2012年04月

毎年4月は年度初めでやることがたくさんある。加えて例の文房具屋の改装まで加わって忙しくなったので、後半予告したにも関わらずブログが書けなかった。だいたい、予告すると書けなくなるのが僕のパターンだ。

そんなこんなで、4月の総括を書かなきゃいけない日になってしまった。

先日、給食の牛乳のデザインがほんの少し変わっているのに気付いた。赤いパックですでにおなじみメグミルクだが、そこに青い雪印マークが付いていたのだ。ブランド名も「雪印メグミルク」になっている。

まわりの先生に聞いてみたが、いつから変わったのか気付いた人はいなかった。Wikipediaによると2011年4月1日に「雪印メグミルク」は実質的に発足したらしい。とすると一年前だが、去年の段階では気付かなかった。

雪印乳業の集団食中毒事件が2000年、雪印食品による雪印牛肉偽装事件が発覚したのが2002年である。これによって、雪印ブランドは信用を失い、市場から退場を命じられた。細かい経緯は省くが、雪印製品であることを隠すように、青かったパックは赤くなり、雪印マークは消えた。それでも知っている人は赤いパックを避けたんじゃないだろうか。

しかし、ごく小さくだが雪印マークは復活した。つまり、事件から10年たって、ようやく雪印ブランドを復活させることができたわけだ。実際、雪印の不祥事をうまく説明できる人は少ないだろう。

ここで僕は原発事故のことを考えずにはいられないのである。去年の三月の事故で、「東京電力」や「原子力発電」というブランドは完全に信用を失った。

これが復活するには、やはり少なくとも10年はかかるということになる。止まっている原発を再稼働させるだけでも、大変な手間と時間がかかることはもう分かりきっている。新しい原発を作ることなど不可能に近い。原子力開発の研究も大幅に遅れるだろう。

それが10年は続く。と言っても、完全に収束してから―最低限、避難している人たちが、決まった住所に落ち着いてからだろう―の10年で、今はまだその10年に入っていない。さらに言うと、推進派が復活させようとすればするほど、この10年は伸びる。雪印は青いパックを赤くしたから復活できたのである。

これが、信用を失うということだ。信用の失われた10年に何をするか。原発にベットし続けるのか。原発は捨てて別の物にベットすべきか。それが今問われているのである。
このエントリーをはてなブックマークに追加

最近国語の授業を持っていないので、試験問題を作っていない。このままだと腕がなまりそうなので、試験問題を作ってみた。国語じゃないけど。

次の空欄の1〜3に国名を、Aに産業名を後の語群から選び、それぞれ入れよ。

枢軸国の一つ( 1 )は製造業の盛んな国として知られていた。
( 1 )のある企業によって作られた( A )はその独創性と精密さから、グローバルスタンダードの地位を確立したが、人件費の安い( 2 )や( 3 )の企業によってデッドコピーされた。
とりわけ、( 2 )は( 1 )のブランドごと模倣する例が多かったが、最終的に世界の( A )市場は( 2 )企業の製品で埋め尽くされ、現在に至っている。

国名 ドイツ イタリア 日本 アメリカ ソビエト連邦 中国
産業名 オートバイ カメラ 飛行機 テレビ
続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加

三月の壁紙が梅だったので、四月は桜。

桜(1024x768)

桜(1024x768)
桜(1280x1024)

この桜、隅田川で撮ってきた。というわけで、これなむ都鳥(ユリカモメ)。
マスクマンみたいなやつがいるが、これは夏羽。しばらくすると、シベリア方面へ渡って行く。
ユリカモメ(1024x768)

ユリカモメ(1024x768)
ユリカモメ(1280x1024)

隅田川といえばスカイツリー。ホシナさんとネタがかぶったのは偶然。
スカイツリー(1024x768)

スカイツリー(1024x768)
スカイツリー(1280x1024)

最後にオマケ、夕暮れの浅草寺。
浅草寺(1024x768)

浅草寺(1024x768)
浅草寺(1280x1024)

あー、明日から仕事だよ・・・。
このエントリーをはてなブックマークに追加

夏目漱石『こころ』の下「先生と遺書」はその名の通り、ほとんどが先生の遺書となっている。これを読んだ人はたいがいこう思うだろう。

ちょっと、長すぎるんじゃないか。

この遺書は、原稿用紙のようなものに書かれていたことになっているが、実際に原稿用紙にしたら、どのぐらいの厚さになるのだろうか。検証してみた。

ヒントとなる、先生から送られてきた遺書の描写は次のようなものである。なお、本文は『こころ』:青空文庫による。

最初に遺書が登場するのは、兄から先生の遺書を手渡される場面である。

それは普通の手紙に比べるとよほど目方の重いものであった。並の状袋にも入れてなかった。また並の状袋に入れられべき分量でもなかった。半紙で包んで、封じ目を鄭寧に糊で貼り付けてあった。私はそれを兄の手から受け取った時、すぐその書留である事に気が付いた。裏を返して見るとそこに先生の名がつつしんだ字で書いてあった。手の放せない私は、すぐ封を切る訳に行かないので、ちょっとそれを懐に差し込んだ。

とにかく、やたらと大きく重いことが分かる。「懐に差し込んだ」とあるが、どのくらい重いか気になるところだ。

次に開封する場面。
私は繊維の強い包み紙を引き掻くように裂き破った。中から出たものは、縦横に引いた罫の中へ行儀よく書いた原稿様のものであった。そうして封じる便宜のために、四つ折に畳まれてあった。私は癖のついた西洋紙を、逆に折り返して読みやすいように平たくした。

包んでいたのは半紙だったはずだが、なぜかここでは「繊維の強い包み紙」になっている。普段半紙を使う身としては、半紙が「繊維の強い包み紙」とは思えない。

「西洋紙」とあることから、遺書の書かれていた紙が洋紙であることも分かる。先生は東京帝国大学出のインテリだし、まさか自分で罫線を引くわけがないので、この紙は原稿用紙そのものと考えて問題ないだろう。

紙の大きさはB5かB4のいずれかだが、B5のような小さな紙を「封じる便宜のために、四つ折」にするとは考えにくいので、B4程度の大きなものだろう。

問題は字詰めである。現在の400字詰めの原稿用紙は、明治の終わりには一般的に使われていた。したがってまずこの可能性が考えられる。

また、漱石が「坊ちゃん」に使った原稿用紙は12文字24行の576字詰めである。このような原稿用紙が明治時代の終わりに一般にあったかどうかは分からないが、漱石が使っている以上、これを想定している可能性はある。ちなみに、この原稿用紙は『直筆で読む「坊っちゃん」』(集英社新書・2007年10月)の秋山豊氏の解説によると、235mmx315mmでB4版(257×364)より若干小さい。

先生の遺書のテキストを実際に原稿用紙に流し込んでみると次のようになる。

576字詰め(『坊ちゃん』の原稿用紙)・・・156枚
400字詰め(一般の原稿用紙)・・・223枚

それでは実際に「先生の遺書」をつくってみよう。とりあえず156枚バージョンで作ってみた。

『こころ』先生の遺書の厚さ


原稿用紙はすでに書いてあるものを使った。先生の遺書の中に、ペンで書いたようなことが見られるが、残念ながら今回使用したのは鉛筆で書いてあるものがほとんどである。

この写真はごらんのとおり二つ折りで、厚さは3cm弱である。しかし、本文には「四つ折に畳まれてあった」ことになっている。四つ折というと縦横に折るのが普通だが、とても折れる厚さではない。

やむなく、長辺を四つに折ってみるとこうなる。

『こころ』先生の遺書4つ折り


これだけ大きいと、二つ折りのまま送ったほうがいいんじゃないかと思うが、四つ折と書いてあるのだからしょうがない。重さは870g。ipadよりは重く、MacBook Airよりは軽い。ちなみに現在、定形外郵便で送ると定形外郵便で580円かかる。書留とあるので、現在の簡易書留とすると880円となる。

本文にあるように半紙で包んでみたが、最低二枚は必要で、僕が下手なのかうまく包めない。これを懐に入れると、さぞかし邪魔なことだろう。

本当は400字詰めの223枚バージョンも作ってみたかったのだが、生憎それほど原稿用紙がなかった。
このエントリーをはてなブックマークに追加

懐かし文具(ガリ版):2012年04月06日
懐かし文具(ボールペン原紙 付、ファックス):2012年04月07日

こうなってくると、もう文具ではないが、いよいよ学校印刷界の真打、リソグラフの登場である。これを初めて見たのは大学に入ってからだ。そして今でも使っている。

デジタル印刷機 リソグラフ製品情報:RISO

リソグラフとは、原稿から原紙を切り、印刷機にセットして印刷するという一連の作業を、すべて一台の機械で連続して行えるようにした機械である。一見コピー機に見えるが、孔版印刷という形式はガリ版のころから何も変わっていない。前にも述べたように、プリントゴッコでおなじみの理想科学工業が開発した。

進化としてはそれだけだが、リソグラフの登場は革命的だった。

まず、恐ろしく速い。今のリソグラフは、刷り上がるまでの時間が表示されるのだが、僕は1分という表示以外見たことがない。たぶん、200枚ぐらいまでは1分で刷り上がるのだろう。原稿を読み取るまでの時間を考慮して、原稿をセットしてから3分もあれば100枚程度なら十分刷り上がる。

だから、よほど大部でなければ印刷の時間をほとんど考慮する必要がなくなった。原稿さえ用意しておけば、10分の休み時間でも十分にプリントを刷ることができるのである。

もう一つ革命的だったのが、まったく手を汚さなくて済むということだ。輪転機にかけるにしても、ローラーで印刷するにしても、どうしてもインクの付いた原紙を触らなければならない。うまくやれば手を汚さなくてもできるのだが、あらぬところにインクが付いていたり、古い原紙を捨てるときに思わぬ動きをしたりして、手を汚すことは珍しくない。たとえ汚れなくても、原紙を扱うのはどうしても注意深くなり、それがストレスになる。

ところが、リソグラフはそれがない。あたかもコピーをするようにスマートにできる。原紙を裏表逆に取り付けるというようなミスもなくなる。

リソグラフが学校に登場するのとほぼ同じ時期に、ワープロが一般的に使われるようになった。これにより原稿を手で書く必要がなくなり、ついに字の巧拙まで関係なくなったのである。現在では、PCから直接データを送って印刷することもできる。

こうして学校の印刷は、ガリ版時代とは比較にならないぐらい、手間と時間がかからなくなったわけだが、便利になったらなったで新たな罠が待ち構えていた。

非科学的だが、どういうわけだか急いでいるときに限って、壊れたり、紙詰まりを起こしたりするのである。詰まっている場所が取り出しにくいところだったりすると、時間はかかるし、手は汚れるしで最悪だ。

そうなってもいいように前の日までに準備しておけばいいのだが、すぐに印刷できると思っているので、ついぎりぎりになってしまう。もっとも、前もって印刷しているときは、不思議とトラブルがない。

一番納得いかないのが「使用済みマスターがたまっています」である。マスターはガリ版でいう原紙のことで、リソグラフでは新しく版を作るたびにマスターが自動的に廃棄箱に入るようになっている。それがいっぱいになったらゴミバコに捨てなければならない。

もちろん捨てるのが嫌だというのではない。この表示はなぜか製版した後に出る。これが問題だ。

急いでいるこちらとしては、すでに製版はできているのだから、とりあえず印刷して、その間にマスター捨てをしたい。ところが捨てるまで完全にストップしてしまうのである。

僕たちはどうも機械から信用されていないようである。
このエントリーをはてなブックマークに追加

懐かし文具(ガリ版)の続き。

謄写版が発明されたのは明治27年(1894年)だそうだ。ということは60年以上にわたって蝋原紙は使われたことになる。そして、僕が小学校低学年のころ(1970年代)蝋原紙に代わって現れたのが、ボールペン原紙である。

IMGP4978IMGP4980


ボールペン原紙は、ヤスリと鉄筆を必要とせず、どこにでもあるボールペンだけで原紙を切れるのが画期的だった。子供でも簡単に切れるため、文集などを作るときはこの原紙を渡されて原紙を切った。

もちろん修正液もある。さらに「毛筆ヌキトール」という科学的に蝋を溶かす薬もあって、それを筆につけて書くと毛筆で書くこともできた。

上の写真のように、ボールペン原紙は青か緑色をしている。ボールペンで書くと、書いたところが白くなり、蝋原紙に比べると書いた文字が読みやすい。

この原紙は台紙がついており、切ったあと台紙をミシン目から切り取り印刷機にセットする。上の白い部分は残っているので、原紙をセットする・はずすというような仕事も、蝋原紙と比べると楽だった。

僕が高校に入る1980年代前半ごろ、さらに画期的なものができた。ファックスである。ファックスといっても、電話で画像を送るFaxではない。

ここでいうファックスとは普通の紙に書いた原稿を、そのまま原紙に転写する機械のことである。回転するドラムの右に原稿を付け、左に原紙を付ける。スイッチを入れると、ドラムが回転し、右の原稿にある文字や絵画が左に原紙に焼き付けられる。

構造的には、原稿側に光学的な読み取り装置がついており、原紙側には針がついていて、そこから放電させて原版を焼く。この針は消耗品で、だんだん減ってくると印刷物にノイズが出てくる。

おそらく、初期の(電話で画像を送る方の)Faxは、このファックスと同じようにドラム式らしいので、そこからファックスと呼ばれるようになったのだろう。

ここで初めて孔版印刷は筆記用具の呪縛から解き放たれたのである。原稿は鉛筆でもボールペンでもマジックでも、さらに毛筆でもよかった。特殊な薬品も修正液もいらない。

しかし、この時はまだ、原紙をつくるのと刷るのは別の仕事である。ファックスで作った原紙は、輪転機にセットして印刷するか、昔ながらのスクリーンとローラーを使って印刷する。

この〈原紙を切る〉から〈印刷する〉まで、すべて一つの機械で行えるようになったのがリソグラフである。もう、懐かし文具ではないが、あまりに画期的なんでそれは次回の講釈で。
このエントリーをはてなブックマークに追加

印刷所を除けば、学校ほど印刷する場所はないだろう。

現在、学校での印刷には「リソグラフ」を使う。これは商品名で理想科学が最初に作った印刷機なのでリソグラフというが、理想科学製でないものもリソグラフといわれるほど教師にとってはなじみ深いものだ。

理想科学といえば、一般的には「プリントゴッコ」の方が知られているだろう。カラープリンターに押されて、すでに市場から姿を消してしまったが、一時は郵便局からプリントゴッコ専用年賀はがきが売られるほど普及した。

同じ会社から出ているだけあって、リソグラフもプリントゴッコも原理は全く同じである。原紙に穴をあけ、そこから染みでるインクで印刷する。この方式を孔版印刷という。

前置きが長くなった。今日の懐かし文具はこれ。左は「ヤスリ」右は「蝋原紙」という。謄写版(とうしゃばん・通称ガリ版)の道具である。

王冠ヤスリ蝋原紙


謄写版は孔版印刷の一種で、これこそリソグラフやプリントゴッコの直接の祖先である。謄写版は明治時代、日本の堀井新治郎(堀井謄写堂)によって実用化された。

日本でこの形式の印刷が発展したのは、日本語は漢字を使うため活版印刷のコストが高くつくからだろう。ちなみに堀井謄写堂は最近まであって、リソグラフのようなものを作っていたが、今は倒産してしまったらしい。

さて、使い方だが、簡単にいうとヤスリ(灰色の部分)の上に蝋原紙を置いて、鉄筆という針のついたペンでひっかいて字を書く。このときガリガリとひっかくのでガリ版という(たぶん)。

ちなみに、この作業は「書く」ではなく「切る」と表現する。今でも「レジュメを切る」などというが、これに由来する(「要約する」を「切る」と言ったという説もある)。

ガリを切る、ひっかいた場所の蝋が削れ、紙の繊維だけになる。それをスクリーンに張り付けて、下に紙を置き、上からローラーでインクを乗せると繊維だけになったところからインクが滲み印刷できる。ミスしたところに塗って穴をふさぐ修正液というのもあった。鉄筆の写真が載せられないのが残念だ。だいぶ前に売り切れたらしい。

昔の教員は、赴任するとヤスリ・鉄筆・原紙の三点セットを渡されたそうだ。試験の時となると数百枚刷らなきゃいけないときもある。原版を作るだけでも大変なのに、いちいちローラーで刷るなんて重労働である。大変だったでしょうと大先輩に聞いてみたら、原紙だけ切って刷るのは事務員にお願いするのだそうだ(学校によっても違う)。

とはいえ、原紙を切るのも簡単ではない。ヘタに書くと、画数の多い字や小さい字などは潰れてしまう。だから、謄写版独特の書き方があった。謄写版の最盛期には、書き方の講座や学校まであったらしい。

いずれにしても、パソコンで原版を作り、リソグラフであっという間に印刷し、紙折り機で折るというような現在の作業からすると、途方もなく面倒くさい仕事であることは想像に難くない。つくづくその時代に教師やってなくってよかったと思う。

さて、上の原紙は四国謄写堂というメーカーのもので、高知県の会社である。謄写版はヤスリを下敷きにして針で擦るという、紙にとってかなり過酷な使い方をする。その上厚いと穴が開かない。丈夫で薄い和紙でなければ破けてしまうのである。四国はもともと楮紙(ちょし)や雁皮紙(がんぴし)といった、薄くて強い和紙の産地である。この原紙も手漉きの雁皮紙と書いてある。

ヤスリは両面使えるようになっていて、普通は表が縦横碁盤の目状で裏が斜めのクロスになっている。字体や絵など、用途によって使い分ける。
王冠やすりレポート裏small


ガリ版というと、文字と簡単な線画ぐらいしか書けない印象があるが、ヤスリを使い分けることによって木版画にも負けないほどの表現力を持っている。下の写真は「王冠ヤスリ」のオマケについてきた、「王冠ヤスリレポート」なるチラシ。これ自体はオフセット印刷だが、その原版は謄写印刷である。
王冠やすりレポート表small


さて、偉そうにウンチクをたれたが、実は蝋原紙で切ったことがない。商品の知識として知っているだけである。僕が小学生のころ、先生の中にはまだ蝋原紙を使っていた人もいるが、もっと画期的なものが現れたのである。(つづく)
このエントリーをはてなブックマークに追加

今日は清明節

Doodle(記念日にGoogleがバナーを変えること)がないなあと思って「清明節」で検索したら・・・。

清明節:Google検索

上だけかと思ったら、下の方にも唐子と水牛が・・・。

【追記】
よく見たら、時々あちこちで鯉が跳ねてる。
このエントリーをはてなブックマークに追加

ヤフオクに文房具を出品しているので、商品撮影が多くなった。

商品撮影なんて、一見簡単そうだが、光の加減で自分の影が写っちゃったり、逆にテカっちゃったり、バックにとんでもないものが写っちゃったりと意外と難しい。

畳の上に置いたりして「この生活感がいい」などと言い訳していたが、ヨメが「それどうなのよ」というので、フォトブース(フォトスタジオ)を買うことにした。商品撮影に生活感なんかいらないのである。

出品するついでにヤフオクで探したら中古で安く出ていたので、すぐ落札。実は初めての「買い」だった。今日、無事届いて開封。そのとたん四次元ポケットから出てくる秘密道具のように、バビュンと巨大化してびっくり。



さて、まずは試し撮りである。このように中に商品を入れる。まわりの布で光が拡散されて、影やテカリが無くなるという寸法。バックの布は白・黒・青・赤の四色が入っていた。赤を使うシチュエーションがよく分からないが、たぶん中国人が使うのだろう(中国の証明写真は赤バックが多い)。
フォトスブース(オープン)


光源はライトを持っていないので窓からの光である。順光にしなきゃいけないので、このまま撮ると光があたりすぎる。そこで、付属のカーテンみたいなのをかける。

フォトブース(クローズ)


これで、真ん中の穴からレンズを突っ込んで写真を撮るわけだが、今回はカトちゃんが少々小さいので、下の隙間から突っ込んで撮った。

言うまでもないが、左がフォトブースを使って撮った写真で、右が取り出して撮った写真である。作品としては右の方が哀愁を帯びていていいが、商品写真としては残念ながら左の方がずっといいのはいうまでもない。

カトちゃん(スタジオ)カトちゃん(直接)

※モデルのカトちゃん時計は、出品していません。

さて、しまいましょうと思ったのだが、何しろ中古なので説明書がない。確認しながら広げるつもりだったのだが、ケースを開けたとたんバビュン!とでかくなってしまったので、そんな余裕はなかったのである。

小一時間格闘したが、ネット検索したら幸い畳み方の動画があったので、一件落着。といってもコツがいるので、ビデオをみても30分ぐらいかかった。

このエントリーをはてなブックマークに追加

今日はエイプリルフールである。

インターネットでは、年に一回のジョークサイトを作る日として定着している。

エイプリルフールに便乗しているサイトまとめ2012年版:GIGAZINE

やたがらすナビも以前は「やたがらすナベ」とか「やたがらすカビ」とか、いろいろやったもんだが、最近は面倒くさい上に反響がないのでやめてしまった。

しかし、最近ネットを使うようになった人の中には、なぜかくも各サイトが4月1日に血道を上げるのか不思議に思う人も多いだろう。

インターネットの登場は衝撃的だった。なにしろ、それまで新聞社とか放送局にしかできなかった情報発信が、誰にでもできるようになったのである。しかも、どんなに発信元が遠くても安価に見られる。初めてインターネットにつないで、アメリカのPLAYBOYのサイトに繋がったときの感動は今の人には理解できないだろう。

しかし、それは信頼できない情報でも容易に流すことができることでもある。そしてその情報がとんでもないスピードで広がっていく。これは、昨年の震災時のツイッターによるデマ拡散を思い出してもらえればよい。

このような問題は、インターネット登場とほぼ同じ時期に提起されていた。そのころはまだ利用者自体が少なかったので、社会的にはまったく問題になっていなかったが、先進的な利用者たちは、いずれ大変な事態を引き起こすだろう思っていた。

インターネットといっても当時は、現在のようなWWW(World Wide Web)が主流ではなく、ネットニュースという文字のみでのサービスが主流だった。

当時ネットニュースに集う人たちは、信頼できない情報が流れる可能性があることを確認するために、4月1日にウソの投稿をするようになったのである。現在のジョークサイトはその名残である。

ウソだけど。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ