2012年06月

今月も月末になり、あらためて見返してみると、恐ろしくエントリが少ない。情けない話だ。

毎年六月は、休みが一番少なく、土日はたまった仕事をしているか、寝くたばっていることが多い。こうなってくると、書こうという気が失せてくるのである。

ネタはないわけではない。特に今年の六月は、野田首相が大飯再稼働を決定したとか、消費税の増税法案が可決されたとか、東電と関電の株主総会とか、もうなにやら一言言いたいことばっかりだった。

でも、書き始めてみると、当たり前すぎて僕が書かなくてもよさそうなことだったり、自分の考えに自信が無くなったりして上手く書けない。

その中で、オウムのことを三回も続けて書いたのは、生徒と雑談をしていて〈あのころの感じ〉がまったく伝わっていないと感じたからである。

彼らはオウムがやった恐ろしいテロのことは知っているが、昔、テレビに頻繁に出ていたことは知らない。街頭演説でヘンな踊りを踊っていたことも、毎日、秋葉原でパソコンショップのビラ配りしていたことも知らない。

オウムは突然現れた秘密のテロリスト集団ではなく、誰でも知っている新興宗教団体だった。僕たちはそれを時に嘲笑し、時に差別し、時に利用した。へんな言い方だが、あのころオウムはエンターテイメントだったのである。そんな中で、彼らは選民意識や被差別意識を増大させ、最終的にあの事件へと繋がっていったのである。

もちろん、どんな事情があろうとも、テロや殺人が許されるわけはない。しかし、彼らをそこに追い込んだのには、彼らをさんざん利用したマスコミや、「気持ち悪い集団」という好奇の目でしか見なかった僕たちにも責任の一端はある。

高橋克也が捕まったのは、僕や僕の生徒たちもよく知る蒲田のマンガ喫茶だった。これはとても象徴的な事件だ。オウムは最後まで身近なエンターテイメントだったのである。
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さて、これは何でしょう?

リリアンセット


銀座で聞いたら、40〜50代女性の90パーセントは答えられるが、40〜50代男性は5パーセントぐらいしか答えられないだろう。懐かし玩具、リリアン・・・と今まで思っていたが、正式名称はリリヤンだそうだ。

リリヤン:Wikipedia
1923年(大正12年)に京都の糸職人がアメリカのものをまねて、人造絹糸をメリヤス編みにした糸を発明し、その糸に東京の糸問屋がユリの花の商標をつけ「リリヤーン(ユリ印の糸)」の名で売り出したのが始まり。「リリー」はユリの花、「ヤーン」は縫製糸の意味。

左のピンク色の物体が編み機で、巻きつけてある糸そのものをリリヤンという。これは糸と針と編み機がセットになっているが、普通編み機と糸は別々で売っていた。

リリアン編み機


編み機を上から見たところ。五本の突起に蜘蛛の巣状に糸をかけて編んで行くと、編み機の下から紐がにょろにょろと出てくるという寸法。昔はこの突起がクギだったように記憶している。

僕の実家でもこれを売っていたが、男の子なので編んだことがない。このリリアンセットには説明書があるので、早速編んでみた。

リリアン編み機(使用中)


最初は一センチ編むのに30分ぐらいかかったが、慣れてくるとかなり早く編めるようになった。それでもなかなか根気がいる。そして、できた紐はこんな感じになる。

IMGP5396


一本のリリアン(糸)で8センチほどにしかならないが、糸を繋いでいけばいくらでも長くなる。これを入り口に編み物へ入る人も多かったんじゃないだろうか。

さて、問題はこの紐自体は何に使うかである。付属の説明書には「きれいな紐になります」としか書いていない。

そこで、これで遊んだことがあるという女の子数人に聞いてみた・・・が、誰に聞いても編んだことはあるが、何に使ったかは覚えていないそうだ。

できるものはきれいな紐!たぶんそれでいいのだろう。
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三回も連続して書くつもりはなかったのだが、分かりやすく書こうと思ったら、長くなってしまった。というわけで、

オウム事件の印象(その1)
オウム事件の印象(その2)

の続き。

いよいよ1995年(平成7年)3月20日の地下鉄サリン事件である。

地下鉄サリン事件:Wikipedia

当時、僕は大学院生で、朝起きてテレビをつけたら、築地駅でたくさんの人が救助されている映像が映っていた。

直感的にこれはオウムの仕業ではないかと思った。

なぜそう思ったのかよく覚えていないが、Wikipediaによると前年の9月に『松本サリン事件に関する一考察』なる怪文書が出回ったとか、その年の1月には上九一色村の土壌からサリンの残留物が検出されたなどとあるので、すでにオウムがサリンを製造していると疑われていたらしい。

松本サリン事件と違い、サリンの撒かれた地下鉄は、乗っていても不思議じゃないものばかりである。普段使っている電車ではないが、一番被害者の多かった日比谷線は前日に乗ったばかりだった。

身近でおきた身近な集団による無差別テロ、このショックを表現する言葉はちょっと見つからない。次の日、僕は地下鉄に乗ったのだが、少々気持ちが悪くなった。

それから二日ほどして、オウムに対する警察の強制捜査が入った。テレビでは上九一色村(かみくいっしきむら)の強制捜査の様子がリアルタイムで流され、誰もが固唾を呑んで見守った。

エンジンカッターで扉を切る警官隊。抵抗する異様な姿の信者。むりやり連れ出す警察。白装束だのヘッドギアだの、奇妙な姿をした出家信者たちが悲鳴をあげながら連行される。

強制捜査から日がたつにつれオウム事件の全容が明らかになっていった。何もかも、思ってもみないことばかりだった。

テロといえば、外国のことだと思っていたのに、自分が住んでいる東京で起きた。
テロといえば、爆弾だと思っていたのに、毒ガスだった。
テロといえば、極右か極左だと思っていたのに、カルト教団だった。

しかし、僕が何よりも驚いたのは、オウムが表立って現れたときに感じた、文化祭の模擬店的なマヌケ感が、強制捜査の後まで見られたことである。

国家に敵対するような犯罪を犯す団体といえば、現実だったらイスラム過激派とかIRA、フィクションだったらショッカー(仮面ライダー)とか、ギャラクター(ガッチャマン)など、もっとまともな、ヘンな言い方だが、誤解を恐れずに言うともっとカッコイイものを想像する。

ところが、テレビの画面に映るオウムはどこまでもマヌケだった。

サリンを製造するためのプラントは、地下でも湖底でもなく「ここにありますよ」と言わんばかりの胡散臭いハリボテ大仏の裏に隠されていた。教祖は、高笑いして逃げるでも、座禅を組んで捕まるのを待っているのでもなく、天井裏の人が一人やっと入れるスペースに、大量の現金とともに隠れていた。

サリンが入ったパックの一部は、赤旗(共産党の機関紙)や聖教新聞(創価学会の機関紙)に包んであったらしい。共産党と創価学会が共闘するわけがないのだから、偽装するならどちらか片方だろう。そもそも、犯行声明を出すならともかく、わざわざ自分のところの機関紙で包むバカはいないから何の偽装にもなっていない。

サリンを撒いた理由は、警察の目をオウムからそらすためだという。何も知らない僕でさえ、すぐにオウムの犯行を疑ったのに、これで警察の目を欺けると思ったのも、おそろしくマヌケだ。

このマヌケなグループの幹部が、高学歴のエリートによって構成されていたことも驚いた。

何もかもがいちいちマヌケなのに、彼らは前代未聞の化学兵器による無差別テロを実行した。そして、警察はこのマヌケな連中のテロを未然に防ぐことができなかった。当然、警察の信頼も地に落ちた。

なにもかも、それまで想像もしないことばかりだった。オウム事件は日本人の価値観を大きく変えたのである。

(たぶん続かない)
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オウム事件の印象(その1)のつづき

オウムが他のカルト教団と違っていたのは、やたらと目立っていたことである。普通は正体を隠すものだが、教祖浅原彰晃はじめ教団幹部がテレビにしょっちゅうでていたし、秋葉原に行けば例のビラ配りをやっていた。

しばらくすると、オウムはほとんどテレビに出なくなった。オウム側が出ないようにしたのか、テレビが飽きたのかはわからない。たぶん両方だろう。そして、僕たちがオウムのことを忘れかけたころ(1994年6月28日)に松本サリン事件が起きた。

松本サリン事件:Wikipedia

この事件が起きた時、オウムが犯人だと思う人はほとんどいなかっただろう。

マスコミは当初から、第一通報者であり被害者でもある河野さんをさも犯人のように報道した。今でも覚えているのは、河野さんの家の方から煙が見えたとか、床下から大量の農薬が押収されたとか、救急車で運ばれる際、河野さんが「農薬の調合を間違った」と口走ったとかまことしやかに伝えられた。

河野さんが濡れ衣を着せられるはめになったのは、警察が河野さんを疑ったのが発端である。それを受けて、マスコミは〈専門家〉などを使い、河野さん犯人説を増幅した。僕はこの事件以来、マスコミのいうことはすべて疑ってかかることにしている。

毒ガスがサリンと判明してからも、河野さんの疑いは晴れなかった。

河野さんの家と死者が出た集合住宅はかなり離れている(50メートルぐらいだったろうか)。その上、犠牲者は集合住宅の2回以上に住んでいる人が多かった。当時は河野さんが農薬をつかって作ったことになっていたから、野外で50メートル離れた場所の人間を殺すことができる毒ガスが、農薬を混ぜただけで造れることに驚いた。

実際は大がかりな工場でサリンを作っていたのである。常識で考えれば、個人が農薬をまぜたぐらいでできるわけがない。それが、なぜ河野さんという個人が作ったことになってしまったか。

マスコミの肩を持つわけではないが、当時、みんな安心したかったのである。

松本という平和な一地方都市で、ナチスが開発したという前代未聞の化学兵器が実際に使われ、多数の死者がでた。これで犯人が分からないとなると、次はどこで使われるかわからない。これは大変な不安である。河野さんが犯人であれば、不安はたちどころに解消する。

こういう心理が河野さんを犯人に仕立て上げてしまったのだろう。河野さんはいわばスケープゴートである。

もちろん、粗雑な検証で河野さんを犯人扱いしたマスコミの責任は大きいが、その源泉はスケープゴートを必要とした、当時の僕たちの心理にある。

翌年3月、まったく予期しないことで河野さんの疑いは晴れた。それが東京で起きた地下鉄サリン事件である。

(つづく)
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オウム事件最後の逃亡犯、高橋克也が蒲田で逮捕され、ついにオウム事件の指名手配犯が全員捕まった。あの家宅捜索から17年である。それにしても、こんな身近にいたとは思わなかった。

17年前なら、今の高校生はぎりぎり生まれているかいないかといったところだ。いや、大学生だって記憶にないだろう。

最近のニュース番組などによって、彼らも事件の概要は知っている。しかし、あの時の〈感覚〉みたいなものは、なかなか理解できない。そこで、そのころ一般の人の目にオウムがどう映ったか、僭越ながら僕が「一般の人」を代表して書いてみる。ただし、短い間に起きた事なので、時系列的に間違っていることもあるかもしれないことを断っておく。

最初にオウム真理教と教祖麻原彰晃を知ったのは、彼らが真理党として衆議院選挙に出馬してからである。当時、僕は大学生で、すでに東京に住んでいた。

泡沫候補なのに、25人もの候補者を立て、派手な選挙活動をし、珍妙な主張をする彼らは、いやがおうにも目立った。特に教祖の麻原が出馬した中央線沿線に住んでいる者にとっては、毎日のようににヘンなパフォーマンスをする彼らを奇異の賞で見ていたそうだ。

このころ、いわゆる新左翼が衰退するのに反比例して、カルト宗教とか自己啓発セミナーなどが社会問題化されつつあった。当時の僕と同世代の若い人が、カルトや自己啓発セミナーにはまり、お金を巻きあげられたり、家族・友人から孤立したりしたのである。

しかし、当時、大学などから注意せよと言われたそれらの団体に、オウムは入っていなかった。オウムなんて鳥以外の何物も知らなかったのが、突如として仏教系の新宗教団体としてドハデに現れたのである。

その頃の印象としては、第一に「気持ち悪い」である。白装束・へんな歌、踊り・伝え聞く修行内容、これらを知って気持ち悪いと思わない人はそういない。

もう一つ、―これが重要なのだが―どこかマヌケな感じがした。

当時、彼らは「うまかろう安かろう亭」というラーメン屋だの、「運命の時」というカレー屋を経営していた。もう名前からしてマヌケである。

オウムがやっていた商売で、特に有名だったのは秋葉原にあった「マハーポーシャ」というパソコンショップである。異様な恰好で奇声をあげながらビラくばりをしていたので、ちょっとした名物になっていた。

教団の資金源だし、修行の一環でもあるので、彼らとしては至極まじめにやっていたのだろうが、やることなすこと素人臭くて、どことなく文化祭の模擬店のようなマヌケな感じがしたのである。

すでに、後に犯行が明らかになるいくつかの犯罪について疑惑を持たれて、テレビなどでも追及されていたが、この時点では、まだ「不気味なイロモノ」みたいな印象だったのだ。(つづく)
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ヤフオクを試してみた(その1):2011年12月24日
ヤフオクを試してみた(その2):2011年12月25日
の続き。

ヤフーオークション(以下ヤフオク)を始めて半年になった。

僕は主に出品者(売る方)である。すでに60個ぐらい取引をした。商品のほとんどは文房具だが、ヨメのカバンとか自分の重複して買った本なども少々売った。これからヤフオクで物を売りたいという人の参考になると思うので、途中経過を報告する。

売るものをあつめてから始める
ヤフオクで買うのに会費はかからない(ただし5000円以下)が、売るためにはYahoo!プレミアム会員にならなくてはならない。

プレミアム会員の会費は毎月346円である。(あまり魅力的ではない)プレミアム会員の特典を使わないかぎり、少なくとも毎月346円以上売らないと意味がない。始める前にできるだけ在庫を作ってから売らないと、だらだらと会費ばかり取られることになる。

写真を撮る・商品のデータを撮るという作業も、まとめてやった方が時間の無駄にならなくてよい。

商品説明はできるだけ詳細に
大きさ・重さ・スペック・状態などのデータは、できるだけ詳細に記す。写真も同様である。つい都合の悪いことは伏せたくなるが、後でトラブルのもとになり、信用を失いかねない。

大量に取引をするプロなら、少しぐらい信用をそこねても大したことではないが、個人が信用を失うとそれ以後の取引に支障をきたす。

入札する方の立場からすると、余計な売り言葉よりも、十分なデータを提供してくれる方が信用できる。あまり意味がないようなデータでも、書けるものは書いておいた方が良い。

プロの真似をして「新品!」「激安!」などの売り言葉を考えるよりも、誠実な取引を心がけるべきだ。

目的をはっきりさせる
金儲けをしたいのか、物を処分したいのかを考えて出品すること。

前者ならば、一般の商売のように大量に仕入れて、開始価格を考えなければならないし、後者ならばできるかぎり安くして、早く売るようにしなければならない。

物を処分したいのに、「これはいくらで買ったから、いくら以下では売れない」などと考えていると、売れるものも売れなくなる。

開始価格は送料と振込手数料を考慮する
送料は落札者が払う。だから、落札者は落札金額に送料を上乗せした金額を払うことになる。さらに、落札者は振込手数料も負担する場合が多い。それらを考慮して開始価格を決めなければならない。

例えば100円でほぼ新品の文庫本を出品したとする。一番安いクロネコメール便(厚さ1cmまで・重さ問わず)で送料が+80円、Yahooかんたん決済の手数料が+98円で、落札者が支払う実際の金額は278円となる。

仮にこの本が送料無料のamazonで300円で売られているならば、入札する人はまずいない。個人同士の取引のリスクを考えると、22円ぐらいの差ならamazonの方がいいからだ。

簡単に言うと、送料は大きさと重さで決まる。軽くても大きいと高くなるので、軽くて大きい物ほど安く値を付けなければならなし、もっとも安い送り方を考えなければならない。

自分がいらないものは人もいらない
必要ない物だから売るのだが、本当に必要ない物は、いくら値段を安くしてもなかなか売れない。

本当は手元に置いておきたいが、邪魔になるのでやむなく売るとか、間違えて同じ物をいくつも買ってしまったとか、そういう物は売れる。逆に人からもらった物で、最初からいらないような物は売れない。

自分がいらないものは人もいらないのである。

発送は丁寧に
洋服など、絶対に破損しない物以外は緩衝材を入れるなどして、壊れないようにする。緩衝材はリサイクル品でよい。

これも誠実な取引のために必要なことだが、それだけでなく、送られてきたものが壊れていたというようなトラブルを未然に防ぐためにも大事なことである。オークションではとにかく無用なトラブルを避けることが大事だ。

とにかく迅速に
ヤフオクの「評価」を見ると「迅速な取引」という言葉がしばしばでてくる。のんびりやっていると、相手が不安になり信用を失う。

とはいえ、どうしても本業が忙しくて発送などができないということもあるだろう。その時は、相手にのその旨を連絡すればよい。

さて、半年ヤフオクをやって僕が感じた事は以上の通りだ。今のところ特にトラブルはない。わりと硬い商品を扱っているせいもあるのだろう。

とにかく、誠実な取引を心がけること。これに尽きるだろう。

これだけ書くと、とてつもなく面倒くさいものに思えるかもしれない。たしかに、最初は面倒くさい。だが、慣れてくると、これがどうして、なかなか面白くなってくる。
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金曜日、天理ギャラリーの「近世の文人たち―自筆資料にみるその人となり」を見てきた。昨年の10月に天理大学図書館でやったものと同じである。

開館81周年記念展 近世の文人たち −自筆資料にみるその人となり−

個別にはいろいろなところで見ているのだが、こうやってまとめて見たのは初めてだ。そもそも、近世の自筆資料をこれだけまとめて所蔵してあるところはそうはない。さすがは天理大学図書館である。個人的には安楽庵策伝「策伝和尚送答控」と、上田秋成「胆大小心録」の自筆本が見られたのがよかった。

近世の書は、内容はともかく、書としての価値はあまり高くない。特に「書家」に分類される人たち以外の筆跡は書道史ではほとんど相手にされない。その「書家」でも、それほど面白い書はない。この点では同じ時代の清朝の文人たちとはかなり状況が違う。

簡単に言えば個性がないのである。たぶん、文字そのものに哲学がないからそう思えるのだろう。しかし、こうやって比べてみるとなかなか個性的である。

例えば、宣長の書は読みやすいが、イマイチ上手いとはいえない。たぶん、国学者はみんなこんな字を書いたんだろうと思っていたが、同じ国学者でも、師匠の賀茂真淵はずっと繊細だし、自称弟子の平田篤胤は宣長の延長線上にあるもののもっと素朴で強い字を書いている。篤胤のライバル、伴信友は正確はかなり違いそうだが、意外なほど篤胤の字に似ている。こういうのは較べて見ないと分からない。

近世は、出身階級も様々で、学問の系統も細分化されている。僧侶とには僧侶の、武士には武士の、商人には商人の書がある。また国学者と儒者と俳人の書はそれぞれ違う。当然、それぞれの性格もかかわってくる。そういうものが複雑に絡み合って、各人の書を形成している。

これは、最初に思想がある清朝の書とは違った個性で、それだけ見ているとなかなか気付かないが、こうして比べてみるとよく分かる。生きていた時代が現代に近いので、まさに「人となり」がより身近に感じることができる。

内容も、じっくり読んでみると、腹を壊した報告(誰かは失念した)だとか、パトロンに金の無心をする(巻菱湖)とかなかなか面白いものがたくさんあるが、釈文がないので読むのが大変。せめて書簡だけでも釈文がほしかった。
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