芸術家というのは観念の世界に生きている。観念の世界というのは、「これはこうでなければいけない」という世界である。
例えば、ピカソの絵画はキュビズムと言われるが、ピカソにとっては絵画とはキュビズムで描かれなければならないものだった。
ピカソがキュビズムで描かなきゃいけないのには理由がある。キュビズムとは、立体的なものは見る位置によって形が違うのだから、ある一面だけをとらえて描くのではなく、あっちこっちから見える形を統合して描くべきだという思想である。ピカソにとってはそれが唯一の正しい絵の描き方だった。
このように芸術家の観念は、(本人にとっては)ちゃんと論理的に説明できるものだ。そしてそれは(本人にとっては)正しいことだから、それ以外は正しい芸術ではないということになる。芸術なんて勝手に作品を作っていればよさそうなものだが、しばしば論争になるのはそのためである。
しかし、それ以外の傍観者にとっては、せいぜい「そういう考え方もあるよね」という程度のことだ。
端から見ていると、この芸術家のこだわりは、感性を刺激されるものでもあるし、同時にとるに足らないどうでもいいものでもある。鑑賞者にとっては、自分好みのいい作品であれば芸術家の観念なんてどうでもいい。
もし、芸術家が政治家になったらどうだろう。この「芸術」という言葉を「政治」に置き換えてみればよい。
その人が政治家になって権力を持ったとき、その人の観念と違う観念に生きている人はどうなるか。「そいう考えもあるよね」の人はどうなるか。
いや、先日辞職した石原慎太郎さんとか関係ないですよ。マジで。
例えば、ピカソの絵画はキュビズムと言われるが、ピカソにとっては絵画とはキュビズムで描かれなければならないものだった。
ピカソがキュビズムで描かなきゃいけないのには理由がある。キュビズムとは、立体的なものは見る位置によって形が違うのだから、ある一面だけをとらえて描くのではなく、あっちこっちから見える形を統合して描くべきだという思想である。ピカソにとってはそれが唯一の正しい絵の描き方だった。
このように芸術家の観念は、(本人にとっては)ちゃんと論理的に説明できるものだ。そしてそれは(本人にとっては)正しいことだから、それ以外は正しい芸術ではないということになる。芸術なんて勝手に作品を作っていればよさそうなものだが、しばしば論争になるのはそのためである。
しかし、それ以外の傍観者にとっては、せいぜい「そういう考え方もあるよね」という程度のことだ。
端から見ていると、この芸術家のこだわりは、感性を刺激されるものでもあるし、同時にとるに足らないどうでもいいものでもある。鑑賞者にとっては、自分好みのいい作品であれば芸術家の観念なんてどうでもいい。
もし、芸術家が政治家になったらどうだろう。この「芸術」という言葉を「政治」に置き換えてみればよい。
その人が政治家になって権力を持ったとき、その人の観念と違う観念に生きている人はどうなるか。「そいう考えもあるよね」の人はどうなるか。
いや、先日辞職した石原慎太郎さんとか関係ないですよ。マジで。