2012年11月

先月の終わりに石原都知事が辞任、新党旗揚げをして、14日、野田首相が解散宣言をするという、近年まれにみる政治の月だった。選挙のある12月はもっと政治の月になるかもしれないけど。

政権与党という有利な立場にいたはずの民主党は、沈みかけの船から逃げるように造反が相次ぎ、とても信頼できる状態には見えなくなった。最大与党の自民党は総裁が安倍晋三氏で、復活してヤル気マンマンだが、こいつがやる気を出せば出すほどイヤな予感しかしない。

都知事を辞めた石原氏は太陽の党を立ち上げたと思ったら、すぐに解党し、今度は橋下徹氏の日本維新の会と合流した。河村たかしの減税日本は当初太陽の党と合流ようとしていたが、太陽の党が日本維新の会と合流したため・・・あーもう面倒くさいからやめた。どっちにしても極右君がかかわることに興味はない。

共産、社民はこういうバカげな争いをしているときがチャンスなのに、なんだかすっかり影が薄くなってしまった。マスコミ受けしないからしょうがないのかもしれないが、これだけ混乱している今ならいくらでもやりようがありそうなものだ。

今回の衆議院選挙ほど不思議な選挙はない。やたらと話題になっているのに、投票しにいこうという意欲がわかないのである。僕は選挙権を持ってから今まで、投票に行かなかったことは一度もないが、誰にも投票したくないと思ったのは今回が初めてだ。

どうにも政治家にインテリジェンスを感じないのである。民主党や自民党はもっとしたたかで現実的な政党じゃなかったか。共産党や社民党はもっと理想を語らなかったか。いろいろ騒いでいるけど、騒げば騒ぐほど政治家はバカしかいないように思える。

あ、公明党のことを忘れてた。
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石原慎太郎代表:「核シミュレーション、抑止力になる」
日本維新の会の石原慎太郎代表は20日、東京都内の日本外国特派員協会で講演し「日本は核兵器に関するシミュレーションぐらいやったらいい。これも一つの抑止力になる。持つ、持たないは先の話だ」と述べ、核兵器保有について研究すべきだとの考えを示した。「個人の見解」と断ったうえでの発言だが、次期衆院選に向けて論議を呼ぶのは必至だ。
 石原氏は、この発言に先立ち、「核を持っていないと発言権が圧倒的にない。北朝鮮は核開発しているから、米国もハラハラする」と指摘。核兵器の有無が外交力を左右するとの認識を示した。


石原慎太郎センセーがこういう発言をするのは、今に始まったことではない(上司がまたおかしなことを言っています:2011年06月21日参照)から、発言そのものは不思議じゃないが、何度聞いても納得がいかない。だから何度でも書く。

「核を持っていないと発言権が圧倒的にない。」んだそうだが、ドイツはヨーロッパでもずいぶん発言力があるようだ。ついでにいうと、メルケル首相は「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なる物はババア。(石原慎太郎談)」だが、ジジイの政治家よりもはるかに優秀に見えるのはどういうことだろう。

国連の常任理事国はすべて核を保有しているから、その点では「核を持っている国は発言力が圧倒的にない」と言えるだろう。しかし、核を持てば常任理事国になれるわけではない。インドとパキスタンはずいぶん前から核を保有しているが、常任理事国ではない。核を持っているから常任理事国なのではなく、常任理事国だから核を持ったのである。

逆にイラクは核兵器保有の疑いだけでアメリカに滅ぼされてしまった。北朝鮮は核開発しているが、アメリカに攻撃されないのはそれが理由ではないだろう。中国がどう出るか分からないことと、攻撃しても見返りが少ないからである。そもそも、世界有数の貧乏国北朝鮮と、世界有数の経済大国日本を同等に語るのは、日本を過小評価しているとしか言いようがない。

日本は世界で唯一の被爆を経験した国である。世界中のどの国よりも、核兵器に反対する理由がある。原爆の犠牲になった人には申し訳ないが、うまく使えば外交のカードになるものだ。韓国や中国が日本に侵略されたことを外交のカードにするように。

核開発すれば、もう核兵器反対とは言えなくなる。こんな有利な状況をわざわざ捨てようとするのはまともな思考ではない。なにかに取り憑かれているのである。

軍事力がなければ外国に侵略されるという妄想。80年以上も生きてきて、そんな妄想にとらわれているのは気の毒としかいいようがない。
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携帯電話(PHSだけど)が汚れてきたので、シャツと一緒に洗濯したら使えなくなってしまった。小さくて結構気に入っていたのだが致し方ない。新調することにした。

Willcom PORTUS


一番左の青いのが今回買ったPORTUS(WX02S)、真ん中が洗濯してピカピカになったWillcom9(Willcom9を試してみた:2010年02月07日参照)、赤い丸が付いているのがラッキーストライクである。

ケータイは小さければ小さいほどよいと思っているので、スマホは最初から対象外である。前に紹介したフリスクフォン(Willcomの新端末にびっくりした:2011年09月21日)じゃ小さすぎるし、もう在庫がないらしい。

店でいろいろ出してもらって、検討したのだが、結局たいして小さくもない上にPHSとしては重い、PORTUS(WX02S)にした。

WILLCOM|PORTUS

この端末の特徴は、SoftbankのULTRASPEEDを使ったWifiルーターになることだ。それ以外には何もない。メールはできるが、ブラウザもなければカメラもない。ブラウザがないので、ピコピコ動く絵文字も使えない。そっち方面はスマホなりタブレットなりにまかせて、端末は裏方に回るということだろう。以前はタブレットとの抱き合わせ販売をしていたらしい。

Wifiルータとして使用するため、PHSには似つかわしくない巨大なバッテリーを積んでいる。だから、重さで比較すると洗濯したWillcom9が85gなのに対し、PORTUSは120gもある。これは普通の携帯(いわゆるガラケー)とそれほどかわらない重さである。

このバッテリーのおかげで、バッテリーのもちは非常にいい。PHSはもともと消費電力が少ないので、バッテリーの持ちがいいのだが、これは一回の充電で待ち受けだけなら50日間持つ。あるていど通話をしても一月は持ってしまう。

しかし、実際には一日に何度かはWifiルーターとして使うことになる。Wifiルーターはかなりバッテリーを食うらしく、ルーターの連続使用は公称4時間である。

では、ルーターでバッテリーを使い切るとどうなるか。

この端末は、バッテリーの状態によって自動的にルーターを切ることができる。例えば10時間程度通話できるぐらいまで減ったら切るようにもできし、完全に電池切れするまでルーターを使う設定にすることもできる。

実際に使ってみると、ちょくちょくネットにつないでも一回の充電で一日十分使える。充電用のACアダプタは小さいし、パソコンからUSBケーブルで充電できるので、ヘビーユーザーでもそんなに苦労しないだろう。

ストレート端末なので、キーは小さい。見た感じ押しにくいかと思ったが、キーに微妙な角度がつけてあり非常に押しやすい。Willcom9のときは携帯からメールを打つのが苦痛だったが、これは非常に楽に打てる。重さと機能さえわりきればいいことづくめか・・・

が、しかーし!

Softbankのデータ回線が異常に繋がりにくい。通話用PHS回線はバリ5(死語)なのに3Gは圏外ということがよくある。なんとかしてくれ、宇宙人ジョーンズ。
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テレビを見ていたら、次の中国国家主席に決まった習近平氏の業績みたいなのを紹介していた。「1982年、河北省正定県の書記になって・・・」。

河北省正定県、ハテ、どこかで聞いたような・・・。テレビには見覚えのある風景が映っていた。

2004年の8月、僕と葛的先生は、北京を出発して邯鄲で一炊の夢を見るという自転車ツアーをしていた。

定州市から石家庄市へ行く途中、国道の左側に、場所に不似合いなやたらときらびやかな門が出てきた。「正定県」「趙雲故里」とか書いてある。「趙雲」んー、誰だっけ???よく見ると三国志がどうとか書いてある。門の上には「趙雲」らしき人物の銅像がある(ように記憶している)。

河北省は全体的に田舎くさいイメージがあった。北京や天津という大都市に近いため、そちらに富を吸い上げられてしまうからだろう。もちろん、石家庄市とか保定市なんかの大都市はともかく、県なんて付くところは遅れた農村そのもののである。

ところが、ここは違う。目についた門もでかい、道路も広くてきれい、街灯なんかもちゃんとある。こういうところはたいがい開発区というニュータウンだったりするのだが、ここは特有の殺風景な感じがしない。何かあるに違いない。それまで単調な道に飽き飽きしていたので、入ってみることにした。

すでに3時を回っていた。目的地は次の石家庄市で、それほど遠くないが、ここでゆっくりしている暇はない。奥に大きな寺院があるようなので、とりあえずそこに行って戻ることにした。

門をくぐってしばらく行くと、あちこちに「三国志」だの「西遊記」だの「水滸伝」だののバカでかい看板が見える。規模は小さいが「封神演義」というのもあった。それぞれ独立していて、入場券を買って入るようになっている。あるいは通し券みたいなのがあるのかもしれない。

どうやら、街全体が白話小説のテーマパークになっているらしい。「三国志」はまだ分かるが、他のは勢いで作っちゃいました感がはなはだしい。時間が無くて入れないのが残念だ。それぞれ、あまりにぎわっている感じはしなかったが、一番奥には大きな遊園地とホテルがあって、こちらはそれなりににぎわっていた。

歴史のある街らしく、街はずれには古い城壁が残っていた。とりあえず登ってみた。古そうな寺院もいくつかあり、仏塔が建っているのが見える。隆興寺という大きなお寺に入ったら、巨大ロボットみたいな千手観音がいた。

歴史があるのだから、ハクワーランドなんか作らなくっても、観光客が呼べそうなものだ。だが、すぐ隣に省都の石家庄市があるから、通り過ぎるだけの街になってしまうのかもしれない。立派なホテルと遊園地があるから、そこに人が留まるのである。

そして、テレビで紹介されていた習近平氏の業績がハクワーランドだったのである。

※本当は写真を付けたいんだけど、すべてリバーサルで撮ったので、うちのスキャナーではスキャンできない・・・。
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国民の生活が第一:2012年07月12日で党名を褒めたので、こちらも褒めなきゃいかんだろう。石原慎太郎前都知事が結成する新党が「太陽の党」になるらしい。

石原新党:党名は「太陽の党」に…国会議員5人参加:毎日JP
石原慎太郎前東京都知事が13日に結成する新党の党名が、「太陽の党」となることが分かった。党首に就任する石原氏の芥川賞受賞作「太陽の季節」にちなんだとみられる。石原氏や新党の母体になるたちあがれ日本の平沼赳夫代表らが同日夕、東京都内で記者会見し、党綱領などとともに正式発表する。

この記事にもあるように、「石原慎太郎」と「太陽」で想起されるのは、昭和31年(1956)に芥川賞を受賞した小説『太陽の季節』だろう。この小説は、当時、無軌道な若者の風俗を描いた小説として大ヒットした・・・とか書いているが、実は読んでいない。

「無軌道な若者」と言っても、そこはそれ、今は立派なおじいちゃんである。若者なんてたいがい無軌道なものだが、今の若者や、ちょっと前の若者が読んでも「まあ、昔はそうだったのね」ぐらいにしか思わない。石原慎太郎と太陽で若さを感じるのは、当時の若者だけである。しかし、大事なことは若さではなく、『太陽の季節』からその時代を想起させることだ。

太陽の塔もう一つ「タイヨウノトウ」という音で想起されるのが、岡本太郎の「太陽の塔」である。

「太陽の塔」は、いうまでもなく昭和45年(1970年)の大阪万博を象徴する建造物である。その大阪万博自体が経済成長の象徴だから、「太陽の塔」はまさしく敗戦から復興し、経済大国となった日本の象徴だった。もちろん、岡本太郎にはそんな気はなかっただろうが。

ちなみに、僕も大阪万博には行っている。当時1歳。ヨダレやらショウベンやらだらだらタレ流すのに精いっぱいで、なにも覚えていない。

そして、もう一つ。「石原慎太郎」といえば、東京にオリンピックを招致しようと躍起になっていることはご存知だろう。普通、東京オリンピックというと、昭和39年(1964年)を指す。これは、万博と同じく、戦後日本が国際社会に復帰した象徴だった。

東京にいる人は、注意して見るといいが、石原都知事辞任直後から、最後っ屁のようにあちこちでオリンピック招致ポスターを見るようになった。最初は在庫処分だと思っていたが、たぶん石原慎太郎=東京オリンピックというイメージをより強くする戦略として自ら命令したのだろう。

オリンピック招致バッジオリンピック招致クリアファイル
オリンピック招致ポスターオリンピック招致のぼり


これで『太陽の季節』「オリンピック」「万博」という、戦後復興から経済大国を象徴する三種の神器はそろった。石原慎太郎と太陽の党(なんかフォークのグループ名みたいだ)は、戦後経済発展の再来をイメージさせるように作られているのである。

ただし、これで日本の一番元気だったころをイメージするのは、せいぜい六十代後半以上の人だろう。おそらく「太陽の党」にとって、それ以外の年齢層は眼中にない。もともと若いイメージがない政党だから、この判断は正しい。

つまり、この政党は「国民ナントカ」とか「みんなのナントカ」とは違い、「石原慎太郎」「太陽の党」という二つの言葉だけで、確実に支持層のターゲットを絞り込んでいるのである。そして彼らは最も選挙に行く層でもある。さすがは芥川賞作家の政党、秀逸な戦略と政党名である。

蛇足になるが、「オリンピック」「万博」といえば中国である。石原前都知事は中国嫌いで有名だが、政治的手法は中国政府に似ていると感じることがしばしばある。たぶん彼の理想とする政治のやり方を中国共産党があっさりやっているので同族嫌悪的に嫌いなのだろう。
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先日の健康診断の結果が返ってきた。

上から、「胸部X線、異常なーし!血圧、異常なーし!貧血等、異常なーし!・・・」と順番に見て行って、一番最後、すなわち「消化器」のところに「要観察」とあった。

「要観察」とは「3か月から6か月後に医療機関で検査を受け、その後の経過をみていく必要があります。医師の診断の欄に一年以内に検査が必要と記載されている場合は、検査を受けてください」だそうだ。なんだかよく分からないが様子見ということだろう。

実は以前にも「要観察」がついたことがある。それは所謂善玉コレステロールの値だったのだが、医者に行くのが面倒くさいのでほおっておいたら、次の年は問題もない値になっていた。それ以後もひっかからないので、たぶん、前の日に検査のことを忘れて食べた、深夜の担担麺が悪さしたのだろう。

そんなわけで、「要観察」ごとき屁とも思っていないのだが、今度は「消化器」なのが気になる。これは例のバリウム検査の結果だ。そして、所見のところに「食道裂孔ヘルニア」となにやら恐ろしげな名前が書いてある。なんだこれは。

単に「ヘルニア」といえば脱腸のことである。これは、あらぬところ(脚の付け根)から腸がピコっと出ることをいう。「椎間板ヘルニア」もよく聞くが、これは椎間板がピコっと出た状態のことだ。どうやら「ヘルニア」は何かが「ピコっと出た」状態らしい。

それでは「食道裂孔ヘルニア」は、〈何が〉〈どこから〉ピコっと出るのだろう。「椎間板ヘルニア」の例でいうと、「食道裂孔」がピコっと出た状態ということになるが、「裂孔」は「裂けた穴」なので、ここから何かがピコっと出るのだろう。

しかし、「食道裂孔」が分からない。食道に裂け目があるのだろうか。そんな裂け目があったら、食べた物はわけのわからないところに出てしまう。僕の食道には穴があいて、食べた物がだだ漏れなのだろうか。

素人がそんなことを考えていてもしょうがないので、ここはグーグル先生に聞いてみることにした。さすがはGoogle先生。すぐに答えは出た。「Gooヘルスケア」・・・うん、これなら安心だ。

食道裂孔ヘルニア:Gooヘルスケア
ヒトには胸部と腹部の間に横隔膜(おうかくまく)という隔壁(かくへき)があって、胸腔と腹腔を分けています。胸腔と腹腔に連続している大動脈、大静脈、食道は、それぞれ横隔膜にある裂孔を通っています。
 食道が通る穴が食道裂孔で、この穴を通って腹腔内にあるべき胃の一部が胸腔側へ脱出している状態を、食道裂孔ヘルニアといいます。

これによると「食道裂孔」とは、食道に開いた穴ではなく、横隔膜に開いている食道を通す穴らしい。これなら誰にでもあるはずだ。

本来、食道→横隔膜→胃となっているのが、食道→胃の一部→横隔膜→胃となっているのが「食道裂孔ヘルニア」ということだ。食道が通る穴から胃袋の一部がピコっと出ているからヘルニアなのだろう。

「食道裂孔ヘルニアがあるだけで自覚症状がなければ、単にヘルニア状態にあるだけで問題となりません。自覚症状や逆流性食道炎を合併して初めて、“ヘルニア症”ともいうべき病態を呈します。」というが、自覚症状は全くないので大丈夫だろう。

だいたいバリウムと炭酸を飲まされて、上やら下やら、右やら左やら、ぐるぐる回されたら、胃袋が上に上がって食道にピコっと出てもなんの不思議もない。いや、むしろ出ない方がおかしいだろう。と、いうことで、とくに医者には行かず観察することにした。

それにしても、こんな聞いたことのない病名でも、今はインターネットで調べればすぐに分かる。ネットが無かったら、悶々と怖気づいていなければならなかったろう。本当にいい時代になったものだ。
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ひこにゃんマニアなら常識だが、ひこにゃん(マニアは「モチ」と呼ぶ)には呪われた出自を持つ瓜二つの弟がいる。名前を「ひこねのよいにゃんこ」という。この二匹、とてつもなく仲が悪く、裁判沙汰になっている。

それがこのたび和解したという。

ひこにゃん訴訟:権利は彦根市に帰属、原作者らと和解へ:毎日JP
滋賀県彦根市の人気キャラクター「ひこにゃん」の類似グッズ販売を巡り、同市が原作者や製造・販売業者を相手取り約2870万円の損害賠償を求めていた訴訟で、同市は7日、大阪地裁(谷有恒裁判長)が示した和解案を受け入れる方針を明らかにした。原作者らも和解案を受諾する上申書を地裁に提出しているという。
 同市はひこにゃんのイラストについて商標権と著作権を保有しており、裁判ではひこにゃんのイラストから派生したグッズや絵本などを作る権利が市と原作者のどちらにあるかが争われた。和解案は、▽グッズなどを作る権利は市に帰属させる▽原作者側がつくった、ひこにゃんに似た「ひこねのよいにゃんこ」商品の製造・販売を禁止する▽業者側は計370万円の解決金を支払う−−などの内容。市は19日の臨時市議会に和解議案を提出し、議決が得られれば22日に和解が成立する見通し。

今や滋賀県民の家には、信楽焼の狸とひこにゃんは必ずいるような存在となったが、その陰で「ひこねのよいにゃんこ」の方はイマイチ知られていない。しかも、今回の和解で引退が決定的になった。

これでは和解というより、ひこにゃんに斬り殺されたようなものだ。大人の醜い争いから生み出され、闇に葬られる「ひこねのよいにゃんこ」があまりに不憫なので、ここに画像を掲載し、その雄姿を永遠に留めたいと思う。是非、クリックして大きな画像で見てほしい。

ひこねのよいにゃんこ


あ、ついでに兄貴の方もどうぞ。

彦根城のアレを見てきた:2010年04月20日
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ここ数年「○○大学?どこだそれ?」とか「○○○○学部?何勉強するの?」というのが増えてきた。

聞いたことのない大学の多くは、全くの新設ではなく、元短大だったところが4年生に移行したとか、専門学校が大学を作ったというのが多い。そういうところの学部は、なぜか何を勉強するのかよく分からない長い学部・学科名が付いている。

そういう大学に通っている人には申し訳ないが、少子化が進んでいるのにそんなに大学を増やしていいのかという疑問が湧いてくる。実際、ノリピーが入学したので話題になった創造学園大学(堀越学園)は先日経営破綻してしまった。

大学が多すぎる。たぶん田中真紀子文部科学大臣もそう思ったのだろう。来春開設予定だった、秋田公立美術大(秋田市)・札幌保健医療大(札幌市)・岡崎女子大(愛知県岡崎市)の三つの大学を不認可にした。

これは正当な手続きだが、大学側からしたらこれはたまらない。なにしろ何年も前から文科省と連絡を取り合って、認可と同時に開学できるよう、施設を増設し、教員を手配し、宣伝をしていたのが、一瞬にしてパーになってしまうのである。これは莫大な金額になるだろう。下手をすればそれで経営が傾くこともありうる。大臣の思いつきで不認可で済む話ではない。

しかし、それでは大学の設置を認可するのは官僚であって、大臣の権限は形だけのものということになる。なにしろ大臣が判子をおすときにはすべて出来上がっているのである。官僚が大学の理事に天下りというのはよくある話で、認可する権限が官僚にあるなら、自分たちの都合のいいように無制限に大学ができてしまうということになりかねない。

要するに、システムの問題なのだ。最初から大臣が関わって、本当に必要な大学と判断されたものだけ認可すればいい。これまた「たぶん」だが、田中文大臣が新基準で再審査するというのはそういう意味なのだろう。
大学新設不認可:田中文科相「新基準で再審査」:毎日jp
 田中真紀子文部科学相が来春新設予定だった3大学を不認可とした問題で、田中文科相は6日、閣議後の記者会見で「できれば年内に認可基準を見直し、新しい基準に照らしてもう一回審査する」と述べ、認可に可能性を持たせた。ただ、3大学は認可が決定するまで学生募集などはできず、来春の開学に向けて難しい状況が続いている。

とはいえ、仮にシステムの更新後認可されたとしても、一年は無駄になる。秋田公立美術大・札幌保健医療大・岡崎女子大はスケープゴートにされた格好で、やはり田中大臣のやり方は乱暴に思える。

そう考えると、この三つの大学はとりあえず認可して、そのあと、現在審査中の大学を新基準で審査するというのが常識的なやり方だろう。しかし、そのころ田中真紀子氏が文部科学大臣をやっているかどうか、いや、それどころか民主党が政権を取っているかさえ分からない。

あまりに大臣がころころ変わりすぎること。問題はそれに尽きるのではないだろうか。
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高校生が携帯電話を持つようになってから、机の下でひそかにメールを打つというのは、授業中のお約束となった。

ずいぶん前、さも授業を受けているかのような顔をしながら、ものすごい勢いでメールを打っている女子を発見して、その神業にあまりに感心したから、目の前で打たせたことがある。まだ、スマートフォンが出る前で、携帯のテンキーを使って入力する時代である。

彼女は携帯を一瞥たりともせず、僕がゆっくりと喋った内容をそのまま打つことができた。出来上がった文章を見ると、ちゃんと漢字仮名交じりになっていて、ほとんど間違いがない。たぶん、鉛筆で書くよりも早いだろう。まさに職人芸である。その調子でノートをとればいいのに。

さて、島崎藤村の『破戒』を読んでいたら、主人公の小学校教師、丑松が自らの出自(被差別部落出身者であること)を生徒に告白する前の授業のシーンで、こんな描写があった。

 斯(か)ういふことを繰返して、問題を出したり、説明して聞かせたりして、数学の時間を送つた。其日に限つては、妙に生徒一同が静粛で、参観人の居ない最初の時間から悪戯(わるふざけ)なぞを為るものは無かつた。極(きま)りで居眠りを始める生徒や、狐鼠々々(こそこそ)机の下で無線電話をかける技師までが、唯もう行儀よくかしこまつて居た。噫(あゝ)、生徒の顔も見納め、教室も見納め、今は最後の稽古をする為に茲(こゝ)に立つて居る、と斯(か)う考へると、自然(おのづ)と丑松は胸を踊らせて、熱心を顔に表して教へた。(島崎藤村『破戒』:青空文庫

この最後の授業では、師範学校の生徒と先生が授業参観に来る。教室は部外者が来ると、突然いつもと違う雰囲気になるものだ。「極(きま)りで居眠りを始める生徒や、狐鼠々々(こそこそ)机の下で無線電話をかける技師までが、唯もう行儀よくかしこまつて居た。」というところはさすが教師経験者だけあってよく書けている。普段すぐ居眠りするやつがシャキっとなったり、机の下で携帯電話いじりどおしの奴が携帯をしまっていたり・・・・

「机の下で無線電話をかける技師までが・・・」

ん?

『破戒』の発表は明治39年(1906年)3月である。今から100年も前だ。携帯電話なんかあるわけがない。電信か何かの間違いじゃないかと思って、国会図書館デジタル化資料で初版を確認したが、やはり「無線電話」になっている。

では、無線電話の発明はいつだろうか。安直な方法で申し訳ないがWikipediaによると1902年らしい。

一方、持続電波を得る技術が進歩するに従い、これを振幅変調 (AM) する事で音声を送信する試みが各地で開始された。早くも1902年に、アメリカのレジナルド・A・フェセンデンは、瞬滅式送信機の空中線回路にカーボンマイクロフォンを直列に挿入して振幅変調を行い、距離約5マイルの電話送信に成功した。続いて1906年のクリスマスイヴに高周波発電機と水冷式カーボンマイクを使用して行った実験では、航行中の船舶に対して音楽及び音声の送信に成功した。(無線電話:Wikipedia

これは『破戒』が刊行される4年ほど前で、刊行当時もまだ日本には入ってきていない。おそらく当時ニュースか何かで話題になったのだろう。『日本国語大辞典』の「無線電話」の項の用例にも『破戒』が引用されているので、文学作品としてはおそらく最初の用例である。

『破戒』刊行当時、無線電話は最新の技術だった。海彼の最新の技術として話題になっていた無線電話を、藤村は教室でのなんらかの行為の比喩に用いたのである。問題はこれがどんな行為を指しているかだ。

電話というからには、誰かと通信することなのは間違いない。僕の経験上、携帯電話以前、一番ポピュラーなのは小さな紙切れに書く手紙だった。これは携帯電話が普及する前に、主に女子の間でバケツリレー式に飛び交っていた。

しかし、バケツリレーでは無線というより有線電話である。わざわざ無線電話とするからには、手紙を机の下から投げるのではないだろうか。

それにしても、教室で生徒がやることは100年前から何ら変わっていないのが面白い。そして、実は先生には全部見られていることも。
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