今月も月末になり、あらためて見返してみると、恐ろしくエントリが少ない。情けない話だ。
毎年六月は、休みが一番少なく、土日はたまった仕事をしているか、寝くたばっていることが多い。こうなってくると、書こうという気が失せてくるのである。
ネタはないわけではない。特に今年の六月は、野田首相が大飯再稼働を決定したとか、消費税の増税法案が可決されたとか、東電と関電の株主総会とか、もうなにやら一言言いたいことばっかりだった。
でも、書き始めてみると、当たり前すぎて僕が書かなくてもよさそうなことだったり、自分の考えに自信が無くなったりして上手く書けない。
その中で、オウムのことを三回も続けて書いたのは、生徒と雑談をしていて〈あのころの感じ〉がまったく伝わっていないと感じたからである。
彼らはオウムがやった恐ろしいテロのことは知っているが、昔、テレビに頻繁に出ていたことは知らない。街頭演説でヘンな踊りを踊っていたことも、毎日、秋葉原でパソコンショップのビラ配りしていたことも知らない。
オウムは突然現れた秘密のテロリスト集団ではなく、誰でも知っている新興宗教団体だった。僕たちはそれを時に嘲笑し、時に差別し、時に利用した。へんな言い方だが、あのころオウムはエンターテイメントだったのである。そんな中で、彼らは選民意識や被差別意識を増大させ、最終的にあの事件へと繋がっていったのである。
もちろん、どんな事情があろうとも、テロや殺人が許されるわけはない。しかし、彼らをそこに追い込んだのには、彼らをさんざん利用したマスコミや、「気持ち悪い集団」という好奇の目でしか見なかった僕たちにも責任の一端はある。
高橋克也が捕まったのは、僕や僕の生徒たちもよく知る蒲田のマンガ喫茶だった。これはとても象徴的な事件だ。オウムは最後まで身近なエンターテイメントだったのである。
毎年六月は、休みが一番少なく、土日はたまった仕事をしているか、寝くたばっていることが多い。こうなってくると、書こうという気が失せてくるのである。
ネタはないわけではない。特に今年の六月は、野田首相が大飯再稼働を決定したとか、消費税の増税法案が可決されたとか、東電と関電の株主総会とか、もうなにやら一言言いたいことばっかりだった。
でも、書き始めてみると、当たり前すぎて僕が書かなくてもよさそうなことだったり、自分の考えに自信が無くなったりして上手く書けない。
その中で、オウムのことを三回も続けて書いたのは、生徒と雑談をしていて〈あのころの感じ〉がまったく伝わっていないと感じたからである。
彼らはオウムがやった恐ろしいテロのことは知っているが、昔、テレビに頻繁に出ていたことは知らない。街頭演説でヘンな踊りを踊っていたことも、毎日、秋葉原でパソコンショップのビラ配りしていたことも知らない。
オウムは突然現れた秘密のテロリスト集団ではなく、誰でも知っている新興宗教団体だった。僕たちはそれを時に嘲笑し、時に差別し、時に利用した。へんな言い方だが、あのころオウムはエンターテイメントだったのである。そんな中で、彼らは選民意識や被差別意識を増大させ、最終的にあの事件へと繋がっていったのである。
もちろん、どんな事情があろうとも、テロや殺人が許されるわけはない。しかし、彼らをそこに追い込んだのには、彼らをさんざん利用したマスコミや、「気持ち悪い集団」という好奇の目でしか見なかった僕たちにも責任の一端はある。
高橋克也が捕まったのは、僕や僕の生徒たちもよく知る蒲田のマンガ喫茶だった。これはとても象徴的な事件だ。オウムは最後まで身近なエンターテイメントだったのである。



