このブログでたびたび書いている、祖母の文房具屋が廃業する。誤解のないように先に書いておくが、祖母はまだ元気だ。元気なうちに店舗として使っていたスペースを住む場所にしようというのである。
この文具店を創業したのは祖父である。もともと新宿の紙問屋に勤めていたが、何度も徴兵され、終戦後もウズベキスタン(あれ?つい最近見たような地名だ)に昭和23年まで抑留された。帰ってきてからしばらくして、勤めていた会社を退職し、今の文房具屋を開店した。
祖父は「起業して金持ちになろう」なんて考える人間ではない。それなのに独立しようとしたのが不思議だったので、理由を聞いたことがある。
いわく「小売店は現金が手に入るから」。当時は手形が不渡りになって回収できないというようなことが多かったらしい。仕事で小売店回りをして、客が手に現金を持って買いに来るのを見て、とても羨ましく思ったそうだ。問屋よりも小売店の方が安定している時代だったのである。
その後祖父は死ぬまで文房具屋を続けた。子供二人(僕から見ると母と叔父)を大人にするまで育てたのだから、昔は十分商売として成り立っていた。町に個人商店があふれていた時代である。
御用聞きに行っていた中小企業も多かった。子供が多かったので店に来る客も多かった。しかし、時代は変わり、中小企業は減り、子供も減り、スーパーまでもが文房具を扱うようになると、だんだん商売として成立しなくなっていった。
それでも祖父が80歳後半まで文房具屋を続けられたのは、年金と軍人恩給という収入があったことと、皮肉な話だが客が減ったためである。
もし、年金と軍人恩給がなければ、もっと早く店を畳まなければならなかっただろう。逆に商売を大きくしていれば、せいぜい70歳ぐらいまでしかできなかった。日本の経済が成熟していったから商売を続けることができ、衰退していったから死ぬまでできたのである。
祖父が亡くなる数年前、店を継がないかと打診されたことがある。僕の答えはNoだ。店を残したいという祖父の気持ちは分かるが、当時はすでにそれだけで生活できるほど売れていなかったし、僕には他にもっとやりたいことがあった。
僕はとてもじゃないがそれはできないと言った。今から考えると、もっと他に言いようがあったんじゃないかと思うが、結果的に祖父を傷つけてしまった。寂しそうだったが、僕にも生活がある。
結局、祖母はそのあとを受け継ぎ、93歳の現在まで毎日店を開けていた。開けていたというだけで、ほとんど収入にはなっていない。
その店がついになくなる日が来た。祖父が亡くなったのは3月28日、奇しくもほとんど同じ日である。
この文具店を創業したのは祖父である。もともと新宿の紙問屋に勤めていたが、何度も徴兵され、終戦後もウズベキスタン(あれ?つい最近見たような地名だ)に昭和23年まで抑留された。帰ってきてからしばらくして、勤めていた会社を退職し、今の文房具屋を開店した。
祖父は「起業して金持ちになろう」なんて考える人間ではない。それなのに独立しようとしたのが不思議だったので、理由を聞いたことがある。
いわく「小売店は現金が手に入るから」。当時は手形が不渡りになって回収できないというようなことが多かったらしい。仕事で小売店回りをして、客が手に現金を持って買いに来るのを見て、とても羨ましく思ったそうだ。問屋よりも小売店の方が安定している時代だったのである。
その後祖父は死ぬまで文房具屋を続けた。子供二人(僕から見ると母と叔父)を大人にするまで育てたのだから、昔は十分商売として成り立っていた。町に個人商店があふれていた時代である。
御用聞きに行っていた中小企業も多かった。子供が多かったので店に来る客も多かった。しかし、時代は変わり、中小企業は減り、子供も減り、スーパーまでもが文房具を扱うようになると、だんだん商売として成立しなくなっていった。
それでも祖父が80歳後半まで文房具屋を続けられたのは、年金と軍人恩給という収入があったことと、皮肉な話だが客が減ったためである。
もし、年金と軍人恩給がなければ、もっと早く店を畳まなければならなかっただろう。逆に商売を大きくしていれば、せいぜい70歳ぐらいまでしかできなかった。日本の経済が成熟していったから商売を続けることができ、衰退していったから死ぬまでできたのである。
祖父が亡くなる数年前、店を継がないかと打診されたことがある。僕の答えはNoだ。店を残したいという祖父の気持ちは分かるが、当時はすでにそれだけで生活できるほど売れていなかったし、僕には他にもっとやりたいことがあった。
僕はとてもじゃないがそれはできないと言った。今から考えると、もっと他に言いようがあったんじゃないかと思うが、結果的に祖父を傷つけてしまった。寂しそうだったが、僕にも生活がある。
結局、祖母はそのあとを受け継ぎ、93歳の現在まで毎日店を開けていた。開けていたというだけで、ほとんど収入にはなっていない。
その店がついになくなる日が来た。祖父が亡くなったのは3月28日、奇しくもほとんど同じ日である。