2012年07月

今年のブログ強化月間もなんとか終えることができた。ご苦労様でした、オレ。

今年のブログ強化月間はネタがなくって困った。7月中はどこへも行けなかったし、社会的にも決まりきった話題しかなくって、それも扱いに困るでかいものばかりだ。

二つほど書きたかったのに書けなかったことがある。

一つは脱原発デモのこと。これは実際に行ってから書こうと思っていたのだが、行く機会がなかった。

もう一つはその1だけ書いて2が書けないイジメのことである。教育現場の端くれにいる人間として書かなければならないと思っているのだが、いざ文章にしてみると自分でも考えがまとまっていないことに気付かされた。

僕はなにが書きたかったか。それは決まっている。

イジメというのは、教育だけの問題ではない。習慣、政治、経済、人権、道徳・・・諸々の問題が複雑に絡み合って起きる。だから、加害者を罰すればいいとか、泣かせろとか、学校から追い出せばいいとか、被害者が強くなればいじめられないとか、そんな単純な話ではない。

そんなことを書きたかったのだが、「複雑に絡み合って起きる」ことを説明しようとすると、話が複雑になってきて自分でもワケが分からなくなってきた。

真面目に考えれば考えるほど、何も言えなくなるのがイジメ問題だ。それだけはよく分かった。
このエントリーをはてなブックマークに追加

2001年の8月と2002年の3月、自転車でお遍路をした。

東京に帰ってきてから、お遍路の話をすると「自転車で回るのは邪道じゃないのか」という人が少なからずいた。

実際にお遍路をした人で、自転車で回るのが邪道だなどと思う人は一人もいないと思う。お遍路には、歩いている人も、自転車も、オートバイも、自動車もいる。一番多いのは観光バスだ。自転車で回るのが邪道なら観光バスはやっていないも同然ということになる。もちろんそんなことはない。

辛さという点で言えば、誰がどう見ても歩きが一番辛いのは言うまでもない。次に自転車、自動車、オートバイ、観光バスだろう。

しかし、お遍路にとって方法はヒエラルキーにはならない。歩いているから偉いとか、観光バスだから偉くないなどとは誰も考えてはいないだろう。

もちろん自転車の僕にとっては、歩いている人は尊敬する。逆に自動車やオートバイの人に対して優越感を感じることもない。苦行をしているという一点において、すべては平等だったのである。

方法は関係ない。問題はそこから何を得るかである。売るための御朱印帳を作るために、ものすごい勢いで回っている人に、お金以外の何が得られるだろう。

僕はお遍路からたくさんのことを学んだ。それは極めて個人的なことだから、人がどう思おうがどうでもいいのである。いずれは歩き遍路もやってみたいと思っている。たぶん、自転車とはまた違うことが得られるはずだ。

「自転車で回るのは邪道じゃないのか」というのは、常にやったことのない人の言うことである。そして、そういう人にはこう言うことにしている。

「邪道かもしれないけど、君もやってみるといいよ」
このエントリーをはてなブックマークに追加

毎回、オリンピックのたびに、オリンピックが無かった時のことを思い出す。近代オリンピック以前のことでも、太平洋戦争で中止になった1940年のヘルシンキオリンピックでもない。1980年のモスクワオリンピックと84年のロサンゼルスオリンピックである。

当時は冷戦時代だった。1980年のモスクワオリンピックは開催半年ほど前のソ連によるアフガニスタン侵攻の影響で、西側諸国がボイコットした。50カ国近くにとって、モスクワオリンピックは無かったのである。ちなみに、この50か国には共産主義国ながらソ連と対立していた中国も含まれる。

ボイコットを決める前までは、誰もが開かれるものだと思っていた。一番記憶に残っているのは、マスコットの「こぐまのミーシャ」である。オリンピックのマスコットで記憶にあるのは、北京五輪の変な戦隊とロンドン五輪の進化した目玉親父以外では、この「こぐまのミーシャ」だけである。

「こぐまのミーシャ」は、なぜだかアニメまで作られた。ソ連製アニメではない。日本で作られ日本で放映されたのである。どういう経緯があったんだか知らないが、それだけ盛り上がっていたのである。

モスクワオリンピックの四年後はロサンゼルスである。日本人にとっては8年ぶりのオリンピックである。今度はアメリカによるグレナダ侵攻を大義名分として東側がボイコットした。東側は国の数は少ないが、スポーツが盛んだったので、なんだか気の抜けたオリンピックになった。

ちなみに、ロサンゼルス五輪のマスコットは「イーグルサム」だそうだ。こちらもアニメが作られたらしいが、さっぱり覚えていない。

冷戦というと、資本主義と共産主義の対立と単純に考えがちだが、この二つのオリンピックでは、社会主義の中国はモスクワをボイコットしロサンゼルスに出場し、イランは両方ともボイコットした。そんな単純な話ではない。

日本は冷戦の元凶であるソ連とアメリカの間にあり、隣国に冷戦の象徴である朝鮮半島と、共産圏なのにソ連と対立している中国があった。戦争こそなかったが、戦場のど真ん中にいるようなものだったのである。この時代から比べると、今は対外的には何も心配はないと思っていい時代である。

これを書こうと思ったのには、もう一つ理由がある。オリンピックの開会式前に「朝まで生テレビ」を見ていた。この時のテーマは「護憲・改憲・新憲法」である。改憲といえばどうしても九条が話題になる。

今、国内は問題が山積みだ。それらの中に憲法を変えたから解決するようなものは一つもない。その上、これだけ安定しているときに、軍隊がどうのこうのいう意味が分からない。

たぶん、こういうのを平和ボケというんだろう。
このエントリーをはてなブックマークに追加

表札を作るというわけのわからない仕事があったので、夜更しして気が付いたら、ロンドンオリンピックの開会式が始まっていた。

いきなり、マイク・ オールドフィールドの演奏。かっこいい。マイク・ オールドフィールドって誰だって人はこれをどうぞ。あ、歌っている人はマギー・ライリーですよ。




その後、ヘリコプターから007と一緒にスカイダイビングするエリザベス女王とか、ロンドン交響楽団にローワン・アトキンソン(Mr.ビーン)とか、ブリティッシュロックのメドレーとか、モーターボートを運転するベッカムとか持てるネタは使い尽くした感じだった。

ロンドンには一昨年行ったところなので、「あー、あそこ行った行った!」とか、「ビーン、飽きてスマホいじってるよ。日本の高校生か!」とか、「そこでSpecials出しますか」とか、「Frankie Goes To Hollywoodなんかかけていいのか」とか、一人で(ヨメ不在)盛り上がっていた。

それにしても、イギリスは文化の使い方がうまい。リソースがたくさんあるし、娯楽として楽しめるように工夫されているから押し付けがましくない。文楽なんかつまんないからいらないとか言っている、どこかの国の政治家とは大違いだ。

ちなみに、選手入場の頭文字Dぐらいで寝てしまったので、その後の点火とかポールマッカートニーは見ていない。

ところで、スカイダイビングしてたエリザベス女王は替え玉だと思うんだけど、北京の時クチパク少女とか、CG花火をバカにしてた人はどう思うんですかね。
このエントリーをはてなブックマークに追加

「青山杉雨の眼と書」を見た(書編)のつづき。

「眼」の方は、文房四宝と中国書画のコレクションである。文房四宝の方は閉館間際であまり見る時間がなかった。中国書画は、数はそれほど多くなかったが、なかなか見応えがあった。

このコレクションの面白いところは、コレクションに青山杉雨自身の個性が表れているところだ。

例えば、包世臣の対聯があったが、これが趙之謙にそっくりなのである。趙之謙は包世臣の影響を受けているので、当たり前といえば当たり前なのだが、これほど似ているのはちょっと見たことがない。落款を変えて趙之謙だと言われれば信じてしまうレベルである。なお、この作品は書道ジャーナル研究所に画像がある。

包世臣:書道ジャーナル研究所

次の伊秉綬も変わっている(伊秉綬自体が変わってるんだけど)。

伊秉綬画像で見ると、いかにもありがちな伊秉綬の隷書にしか見えないかもしれない。しかし、字形こそ伊秉綬の隷書そのものだが、独特の鈍重な感じではなく、むしろ軽妙な感じさえする。これは下の対聯と比べてもらえば分かると思う。

清 伊秉綬 隷書五言聯:中華博物

構成もおもしろい。

書道では似たような字を並べない(そこだけ目立って不自然になるため)というのが鉄則だから、現代の作家ならこんな句を対聯にしようとはまず思わないだろう。一・三・千・十・七・上・下のような字は、形が似ているばかりでなく、画数が少ないので置き所が難しい。その上縦長のくせに横画ばかりの「年」なんて字まである。

それがこの作品では無理なくまとまっている。どこからどう見ても自然だが、とても考え抜かれた作品である。じっくり見ていくと、ピエト・モンドリアンの抽象画にも見えてくる。

買う側からすると、こういう伊秉綬らしくない、下手するとニセモノ臭くさえ見える作品というのはなかなか手が出ないのではないだろうか。しかし、数ある伊秉綬作品の中から、これを選ぶのが「青山杉雨の眼」なのだろう。

青山杉雨はかつて「書道グラフ」という雑誌を発行していた。ペラペラの雑誌だったが、このような貴重な資料を惜しみなく公開していた。その上値段も安く、僕のような貧乏学生には大変ありがたい雑誌だった。

本当の芸術家というのは、自分の作品以外のところでも表現する。青山杉雨の場合、それが作品の収集と公開だったのだろう。
このエントリーをはてなブックマークに追加

東京国立博物館で開催されている、「青山杉雨の眼と書」を見てきた。

日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 生誕100年記念 特別展「青山杉雨の眼と書」:東京国立博物館

青山杉雨は長年、書壇のドンとして君臨した人物で、1993年に亡くなった。たぶん、東京国立博物館で近代書家を取り上げるのは初めてじゃないだろうか。

展覧会の名前は「青山杉雨の眼と書」となっている(副題長いよ)。「眼」は書画・文房四宝などの所蔵品を、「書」は作品を意味している。今日は「書」、つまり作品について書こう。

僕の世代だと、青山杉雨といえば絵画的な表現で、でかい字をドカンドカンと書く作家というイメージが強い。もちろん、条幅の作品もあったが、それにしてもスタイルが決まっていて、いわば完成した青山杉雨しか知らないのである。

今回の展示では、ただ作品を並べただけではなく、年代による書風の変化がよく分かる陳列になっていた。その中には僕が見たことがない若いころの作品も多数含まれている。これらを見て分かったことは、青山杉雨という作家は長い年月のうちに、悩み抜いて作風を完成させたということである。

一つ例を挙げよう。青山杉雨は63歳のとき台北の故宮博物院に行って、董其昌(明末の文人)の作品に衝撃を受けたそうだ。これはすごい。

書道に詳しくない人にとっては何がすごいんだか分からないと思うが、喩えるなら40年以上のキャリアがある演歌歌手が、美空ひばりを聞いて衝撃を受けるのと同じことである。

美空ひばりを聞いたことがない演歌歌手がいないのと同じように、董其昌の作品を見たことがない書家などいない。まして、63歳の青山杉雨なら知りすぎるほど知っていたはずだ。それが董其昌の現物を見て再発見するのである。

そして、それを作品に取り入れる。作品を見ると、たしかにこの時期に変化がみられる。繰り返すが63歳である。書家に定年はないがとっくに作風が完成して、あとは自己模倣に入ってもいいころだ。

今まで僕は、師匠、西川寧の完成度を上げたのが、青山杉雨だろうと漠然と思っていた。それ自体は間違いではないだろうが、そこに至る過程に董其昌がいた。それ以前にも呉昌碩に影響を受けたり、新出土資料(木簡や古陶銘など)にインスパイアされたりしている。西川寧成分はごく一部に過ぎない。

僕は芸術家というものは、新しい表現を求めるために、端から見てればどうでもいいことに悩むものだと思っている。何も考えず、師匠の風を継承して自信満々・・・なんてのは芸術家とはいえないのである。だから今の作家の書はちっとも面白くない。

実は青山杉雨自身がその元凶の一人だったりするのだが、少なくともこの世代までは〈芸術家〉だったことがよく分かった。

なお、「青山杉雨の眼と書」は9月9日まで。
このエントリーをはてなブックマークに追加

電子書籍で漫画は読んでみたので、今度は活字の物を読もうと思った。

せっかく電子書籍なので、なるべく本屋で買ったら(オッサン的に)こっ恥ずかしいものをと思ったのだが、さすがに官能小説ではブログに書けない。

オッサンが買ってこっ恥ずかしいといえば、やっぱりラノベ(ライトノベル)しかなかろうと思って買ったのが、逢空万太著『這いよれ! ニャル子さん』(ソフトバンククリエイティブ)。



ラノベというものを初めて読んだ。実はちょっとバカにしていたのだが、アレ?結構面白いじゃないの・・・と気付いたら8巻(電子書籍の既刊すべて)まで一気に読んでしまった。

『這いよれ! ニャル子さん』は、ラブクラフトのクトゥルフ神話をモチーフにしたラブ(クラフト)コメディである。

主人公、八坂真尋のもとへ宇宙人(クトゥルフ神話でいう邪神)、ニャル子(ヒロイン・クトゥルフ神話のNyarlathotep)・クー子(Cthugha)・ハス太(Hastur)が押しかけて大騒動という感じで話は進む。オッサンたちには『うる星やつら』の諸星あたるを草食系に、ラムをより肉食系にしたものと思えば、だいたいあってる。

作品全体はクトゥルフ神話のパロディだが、それ以外にも、音楽・漫画・アニメ・映画・ゲーム等からの典故もりもり。僕はクトゥルフ神話もほとんど読んだことがないし、オタクカルチャーにも暗いのでよく分からないものも多いが、ちゃんとオッサン向きの典故もあり、分からなくっても面白い。

平安時代の物語文学だって、和歌だの漢詩だのからの引用が頻繁に出てくる。典故を知らなくても読めるが、典故が分かればもっと楽しめるわけで、僕が読むニャル子さんは、平安時代のアホが読む『源氏物語』みたいなもんなんだろう。

古典がらみで言うと、キャラクターとプロットは『西遊記』をベースにしていると見た。ニャル子・クー子・ハス太はおおむね、「虚弱貧弱無知無能」の地球人である真尋を、悪意をもった宇宙人から守るという役割で、それぞれのキャラクターは

真尋(人間・弟子の暴走を止める・ストイック)=三蔵法師
ニャル子(残虐・化けられる)=孫悟空
クー子(好色)=猪八戒
ハス太(常識人)=沙悟浄
シャンタッ君(動物・乗り物)=玉龍(馬)

に該当する。真尋が暴走したニャル子を止めるのに使うのがフォークで、これは緊箍児(孫悟空の輪っか)である。

こりゃもうどこからどう見ても『西遊記』だね。旅はしないけど。
このエントリーをはてなブックマークに追加

最近テレビなどに登場する「書家」とか「書道家」と名乗っている人は、書道界からはほとんど評価されていないイロモノ書家ばかりである。

イロモノ書家と書家の違いは、

イロモノ書家と書家の違い:2010年12月21日
イロモノ書家度チェック:2010年07月21日

を参照してほしい。

では、なぜイロモノ書家ばかりがテレビに出てくるのだろう。

書道界は、ヤクザの組織に似ている。大きな上部団体があり、そこに所属する下部団体があり、さらにその下まである。日展・毎日展・読売展といった公募展に出品された作品でも、作風を見るとどのグループに属しているかは一目瞭然である。

問題はここから先だ。権威のある日展・毎日展・読売展は公募展だから、誰でも出品できるが、誰もが入選できるわけではない。審査員のお眼鏡にかなわないと入選できないのである。

そして、入選を決める審査員もまたいずれかのグループに属している。当然、自分の団体のものを多く入選させようとすることになる。

こうなってくると、各グループは書壇内での力関係ばかり気にするようになる。グループに所属する若い作家も、自分の属するグループの偉い人に従うだけになる。

わかりやすく言うと師匠といかにそっくりな作品を作るかだけが彼らのテーマだ。こんなのは芸術ではないし、外に目が向かなくなるのも当然だ。こうして書道の世界は蛸壺化していったのである。

書壇の中だけで偉くなれば収入につながる。前にも書いたが、作品が売れたとか言っても、買うのはグループ内の人(基本的に弟子)だけで、全く無関係の人が買うなんてことはほとんどない。

おそらく、そこに目をつけた賢い人がいるのだろう。全然新しくもないものを新しいといい、まったく評価されていない人を天才といい、マスコミに売り込むという方法を取る人たちが出てきた。それがイロモノ書道である。それに反撃する力はもはや書壇にはない。

今の書道界は教室で成り立っている。下部団体の人が生徒からもらった金の一部を上部団体に、上部団体はさらにその上部団体に上納するというのが、現在の書道界のビジネスモデルだ。作品自体の売買はほとんどこの団体内だけで行われていて、○○先生の作品がいくらで売れたなんていうのは大抵弟子が買っている。

ビジネスという点でいえば、積極的に書壇の外に売り込むイロモノ書家の方が余程健全である。芸術というものは、作品をなんの関係もない一般人に売ってお金に代えるものだ。

問題は作品の評価である。イロモノ書家は芸術性が低く、書道界からは全く評価されていない。評価されていないのに「天才」とかいうわけにはいかないから、聞いたこともない展覧会の入賞を誇ったり、外国で活躍したりするのである。

一方、書壇は自分たちのグループ内でしか評価できない。自分のグループに属する人だけがいいというなら、彼らが審査する公募展はすでに評価する力を失っていると言っていいだろう。

今、なぜイロモノ書道なのか。つきつめると、書道を評価する人がいなくなったということに尽きるだろう。
このエントリーをはてなブックマークに追加

今日の懐かし文具は「ぺんてるそめーる」。

そめーる(箱)


中身はこんな感じ。見た目は細身のクレヨンである。一回落しちゃったので、配列がバラバラですみません。

そめーる(中身)


これは普通のクレヨンではない。これで布に絵をかいて、アイロンをかけると絵を染め付けることができるのである。そめーるにはこのクレヨン状のもの以外に、絵具状のもの、マーカー状のものがあったらしい。

使い方がちょっと複雑なので、説明書が付いている。
そめーる(説明書)


ブランド名は「ぺんてる」だが、大日本文具株式会社とあるので1971年以前のものであることは間違いない。この説明書には「アイロンは電気アイロン、木炭アイロンのいずれでもよく・・・」と書いてあり、当時まだ木炭アイロンが使われていたことが分かる。

このそめーる、現在でも「ファブリックファン 布描きくれよん」というハイカラな名前で売られている。そめーる同様、絵具バージョンもある。夏休みの工作にいかが。


このエントリーをはてなブックマークに追加

今日、淑徳大学書学文化センターの見学に行った。

ここは中国の石碑の拓本を多く所蔵しており、なかでも全套本(ぜんとうぼん・石碑を丸ごと拓本にしたもの)に力を入れて収集しているそうだ。

というわけで、今月(といっても久しぶりだけど)の壁紙。

まず、漢碑の代表『石門頌』。

石門頌(1024x768)

石門頌(1024x768)
石門頌(1280x1024)

つづいてちょっとマイナー『泉男産墓誌銘』。則天文字が入っているけど、君はいくつ見つかるかな?

泉男産墓誌銘(1024x768)

泉男産墓誌銘(1024x768)
泉男産墓誌銘(1280x1024)

小川博章先生、ありがとうございました。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ