関に帰って、尹喜に再会する。尹喜は尊敬する老子に再会できたことを喜ぶが、老子は過酷な旅の間に考えが変わり、それまで自分が言ったことをすべて否定し、尹喜の持っていた『老子道徳経』を取り上げ去って行く。

得体のしれない聖人、老子が妙に人間的な人物になっているのである。それに呼応するように尹喜も俗物になり老子を罵る。

一歩間違えるとパロディか何かになってしまうが、そこは郭沫若先生。フィクション以外の部分はしっかり資料に基づいて書かれているので、そういうこともあったのかなという気にさせられる。

たぶん、老子が一番最初になっているのは、これがフィクションであることを明確にするためだろう。もし注釈がなかったら、僕のように中国古代史に暗いものには、どこからどこまでが創作か分からない。

荘子以下も中国古代史の聖人・英雄といわれるような人の、人間的な弱さを描く。荘子は友情の浅さを嘆き、孔子は自分の威厳が保たれたことを安堵し、孟子は妻との別れを惜しむのである。

これが森鴎外のいう「歴史離れ」なのだなと思った。郭沫若の思想とか、政治的背景とかいろいろありそうだが、単純に歴史小説として面白かった。
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岩波書店が新入社員の応募条件を「コネのある人」にしたそうだ。

応募条件「コネのある人」宣言 岩波書店が縁故採用:47News
応募資格は“コネ”のある人―。老舗出版社の岩波書店(東京)が、2013年度定期採用で、応募条件として「岩波書店(から出版した)著者の紹介状あるいは社員の紹介があること」を掲げ、事実上、縁故採用に限る方針を示したことが2日分かった。


採用される側からすれば、どうせ言わなくってもコネなんだから、はっきり言った方がマシということになる。そういう点でいえば、岩波書店は良心的といえるだろう。

もともと出版社なんてコネ採用が多かったから、コネが条件になってるなんてことは驚くに値しない。驚くのはそれを会社が明言したことである。

コネにはいい面もある。新入社員なんて山の物とも海の物ともつかない人間だが、コネクションによって保証をつけることになる。社員の紹介で入った新入社員の不祥事は、少なからず紹介した社員の責任にもなる。出世にかかわるどころか、下手すると会社にいられない事態になりかねない。

その上、紹介状を書いたとしても、面倒なだけで紹介した人には何の得もならない。社員は簡単には紹介状を書かないだろう。著者にしても同じことで、岩波書店は一種のステータスになっているから、大江健三郎クラスの大家でないかぎり、わけのわからない奴を紹介して、岩波から本が出せなくなることを恐れるはずだ。

はてブなんかでは、「人脈を作るのも仕事のうち」とかいっている人がいるが、ちょっとやそっとの人脈では紹介してくれないだろう。逆に言うと、コネで来る人は、仕事ができるかどうかは分からないがとりあえず安心できる人物だということになる。

しかし、最初からコネが必要となれば、コネのない優秀な人は来なくなる。つまり、コネのない人を締め出すことは、初めからいい社員を取る機会を放棄しているのである。もっとわかりやすく言えば成長する気がない企業とみていいだろう。

だから実際にはほとんどコネで採っていても、普通そうは言わない。これを堂々と言っちゃうなんて、さすがは天下の岩波書店である。

なんだか字ばっかりのエントリが続いたので、今日は写真主体で。

前にも書いたが、昔はおもちゃ屋はハレの日行くもので、日常のおもちゃは文房具屋で買うものだった。特に子供に人気があったのが、ベーゴマである。

ベーゴマ


もともとバイ貝に砂を入れて独楽にしたのがベーゴマの由来で、裏を見るとたしかに螺旋状の模様が付いている。

ベーゴマ(裏)


表はこんな感じ。なぜかアルファベットが鋳込まれている。

ベーゴマ(表)


普通の独楽のように芯が付いていないので、結び目を二つ作り、とがった部分にひっかけて紐を巻く。
回し方、遊び方などは次のページが詳しいので参照してほしい。

特集 ベーゴマで遊ぼう!基本編:galiton

写真のベーゴマは比較的小さなもので、もっと大きいものも店にあった。10年ぐらい前に大人が全部まとめて買っていったように記憶している。それには、「大鵬」とかの(他のは忘れた)相撲取りの名前が鋳込まれていた。「長嶋」など野球選手の名前のものもあったらしい。

大きさが違うと、大きい方が有利になって、勝負にならないように思えるが、必ずしもそうでもない。テクニック次第でどうにでもなるし、改造して背を低くして、小さい方を大きい方の下に潜り込ませるようにして勝つという方法もある。

勝つのに解法はない。昔の遊びは技術を磨かなければならないし、頭も使わなければならなかったのである。今は金をかければ強いアイテムが買えるらしいが、遊びとしては実にくだらない。

なんて、知ったかぶっているが、実はベーゴマで遊んだことがない。すべて三友亭先生に教えてもらったことである。
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