毎年4月は年度初めでやることがたくさんある。加えて例の文房具屋の改装まで加わって忙しくなったので、後半予告したにも関わらずブログが書けなかった。だいたい、予告すると書けなくなるのが僕のパターンだ。
そんなこんなで、4月の総括を書かなきゃいけない日になってしまった。
先日、給食の牛乳のデザインがほんの少し変わっているのに気付いた。赤いパックですでにおなじみメグミルクだが、そこに青い雪印マークが付いていたのだ。ブランド名も「雪印メグミルク」になっている。
まわりの先生に聞いてみたが、いつから変わったのか気付いた人はいなかった。Wikipediaによると2011年4月1日に「雪印メグミルク」は実質的に発足したらしい。とすると一年前だが、去年の段階では気付かなかった。
雪印乳業の集団食中毒事件が2000年、雪印食品による雪印牛肉偽装事件が発覚したのが2002年である。これによって、雪印ブランドは信用を失い、市場から退場を命じられた。細かい経緯は省くが、雪印製品であることを隠すように、青かったパックは赤くなり、雪印マークは消えた。それでも知っている人は赤いパックを避けたんじゃないだろうか。
しかし、ごく小さくだが雪印マークは復活した。つまり、事件から10年たって、ようやく雪印ブランドを復活させることができたわけだ。実際、雪印の不祥事をうまく説明できる人は少ないだろう。
ここで僕は原発事故のことを考えずにはいられないのである。去年の三月の事故で、「東京電力」や「原子力発電」というブランドは完全に信用を失った。
これが復活するには、やはり少なくとも10年はかかるということになる。止まっている原発を再稼働させるだけでも、大変な手間と時間がかかることはもう分かりきっている。新しい原発を作ることなど不可能に近い。原子力開発の研究も大幅に遅れるだろう。
それが10年は続く。と言っても、完全に収束してから―最低限、避難している人たちが、決まった住所に落ち着いてからだろう―の10年で、今はまだその10年に入っていない。さらに言うと、推進派が復活させようとすればするほど、この10年は伸びる。雪印は青いパックを赤くしたから復活できたのである。
これが、信用を失うということだ。信用の失われた10年に何をするか。原発にベットし続けるのか。原発は捨てて別の物にベットすべきか。それが今問われているのである。
そんなこんなで、4月の総括を書かなきゃいけない日になってしまった。
先日、給食の牛乳のデザインがほんの少し変わっているのに気付いた。赤いパックですでにおなじみメグミルクだが、そこに青い雪印マークが付いていたのだ。ブランド名も「雪印メグミルク」になっている。
まわりの先生に聞いてみたが、いつから変わったのか気付いた人はいなかった。Wikipediaによると2011年4月1日に「雪印メグミルク」は実質的に発足したらしい。とすると一年前だが、去年の段階では気付かなかった。
雪印乳業の集団食中毒事件が2000年、雪印食品による雪印牛肉偽装事件が発覚したのが2002年である。これによって、雪印ブランドは信用を失い、市場から退場を命じられた。細かい経緯は省くが、雪印製品であることを隠すように、青かったパックは赤くなり、雪印マークは消えた。それでも知っている人は赤いパックを避けたんじゃないだろうか。
しかし、ごく小さくだが雪印マークは復活した。つまり、事件から10年たって、ようやく雪印ブランドを復活させることができたわけだ。実際、雪印の不祥事をうまく説明できる人は少ないだろう。
ここで僕は原発事故のことを考えずにはいられないのである。去年の三月の事故で、「東京電力」や「原子力発電」というブランドは完全に信用を失った。
これが復活するには、やはり少なくとも10年はかかるということになる。止まっている原発を再稼働させるだけでも、大変な手間と時間がかかることはもう分かりきっている。新しい原発を作ることなど不可能に近い。原子力開発の研究も大幅に遅れるだろう。
それが10年は続く。と言っても、完全に収束してから―最低限、避難している人たちが、決まった住所に落ち着いてからだろう―の10年で、今はまだその10年に入っていない。さらに言うと、推進派が復活させようとすればするほど、この10年は伸びる。雪印は青いパックを赤くしたから復活できたのである。
これが、信用を失うということだ。信用の失われた10年に何をするか。原発にベットし続けるのか。原発は捨てて別の物にベットすべきか。それが今問われているのである。