2012年09月

実は「横光利一「上海」を読んだ」と言う題名にしようと思ったんだけど、よく考えたら九月も今日で終わり。今月の総括を書かなければならない。

今月は、尖閣諸島関連の日中関係に話題が終始した感がある。中には戦争になるんじゃないかと危惧している人もいるだろう。

これは断言するが、尖閣諸島の領有をめぐっての戦争など絶対に起きない。米軍がいるから?いや、仮に米軍がいなくても絶対に起きない。

理由の一つは、尖閣諸島の価値である。アレはそもそも無人島だ。武力を行使してまで取る価値のある島ではない。資源がどうたらといわれるが、それは資源がすでに出ていればの話で、開発にどれだけ費用が掛かるのか、どのくらいの時間がかかるのか、そもそもどの程度資源があるのか分からないのに、莫大な犠牲と費用をかけて戦争を仕掛けるバカはいない。

もう一つは、中国の経済的な地位である。今や中国も世界経済に占める位置が高くなった。もし、尖閣諸島を取るために中国が武力に訴えたらどうなるか。中国はたちまち信用を失い、再び貧乏国にもどるだろう。

出るかどうかわからない資源と、ここまで築いてきた信用を失うこと、この二点を秤にかけると、中国が武力に訴えて尖閣諸島を取ろうとする可能性など全くないと断言できる。話は違うが、同様の理由から中台間の戦争も絶対に起こらないだろう。

きれいな言葉でいうと、戦争は投資である。投資に見合ったリターンが見込まれなければ、戦争をしかける意味はない。

汚い言葉でいうと、戦争は欲の張り合いだ。しかし、「カネが欲しいから戦争する」なんて言ったら誰も兵隊に行かないから、為政者は愛国心を煽って国民を戦争に行かせるが、その影には札束をにぎってニヘラニヘラ笑っている狒々爺がいるのである。

だから、政治家が愛国心などと言い始めたときには「こいつらはこれで一儲けたくらんでいるんじゃないか」と警戒しなければならない。

もし、「愛国無罪」をスローガンとする中国の尖閣デモ(という名の破壊活動)の映像を見て、異常に思うなら、それはなおさらである。

横光利一「日輪」を読んだ。

横光利一「日輪」:青空文庫

横光利一というと、文学史的には新感覚派の代表的な作家である。横光の作品は新感覚すぎて読みにくいところがあるが、これはもう時代設定からして新感覚。主人公は卑弥呼である。

会話文がまた新感覚だ。江戸時代の武士なら「○○でござる」とか「拙者○○と申す」とか、平安時代の貴族なら「○○でおじゃる」とか(例がアホっぽくってすみません)なんとなく時代を表す言い回しがあるが、さすがに弥生時代を表現する言い回しはない。

だが、そこは新感覚。独特の弥生時代の言い回しを作っている。これが、僕のヘタクソな中国語会話を直訳したみたいで面白い。
「爾は誰か。」と再び大兄はいった。
「我は路に迷える者。」
「爾は何処(いずこ)の者か。」
「我は旅の者、我に糧(かて)を与えよ。我は爾に剣と勾玉とを与えるであろう。」
 大兄は卑弥呼の方へ振り向いて彼女にいった。
「爾の早き夜は不吉である。」
「大兄、旅の者に食を与えよ。」
「爾は彼を伴(とも)のうて食を与えよ。」
「良きか、旅の者は病者のように痩せている。」

よもや弥生人がこんな片言の日本語でしゃべっていたとも思われないが、この会話文で一気に横光的弥生時代に引き込まれる。

この時代がどんな時代だったかは、資料が少なすぎて誰にも分からない。当然そこは想像で補うしかないのだが、横光にとって、弥生時代は相当殺伐とした時代だったらしく、やたらと人が死ぬ。それも、あっさりと。
「王よ、女は我の妻である。妻を赦せ。」
「爾の妻か。良し。」
 君長は女を放して剣を抜いた。大夫の首は地に落ちた。続いて胴が高縁に倒れると、杉菜の中に静まっている自分の首を覗いて動かなかった。
「来れ。」と君長は女にいってその手を持った。
「王子よ、王子よ、我を救え。」
「来れ。」
 女は君長を突き跳ねた。君長は大夫の胴の上へ仰向きに倒れると、露わな二本の足を空間に跳ねながら起き上った。彼は酒気を吐きつつその剣を振り上げた。
「王子よ、王子よ。」
 女は呼びながら長羅の胸へ身を投げかけた。が、長羅の身体は立木のように堅かった。剣は降りた。女の肩は二つに裂けると、良人の胴を叩いて転がった。

まるでドラクエのスライムみたいに人間が斬られる。これにかぎらず、横光利一の作品は殺人だの喧嘩だのの描写にまるで迫力がない。

意図的にそうしているのか、そういうふうにしか描けないのかは知らないが、『日輪』の場合、これが弥生時代の世界観に不思議と合っている。

内容は、邪馬台国の女王になる前の卑弥呼が、彼女を求める男性たちによって運命を狂わされるというような感じ。これだけ古代を描写する工夫をしているのに、ストーリーはどことなく現代的である。

これは歴史小説ではない。そもそも記録がない時代だから、歴史小説にはなりようがない。実在の(と思われる)人物、卑弥呼を利用したファンタジーである。

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一昨年、一緒に福建省を自転車旅行した葛的先生が、今年の夏、また福建に行ってきた。で、お土産はこれ。

中国を代表する高級タバコ「中華」である。日本円で一箱700円ぐらいはする、見栄張り、またはプチワイロ用タバコだ。

中華(内部供応・表)


しかし、デザインがおかしい。真ん中に書いてある「中華」のロゴは同じだが、こんなシンプルなデザインじゃない。普通は真っ赤な箱に天安門の絵が描いてあるはず。

中華+煙草:Google画像検索

裏を見ると・・・。

中華(内部供応・裏)


「内部供応」と書いてある。何の内部だか分からないが、たぶん「中華」を作っているたばこメーカーの内部だろう。ちなみに側面には何も書いておらず、上の銀紙には本物にもあるホログラムがあった。

中華(内部供応・上)


中身は普通の「中華」と同じで、味も同じ(だと思う)。

この煙草、ニセモノも多いらしいが、わざわざこんなものを作るとも思えないので、本物だろう。社員が横流ししたのではないだろうか。

このエントリを書いているときに、同じようなパッケージの中華をもらったというブログ記事を見つけた。こちらは、裏に「軍需特供」とあって、「為人民服務」とか、お約束の星のマークが付いていてなかなかカッコイイ。

中国の軍需特供タバコ:北京放浪記in威海(Weihai)

さて、葛的先生、ツアー中、前回見つからなかった万安橋記(続 洛陽橋(万安橋)に行ってきた:2010年11月18日参照)を見に行くため、わざわざ泉州市まで行ったのだが・・・・。

工事中で、蔡襄祠にすら入れなかったそうだ。縁がなかったんだろうな、きっと。
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May_Romaさん連続Tweet:「インフラとかシステムとかの問題ではなく、そもそも仕事のやり方がおかしい。」:Togetter

これ、最初は何を言っているのかよく分からなかったけど、よく読んでみたら、日本人の文章構造が悪い(分かりにくい)と言っているのだと思った。

「日本では超有名企業の社内文書などは、書き方や用語が独自で意味が不明。会社に長くいる人対象で書いているからわかりにくいし、そもそもツリーストラクチャでかけてない物が殆ど。これを英語に直訳して取引先や海外支部で使うから、外国の人は意味がわからない。結果確認に時間かかり非効率。」

「なぜ日本の有名企業の優秀なはずの人達は、誰にも分かりやすい文書を書くことができないのか。通達やプロジェクト文書だから本人は伝えたいと思っている。悪気はない。でも書けない。超有名大学を出ているから頭は悪くない。理由は書き方の訓練を受けていないから。会社でも大学でも教えない。」

「ツリーストラクチャー」と言うのは「木構造」と訳せる。幹があって、枝に分かれ、さらに小枝に分かれるということだが、この場合、章・節・段落といったような文章構造のことを言ってるのだろう。英語だとchapter・section・paragraphである。

たしかに日本人の文章は、文章構造があいまいなものが多い。論文や評論を読んでいても、よく読むとちゃんと論理的な内容になっているにもかかわらず、文章そのものはあっちへ行ったりこっちへ行ったりして、要するに何をいいたいのか、なかなか理解できないものは多い。内容は論理的なのに、文章構造が論理的でないのだ。

なぜそうなるのか。国語の授業では小学校高学年あたりから、意味段落と形式段落というタームが出てくる。意味段落と形式段落については以前書いた(意味段落と形式段落)が、これは不思議な言葉だ。なにしろ、読み手が勝手に意味の切れ目を判断して段落というのである。読み手が判断しなければならない段落など、段落ではない。

僕はこの言葉が大嫌いだが、どんなタームを使うかは別にして、日本では文章のどこで内容的に切れるかを小学校から学ぶのが中心になっているのは間違いない。書き手からすると、読者が文章構造を考えるので、書き手はあまりそこにこだわらなくっていい―というのが日本人の文章である。

May_Romaさんによると、欧米は逆で、文章構造をはっきりさせて、書き手がいかに読みやすく文章を書くかを学校で学ぶのだろう。

「ここでは小学生の頃からやります。普通の文書がツリーストラクチャです。訓練の量が違うから日本の人は相手になりません。 RT @terrafoolman: パラグラフ・ライティングですか?日本の大学でも少しはやってますよ。やる気のある学生は教授に聞いてみたら?」

「誰にでも一発でわかる文書作成のスキルを、イギリスだと学生のうちから徹底的に仕込む。学部や院で仕上げ。細かい添削入ります。だからそれなりの大学を出ている人が書いた文章は、論文でも業務文書でもものすごくわかりやすい。分かりやすいから誰にでも一発で伝わり、無駄な確認や会議がなくなる。」

僕は英文の論文などを読むことがないから詳しくは分からないが、英文を翻訳したコンピュータの技術書や、イギリス人の考えたHTMLが文章の構造をどう表すかに主眼が置かれているのを見ても、彼らがいかに文章構造を重視しているかが分かる。

HTMLが分からない人のためにちょっと説明しよう。HTMLはWebページを記述する方法で、このブログを例にとると、HTMLではタイトルを<h1>やた管ブログ</h1>のように書く。日付は<h2>2007年05月21日<h2>、エントリのタイトルは<h3>日本人の文章</h3>となる。

<h1>の「h」はheadlineの意味である。だからh1の後にはh2が、h2の後にはh3がこなければならないのだが、HTMLを勉強し始めたころ(1995年ごろ)、僕は字の大きさを指定するタグだと思っていた。これは僕だけがそうだったのではなく、当時のHTML解説書にさえそう書いてあった。これは日本人がいかに文章構造を重視していないかという証拠だろう。日本人で<p>(パラグラフ)と<br>(改行)の違いを説明できる人は少ない。

パラグラフとは段落という意味で、内容的にひとまとまりの文章となっている。改行は内容とは関係なく、見た目を改行するということだ。先の意味段落と形式段落でいえば、意味段落は<p>で、形式段落は<br>ということになる。ちなみに、LivedoorBlogは全部<br>にしてしまうので、書き手の僕としてはちょっとムカつく。

なぜ、欧米人は文章構造を重視するか。あくまで推測にすぎないが、一つには聖書の影響、もう一つはヨーロッパの言語の違いがあると思う。

聖書はタイトル(聖書)・副題(○○の福音書など)・章・節がはっきりと分かれている。章・節は後世、検索の便宜のため分けたらしいが、これのおかげで「新約聖書○○の福音書○章○節」といえば、どこに何が書いてあるかすぐに分かる。

そして、ヨーロッパは狭い地域に沢山の国と言語がある。古くからそれぞれの国が深い関係にあった。言語や文化の違いを乗り越えるためには、言語そのもののを学ぶこと以上に、聖書のフォーマットを利用し、文章構造をはっきりさせて、分かりやすくする必要があったのだろう。

逆に日本人は基本的に日本人に対して文章を読ませればよかった。日本人の文章は文学的(芸術的)であることを好み、解釈を読み手にゆだねる文章を好む。しかし、それは読み手に相当な読解力を要求するし、できるかぎり言語、文化を共有している必要がある。

たぶん、小説などの文学的な文章を書くためには、文章構造を意識しない(相手に考えさせる)文章の方が向いているのだろう。しかし、論文だの報告書だのはどうだろうか。論文や報告書は相手に理解させるのが一番重要なことである。

そういう文章に文学性は必要ない。できるかぎり文章構造をはっきりとさせた、合理的な文章を書くべきだろう。

尖閣諸島の騒動に絡んで、安易に売国と言う言葉を使う人がいる。これは大変良くないことだ。

まず、この言葉を使う前に考えてほしいのは、「売国」は「愛国」の対義語ではないということである。

「彼は愛国者である」の逆は「彼は愛国者ではない」である。

だが「彼は愛国者ではない」と「彼は売国奴である」は同じではない。自分の国を愛していないからと言って、必ずしも自分の国の不利益になることをするわけではない。

もう一つ考えてほしいのは、「売国」という言葉の定義である。

売国という言葉は、私利のために自分の国を売る行為である。例えば、日本人が外国政府から金をもらって、日本に不利になる情報を外国に流せば―分かりやすく言えばスパイだが―なるほどたしかに売国だ。しかし、それ以外に売国といえることがあるだろうか。

単純に自国に不利益なことをする行為を売国というならば、後に形勢が変わり利益をもたらした場合、言った人間が売国ということになる。つまり、自分が売国と言われる可能性を覚悟しなければならないのである。

逆に良かれと思ってやったことが不利益につながることもあるだろう。

今回の件でいうと、中国の日系工場の閉鎖、中国に滞在する日本人の安全が脅かされていること、観光収入の減少、などすでに不利益は起きている。ことの発端は石原都知事と野田総理だ。単純に「自国に不利益なことをする行為」を「売国」というなら、日本に不利益をもたらした彼らは、現時点では売国奴ということになる。

だが、僕はそんな言葉は使わない。彼らは日本に不利益を与えようとしてやったのではない。現時点で結果的に不利益になっているだけだ。そして、今後どうなるかは誰にも分からない。

未来のことは分からない。だから、明確に外国の命をうけたスパイでもないかぎり、売国などという言葉は安易に使ってはいけないのである。
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2009年の9月にもアップしたけど、性懲りもなく戸越八幡神社のお祭りから、今月の壁紙。

戸越八幡祭礼1(1024x768)

戸越八幡祭礼1(1024x768)
戸越八幡祭礼1(1280x1024)

戸越八幡祭礼2(1024x768)

戸越八幡祭礼2(1024x768)
戸越八幡祭礼2(1280x1024)

ここのお祭りほどフォトジェニックじゃないのもちょっと珍しい。道が狭く、人がやたらと多い。電線とか、看板とか小汚いアイテムがかならず入る。

だが、それがいい。祭りなんて、誰かに見せるためにやるんじゃなく、地元の人が楽しければいいのだから。

このほかの写真はこちら。
平成二十四年度戸越八幡神社祭礼
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東京近郊に住む国文学徒や、かつて国文学徒だった者にとって、国文学研究資料館といえば知らない人はいるまい。他の専攻でも、国会図書館に比べると雑誌などが出てくるのが早いので、利用した人もいるはずだ。

国文学研究資料館は、2008年立川に移転した。が、やっぱりイメージとしては戸越公園(正確に言うと品川区豊町)という人も多いだろう。そこで、戸越八幡のお祭りのついでに、現状を撮影してきた。

現在、国文学研究資料館跡は工事中で中には入れない。安全のため柵と目隠しがしてあるので、柵の上の方からノーファインダーで撮った。

まずは正門のあったあたりから。
国文学研究資料館跡1

奥に見えるのは区立戸越小学校。木は残っているが建物は跡形もなくなくなっているのが分かる。

今度は、戸越小学校の側から。
国文学研究資料館跡2
前方右には池があったが、今は見えない。
唯一、木だけが当時の面影を残しているが、職員でもないかぎり、どこにどんな木が植わっていたか覚えている人はいないだろう。

なお、国文学研究資料館跡は、公園になる予定である。池の位置はほとんど同じように見えるので、今は水を抜いて作り直しているだけかもしれない。
公園完成予想図

「ガリガリ君リッチコーンポタージュ味」、通称ガリポタを試してみた。

ずいぶん話題になっているので、書くつもりはなかったのだが、何日か前にヨメが買ってきて冷凍庫に入れておいたら、売れすぎて生産休止になったとのことなので、「どうだー、うらやましいだろー」の意味を込めて書くことにした。

「ガリガリ君リッチコーンポタージュ」販売休止についてのお詫び:赤城乳業

コーンポタージュとアイスという組み合わせだけでなんだか不味そうな感じがするが、さらにこれはガリガリ君である。ガリガリ君はガリガリしていないといけない。ガリガリ(かき氷)とコーンポタージュはさらに結びつかない。

で、食べてみた。まずはパッケージ。黄色い。

パッケージ


中身。半端じゃなく黄色い。

中身


齧ってみた。中に見えるのがガリガリ成分。ご丁寧にコーンも入っている。

かじってみた


意外にうまい。

ガリガリ成分の食感は練乳かき氷にちょっと似ている。コーンポタージュのトロトロ感が練乳に近いのだろう。そう考えると、そんなにヘンな組み合わせでもないような気がしてきた。

味はしっかりコーンポタージュの味がする。アイスなので普通のコーンポタージュよりも甘味を強くしてあるようだが、砂糖の甘味ではなく、あくまでコーンポタージュの甘味である。この塩梅は相当難しかったんじゃないだろうか。

齧っているとときどきコーンに当たる。クノールカップスープに入っている乾燥コーンみたいな食感だ。なくてもいいかなと思ったが、単体で売っているガリガリ君は少々大きいので、食べているうちに飽きることがある。時々入っているコーンはアクセントになっていいだろう。

というわけで、ストロングバイ。今、売ってないけどね。残念でした。
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高松で、お遍路姿の寸借詐欺が捕まった。

「夫と娘亡くなった」…75歳、お遍路さん姿で寸借詐欺 被害64人、計136万円:MSN産経
歩き遍路を装い旅費などの名目で現金をだまし取ったとして、香川県警高松北署は5日、詐欺容疑で、住所不定、無職の熊塩孝子容疑者(75)=詐欺罪で起訴、公判中=を追送検した。同署は今年4月までの2年間に香川、徳島、愛媛の3県と千葉県の男女計64人から計約136万円の寸借詐欺を繰り返したことを裏付け、捜査を終えた。

四国には「お接待」といい、お遍路さんに施しをする習慣がある。僕は自転車遍路だったので、あまりもらわなかったが、それでも何度か休憩中にお金や物をもらった。

これは、お接待する人の功徳になるので、原則的に断ることができない。僕も基本的には断らなかったが、たった一度、高松で四国出身の後輩のお母様が米2kgを持ってきたのにはさすがに断った。いくらなんでも重すぎる。ただでさえ苦行なのに、さらに苦行にしてどうする。

このお母さん、自動車で僕を追ってきた(と言っても一度も会ったことがないのに納経所を尋問したらしい)のだが、連絡がついて栗林公園の近くで僕を見つけ、とんでもない(どう考えても駐停車禁止)ところに自動車を停めた。「あんなところに停めて大丈夫ですか?」と聞いたら「このへんじゃお遍路さんのためと言えばたいがいのことは許されるから・・・(原文、愛媛弁)」と言う。

本当か?と思ったら、なにしろ大都会高松、ものの数分で警官が来て職質。ちょっと離れていたので会話は聞こえなかったが、車を移動させるでもなく、戻ってきた。どうやら「お遍路さんのためといえばたいがいのことは許される」のは本当らしい。

話を元に戻す。

歩き遍路の人に聞いたところ、お接待は時と場所によっては結構な額になることもあるらしい。だから、四国にはお接待で生活しているプロの遍路もいる。中にはちゃんと88か所を回って修行しているプロ遍路もいるが、ほとんどはインチキである。インチキ遍路はあまり動かない。お接待を求めて人が多そうなところをぐるぐる回っているだけだ。

おそらくインチキプロが一番多いのは高松だろう。人口が多く、札所が密集しているから効率よく稼げる。香川県は空海生誕の地でもあるから、信心深い観光客も多いはずだ。インチキプロらしき遍路を高知とか徳島の山奥で見ることはまずない。

これはインチキでないプロ遍路から聞いた話だが、インチキプロ遍路の中には道を踏み外して、賽銭泥棒だの詐欺師だのに進化するやつもいるそうだ。「何かに取り憑かれてるんでしょうね」とその人は言った。

たぶん、このニュースの詐欺師も、もともとインチキプロ遍路だったんだろう。それでも、お接待を受けているだけだならまだよかったが、旅費や宿泊費を名目にしたのがまずかった。これで立派な詐欺師の出来上がりである。普通のお接待では満足できなくなっちゃったのかもしれない。

この詐欺師は被害者の名前と連絡先を書いた手帳を持っていたという。これによって被害者を割り出すことができたようだ。しかし、なぜ証拠となるようなものを律儀に持っていたのだろうか。

遍路はみな遍路札(納め札)というものを持っている。住所・氏名が書かれた札で、札所に着いたとき本堂と大師堂に収めるのだが、お遍路同士で交換したり、お接待を受けたときに相手に渡したりもする。お接待する人の中には、これを集めている人もいる。

詐欺とはいえ、遍路を装っているのだから、お金をもらった人に遍路札を渡していたと思われる。遍路同士で交換したこともあったはずだ。たぶん、被害者の名前が書かれた手帳は、遍路札交換の名残だったのだろう。あるいは、いつか返すつもりだったのかもしれない。

だが、そんな生活で返せるはずがない。何かに取り憑かれているんだろう。

内藤湖南の『北派の書論』を読んでいたら、面白い記述があった。

況や近頃のやうに、俳句などをヒネくるものが、文盲の癖に、北派にも何にもならないエタイの知れない字を書いたり、看板やコマを書く一種の俗筆を北派だとして居るに至つては、殆んど採るに足らないものである。(内藤湖南『北派の書論』:青空文庫

「俳句などをヒネくるもの」というのは、河東碧梧桐のことである。

碧梧桐は当時、洋画家中村不折ともに龍眠会という書道団体を主宰しており、六朝の楷書に範を取っていた。それが「エタイの知れない字」である。
なお「エタイの知れない字」はこちら↓。

河東碧梧桐+書:Google画像検索

それにしても「文盲の癖に」というのはひどい言い方である。もちろん、碧梧桐が文盲なわけはないので、「漢文も読めないくせに」ぐらいの意味だろう。では、一体何が気に障ったのだろう。

中国の書は1800年ごろまで王羲之の書を基準に発達してきた。しかし、阮元(1764‐1849)の『北碑南帖論』『南北書派論』に至り、「書は北朝の碑に範を取るべき」という考え方が隆盛したきた。これを「北派(碑学派)」という。なお、彼らはそれ以前の法帖によって書を学ぶ方法を「南派(帖学派)」と呼んだ。

「北派」が北朝の書を正統とする理由は、簡単に言うと、彼らが漢代の隷書の直系が北朝の書にあったと考えたことと、王羲之の書風がそのまま伝えられていないと考えたからである。

王羲之の書や、その影響下にある唐代の書の現物は残っておらず、法帖という形でしか残っていない。これは一種の印刷物だから、何度も翻刻を繰り返すうちに本来の姿を失っている。北朝の碑は彫られた時代のものだからいい、というわけだ。

この考え方は、それまで全く価値を認められていなかった北魏の碑に価値を見出した、画期的なものだった。遅れて明治日本の書道界は、この時代最新だった北派(碑学派)の理論の影響を強く受けた。もし、阮元の書論が無かったら、今も書道の教科書に牛橛造像記や鄭羲下碑は載っていなかったかもしれない。

しかし、内藤湖南はそれに異を唱える。

阮元の書論が書かれた時代は、南朝の碑や真蹟もほとんど出土していなかったし、日本にある唐代の書の真蹟も紹介されていなかった。楊守敬(1839-1915)はもともと北派で、北派の書を日本に伝えたが、逆に日本にある唐代の真蹟に学んで書風が変わった。もともと真蹟を持っていた日本人がいつまで稚拙な北派の書をマネしているのか、というのである。

上に引用した碧梧桐批判は、この文脈にある。北派なんて時代遅れで、それだけでダサいのに、それを模倣しただけのおかしな書を書いているやつが北派を名乗っている、不愉快千万・・・というわけだ。

批判の矛先が不折でなく、碧梧桐に向かっているのは、不折が大量に資料を所蔵していて(現在の台東区書道博物館)古典を学んでいてそれなりに理論武装されていたからだろう。

それでは、内藤湖南の攻撃に碧梧桐はダメージを受けたか。碧梧桐の書いたものを読んでいないので分からないが、たぶん受けなかっただろう。

碧梧桐の俳句はよく知られるように自由律俳句である。これは単に斬新さを狙ったのではない。素朴で自由な表現を求めたら、季語だの定型だのがブッ飛んじゃったのである。これがたまたま六朝の書と合ったのだろう。求める本質が違う以上、内藤湖南の攻撃は何とも思わなかったんじゃないだろうか。

さて、ここまで書いて、もう一つ思い当たることがあった。碧梧桐のライバル高浜虚子である。碧梧桐と虚子は同級生で同じ正岡子規の弟子だが、自由律の碧梧桐に対し、虚子は定形・季語といった俳句のルールを守った。この二者の対立は、内藤湖南と碧梧桐の関係に非常によく似ていると思うのである。

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