2012年08月

今年の夏は旅行らしい旅行を全然しなかった。こんな夏休みもめずらしい。

理由の一つは、例の教員免許更新講習である。八月のどまんなかをこれでガバッととられて身動きできなくなった。

これは最初から分かっていたことなので、旅行に行かない分今年の夏はもっといろいろなことができるかと思いきや、これが案外できなかった。今、宿題は早めに終わらそうと一大決心したのに、全く手を付けないまま、気が付いたら夏休み最終日になっていた小学生の気持ちだ。

さて、その教員免許更新講習だが、上のエントリではいろいろとクサしたものの、得ることもあった。もっとも、4時間×5日間授業を受けて得るものが全くなかったらどうかしている。ここで得たものは、さも最初から知ってたかのように、このブログで小出しにしていこうと思う。

このとき、20年ぶりに同級生に会った。もっと来ているかと思ったが、確認できたのは彼だけだった。

このころ僕はアホ真っ盛りだった。列挙しようと思ったが、ヤンキーが武勇伝を書いているみたいで恥ずかしくなったのでやめた。いや僕だけじゃない。みんなアホだったんだ。みんなバブルがわるいんだ。そうだそうだ。悪いことは全部バブルのせいにすればいい。

で、何が言いたいかというと、この同級生がやっているってんで、Facebook始めました。
Facebook

Google+も引き続きよろしく。
Google+

リンク、これでいいのかな・・・。
このエントリーをはてなブックマークに追加

山口謡司『んー日本語最後の謎に挑む』(新潮新書)を読んだ。



この「日本語最後の謎」ってのは、文字通り「最後の謎」と「五十音図の最後にくる謎」というダブルミーニングになっている。

日本語には、「ん」が無かったというのはよく知られていて、「いろは歌」にも「ん」は入っていない。ところが、学校では「なめり」とか「あなり」を「ん」の表記がされないものとして「あんなり」とか「なんめり」と読ませる。「ぬ」とか「む」と書いて「ん」と読むこともある。それでは「ん」という表記はいつできたのだろうか。

もともと日本語になかった「ん」という音が、漢字の音読み、つまり中国語に由来するいうところまでは想像つくが、その中国語を勉強していると、また不思議なことに気付く。

中国語で「ん」に当たる音は、ピンインでいうnかngで表現される。日本人にはどちらも「ん」にしか聞こえないが、中国人には容易に聞き分けられるらしい。

これだけなら日本語と中国語の発音の違いに過ぎないのだが、音読みして「ん」で終わるもの、例えば金(キン)は「jin」のようにnで終わり、「ん」で終わらないもの、京(キョウ・ケイ)は「jing」とngで終わる。昔の日本人は聞き分けていたのだろうか。

とまあ、ちょっと考えただけでもいろいろ謎は出てくるのだが、この本はそういった音韻と表記の「謎」を多くの例証を挙げて答えを出している。

単に音韻と表記の謎を解くだけではないのもいい。論はそこに潜む思想にまで至っている。この思想には仏教が強く関係していたとするが、最終章では「「ん」が支える日本の文化」として、日本文化全体の問題まで話を広げている。

ここまで来ると、正直、これが適当かどうか、僕にはよく分からない。が、話としては面白い。「最後の謎」とまで言うからには、ここまで広げてくれないとダメだろう。

というわけで、ストロングバイ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

以前、このブログで親戚のショータ君(もうすぐ4歳)というのを紹介したが(赤い電車のおもちゃを買った:2011年06月11日)、例の教員免許更新講習の次の日から、ショータ君の家族(父親除く)と一泊で旅行に行ってきた。

ショータ君は僕のことを「ポッピンモー」と呼ぶ。おかげで、あの家族は全員僕のことを「ポッピンモー」と呼ぶようになった。僕がなぜ「ポッピンモー」なのかは後で書くが、まずはこの時に撮った写真を今月の壁紙に提供しよう。

まず、忍野村の「さかな公園」の水族館にいたカメレオン。名前がしょぼいのであまり期待していなかったが、ここの水族館は豊富な湧き水を利用して、淡水魚や淡水に棲む昆虫、それになぜか爬虫類を展示していて意外に面白かった。

その爬虫類から、これまたなぜか日本にはいないカメレオン。

カメレオン(1024x768)

カメレオン(1024x768)
カメレオン(1280x1024)

忍野八海に行く途中に咲いていたひまわり。夏はまだまだ終わらないぜ!

ひまわり(1024x768)

ひまわり(1024x768)
ひまわり(1280x1024)

次の日、富士急ハイランド内にある機関車トーマスランドに行った。トーマスずばりの写真だと英国方面からクレームがつくといかんので、それっぽくない、かつ夏っぽいのをどうぞ。

富士急ハイランド(1024x768)

富士急ハイランド(1024x768)
富士急ハイランド(1280x1024)

さて、なぜ僕がポッピンモーなのかだが、話は一昨年福建省泉州市に行ったときに遡る。

このときお参りしたお寺にいたお婆さんが「ポーピーモー」と連呼しつつ、仏像の前にあるローソクに火を付けてくれた。「ポーピーモー」の意味がさっぱり分からなかったが(たぶん福建語)、とりあえず同じように「ポーピーモー」と言いつつ、線香に火をつけてお参りをした。

帰ってから、ショータ君から電話がかかったきた。かかってきたといっても、当時2歳のショータ君に電話がかけられるわけもなく、実家に帰っていたヨメが電話口にショータ君を出したのである。もちろんまともな言葉は喋れない。

どうせ話しかけても分からんだろうと思って、福建省で聞いた「ポーピーモー」を連呼してみた。電話の向こうから笑い声が聞こえる。なぜかウケたみたいだ。

ところが、それ以来僕は「ポッピンモー」ということになってしまった。少し喋れるようになってからは、一度も「ポーピーモー」とは言っていないにもかかわらずである。微妙に間違っているが、幼児の学習能力とは恐ろしいものだ。

ヨメはなぜか「ボコちゃん」と呼ばれている。「ボコちゃんとポッピンモー」とはどんなキャラクターだ。

夏休みが明けて、幼稚園で「おばあちゃんとママと妹とボコちゃんとポッピンモーで河口湖行った」とか報告するのだろう。想像するだけで可笑しくなる。
このエントリーをはてなブックマークに追加

なんだか急に24時間テレビ募金額の変遷:2010年07月23日へのアクセスが増えた。

「24時間テレビ募金額の変遷」は、2009年までの歴代の24時間テレビの募金額と経済上の出来事(バブル崩壊とかリーマンショックとか)、社会的な事件の関係をまとめたもの。結論は「募金額は経済状況はあまり関係なく、地震などの自然災害に連動する」というものだった。

2chまとめサイトを見て、24時間テレビのこれまでの募金額を調べるため来た人が多いようだ。たぶん、日本テレビが見やすくまとめていないので、僕のところに来たのだろう。そして、2chまとめサイトの記事はこれ。

【悲報】  制作費40億円の24時間テレビ  募金が2.8億円しか集まらず:ニュー速クオリティ

バブル崩壊後から2009年までの平均が898,020,226円で、それから比べると2.8億円は「しか集まらず」ということになるが、ここには間違いがある。答えは最後に書こう。

考え方のプロセスとして、それまで9億円以上あったのが、突然3億円弱に減った原因を考えなければならない。これは例年の3分の1になったことになる。よほどのことがない限り起こりえないことだ。

原因として最初に考えられるのは経済状態の悪化だが、それが募金額に大きな影響を及ぼさないことは、前例をみれば分かる。また、景気は相変わらず悪いが、去年から今年にかけては大きな経済問題は起きていない。

次に考えられるのは社会不安である。地震が来ると募金額があがるという前例からすると、前回の24時間テレビは震災後だったからかなり多かったことが予想される(1,986,414,252円らしい)。その反動で今年は下がった可能性が考えられる。しかし、3億弱まで下がる要因としては弱すぎる。

番組自体がマンネリ化し飽きられたというのも考えられるが、それなら年を追うごとにだんだん減って行くはずで、急に減るのはおかしい。

こうなってくると、疑うべきは2.8億円という数字である。そこでもとの記事を読んでみる。
日本テレビ系のチャリティー番組「24時間テレビ35 愛は地球を救う」は26日夜、約26時間半の生放送を終了した。
同日午後8時現在の募金総額は、計2億8240万4461円だった。


「同日午後8時現在の募金総額」というのがミソだ。2.8億円というのは番組終了直後の募金額なのである。

これでもうお分かりだろう。これまでの9億円程度というのは一年を通した募金額なのだ。今年度の募金総額は来年の24時間テレビまで分からないのである。

常識的に考えるとそれほど難しい話ではない。ヒントはいくらでもあった。減り方があまりに激しいし、これだけ減る要因が見当たらない。それなのに募金額が減ったと錯覚してしまうのは、24時間テレビが嫌いで、そういう人は増えているはずだと思うからである。

数字ほど具体的なものはない。しかし、「○○であってほしい」とか「○○なはずだ」という心理は、正しく数字を見る目さえ曇らせるのである。
このエントリーをはてなブックマークに追加

教員免許更新講習終了といっても、実際に終了したのは8月22日(水)だったんだけど、その後忙しくて(ブログの)更新ができなかった。

で、教員免許更新講習である。

教壇に立つ以上、教員免許が必要となる。これは教職課程のある大学で所定の単位をとって、教育実習をすれば取れる。

以前は、一回取ると一生使える資格だったが、2007年6月の教育職員免許法の改正によって、2009年4月から導入された。その後、政権が民主党に移って廃止されるはずだったが、結局、廃止されず今にいたっている。

教員免許の更新は10年に一度で、大学で講習を受け、試験に合格することで更新される。講習の費用は更新する人が負担である。費用はだいたい3万円程度だが、僕の場合、母校で受けたので割引があった。

講習の内容は、教育の最新事情に関する事項(12時間以上)・教科指導、生徒指導その他教育の充実に関する事項(18時間以上)となっている。

細かい内容は各大学で決められる。二松学舎大学の場合、

1日目 教育の最新事情1 4時間+試験(AM9:00〜PM5:00)
2日目 教育の最新事情2 4時間+試験(AM9:00〜PM5:00)
3日目 生徒理解に基づく支援と指導 4時間+試験(AM9:00〜PM5:00)
4日目 現代文の教材と指導法 4時間+試験(AM9:00〜PM5:00)
5日目 古典の教材と指導法(又は)書道の教材と指導法 4時間+試験(AM9:00〜PM5:00)

3日目から5日目は大学によって違う。二松学舎大学は国語と書道の教員が多いのでこうなっているが、国語か書道の免許を持っている人しか講習を受けられないわけではない。小学校の先生もいるし、理科や数学など他教科の先生が受けても更新できる。

2日目と3日目の間に一日休みがあったが、あとはブッ通し。試験はそれほど難しくはないが、聞かないでも答えられるという保証はないので、それなりに聞いていないといけない。

さて、ここからは個人的な意見を言わせてもらおう。この制度、教員の資質向上を図って始まったわけだが、どうにも疑問が残る。

まず、なぜ費用を私たちが負担しなければならないのか。本気で資質向上を図るのなら税金から出すべきである。

もう一つは、負担(労力という意味)に見合った資質向上が図れるとは到底思えないということである。もちろん、全然役に立たないということはない。が、受ける側の負担に対して、効果が薄いということである。

免許更新は10年に一度しかない。次に僕が「教育の最新事情」とやらを聞くのは10年後である。10年に1度の最新になんの意味があるのだろうか。

やるなら毎年やるべきだ。だが、こんなハードなのを毎年やるのは、受ける教師の方もやる大学の方も到底不可能である。

もっと、小さくやればできるだろう。年に1日、2日とか。しかし・・・そんなことは研修という名で、すでにやっているのである。
このエントリーをはてなブックマークに追加

8月17日から、教員免許更新講習が始まった。午前9時から午後5時までの長丁場である。

前の晩ふと気付いた。17日は金曜日。ということは、首相官邸で反原発デモをやっているはず。教員免許更新講習は三番町の二松学舎大学なので、首相官邸までは歩いて行ける。

カバンに一眼レフを入れて、持ち上げた瞬間イヤになった。重い・・・。一眼レフだけでも十分重いのに、テキストが異常に重いのだ。しょうがない。コンパクトでいいか。

というわけで、教員免許更新講習終了後、永田町方面に向かった。暗い上にコンパクトカメラなので、画像が悪くてすみません。

永田町近辺はものすごい警備。ここは憲政会館付近。
憲政会館近辺


国会議事堂正面のデモ。アナウンスによると午後6時から始まるそうだ。白い風船は配っているので誰でももらえる。
国会前デモ2


ちょっと見にくいが、この先にスピーチエリアなるものがあり、誰でもマイクを通してスピーチ、またはシュプレヒコールができるらしい。さすがにスピーチする勇気はない。
国会前デモ1


僕がもらった風船。
白い風船


本当はもうちょっといたかったのだが、さすがに体力の限界と空腹を感じたため30分ぐらいで帰った。

最近、あまり話題にのぼらなくなっていたので、もっと人が少ないかと思ったが、全然そんなことはない。何人いるかわからないが、この暑さでこれだけの人が来るなら上出来だろう。

このデモは、いわゆるデモ行進とちがって、そこにいるだけでいいので、参加しやすい。お年寄りの参加者も多かったが、石垣に座って手を叩いているだけだった。僕はそれで十分だと思う。

これだけ参加しやすいデモはちょっとないと思うので、原発反対で東京近郊に住んでいる人はとりあえず行ってみよう。
このエントリーをはてなブックマークに追加

僕の手元に4冊の陣中日記がある。すべて祖父が書いた物だ。終戦記念日から一日経ってしまったが、この中の一冊を文房具として紹介しよう。

各種陣中日誌


一番左にあるのが一番古く、昭和13年10月から昭和14年7月(日中戦争)の記事が書かれている。

大きさは能率手帳の小型版よりちょっと小さいぐらい。表表紙には、箔押しで日章旗と旭日旗の下に「陣中日誌」とあり、その下に「伊勢丹別製」とある。祖父は新宿で働いていたので、たぶん新宿伊勢丹で買ったのだろう。

最初のページ。太平洋要図。これと次の地図だけがカラーページになっている。
日本から中国へむけて黒い線が引かれているが、これは祖父が書いたもので、この時の戦争で行ったルートを表している。
陣中日誌(太平洋要図)


次のページ。こちらも地図だが、ヨーロッパ。縮尺が違うので「太平洋要図」と比べるとやたらと細かい。一体どこまで戦争に行くつもりだったやら。
さすがにヨーロッパ地図は役に立たないので、他のものは詳細な中国地図になっていたり、地図そのものがなかったりする。
ヨーロッパ地図


明治天皇御製歌と軍人勅諭。これは陣中日誌のお約束らしい。ここまでが付録1
陣中日誌(御製歌と勅諭)


本文。筆記用具は万年筆かペン。ブルーブラックのインクを使っている。それにしても、行軍の最中、よくこんなに細かく書いたもんだと思う。禁止された日もあるが除隊するまで事細かに書かれている。
陣中日誌(本文)


能率手帳みたいに方眼ページがある。自分のいたところの地図描いてるけど、大丈夫なんだろうか?敵に見つかったらえらいことになりそうな気がするんだけど。
陣中日誌(方眼ページ)


左ページは通信メモ。ちゃんとミシン目になっていて、切り離せる。これも能率手帳と同じ。
陣中日誌(通信メモ)


ここからが付録2「日常支那語」。値切り方が書いてあったりして面白い。四声がないので、たぶん通じないと思うが、ピンインのnは「ヌ」、ngは「ン」と表記してあり、ヘンなところで芸が細かい。
「日常支那語」は全部で5ページあり、そのうち1ページは空欄になっている。
陣中日誌(日常支那語)


このあと戦友の住所録になっているがたいして面白くないので割愛する。最後のページはこれ。
嗚呼忠臣大楠公(楠正成)。これも陣中日誌のお約束だったようだ。
陣中日誌(楠正成)


背表紙。星と桜マークがエンボス加工されている。
陣中日誌(背表紙)


内容からすると、かなり過酷な行軍もあったようだが、染み一つないのがすごい。よほど大切にしていたのだろう。
このエントリーをはてなブックマークに追加

橋下市長「加害生徒ぶちのめす姿勢必要」:Livedoornews
 大阪市の橋下徹市長(43)は7日、大阪市役所で市の教育委員と、2011年3月に策定された教育振興基本計画の改訂について意見交換を行った。橋下市長はその中で、いじめ問題に触れ「卑怯なことは絶対やってはいけない。やった時はぶちのめす、というくらいの姿勢が必要だと思う」と、加害生徒に対する教師の“鉄拳制裁”を容認する考えを示した。

僕と橋本市長は同い年で、地域の違いはあれ、体罰がごく普通に行われていた時代に、中学・高校に通っていた。

教育実習のため母校に行ったとき、体罰は禁止になっていた。実習先で一番最初に言われたことが「君たちの頃とは時代が違うのだから絶対に手を出すな」である。体罰禁止よりも、つい最近まで生徒をボコボコ殴っていた先生が、わずか三年ちょっとで「時代が違う」と言ったのには驚いた。終戦直後に戦争を全否定された子供の気持ちが少し分かったような気がした。

体罰と言っても、今の30代以下の人たちにはピンとこないだろう。いや、僕たちの10年ぐらい前の世代も分からないと思う。

このころの体罰は、そりゃもう酷いものだった。小学校の担任はスキーのアルミ製ストックを常備していて、これで生徒を叩いて頭をカチ割った。さすがにやめるかと思ったら、今度は流血しない叩き方を開発してきた。このセンセーは後に教育委員になったらしい。

中学の時はささいな校則違反で殴られた。当時は管理教育の時代で、アホみたいに細かい校則があったのである。中には髪の毛の色が薄いのを脱色と間違われたり、天然パーマをパーマと間違われたりして殴られたのもいる。もちろん、ささいじゃない(喫煙とか)のはおおいに殴られた。

高校のときは遅刻して学校に着いたら、門の前にむちゃくちゃ怖い柔道の先生が仁王立ちしていたものだから、殴られるのがイヤでそのまま家に帰った。答えが間違っているだけで殴る英語の先生もいたが、あいつはたぶんアタマがおかしかったんだろう。

それではさぞかし品行方正だったかというと、そんなことは全くない。盗んだバイクで走り出したり(尾崎豊)、夜の校舎窓ガラス壊してまわった(尾崎豊)のはこのころだ。もちろんイジメも、それが原因の自殺もあった。たぶん今よりもあったんじゃないだろうか。

橋本市長は体罰が行われていた時代しか知らないので、体罰がなければもっとイジメが蔓延っていたと思っているのかもしれない。僕は体罰が行われた時代の生徒で、無くなった時代に教師になったから、体罰がそれほど効果的でないことを確信している。

体罰は私刑で人権問題だが、それ以前に教育的な効果が低い。

例えば、先生は体罰を加えられないからと、平然と悪事をする子供がいたとする。仮に体罰が許されるようになると、その子供は体罰がイヤで悪事をやめるだろう。しかし、それは最初だけだ。

これは経験からいうのだが、体罰は馴れる。繰り返し体罰されると、それほど怖くなくなるのである。体罰を加えられないからという理由で悪事をしていた子供は、体罰が解禁されても、今度はケガさせられることはないからとか、殺されることはないからという理由で悪事をする。体罰で教育するなら、教師は生徒を殺してもお咎めなしにしなければならないことになる。

そもそも、体罰が怖くてイジメをしなくなったとしても、それは体罰がイヤでイジメをやめただけのことだ。これは何の解決にもなっていない。ますます見えないところに隠れてやるだけだろう。

暴力は暴力しか生まない。すでに歴史が証明している。
このエントリーをはてなブックマークに追加

性懲りもなく5時からオリンピックの閉会式を見た。

たしかにQeenもよかった、Kinksもよかった、最後のTheWhoもよかった、ペット・ショップ・ボーイズは顔が見えなかった、ジョージ・マイケルは蝶野政洋かと思った。ジョージ・マイケル先生には是非ホットパンツ穿いて欲しかったな。

でも、やっぱりいきなりトラックに乗って登場したMadness(マッドネス)でしょ。誰だそれ?って人(ただし40歳以上)はこちらをご覧じよ。


閉会式で演奏してたのはOur House。これ、ミュージカルにもなって、日本でも公演したらしい。


途中でサックスの人が吊るされてた空飛んでたけど、これはマッドネスファンとしては嬉しい。元ネタはBaggy Trousersのプロモーションビデオ。1:20ぐらいから、飛びます飛びます。


一人だけヘンな帽子かぶってた人がいたが、こちらはNight Boat To Cairoが出典。ドリフの探検隊ではありません。
このエントリーをはてなブックマークに追加

日本人の芸術観(その1)のつづき。

日本人にとって芸術とは、自ら「する」ことが主体であり、人の作品を「鑑賞する」ことは自分が「する」ことの前提に立っている。つまり、鑑賞者は同時に作家(プロとは限らない)でもあるということになる。

これには一つ大きな利点がある。それは、より深く鑑賞できるということだ。プロ野球の観戦は、野球をやっていた人の方が、やっていなかった人よりも深く楽しめるし、料理をしない人よりはする人の方が深く味わえるのと同じである。

だから、日本古来の芸術は抽象的で難解なものが多い。和歌・能・書などはいずれも抽象的で、何の知識もなければ鑑賞すること自体が難しい。

問題もある。日本人の芸術観では、プロはアマチュアの先生である。そしてそのアマチュアの中からまたプロが生まれる。

芸術は技術と思想でできている。本来、思想は自分で感得すべきものだが、先生は技術だけでなく思想まで教えてしまう。芸術家は教育者ではないのだからこれは仕方がない。しかし、弟子は無批判にそれを受け入れ、素直に受け入れた者だけがまたプロになる。かくて流派が生まれるのである。

それでも師匠の思想が受け継がれているうちはまだいい。代を重ねるにつれて思想が忘れられ、技術だけになってしまう。

もともとは「こうだから(思想)、こうしなければいけない(技術)」だったのが、単に「こうしなければいけない(技術)」となるのである。こうなってくると、同じような作品ばかりになってしまう。あるのは技術的な上手下手だけ。これでは芸術とはいえないだろう。

前に書いた(『正徹物語』を読んだ:2011年06月27日)芸術の発生から衰退へのプロセスは、こういう日本人の芸術観から生まれるのだと考えている。

日本の芸術は、どんなジャンルであれ、おおむね次のように進行すると僕は考えている。
1・単純な表現により始まる。
2・次第にいろいろな技法が編み出され、それがセオリー化する。
3・セオリーの運用方法により、いくつもの流派に分かれ、セオリーが絶対的なルールに変わる。
4・ルールが細分化され厳密になり、いかにルールを守るかだけがテーマとなる。
5・滅亡する、または、革新が起き1に戻る。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ