2012年05月

今月は学校の仕事自体は連休だの試験だの行事だのであまりなかったのだが、それ以外の仕事というかやらなければならないことが多くて大変な月だった。なかでも、このブログで何度も書いている文房具屋の閉店とリフォームに費やした時間が一番多い。

これに伴って、祖母はひと月ほど家を空け、僕の実家―つまり娘(僕の母)の家―に身を寄せた。こんなことは祖母の人生では戦時中の疎開以来のことである。もっとも疎開先は自分の実家だったからかえって気が楽だったろうが、娘とはいえ僕の父もいるし、結構気を使ったのではないか。

祖母が戻ってきたのは5月の15日である。叔父が運転してきた車から降りると・・・なーんということでしょう、玄関があるではありませんか!!

玄関があるなんて当たり前じゃないか!と言わないでほしい。祖母の人生のうち60年間は家に玄関が無かったのである。裏口があるにはあったが、ここから出入りすることは滅多になかった。もっぱら玄関の代わりにしていたのは店舗である。

玄関のない暮らしはしてみないと分からないだろう。簡単に言えば、だれでもWelcomeである。

するといろんな人が来る。セールスマン、宗教の勧誘、寄付の依頼、行商人、広告屋、詐欺師、・・・。入ってきた時点では、客と見分けがつかないから、いちいち応対しなければならないのがつらいところだ。門前払いという言葉はない。

不思議と「今ムショからでてきたところだ。ゴムヒモ買え!」というような、典型的な押し売りは来たことがない。商売人相手に押し売りは無理だと思っていたのかもしれない。その代りと言っちゃなんだが地図屋が来る。

地図屋というのは、街中でよく見かける、店の名前を羅列したクソの役にも立たない案内図を作る業者である。昔はブリキの板にペンキで書いてあったが、最近はお手軽にパソコンで出力したものにビニールがかけてあるのを見かける。

地図屋は誰からも頼まれていないのに、商店街の店を回って「○○の前に案内図を作りました。この店も入っていますので○○円ください。××円なら字を赤くします(or大きくします)」という。

勝手に案内図を作って、勝手に掲示していくのだから限りなく詐欺に近い。だが、実際に見てみると、ちゃんと案内図が掲示してあるのがかえって面白い。まるで自分たちは詐欺師じゃないと言わんばかりだ。

もれなく追い返していたが、払っちゃう店主も多いのだろう。あの地図を見て、字が大きくなっていたり赤くなっていれば、マヌケな店主のいる店と思ってよい。なお、払っていなくても、店名は消されていなかった。消したら地図として成立しなくなるのだろう。道なんかがいいかげんなので、最初から成立していないが。

祖母はまだ玄関のある生活に慣れないらしい。昼間、玄関の扉を閉めておくと、世間から隔離されたような気がするそうだ。

これから書く事はポジショントークである。

母の生活保護は知られたくなかった…河本「情けなくて恥ずかしい」:sponichi Annex
一部の返還の意向を明らかにしているが、正しい分も返還するのかという問いには「収入がたくさんあるにもかかわらず、生活を保護を受けていたという事実の部分に対し、認識の甘さがかなりあった。5、6年前からの分はすべてきちんとお返しするつもりです。あくまでも(返還は)自分の気持ち。今まで福祉の方に助けていただいた分を返すということです」と続けた。
 自分の母親が生活保護を受けていたことに対しては「正直なところ、情けなくて恥ずかしい気持ちです」と本音を吐露。「自分の母親が生活保護を受けているということは、誰にも知られたくなかったですし、そういうことも全部、世間の方に明るく振る舞うことが自分の仕事だと思っていた。ずっと仕事をしてきましたが、早く(母親を生活保護から)抜けさせてあげなければという思いだった」と話した。

もし、僕が河本氏と同じ立場だったとしても、たぶん同じことをしただろう。

芸能人なんていつ収入がゼロになるかわからない商売である。その時、どんなに稼いでいたとしても、いつ人気が無くなるか分からないから、もらえるうちはもらっておけというのが正直なところだろう。

僕も、いつ仕事が無くなるか分からない立場なのでよくわかる。この感覚は、安定した職業に就いている人や、いくらでもやり直しのきく若い人には理解できないだろう。

だから僕は河本氏を叩ける人がうらやましくてしょうがない。彼らは現代の貴族である。おめでたいことだ。貴族の棟梁は片山さつきか。

「自分でそういう仕事を選んだのだからしょうがないだろう」という貴族の方もいらっしゃることだろう。それはその通り。だから貴族でない平民は、何としても生きなきゃいけないのである。結局、答えは「もらえる金はもらっておけ」だ。

この会見で、僕がとても残念に思ったのは、河本氏が(自分の母親が生活保護を受けていたことに対して)「正直なところ、情けなくて恥ずかしい気持ちです」と言ったことだ。

生活保護をうける事は恥ずかしいことでもなんでもない。貴族におもねったな。

人気商売だから仕方ないか。仕事が無くなったら、また生活保護に逆戻りしちゃうもんね。しかも二人ぶん。

昨日、二回目のフリーマーケットに行ってきた。文房具を売るためである。なお、一回目はフリマで文房具を売った:2011年11月13日を参照。

僕の実家は文房具屋で、祖父母の家も文房具屋だった。これだけ文房具屋が身近なのに、子供の頃、文房具屋が何を売る店なのか上手く説明できなかった。

祖母の文房具屋が廃業するにあたって、フリーマーケットだのヤフオクだので文房具屋ごっこをしているうちに、ますます文房具屋が何を売る店か分からなくなってきた。

文具店だから文具を売るに決まっている。だが、実際に売っているものの幅は恐ろしく広い。

もちろん、文房具屋だから基本は学用品や事務用品である。しかし、実際に売っていた物を細かく見ていくと、一般に文具として認知されているもの以外に、楽器(ハーモニカ・リコーダー)、画材(紙・絵具・筆・彫刻刀・コンテ・木炭)、スポーツ用品(鉢巻・紅白帽子・ボール・ホイッスル・サポーター・水中メガネ・縄跳び)、製図用具(コンパス・デバイダー・烏口・定規・製図台)、玩具(トランプ・花札・囲碁・将棋・ボードゲーム・模型)などがある。これらは、画材屋だったりスポーツ用品店だったり玩具屋だったり、それぞれ専門店のあるものだ。

もし、純粋な文具だけにしたら、商品は半分で済んでしまうだろう。今の文具店は純粋な文具だけを商品にしている店も多いが、それでも何かしら上に書いたようなものもある。田舎の文房具屋ならなおさらだろう。そういえば、撤退したOfficeDEPOもいろいろヘンなものを売っていた。

文房具屋で売っている商品に何か共通点があるだろうか。

〈何でも売ってそうな店〉に雑貨屋というのがある。雑貨という名称自体がいろいろある感じなので、文具店とは違い売っているものと名称が一致している。そこで雑貨との違いを考えてみる。

雑貨屋と文房具屋は一部商品がかぶっているが、鍋、釜、食器などは文房具屋にはない。洗剤とか掃除用具なんかも雑貨屋にはあるが文房具屋にはない。

逆に玩具は雑貨屋にはない。画材や楽器も見たことがない。これでピンときた。

文房具屋とは人間が生きていくのに必要のない物を売る店である。

人間が生きていくために絶対に必要なのが、いわゆる衣・食・住である。原則としてこれに関係した物は売らないのが文房具屋である。

だから、作業用の軍手は売っても防寒用の手袋は売らない。駄菓子は売っても野菜や米は売らない。本棚は売っても食器棚は売らない。

しかし、人間は衣食住がないと生きていけないが、逆に言うとそれだけでは人間的な生活とはいえない。人は遊ぶ存在である(ホイジンガ)。だから先ほどの定義に付け加えるなら、文房具屋とは、

人間が生きていくのには必要ないが、人間らしく生きていくために必要なものを売る店である。

と言えるだろう。

京浜急行品川駅のホームにあるセブンイレブンで京急700形のペーパークラフトを見つけた。値段は300円。親戚の子供を鉄道マニアにするという悪辣な野望(赤い電車のおもちゃを買った:2011年06月11日参照)を抱いている僕としては、300円なんか安い投資だ。

京急ペーパークラフト京急ペーパークラフト中身



ちなみに、このペーパークラフト、若干簡素化されているが京急のWebsiteからダウンロードすることができる。これなら無料。先頭車両だけだが。

京急キッズ・あそぶ|ペーパークラフト

子供のころ、こういう工作みたいなのは大の苦手だった。軍艦のプラモデルを作ると、砲身に接着剤の糸が付き、まるで幽霊船みたいになった。当時、流行ったスーパーカーはまっすぐ走らなかった。色を塗るとはみ出してしまうので、僕はプラモデルを作るのをあきらめ、専ら売る方に専念(ガンプラの思い出:2007年03月04日)した。

しかし、今となっては僕も書道の先生である。生徒から器用だと言われることもあるほどになった。いまならたぶんきれいに作れるだろう。

で、作ってみた。ちまちまと、カッターナイフで切り取り、木工用ボンドで接着するという地味な作業を続ける。説明書通り作れば作業そのものはそれほど難しくないが、きれいにつくるためには根気がいる。

セットには先頭車両と中間車両の二両分入っている。一両作るのに2時間ぐらいはかかる(自分が下手だからかもしれないけど)。二日かけて二両が完成。

京急ペーパークラフト


もちろん連結もできる。

京急ペーパークラフト連結


思ったよりも丈夫だが、所詮は紙、ショータくんにあげたら5分で壊されるに違いない。もったいないので、あげるのはやめることにした。下駄箱の上に飾ったらヨメに怒られた。どこに飾ろう。周りを見渡して、いい場所を発見。

パイプを走る京急


水道のパイプである。

元来、こんなところにパイプはなかったのだが、老朽化しているとかで一昨年工事した結果、壁のあちこちにこんなパイプが這うようになってしまったのだ。これがやたらと目立つ上にすぐに埃がたまって小汚い。もうちょっとマシな付けようがあるんじゃないかと思うが、賃貸だから文句の言いようがない。

ここに赤い京急を置くとなかなかいい感じだ。紙だから万一地震で落ちてきても危なくない。これはVol.1と書いてあるので、2や3もでるはず。パイプの上を電車だらけにするのも面白いだろう。

ちなみに、去年パリの下水道博物館で買ってきた、ドブネズミのシャルル・ド・ブールくんもここにいる。鼠とパイプはよく似合う。

シャルルドブール
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このことは書くのさんざん迷ったが、いい機会だから書くことにする。これは前のエントリ(就活で死ぬなんてバカバカしいからやめろ)の続きである。

僕は学生時代まともに就職活動をせず、のらりくらりと今まできてしまったような人間だが、たった数年間だが真面目に就職を考え、人格を否定されたと感じたことがある。

大学院を出て、学位を取ってからしばらくして、ある業界には特有の就職活動をした時期があった。どんな業界かは察してほしい。

この業界の就職活動は、比較的フェアに試験が行われる。簡単に言えば筆記試験と面接で、筆記試験に合格すると面接を受けられるのである。

何回か筆記試験に落ちたあと(試験は一年に一回)、やっとのことで合格した。初めて面接まで行ったのである。光明が見えた。

面接の方法などは書かない。かなり念入りな面接だった。何しろ亀の甲より年の功、その時すでに30代半ばだったから、それなりに自信はあった。

ところが落ちた。それは・・・まあいい。合格か不合格かはあちらの都合だから、落ちたこと自体は受け入れるつもりだった。

しかし、それではすまなかった。落ちたからには合格通知ならぬ不合格通知が届いたのだが、そこには不合格以外のことも書かれていたのである。

ランク III

ランクIIIというのは最低のランクだそうだ。そう不合格通知に書いてある。

僕は友達の結婚式にアロハシャツを着ていくような人間だが、さすがにこの時は一張羅のスーツを着て行った。遅刻もしていないし、暴言を吐いた記憶もない。もちろん、隠れてタバコも吸っていない。非の打ちどころがないとはいわないが、最低ランクにも思えない。ショックで、一瞬目の前が真っ暗になった。

しかし、よく考えてみるとこれはおかしい。評価を書くからには、努力しろという意味だろう。しかし、筆記試験ならともかく、面接ではどう努力すれば評価が上がるか分からない。具体的にどこが悪かったか書かないと意味が無いが、それは書いていなかった。

そもそも、面接にランクがあること自体おかしい。ランクがあるということは、点数があるということである。ならば正解があり、それができれば合格ということだ。正解がある面接なんか面接の意味がない。筆記試験だけで十分である。どこからどう考えてもランクを書く意味がない。

絶望的な気持ちになったが、しばらく考えて結論を出した。

こいつらは底なしのバカに相違ない

人格が疑われるのは彼らの方で、僕ではない。この試験のためには、毎年大変な時間とストレスがかかる。その上なんの得るものもない。時間がもったいない。やめた。二度と受けない。

底なしのバカに選考されるほどオレは落ちぶれちゃあいない。万一、就職してこんなバカどもの下で働くのは御免蒙る。

幸いすでに当時、今の仕事をして10年以上経っていたので、不安定ながらも生活には困らないだけの収入があった。だが、所詮フリーターである。将来が心配だ。爾来、お金にはシビアになった。投資を始めたのもこのころである。

就活に失敗した諸君。気にすることはない。相手はバカなのだ。絶望的な気分になるより、これからどうするかを考えた方がはるかに建設的だ。道はいくらでもある。バカに使われるだけが人生ではない。

この時の不合格通知は今でも取ってある。久しぶりに見たら、不愉快な思い出がよみがえり、ついカッとなってここで公開しようかとも思ったが、やめておく。

バカが見ているかもしれないからね。くわばらくわばら。
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都会では〜自殺する〜若者が〜増えている〜。都会だけじゃないけど。

就活失敗し自殺する若者急増…4年で2・5倍に
就職活動の失敗を苦に自殺する10〜20歳代の若者が、急増している。
 2007年から自殺原因を分析する警察庁によると、昨年は大学生など150人が就活の悩みで自殺しており、07年の2・5倍に増えた。
 警察庁は、06年の自殺対策基本法施行を受け、翌07年から自殺者の原因を遺書や生前のメモなどから詳しく分析。10〜20歳代の自殺者で就活が原因と見なされたケースは、07年は60人だったが、08年には91人に急増。毎年、男性が8〜9割を占め、昨年は、特に学生が52人と07年の3・2倍に増えた。


自殺の理由は人それぞれだろうが、就活で死にたくなる気持ちは分からなくもない。

単純な試験なら、「勉強が足りないからもっと勉強すればよい」ということになるが、日本の就職はそうじゃないから対処の仕方が分からない。やれることと言えば、恐ろしくくだらない面接対策ぐらいだ。それをやっていた上で何社も落されると、人格を否定されているような気になるのは当然である。

さらに輪をかけてよくないのが、新卒採用というアホ制度である。就職活動なんかバイトか勉強でもしながらゆっくりやればいいはずなのに、この制度のせいで期限ができてしまう。人格を否定されて、期限に追い詰められたら、死ぬしかないと思う人がでてくるのも道理だろう。

だが、死ぬ前に考えてほしいことがいくつかある。

まず、日本の企業はまじめに人を採るつもりがないということだ。学歴にしても、新卒採用にしても、決まりきった面接にしても、コネにしても、そんなんで優秀な人材がとれるはずがない。それは彼らだって分かっている。とりあえず、そこそこの人を頭数そろえればいいと思っているのである。

人格の否定も何も、人事は人格なんか見ていない。いや、彼らには見る力がないのである。そんな連中のために死ぬなんてバカバカしいじゃないか。

何社も落されると「自分は社会から必要とされていないんじゃないか」と思うこともあるだろう。だが、社会から必要とされている人間なんてどのぐらいいるのだろう。そんなこと、20歳そこそこの人間が思うなんて、いくらなんでもちょっと図々しくないか。

世の中には、その人でないとできない仕事などというものはほとんどない。本当は「全くない」と言いたいところだが、人間国宝だの、その道の天才だのという人がいるから、全くではないが、およそない。

ないのに、雇う側は「あなたはわが社にとって大切な人材だ」とか「●●さんがいないと会社が動かない」とかいう。そう思っていてくれた方が都合がいいからである。

一方、働いている方も「自分がいないと会社が動かない」と思っておいた方が気分がいいので、そう思い込もうとする。しかし、その社員が辞めて会社がつぶれたという話を、僕は寡聞にして聞かない。あのスティーブ・ジョブズが追い出された後のappleでさえ、傾きはしたがつぶれはしなかったではないか。稀代のカリスマでさえそうなのだから、一般社員の替えなんかいくらでもいるのである。

最初から社会に必要とされる人間なんてどこにもいない。誰もが必要とされていないのだから「自分(だけ)は必要とされていない」なんて考えるのはナンセンスだ。

「誰かの役に立ちたい」とか、「人から必要とされたい」というのは貴い考えである。しかし、そんなのは二次的なことで、基本は「自分はどう生きるか」だ。そのオマケで人の役に立つとか、必要とされればそれでいいじゃないか。

とにかく、就活ごときで死ぬなんて、バカバカしいからやめた方がいい。
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今では小学校でもほとんどやらなくなってしまったが、かつては子供にさせるお稽古事、一番人気だったのが算盤(そろばん)である。下の写真は、テレビコマーシャルで有名な「トモエのそろばん」である。テレビでそろばんのCMをやっていたなんて、今からすると不思議な感じがする。

四つ玉そろばん


とはいえ、商業高校ではいまだに教えているし、そろばん教室だって少なくなったとはいえ消えたわけではない。本当に「懐かし」なのはコレ。

五つ玉そろばん(小)


そろばんは上の玉が5を表し、下の玉4つがそれぞれ1を表している。位が上がると左隣の下の玉を一つ上げるという寸法なので、下の玉は4つでよい。

ところが、昔は下に5つ玉があるのが主流だった。これを「五つ玉そろばん」という。五つ玉でなければダメだという人に聞くと、一番下の玉は使わないのだそうだ。使わないのに、なぜなければいけないのかよく分からない。ピアノのいちばん端の鍵盤みたいなもんだろうか。

五つ玉そろばんというと、上の写真のような普通のそろばんの形をしたものではなく、箱型のものを思い出す人も多いだろう。

五つ玉そろばん(問屋)5つ玉そろばんアップ(問屋)


これは、僕の祖父が使っていたもの。

商人が使うもので、問屋そろばんというらしい。晩年、祖父は目が悪くなったので、位が刻んであるところに、シールが貼ってある。

普通のそろばんよりもずっと玉が大きく、軸が真鍮でできている。裏は完全に板で閉じられている。一説には、値段交渉をする際に、裏から計算の過程が見えないようになっているらしい。

なにしろ丈夫で、遊び心を刺激する形状をしているので、子供はスケボー代わりに(当時スケボーなんか無かったけど)これに乗って遊び、叱られるというのがお約束だった。

体重20キロぐらいの子供が乗っても、まず壊れることはない。壊れなかったから、今この写真を撮ることができるのである。

さて、この問屋そろばん、さすがに骨董の匂いがするが、調べてみたらなんと現行商品だった。

5玉 問屋そろばん:トモエそろばん

6300円。意外と安い。
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時代は回るのつづき。

写真とカメラの歴史は実に面白い。写真が発明されたときのショックはいかなるものだったか、とても想像できない。なにしろ、画家が全員失業してしまうかもしれないのである。

発明されたのもすごいが、映画用だった35mmフィルム(一般に使われるフィルム)を使用した、スチールカメラの発明も画期的だった。これを初めて世に出したのがドイツのライツ社(Leitz)である。ライツ社はこのカメラをライツのカメラ、つまり「ライカ(Leica)」と名付けた。

ライカは世界中でパクられた。特にパクったのが日本とソ連である。世界中でパクられたのには二つ理由がある。

一つは、比較的単純な構造でパクりやすかったこと。当時、ライカと並ぶ35mmフィルムを使うカメラに同じくドイツのコンタックス(CONTAX)というのがあったが、こちらは構造が複雑なのでほとんどパクられなかった。

もう一つは、ドイツが枢軸国で、連合国側ではライカを入手するのが困難だったからである。カメラは兵器でもある。第二次世界大戦中、イギリスではライカの供出まで行われたらしい。

ところが、同じ枢軸国なのになぜか日本はパクりまくった。戦前から戦後にかけて、ニセライカを作るメーカーの頭文字はA〜Zまですべてあったと言われている。

その一つがレオタックスである。画像は左がホンモノのライカIIIf、右が僕の持っているパチもの日本製レオタックスfv。1958年製。
b-leicaleotax


ロゴもよく似ている。
leicalogoleologo


これは特殊な例ではなく、今を時めくキヤノンもニコンもパチライカを作っていた。現在残っているカメラメーカー(デジカメ時代になってずいぶん統合されてしまったが)でパチライカを作らなかったメーカーはほとんどない。

レオタックスという名前自体、LeicaとContaxを足して二で割ったような名前である。表向きには言っていないが、日本のカメラブランドの名称も「ツアイスイコン」「コンタックス」「ライカ」といったようなドイツブランドの影響を受けている。

1954年、ライカはM3という新しいカメラを世に出す。M3はコピーできず、日本のパチライカブランドのほとんどは消滅した。上のレオタックスfvはライカM3以後の製品だが、いろいろ工夫してはいるもののそれ以前のライカ(バルナックライカという)を模倣している。

一方、コピーをあきらめ、一眼レフに活路を見出した日本のメーカーは発展を遂げた。逆に一眼レフを開発できなかったライカは市場から駆逐された。それが現在世界を席巻している日本のカメラに繋がる。

さて、ここまでくれば、僕が何を言いたいか分かるだろう。日本もかつては安いニセモノを量産する国だったのだ。中国を笑っている場合ではない。時代は回るのである。
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